2020年1月31日金曜日

静嘉堂文庫美術館「磁州窯と宋のやきもの」展

東京世田谷の静嘉堂文庫美術館では「磁州窯と宋のやきもの」展が開催されています。

チラシ表面

宋のやきものというと足利将軍家の好みだった青磁がすぐに思い浮かんできますが、今回のメインテーマは「磁州窯」という聞きなれない窯元。
副題には「鉅鹿(きょろく)発見百年」、そしてセンセーショナルなキャッチコピー「白黒つけるぜ!」。

磁州窯とは、鉅鹿とは、そして何を白黒つけるのか、チラシを見ただけでは謎が深まるばかり。
はたしてどんな焼き物が展示されているのか。
期待に胸をふくらませながら美術館に向かいました。

【展覧会概要】
会 期  1月18日(土)~3月15日(日)
休館日  毎週月曜日(ただし2月24日は開館)、2月25日(火)
開館時間 午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
入館料 一般 1,000円ほか
講演会や河野館長のおしゃべりトーク、陶芸ワークショップ、クラシックライブ、列品解説も開催されます。詳細は公式サイトでご確認ください→静嘉堂文庫美術館

※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は内覧会で美術館より特別に許可をいただいて撮影したものです。(ラウンジの3点のみは撮影可です。)

内覧会では、創業105年、東洋の古美術の老舗(株)繭山龍泉堂代表取締役の川島公之さん、今回の展覧会を担当された静嘉堂文庫美術館学芸員の山田正樹さん、そしてナビゲーターにアートブログ「青い日記帳」主宰のTakさんという豪華メンバーのトークショー、そして展示室内では山田さんのギャラリートークをおうかがいしました。

展示は三章構成になっています。
 Ⅰ.磁州窯の起源 白化粧の陶磁器
 Ⅱ.磁州窯系陶器の世界
 Ⅲ.宋磁の美
 
それではさっそくトークショーの様子からご案内していくことにしましょう。

磁州窯とは?

Takさん はじめに磁州窯についてご説明いただけますでしょうか。
山田さん 磁州窯は中国河北省南部の民間の窯「民窯」で、10世紀以降、現代まで日用に
 使われる器を生産していました。
  静嘉堂文庫美術館では磁州窯の展覧会は今回が初めてで、10~15世紀にかけて約500
 年にわたる期間の磁州窯やその周辺の磁州窯系の器が展示されています。

Ⅱ.磁州窯系陶器の世界


鉅鹿(きょろく)とは?

Takさん チラシには「鉅鹿発見百年」とありますが、鉅鹿とは。
川島さん 鉅鹿は河北省の小さな都市で、北宋時代の終わりに川の氾濫によって水没して
 しまいました。20世紀の初めになって、その地域が干ばつのため井戸を掘っていたと
 ころ、土に埋もれていた都市が発見されました。それが鉅鹿だったのです。
Takさん 磁州窯の器はいい状態で発掘されたのでしょうね。
川島さん 表面に泥の汚れが残っていましたが、それが白地の上のマーブル模様のように
 見えて、かえってこれが観賞用にプラスになったのです。
Takさん 今回の展覧会でもそういった作品は見られますか。
山田さん 白無地碗(作品番号№6)、白地線彫魚子地褐泥象嵌牡丹唐草文枕(同№10)など
 です。
Ⅱ.磁州窯系陶器の世界
枕にもバリエーションがある!

Takさん 白地線彫魚子地褐泥象嵌牡丹唐草文枕(作品№10)は実際に枕として使われていた
 のでしょうか。
山田さん 陶製の枕は亡くなった人のためのものだと考えられていましたが、鉅鹿が発掘
 されたとき、食卓に食べ物が残っていて、その食事をしていた場所のすぐそばの部屋に
 枕が出土されたのです。宋時代には生きている人が陶製の枕を使っていたことがわかっ
 たので、発掘当時の人たちにとっては大きな驚きでした。
Takさん 発掘でわかった事実ですね。
  今回の展覧会では枕が多く展示されています。チラシにある桃の形をした枕は大きい
 ですよね。
川島さん サイズも模様もいろいろあります。枕のバリエーションを楽しんでいいただき
 たいです。
Takさん こういった枕はマーケットに出ているのでしょうか。
川島さん マーケットには数多く出ています。
Takさん 一般の人でも買えるものはありますか。
川島さん 買えるものもありますが、桃の形をした大きな枕は買えないですね(笑)。
Takさん 磁州窯は日本でも人気があったのですか。
川島さん 鉅鹿が発見された100年前は日本では大正期。茶道具とは別に観賞用として新
 進の収集家たちが収集しました。

さて、ここまでで「磁州窯とは」、「鉅鹿とは」というところまではわかったのですが、「白黒つけるぜ!」とはどういうことなのでしょうか。どうやらそれは磁州窯の絵柄のつけ方にヒントがあるようです。

白黒つけるぜ!

山田さん 磁州窯の特徴は「掻落し(かきおとし)」という独特の技法にあります。
Takさん 「掻落し」とはどういう技法なのでしょうか。
山田さん 磁州周辺の土は焼くとグレーっぽくなるので、重要なものは表面に白い土をコ
 ーティングして、焼く前にコーティングした白い土を掻いて文様を彫る技法です。白地
 に黒い釉薬をコーティングして、黒を掻き落とすものもあります。
川島さん 土や釉薬が乾ききらないうちに、短時間で細かい文様を掻かなくてはならない
 ので、相当の技量のある職人の技だったのでしょう。
 
これでわかりました。
グレー地に白い土、白地に黒い釉薬をコーティングして、短時間のうちに正確に複雑な文様を掻かなくてはならなかった職人さんたちが、作業に取り掛かる前に「よっしゃ!」と気合を入れる言葉だったのです。 ← 私の勝手な想像です。

今回の展覧会の見どころは?

Takさん 最後に今回の展覧会の見どころをご紹介ください。
山田さん 今回の展覧会では、宋時代の陶磁器の名品を展示しています。
Takさん 国宝の曜変天目が脇役になっていますね(笑)。青磁の色もとてもきれいです。
山田さん 磁州窯は庶民のための焼き物。それ以外の焼き物との違いを楽しんでいただき
 たいです。
川島さん 磁州窯は、民衆の焼き物。線が生きていて、おおらかさが前面に出ています。
 こういった民衆のエネルギー、ダイナミズムを感じ取っていただきたいです。

ギャラリートーク

続いて、山田さんのギャラリートークに移ります。

展示室入口でお迎えしてくれるのは、いきなり「白黒つけるぜ!」の二品。
どちらもチラシの表面を飾っている作品です。

展示室入口
左がトークショーでも話題になった桃の形をした枕「白地黒掻落牡丹文如意頭形枕」。
近くで見るとわかるのですが、台座の手前の部分には釉薬が塗られてなくて、白い地肌が見えています。
「寝るときは横にして、普段は立てて観賞していたのでは。」と山田さん。
「如意とは仏具の一つで、その先端部分に形が似ているので如意頭といいます。如意とは何事も思いのままという意味。牡丹は富貴のシンボルなので、お金持ちになるのも思いのままという願いが込められているのでしょう。」
くぼみの中に頭がすっぽり入りますが、そのままだと固いし、冬は冷たそう。枕カバーみたいなものを掛けたのでしょうか。

右は「黒釉線彫蓮唐草文瓶」。
「蓮は子孫繁栄や幸せな結婚生活を、唐草模様は永続性を表します。中国ではおめでたい模様が描かれるのです。」と山田さん。

続いて「Ⅰ.磁州窯の起源 白化粧の陶磁器」

Ⅰ.磁州窯の起源 白化粧の陶磁器
唐時代の前半には貴族の副葬品として唐三彩が作られましたが、安史の乱(755-763)を境に貴族文化が崩壊したあとは、一般庶民向けの実用的な白磁や白化粧の陶磁器が日用品として使われるようになりました。このコーナーでは唐~五代時代(7~10世紀)にかけての陶磁器の移り変わりを見ることができます。

Ⅱ.磁州窯系陶器の世界

「窯の燃料には何が使われたと思いますか。」と山田さん。
森に行って木を切ってきて薪にして火にくべたのでは、と思いましたが違いました。
正解は石炭。
「磁州窯には、原料となる陶土、燃料となるコークス、きれいな水の三つの
条件が整っていました。」 

10~15世紀は王朝が目まぐるしく変わる激動期でした。
短命の王朝が続いた五代(907-960)から中国を再統一した宋(北宋(960-1127))、宋と対立した北方民族の遼(916-1125)、同じく北方民族で遼と北宋を滅ぼした金(1115-1234)、金を滅ぼしたモンゴル帝国(1206-1368 1271 元と改称)、元を滅ぼした明(1368-1644)。
このような過酷な状況の中でもしぶとく残ったのが、三つの条件が整っていた磁州窯。
こちらのコーナーではまさに五代から明までの磁州窯や磁州窯系の陶器が展示されていて、時代による流行の違いなども見ることができます。

縁起物の図柄の描かれた枕が並んでいます。
この枕の上に頭を置いて寝たらいい夢が見られたかもしれません。
Ⅱ.磁州窯系陶器の世界
中には色がついた磁州窯系のバリエーションもあります。
Ⅱ.磁州窯系陶器の世界

上の写真左奥の大きな壺は近くで見ると、肩の部分の釉薬が削られているのがわかります。

Ⅱ.磁州窯系陶器の世界
「民間の窯では生産効率の向上が求められました。できるだけ多くの器を生産するために、肩の部分に円筒形の窯道具をかぶせて重ねて焼いたのです。」と山田さん。

一番奥のコーナーには、出土品でなく、伝来ものの器が並んでいます。

Ⅱ.磁州窯系陶器の世界

真ん中の「白地鉄絵紅緑採人物文壺」のこちら側に描かれている人物図は、木の幹に座る「張騫(ちょうけん)乗槎図」。
「これは張騫がいかだ(=槎)に乗って天の川を渡り、織姫と彦星に会ったという伝説に基づいて描かれています。」と山田さん。
張騫(?~前114)は、前漢武帝の時、匈奴挟撃のため西域の大月氏に派遣されたのですが、行きも帰りも匈奴に捕らえられて長年捕虜になりながらも帰国したという初志貫徹の人。これだけ意思の強い人なのでこのような伝説が残っているのでしょう。


Ⅲ.宗磁の美

こちらは日本でもよく知られた景徳鎮窯、龍泉窯の青磁、そして国宝の曜変天目が生まれた建窯ほかで作られた器が展示されています。
「Ⅱ.磁州窯系陶器の世界」が一般庶民の器なら、こちらは教養ある文人士大夫のための器。
どちらがお好みでしょうか?
ぜひ見比べていいただきたいです。

Ⅲ.宗磁の美
国宝「曜変天目」もさりげなく展示されていますが、やはり器の中の小宇宙、無限の輝きを放つプラネタリウムもぜひじっくりご覧になっていただきたいです。

Ⅲ.宗磁の美
ラウンジ展示の3点は撮影OK!

展示室内は撮影禁止ですが、うれしいことにラウンジ展示の3点は撮影OK!
武蔵野の面影の残る岡本の森を背景にぜひ記念に一枚いかがでしょうか。

ラウンジ
激動の時代をくぐりぬけてきた磁州窯系の陶器、そして宋磁の美の世界。
ぜひご覧になっていただきたい展覧会です。
  


2020年1月22日水曜日

山種美術館「上村松園と美人画の世界」展

東京広尾の山種美術館では広尾開館10周年記念特別展「上村松園と美人画の世界」展が開催されています。


今回の展覧会の一番の見どころは、何といっても山種美術館が所蔵する上村松園の作品18点が3年ぶりに一挙公開されること。
そして、鏑木清方はじめ近代、現代の画家たちの美人画や女性を描いた作品が全部で約60点展示されていて、それぞれの画家たちの特徴ある女性像の数々を楽しむことができるのも大きな魅力です。

【展覧会概要】
会 期  1月3日(金)~3月1日(日) *会期中、一部展示替えあり
開館時間 午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日(ただし、1/13(月)、2/24(月)は開館、1/14(火)、2/25(火)は休館)
入館料  一般 1200円ほか
展覧会の詳細は公式サイトでご確認ください→山種美術館
※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は内覧会で美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※紹介した作品は☆印の作品以外は、すべて山種美術館所蔵です。

内覧会では、明治学院大学教授、山種美術館学芸部顧問の山下裕二さんのスライドトーク、山種美術館特別研究員の三戸信恵さんのギャラリートークをおうかがいしましたので、上村松園の作品を中心に、お二人のお話を交えながら展覧会の様子を紹介していきたいと思います。

展覧会は3章構成になっています。それでは、まず第1章から。

第1章 上村松園-珠玉の美-

展示室に入ってすぐにお出迎えしてくれるのは、雪の重みに耐えながら、着物の裾をめくり、雪でぬかるんだ道をひたむきに前に進む二人の女性が描かれた《牡丹雪》。
昭和19年に開催された芸術院会員陸軍献納画展に出品された作品です。
戦局が悪化する中、日本の先行きを案じたかのように耐え忍ぶ女性たちの姿を見ると、ぐっと胸に迫るものがあります。

ちなみに画面の上半分に描かれた雪は、日本絵具の中でも特に剥落しやすい「胡粉」。
「展示するときに神経を使ったのでは。」と山下さん。

上村松園《牡丹雪》(1944(昭和19)年)

上村松園の魅力その1 女性を際立たせるため背景は控えめ

「上村松園は、生涯にわたって女性の中に「真、善、美」を求め、理想の女性美を描き続ました。」と三戸さん。
「この《牡丹雪》に見られるように、松園は女性を際立たせるため、背景を描かないことが多く、白い牡丹雪の質感も控えめ。それでも緊張感が緩まず、画面全体が引き締まっているのは松園の技量の見事さなのです。」


花を描いたとしても、白系の目立たない色の花。
《桜可里》で後ろの女性が手に持つのは透き通るような白い桜です。

上村松園《桜可里》(1926-29(昭和元-4)年頃)

上村松園の魅力その2 細やかに気を配った小道具にも注目

女性だけでなく、描かれた小道具にも注目です。
同じ御簾を描いても、色合いの違いがわかりますでしょうか。

上村松園《新蛍》(1929(昭和4)年)
上村松園《夕べ》(1935(昭和10)年)
《新蛍》では、夜に出てくる蛍を際立たせるため御簾は緑系の暗めのトーン。そして《夕べ》では、夕陽に映えるオレンジ系の明るい色で御簾が描かれています。
《夕べ》の黄色と白のうちわは、夕方に出てきた月。そして、右下には秋草。
こういったさりげなく時刻の変化や季節感を表現するところが松園の持ち味なのです。

《新蛍》は、ホテルオークラの創始者、大倉喜七郎男爵の支援で、横山大観、速水御舟、川合玉堂、竹内栖鳳をはじめとした当時の日本画を代表する画家たちの作品177点が展示されたローマ日本美術展に出品された作品。松園は大観らの訪欧団には参加しませんでしたが、この気品ある美女はきっとローマの人たちを魅了したことでしょう。

上村松園の魅力その3 人物も細部までこだわりがある

《春のよそをひ》では、首の後ろあたりの少しへこんでいる襟に注目です。
この襟や女性が簪(かんざし)に手を添えるポーズは、喜多川歌麿などの浮世絵の影響がうかがえます。

上村松園《春のよそをひ》(1936(昭和11)年頃)
松園は表装にもこだわりました。
《詠哥》では、女性の髪型が後頭部から襟足にかけて丸みを帯びた「葵髱(あおいづと)」と呼ばれる公家の女性に結われた髪形。
絵の周囲の表装(「中廻し」)は、葵の紋がデザインされたものを使っています。

上村松園《詠哥》(1942(昭和17)年)
上村松園が女性として初めて文化勲章を受章した1948(昭和23)年に描かれた《庭の雪》。
亡くなる前年の作品です。
髪の毛の生え際の表現など、細やかな表現にさらに磨きがかかっています。
冒頭紹介した戦時中の作品《牡丹雪》の女性と比べると、同じく雪降る中を歩いているのですが、《庭の雪》の女性は、ホッとした表情をしているように見えるのは、やはり平和が訪れたからなのでしょうか。

上村松園《庭の雪》(1948(昭和23)年)

第2章 美人画の精華

第2章には上村松園の大正期の作品《蛍》《夕照》が展示されています。

《蛍》は大正2年の作品。
寝る前に蚊帳を吊っている女性が、飛んできた蛍に気が付いて目を止める場面。
浮世絵でもよく見かける女性のポーズですが、女性の穏やかな表情やアールヌーボー風の百合模様の浴衣が大正デモクラシー期の明るい世相を反映しているようです。

上村松園《蛍》(1913(大正2)年)
第2章の展示風景です。
上村松園と、それぞれ時代の異なる美人画の名手たちの競演をお楽しみください。
右から、渡辺省亭《御殿山観花図》(19世紀(明治時代))☆、
上村松園《夕照》(1912-26年頃(大正時代))、小林古径《河風》(1915(大正4)年)、
小早川清《美人詠歌図》(20世紀(昭和時代))、伊藤小坡《虫売り》(1932(昭和7)年頃)

第3章 物語と歴史を彩った女性たち

第3章に展示されている上村松園の作品は、謡曲「砧」に取材した《砧》。
国元を離れた夫の帰りを待ち、毎晩砧を踏む女性の物語です。
上村松園《砧》(1938(昭和13)年)

「女性の顔は能面のように無表情に見えても、遠くにいる夫を思う毅然とした内面が表現されています。」と山下さん。

この作品が描かれた昭和13年は、前年に始まった日中戦争の戦線が拡大していた時。
この女性が見ている先はどこなのでしょうか。

松園作品、再発見!

今まで見たことがある上村松園の作品でも、あらためて間近に見てみると新たな発見がありました。

まず最初の印象は、「こんなに鮮やかな色だったのか。」と驚くくらい、女性の着物の色彩が鮮やなこと。
ギャラリートークの冒頭に三戸さんがお話しされていました。
「山種美術館の特徴は、作品を間近に見ることができる薄手のアクリルケースです。」
鼻やおでこをアクリルケースにくっつけないように気を付けて、できるだけ近くで細部まで作品をご覧になってください。

そしてもう一つは、女性の表情が時代背景を色濃く反映していること。
山種美術館が所蔵する18点の作品は、大正時代から戦後まで幅広い期間に制作されたもの。時代による女性の表情の変遷がよくわかりました。

第3章には、ほかにも「最後のやまと絵師」と言われた松岡映丘はじめ、古典に取材した女性たちの作品が展示されています。

左から、小堀鞆音《伊勢観龍門滝図》(20世紀(大正-昭和時代))、
松岡映丘《斎宮の女御》(1929-32(昭和4-7)年頃)、
森村宜永《夕顔》(1965-88(昭和40-63)年頃)、
守屋多々志《葛の葉》(1983(昭和58)年)

第2会場

そして、山下裕二さんこだわりの展示が第2会場。
インド・アジャンタ石窟の菩薩像を思わせるこの女性は、様々な女性の要素を取り入れて精神的な美しさを表現したもので、広い展示スペースなので、ほかの作品と並べて展示しようとしたのですが、この1点でないとおさまりがつかなかったとのこと。
「場を制するとはまさにこのこと。村上華岳渾身の作品です。」と山下さん。
村上華岳《裸婦図》(重要文化財)
(1920(大正9)年)
オリジナル和菓子も展覧会グッズも充実してます!

山種美術館恒例の「Cafe椿」オリジナル和菓子は、今回も充実しています。
いつもながら見た目も凝っています。もちろんどれも美味。
下の写真中央が「花の色」(《春のよをひ》)、右上から時計回りに「春のかぜ」(《春風》)、「誰が袖」(《春芳》)、「雪輪」(《庭の雪》)、「雪の日」(《牡丹雪》)。
(カッコ内はイメージした作品で、いずれも上村松園作、山種美術館蔵です。)


関連グッズも充実。


今回の新製品は、ピンバッジ「庭の雪」(700円+税)。



美人画を見て、美人画にちなんだ和菓子を味わって、美人画がデザインされたグッズを買って、何倍にも楽しめる展覧会。
新春おススメの展覧会です。


2020年1月5日日曜日

ダ・ヴィンチ没後500年「夢の実現」展

神秘的な微笑みの《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》、不朽の大作《最後の晩餐》、ダ・ヴィンチの実質的なデビュー作《受胎告知》、史上最高額(508億円)で落札されて一躍その存在が知られるようになった《サルヴァトール・ムンディ》

誰もが知っているレオナルド・ダ・ヴィンチの名作がヴァーチャルで復元される!

そんな夢のような展覧会が東京の代官山で開催されています。その名も「夢の実現展」




会 期  1月5日(日)~1月26日(日) 会期中無休 入場無料
開館時間 11:00~20:30 (1/5は12:00開館、1/8は15:00閉館)
場 所  代官山ヒルサイドフォーラム(代官山ヒルサイドテラスF棟)
     東横線代官山駅から徒歩約3分
主 催  学校法人桑沢学園 東京造形大学

※展示作品は一部を除き撮影可です。 
※関連イベントも多く開催されます。詳細は公式サイトでご確認ください→「夢の実現」展-ダ・ヴィンチ没後500年記念

開会初日の今日(1月5日)開催された内覧会では、この展覧会を監修された東京造形大学教授の池上英洋さんに見どころを解説していただきました。

《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》を前に
解説する池上教授
展覧会の見どころポイント

〇 ダ・ヴィンチの現存作品16点をすべてヴァーチャル復元で展示。
〇 完成に至らなかったブロンズ製騎馬像、構想していた巨大建築、当時の技術では実
 現不可能だった工学系発明品なども縮小模型や3DCGなどで実現。
〇 世界初の試みもある!
〇 《最後の晩餐》の空間もVR体験できる。

 展示作品は東京造形大学の学生さんたちが、池上教授はじめ教授陣の監修の元、1年かけて作り上げた力作ぞろい。
 受付では詳細な解説付きの冊子までいただけます。


画家であり、建築家であり、彫刻家であり、科学者であったダ・ヴィンチが目指したものは何だったのか。
展示室はいくつかの部屋に分かれています。さっそく最初の「ジネヴラの部屋」からご案内することにしましょう。

ジネヴラの部屋

この部屋に展示されている作品は、《ジネヴラ・デ・ベンチ》とその裏面。

《ジネヴラ・デ・ベンチ》
裏面
この作品の最大のポイントは、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の原画では下部が切断されてほぼ正方形になっているものを、オリジナルの形に復元したこと。
復元にあたっては、同じモデルの大理石像やデッサンを参考にしたことなどがパネルに記載されていますので、ぜひこちらもご参照ください。


「裏面の復元は世界で初めての試みです。」と池上さん。

エンジニアの部屋

ルネサンス期のイタリアは、いくつもの小国に分かれお互いに対立していた時代。
画家として売り出そうとしていたダ・ヴィンチでしたが、30歳の時、それまで全く軍事の経験がなかったにもかかわらず、フィレンツェを離れ軍事技師としてミラノ公国に雇われます。
この部屋には、ダ・ヴィンチが残したデッサンからおこした兵器ほかの縮小模型が展示されています。


しかしながら、ダ・ヴィンチの考案した兵器は、当時のミラノ公国一国の国家予算を必要とするほどの莫大な経費がかかるものであったり、装飾的なもの、つまり、見た目はいいが役に立たないものばかりだったそうです。

「それでも研究者として見習うべき点があります。」と池上さん。

まず一つは、ダ・ヴィンチの謙虚さ。
彼が残したノートには、自分はこの分野には詳しくないので誰々に聞いた方がいい、といった記述があり、のちに有名になってからでもそういった謙虚な姿勢を持ち続けたこと。

次に、なにごとも省力化、機械化、規格化できないか考えたこと。
その一例がヤスリ製造器。
当時は今と違って、工具もネジも自分で作らなくてはならない時代。
それを機械で作ってしまおうという発想です。

ヤスリ製造器


当時は、一度動かすと永久に止まらない夢の動力「永久機関」の研究が盛んで、ダ・ヴィンチも挑戦するのですが、当然のことながらうまくはいきません。
そこで終わらないのがダ・ヴィンチのすごいところ。

運動エネルギーが減じていくのは摩擦があるからだ、摩擦を最小化すれば運動エネルギーの減少を少しでも抑えることができる、という考えにたどりついたのが世界で初めてのボールベアリング。

スラストベアリング
フィレンツェの部屋

続いて、ダ・ヴィンチのフィレンツェ時代の作品が並ぶ青が基調の部屋。



ヴァーチャル復元にあたって原画を補修する必要がなかった2点のうちの一つが、508億円の《サルヴァトール・ムンディ》。

《サルバトール・ムンディ》
反対に着色されずに放置された作品に彩色して復元したのが《聖ヒエロニムス》。

《聖ヒエロニムス》
続いて赤が基調のミラノの部屋へ。

ミラノの部屋


《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》も、原画ではニスによって黄色に変色している背景の青があざやかによみがえり、表面のひび割れも修正されています。

《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》
とは言っても、「ひび割れは人工的にはできないので贋作防止になる。」と池上さん。
だからというわけではないでしょうが、ひび割れもちゃんと残しています。
顔のあたりをぜひじっくりご覧になってください。

続いて建築家の部屋へ。

建築家の部屋

「ミラノ大聖堂の修繕にも係わったダ・ヴィンチですが、一人で建造した建物はなく、スケッチで彼の構想をうかがい知ることができます。」と池上さん。

こちらはビザンチン様式のモスクを意識した集中式聖堂。


ダ・ヴィンチは、キリスト教圏と対立していたイスラム教圏の強国・オスマン帝国のある東方へのあこがれを抱いていたのです。

実現すれば直径60mになろうかという大墳墓。
これも一国の国家予算に匹敵するほどの莫大な費用がかかるしろもの。
古代エジプトのファラオでなければできないような大事業でしょう。


後を振り向くと、かの有名な《最後の晩餐》の映像がバーンと映し出されているのに気がつきます。

《最後の晩餐》



メインホール

紹介が遅くなりましたが、受付で鑑賞ガイドのタブレットを貸出しています。こちらも無料です。

《最後の晩餐》は、ダ・ヴィンチが画面中央に釘を打ち、そこから紐をひっぱって収束線を引いたので、原画ではイエスのこめかみ部分に釘跡が残っているとのこと。

その収束線を再現したのが、この鑑賞ガイド。

メインホールに降りて、タブレットを《最後の晩餐》にかざすと収束線が現われてきます。



メインホールには他に《岩窟の聖母》と《東方三博士(マギ)の礼拝》が展示されています。

《岩窟の聖母》はヴァーチャル復元にあたって原画を補修しなかった2点のうちのもう1点。左のロンドン版の左右の辺には祭壇にはめられていた時の剥落が残されていますが、これがかえってリアリティを増しているように感じられます。
《岩窟の聖母》(右が第一ヴァージョン パリ版、
左が第二ヴァージョン ロンドン版)

《東方三博士(マギ)の礼拝》では、実物を見たことがなかったダ・ヴィンチが、かなり巨大に描いている動物がいます。ぜひ探してみてください。
この作品も鑑賞ガイドのタブレットをかざすとあるものが見えてきます。

《東方三博士(マギ)の礼拝》
伝統的な三脚接地の騎馬像に飽き足らず、後足だけの二脚接地の騎馬像にこだわったダ・ヴィンチ。
再現したこの騎馬像も左前脚はほとんど重さを支えていないので、実際には二脚接地。
これ以上大きいと後脚で体重を支えきれなくなるので、これがぎりぎりの大きさとのこと。
「両前脚をあげるポーズの再現は世界初の試み。」と池上さん。


完成すれば7mほどの巨大なブロンズ(青銅)の騎馬像になるはずだったのですが、ダ・ヴィンチの夢は実現することなく終わりました。
騎馬像制作のために集められた70t以上もの青銅は、鋳造の一歩手前でフランス軍がミラノに侵入したため、大砲の製造に回されてしまったのです。

第二会場

《最後の晩餐》の部屋をバーチャルで体験することができるVRコーナーもおススメです。
こちらは、実際にVRを体験している人が見ている場面。


実際に体験してみて、テーブルの上に魚が盛られた皿があるのに初めて気がついたので、メインホールの《最後の晩餐》を二度見してしまいました。


期間はわずか3週間。期間中無休で関連イベントも盛りだくさん。
15時に閉館する1月8日(水)を除き20:30まで開館しているので(入館は20:00まで)、仕事帰りに寄ることだってできます。
ダ・ヴィンチの夢が実現した空間をぜひ体験してみてください。