2025年12月11日木曜日

泉屋博古館東京 企画展「もてなす美―能と茶のつどい」

東京・六本木の泉屋博古館東京では、企画展「もてなす美―能と茶のつどい」が開催されています。


泉屋博古館東京エントランス

今回の企画展は、きらびやかな能装束やわび・さびが感じられる茶道具を通して、住友家における「もてなしの美」が紹介される展覧会です。
約100点を数える能装束を有する泉屋博古館東京では、今までも能をテーマとした企画展が開催されてきましたが、前回開催されたのがほぼ20年前、平成18年(2006)1月の「THE 能」とのこと
この時は見逃してしまったので、今回初めて拝見する住友コレクションの能装束を楽しみにしていました。
それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
 

展覧会開催概要


会 期  2025年11月22日(土)~12月21日(日)
開館時間 11:00~18:00 ※金曜日は19:00まで開館 入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日
入館料  一般1,200円、学生600円、18歳以下無料
展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式ホームページをご覧ください⇒https://sen-oku.or.jp/tokyo/

展示構成
 第Ⅰ章 謡い、舞い、演じるために ―住友コレクションの能装束
 第Ⅱ章 もてなす「能」 ―住友家の演能と大西亮太郎ゆかりの能道具
 第Ⅲ章 茶の湯の友 ー春翠と亮太郎
 特集展示 染・織・刺繍をいろどる金属、そして新たな可能性

※撮影はホール内、展示室①のみ可能です。撮影の注意事項は館内でご確認ください。
※上記以外の展示室の写真は、主催者より広報用画像をお借りしたものです。


展示室①に入ってすぐに感じたのは、展示室いっぱいに広がる華やいだ雰囲気でした。


展示室① 展示風景


唐織(からおり)や厚板(あついた)など、豪華絢爛な模様が施された能装束は、演者が身に着けている姿も見栄えがしますが、広げて展示されると大画面の絵画を見ているようで、このように並んでいる様はまさに壮観。一気に気分が盛り上がってきます。

一方で、住友コレクションの能装束は、能を好み、自らもたしなんだ住友家十五代当主・住友春翠氏によって集められたもので、その特徴は、唐織、狩衣(かりぎぬ)をはじめ、法被(はっぴ)や長絹(ちょうけん)などの表着(うわぎ)、厚板、縫箔(ぬいはく)などの着付、さらには袴まで、演能に必要な装束が一式揃っていることです。
そのため、狩衣や長絹など、比較的落ち着いた美しさを見せる装束が展示されているのも、今回の展示の見どころのひとつです。

展示室① 展示風景


ここまで能装束の種類など専門用語が出てきましたが、筆者を含め能装束に詳しくなくても心配はいりません。展示室①の入口には能装束の種類や織物・加飾技法の語句解説のパネルがあるので、事前に予習して展示を見ることができます。

例えば、「金銀糸や色糸をふんだんに用い、能装束の中でももっとも豪華絢爛な美しさを見せる唐織は、主に女性用の表着として着装される装束。」など、装束の材料や着る演者の役の説明もあります。

そして能に欠かせないのは能面。展示室①には春翠氏が最初に入手した能面のひとつ《白色尉(はくしきじょう)》が展示されています。

《白色尉》 桃山時代・16世紀 泉屋博古館東京

《白色尉》は、天下太平・国土安穏・五穀豊穣・子孫繁栄を祈る祝言能「翁(おきな)」で用いられる、とてもおめでたい能面。老人のおだやかなほほ笑みに癒されます。


展示室②に移ります。

春翠氏は客人をもてなす際に演能を催しましたが、その舞台をつとめたのが能楽師・大西亮太郎の一門でした。また、春翠氏の能道具収集に助力をしたのも大西亮太郎で、その範囲は装束だけに留まらず、能面をはじめ、笛、小鼓、大鼓、太鼓など、能にまつわる諸道具にまで及んでいます。

展示室②にはこれらの能道具が展示さていますが、能装束や能面だけでなく、楽器類などが展示されているのも今回の展示の見どころのひとつです。
能面を収める面箪笥は初めて拝見しましたが、武蔵野の景色を蒔絵で表した《武蔵野蒔絵面箪笥》(江戸時代・18世紀 泉屋博古館東京)の美しさは特に印象的でした。


こちらは、明治45年(1912)に大西亮太郎の取り次ぎで購入された装束のひとつ、《紫地鉄線唐草模様長絹》。春翠氏が実際に着用したと思われる長絹です。

《紫地鉄線唐草模様長絹》 江戸時代・19世紀     泉屋博古館東京


《白色尉》とは対照的に、眉間に皺を寄せて険しい表情をした老人の能面は《妙作尉(みょうさくじょう)》。明治43年(1910)に、春翠氏が大西亮太郎から購入したものです。


《妙作尉》桃山~江戸時代・16~17世紀 泉屋博古館東京




展示室③には、春翠氏が主催し、余技として茶をたしなんでいた大西亮太郎が参加した茶会で用いられた茶道具が展示されているので、茶の湯という側面からも二人の交流の足跡をしのぶことができます。
 
残された茶会記から、春翠氏が大阪の茶臼山本邸で開いた大正7年(1918)10月、大正8年(1919)2月、大正9年(1920)2月の茶会に亮太郎が参加していたことがわかり、《小井戸茶碗 銘 筑波山》は、大正7年10月の茶会で用いられた茶碗です。
展示室③に展示されている茶道具の名品が見られるのも今回の展示の見どころのひとつですが、展示室の壁面には当時の茶室の写真パネルが掲示されているので、茶会の雰囲気を感じながら作品を鑑賞することができました。

《小井戸茶碗 銘 筑波山》朝鮮時代・16世紀 泉屋博古館東京


江戸琳派の祖・酒井抱一が下絵を描き、蒔絵師・原羊遊斎が蒔絵を施した棗(なつめ)は、大正8年2月の茶会で用いられたものです。

原羊遊斎《椿蒔絵棗》 江戸時代・19世紀 泉屋博古館東京


展示室③には、大阪能楽堂のパネル写真と解説も掲示されていました。
明治維新によって一時衰退していた能の復興・発展に尽力した大西亮太郎は、大阪・天王寺堂ヶ芝の地に敷地面積約800坪の大阪能楽堂を建設しましたが、この土地を寄付したのは住友家でした。当時日本一の規模を誇った大阪能楽堂は、昭和20年(1945)の空襲で惜しくも焼失しましたが、ここでも住友家と能の深いつながりがあることがわかりました。


展示室④の特集展示は、染・織・刺繍をいろどる金属、そして新たな可能性

染織物と金属と聞いて、一瞬、相容れないものでは、と思ってしまいますが、実は染織物の中には金属を使ったものが多くあることに気が付かされました。


たとえば《紅地時鳥薬玉模様縫箔》では、紅色の綾地に金砂子を雲状に蒔き、裾の部分に撚金糸、撚銀糸が用いられているのです。


《紅地時鳥薬玉模様縫箔》 江戸時代・18世紀 泉屋博古館東京


《紺地桐卍字散模様袷狩衣》の桐や卍には、金箔や銀箔を糊で貼り付ける摺箔という技法が用いられています。


《紺地桐卍字散模様袷狩衣》 江戸時代・18世紀 泉屋博古館東京


展示室④に展示されている能装束には、どの部分にどのような金属、技法が用いられているかがわかる解説パネルが掲示されているので、とても参考になります。

展示は12月21日(日)までです。
華やかさも落ち着いた雰囲気も感じられる企画展「もてなす美―能と茶のつどい」は、今年の締めくくりにぴったりの展覧会です。おすすめです。





2025年12月6日土曜日

「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」 2026年夏に国立西洋美術館で開催!

2026年夏、17世紀オランダを代表する画家・レンブラント(1606~1669)の版画史における”インパクト”にも注目した大規模展覧会が東京・上野公園の国立西洋美術館で開催されます。

展覧会チラシ

展覧会開催概要


展覧会名 版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト
会 場  国立西洋美術館 企画展示室
会 期  2026年7月7日(火)~9月23日(水・祝)
開催時間 9:30~17:30(毎週金・土は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
主 催  国立西洋美術館、レンブラント・ハウス美術館
国立西洋美術館公式サイト⇒https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026rembrandt.html   

展示構成
 第1章  版画家レンブラント
 第2章 レンブラント版画の影響:17―18世紀
 第3章 レンブラント版画の影響:19―20世紀


今回の展覧会は、版画家としてのレンブラントの名作はもちろん、レンブラントの影響を受けた画家たちの作品も展示される企画です。
開幕を前に開催された記者発表会に参加しましたので、さっそく展覧会の見どころをご紹介したいと思います。


見どころ1 レンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館のコレクションを中心に約130点を一挙展示!



オランダ、アムステルダムの中心に位置するレンブラント・ハウス美術館は、レンブラントが1639年から1658年まで実際に暮らした家を利用した、世界で唯一のレンブラント専門の美術館で、レンブラントによるエッチング(腐蝕銅版画)の世界有数のコレクションを中心に、素描作品、さらに彼と関連の深い、あるいは、その強い影響を受けた芸術家たちの作品を収蔵しています。

レンブラント・ハウス美術館外観


一方、国立西洋美術館でも、レンブラントのエッチングを重点的な収集の対象として、《病人たちを癒すキリスト》や《三本の木》など代表作を含む、20点余の作品を所蔵しています。
今回の展覧会は、レンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館による共同企画で、両館のコレクションを中心に、国内の美術館、大学図書館、個人蔵の作品も加えた約130点が一挙に展示され、レンブラントのエッチングと、それが同時代及び続く時代に与えた影響を見ていく企画です。


見どころ2 版画家レンブラントの挑戦!


今回の展覧会では、「油彩以上に色彩豊か」(詩人・批評家テオフィル・ゴーティエ[1811-1872])とも言わしめたレンブラント版画の魅力がたっぷり紹介されます。
まず第1章では版画表現の可能性を拓いたレンブラントの”挑戦”をご覧いただくことができます。


レンブラントは、エッチング制作を始めた当初、多くの自画像を制作しました。その主要な目的のひとつは、表情の習作だったと考えられています。
自画像といっても、かしこまった表情ではなく、何かに驚いた一瞬をとらえているので、生き生きとした動きが感じられる、とてもユニークな自画像というのが第一印象でした。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《驚いた表情の自画像》
1630年 エッチング、ドライポイント レンブラント・ハウス美術館


レンブラントが制作したエッチングの中で、もっとも多くを占めるのが「キリスト教主題」でしたが、ここでも実験的精神に富んだレンブラントによる様々な表現の試みが見られます。

《エジプトへの逃避》は、1645年の作品では、ごく淡いスケッチ風の線描で画面を構成していますが、1651年の作品では、無数の線を重ねて、深い夜の闇を表現しています。



レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《エジプトへの逃避》
1645年 エッチング、ドライポイント レンブラント・ハウス美術館



レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《夜間のエジプトへの逃避》
1651年 エッチング、ビュラン、ドライポイント レンブラント・ハウス美術館


『新約聖書』の『マタイによる福音書』2章では、ヘロデ王の嬰児虐殺の企てを夢で知った養父ヨセフが、その夜、マリアとイエスとともにエジプトに逃れる様子が記されていますが、「逃げなければイエスが殺されてしまう!」という緊迫感は、1651年の《夜間のエジプトへの逃避》のほうがより一層強く感じられます。

続いては、《イタリア風景の中の聖ヒエロニムス》。
聖ヒエロニムスは、聖書のラテン語翻訳で知られ、足のとげを抜いて助けたライオンが、以後聖人に仕えたというエピソードが伝えられています。
そのため、この作品でも聖ヒエロニムスは本を読む姿が、そして、仕えたとされるライオンの後ろ姿が描かれています。

線の重ね具合によって濃淡をつけた豊かなグラデーションにも注目したいです。
そして使われているのは、なんと和紙!
和紙特有の水分の吸収のよさを活かそうとしたのでしょうか。どこまでもチャレンジングです。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《イタリア風景の中の聖ヒエロニムス》
1653年 エッチング、ドライポイント/和紙 レンブラント・ハウス美術館


エッチングの歴史に残る傑作とされるのが、国立西洋美術館が所蔵する《病人たちを癒すキリスト》。
厳かに光を放つキリストを中心に、『マタイによる福音書』19章に記された複数のエピソード―病人の癒し、パリサイ人たちとの論争、子どもたちの祝福、富める若者への譴責―が一つの画面の中で同時進行的に描かれています。
病人たちが描かれた画面右側は綿密に重ねた線の集積が生み出した柔らかく深い闇が支配し、画面左側はまるで白描のように描いたこの作品は、エッチングが持つ表現の可能性を最大限まで追及したレンブラントの傑作というだけでなく、後世への影響という点からエッチング史に残る傑作といえます。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《病人たちを癒すキリスト》
1649年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館



見どころ3 版画家レンブラントの継承、インパクト


「版画家レンブラント」展は、ゴヤ、ホイッスラー、ルドン、マティス・・・レンブラントに憧れた巨匠たちの作品も紹介され、版画史におけるレンブラントの”インパクト”にも注目した国内初の大規模展覧会です。

第2章、第3章は、レンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館のコレクションの組み合わせでレンブラントのインパクトがよくわかる構成になっています。まさに両館の共催ならではの企画だと感じました。


「どちらもレンブラントのエッチング作品?」と思ってしまいますが、下の写真上はレンブラント20歳代の《驚いた表情の自画像》から18年後に制作された、貫禄が出てきたレンブラントの自画像《窓辺でエッチングを制作する自画像》、下はゲオルク・フリードリヒ・シュミットの《窓辺で素描する自画像》でした。


レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《窓辺でエッチングを制作する自画像》
1648年 エッチング、ドライポイント レンブラント・ハウス美術館
 


ゲオルク・フリードリヒ・シュミット《窓辺で素描する自画像》
1758年 エッチング、ドライポイント レンブラント・ハウス美術館

シュミットは、エングレーヴィングによる肖像画の複製において高く評価されたドイツの作家で、キャリアの後半にはレンブラント風のエッチングを多く手掛けるようになり、《窓辺で素描する自画像》は、その代表作に数えられます。
レンブラントの自画像を土台にしつつ、窓ガラスの蜘蛛の巣や背景の楽器と剣など、独自の趣向を取り入れているところに注目したいです。

フランスの画家でフォービズムの代表的作家のひとり、マティスもレンブラントへの敬意を表した作品を描いていました。


アンリ・マティス《版画を彫るアンリ・マティス》
1900/03年 ドライポイント 国立西洋美術館


こちらも「どちらがレンブラントの作品?」と思ってしまいますが、下の写真の上がレンブラントの《三本の木》、下がフランスの画家、彫刻家、銅版画家、ルグロの《嵐の川景色》です。
雨や雲、木々の表現など、ルグロがレンブラントのインパクトを受けた作家のひとりであることがよくわかります。


レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《三本の木》
1643年 エッチング、ドライポイント、ビュラン 国立西洋美術館


アルフォンス・ルグロ《嵐の川景色》
1857年 ドライポイント レンブラント・ハウス美術館


18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したスペインの画家、版画家ゴヤは、スペインであまり知られていなかったレンブラントの版画を熱心に研究して、受けた刺激を自作に反映させました。
下の写真の上はレンブラントの《使徒たちに現れるキリスト》、下はゴヤの〈戦争の惨禍〉79番:《真理は死んだ》です。


レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《使徒たちに現れるキリスト》
1656年 エッチング レンブラント・ハウス美術館



フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
〈戦争の惨禍〉79番:《真理は死んだ》1810-20年頃
エッチング、バーニッシャー/ウォーヴ紙 国立西洋美術館


《真理は死んだ》は、王政復古による「憲法の自由」の死の暗喩を表した作品で、構図や、まばゆい光線の表現には、レンブラントの《使徒たちに現れるキリスト》とのつながりが見て取れます。


エッチングに対する関心が下火になっていた19世紀、エッチング・リヴァイヴァルが起こり、その象徴となったのが、エッチングの普及と地位向上を目指す『エッチングのパリ』誌の宣伝のために制作されたレガメーのポスターでした。

このポスターのオリジナルは、今回の展覧会のメインビジュアルになっているレンブラントの《書斎の学者(またはファウスト)》(国立西洋美術館)。冒頭の展覧会チラシに掲載されている作品です。


フレデリック・レガメー《『エッチングのパリ』誌ポスター》
1876年 リトグラフ/青色紙 レンブラント・ハウス美術館




各地の美術館・博物館では、来年の展覧会のラインナップが発表されていますが、「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」は間違いなく2026年に見逃せない展覧会のひとつです。
開幕が待ち遠しいです。