東京・大田区の大田区立龍子記念館では、コラボレーション企画展「川端龍子VS.高橋龍太郎コレクション-会田誠・鴻池朋子・天明屋尚・山口晃-」が開催されています。
今回は、「会場芸術」を提唱して大画面の迫力ある作品を描いた川端龍子と、現代アートコレクター、高橋龍太郎氏が所蔵するコレクションの中からセレクトされた、第一線で活躍する現代作家、会田誠、鴻池朋子、天明屋尚、山口晃の大作の競演。
龍VS.龍の迫力ある対決が見られる展覧会です。
展覧会概要
会 場 大田区立龍子記念館(東京都大田区中央4-2-1)
会 期 2021年9月4日(土)~11月7日(日)
開館時間 9:00~16:30(入館は16:00まで)
休 館 月曜日(9月20日(月・祝)は開館し、その翌日に休館)
入館料 大人 500円、小人 250円
※65歳以上(要証明)と6歳未満は無料
※展覧会の詳細、新型コロナウイルス対策等については、同館公式サイトでご確認ください⇒大田区立龍子記念館
※展示室内は次の2点を除き撮影不可です。掲載した写真は内覧会で同館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
撮影可の作品
川端龍子「香炉峰」(大田区立龍子記念館蔵)
会田誠「紐育空爆之図 」(戦争画 RETURNS) (高橋龍太郎コレクション)
会場に入ってすぐ目の前に現れてくるのは、縦245.4m、横727.2mもある大画面の「香炉峰」。
川端龍子「香炉峰」1939年 大田区立龍子記念館蔵 |
龍子が操縦するのは零式艦上戦闘機(零戦 )の一世代前の九六式艦上戦闘機。
零戦と違って、前輪は引込み脚でなく固定脚、機銃は主翼内装備でなく操縦士の前に固定されている九六式艦上戦闘機の特徴をよくとらえていますが、機体はなぜか半透明。
昭和14(1939)年、日中戦争に従軍した龍子が、海軍の偵察機に乗り香炉峰の周辺を空から見た時の体験をもとに描いた作品ですが、左遷されて香炉峰のふもとに草堂を設け、詩作に没頭した唐時代の詩人・白居易(白楽天)に思いをはせて、あえて香炉峰が見えるように透明にしたのでしょうか。
この大迫力の作品と対決するのが、ニューコークのマンハッタンに襲いかかる零戦と、炎をあげる摩天楼を描いた会田誠の大画面の屏風。戦闘機を透明に描いた龍子に対して、零戦はまるで螺鈿のように輝いています。
冒頭から「会場芸術」と現代アートが花火を散らす展開です。
八の字に舞う零戦は加山又造の《千羽鶴》、街並みは「洛中洛外図」を参照して制作されたこの作品は、古典と現代が混ざり合った不思議な雰囲気が感じられます。燃え盛る炎もまるで平安時代の絵巻の地獄絵図を見ているかのようです。
戦後40年以上たって描かれた「戦争画」を、現代の私たちはどのように受け止めればよいのでしょうか。
ちなみに今年(2021年)は9・11同時多発テロから20年目にあたりますが、この作品はその5年前に描かれたものです。
続いて、対米開戦から1年余り経過した昭和18(1943)年4月、劣勢を挽回するためソロモン諸島での航空作戦を陣頭指揮した山本五十六連合艦隊司令長官の肖像画。
昭和18(1943)年4月18日、士気高揚のため前線に向かった山本長官は、搭乗していた一式陸攻が待ち構えていた双胴のP-38戦闘機隊によって撃墜され戦死しました。
当時、日本軍の暗号は米軍によって解読されていて、山本長官の行動はすべて米軍に筒抜けだったので、完璧な狙い撃ちでした。
二度のアメリカ駐在の経験からアメリカの国力の強さを知り、誰よりも対米開戦を避けたかった山本長官ですが、それがかなわずアメリカと対峙しなくてはならない立場にいた山本長官の無念さを感じずにはいられない作品です。
そういった意味で、この山本長官の肖像画は、今回の展覧会の中で強く印象に残った作品の一つでした。
昭和19(1944)年になると、7月にはサイパン島が陥落し、さらに戦局は悪化。
「水雷神」に描かれた、魚雷を担ぎ前に進める筋骨隆々とした三人の青年たちは、まるで十二神将のような憤怒の表情をしていて、画面全体から悲壮感が伝わってくる作品です。
このように古典に依拠しつつも新しいものを生み出そうとした龍子の「会場芸術」は、「現代アート」と相通ずるものがあるのかもしれません。
会場には川端龍子の作品と現代作家の作品が並んで展示されているのですが、どちらかの作品が押されてしまっているとか、お互いに相容れないということはなく、まったく違和感なく展示されているように感じられました。(もちろん作品のセレクトは大変だったと思いますが。)
右から、川端龍子「爆弾散華」1945年、「百子図」1949年 いずれも大田区立龍子記念館蔵、 鴻池朋子「ラ・プリマヴェーラ」2002年 高橋龍太郎コレクション |
「爆弾散華」は、終戦2日前の昭和20(1945)年8月13日の空襲で龍子の邸宅に爆弾が落とされ、自家菜園の野菜が爆風で吹き上げられた時の様子を描いた作品。
「百子図」は、戦後、インドから上野動物園に贈られたゾウと遊ぶ子どもたちを描いた作品。
そして、終戦間際の悲劇と戦後の平和を象徴する龍子作品の隣に展示されているのは、鴻池朋子の「ラ・プリマヴェーラ」。
一見したところ、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ(春)」を思わせる春の花が咲き乱れるのどかな草原のように見えますが、空に舞うのは無数のナイフ、そして少女の周りに飛んでるのは人間の脚が生えたハチ。何か不穏な予感を感じさせられる作品です。
【龍子公園のご案内】
隣接する龍子公園では、龍子設計のアトリエと旧宅を開館日にご覧いただけます。
ご案内時間(1日3回) 10:00 11:00 14:00から開門
※当面の間は、解説つきの案内は中止とし、解説文をお配りし、30分間の自由見学となります。
会場に戻ります。
龍子が、昭和13(1938)年、陸軍嘱託画家として内モンゴルを訪れ、モンゴル高原で取材を行って描いたのが「源義経(ジンギスカン)」。
平泉で死んだのではなく、蝦夷地に逃れ、さらに大陸に渡ってジンギスカンになったという「義経伝説」に基づいた作品ですが、雄大なモンゴル平原と壮大な義経伝説は、スケールの大きな龍子にぴったりのテーマではないでしょうか。
川端龍子「源義経(ジンギスカン)」1938年 大田区立龍子記念館蔵 |
その隣には龍子が描いた武将のスケッチ、と思ったら実は山口晃作「五武人圖」。
いやはやなんとも、それほどまでに龍子と現代作家の作品はしっくりくるのです。
山口晃「五武人圖」2003年 高橋龍太郎コレクション |
ちなみに、上の写真一番左の武人の左中ほどに飛び出ている細い棒のようなものは、フレームが壊れているのでなく、刺さった矢を表しているのだそうです。
同じく山口晃の合戦の図。
甲冑に身を固め、馬に乗った武士たちのかたわらには洋服を着た現代人、弓矢もあればクレーンや電信柱もあって、時空を超えた合戦が繰り広げられています。