東京・南青山の根津美術館では企画展「はじめての古美術鑑賞ー写経と墨蹟ー」が開催されています。
企画展「はじめての古美術鑑賞」シリーズは、敷居が高いと思われがちな古美術の専門用語を作品例とともにわかりやすく解説して、見る人の興味を広げ、古美術の面白さやすばらしさを体感できることを目指して開催される古美術鑑賞の入門編となる展覧会です。
2016年から始まって、今回が6回目となるこのシリーズのテーマは「写経と墨蹟」。
写経とは、その名のとおり仏教の経典を書き写したもの、墨蹟とは禅宗の僧の書という程度の予備知識しかなかった筆者ですが、それぞれの鑑賞のポイントがわかって、展覧会を見たあとにはより味わい深いものに感じられるようになりました。
それでは開会前に取材に行ってきましたので、展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 期 2025年5月31日(土)~7月6日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 毎週月曜日
入館料 オンライン日時指定予約 一般1300円、学生1000円
*当日券(一般1400円、学生1100円)も販売しています。同館受付でお尋ね
ください。
*障害者手帳提示者および同伴者1名は200円引き。中学生以下は無料。
オンライン日時指定予約、スライドレクチャー等の情報は同館公式サイトをご覧ください⇒根津美術館
*展示室内およびミュージアムショップは撮影禁止です。掲載した写真は取材で美術館より
特別に許可を得て撮影したものです。
*展示作品はすべて根津美術館の所蔵です。
今回の企画展に展示されている写経と墨蹟は、はじめての方にできるだけいいものをご覧いただきたいとの趣旨で、なんと21点すべてが国宝か重要文化財という豪華レパートリーになっています。
それでははじめに展示室1に入ってみます。
写 経
冒頭に展示されているのは、長屋王(684-729)が文武天皇の追善のために発願した、写経年次が明らかな日本最古の『大般若経』。発願の年号から『和銅経』とよばれています。
和銅(708-715)といえば武蔵国秩父郡から和銅が献上されて、和同開珎が鋳造された頃ですが、およそ1300年前の紙の経典が信じられないほどきれいな状態で残っています。
重要文化財『大般若経』 巻第二十三(和銅経) 日本・奈良時代 和銅5年(712) |
壁面のパネルには「写経は1行17文字が基本です。」との解説があります。
8世紀には国家事業として官営の写経所で選抜された写経生たちによって写経が行われいましたが、書き写した経典をチェックしやすくするため、1行の文字数が17文字に決められていたのです。
経典の下の白いテープにも注目したいです。
隣の『大般若経(神亀経)』(下の写真)の下にも白いテープが貼られていますが、これは紙1枚の長さを表したもので、『神亀経』に用いられている「長麻紙」は『和銅経』の料紙3~4枚分もあって、どれだけ長いかがよくわかります。
今までは奈良時代でしたが、平安時代になると故人の追善供養や死後の極楽浄土を願い、宮廷や貴族の美意識を反映させたきらびやかな装飾経が制作されるようになりました。
国宝『無量義経・観普賢経』日本・平安時代 11世紀 |
国宝『無量義経・観普賢経』は、一見すると地味に見えますが、実は界(罫線)を金泥で引き、細かい金箔を散らして色の異なる染紙を交互に次いだという豪華版の経典なのです。
腰をかがめて低い視線から見ると金箔がキラキラ輝いているのが見えてきます。
そして書体の変化にも注目したいです。
平安中期以降には国風文化が広まり、書体も優雅で上品な和様の書風になっています。
墨 蹟
写経と同じく仏教に基づき、墨で書かれていても、書き手である高僧の人柄などが表れて、書体はどれも個性的なのが墨蹟の大きな見どころのひとつです。
「墨蹟」展示風景 |
そしてそこには禅僧たちのドラマがあるのも大きな見どころ(読みどころ?)のひとつです。
こちらは中国僧居涇が京都東福寺の諸師に宛てて書いた漢文体の手紙(尺牘)。
東福寺の住持をつとめた白雲慧暁の訃報に接して、慧暁を空に浮かぶ白雲にたとえ、多くの人を導いたことをたたえる内容が書かれていますが、突然の大嵐に、もうその白雲の痕跡を見ることができないと詠んだ表現は、涙を誘われてぐっとくるものがありました。
重要文化財『居涇墨蹟 尺牘』 中国・元時代 13-14世紀 |
なお、書かれている文字が漢字でも判読が難しいものもあります。
そんなときに便利なのが、展示室入口に出品目録とともに用意されてる「墨蹟釈文」。展示されている墨蹟に書かれている漢字がすべて印字されているので、これなら何が書かれているかがよくわかります。
作品ごとの解説パネルと「墨蹟釈文」の両方を読みながら墨蹟をご覧いただければ楽しさが増すこと間違いなしなのでぜひお試しください。
2幅並んで展示されいる偈(宗教的な詩)は、中国僧月江正印が、双峰上座という人物が月江のもとを辞す際に法語を求められ、77歳の時に揮毫した送別偈(右)と、82歳の時に留学僧玉泉周皓の道号(どうごう)「玉泉」の2文字と、法諱(ほうき)の「皓」の字を偈に詠みこんで与えた道号偈です。
どちらも当時としては高齢になって揮毫した墨蹟ですが、その堂々とした筆跡からも内容からも、修行僧がこぞって参禅した名僧として知られた月江正印の人柄がうかがえるように感じられました。
禅僧の名前については解説パネルがあるので、名前の意味を初めて知ることができました。
たとえば「宗峰妙超」のうち、「妙超」は法諱で、得度のとき師より受ける名、「宗峰」は道号で、修行や役職がある程度の段階に達すると、師や先輩僧などから授けられる称号なのです。
宗峰妙超の墨蹟も、茶の世界で尊ばれた墨蹟の茶室風のしつらえも、中国元時代の画僧因陀羅の国宝も展示されています。
いつもは絵の方に目が行ってしまう因陀羅の国宝『布袋蒋摩訶図』ですが、今回は賛に注目したいです。
同時開催 テーマ展示
展示室2で開催されているのは「大津絵ーつくられ方・たのしみ方ー」。
大津絵の店先の様子を描いた屛風絵にはじまり、仏画、美人や若衆、鬼や神仏をユーモラスに描いた世俗画など、同館が所蔵する大津絵が初めてまとまって見られる貴重な機会です。
「大津絵」展示風景 |
雷神が商売道具の太鼓を落として懸命に取ろうとしていたり、殊勝にも鬼が念仏を唱えたりなど、風刺もきいて、くすっと笑えるのも大津絵の大きな魅力のひとつです。
「大津絵」展示風景 |
今回の変わりダネは、展示室5に展示されている「特別仕様の美術品収納箱」。
収納箱といっても単なる箱ではなく、螺鈿の蒔絵が施されていたり、収納されている茶碗の銘にあわせた絵柄が描かれていたりなど、こだわりの装飾が施されて、それだけでも美術品になるようなものばかりです。
黒柿製のぜいたくな収納箱の蓋の裏には茶葉を挽く小さい坊主頭の人がこちらを向いてニッコリ微笑む姿が平蒔絵で表されています。
今回のように収納箱が主役の展示がなければ、思わすこちらもなごんでしまう笑顔にはお会いできなかったかもしれません。
写真では少しわかりにくいですが、ぜひその場で拡大鏡をのぞき込んでご覧ください。
『色絵結文文茶碗 収納箱』日本・江戸時代 19世紀 |
季節ごとの茶室のしつらえが楽しめる展示室6の今回のテーマは「風待月の茶室」。
風にゆらめく草花、器の透かし彫り、そして和歌など涼しげな風が感じられる作品が楽しめます。