東京・上野公園の東京国立博物館 平成館では特別展「江戸☆大奥」が開催されています。
東京国立博物館 平成館前のパネル |
大奥とは、かつて江戸城の中にあった、将軍の夫人である御台所(正室)や側室の居所で、その生活を支える女中たちが住み、将軍以外の男性は入ることができない男子禁制、政治に介入することは禁止されていても、実際には大きな影響を及ぼすことも少なくなかったというというミステリアスな空間でした。
今回の特別展では、庶民にとっては江戸時代からあこがれの場所でありながら江戸城の奥深く隠された世界でしたが、明治になってから錦絵などで内部の様子を垣間見ることができた大奥の全貌が令和の世になってようやく明らかにされるというとてもワクワクする展覧会です。
それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 期 2025年7月19日(土)~9月21日(日)
開館時間 午前9時30分~午後5時
※毎週金曜、土曜、8/10(日)、9/14(日)は午後8時まで
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日 ※ただし、8/11(月・祝)、9/15(月・祝)は開館
観覧料(税込) 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円
※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料、入館の際に学生証、
障がい者手帳等の提示が必要。
展覧会の詳細等については展覧会公式サイトをご覧ください⇒特別展「江戸☆大奥」公式サイト
※展示室内は一部を除き撮影不可です。掲載した写真は報道内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
※会期中、一部の作品は展示替え等があります。展示期間は次の通りです。
前期 7月19日(土)~8月17日(日)
後期 8月19日(火)~9月21日(日)
※展示期間の表記のない作品は全期間展示されます。
展示構成
第1章 あこがれの大奥
第2章 大奥の誕生と構造
第3章 ゆかりの品は語る
第4章 大奥のくらし
展示室に入ってはじめに驚いたのは、いきなり江戸城の中に入ったのではないかと思えるほどの臨場感でした。
展示風景 |
ここには、2023年にNHKで放送されたドラマ10「大奥」の撮影で使用された御鈴廊下のセットが一部再現されていて、キャストが実際に着用した衣装が展示されています。
将軍が住む中奥と大奥を結ぶ御鈴廊下の前を通り、登城の太鼓の音が響く中、お濠にかかる橋を眺めながら先に進むと、いやがうえにも大奥に入っていくんだという気分が盛り上がってきます。
展示風景 |
第1章 あこがれの大奥
大奥がいくら庶民のあこがれであっても、さすがに江戸時代には幕府の出版統制で公に描くことは許されませんでした。そのため浮世絵に大奥が描かれるようになったのは明治期に入ってからのことでした。
若い頃から歌川国芳をはじめ歌川派の絵師に師事し、幕末期には旧幕府軍に加わり戊辰戦争を戦ったという異色の経歴をもち、明治時代に活躍した浮世絵師、楊洲周延(1838-1912)が江戸城大奥での女性たちのくらしを描いた全40図の揃物《千代田の大奥》はとてもカラフル。全40図をすべて全期間見ることができるのは、今回の特別展の大きな見どころの一つです。
第二章 大奥の誕生と構造
大奥の基礎を作ったのは、三代将軍徳川家光(1604-51)の乳母・春日局(1579-1643)でした。
春日局坐像 江戸時代(17世紀) 京都・麟祥院(京都市)蔵 |
二代将軍徳川秀忠の後継問題で、春日局が駿府の大御所家康に直訴して家光の世嗣に大きな役割を果たしたことはよく知られていますが、家光が将軍になると、御台所、側室や、そこに仕える女中たちの序列を整えるなど、大奥を統率し、内外に絶大な権勢を振るったのでした。
さて、気になる男子禁制の大奥ですが、江戸城のどこにあったのでしょうか。
なんと大奥は、現在の皇居東御苑、天守閣があった天守台の前に広がっていたのです。
今まで何回も季節ごとに散策していた東御苑ですが、ここに大奥があったとは今まで全く意識していませんでした。
大奥に住んでいた女中たち中でも最高の地位にあった御年寄は、権力も財力もほしいままにしたかわりに、生涯結婚することもなく、大奥の情報を表に出さないために生涯を江戸城内で過ごす運命にありました。
ところが中には、七代将軍徳川家継の生母・月光院に仕えた絵島(1681-1741)のように流罪となって幽閉生活を送った御年寄もいたのです。
時は正徳4年(1714)、増上寺、寛永寺に代参した帰りに歌舞伎を見て、宴席に興じたことから門限を破り、歌舞伎役者生島新五郎との恋愛沙汰の嫌疑がかけられ信州伊那の高遠藩に流され、そこで27年間を過ごし1741年に61歳の生涯を閉じました。
これが世にいう「絵島生島事件」。
ここに展示されている『絵島没後取調覚書』(長野・蓮華寺(伊那市)蔵)には、絵島が番人に見張られた窮屈な生活が記載されています。
展示風景 |
また、大奥最後の将軍付き御年寄・瀧山(1805-76)は、江戸城開城後に現在の埼玉県川口市に移り、そこで生涯を終えました。
こちらは瀧山の墓所・錫杖寺(川口市)に伝わる、瀧山所用とされる乗物(※)が残されています。
乗物の中には同じく瀧山所用とされる草履も残されているので、お見逃しなく。
※江戸時代には、同じ構造でも庶民が使用する簡易なものは「駕籠」、上位の人びとが乗る高級品を「乗物」と区別していました。
第3章 ゆかりの品は語る
女性が婚姻によって富貴な身分を得ることを「玉の輿」と言いますが、その由来となったのが三代将軍家光の側室で、のちに五代将軍綱吉を生み育てた桂昌院(お玉の方、1627-1705)。
綱吉所用とされる長裃も展示されています。少し小さめの長裃ですが、綱吉は小柄だったようです。
展示風景 |
桂昌院とは反対に度重なる不幸に見舞われたのが浄岸院(竹姫、1705-72)でした。綱吉の養女となった竹姫は、江戸城で養育され、2度婚約しますが、どちらも婚約者が亡くなってしまったのです。
その竹姫によって奉納されたのが、東京・祐天寺の阿弥陀堂本尊の《阿弥陀如来坐像》です。
《阿弥陀如来坐像》の手前には、阿弥陀堂改修時に床下から発見された、竹姫のものとされる毛髪と鏡も展示されています。
阿弥陀如来坐像及び附属品 小堀浄運作、浄岸院(竹姫)奉納 享保8年(1723) 東京・祐天寺(目黒区)蔵 |
そして、豪華絢爛な掛袱紗は、綱吉が側室・瑞春院(お伝の方、1658-1738)へ、年中行事の祝い事にあわせた贈り物に掛けられていたと伝わるもので、前期後期で31枚すべてが展示されます。
この貴重な機会をお見逃しなく!
第4章 大奥のくらし
女性だけの閉ざされた世界ではどのような生活が営まれていたのでしょうか。
大奥に迎え入れられた正室たちの贅を尽くした婚礼調度からそのきらびやかさが伝わってきます。
五代将軍綱吉の正室・浄光院(鷹司信子、1651-1709)が輿入の際に用いたと伝わる女乗物は、それ自体が蒔絵の名品といえる最高級品です。
それが露出展示されているので、葵紋や牡丹紋をくっきりと見ることができます。
竹葵牡丹紋散蒔絵女乗物 浄光院(鷹司信子)所用 江戸時代 寛文4年(1664) 東京国立博物館蔵 |
今回の展示では大奥の女性たちの衣装が壁一面に展示されている壮観な光景が見られますが、実際に衣装を着ているときの姿がマネキンで再現されているのも見どころの一つです。
静寛院宮(和宮、1846-77)や天璋院(篤姫、1836-83)が用いたかるたや雛人形、楽器などから、日々の生活やあそびをうかがい知ることができますが、珍しいのは和宮が所持していたと伝えられる小さな人形や器、貝殻やタツノオトシゴなどの手廻り小物でした。
短い結婚生活ではありましたが、和宮と夫の十四代将軍・徳川家茂(1846-66)は大奥で玩具類を通じて語らいあったという、ほほえましい記事が残されています。
江戸時代の娯楽として人気のあった歌舞伎は、大奥にいる女性たちにとっても気になるところでしたが、歌舞伎を見て門限を破った絵島のように厳しく罰せられることもありましたが、十一代将軍徳川家斉(1773-1841)の時代には大奥の中で歌舞伎が演じられました。
歌舞伎といっても大奥の中ですから、演じたのは女性。歌舞伎役者のお狂言師・坂東三津江が家斉の妹の蓮性院ほかの前で演じたと伝えられる衣装は、さすが大奥、豪華絢爛そのものです。
特設ミュージアムショップ |
特別展「江戸☆大奥」の全作品の魅力を余すところなく収めた公式図録も見応えあります。
『千代田の大奥』に登場する女性たちを散りばめた、華やかで煌びやかなデザインの表紙が際立っています。