2013年1月10日木曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(3)

あけましておめでとうございます。
ブログの更新が大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
さっそくですが、前回からの続きを進めていきます。

平成24年9月5日(水)続き

ホテルの従業員の女性たちはとても親切だ。
ホテルを出ようとしたら、呼び止められて日本語を含め6か国語で表記された市内観光用の冊子を渡してくれた。全部で16ページある立派なもの。
これはワイマールの歴史を紹介しているページ。右下に日本語の説明が見える。


 

 
こちらはワイマール市街の地図。これはドイツ語だけ。


ホテルはマルクト広場に面していて、正面から出て左手には市庁舎が見え、広場にはその名のとおり、毎朝、市(いち)が立つ。


ホテルから外に出ると雨は上がっていた。
気温は13℃なので、セーターとジャケットを着てちょうどいいくらいの涼しさ。
雨上がりの石畳はしっとりしていて、いかにも古都らしい落ち着いた雰囲気を出している。

上の写真だとわかりにくいが、市庁舎の左手前にある黄色と茶色の物体はソーセージスタンドの看板がわりの大きなソーセージ。
これは横から見た写真。


さらにアップで見ると・・・(これは2日後に撮った写真なので晴れ間が少し見えている)


チューリンゲン風はパンが小さくてソーセージがパンの両端からはみ出ているのが特徴。
自分では食べなかったが、人が食べているのを見ていると、パンの部分を手に持ち、はみ出たソーセージの長さのバランスをとるように、両端にかわるがわるかぶりついていた。

市庁舎とは反対側の角から路地に入ると、すぐに領主の居城の塔が見えてくる。





塔の右側の建物をくぐると居城の正面に出る。
これは少し離れて撮った写真。
 

さらに居城の正面から入っていくと中庭に出る。
これがかつての領主の居城。今ではその一部が美術館になっていて、その名もずばり「城美術館(Schlossmuseum)」。

入口の上には特別展示を表すペナントが3枚かかっている。一番左にはルーカス・クラーナハ(1472-1553)の名前もある。
クラーナハはワイマールにもゆかりのある画家で、この美術館でもクラーナハの作品を多く収蔵している。彼の作品を見るのを楽しみにしていたが、特別展まで開催しているとは思わなかった。おかげでルターの若き日から晩年の肖像画や、テナントにあるザクセン選帝侯ヨハン・フリードリッヒⅠ世の妃「花嫁姿のジビュレ・フォン・クレーフェ(Sibylle von Cleve)」ほかの作品をじっくり鑑賞することができた。
ところで次の日に気がついたのだが、ホテル・エレファントを出てすぐ右のマルクト広場に面した建物はクラーナハが1552年から亡くなった1553年まで住んでいたところだ。


新教国ザクセンの領主であった夫ヨハン・フリードリッヒⅠ世とともに、新教を抑圧しようとした神聖ローマ帝国皇帝 カール5世に闘いを挑み敗れたジビュレ・フォン・クレーフェ(1512-1554)も1554年にワイマールで波乱の人生を終えている。
この絵はジビュレが結婚した14歳のときに描かれたものであるが、すでにこの時から気丈な性格が表情によく表れている。
今年のNHK大河ドラマの主人公・八重は「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われたようだが、こちらは敗れこそしたものの「ヨーロッパの北条政子」と言ってもいい風格である。
これは博物館のパンフレットに載っている写真。

城美術館にはチューリンゲン地方で活躍した地元の画家の作品も多く展示していて、その多くはチューリンゲンの自然を描いているものだ。
ちょうど地元の画家のコーナーを歩いていたとき、係の中年男性と目が合ったのであいさつをしたら、
「ぜひ見てもらいたい絵がある。こちらへどうぞ」
と案内されたので、あとをついて行くと、森の景色を描いた一枚の絵の前に立ち止まった。
「これはワイマール郊外、イルム川沿いの公園の秋の景色を描いたものです」
確かに木の葉が色づき、太陽の光に輝いている。
「秋のワイマールはこんなにきれなのです。ぜひ秋にもワイマールに来てください」
秋はドイツ語ではHerbst、つまり収穫の時期である10月が「秋」。
以前このブログで紹介した新しいワインも飲みたいし、いずれぜひ来てみたいと思っていたので、
「ええ必ず来ます」と答えた。
(次回に続く)