今回の展覧会は、山種美術館の広尾開館10周年を記念して開催される特別展の第3弾。
同館の顔ともいえる御舟コレクション120点のすべてが前期後期に分けて紹介されるという超豪華な内容の展覧会です。
【展覧会の概要】
会期 6月8日(土)~8月4日(日)
前期 6月8日(土)~7月7日(日) 後期 7月9日(火)~8月4日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(ただし7月15日(月・祝)は開館、7月16日(火)は休館)
入館料 一般 1,200円ほか
ギャラリートークなどのイベントもあります。展覧会の詳細はこちらをご覧ください→山種美術館公式ホームページ
※撮影した写真は、内覧会で美術館の特別の許可を得て撮影したものです。
※今回展示されている作品はすべて速水御舟作で山種美術館蔵です。
内覧会では、山下裕二さん(公益財団法人山種美術館評議員、山種美術館顧問、明治学院大学教授)のスライドを使った見どころ解説と山﨑妙子館長のギャラリートークをおうかがいしました。
それではさっそく展示室内をご案内していきましょう。
今回山下さんのお話をおうかがいして気がついたことは、御舟が日本や中国の古典を地道に勉強して、それを自身の作品に反映させていることでした。
例えばこの作品。
第1展示室に入ってすぐにお出迎えしてくれる《春昼》。
《春昼》(1924(大正13)年) 全期間展示 |
山下さんお気に入りの《春昼》は、昼下がりの農家の軒先を描いた、一見のどかな農村のありふれた場面ですが、「入口の先の闇がぞっとする迫力」(山下さん)が感じられる作品。
入口から見える家の中にはうっすらとはしごが見えます。
そして細部を見てみましょう。
軒下には鳩が舞っていますが、国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)》(北野天満宮)に出てくる
北野天満宮の上を鳩が舞う場面を御舟が自分なりに作品に反映させたものだったのです。続いて第1章へ。
展覧会は4章構成になっていて、1894(明治27)年に生まれ、1935(昭和10)年にわずか40年の短い生涯を終えた御舟の作品がほぼ年代順に4章構成になって展示されています。
御舟は、14歳の若さで歴史画家・松本楓湖の「安雅堂画塾」に入門します。そこで学んだ古典の成果が出たのが《瘤取之巻》。
『宇治拾遺物語』にも登場する瘤取爺の説話をもとに描いたこの作品は、まるで平安時代の絵巻の模写のようですが、実際に「瘤取之巻」という絵巻はなく、これは御舟のオリジナル。
それでも、《信貴山縁起絵巻》(国宝 朝護孫子寺)や《伴大納言絵巻》(国宝 出光美術館)などで描かれた人物や草木の描写をとり入れているので、このころ御舟が古典をよく学習していたことがわかります。
《瘤取之巻》(1911(明治44)年) 前期後期で巻替あり |
いかにも平安時代の絵巻に出てきそうな姿かたちの人たちや家、それに背景の草木。
ぜひ近くでじっくりご覧になってください。
《瘤取之巻》(部分) |
この作品を前にして「これは御舟の作品ではない!作者は今村紫紅に違いない!」と思ったのですが、それもそのはず。御舟は安雅堂画塾で出会った先輩・今村紫紅の影響を受けて、大正初期に南画風の作品を描いたのです。
この頃、御舟は黄土色が好きで「黄土中毒になったが、黄土なしに描くことにしたら、今度は群青中毒になった」と語っています。木々の群青が鮮やかです。
第2章 古典への挑戦
常に新しいスタイルをめざした御舟が次に試みたのは中国・宋代の院体画でした。
院体画というと日本にも大きな影響を与えた南宋の馬遠や夏珪を思い浮べますが、もう一人忘れてはいけない人がいます。
そうです、芸術にうつつを抜かして宋(北宋)を滅亡に導いたとされる「風流天子」徽宗皇帝(在位 1100-25)です。
こちらは御舟が1923(大正12)年、29歳の時に描いた《桃花》。
御舟の長女の初節句のために描かれた作品で、枝の一部や切り取った枝を描く院体画の様式「切枝画(せっしが)」を意識しています。そして画面左端の落款は、徽宗皇帝が創出した書体・痩金体(そうきんたい)風に細い字体で書くほどの凝りようです。
とは言っても真似っこだけではないのが御舟の真骨頂。
同じ年に描いた《柿》では柿の影を描くという、院体画にはない新たな試みを行っています。
落款は痩金体にこだわっています。
金地は、金砂子を何度も撒いて整ける「撒きつぶし」によって光沢を抑えたもので、当然、金を大量に使うのですが、大倉男爵のバックアップがあったので、製作費はふんだんにあったのでしょう。
この作品の左下には撒きつぶし、金泥、箔押しのサンプルが展示されているので、ぜひ比較してみてください。
1930(昭和5)年、御舟はローマで開催された日本美術展覧会のため、横山大観らと渡欧しました。
イタリアには2ヶ月以上滞在し、ギリシャ、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、エジプトなどを歴訪した10ヵ月にわたる海外への旅は、御舟に大きな刺激を与えました。
帰国した翌年にはこんなにのびのびとした作品を描いています。
ナイル川の様子を描いた《埃及土人ノ灌漑》。
ギリシャの神殿跡を描いた《オリンピアス神殿遺址》。
この頃、御舟は黄土色が好きで「黄土中毒になったが、黄土なしに描くことにしたら、今度は群青中毒になった」と語っています。木々の群青が鮮やかです。
第2章 古典への挑戦
常に新しいスタイルをめざした御舟が次に試みたのは中国・宋代の院体画でした。
院体画というと日本にも大きな影響を与えた南宋の馬遠や夏珪を思い浮べますが、もう一人忘れてはいけない人がいます。
そうです、芸術にうつつを抜かして宋(北宋)を滅亡に導いたとされる「風流天子」徽宗皇帝(在位 1100-25)です。
こちらは御舟が1923(大正12)年、29歳の時に描いた《桃花》。
《桃花》(1923(大正12)年) 全期間展示 |
とは言っても真似っこだけではないのが御舟の真骨頂。
同じ年に描いた《柿》では柿の影を描くという、院体画にはない新たな試みを行っています。
落款は痩金体にこだわっています。
《柿》(1923(大正12)年) 全期間展示 |
中国絵画だけではありません。
昭和に入ると、御舟は琳派もしっかり押さるようになります。
琳派のアイコンといえば「梅」。
こちらはいかにも琳派風の《紅梅》《白梅》。
右から《紅梅》《白梅》(1929(昭和4)年) 全期間展示 |
この作品は山種美術館初代館長・山﨑種二氏のお気に入りの作品で、よく自宅に掛けていたそうです。
山﨑館長は、子どものころ祖父・山﨑種二氏の膝の上に乗ってこの絵を見ていたとのことですが、子ども心に「怖い感じの鋭さ」を感じたそうです。
こちらは同じく琳派風の《翠苔緑芝》ですが、ここに描かれた風景は、現実にはない何か人工的な空間のようで、「おお、シュルレアリズム!」といつも感じていた作品です。
省略と余白、大胆な構図、そして細部では左隻のウサギの飛んだり跳ねたりする姿が京都・養源院にある俵屋宗達の杉戸絵《唐獅子》(重要文化財)からヒントを得ているなど、琳派の影響はあるのでしょうが、「キュビズムを意識している」(山﨑館長)御舟の作品は琳派風であっても琳派とは一味違うようです。
《翠苔緑芝》(1928(昭和3)年) 全期間展示 この作品だけ写真撮影可です。 |
重要文化財《名樹散椿》は、1930(昭和5)年、イタリア政府主催のローマ日本美術展覧会に出品された作品です。
この展覧会は、大倉財閥の二代目、大倉喜七郎男爵がスポンサーになり、横山大観はじめ当時の代表的な日本画家たちの力作177点が出品された大規模なものでした。
この展覧会は、大倉財閥の二代目、大倉喜七郎男爵がスポンサーになり、横山大観はじめ当時の代表的な日本画家たちの力作177点が出品された大規模なものでした。
この作品の左下には撒きつぶし、金泥、箔押しのサンプルが展示されているので、ぜひ比較してみてください。
第3章 10ヶ月にわたる渡欧と人物画への試み
1930(昭和5)年、御舟はローマで開催された日本美術展覧会のため、横山大観らと渡欧しました。
イタリアには2ヶ月以上滞在し、ギリシャ、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ、エジプトなどを歴訪した10ヵ月にわたる海外への旅は、御舟に大きな刺激を与えました。
帰国した翌年にはこんなにのびのびとした作品を描いています。
ナイル川の様子を描いた《埃及土人ノ灌漑》。
そして、数多く残された街の何気ない景色をとらえた写生。
(渡欧時の写生はじめ写生の作品は前期と後期で展示替えがあります。)
こういった作品も現地の生き生きとした雰囲気が伝わってきて、心がなごんでくるのですが、10ヶ月に渡る渡欧で「海外は楽しかった!」だけですまさないのが御舟のすごいところです。
御舟は、西洋の人物画を見て日本画家のデッサン力の不足を痛感したのです。
そこで帰国後取り組んだのが、人物画への挑戦でした。
こちらは現地で描いた《ギリシャ少女像(素描)》。
御舟は、西洋の人物画を見て日本画家のデッサン力の不足を痛感したのです。
そこで帰国後取り組んだのが、人物画への挑戦でした。
こちらは現地で描いた《ギリシャ少女像(素描)》。
《裸婦(素描2)》(1933(昭和8)年) 前期展示 |
今までほとんど制作することがなかった人物画にも積極的に取り組むようになります。
こちらは朝鮮の風俗に取材した《青丘婦女抄 蝎蜅》と《日蓮上人像(模写)》。
第4章 更なる高みを目指して
御舟のあくなき挑戦はまだまだ続きます。
花の部分を着色で描くという常識とは反対に、葉の部分を着色、花びらを墨で描いている《牡丹花(墨牡丹)》。水墨の濃淡で、かえって牡丹のボリューム感が伝わってくるように感じられます。
第2展示室に移ります。
こちらにも、1935(昭和10)年、40歳の若さで亡くなる前年に描いた花の絵が展示されています。
どれも水墨が中心で色彩は抑えぎみなのですが、それぞれの草花がもつ瑞々しい生命力が伝わってくるように感じられます。
さて、ここまで御舟の作品を紹介してきましたが、今回の展覧会のクライマックスともいえる重要文化財の《炎舞》はこちらの第2展示室に展示されています。
ある時、この《炎舞》を室内に飾っていたところ、夕陽に映えた《炎舞》を見て、お手伝いさんが「火事だ!」と叫んだというエピソードを山﨑館長が紹介されていました。
それほどまでに迫力のある作品です。
ぜひ近くでご覧になっていただいて、この迫力を実感してみてください。
それほどまでに迫力のある作品です。
ぜひ近くでご覧になっていただいて、この迫力を実感してみてください。
日本や中国の古典を丹念に勉強して自分のものとしていった御舟は、確立したスタイルをいとも簡単に捨て去り、新しい境地を追求します。
「御舟は決して天才肌ではなく、どちらかというと不器用な人で、努力家だったのでは。確立した絵のスタイルをいとも簡単に捨て去り、新たなスタイルを求めていく姿は大いに学ぶべきだと思います。今回の展覧会を通じて、こういった御舟の絵に対する取組みを実感していただければ幸いです。」(山下さん)
100%御舟作品、内容充実の「速水御舟展」ですが、グッズも充実しています。
今回の新製品は《炎舞》のマルチホルダー(400円+税)。速水御舟展の図録(1300円+税)も、コンパクトな大きさですが、山種美術館所蔵の御舟作品全120点の図版が掲載されていて永久保存版です。
図録にも記載されていますが、山種美術館所蔵の御舟コレクション120点のうち《炎舞》をはじめとした105点は、経営破たんした安宅産業の御舟コレクションを1976年に一括購入したものです。
コレクションが散逸しないで山種美術館で見ることができる幸せをかみしめたいです。
速水御舟の作品にちなんだオリジナル特製和菓子もCafe椿でいただくことができます。
手前が《炎舞》をモチーフにした「ほの穂」、奥が右上から時計回りに「花の露」(《白芙蓉》)、「華王」(《牡丹》)、「まさり草」(《和蘭陀菊図》)、「緑のかげ」(《翠苔緑芝》)。(カッコ内はモチーフにした作品です。)
会期は8月4日(日)までですが、前期展示は7月7日(日)までです。
《名樹散椿》は前期のみの展示なのでご用心。
重要文化財の《炎舞》(全期間展示)と《名樹散椿》のそろい踏みを見るならまずは前期からご覧になりましょう!