2018年7月18日水曜日

横浜美術館「モネ それからの100年」夜間特別鑑賞会

やはりモネのネームバリューはすごい!
横浜美術館で開催されている企画展「モネ それからの100年」は連日の大賑わい。
三連休が終わってもモネを見に来るお客さんの勢いはとどまることなく続いています。


今回の展覧会は、モネとモネの影響を受けた現代アートがテーマ。
そのため全部がモネの絵でなく、展示されている約90点のうちモネの作品は25点。そのうち2点は前期と後期で展示替えがあるので、一度に見ることができるのは24点。
それでも、国内で24点まとめて見る機会はそう多くはないし、年代によって作風の違いはありますが、どの作品も「やっぱりモネっていいよね」と安心できる作品ばかりなので、猛暑の中、横浜まで来てよかった、と思っていただけること間違いなしです。
それに今回のモネの作品は、ほとんどが国内の美術館や個人蔵。あらためて日本のモネ・コレクションの充実ぶりを実感しました。

そして、もう一つの注目は、モネの息吹が感じられるモダンアートの作品群。
モネの作品と同じ空間に展示されているので、モネとモダンアートの接点を見つけるのも楽しみの一つ。

会期は9月24日(月・祝)までです。
展覧会の概要やイベント情報は横浜美術館の公式サイトをご参照ください。

さて、今回は、開催初日(7/14)に開催された夜間特別鑑賞会に参加しましたので、そのときの様子をお伝えしながら、展覧会の見どころなどを紹介したいと思います。

はじめに担当学芸員の坂本さんのミニレクチャーがありました。

「パリ・オランジュリー美術館の《睡蓮》大装飾画の制作に着手してから約100年。この機会に現在の視点からモネを見る意味、おもしろみがあるのでは。」と坂本さん。
「モネ(1840-1926)の作品は、海外からの作品2点を含めて、ほぼ時系列に展示されています。『プチ・モネ回顧展+現代アートの展覧会』と言えます。」

展覧会は4章構成になっていて、各章ごとの見どころをスライドを使って解説いただきました。
それでは坂本さんの解説に沿って、展示室内を周りながら展覧会の見どころを紹介したいと思います。

※掲載した写真は、夜間特別鑑賞会のため特別に撮影許可されたものです。

第1章 新しい絵画へ-立ちあがる色彩と筆触

会場入口でお出迎えしてくれるのはモネの《睡蓮》。

モネ《睡蓮》1914-17年 
群馬県立近代美術館
(群馬県企業局寄託作品)


「この作品は本来は第4章に展示すべき作品ですが、モネといえば睡蓮なので、展覧会の冒頭に展示しました。」と坂本さん。

続いて第1章の展示室には、はじめにモネの初期からの作品がずらりと並んでいて、まずはモネファンをホッとさせてくれます。

左から モネ《わらぶき屋根の家》1879年 上原美術館
《海辺の船》1881年 東京富士美術館、《アヴァルの門》1886年島根県立美術館

左から モネ《モンソー公園》1876年 泉屋博古館分館
《サン=タドレスの断崖》1867年 松岡美術館
※《モンソー公園》は8月17日までの展示で、8月18日からは《サン=
シメオン農場の道》(1864年 泉屋博古館分館)が展示されます。 
左から モネ《ヴィレの風景》1883年 個人蔵
《ヴァランジュヴィルの風景》1882年 ポーラ美術館
続いて現代アート。

こちらは現在でもフランス現代美術の第一線で活動するルイ・カーヌ(1943年生まれ)の作品。
中央の大きな作品《彩られた空気》は、紙やキャンバスでなくなんと金網の上に樹脂絵具が塗られています。後ろのスクリーンに色の影が映るようになっていて、色は「物質」であることが認識できるようになっているのです。まさに「立ちあがる色彩」です。

そして、モネをはじめ印象派の画家による、絵の具をパレットの上で混ぜずに細かいタッチで置いていく筆触分割の技法がとられています。

左から ルイ・カーヌ《作品》1995年 大原美術館
《彩られた空気》2008年、《WORK8》2013年 
いずれもギャラリーヤマキファインアート
こちらはジョアン・ミッチェルの荒々しく力強い筆致の作品。
部分的に切り取ると何が描かれているのかわからないけれど、全体として形になっているというところがモネとの共通点。
モネの《ヴィレの風景》と見比べてみるといいでしょう。ちなみに《ヴィレの風景》は本邦初公開です!

左から ジョアン・ミッチェル《湖》1954年 静岡県立美術館
《紫色の木》1964年 いわき市立美術館
続いて日本の現代作家 丸山直文(1964年生まれ)《puddle in the woods 5》。
学芸員の坂本さんは、モネの筆触分割の継承ということでこの作品を展示したのですが、作家の丸山さんご本人は意識されていなかったようで「モネと共通点ありますか?」とお話されたとのことです。

丸山直文《puddle in the woods 5》2010年 作家蔵

第2章 形なきものへの眼差し-光、大気、水

ブルーを基調とした落ち着いた雰囲気の展示室に、1880年代から1900年代の作品が展示されています。
左から モネ《セーヌ河の日没、冬》1880年 ポーラ美術館
《ヴェトゥイユ、水びたしの草原》1881年 笠間日動美術館
《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象》1889年 三重県立美術館


左から二番目から《ジヴェルニー近くのリメツの草原》1888年
 公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館に寄託)
《ジヴェルニーの草原》1890年 福島県立美術館
《チャリング・クロス橋》1899年 メナード美術館  
モネ《テムズ河のチャリング・クロス橋》1903年 
吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託)

モネ《霧の中の太陽》1904年 個人蔵

モネは、風景を包んでいる形のない大気や光を描くことに力を注ぎ、《セーヌ河の日没、冬》では冬の凍りついた大気をオレンジから黄色に変わるグラデーションで表現しました。

そして、グラデーションの美しさを表現したのがモーリス・ルイス(1912-1962)でした。
解説パネルにあります、てっぺんに注目です!
(所々に子供向けの解説パネルがあります。とても参考になります。)

モーリス・ルイス《ワイン》1958年 広島市現代美術館
《金色と緑色》1958年 東京都現代美術館
こちらは、ゲルハルト・リヒター(1932年生まれ)。

ゲルハルト・リヒター《アブストラクトペインティングCR845-5、CR845-8》
1997年 金沢21世紀美術館

そして、「モネが大好き」な松本陽子(1936年生まれ)《振動する風景的画面Ⅲ》。
この作品はモネの《テムズ河のチャリング・クロス橋》と見比べてみてください。全体的にモヤモヤとして、画面がオーロラのように輝いています。

左から 松本陽子《振動する風景的画面Ⅲ》1993年 倉敷市立美術館
 根岸芳郎《91-3-8》1991年 個人蔵(名古屋市美術館に寄託)

第3章 モネへのオマージュ-さまざまな「引用」のかたち

この章には、モネの作品をどのように自分のものにしていったかというテーマで現代作家の作品が展示されています。

ロイ・リキテンシュタイン(1923-1997)の《積みわら》連作。

ロイ・リキテンシュタイン《積みわら#1 #2 #3 #4#6 #6(第1ステート)》
1969年 富士ゼロックス株式会社

同じくロイ・リキテンシュタインの《日本の橋のある睡蓮》(下の写真左)。
この作品は、ステンレスの上にスクリーンプリントが塗られているのですが、何も塗られていない部分はステンレスなので、鑑賞者自身が写るしかけになっています。リキテンシュタインは「反射」にこだわったのです。
下の写真右は、ルイ・カーヌの《睡蓮》です。

左から ロイ・リキテンシュタイン《日本の橋のある睡蓮》1992年 国立国際美術館
ルイ・カーヌ《睡蓮》1993年 ギャラリーヤマキファインアート

次にモネの大切にした庭を、色彩を全部抜いて自分の表現様式にした湯浅克俊(1978年生まれ)の木版画《Light garden #1》(下の写真右)。左は福田美蘭《モネの睡蓮》。

左から 福田美蘭《モネの睡蓮》2002年 大原美術館
湯浅克俊《Light garden #1)2009年 作家蔵
続いて児玉麻緒(1982年生まれ)《IKEMONET》。
「イケモネです。タイトルが軽やかですね。(笑)」と学芸員の坂本さん。

左から 児玉麻緒《SUIREN》2016年 《IKEMONET》2015年
いずれも作家蔵

作者の児玉さんは「モネは庭を耕すように描いたのでは」「美術館でもギャラリーでもどんな場所でも自分の絵が生命を放ってくれたらうれしい」とお話されていたそうです。

第4章 フレームを越えて-拡張するイメージと空間

円形の展示スペースが睡蓮の展示にこんなにぴったりくるとは!
まるでパリ・オランジュリー美術館のモネの大作《睡蓮》の展示室にいるかのように、モネと現代アートの睡蓮に取り囲まれて心ゆくまで作品を楽むことができます。

左から モネ《睡蓮》1897-98年 個人蔵、《睡蓮》1897-98年頃 鹿児島市立美術館
《睡蓮》1906年 吉野石膏株式会社(山形美術館に寄託)
《睡蓮、水草の反映》1914-17年 ナーマッド・コレクション(モナコ)
《睡蓮、水草の反映》を見ていると、どこまでが実像で、どこからが水面に反射した虚像なのか、その境目がわからなくなって、イメージが絵のフレームの外側に広がっていきます。

そして反対側は、写真家 鈴木理策(1963年生まれ)《水鏡14、WM-77、WM-79》。
こちらも、水面に浮かぶ蓮の葉と水面に写る雲が交わっています。
鈴木理策《水鏡14 WM-77、WM-79》2014年 作家蔵
そしていよいよフィニッシュ。最後の展示室です。

福田美蘭(1963年生まれ)《睡蓮の池》(写真左)、そして新作《睡蓮の池、朝》。
タイトルは《睡蓮の池》ですが、睡蓮の葉に見えるのは高層ビルのレストランのガラスに写るテーブルと椅子。背景は都心のビル群です。

左から 福田美蘭《睡蓮の池》《睡蓮の池 朝》
いずれも2018年 作家蔵
床面の大きな作品は小野耕石(1979生まれ)《波絵》。
解説パネルにあるように、小さなつぶつぶに注目です!

小野耕石《波絵》2017年 作家蔵


そして最後はアンディ・ウォーホール(1928-1987)《花》。
正方形の作品なのでいくつでも重ねることができてイメージがどこまでも拡張していきます。
アンディ・ウォーホール《花》1970年 富士ゼロックス株式会社
さて、「モネ それからの100年」はいかがだったでしょうか。
モネの初期から晩年までの作品、そしてモネの息吹が感じられる現代アートの作品。
それぞれ見比べてみるのも一つの楽しみかもしれません。

最後に担当学芸員の坂本さんはこう締めくくられました。
「サブタイトルは『わたしがみつける新しいモネ。』。ぜひみなさんご自身のモネをみつけていただければと思います。」(拍手)

暑い夏が続きますが、ヨコハマは他にもみどころがいっぱいあります。ぜひこの機会に夏のヨコハマにお越しになってください!













2018年6月30日土曜日

第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(2)

6月28日から29日にかけてブリュッセルで開催された欧州連合(EU)首脳会議は、不法移民・難民流入の問題で波乱含みであったが、EU国境警備の強化、北アフリカへの難民審査施設建設の検討を行うことなどで、かろうじて28のEU加盟国が合意する結果となった。

メルケル首相にとっても、EU首脳会議前に盟友CSUから連立離脱をちらつかせられて移民・難民政策の方向転換を迫られ辛い立場にあったが、どうにか乗り切ることができて、厳しい表情は崩さなかったものの、とりあえず安堵したことであろう。

さて、なかなか筆が進まなかった「第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?」の連載は少し時間をさかのぼって、有権者は第4次メルケル内閣をどう見ているのか見ていくこととしたい。

前回の記事→第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(1)

1 有権者の微妙な心理

3月14日に発足した第4次メルケル内閣を有権者はどう見ているだろうか。
少し古いデータになるが、ZDFの3月16日付けのPolitbarometerを見てみよう。

 大連立が成立してよかったかどうか、という質問に対して、全体ではわずかに「よかった」たが「よくなかった」を上回っているだけで、大きな支持を得ている訳ではない。
       (全体) 
よかった
45%
よくなかった
38%

支持政党別に見るとつぎのとおりである。
  
支持政党
よかった
CDU/CSU
71%
SPD
58%
AfD
9%
FDP
25%
左派党
23%
緑の党
41%


CDU/CSU支持者の支持率が高く、野党支持者の支持率が低いのは当然としても、SPD支持者の支持率が低いのは、CDU/CSUとの政策的な違いがわかりにくくなってくる中、CDU/CSUとの連立を続けていると支持者のSPD離れがさらに加速するのではとの危惧の現れであろう。

それは、今回の大連立がSPDにとって長期的に見て利益となるか、損失となるか、との質問に対しする回答にも表れている。全体でも、SPD支持者だけで見ても、損失となるが利益となるを上回っている。

全 体
SPD支持者
損失となる
50%
損失となる
49%
利益となる
41%
利益となる
45%

内閣の顔ぶれについても、「満足」が45%、「不満足」が31%で、有権者はあまり満足はしていない。
(第4次メルケル内閣の顔ぶれは、同じくこちらに掲載しています)
 ↓
第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(1)

連立与党はうまく協力できるかという質問に対しては、「うまくいく」が50%、「うまくいかない」が44%、問題解決ができるかという質問に対しては、「できる」「できない」ともに48%で、新内閣に対する期待度は高いとは言えない。

しかしながら、今の大連立が次の選挙までもってほしいか、という質問に対しては、「もってほしい」が70%であり、これは、昨年9月の選挙後、長く続いた連立交渉に嫌気が指した有権者の「あまり期待はしていないけど、内外にさまざまな問題が出てくる中、正式な政府が存在しない状況は避けたい。」といった微妙な心境を反映しているのだろう。

2 SPDのジレンマ

昨年の連邦議会選挙の選挙戦で、SPDのシュルツ候補は突如、「アジェンダ2010」の修正を主張した。これは、2003年から当時のシュレーダー首相(SPDと緑の党の連立内閣)が着手した「アジェンダ2010」に反発してSPDを離れた支持者を呼び戻そうという目論見だったが、SPDが勢力を盛り返して赤赤緑連立(SPD、左派党、緑の党の連立)政権の成立をおそれた有権者たちからそっぽを向かれ、逆効果になったのは昨年の連載した「連邦議会選挙の行方」で報告したとおり。



有権者はSPDが左寄りになることも、CDUが保守的な立場をとることも望んでいない。
やはり少し古いデータであるが、第4次メルケル内閣が成立する前の2月23日に実施されたPolitbarometerの世論調査では、CDUに伝統的な保守政治を望むかという質問に対して、「望む」が35%、「望まない」が61%、SPDに左寄りのポジションを望むかという質問に対して、「望む」が43%、「望まない」」が53%という回答になっている。
この場合、伝統的な保守政治とは、コール政権時代(1982-1998)の自由競争市場主義を、左寄りのポジションとは、労働者寄りの政策と置き換えるとわかりやすいであろう。

上記1でふれたとおり、SPDはCDU/CSUとの違いが有権者にわかりにくくなることを危惧しているが、1958年のゴーデスベルク綱領でマルクス主義を放棄し、国民政党への転換を図ったときからこのような状況になることは避けられなかったのかもしれないし、右か左かのイデオロギー闘争より、国民福祉の向上を図る政策を求める有権者が多くを占めている以上、自然の流れなのかもしれない。

大連立といっても、連立を組むCDU/CSUとSPDの得票率を合わせてもわずか53.4%で、辛うじて過半数を超えているにすぎない。最初に大連立を組んだ1966年には86.9%、最近でも2005年の69.4%、2013年の67.2%で、この数字と比較すると今回の大連立は、もはや「大連立」とは言えない。左派党のように左過ぎでなく、AfDのように右過ぎない、中道政党のどうしの「中道連立」と言い換えてもいいのかもしれない。


第4次メルケル内閣が成立してから、シリア内戦、アメリカとの貿易摩擦、アメリカのイラン和平からの脱退、など、いきなり外交上の難問を突きつけられた。
EU内や国内においても、ポピュリズムの台頭や不法移民・難民流入が深刻になり、さらには連立政権内でも不法移民・難民流入への対応や、フランスのマクロン大統領が提案するEU統合の進化への対応で調整が難航している。
まさに内憂外患の状態でメルケル首相は今回のEU首脳会議にのぞんだのであるが、次回は特にドイツ国内におけるポピュリズムの動きと連立政権内で生じている不協和音について見ていくこととしたい。
(次回に続く)




2018年6月9日土曜日

上野の森美術館「ミラクルエッシャー展」内覧会

「ミラクルエッシャー展」が上野の森美術館で始まりました!

オランダの版画家 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898-1972)の生誕120年を記念して開催された今回の展覧会。世界最大級数のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品から選りすぐりの152点が展示されています。


美術館前のパネルはエッシャーワールド!

「だまし絵」といえばエッシャーと言われるくらい「だまし絵」で知られているエッシャーですが、今回の展示は8つのキーワードでエッシャーの謎を解き明かす内容になっていて、会場内を進むごとに少しずつ、少しずつエッシャーの世界に引きこまれ、最後には「だまし絵」の世界にはまり込む仕掛けになっています。

8つのキーワード
 1 科学、2 聖書、3 風景、4 人物、5 広告、6 技法、7 反射、8 錯視

そしてもう一つ、エッシャーが生きた時代背景を思い浮べながら、ファシズムの嵐が吹き荒れる欧州で、必死にもがき苦しみつつ自らのスタイルを探し求めたエッシャーの姿を、作品を通じて感じとることができるのも、今回の展覧会の大きな特徴です。

それではさっそくエッシャーのワンダーワールドをご案内しましょう。
※掲載した写真は主催者の特別の許可を得て撮影したものです。



「1 科学」

「1 科学」展示風景

1898年にオランダ北部の都市レーウワルデンで生まれたエッシャーは、1919年にハールレムの建築装飾美術学校に入学して、建築を学び始めましたが、同校の版画家で、のちのエッシャーに大きな影響を与えることになったサミュエル・イェッスルン・ド・メスキータと出会い、版画の道に転じました。

こちらは同校在学中の作品《貝殻》(1919/20年 木版)。

エッシャー《貝殻》(1919/20年 木版)

第二次世界大戦後の作品《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)と比べてみても、一つのパターンが反復するところなどは、すでに版画を始めたときから「だまし絵」の片鱗があったように思えます。

エッシャー《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)

エッシャーは同時代に発展した科学ー数学の図形や結晶学、そして幾何学模様などを応用して画面に表現しました。

マルタ島の風景が半球型に膨らんでいる!
この作品は1945年7月に完成しています。欧州では長い間続いた戦火はすでに止んでいたので、それを思うと、気のせいかマルタ島の明るい日差しがよりいっそう輝いているように見えます。

エッシャー《バルコニー》(1945年 リトグラフ)

捨てられたごみの中に結晶体!


エッシャー《対照(秩序と混沌)》(1950年 リトグラフ)


「2 聖書」



「2 聖書」展示風景

「エッシャーのバベルの塔は高層ビル!」(バカリズムさんの音声ガイド)

エッシャー《バベルの塔》(1928年 木版)


このコーナーには敬虔なカトリック教徒であったエッシャーの描いた聖書を題材とした作品が展示されていますが、作品は1922年から1928年までに集中しています。


解説パネルによると「1935年、エッシャーはヒエロニムス・ボスの《地上の楽園》(1503-4)の地獄の場面の一部を模写したリトグラフを制作したが、この後、伝説や宗教主題に対するエッシャーの関心は弱まっている。これは、イタリアでのファシズムの台頭に対するエッシャーの抗議であった」とのことで、エッシャーの芸術活動にはファシズムが暗い影を落としていました。

さて、ファシズムの暗い影とは?
「3 風景」に移りましょう。


エッシャーはイタリア滞在中に多くのスケッチを描き、イタリアの風景の作品を残しました。しかし、「エッシャーにとってイタリア滞在はあまり心地の良いものではありませんでした」と音声ガイドのバカリズムさん。

1922年に建築装飾美術学校を卒業したエッシャーは北イタリア、スペインのアルハンブラ宮殿ほかを旅行したあと、1935年までイタリア各地に滞在します。学校を卒業したばかりの青年画家は、きっと希望に胸をふくらませて、太陽が燦々と輝くイタリアに向かったことでしょう。

しかし、 エッシャーにとってイタリアに行った年が悪かったです。

1922年は、ムッソリーニ率いるファシスト党がクーデターを企て「ローマ進軍」をした年(同年10月)。その後、ムッソリーニ内閣が成立し、1924年には独裁体制を確立させ、1929年の世界大恐慌を経て、1926年アルバニア保護国化、1935年エチオピア侵略、と露骨な領土の拡張を行い、イタリアは国際社会との対立を深めていきました。
そして、国内ではファシスト党のシンボルの黒シャツを着た「黒シャツ隊」が街中を闊歩して、エッシャーにはいやでもそういった光景が目に入ったことでしょう。

南国の風景でありながら、どことなく愁いを帯びた絵を描いたのは、こういった時代背景があったからなのかもしれません。



「3 風景」展示風景

「3 風景」展示風景
「3 風景」展示風景

しかしながら、愁いを帯びているといっても、曲がりくねった回廊、複雑にいりくんだ建物、などなど、のちの「だまし絵」に通じるような風景画は独特の雰囲気が感じられ、イタリアの景色を思い浮べさせてくれる、とてもいい作品ばかりでした。




エッシャー《アマルフィ海岸》(1934年 木版)


「4 人物」には美術学校在校時の自画像が展示されています。
背景の版画作品が「俺は版画家だぞ。」と主張しているようにも見えます。


エッシャー《椅子に座っている自画像》(1920年 木版)
もちろん、同じモチーフの反復やテープで描かれた人の顔など、いかにもエッシャー!という作品も展示されています。

エッシャー《出会い》(1944年 リトグラフ)


エッシャー《婚姻の絆》(1956年 リトグラフ)

エッシャーはファシズムから逃れるため、1935年にイタリアから出て、スイス滞在を経て1937年にベルギーのブリュッセルに移り住みます。
1933年には隣国ドイツにナチス政権が誕生していたので、山岳地帯と強力な軍備に守られたスイスに留まらないで、なぜ平地で攻め込まれやすく、たいした軍備をもっていなかったベルギーに行ったのでしょうか。
(実際にドイツは、損害が大きくなることをおそれてスイスには侵攻しませんでした。)

今から考えてみると、わざわざ危険な場所に行ったように思えますが、当時はまだナチス・ドイツの脅威は実感として感じらる風潮ではなかったのでしょうか。

しかし、欧州情勢はその後大きく動きました。
1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発して、約1ヶ月でポーランドは制圧され、さらに1940年5月にドイツ軍はオランダ・ベルギーを侵攻し、6月10日にはパリに無血入城します。
これ以降、連合軍に解放されるまでの4年余り、オランダ・ベルギーはドイツの占領下に置かれました。
その後、エッシャーは1941年、故郷オランダのバールンに転居します。

「5 広告」
エッシャーは、グリーティングカードやレストランためのエンブレムなども手掛けていました。こちらの作品は、ドイツ占領時代にナチスに抵抗したオランダのレジスタンスへのオマージュとして制作したものです。
井戸からはしごを伝って上がってくる人の手と、井戸の口から見える外の景色が描かれています。


エッシャー《オランダ蔵書票協会(ハーグ)のための年賀状
(グリーティングカード》(1946年 木口木版)


1階の展示室はここまでで、次に2階に向かいます。


「6 技法」

「6 技法」展示風景


「6 技法」展示風景
球面鏡に反射するイメージを表した《眼》。
鏡に映る自分自身の眼に映るのは骸骨。

エッシャー《眼》(1946年 メゾティント)

この作品が制作されたのは第二次世界大戦終結後の1946年。
骸骨は戦争で失った人たちに対する悲しみの象徴なのでしょうか。


内覧会冒頭のロニット・ソレックさん(イスラエル博物館 版画・素描部門学芸員)のお話はとても印象的でした。

「エッシャーは、ユダヤ人の師ド・メスキータに身を隠すように説得しましたが、ド・メスキータは、まさか連行されることはないだろう、と聞き入れませんでした。しかし、1944年、ド・メスキータはドイツ当局に連行され、アウシュビッツ強制収容所に送られて帰らぬ人となりました。」
「その後、エッシャーは、ド・メスキータの自宅で、ドイツ軍によって荒らされた作品を集め、戦後に開催されたド・メスキータの追悼展で展示しました。展示作品の中には、ドイツ軍兵士の軍靴の足跡がついた作品もそのまま展示されました。」

ちなみに、このメゾティントという技法は手間がかかるためエッシャーの作品では8点しかないそうです(バカリズムさんの音声ガイドより)。

「7 反射」では、鏡を使ったエッシャーのトリックにまんまと引っかかってしまいます。
正面の作品は《球面鏡のある静物》。
作品の後ろにはさらに展示室があるように見えますが、実は背面は鏡。向こうの世界に行かないようにご用心。

エッシャー《球面鏡のある静物》(1934年 リトグラフ)
「8 錯視」
最後がいよいよエッシャーの「だまし絵」ワールドです。

1922年と1935年に訪れたアルハンブラ宮殿は、エッシャーに大きなインパクトを与えました。
アルハンブラ宮殿の幾何学模様をもとにトカゲをモチーフにした《発展Ⅱ》。

エッシャー《発展Ⅱ》(1939年 多色刷り木版)

空間がゆがんだアルハンブラ宮殿?
エッシャー《上と下》(1947年 リトグラフ)

エッシャーワールドはさらに続きます。

エッシャー《相対性》(1953年 リトグラフ)



エッシャー《ベルヴェデーレ(物見の塔)》(1958年 リトグラフ)



エッシャー《滝》(1961年 リトグラフ)



そして最後のクライマックスは4mもの長さの《メタモルフォーゼⅡ》。


METAMORPHOSEという文字が図形やトカゲ、鳥や魚、そしてイタリアを思わせる街並みやチェスの駒と盤、さらに図形に変化してMETAMORPHOSEという文字に戻るという不思議な一大絵巻物語。
今までエッシャーが描いてきたモチーフが次から次へと「変容」していきます。

《メタモルフォーゼⅠ》が描かれたのは1937年。そして、《メタモルフォーゼⅡ》が描かれたのは1939-1940年。

世界や自分自身が大きな嵐の渦に巻き込まれる不安な心境を反映したのでしょうか、とても不思議で、考えさせられる作品です。

さて、ミラクルエッシャー展はいかがだったでしょうか。
この夏、みなさんもぜひエッシャーの「謎」に迫ってみてはいかがでしょうか。
要所を押さえ、ユーモアをまじえたバカリズムさんの音声ガイドもおすすめです。


チケットカウンターもエッシャーワールド!


【展覧会概要】
 開催場所 上野の森美術館
 開催期間 6月6日(水)~7月29日(日) 会期中無休  
 開催時間 10:00-17:00 毎週金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
 チケット 一般 1600円他
  記念講演会もあります。詳細はミラクルエッシャー展公式ホームページをご参照くだ
 さい。