2012年4月1日日曜日

旧東ドイツ紀行(15)

11月15日(火) ベルリンの続き

ホテルをチェックアウトして外に出た時もテレビ塔の上の方は霧に包まれたままだった。
アレキサンダー広場まで歩いて、お昼を食べたり、広場付近を散歩しようとも考えたが、トラバントのミニカーやシュタージの本でザックが重くなっていたので、タクシーでベルリン中央駅まで行って、ザックを荷物預かり所で預かってもらってからS-バーンでアレクサンダー広場に戻ることにした。

タクシーはホテルの前に何台も停まっていたのですぐにつかまった。
途中、森鴎外記念館の看板が見えてきた。本当はここも来たかったが、とても時間がなかったので、心の中で「次は来ますね」とつぶやいて前を通り過ぎた。

10分ほどでベルリン中央駅に着いた。
駅そのものは西側にあるが、ベルリンの壁に近かったので、周囲には建物などなく、今はまだ駅前の開発も進んでいないので、広大な空き地の中にガラス張りの大きな建物だけがそびえ立っている。
写真は構内から駅の正面を見たところ。たっぷりと外の光を採り入れている。ドレスデンでも気がついたが、ドイツではガラス張りの建物が目立つ。特に冬はどんよりとした日が続くドイツでは、できるだけ明るい雰囲気を出したいという思いがあるのだろうか。


  最上階はS-バーンの駅。ここからアレクサンダー広場駅に戻った。やはり東側に来ると、「戻ってきた」という感じだ。

  
そういえばアレキサンダー広場の観光名所のひとつ、世界時計はまだ見ていなかったな、と思い出し、あたりを見回した。東ドイツ時代は目立っていたのに、今は、周囲にはたくさん建物が立ち、クリスマスの市のテントも立っていたせいか、なかなか見つからない。
あたりをしばらく歩いていたら、すみっこの方にぽつんと立っているのにようやく気がついた。


下の写真は「東京」と書いてある部分。ドイツと日本の時差は8時間。ベルリンはこのとき午後12時半だったので、東京は20時30分を示している。
面白いのは都市名の順番。ピョンヤン、東京、ソウルとなっている。やはり、同じ独裁国家に敬意を表していたのだろう。


これは、ガレリア(Galeria)というデパートのショーウィンドウ。
右はブランデンブルク門、左はベルリンの壁。ベルリンの壁は、切れ目のある部分が時々手前に倒れる仕組みなっているが、写真を撮るタイミングを逃してしまった。

例によって朝ごはんをたっぷり食べたので、あまりおなかがすいていない。
そこで、お昼はアレキサンダー駅のベーカリーショップで軽くとることにした。

モッツァレラチーズとトマトのサンド、ブレッツェルとコーヒー。ここでもブラックコーヒーはCafé Créme。フランクフルト空港で食べたブレッツェルはぱさぱさしていたが、ここのはまだもちもち感が残っていた。
西側では、バターブレッツエル(Butterbretzel)といって、ブレッツェルの横に薄く切れ目を入れてバターを挟んでいるものを売っていたが、東では見かけない。口の中に広がるブレッツェルの塩味とバターの脂分がコーヒーによく合うのだが。

昼食を終えて外に出てテレビ塔を見上げると、少し霧は晴れてきたが、まだ上の方はもやっている。
それでもせっかくだから上まで登ろうと思い、1階のチケット売り場のおばさんに、
「チケットください」と言うと、
「今日は何も見えないから登らない方がいいですよ」と親切に教えてくれた。
私はお礼を言って、「次の機会にします」と言ってその場を去った。 

列車の発車時刻は14時48分。
時間が迫ってきたので、ふたたびベルリン中央駅にもどり、地下の最下層に下りた。S-バーンの駅は最上階だが、長距離列車はすべてここから発車する。

ホームにはすでに列車が停まっていた。私が乗るのは特急なので、もっとデラックスな列車を想像していた。この列車は各駅停車だとろうと勝手に解釈して、ホームのベンチに座って次の列車が来るのを待っていたら、女性の駅員が「どこへ行くんですか」と聞いてきた。
「ドレスデンです」と言うと、「この列車ですよ」と指をさした。
なんと各駅停車と思っていたのが特急だったのだ。
女性駅員に声をかけてもらわなかったらあやうく乗りそこねるところだった。

(次回に続く)