2011年7月12日火曜日

日独交流150周年(1)

 2011年は日独交流150周年。
 今日、横浜の日本新聞博物館で開催中の日独交流150周年記念写真展「歴史と未来を紡いで」を見に行ってきた。そこで、前回のブログでアナウンスした「ベルリンの壁崩壊の過程」は次のシリーズにして、これから何回かに分けて日独交流150周年について、思いついたことを書いてみたい。

 日本新聞博物館企画展のサイト
   ↓
  http://newspark.jp/newspark/floor/info.html

 写真展に出展されている作品は約130点。「産業・科学」「政治・外交」「スポーツ」などのジャンルに分かれていて、見やすくなっている。
 「産業・科学」のコーナーでは、東ドイツの国民車「トラバント」が3台、白い煙を排気筒から勢いよく吐き出しながら街の中を疾走している写真があった。排ガス規制のなかった東ドイツでは、有害物資は出し放題。街中を歩いているときの鼻にツンとくる臭いと胸が息苦しくなる感触を思い出した。
 撮影年月日を見ると、1989年11月24日とある。国境が開放され、ベルリンの壁が事実上崩壊したのが11月9日。すでに自由に通れるようになった検問所に向かっているところなのだろうか。気のせいか明るさと勢いを感じる。
 「ベルリンの壁」というコーナーもちゃんとある。東ベルリンの壁の向こうから見えるソ連の戦車2台が砲塔をこちらに向けて構えているのが不気味。ドイツ統一の日、ブランデンブルグ門に市民が集まり祝っている光景は映像でも何度も見た。
 日独交流150周年と言いつつ、興味の対象はやはりドイツ統一、東西ドイツに向いてしまう。
 しかし、今回のシリーズでは、特に「世界大戦」をキーワードに日独交流史を見ていきたい。
 日独両国は第1次世界大戦では戦火を交え、150年のちょうど真ん中にあたる75年目の1936年には日独防共協定が締結され、第2次世界大戦では枢軸国として連合国と戦った。写真展にも「第1次世界大戦」「ドイツ兵捕虜収容所」「政治・外交/戦前」というコーナーがあったので、それらの写真にも触れながらが話を進めてみる。
(次回に続く)


写真は、上が日本新聞博物館。
ついでに、文久二・三年の横浜地図を手がかりにプロイセン公使館の場所を確認しようとしたが、結局わからなかった。おそらくここではと思ったのが、旧生糸検査所、現在は、法務局や労働局など国の出先機関が入っている横浜第2合同庁舎。写真下は生糸検査所の趣を再現した入口。
場所はここです。
 ↓
http://publicmap.jp/print/20614404