2024年11月22日金曜日

「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」 来夏 大阪を皮切りに東京、愛知巡回開催決定!

「ひまわり」の連作や浮世絵の影響を受けたことで知られ、日本でも人気の高い画家の一人、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の展覧会が、来夏の大阪を皮切りに東京、愛知に巡回開催されることが決定しました。

 2025年7月 5日(土)~ 8月31日(日)    大阪市立美術館
 2025年9月12日(金)~12月21日(日)   東京都美術館
 2026年1月 3日(土)~3月23日(月)  愛知県美術館(予定)

ゴッホの展覧会は今までも国内で開催されていますが、今回のゴッホ展は、ファン・ゴッホ家のコレクションに焦点を当てた日本初の展覧会です。

よく知られているように、兄フィンセントの画業を支え、大部分の作品を保管していたのは弟のテオ(テオドルス・ファン・ゴッホ 1857-1891)でしたが、兄の死の半年後にその生涯を閉じ、テオの妻ヨー(ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル)が膨大なコレクションを管理することとなりました。
ヨーはファン・ゴッホの名声を高めることに人生を捧げ、作品を展覧会に貸し出し、販売し、膨大な手紙を整理して出版し、息子フィンセント・ウィレムは、コレクションを散逸させないため、フィンセント・ファン・ゴッホ財団をつくり、美術館の設立に尽力しました。

アムステルダムのファン・ゴッホ美術館は、画家フィンセント・ファン・ゴッホの約200点の油彩、500点にのぼる素描をはじめ、手紙、関連作品、浮世絵版画などを所蔵していますが、そのほとんどが1973年の開館時にフィンセント・ファン・ゴッホ財団が永久貸与したものです。

今回のゴッホ展では、ファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ファン・ゴッホの作品30点以上に加え、日本初公開となるファン・ゴッホの手紙4通なども展示され、家族が守り受け継いできたコレクションが紹介されます。

それではさっそく展示作品のいくつかをご紹介したいと思います。


フィンセント・ファン・ゴッホ《画家としての自画像》は、ゴッホのパリ時代(1886-88)の終盤に描かれた自画像で、パリで身につけた筆遣いと、補色を効果的に用いた明るい色調が見どころの作品です。
1890年にファン・ゴッホと初めて会ったヨーは、この作品の姿がこの時の印象によく似ていると回想しています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》188712-18882
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


パリでロートレックやゴーガンらと出会ったファン・ゴッホは多くの刺激を受け、自らの表現が時代遅れなものだと気づき、新しい表現を身につけようと35点を超える花の静物画を描き、実験を繰り返しました。この《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》からは、効果的な色彩の組み合わせや自由な筆づかいの試みが感じられます。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》 18868-9
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)
 

画家としての収穫も多かったパリでの生活は、一方でゴッホを心身ともに疲れさせ、1888年2月には南仏のアルルに移り、同年秋にはゴーガンも合流しました。
《種まく人》はその頃に生まれた作品で、敬愛する画家ミレーの描いた種まく人を自らも描きたいと、試行錯誤を繰り返し、この構図にたどり着きました。大胆な色彩の組み合わせですが、秋の夕暮れを表すためにやや落ち着いた色調が用いられているところに注目したいです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 188811月  
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

パリ時代から南仏アルルの時代までの作品を駆け足で紹介してきましたが、1853年3月30日にオランダの小村フロート・ズンデルトの牧師の家に生まれたファン・ゴッホは、1880年、画家になることを決意し、ベルギーのブリュッセルや、オランダのヌエネンなど、各地で絵画の修業を続けました。

この手紙の宛て先のファン・ラッパルトは、画業のごく初期に知り合ったオランダ時代の先輩画家で、ファン・ゴッホは手紙に作品のスケッチを描き込み、意見や助言を求めましたが、社会の底辺の人々を題材とした暗い色彩の作品を描いた修業時代の代表作《ジャガイモを食べる人々》への手厳しい批評でふたりの友情は終わりを迎えることになりました。

「傘を持つ老人が描かれた、フィンセント・ファン・ゴッホからアントン・ファン・ラッパルトに宛てた手紙」  1882923日頃 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)(purchased with support from the Mondriaan Fund, the Ministry of Education, Culture and Science, the VSBfonds and the Cultuurfonds)


ファン・ゴッホは、その短い生涯の間、ファン・ラッパルトや弟のテオなどに多くの手紙を書きましたが、作品とのかかわりを示す手がかりとなる貴重な資料なので、文章は読めませんが、描かれているスケッチや文章の内容をその場で読み取りたいと思いました。

さて、これまで展示作品を紹介してきましたが、最後に今回のゴッホ展の「みどころ」をご紹介します。

1 ファン・ゴッホ家のコレクションに焦点を当てた日本初の展覧会
2 30点以上のファン・ゴッホ作品で初期から晩年までの画業をたどる
3 ファン・ゴッホが集めた作品や初来日となるファン・ゴッホの手紙4通を展示


来年も多くの展覧会の開催情報がアナウンスされていますが、間違いなくこのゴッホ展も見逃せない展覧会の一つ。今から開幕が待ち遠しいです。

2024年11月8日金曜日

泉屋博古館東京 特別展「オタケ・インパクトー越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズムー」

東京・六本木の泉屋博古館東京では特別展「オタケ・インパクトー越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズムー」が開催されています。

 
泉屋博古館東京エントランス

展覧会開催概要

会 期  2024年10月19日(土)~12月15日(日)
 前期  10月19日(土)~11月17日(日)
 後期  11月19日(火)~12月15日(日)
開館時間 11:00~18:00(金曜日は19:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで)
休館日  月曜日、※11月4日は開館(翌5日休館)
入館料  一般1,200円、高大生800円、中学生以下無料  
※展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式サイトをご覧ください⇒泉屋博古館東京

展示構成
 第1章 「タツキの為めの仕事に専念したのです」ーはじまりは応用美術
 第2章 「文展は広告場」ー展覧会という乗り物にのって
 第3章 「捲土重来の勢を以て爆発している」ー三兄弟の日本画アナキズム
 第4章 「何処までも惑星」ーキリンジの光芒
 特集  清く遊ぶー尾竹三兄弟と住友

今回の展覧会はホール内の尾竹国観《絵踏》と北村四海《蔭》のみ撮影可能です。
館内で撮影の注意事項をご確認ください。
※掲載した写真は主催者より広報用画像をお借りしたものです。


今回の特別展は、東京で尾竹三兄弟を紹介する初めての展覧会。彼らの重要作をはじめ、多数の初公開作品など前後期あわせて約70点もの作品が大集結する豪華な内容なので、とても楽しみにしていました。
特に見たかったのは、花鳥風月を愛でる伝統的な日本画とは全くかけ離れたアヴァンギャルドな尾竹竹坡の《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》。


尾竹竹坡《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》大正9年 
宮城県立美術館【前期展示】

《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》は、『日本画とは何だったのか 近代日本画史論』(古田亮著 2018年)で初めて見て、まさにインパクトを受けていつかは見てみたいと思っていたので、実物を目の前で見ることができて大満足でした。

キャプションのタイトルは「トム少佐、聞こえますか?」。
トム少佐とは、伝説のロックスター、デヴィット・ボウイの名曲「スペース・オディティ」に出てくる宇宙飛行士。幻想的な「スペース・オディティ」を脳内で再生しながらこの作品を眺めているとまるで宇宙空間をさまよっているような心地よい気分になってきます。
この作品は前期展示ですが、後期にも同じようなアヴァンギャルドな作品が見られるので後期も行かなくてはなりません。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》はアヴァンギャルドというよりマニアック!
最初は何が描かれているのかよく分かりませんでしたが、近くで見ると海面にはおびただしい数の魚、魚、魚。なかには亀の姿も見えます。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》大正9年
個人蔵【前期展示】

そして、舟の上にもこれ以上獲っては舟が沈んでしまうのではないかというくらいたくさんの魚。逞しい体をした漁師に獲られまいと抵抗しているタコの姿も見えます。
アップにしてみるとそのすごさがよく分かります。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》(部分)大正9年
個人蔵【前期展示】

それにしても魚の目は黒目の部分がもっと大きいはずなのですが、竹坡の描く魚は白目の部分が大きくて、どの魚も驚いている表情をしていて、ひょうきんな顔をしているようにも見えるのはなぜなのでしょうか。


新潟で紺屋(染物屋)を営む家に生まれ、父・倉松に絵の手ほどきを受けた長男・熊太郎(越堂)(1868-1931)、三男・染吉(竹坡)(1878-1936)、四男・亀吉(国観)(1880-1945)の尾竹三兄弟の本格的な画業の出発点は富山でした。
明治22年頃、越堂は富山へ移り、売薬版画の下絵や新聞の挿絵、絵馬などを描いて家計を助け、竹坡、国観も兄を追って富山に移り、兄を支えたのです。

富山といえば富山の薬売り。
子どもの頃、富山の薬売りの人が家に来て薬の交換をしたあと、帰り際にもらったカラフルな紙風船で遊んだ記憶がありますが、当時の進物商法(おまけ)は多色摺りの浮世絵で、歌舞伎役者を描いた役者絵や七福神など吉祥画題の福絵などが中心でした。

尾竹国観《役者見立 壇浦兜軍記・阿古屋琴セメの段》
富山市売薬資料館【後期展示】


その後、本格的な絵画学習を志した国観は明治26年に上京して歴史画の大家・小堀鞆音に入門、その3年後には竹坡が上京して、円山派の流れを継ぐ川端玉章に師事しました。
(明治32年には越堂も上京。)

国観の《油断》は、特定の歴史的事実や人物に基づかない作品ですが、敵陣に攻め入る武士たち(右隻)、不意打ちにあわてふためく武士や女房たち(左隻)の姿が臨場感たっぷりに描かれています。








尾竹国観《油断》明治42年 東京国立近代美術館 【前期展示】

《油断》は明治42年に開催された第3回文展に出品された作品で、2等賞第2席を受賞しました。当時の文展では1等賞は空席で、2等賞第1席は若くして亡くなった天才日本画家・菱田春草の《落葉》(重要文化財 永青文庫)でした。
この作品は国観の文展デビュー作なのですが、のちに重要文化財となる作品と肩を並べるほどの作品を描いてしまったのですから、「国観おそるべし!」と言わざるを得ません。


ホールに展示されている尾竹国観《絵踏》は初公開。撮影可の作品です。
《絵踏》は、江戸幕府がマリア像やキリスト十字架像などを足で踏ませてキリスト教の信徒でないことを証明させたというドラマチックな場面が描かれた作品で、国画玉成会展覧会に出品されたのですが、国画玉成会の審査員の選からもれた兄・竹坡と岡倉天心が仲たがいして竹坡が同会を除名されたため、国観も退会して展示中だった《絵踏》も会場から撤去したという、作品そのものにもドラマチックないわれがあったのです。

尾竹国観《絵踏》明治41年 泉屋博古館東京【通期展示】



「これは狩野探幽では!」と一瞬思った、余白をたっぷり使った竹坡の《九冠鳥》は後期展示。これも初公開の作品ですが、大正期にはアヴァンギャルドな絵を描いた竹坡が明治期にはこんな絵を描いていたことに驚かされます。

尾竹竹坡《九冠鳥》明治45年 個人蔵 【後期展示】

越堂の《漁樵問答》は大正5年の第10回文展に出品された作品で、こちらも初公開です。

尾竹越堂《漁樵問答》大正5年 個人蔵【後期展示】


前期は11月17日(日)まで。後期も大幅な展示替えがあって、上でご紹介した大作も展示されるので楽しみです。

今回は展覧会チラシもインパクト大。なんと「パ」の字の大きいこと。
今回の特別展をご覧いただいて、ぜひインパクトの大きさを感じ取ってください!