毎週、麒麟がこない日曜日の夜を迎えていますが、麒麟ファンのみなさま、いかがお過ごしでしょうか。
さて、麒麟を待つ間、「ガチャガチャで乗り切ろう!」と意気込んで、NTTレゾナントが運営する「~すごい好奇心のサイト~いまトピ」にコラムを書きましたので、こちらもぜひご覧になってください。
「戦国の茶器 参」
手前右から大井戸茶碗「喜左衛門」、肩衝茶入「新田」、青磁茶碗「馬蝗絆」、
後ろ右から「瀟湘八景図尾垂釜」、唐物茶壷「金花」、
背景は「洛中洛外図」
手前右から大井戸茶碗「喜左衛門」、肩衝茶入「新田」、青磁茶碗「馬蝗絆」、
後ろ右から「瀟湘八景図尾垂釜」、唐物茶壷「金花」、
背景は「洛中洛外図」
さらにコラム掲載後には、ツィッターでいくつかの「戦国の茶器」を紹介しましたが、おかげさまで先日最終回を迎えることができました。
そこで、今までツイートした茶器をまとめて紹介したいと思います。
瀟湘八景図尾垂釜
天正6年(1578)1月1日に織田信長から明智光秀が拝領して、同月11日には光秀が自分の主催した茶会でさっそく披露したのが、側面の八面にそれぞれ瀟湘八景が鋳込まれた瀟湘八景図尾垂釜。
瀟湘八景とは、ご存じのとおり、中国・湖南省の洞庭湖の南、瀟水と湘水の合流するあたりの景勝地で、山市晴嵐、漁村夕照、遠浦帰帆、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪の八景のこと。
上の写真では小さいのでわかりにくいですが、正面は左上に塔が描かれているので「煙寺晩鐘」かな、正面右は鳥が飛んでいるので「平沙落雁」かな、正面左は右上に満月があるので「洞庭秋月」に違いないとか考えながら眺めていると、直径4㎝ほどの小さなミニチュアでも、結構楽しめます。
茶入 天下三肩衝「初花」「新田」
上の写真左が「戦国の茶器 弐」の初花。こちらは桐箱風BOXに入っていて、かなり本格的。
右は「戦国の茶器 参」の新田。こちらには朱塗りの盆と茶杓、茶杓入れ付。
肩の部分が角ばっている肩衝のフォルムも、色つやも見事です。
天下三肩衝といわれた初花、新田、楢柴。
信長は初花と新田を手に入れましたが、楢柴の入手はかなわずに本能寺の変を迎えました。
その後、この三肩衝は秀吉、家康の手に渡りましたが、楢柴は明暦の大火(1657年)で焼失したとも、どこかに持ち出されたとも言われていますが、所在不明。
「戦国の茶器」のシリーズは現存しないものも再現しているので、ぜひ楢柴もレパートリーに加えてもらいたいです。
茶入 九十九茄子
「戦国の茶器」第一弾のレパートリーから九十九茄子。
永禄11年(1568)、畿内を平定した織田信長に松永久秀が献上したとされるのが茶入れ「九十九茄子」(九十九髪、付藻茄子)。
信長、秀吉の手に渡り、大坂夏の陣で破損したものを徳川家康が修理させたという名品。
表面のつやが、漆で修繕した感じを出しています。
香木 蘭奢待
『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)P224には、信長が蘭奢待を誇らしげに切取る様子が描かれています。何しろその栄誉にあずかるのは東山殿(足利義政)以来のこと。
蘭奢待は「戦国の茶器」第1弾のレパートリー。白い付箋には、切取られた位置が印されています。
信長に仕えた太田牛一が著した『信長公記』は、「麒麟がくる」再開までの予習にピッタリ。現代語訳なのでとても読みやすいです。
完全な形で残されたものは世界に三碗しかなく、その三碗とも日本にあって国宝という貴重な茶碗。
こちらは「戦国の茶器 弐」のレパートリー。
徳川将軍家が所蔵して、その後、稲葉家に伝えらえたので稲葉天目とも呼ばれています。
中を覗くと、まるでプラネタリウムのような星空の輝き。
アップにしても耐えられるこの美しさ!
残る二碗もフィギュア化してほしいです!
国宝の三碗がほぼ同時期に公開されて話題をさらったのは、一年前(2019年)の春。
その時の様子は、いまトピのコラムで紹介してます。
国宝「曜変天目」だけじゃない!見どころ満載の「藤田美術館展」の全貌とは。
【三碗コンプリート!】国宝「曜変天目」関西~東京三館巡りの旅に行ってきた。
唐物茶壷 「松花」「金花」
天下三肩衝といわれた初花、新田、楢柴。
信長は初花と新田を手に入れましたが、楢柴の入手はかなわずに本能寺の変を迎えました。
その後、この三肩衝は秀吉、家康の手に渡りましたが、楢柴は明暦の大火(1657年)で焼失したとも、どこかに持ち出されたとも言われていますが、所在不明。
「戦国の茶器」のシリーズは現存しないものも再現しているので、ぜひ楢柴もレパートリーに加えてもらいたいです。
茶入 九十九茄子
「戦国の茶器」第一弾のレパートリーから九十九茄子。
永禄11年(1568)、畿内を平定した織田信長に松永久秀が献上したとされるのが茶入れ「九十九茄子」(九十九髪、付藻茄子)。
信長、秀吉の手に渡り、大坂夏の陣で破損したものを徳川家康が修理させたという名品。
表面のつやが、漆で修繕した感じを出しています。
香木 蘭奢待
『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)P224には、信長が蘭奢待を誇らしげに切取る様子が描かれています。何しろその栄誉にあずかるのは東山殿(足利義政)以来のこと。
蘭奢待は「戦国の茶器」第1弾のレパートリー。白い付箋には、切取られた位置が印されています。
信長に仕えた太田牛一が著した『信長公記』は、「麒麟がくる」再開までの予習にピッタリ。現代語訳なのでとても読みやすいです。
『現代語訳 信長公記』(新人物文庫) |
天目茶碗 曜変天目(稲葉天目)
完全な形で残されたものは世界に三碗しかなく、その三碗とも日本にあって国宝という貴重な茶碗。
こちらは「戦国の茶器 弐」のレパートリー。
徳川将軍家が所蔵して、その後、稲葉家に伝えらえたので稲葉天目とも呼ばれています。
中を覗くと、まるでプラネタリウムのような星空の輝き。
アップにしても耐えられるこの美しさ!
残る二碗もフィギュア化してほしいです!
国宝の三碗がほぼ同時期に公開されて話題をさらったのは、一年前(2019年)の春。
その時の様子は、いまトピのコラムで紹介してます。
国宝「曜変天目」だけじゃない!見どころ満載の「藤田美術館展」の全貌とは。
【三碗コンプリート!】国宝「曜変天目」関西~東京三館巡りの旅に行ってきた。
唐物茶壷 「松花」「金花」
天正4年(1576)、安土城にいた信長に献上された茶器がこの唐物茶壷「松花」「金花」。
名の知れわたった名物道具が献上されて、信長は大いに喜んだそうです(『現代語訳 信長公記』P283)。
このフィギュアは高さ約5㎝。他の茶器と並んでもかなり重量感あります。
「松花」は「戦国の茶器 弐」のレパートリーです。
「戦国の茶器 弐」の集合写真で見てもこの存在感!
「戦国の茶器 弐」 手前右から、紹鴎茄子、曜変天目(稲葉天目)、荒木高麗 後ろ右から香炉「三足ノ蛙」、唐物茶壷「松花」、初花肩衝 |
こちらは「戦国の茶器」第1弾の集合写真。
「戦国の茶器」 手前右から、黒樂茶碗(面影)、九十九茄子、紹鴎白天目、 井戸茶碗「細川井戸」、後ろ右が蘭奢待、左が平蜘蛛 |
平蜘蛛
爆薬を詰めた平蜘蛛を抱いて爆死したという説もありましたが、今では後世作られた俗説のようです。
松永久秀は信長に対して2回謀反を起こしました。
1回目は元亀3年(1572)。この時は久秀が信貴山城、息子の久通が奈良の多門城に籠城しましたが、天正元年(1573)冬に松永久通が多門城を明け渡して降参。
翌年1月8日、久秀が赦免のお礼として天下に二つとない名刀「不動国行」を信長に献上しています。
そして2回目が、天正5年(1577)8月17日。
この時も信貴山城に立てこもりましたが、織田軍の猛攻に会い、同年10月10日夕刻、平蜘蛛を砕いて自害したのです。
このときの織田軍には明智光秀も参戦していました。
「麒麟がくる」の登場人物たちとほぼ同時代に生きた絵師・海北友松の物語についてのコラムも書きました。
【大迫力】建仁寺のあの雲龍の正体は〇〇だった!
さて大河ドラマ「麒麟がくる」ですが、8月30日(日)から放送再開との発表がありました。
再開はとても楽しみですが、麒麟がくるまでの1カ月間、ぜひこちらの「戦国の茶器」もお楽しみいただければと思います。