2025年2月27日木曜日

根津美術館 特別展「武家の正統 片桐石州の茶」

東京・南青山の根津美術館では特別展「武家の正統 片桐石州の茶」が開催されています。

展覧会チラシ

今回の特別展は、小堀遠州(1579-1647)や古田織部(1544-1615)のような武将茶人のビッグネームほどは知られていなくても、江戸時代の茶道史上に極めて重要な位置を占めた片桐石州(1605-73)に焦点を当てた展覧会です。
茶の湯の展覧会はこれまで各地の博物館・美術館で開催されていますが、独自の石州流の茶道を開いた片桐石州の名を冠した展覧会は、根津美術館での今回の特別展が初めて。
没後350年を経て顕彰するこの機会に、石州と石州流の茶の湯の魅力をぜひともお楽しみいただきたいです。

それではさっそく展覧会の様子をご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


開催期間  2025年2月22日(土)~3月30日(日)
     (会期中、前期(2/22-3/9)と後期(3/11-3/30)で一部作品の展示替え、頁替え等  
      があります。文中、記載のない作品は通期展示です。)
開催時間  午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日   毎週月曜日、ただし2月24日(月・振替休)は開館し、翌25日(火)は休館
入館料   オンライン日時指定予約
      一般 1500円、学生 1200円
      *当日券(一般1600円、学生 1300円)も販売しています。同館受付でお尋ね
                    ください。
      *障害者手帳提示者および同伴者は200円引き、中学生以下は無料
展覧会の詳細、オンライン日時指定予約、スライドレクチャー等の情報は同館公式サイトをご覧ください⇒根津美術館          

*展示室内及びミュージアムショップは撮影禁止です。掲載した写真は記者内覧会で美術館より特別に許可を得て撮影したものです。

展示構成
 1 茶人・片桐石州
 2 石州をめぐる人々
 3 石州の茶の湯
 4 石州の茶の広がり


1 茶人・片桐石州


展示室に入ってすぐにお出迎えしてくれるのは、従五位下石見守に叙任された石州が礼装である束帯を身に着けた姿で描かれた「片桐石州像」。
石州にゆかりの深い大徳寺芳春院の11世・真巌宗乗(1721-1801)が、石州の百回忌のために描かせたものです。
石州は石見守なので「石州」と呼ばれ、大和国(現・奈良県)小泉藩第2代藩主でした。わずか1万3千石の小国ながらも、れっきとした大名だったのです。

片桐石州像 洞月筆 真巌宗乗賛 日本・江戸時代 明和4年(1767)
芳春院蔵 前期展示(2/22-3/9)
後期(3/11-3/30)には、「片桐石州像 原在中筆 宙宝宗宇賛 
日本・江戸時代 文化9年(1812) 芳春院蔵」が展示されます。 


石州の茶の湯の師は、戦国武将・桑山重晴の三男・宗仙(1560-1632)で、石州とは江戸屋敷も国許も近かったというご縁もありました。
宗仙は千利休の長男・千道安の弟子で、利休流の侘茶を継承した茶人でした。


2 石州をめぐる人々


石州は、寛永10年(1633)、29歳のとき、徳川家の菩提所、京都・知恩院再建の作事奉行を任じられ、以降、落成までの約8年間、京都に滞在しました。それが、大徳寺芳春院の開祖・玉室宗珀、小堀遠州、千利休の孫・元伯宗旦、大徳寺高林庵・慈光院の開祖・玉舟宗璠といった上方の文化の担い手たちとの交流を行う機会になったのです。

玉室宗珀は石州の参禅の師で、石州は芳春院の隣に片桐家の菩提寺・高林庵を建立し、玉室の法嗣(師から仏法の奥義を伝えられた弟子)・玉舟宗璠を開山に迎えました。
今回の特別展では、石州から高林院に譲られた釜が展示されています(現在は芳春院が所蔵、下の写真中央)。


「2 石州をめぐる人々」展示風景
手前が 重要美術品 闘鶏図真形釜 日本・室町~桃山時代
16世紀 芳春院蔵

ほかにも石州が国許の小泉の屋敷に遠州風の茶室をしつらえたほど憧れていた大名茶人・小堀遠州に茶入について意見を求めたことがうかがえる遠州の書状も展示されています。
石州が取り上げた茶入について、遠州は、蓋はよく合わせられ、仕覆はことのほか見事な裂である、と誉めているので、石州の喜ぶ姿が目に浮かんでくるようです。
筆者のような素人ではくずし字は読めないので、パネルで原文が表示されているのがうれしいです。

書状 片石州宛 小堀遠州筆 日本・江戸時代 17世紀
大和文華館




3 石州の茶の湯


今回の特別展の大きな見どころの一つが、現在ではそれぞれ所蔵元が異なる石州愛蔵の3つの瀬戸茶入(※)が揃って展示されていることです。
(※)下の写真右から茶入及びその付属品
 尻膨茶入 銘 夜舟 日本・桃山~江戸時代 16~17世紀 根津美術館
 肩衝茶入 銘 奈良 日本・江戸時代 17世紀 個人蔵
 肩衝茶入 銘 八重垣 日本・江戸時代 17世紀 愛知県美術館(木村定三コレクション)  
 

「3 石州の茶の湯」展示風景

およそ200回の記録が残されている石州の茶会の中でも注目は、江戸の上屋敷で行われた連会で、道具はほぼ固定して、客組を変えて多数の客を招いて開かれました。
客の中心は、大老、老中を筆頭とした大名から旗本、大徳寺の僧侶など幕府の関係者が多くを占めたのが特徴で、「夜舟」「奈良」「八重垣」は連会でも用いられたため、この3つの茶入は石州の茶会での使用回数の7割を占めていました。

茶道具の展覧会では、茶入だけが単独で展示されるることが多いのですが、石州愛蔵の3つの瀬戸茶入は、茶入を覆う仕覆(しふく)、象牙の牙蓋(げぶた)、内箱、外箱などが並んで展示されているので、仕覆の裂の文様や、牙蓋の形の違いなども楽しむことができます。

ここで注目したいのは、「尻膨茶入 銘 夜舟」の牙蓋。
下の写真、右の牙蓋の下の木型には「小遠」と書かれていますが、これは小堀遠州のことで、武家茶人の大先輩・遠州に対する石州の憧れの強さをここでも見ることができます。
 
「尻膨茶入 銘 夜舟」の付属品


石州一世一代の晴れ舞台は、寛文5年(1665)11月8日、江戸城の黒書院で四代将軍徳川家綱に献茶をしたことでした。
その際、道具は将軍家の名物茶道具「柳営御物」の中から選ぶことを許され、これによって石州の評価が定まり、武家茶道における地位を確立したのです。
今回の特別展では、家綱への献茶の時に床の間に掛けられた掛軸と、献茶に用いられた茶入が展示されています。
掛軸の前に畳がしつらえられていて、当時の様子がしのばれます。将軍様を前に石州はどれだけ緊張したことでしょうか。その時の石州の姿を思い浮かべると、手に汗を握って応援したくなる気持ちになりました。

右 重要文化財 無準師範墨蹟 帰雲 中国・南宋時代 13世紀 MOA美術館
左 唐物肩衝茶入 銘 師匠坊 中国・南宋時代 12~13世紀 出光美術館



4 石州の茶の広がり



江戸幕府に認められた石州の茶の湯は、幕末に至るまで全国で細かく分派して広まり、石州流は、徳川政権下の「武家の正統」になったと言えます。
ここでは石州流の書や、江戸後期の大名茶人として知られる松平不昧はじめ石州流の茶を学んだ茶人たちゆかりの茶道具などが展示されています。

「4 石州の茶の広がり」展示風景

井伊直弼が、自身の一派の創立を宣言し、それが名門石州流に連なることを述べている文書も展示されています。
意外と言っては失礼ですが、日米修好通商条約を締結して開国を断行し、筆者にとっては地元・横浜発展の基礎を築いてくれた功労者というイメージが強い井伊直弼が、茶の湯に深く傾倒していたことは初めて知りました。

重要文化財 入門記 井伊直弼筆 日本・江戸時代 弘化2年(1845)
彦根城博物館 前期展示(2/22-3/9)
後期(3/11-3/30)には、「重要文化財 茶湯尋書 井伊直弼・片桐宗猿筆
日本・江戸時代 嘉永2年(1849) 彦根城博物館」が展示されます。


同時開催


展示室5 百椿図ー江戸時代の椿園芸ー


毎年恒例となった「百椿図」が今年も展示されています。

百椿図(部分) 伝 狩野山楽筆 日本・江戸時代 17世紀
茂木克己氏寄贈 根津美術館 



江戸初期の椿ブームを背景に制作された「百椿図」が、今回は、公家日記や園芸書にうかがわれる椿園芸の様子や、明治~昭和時代の陶芸家・板谷波山の「彩磁椿文香炉」とともに展示されています。

彩磁椿文香炉 板谷波山作 日本・大正時代 20世紀
三嶋英子氏寄贈 根津美術館


展示室6 春情の茶の湯


展示室6では、春らしく、草木が芽吹くこの季節にちなんだ華やかな雰囲気の茶の湯の一席が楽しめます。

展示室6 展示風景

中でもおすすめは、「彫三島茶碗 銘 九重」。
「彫三島」とは、檜垣上の線刻を彫り、そこに白土を施して文様をあらわしたもので、この茶碗のように印花で花文が散らされているタイプは、特に春に好まれています。
花の文様や表面の凹凸をぜひ近くでご覧いただきたいです。

彫三島茶碗 銘 九重 朝鮮半島・朝鮮時代 16世紀
根津美術館    



ミュージアムショップ 新商品のご案内



暗がりの中から石州愛用の茶入や、石州自作の茶杓が浮かび上がってくる表紙のデザインがかっこいい特別展図録は、展示作品のカラー図版はもちろん、片桐石州や石州流に関する文献資料などを掲載しているので永久保存版です。
茶会の参加者を、経済学で所得や資産の分配を分析するときに用いられるジニ係数やパレート数で分析する論文は初めて見ました!


特別展図録「武家の正統 片桐石州の茶」(税込2,500円)



根津美術館が所蔵する重要文化財「肩衝茶入 銘 松屋」の仕覆に使われている「龍三爪緞子」を忠実に復元した裂地を用いた珠光緞子(しゅこうどんす)のシリーズに、新たに3つの新商品が加わりました。

 カード入れ  税込10,000円
 ポーチ    税込16,000円
 PCケース    税込25,000円

現代によみがえった珠光緞子を毎日の暮らしの中でお楽しみいただくことができます。

ミュージアムショップ


今回の特別展は、これまで注目されることが少なかった石州と石州流の茶の湯の世界が見られる貴重な機会です。
この春おすすめの展覧会です。

2025年2月19日水曜日

泉屋博古館東京 企画展 花器のある風景        同時開催 受贈記念「大郷理明コレクションの花器」  

東京・六本木の泉屋博古館東京では企画展 花器のある風景  同時開催 受贈記念「大郷理明コレクションの花器」 が開催されています。


泉屋博古館東京エントランス

展覧会開催概要


会 期  2025年1月25日(土)~3月16日(日) 
開館時間 11:00~18:00 ※金曜日は19:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日、2/25(火) ※2/24(月・休)は開館
入館料  一般1,200円、学生600円、18歳以下無料
※展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式サイトをご覧ください⇒泉屋博古館東京

展示構成
 第一章 描かれた花器
 第二章 茶の湯の花器
 第三章 受贈記念「大郷理明コレクションの花器」
 第四章 花入から花瓶へー近代の花器ー

※撮影はホール内のみ可能です。館内で撮影の注意事項をご確認ください。
※掲載した写真は主催者より広報用画像をお借りしたものです。


今回の企画展は春を迎えるのにふさわしい花器をテーマにした展覧会。住友コレクションの花器と花器が描かれた絵画、同時開催として、近年、華道家・大郷理明氏より泉屋博古館に寄贈されたことを記念して「大郷理明コレクション」の花器が展示されるという豪華版です。
*大郷理明コレクションのみ会期中一部展示替えあり

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。


第一章 描かれた花器


今回は花器の展覧会なので、花器を中心に愛でるのかなと思っていたのですが、展示室1に入っていきなり驚きました。
視界に入ってくるのは、花、花、花。
第1章に展示されているのは、住友コレクションを中心とした、花をいけられた花器の絵画作品だったのです。

特に驚いたのは、江戸後期の画家で、原派の祖、原在中(1750-1837)と在中の次男で原派を継いだ原在明(1778?-1844)の合作《春花図》。
タイトルからして今の季節にぴったりなのですが、この作品の大きさにも圧倒されました。
今回の企画展のメインビジュアルになっているのもうなずけます。
どれだけ大きいかはぜひその場で体感してみてください。

原在中・在明《春花図》江戸時代・19世紀 泉屋博古館


展示室1に入ってすぐに展示されているのは、幕末から明治時代にかけて活躍した村田香谷(1831-1912)の絵巻物《花卉・文房花果図巻》。

村田香谷《花卉・文房花果図巻》(部分)明治35年(1902) 泉屋博古館東京

鑑賞用に栽培する花卉だけでなく、太湖石、青銅器、机や衝立、硯に墨などの文房具が描かれ、さすがに清に渡って絵画を勉強した香谷らしい上品な中国趣味が感じられる作品です。
ガラス製の水槽に入ったくりっとした目の金魚が可愛い!


名前からして今回の展覧会にふさわしい椿椿山(つばき・ちんざん 1801-54)は、得意とした花鳥画の作品もさることながら、その生きざまにはいつも感服している江戸時代末期の文人画家なのです。

椿椿山《玉堂富貴図》江戸時代・天保11年(1840)
泉屋博古館


椿山は、師・渡辺崋山が蛮社の獄で逮捕されたあと、自らの危険を顧みず崋山の赦免運動の中心となるという気概のある人でした。
椿山の作品を前にすると、自分は椿山のような立場になったら同じように行動できるだろうかと、いつも作品の前で自問自答してしまうのです。

花がいけられた花器の絵画作品はまだまだ続きます。
江戸時代後期の南画家で、浦上玉堂の長子、浦上春琴(1779-1846)は精緻な花鳥画を得意としていました。

浦上春琴《蔬果蟲魚帖》江戸時代・天保5年(1834) 泉屋博古館



第二章 茶の湯の花器



展示室2は展示室1とはがらりと変わり、茶の湯に親しんだ住友家十五代当主友純(春翠)氏が催した茶会で用いられた花器が畳の上に展示されていて、掛け軸もかかっているので、茶室にいるような落ち着いた雰囲気が広がっています。

春翠氏は、江戸時代初期の大名茶人、小堀遠州ゆかりの作品を好み、収集しましたが、その代表格が《古銅象耳花入 銘キネナリ》でした。
その名が表すとおり、中国古代青銅器に倣い元時代に制作されたもので、筒状の胴部には饕餮文(とうてつもん 古代中国の想像上の怪獣の文様)風の怪獣文が施され、把手は象の鼻でかたどられています。
下部の丸みがどっしりとした安定感を醸し出しています。

《古銅象耳花入 銘キネナリ》元時代・14世紀
泉屋博古館東京


頸から胴部にかけての節を筍に見立てた青磁は、中国の龍泉窯製の花入で、日本では「砧青磁」として茶人たちに珍重されました。

《青磁筍花入》南宋~元時代 13-14世紀
泉屋博古館東京

見るからに壊れやすそうな花入《砂張舟形花入 銘松本船》は、展示するのに大変な苦労があったと思います。
砂張とは銅に錫と鉛を加えた合金で、茶の湯では東南アジア製のものが特に好まれました。この花入は、室町時代の茶人、村田珠光の高弟、松本珠報が所持したことから「松本船」と称されています。


《砂張舟形釣花入 銘松本船》15-16世紀


青銅、青磁、砂張と、それぞれ特徴のある花入と並んで、筑前・高取内ヶ磯窯から同型の器が発掘され、江戸時代前期(1620-30年代)頃の作と考えられるこの花入には、裏面上部に掛花入としても使用できる金具がつき、下部には安土桃山~江戸時代初期の武将茶人・古田織部とされる花押があるので、作品横の写真付きの解説パネルとあわせてご覧いただきたいです。

《高取花入 銘出山》江戸時代前期・17世紀
泉屋博古館東京


第三章 受贈記念「大郷理明コレクションの花器」


展示室3では今回の受贈を記念して「大郷理明コレクション」が一挙に公開されています。
今回寄贈された「大郷理明コレクション」94点の中核をなすのは69点の銅花器で、近世から受け継がれてきた近代の伝統的鋳金工芸の名品がずらりと並ぶ展示風景は、まさに壮観の一言です。


重たい荷物にけなげに耐えている牛の姿が印象的な《紫銅牛形薄端》は、加賀の鋳金家、横河九左衛門による紫銅(=青銅)の薄端(=薄手の金属製の花器で取り外しのできる浅い上皿がついているもの)。
横河九左衛門《紫銅牛形薄型》19世紀 大郷理明コレクション
泉屋博古館


おめでたい松竹梅を象った寸筒は明治時代に活躍して、東京美術学校鋳金科(現東京藝術大学工芸科鋳金研究室)創設者のひとり大島如雲の作。


大島如雲《松竹梅図寸筒》19-20世紀
大郷理明コレクション 泉屋博古館 
    
いままで近代銅花器はあまり見たことがなく、展示されている作品の作者もなじみのない方ばかりでしたが、今回の展示は近代銅花器の素晴らしさを実感できるとても良い機会になりました。


第四章 花入から花瓶へー近代の花器ー


明治時代には、花瓶という新たな形が欧米から伝わり、これまで伝承されてきた技術力や美意識を継承しながら、日本の花器は様々な形のものが作られました。
第四章では、海外で人気を博した近代日本の花器の名品が、中国・清時代の花器や、大正・昭和時代の洋画界の巨匠、梅原龍三郎が描いた花器の作品とともに展示されています。


幹山伝七《色絵花鳥文花瓶》明治時代・19世紀 泉屋博古館東京



ホールの作品は撮影可です。初代宮川香山の花器や参考資料を来館記念にぜひパチリ!

ホール展示風景




ホール展示風景

春を迎えるのにふさわしい、とても明るい雰囲気の展覧会です。
おすすめです!





2025年2月15日土曜日

大倉集古館 企画展「武士の姿・武士の魂」

東京・虎ノ門の大倉集古館では、企画展「武士の姿・武士の魂」が開催されています。


大倉集古館外観

今回の展覧会は、平安時代後期以降、歴史の舞台に上り、のちに国を支配するに至った武士たちの戦(いくさ)の様子を描いた合戦図、武士の姿を描いた武人肖像画、武力や権力を象徴する鷹を描いた鷹図はじめ、同館所蔵の名品を中心に武士の姿を描いたさまざまな作品が見られる展覧会です。
そして今回は武士の時代にちなんで、鎌倉時代から江戸時代の同館所蔵の名刀5件も展示されているので、刀剣ファンも見逃すわけにはいきません。

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


会 期  2025年1月28日(火)~3月23日(日)
   前期 1月28日(火)~2月24日(月・休)
   後期 2月26日(水)~3月23日(日)
開館時間 10:00~17:00 *金曜日は19:00まで開館(入館は閉館の30分前まで)
休館日  毎週月曜日(ただし2月24日(月)は開館)、2月25日(火)
入館料  一般 1,000円、大学生・高校生 800円、中学生以下無料
*展覧会の詳細、ギャラリートーク、各種割引等は同館公式サイトをご覧ください⇒https://www.shukokan.org/ 

*展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は、取材で主催者より許可を得て撮影したものです。


第1章 武者の姿と武具


第1章の大きな見どころのひとつは、なんといっても大倉集古館所属作品の中でも異彩を放つ《洞窟の頼朝》(重要文化財)。今回の企画展のメインビジュアルになっていて、明治時代後期から昭和にかけて活躍した日本画界の巨匠・前田青邨(1885-1977)の代表作ともいえる作品です。

左から 重要文化財《洞窟の頼朝》前田青邨 昭和4年(1929) 大倉集古館蔵
《赤絲威大鎧(複製)》平成2(1990)年(原品:平安時代 12世紀)
千葉県立中央博物館 大多喜城分館蔵
《御嶽神社赤威冑》前田青邨 昭和31(1956)年頃 東京国立近代美術館蔵
いずれも通期展示


《洞窟の頼朝》は、前田青邨が「十二神将が薬師如来を守護している厳粛な感じ」を描きたいという動機から、源頼朝が平氏打倒を旗印に挙兵したものの、石橋山の戦いに敗れ、洞窟に身を潜めたとされる伝承を思い出して描いたと語る作品で、展示にも工夫が凝らされていています。

並んで展示されているのは、《洞窟の頼朝》で頼朝が着用した鎧のモデルとなった武蔵御嶽神社(青梅市)が所蔵する国宝《赤絲威大鎧》の複製で、一番右は国宝《赤絲威大鎧》の冑(かぶと)を現地で写生した青邨が、昭和32年、限定本『日本の冑』を発行するにあたりスケッチし直した《御嶽神社赤威冑》(東京国立近代美術館蔵)。
甲冑を愛好した青邨が実際に御岳山にのぼり冑を写生をしたくらいですから(筆者も以前現地に行って拝見してきました)、この作品の制作にかけた意気込みが伝わってくるようです。さらに、複製の鎧と《洞窟の頼朝》を同時に見ていると、《洞窟の頼朝》の鎧が立体的に見えてくるから不思議です。

後期には安田靫彦(1884-1978)の重要文化財《黄瀬川陣》(東京国立近代美術館蔵)が展示されて、青邨と靫彦という二人の近代日本画界の巨匠による源頼朝像の競演が見られるので、こちらも楽しみです。


重要文化財や重要美術品の短刀とともに《楠公図》が展示されているのを見つけました。
作者は江戸時代前期の土佐派の画家・土佐光成(1647-1710)。

右から 重要美術品《短刀 銘 相州住秋廣/應安三》南北朝時代・応安3年(1370)
重要文化財《短刀 銘 則重》鎌倉時代・14世紀
《楠公図》土佐光成 江戸時代・17-18世紀 いずれも大倉集古館蔵
《修羅道》前田青邨 昭和時代・20世紀 個人蔵
いずれも通期展示


楠公とは、鎌倉時代末期~南北朝時代の武将で、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐に応じて挙兵した楠木正成のことで、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政に反旗を翻した足利尊氏の軍勢に摂津国(現・兵庫県)湊川で破れ、自刃する運命をたどりました。
この作品では、九州から東上して水陸両方から攻めてくる足利尊氏の大軍に対して、劣勢を覚悟しつつも敢然と立ち向かう正成の姿が描かれています。
明治維新から太平洋戦争の敗戦まで、尊氏は逆臣、楠木正成は忠臣の鑑とされていたことは知っていましたが、君主に忠誠を誓った正成は、江戸時代においても智仁勇を兼備した武将として儒学・兵学において顕彰の対象とされていたことを今回新たに「発見」しました。


自分にとっての新たな「発見」があるのも展覧会の大きな楽しみのひとつですが、今回のもうひとつの「発見」は、小山栄達(1880-1945)でした。

《吉野山合戦(大塔宮と村上義光)》小山栄達 大正~昭和・20世紀
㈱サンキュー蔵 前期展示



小山栄達は主に官展で歴史画、武者絵を描いて活躍した日本画家で、今回の企画展では、鎌倉幕府軍に包囲された護良親王(大塔宮)が最期を感じ酒宴を催す場面(左隻)、大塔宮を逃がす村上義光の姿を描く場面(右隻)からなる《吉野山合戦》(上の写真)のほか、《源義家雁行乱知伏兵》、昭和11年12月から17年4月まで発行された「子供が良くなる」と謳われた豪華絵本『講談社の絵本』で、日中戦争勃発後に死を賭した英雄や忠臣像を栄達が描いたページが展示されています(下の写真)。

手前 『講談社の絵本:加藤清正』昭和12年(1937)、奥『講談社の絵本:忠臣 菊池武時』
昭和16年(1941) どちらも大日本雄弁会講談社発行、個人蔵 通期展示


小山栄達の最期もまたすさまじく、太平洋戦争の敗戦が大きなショックとなり、敗戦当日からいっさい口を閉ざし、3日後の昭和20年(1945)8月18日に死去したといわれています。
作品だけでなく、自身も最後まで忠臣を貫いた日本画家だったのです。



第2章 鷹図の世界


第2章では、武力と権力の象徴とされる鷹をクローズアップした作品が展示されています。

《鷹図》曽我二直庵 江戸時代・17世紀 12幅のうち
個人蔵 場面替えあり

この《鷹図》は、もとは屏風絵であったものを掛軸に改装したもので、もとの並び順は不明とのことですが、とても興味深かったのは、1~3歳のオオタカが描き分けられていることでした。
あどけなさを残した1歳から、きりっと引き締まった表情になっていく3歳までの掛軸が並んでいるので、その成長ぶりがよくわかります。
なお、1~2歳までのオオタカは前期のみで、狩りの様子や描かれることが珍しいハヤブサの姿は後期展示ですので、やはり前期後期とも見ないわけにないきません。

また、ここでも新たな「発見」がありました。
曽我二直庵(生没年不明)は、江戸時代の初期に活躍して武家好みの鷹図を得意とした絵師で、曽我派は鷹図流行の立役者だったと考えられていますが、5代将軍徳川綱吉(1646-1709)の生類憐みの令で鷹狩が中止されたことで、鷹図の需要がなくなり没落したと考えられています。
生類憐みの令は、綱吉が戌年生まれだからということで犬だけを大切にした印象がありますが、綱吉の時代には何度となく生類憐みの令が出され、鳥類・魚類・牛馬はじめ広い範囲に対象が広まったので、寛政の改革や享保の改革の時の質素倹約令と同じく、綱吉の動物愛護策まで江戸絵画の世界に大きな影響を及ぼしていたのでした。

鷹狩が復活したのは8代将軍徳川吉宗(1684-1751)の世になってからでした。
復活後の大掛かりな鷹狩は武士の威厳をふたたび誇示しているようにも見えますし、獲物を捕らえた鷹も武士の強さをひときわ強調するように描かれています。こういった作品も時代背景を意識しながらご覧いただくとひと味違って見えてくるかもしれません。

展示風景


洋風の展示室内のおしゃれな装飾の中、鷹図が続きます。中には笑顔でほほ笑む鷹もいるのでぜひ探してみてください。

展示風景

受付でいただいた8ページオールカラーの企画展パンフレットは興味ある情報がいっぱい。
鑑賞のお供にぴったりです。





展覧会の思い出にミュージアムグッズを購入するのも展覧会の楽しみのひとつです。
今回はミュージアムショップで、ガチャガチャファンとしては素通りできないものを発見してしまいました。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信はじめ名だたる戦国武将の甲冑シリーズです。
今回ゲットしたのは織田信長の甲冑でした。
机の上にお気に入りの甲冑を飾ってみてはいかがでしょうか。ミュージアムショップにもぜひお立ち寄りください!



まだまだ寒い日が続いていますが、この春おすすめの展覧会です。
後期には大倉集古館が所蔵する3件の国宝のうちのひとつ、《随身庭騎絵巻》(鎌倉時代・13世紀)が展示されるので、前期後期ともぜひ!

2025年2月1日土曜日

国立歴史民俗博物館 企画展示「時代を映す錦絵ー浮世絵師が描いた幕末・明治ー」

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)(※以下歴博)では、企画展示「時代を映す錦絵ー浮世絵師が描いた幕末・明治ー」が2025年3月25日(火)~5月6日(火・休)に開催されます。

浮世絵の展覧会は毎年、各地の美術館・博物館で開催されますが、今回、歴博で開催されるこの企画展示は、江戸時代末期から明治初期にかけての、戊辰戦争などの戦争や動乱、大地震、疫病の流行、多くの人々を集めた寺社の開帳や見世物、人々を熱狂させた流行現象など、激動する時代の諸相を描いた錦絵を、その歴史資料的側面に光を当てて展示するという、歴博ならではの展覧会なのです。

特に焦点を当てているのは、この時代に出てきた「風刺画」というジャンル。
少なくとも今の日本では政府を批判する絵を描いてもお咎めを受けることはないでしょうが、いくら幕末期には威信が落ちたとはいえ幕府を直接批判してはただでは済まないでしょうから、規制をかいくぐった表現で幕府を風刺する作品が人気を博したのですが、見ている現代の私たちは「そこまでやって大丈夫?」というスリリングな気分が味わえるという楽しみ(?)もあるかもしれません。


この記事で最初にご紹介するのは、「風刺画」というジャンルが成立するきっかけとなった歌川国芳の《源頼光公館土蜘作妖怪図》。


《源頼光公館土蜘作妖怪図》歌川国芳画 天保14年(1843)
国立歴史民俗博物館蔵

出版されたのは老中・水野忠邦が行った天保の改革の時。
描かれているのは、平安中期の武将で、大江山の酒呑童子を退治した伝説で知られる源頼光と部下の四天王の面々。
右上の病にふしている源頼光の枕元で法師に化けた土蜘蛛が無数の妖怪を出現させて頼光と四天王を悩ませている図で、妖怪変化らは改革で罰せられた人々や禁止された業種の人々の恨みの化身、そして、頼光は将軍・徳川家慶、その右の卜部季武は水野家の家紋・沢瀉(おもだか)紋の衣装をまとっているので水野忠邦を暗示していると当時の人たちの間で大評判になりました。
しかしながら、さすがにこれはまずいと思った版元は、筆禍をおそれこの図を回収して、版木を処分したという顛末がありました。

《本展のみどころ》 
⚫ 「源頼光公館土蜘作妖怪図」をはじめ、あの歌川国芳、河鍋暁斎、三代歌川広重も描い  
 た風刺画も登場! 
⚫ 写楽や歌麿だけが錦絵じゃない!マニアックな錦絵が勢ぞろい! 1点ずつ解説つきの風
 刺画の展示は歴博ならでは
⚫ 民衆の中に息づき、爆発的な広がりをみせた時事錦絵を通し、江戸時代末期以降のリア
 ルな流行現象、民俗、文化、人々の関心事を総覧
⚫ 「夏の夜虫合戦」など歴史的な出来事になぞらえた、なぞ解き絵のような風刺画より、
 ユーモラスに明るく出来事をとらえる大衆文化をみる
⚫ 明治のはじめ、人々が動物に熱狂! この世相を写したユニークなウサギをネタにした錦 
 絵「かつぽれかへうた」も紹介



1 風刺画の基盤


江戸末期に流行した風刺画や時事を扱う錦絵は、当時の出版規制の対象でしたので、あからさまな表現を避け、さまざまな工夫をもとに風刺や時事を扱ってその意図を伝えていました。
歌川貞益の《道化手遊合戦》に描かれているのは犬張子に乗った猿、五月幟から抜け出した鐘馗、鯛車に乗った鎧武者などの玩具類ですが、中央には小児の疱瘡・麻疹に霊験ありとされた半田稲荷の旗を手にする狐がいるので、当時流行した疫病退散の意味が込められているのかもしれません。

《道化手遊合戦》 歌川貞益画 天保14~弘化3年(1843~46)
国立歴史民俗博物館蔵


2 風刺画の登場


《源頼光公館土蜘作妖怪図》の大ヒットを生んだ歌川国芳の《浮世又平名画奇特》は、現在の滋賀県・大津の追分、三井寺の周辺で売られていた軽妙なタッチの「大津絵」で描かれる雷神や鬼、人物などユーモラスなキャラクターが絵から飛び出して、大津絵の祖とも伝わる浮世又平(岩佐又兵衛)の前で踊るという作品です。

この作品が出版された嘉永6年(1853)6月には、ペリー来航、十二代将軍徳川家慶の逝去など世間を騒がす事件があり、当時の人たちは、右上の雷は黒船で来航したペリー、その左下の袖に「かん」の字のある鷹匠若衆が疳公方の綽名を持つ十三代将軍徳川家定などと比定する説がおこなわれた。

《浮世又平名画奇特》 歌川国芳画 嘉永6年(1853)6月
国立歴史民俗博物館蔵



3 鯰絵


古くから地底にいる大鯰が暴れて大地震を起こすと信じられていましたので、安政2年(1855)10月2日に発生した安政の大地震後は、「鯰絵」が流行しました。こちらは弁慶七ツ道具ならぬ「なまず道具」。復興景気で大工や左官など建設関係に業種が潤ったことを皮肉ったものなのです。

《弁慶なまづ道具》 安政2年(1855)
国立歴史民俗博物館蔵


4 流行り病と錦絵



江戸時代末期には何度かコレラや麻疹(はしか)が大流行しましたが、有効な治療法がなかった当時は、錦絵も病に翻弄されていた人々の情報源となりました。
この章では、安政5年(1858)のコレラ流行の折に出た錦絵と文久2年(1862)の麻疹の流行に出た錦絵が取り上げられます。

《麻疹退治》には、病の流行で潤った医者や薬種屋や、損失を被った酒屋や噺家などが入り乱れて描かれています。
そして画面上部には避けるべき行為や食べ物、食べてよいものが示されています。



《麻疹退治》 歌川芳藤画 文久2年(1862)7月
国立歴史民俗博物館蔵


5 激動の幕末


ペリー来航のあと、開国と攘夷の間で揺れ動き、わずか十数年という短い間に戊辰戦争を経て江戸幕府倒壊にまで突き進んだ激動の幕末期に、江戸の民衆たちは大事件への情報を求め、それに応えた錦絵は激動の世の中の動きをタイムリーに伝えました。

波高い海上を航行する洋式外輪船は、幕府がイギリスから購入して主に人員や物資の輸送に用いた順動丸。
鬼才・河鍋暁斎が描いたこの絵は文久3年(1863)6月9日に将軍家茂が大坂湾の防御状況視察で乗船したことが描かれているものと思われていますが、この錦絵が発行されたのが翌7月なので、情報収集から制作、出版までのスピード感がすごいです。当時の出版業界のジャーナリスティックが側面が強く感じられます。


《海上安全万代寿》 河鍋暁斎画 文久3年(1863)7月
国立歴史民俗博物館蔵


「あわて絵」というジャンルがあるにも驚かされました。
この《延寿安穏之見酔》は、文久2年(1862)8月21日、横浜の生麦で薩摩藩士がイギリス人を殺害した生麦事件のあと、賠償を要求するイギリス艦隊からの江戸砲撃を恐れ、郊外へ逃げ出す群衆の混乱を風刺した「あわて絵」です。


《延寿安穏之見酔》 文久3年(1863)
国立歴史民俗博物館蔵


慶応3年(1867)夏から翌年の春にかけて東海、近畿地方を中心に各地に広まったのが、「ええじゃないか、ええじゃないか」と連呼しながら民衆が乱舞する民衆運動。
この絵には、踊り浮かれる人々や、空から降ってきたお札を受け止めようとする人々が大騒ぎする様子が描かれています。


《諸神諸仏富士山江集会》 三代歌川広重画
慶応3年(1867)9月 国立歴史民俗博物館蔵



多種類の虫が二手に分かれて戦う様は幕末には人気の画題でした。
この絵は戊辰戦争を虫合戦で風刺したもので、右方が新政府軍、左方が旧幕府軍。
白河城をめぐって会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟側と新政府軍とが激しく戦っ
ていた時期の絵です。

《夏の夜虫合戦》 慶応4年(1868)5月
国立歴史民俗博物館蔵


この絵の題名が示すのは、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と称していた時代、なかなか進まない清洲城の修理を信長から命じられ、わずか三日でやり終えたという逸話ですが、この絵は官軍との戦いに備えて上野寛永寺に陣取った彰義隊の戦準備の様を描いたものと思われています。
織豊時代の出来事を描くことは本来法令違反でしたが、戊辰戦争の頃になると規制のたがも緩んだせいか、その時代に仮託した絵が散見されるようになりました。

《元亀年中織田家城塀破損して木下藤吉是お承三日の内に繕之図》
 歌川芳藤画 慶応4年(1868)5月 国立歴史民俗博物館蔵


6 開帳と流行り神


江戸時代には、さまざまな神仏がにわかに流行し、それを当て込んだ錦絵も大量に売り出されました。
この章では、嘉永2年(1849)のお竹大日如来などの流行の折に出た多彩な錦絵や、神仏の開帳に合わせて興行された見世物の錦絵などが紹介されます。

江戸時代前期に江戸の富商の家で働いていた竹女が大日如来の化身だとされて信仰を集め、嘉永2年(1849)に江戸でお竹大日如来の開帳があったときに多くの錦絵が売り出されましたが、この絵は雲に乗って昇天する竹女の姿が描かれています。

《おたけ大日如来略えんぎ》 歌川国芳画 嘉永2年(1849)
個人蔵


7 横浜絵


アメリカをはじめとする列強との通商条約をもとに開港し、急速に貿易都市として発展した横浜の街の景観や風俗は江戸の人々にとっても関心の的で錦絵の新たな画題となりました。横浜をテーマにした錦絵は万延元年(1860)から翌文久元年(1861)をピークに大量に出版され、今日では横浜絵(横浜浮世絵とも)と呼ばれています。
この章では横浜絵の中から代表的な画題のものが紹介されます。

この絵は開港地横浜の風俗や建物などを描く横浜絵のひとつで、「どんたく」とはオランダ語のゾンターク(Zontag)、日曜日のことで休日に横浜に居留する外国人たちが揃って遊歩する光景を描いたものです。
各国の旗を持つ人や、港の沖には各国の旗をなびかせた船も見られます。

《横浜鈍宅之図》 歌川貞秀画 文久元年(1861)2月
国立歴史民俗博物館蔵



開港地横浜に設けられた港崎遊廓でも屈指の豪華さを誇った岩亀楼は、繰り返し錦絵に描かれています。襖にはさまざまな扇絵が貼り付けられているので、岩亀楼の中でも特に豪華な扇の間であることがわかります。
岩亀楼をはじめとした遊廓街は、現在、横浜スタジアムのある横浜公園に当たる場所にありました。横浜DeNAベイスターズファンで賑わう今日とは隔世の感があります。

《五ヶ国於岩亀楼酒盛の図》 歌川芳幾画 万延元年(1860)12月
国立歴史民俗博物館蔵



8 動物狂騒曲


万延元年(1860)に舶載された豹は江戸の両国で見世物に出され、雌のトラとして評判を呼び、大勢の観客を集めました。かつては、黒斑の豹はトラの雌と考えられていたのです。
また、明治5、6年(1872、73)には、ウサギブームを背景に投機目的の飼育が大流行しました。
この章では人々が動物に熱狂した世相を写した錦絵が紹介されます。

俗謡に合わせて踊るウサギが可愛らしいです。


《かつぽれかへうた》 東柴画 明治6年(1873)
国立歴史民俗博物館蔵



9 開化絵とその周辺


明治維新によって急速に変貌していく東京の町や風俗は、錦絵の好画題となり、それらは今日「開化絵」と呼ばれています。
新しく名所となった擬洋風建築や鉄道、多くの観覧者を集めた博覧会などが描かれた作品や、それらとは対照的に繊細な彩色で抒情的に開化の東京を表現した小林清親の「光線画」もこの章では展示されます。

この絵には、東京の名所と滑稽場面を組み合わせた揃物の一枚で、海運橋越しに竣工間もない擬洋風建築の三井組ハウスが描かれています。橋の上で写真を撮っていた写真師のカメラが荷車にぶつかられた場面ですが、荷車はちょうどこの時期に浅草寺境内で興行していたフランスのスリエ曲馬団を宣伝する一行です。


《東京名所三十六戯撰 開運はし》 昇斎一景画 
明治5年(1872)6月 国立歴史民俗博物館蔵


明治維新後は、殖産興業のため多くの博覧会が開催されましたが、この絵には、明治5年(1872)に開催された国内初の官設の博覧会、湯島聖堂博覧会の様子が描かれています。
ひときわ目立つのが名古屋城の鯱。そしてその手前には水槽に入ったサンショウウオ。ほかにも剥製などの動物標本、書画、甲冑、楽器などの古物類も見られます。

《古今珍物集覧》 二代歌川国輝画 明治5年(1872)3月
国立歴史民俗博物館蔵


今回の展覧会の要旨は、「江戸時代後期 当時の流行や世相、見世物を描いた錦絵 幕末から明治前期の錦絵より時代の動きや世相の移り変わりを読み解く」です。

歴博ならではの見どころがいっぱいで、一味違った浮世絵展ですので期待も大。
開幕が待ち遠しいです。