東京・六本木の泉屋博古館東京では、特別展 巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語(メルヘン) ー現代マイセンの磁器芸術ー が開催されています。
泉屋博古館東京エントランス |
今回の特別展は、夢の世界へと誘う魅力的なデザインで現代マイセンを代表する数々の磁器の名作を生み出した巨匠ハインツ・ヴェルナー(1928-2019)の日本で初めての回顧展。
《アラビアンナイト》、《サマーナイト》、《ブルーオーキッド》のシリーズをはじめ、彼がデザインを手がけた多彩なサービスウェアやプラーグ(陶板画)などの作品を通じて、その魅力を体感できる展覧会ですので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
展覧会名 特別展 巨匠ハインツ・ヴェルナーの描いた物語 ー現代マイセンの磁器芸術ー
会 期 2025年8月30日(土)~11月3日(月・祝)
開館時間 11:00~18:00 ※金曜日は19:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、9月16日・10月14日(火) ※9/15・10/13・11/3(月・祝)は開館
入館料 一般1,500円、学生800円、18歳以下無料
展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式ホームページをご覧ください⇒https://sen-oku.or.jp/tokyo/
展示構成
プロローグ 名窯の誕生
第1章 磁器芸術の芽吹き
第2章 名シリーズの時代
第3章 光と色彩の時代
エピローグ 受け継がれる意志
※撮影はホール内および、№28《森の木の葉》ディナーサービス・№31《狩り》大燭台のみ可能です。館内で撮影の注意事項をご覧ください。
※掲載した写真は、プレス内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
ホール内の独立ケースに展示されている《アラビアンナイト》宝石箱は撮影可です。
プロローグ 名窯の誕生
展示は、巨匠ハインツ・ヴェルナーが活躍したマイセンと日本との深いつながりの紹介から始まります。
《色絵龍虎図輪花皿》 肥前有田 1670-90年代 愛知県陶磁美術館 |
1650年代、明末清初の動乱期にあった中国から磁器を輸入できなくなったオランダ東インド会社は日本に眼を向け、多くの色絵磁器が伊万里港(現:佐賀県)からヨーロッパに渡るようになりました。
一方、現在のドイツ東南部にあたるザクセンには熱心な東洋磁器愛好家の領主がいました。
その名は、「アウグスト強王」と呼ばれたザクセン選帝侯国の選帝侯フリードリッヒ・アウグスト1世(1670-1733)。
そのアウグスト強王の旧蔵品であったことがわかる日本磁器も展示されています。
《色絵柴垣松竹梅鳥図皿》と《色絵松竹梅図碗》には、それぞれ高台内に「N:74.□」、「N:75.□」と番号が記され、アウグスト強王の旧蔵品であったことがわかかります。「□」の記号は、日本陶磁として分類された印と考えられています。
左《色絵柴垣松竹梅鳥図皿》、右 《色絵松竹梅碗》どちらも肥前有田 1670-1700年代 個人蔵 |
アウグスト強王がマイセンに王立磁器製作所を設立したのが1710年。その後、ヨーロッパ初の硬質磁器の焼成に成功したマイセンは、「柿右衛門様式」の色絵を愛するアウグスト強王の願いが叶い、シノワズリ(中国趣味)の色彩豊かな絵付にも成功し、西洋的な器の形と融合した多くの名品を世に送り出したのでした。
マイセン窯でつくられたこの《色絵梅竹虎図皿》は、絵の題材も色合いも、器の白も見事な出来栄えで、解説パネルを見なければ日本でつくられたものと信じてしまうくらいです。
《色絵梅竹虎図皿》1740年代 マイセン 愛知県陶磁美術館 |
第1章 磁器芸術の芽吹き
1928年にマイセン近郊の町コズヴィッヒで生まれたハインツ・ヴェルナーは、早くから絵の才能を見出され、1958年のライプツィヒ・メッセで装飾デザイナーとしてデビューしたのち、マイセン磁器製作所が創立250周年を迎えた1960年、「芸術の発展を目指すグループ」の設立メンバーに選ばれました。
「第1章 磁器芸術の芽吹き」では、ヴェルナーのデビュー作から「芸術の発展を目指すグループ」のひとりとして歩み始めた直後の1960年代初期の作品が紹介されています。
右《エンゼルフィッシュ》花瓶 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:ハンス・メルツ 1958年、 左《森と動物たちの絵》プレート 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:エーリッヒ・エーメ 1958年頃 どちらも個人蔵 |
ここで1928年から1960年代までヴェルナーの足跡を駆け足でご紹介しましたが、この30年余りの間は、ナチス政権誕生(1933年)、ドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦勃発(1939年)、ドイツの敗戦と米英ソ仏による分割占領(1945年)、米英仏占領地域にドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ソ連占領地域にドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立(1949年)してドイツは東西冷戦の最前線に立つことになったというドイツ史の中でも特に激動の時期でした.。
こういった中、ヴェルナーのデザイナーとしての歩みは決して平坦なものではなかったのでしょうが、紫色の花で囲まれるように仲睦まじいカップルが描かれている《ハネムーン・サービス》コーヒーサービス(1964年)を見て、戦後、磁器製作所が国営になり、安住の地を得たことがヴェルナーにとって大きな救いだったのかもしれないと想像しながら作品を鑑賞していました。
第2章 名シリーズの時代
1960年代のマイセンでは、マイセンの長い伝統を守った製品も求められていました。
そこで誕生したのが、ドイツでは古くから親しまれ、日本でも『ほら吹き男爵の冒険』でよく知られた物語をモチーフにした《ミュンヒハウゼン(ほら吹き男爵)》です。
黄色地に円形の枠を描き、その中に絵付けをする絵柄は、当時、ヴェルナーが熱心に研究したアウグスト強王時代の絵付師ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696-1775)が創出したとされるマイセン初期のシノワズリ様式から着想を得たと伝わっています。
ヴェルナーは、円形の枠の中に「ミュンヒハウゼン(ほら吹き男爵の冒険)」から抜粋した様々な場面を各アイテムに描いています。例えば中央のポットに描かれているのは長いひもを使って一度に多くの野鴨を捕まえた男爵が空を飛んで自邸に帰る場面で、一つひとつの器の絵を見ていると楽しい気分になってきます。
ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の国章が描かれたプレートを見つけました。
中央には労働者を表すハンマーと知識人を表すコンパス、それを取り囲むのが農民を表す小麦の穂、その下にはドイツ国旗の黒、赤、金の帯。
これは東ドイツ建国20周年記念に製作された特注品で、国の貢献者に贈呈されたというとても貴重なものです。
このプレートを見て、東ドイツに行った時のことを思い出しました。
1989年8月下旬、東ベルリンとドレスデンに行ったのですが、現地では道行く人たちはよそよそしく、レストランでは客が誰も入っていないのに「席はない!」と追い払われ、ホテルのバウチャーを受け取りに旅行会社のカウンターに行ったら「ここにはない」と言われ(結局そこにあったのですが)、あげくのはては保育園帰りの子どもたちにもにらみつけられる始末。
あとになって悪名高きシュタージ(国家保安省)による密告網が一般市民にまで浸透していて、西側の人間と話していると「あの人は西側のスパイだ」と密告されて不利益を被ってしまうことが理由だとわかったのですが、当時はそんなことはわからず、あまりに印象がよくなかったので、帰りの飛行機の中で「こんな国、二度と来るものか!」と心の中で叫んでしまいました。
ところがその2ヶ月少し後の11月9日にベルリンの壁が「実質的に」崩壊して、翌1990年10月に東ドイツは「ドイツ再統一」の名のもとに西ドイツに吸収合併されて消滅してしまったので、当時は、まさか本当に二度と行かれなくなるとは夢にも思いませんでした。
(統一後もドレスデン、ワイマールはじめ旧東ドイツ地域の都市を訪れましたが、町の人たちは親切で、レストランで入店を断られることなどはないのでご心配なく。)
さて、本題に戻ります。
《ミュンヒハウゼン(ほら吹き男爵)》の成功がきっかけとなって、ヴェルナーは物語(メルヘン)からインスピレーションを得た代表作《アラビアンナイト》、《サマーナイト》はじめ新たなシリーズを次々と生み出しました。
《アラビアンナイト》の作品群はヴェルナーの夢の世界。
よく知られている「空とぶ絨毯」はじめ、どのアイテムにも物語の一場面が描かれていて、ヴェルナー直筆の陶板画もロマンチックで思わずうっとりしてしまいます。
展示風景 |
実は、陶板画がヴェルナーの直筆というだけでなく、マイセン製品は一点一点、職人によって丹念に描き上げられた手描きによるものなのです。
画面上の幕の表現の細やかさなどは驚くほかありません。
右から 《アラビアンナイト》チュリーン、ポタージュスープ皿 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:ルードヴィッヒ・ツェブナー 1966年 《アラビアンナイト》プレート 装飾:ハインツ・ヴェルナー 1966年 (1985年制作) どちらも個人蔵 |
シェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」がモチーフの《サマーナイト》は、「芸術の発展を目指すグループ」のアーティストのひとりが第二次世界大戦時に捕虜としてイギリスの地でシェークスピアに出会ったことがきっかけでした。
焼き物だからこそ平和への思い、生きる喜びを表現することができるという思いが込められた《サマーナイト》に登場する人物たちはとても生き生きとしています。
《サマーナイト》ティーサービス 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:ルードヴィッヒ・ツェブナー 人形造形:ペーター・シュトラング 1969年(1974年以降制作) 個人蔵 |
それぞれのアイテムには花や虫、鳥などが散りばめられ、登場人物の体まで花の集まりで表現されているのです。
妖精王オーベロンの体も花でいっぱい。背中には目を閉じた可愛いミミズクがいるので、ぜひみ見つけてみてください。
第3章 光と色彩の時代
1980年代後半頃から、一見すると抽象絵画のような表現が登場してきます。
新機軸を打ち出したデザインの《ヴィジョン》コーヒーサービスのうちプレートには、まるでだまし絵のようにバラの花が隠されているので、ぜひ探してみてください。
《ヴィジョン》コーヒーサービス 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:ルードヴィッヒ・ツェブナー 1990年 個人蔵 |
ヴェルナーの70歳および勤続55年を記念して製作されたのが「アフロディーテ」のシリーズ。年齢を感じさせない大胆な筆さばきに感動しました。
エピローグ:受け継がれる意志
ヨーロッパの宮殿の食卓を再現した豪華な大燭台と、手前のディナーセットはともに撮影可。
こんな素晴らしい雰囲気の食卓で食事をしたらさぞかし豊かな気分になれるのではと思う一方、食器を割ってしまったらどうしようとひやひやしてしまうかもしれません。
奥 《狩り》大燭台 装飾:ハインツ・ヴェルナー、ルディ・シュトレ 器形:ペーター・シュトラング 手前 《森の木の葉》ディナーサービス 装飾:ハインツ・ヴェルナー 器形:ルードヴィッヒ・ツェブナー どちらも1973年 個人蔵 |
1990年代になると、ヴェルナーは若いアーティストたちの育成に力を注ぎ、教え子たちとの共作をいくつも手がけています。
青色が印象的な《祝祭舞踏会》コーヒーサービスは、ヴェルナーのもとで絵付を学んだザビーネ・ヴァックス(1960-)が手がけた「波の戯れ」の器形にヴェルナーがヴェネツィアのカーニバルから着想を得て装飾を施したミステリアス感あふれる作品です。
展示の最後にとてもいい作品を見させてもらいました。
特別出品《飾り皿》です。
1970年代の東西対立緩和の世界的流れの中、1972年に東西ドイツが相互の主権・国境等の尊重を決めた基本条約を締結し、翌1973年には東西ドイツが同時に国連に加盟しました。
同じ1973年には日本と東ドイツの国交が成立し、それが日本におけるマイセン製品の需要が高まる大きなきっかけとなり、1975年に初来日を果たしたヴェルナーは、日本の美しい風景に魅了され、その後も日本におけるマイセン展に伴いたびたび来日しました。
来日中にヴェルナーが見た風景が描かれたこの作品からは、マイセンで磁器を製作するきっかけとなった日本に対する愛が感じられました。
出品作品のカラー図版や拡大写真、詳しい解説や関連年表も掲載された展覧会図録もおすすめです。