2011年6月27日月曜日

二度と行けない国「東ドイツ」(3)

(前回からの続き)
 ザクセン王国の首都として栄華を極めたドレスデン。街の美しさから「エルベ川のフィレンツェ(Elbflorenz)」とうたわれたドレスデン。この街を訪れることは今回の旅行の大きな楽しみの一つであった。
 この美しい街は第二次世界大戦末期、1945年2月13日、14日のイギリス空軍の爆撃により、たった二晩で廃墟と化した(2月15日のアメリカ空軍の爆撃によりさらに被害は広がった)。戦後、ドイツのどの都市でも復興が始まったが、ドレスデン市民は、がれきの山を片付けて新しい建物を建てるのでなく、再利用できる石を積み上げて、もう一度かつての街を再現することを試みた。その努力のおかげで私たちは、今でも古きよきドレスデンの面影を追うことができる。
 しかし、聖母教会(Frauenkirche)だけは爆撃により破壊されたときの姿をとどめていた。市当局の財政が厳しいという事情もあったようであるが、広島の原爆ドームのように、第二次世界大戦の悲惨さを伝える遺跡として残されていたのだ。ドイツ統一後、賛否両論あったが、再建の機運が高まり、イギリスほか海外からも寄付が集まり再建が始まった。塔の頂上にある金の十字架の制作にはイギリスの技術者たちが関わった。そしてついに完成し、2005年10月30日に記念式典が行われた。その日から聖母教会はドイツとイギリスの和解(Versöhnung)のシンボルとなった。
 ドレスデン空襲については、2007年に公開された映画「ドレスデン~運命の日」が参考になる。撃墜されドレスデンに降り立ったイギリス空軍爆撃機のパイロットとドイツ人の看護師がお互いに惹かれるというストーリーは少し無理があるが、空襲により街中が火の海になり、市民が恐怖で逃げまどうシーン、空襲前や空襲直後の聖母教会の映像、それに完成記念式典の映像もあり、ドレスデン空襲の悲惨さ、聖母教会がドレスデンの歴史に果たしてきた役割がよくわかる。
 右の写真の左側中央は、1989年当時はまだ廃墟のままとなっていた聖母教会。その前に立つのはマルティン・ルターの像。映画「ドレスデン」の空襲直後の映像では像が台座からとれて地面に倒れていたが、その後修復したのだろう。
 順番が前後するが、左側上の写真は、ドレスデン中央駅。この中の食堂で、東ドイツでは唯一親しく話ができた人たちに出会ったが、それは次回に。左側下は、エルベ川岸の「ブリュールのテラス(Brühlsche Terrasse)」。その美しさから「ヨーロッパのバルコニー(Balkon Europas)」と呼ばれている。右側の写真は「君主の行列(Fürstenzug)」。マイセン磁器製のタイルに歴代のザクセンの君主が描かれたもので、長さは100m以上ある。(第1回のブログで、あてどなく歩きたいと書いたのはこのあたりです。詳しくはドレスデン市の観光案内をご覧ください)
(次回に続く)

(参考)ドレスデン市の観光案内