松浦武四郎が蝦夷地を「北海道」と命名したことは知っていましたが、実際に蝦夷地のどこに行ったのか、どういった記録を残したのかまでは知りませんでした。
そして、探検家であっただけでなく、古物の大コレクターで、膨大な数の古物のコレクションを持っていたことも知りませんでした。
この「松浦武四郎展」は、探検家として、そして大コレクターとしての松浦武四郎ワールドをまさにに「探検」できる、とても楽しい展覧会です。
それでは、先日開催されたブロガー内覧会に参加したときの様子をお伝えしながら、展覧会の魅力を紹介したいと思います。
※掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
はじめに楽しいトークショーがありました。
メンバーは、静嘉堂文庫美術館 河野元昭館長、静嘉堂文庫主任司書 成澤麻子さん、そしてナビゲーターは、アートブログの草分け「青い日記帳」主宰のTakさん。
Takさん 「松浦武四郎展」は5年前に開催されてから2回目になりますが、今回の展覧会
の見どころを紹介していただけますでしょうか。
成澤さん はじめにご紹介したいことがあります。明治2(1869)年に「北海道」と命名さ
れてから150年になることを記念して、松浦武四郎の物語がNHKでドラマ化されます。
松浦武四郎の役は嵐の松本潤(ここで会場から「えーっ」と驚きの声)、ヒロイン役は深
田恭子で、現在、北海道の各地でロケに入っていると聞いています。
(NHKのホームページによると、タイトルは「北海道150年記念ドラマ 永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎」。放送予定は2019年春とのことです。)
成澤さん 150年前に蝦夷地の命名を明治政府に命じられたとき、松浦武四郎は「北加伊
道」と提案しました。
「加伊(=カイ)」とはアイヌ語で「人々」という意味で、武四郎は「北に住むアイヌ
の人々の土地」との意味を込めたのです。
武四郎は幕末に6回、北方を探検して、蝦夷地のすべてを踏破して、アイヌの人たちの
協力を得ながら詳細な蝦夷地の地図を作成しました。当時、蝦夷地を内陸部まで探検し
たのは武四郎だけでした。
Takさん 生まれはどちらだったのでしょうか。
成澤さん 伊勢の松坂市出身です。市内には松浦武四郎記念館がありまして、松浦家から
松阪市に寄贈された資料が展示されていて、その多くが重要文化財に指定されていま
す。
Takさん それで今回の展覧会の関連イベントで松阪牛の試食会があるのですね。
成澤さん 松浦武四郎記念館の方と事前の打合せをする中、「牛がないと松阪でなない」
とのお話しがあったもので(笑)。
Takさん それをOKする静嘉堂文庫美術館も懐が広いですね(笑)。
(松阪牛試食会は11月10日(土)午前11時から先着100名。試食券(500円)は当日受付にて販売します。先着100名ですのでお早めに!)
河野館長 今回の展覧会では、武四郎と同じ伊勢の陶芸家・川喜田半泥子の陶器を展示し
ています。
半泥子は伊勢の百五銀行の頭取まで務めた経済人で、趣味で始めた陶芸でしたが、
『東の魯山人、西の半泥子』と言われたくらい有名でした。今では魯山人の方が知名度
が高いのですが、作品のクオリティは甲乙つけがたいです。
Takさん 今回の展示では半泥子の作品がお出迎えしてくれますよね。
(半泥子の陶芸作品はロビーに展示されています。このコーナーは撮影可ですのでぜひ記念撮影を!)
成澤さん 半泥子の祖父・川喜田石水(せきすい)と松浦武四郎が藩の私塾で知り合った幼
なじみで、生涯交流が続きました。
河野館長 松浦武四郎のコレクションが静嘉堂に収蔵された経緯は不明ですが、岩崎彌之
助の深川別邸を手がけた大工頭で美術品収集家の柏木貨一郎が武四郎と交友関係にあっ
たことが影響しているのでは、と考えられます。
(人間模様についてはロビーのパネルが参考になります。上の写真の左のパネルです。)
Takさん 今回の展示は大きく分けると、①蝦夷地を知る、②武四郎コレクション、の二つ
ですね。
成澤さん 松浦武四郎のキーワードは、①北方探検家、②日本中を回り、富士山には3回も
登った「旅の巨人」、③古物のコレクター。今展覧会では①と③を展示しています。
①北方探検家についてですが、幕末の13年間に6回蝦夷地をくまなく歩き、幕府に報
告書を提出しています。武四郎はそれだけでなく、一般の人向けにイラスト入りでわか
りやすい紀行文も出しました。その紀行文によって一般の人たちもはじめて蝦夷地のこ
とを知ることができたのです。
6回の蝦夷地探検の結果、最終的には蝦夷地の詳しい地図を作成しました。それまで海
岸線を調査したものはあったのですが、武四郎はアイヌ語ができ、アイヌの人たちと一
緒に内陸部まで調査した地図を作成しました。
地図は広げると大きすぎて展示できないので、パネルに印刷したものを床の上に展示
しています。タイルの上は歩いても大丈夫なので、ぜひ内陸部まで歩いてみてください
(笑)。」
(これがパネルに印刷した蝦夷地の地図です。内陸部の山や川まで描かれていて、地名もカタカナで細かく書かれてます。驚くほど精密です。)
成澤さん 次に③古物のコレクターについてです。
明治維新後、武四郎は明治政府から蝦夷地担当の高官に指名されましたが、明治政府
の政策がアイヌ人を和人に同化させるやり方だったので、それに反発して役職を1年で退
職しました。その後、コレクターとして古物を収集するのです。
武四郎の号は「馬角(ばかく)」でしたが、その下に「斎」をつけて「ばかくさい」と
自らを称していました。松浦武四郎記念館の学芸員の山本さんによると、「武四郎は明
治政府のやり方を皮肉り、それを阻止できなかった自分を皮肉ったのでは」とお話され
ていました。
退職後、武四郎は蝦夷地にはふれない生活を送りました。
Takさん 武四郎は蝦夷地に行くための旅費はどう工面したのでしょうか。
成澤さん 最初の2回は私人として行きました。1回目は商人の手代に扮して、2回目は松
前藩の医師の助手に扮して蝦夷地に渡りました。当時、蝦夷地は松前藩の取り締まりが
厳しくて簡単には入れなかったのです。
3回目からは幕府のお雇いとして行きました。
武四郎は「旅の巨人」とお話しましたが、蝦夷地に入るまでは日本中を旅していまし
た。16歳で家を飛び出したときは江戸で見つかって伊勢に戻されたのですが、翌年また
家を飛び出して10年間放浪しました。
武四郎は篆刻が得意だったので、旅先で有力者に頼まれて篆刻をつくったり、農家の
手伝いをして旅を続けていたのです。
Takさん どうして武四郎は旅を続けたのでしょうか。
成澤さん きっと好奇心が強かったのでしょう。そのうえ行動力もありました。
武四郎が長崎にいたとき、ロシアが蝦夷地に進出しているという情報を得ました。日
本の危機を感じとった武四郎は自分の目で見てみようと思ったのです。
河野館長 武四郎はまず第一に好奇心、行動力があり、そしてアイヌの目線でアイヌのこ
と、蝦夷地のことを考えるという独自の思想性ももっていました。
Takさん もう一つの展示の柱の古物コレクションの特徴は。
成澤さん コレクションというと焼き物とか自分の好きなものを集める人が多いのです
が、武四郎は分野を限らず、ありとあらゆる分野のものを集めました。
そして集めたものを分類して、整理して、それぞれふさわしい箱に入れて保存して後
世に残しました。
河野館長 武四郎は生前、河鍋暁斎に自分の涅槃図を描かせています。現在、松浦武四郎
記念館が所蔵しているのですが、今回はその複製を展示して、その涅槃図に描かれたコ
レクションの現物を展示しています。
成澤さん 武四郎は好奇心のかたまり。武四郎の好奇心を楽しんでいただければと思いま
す。(拍手)
続いて成澤さんのギャラリートークです。
会場入り口でお出迎えしてくれるのは、松浦武四郎その人。身長わずか150cmの小柄な体のどこにおそるべきパワーが秘められていたのでしょうか。
そしてケースに展示されているのは写真の武四郎が身につけている大首飾り。
「縄文時代から近代までの碧玉や水晶などで作られていて、対馬国住吉神社の神宝を参考にしてつくったのではとの指摘があります。」と成澤さん。
会場入ってすぐ右は武四郎が一般人向にイラスト入りでわかりやすく作成した紀行文。
「イラストはプロの浮世絵師が描いていますが、武四郎のスケッチをもとに描いています。武四郎はスケッチが上手だったのです。」
イラストがとてもリアル。これなら一般の人たちの好奇心を誘います。
続いて間宮林蔵はじめ武四郎の先人たちの足跡。
その向かいが武四郎集大成の蝦夷の地図(木版)。そしてその隣には武四郎の探検に協力したアイヌの人たちを地域別に記載した名簿も展示されています。
続いてコレクターとしての武四郎のコーナー。
「武四郎は自分が集めたものの図録を作成して、出版しました。」
「図録の絵を複写したものを壁のパネルで展示しています。」
下の写真の右の箱の前には「馬角」と書かれています。
こちらは硯をはじめとした文房具。
青銅器も。
「考古学的なものだけでなく、仏教的なものも収集していました。」
「おそらく今回の展示品の中で一番高価なのでは。(笑)」と成澤さんがお話されたのはヒスイの首飾り。「純度は100%に近いヒスイですので、下から見るとよく分かりますが輝いて見えます。」
奥がトークショーで河野館長からお話のあった河鍋暁斎筆《武四郎涅槃図》の複製。
「武四郎が絵の制作にいろいろ注文をつけたので、暁斎もまいってしったそうで、完成に5年かかりました。」と成澤さん。
そして《武四郎涅槃図》に描かれた赤い台の上の20点のコレクションの実物。
武四郎が最晩年に住んだ書斎・一畳敷は茶室ともに今では国際基督教大学の敷地内に移設されて保存されています。大学の秋の文化祭のときに公開されるとのこと。
一畳敷を建てる際、全国の知人に頼んで古材を送ってもらったのですが、そのやり取りの葉書を集めたのが「木片勧進(複製)」(下の写真右)。
「武四郎はこういったものまで出版してしまうのです。」(笑)と成澤さん。
最後はロビーの半泥子の茶碗。
「銘が面白いです。こちらは大きな茶碗で、お茶を飲むと顔が隠れるから『閑く恋慕(かくれんぼ)』です。」(笑)
さて、松浦武四郎展はいかがだったでしょうか。
イベントも盛りだくさん。松阪牛試食会だけではありません。講演会や河野館長のトーク、列品解説やコンサートもあります。
詳細はこちらでご確認ください。→ 静嘉堂文庫美術館
ショップではミニブック(税込350円)、5年前の松浦武四郎展のときに出版された図録(税込2,800円)も販売されています。
みなさん、ぜひ松浦武四郎ワールドをお楽しみください!
12月9日(日)までです。