2014年1月20日月曜日

バイエルン美術紀行(8)ニュルンベルク3フラウエン教会

平成25年9月6日(金)ニュルンベルク続き

正午が近づいてきたのでデューラーハウスの目の前のカイザーブルクは後回しにして、上ってきた道を下り、中央広場に向かった。


フラウエン教会は、1355年、時の神聖ローマ皇帝 カール4世(1316-78 在位1347-78)によって建設された。
カール4世は、神聖ローマ皇帝選挙の手続きや7人の選帝侯の家柄やその権利などを定めた「金印勅書」(1356年)を発布したことや、「教皇のバビロン捕囚」(1309-76)で南フランスのアビィニョンにいた教皇のローマ帰還に尽力したことで有名な皇帝。
ボヘミアの出身で、ボヘミア王・カレル4世(在位 1341-1378)としても、王国の中心プラハの建設を進め、その後のプラハの発展に大きく貢献している。ブルタヴァ川にかかるプラハ最古の石橋・カレル橋も、カレル4世が建造したものだ。

この仕掛け時計は、カール4世の功績をたたえて1506年から1509年にかけて取り付けられた。
ドイツ語では"Männleinlaufen"というので、直訳すると「小男たちの行進」。つまり偉大なカール4世のまわりを小さい7人の選帝侯が練り歩いて忠誠を誓うという設定だ。

こちらがフラウエン教会の正面。広場には市が立ち、ちょうどお昼時なので、ソーセージを焼く煙や甘いパンの香りが入り交ざる。

まだ時間があったので教会の中に入った。
日の光に輝くステンドグラス、金地のあざやかな祭壇画、聖人の彫刻の数々、とても空襲で大きな被害を受けたとは思えないほどの荘厳な空間が広がっている。
柱や壁に掛けられている彫像や絵の多くは、15世紀末から16世紀はじめにかけて活躍していた著名な彫刻家で、ロレンツ教会の彫像も手がけたアダム・クラフトと、デューラーの師 ミヒャエル・ヴォルゲムートの手によるものだ。

12時ちょうどになり、鐘の音とともに7人の選帝侯が向かって右側から登場する。
中央に遷座するひときわ大きなカール4世の前を通るときに、少し小ぶりな選帝侯たちはくるりとカール4世の方を向いてあいさつをして通り過ぎていく。

5分ほど続いた寸劇 が終わったので、市庁舎広場の前を通り、なだらかな坂になっているブルク通りを上り、カイザーブルクの方に向かった。
(次回に続く)