2025年10月4日土曜日

京都国立博物館 特別展「宋元仏画ー蒼海(うみ)を越えたほとけたち」

京都国立博物館では、特別展「宋元仏画ー蒼海(うみ)を越えたほとけたち」が開催されています。


中国の宋元時代に生まれ、海を越えて日本にもたらされた宋元仏画は、祈りの対象として日本で大事にされ、日本美術にも大きな影響を与えてきました。
今回の特別展は、宋元時代の優れた仏画が全会期で170件が出品され、そのうち総出品数の半数以上の88件が国宝、重要文化財という超豪華な内容の展覧会です。
(前期と後期で大幅な作品入替えがあり、70件以上が展示・場面替えになります。また、国宝は13件、重要文化財は75件、重要美術品は8件が出品されます。)

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


展覧会名  特別展「宋元仏画ー蒼海(うみ)を越えたほとけたち」
会 期   2025年9月20日(土)~11月16日(日)
 (前期:9月20日(土)~10月19日(日)、後期:10月21日(火)~11月16日(日)) 
 ※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替えがあります。
会 場   京都国立博物館 平成知新館
※展覧会の詳細、イベント等は展覧会公式サイトをご覧ください⇒https://sougenbutsuga.com/

展示構成
 第1章 宋元文化と日本
 第2章 大陸への求法ー教えをつなぐ祖師の姿
 第3章 宋元仏画の諸相ー宮廷と地域社会
 第4章 牧谿と禅林絵画
 第5章 高麗仏画と宋元時代
 第6章 仏画の周縁ー道教・マニ教とのあわい
 第7章 日本美術と宋元仏画

※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は報道内覧会で主催者より許可を得て撮影したものです。

展示の冒頭から、中国の文物を珍重した足利将軍家の唐物コレクション「東山御物(ひがしやまごもつ)」をはじめ、宋元時代の名品の数々が登場してきます。

「第1章 宋元文化と日本」展示風景

唐(618-907)滅亡後の五代十国の混乱を統一したのが宋(960-1276)。
汴州(開封)を首都とした北宋(960-1127)と、金(1115-1234)の侵入により都を江南の臨安(杭州)に移した南宋(1127-1279)の時代に分かれ、元(1271-1368)の侵入により宋は滅びました。
日本では、平安中期~後期、鎌倉時代がちょうど宋元時代にあたります。

宋時代に文化芸術面で大きな功績をあげ、自らも筆をとり詩文・書画などにすぐれた才能を発揮したのが、「風流天子」と呼ばれた北宋末期の第八代皇帝・徽宗(在位1100-25)。
ただし、政治はあまり関心がなく、豪奢な生活により国費を費やし、農民の暴動を招いて北宋滅亡の原因をつくってしまいましたが、その徽宗の作と伝わるのが国宝《秋景冬景山水図》。
実際には対角線を意識した構図などから、南宋の宮廷で描かれた山水画と考えられていますが、それぞれの右下に足利義満の鑑蔵印「天山」が捺されているので、室町幕府によって大事にされていたことがわかります。
                                   
         
           国宝 秋景冬景山水図 伝徽宗筆 中国・南宋時代 12 世紀 京都・金地院蔵
前期展示(9/20-10/19)

宋元時代の仏教文物を日本にもたらしたのは、仏教を学ぶために渡海した日本僧と、布教のために日本に渡来した中国僧たちでした。

渡海した日本僧の中でよく知られているのは、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、京都・東福寺の開山・円爾ほかで、記録に残っているだけでも100人以上の僧が中国に渡っています。
そして、日本に渡来した主な中国僧の中には、鎌倉・建長寺の開山、蘭渓道隆、同じく鎌倉・円覚寺の開山、無学祖元はじめ日本の仏教に大きな影響を与えた僧がいました。

第2章では、円爾の南宋での師・無準師範、南宋から日本に渡来した禅僧・兀庵普寧ほかの肖像(頂相)が展示されていてます。
無準師範の頂相は円爾が帰国に際して請来したもので、大陸との交流の足跡をしのぶことができる作品です。後期には円爾本人の頂相も展示されます。

「第2章 大陸への求法ー教えをつなく祖師の姿」展示風景

第3章に登場するのは、宮廷を中心に絵画表現が高度な水準に達した北宋と、仏教の伝統が色濃い地域にあった臨安に都を移した南宋が生み出した宋代仏画の傑作の数々です。

右 国宝 孔雀明王像 中国・北宋時代 11~12世紀 京都・仁和寺蔵
左 重要文化財 千手観音像 中国・南宋時代 12~13世紀
どちらも前期展示(9/20-10/19)  

宋時代の絵画表現の特色は、その写実性。
優美なお姿の仏さま、懸命に蓮華座を支えるリアルな表現の孔雀に注目したいです。

今回の特別展では、密教で信仰される《孔雀明王像》、浄土教の《阿弥陀三尊像》、禅宗の《観音猿鶴図》が前期後期で展示されます。
これらはいずれも国宝で、ほかにも宗派を越えた宋代の仏画が展示されるのも、歴史ある寺院を多く擁する京都ならではの展示です。

国宝 阿弥陀三尊像 普悦筆 中国・南宋時代 12~13世紀 京都・清浄華院蔵
後期展示(10/21-11/16)


「第3章 宋代仏画の諸相ー宮廷と地域社会」展示風景

鎌倉時代に南宋から本格的な禅宗が伝えられたのと同時に水墨を主体とした絵画が広まりました。中でも南宋時代の末期から元時代の初頭に活躍した禅僧の牧谿は、中国ではその自由な画風が酷評されても、日本では絶大な人気を博しました。

「第4章 牧谿と禅林絵画」展示風景

牧谿の代表作は、先ほどもご紹介した京都・大徳寺の国宝《観音猿鶴図》。
観音幅には「道有」印、猿鶴の二幅には「天山」印と、どちらも足利義満の鑑蔵印が捺されているので、これも東山御物であったことが知られています。

国宝 観音猿鶴図 牧谿筆 中国・南宋時代 13世紀 京都・大徳寺蔵
後期展示(10/21-11/16)


朝鮮半島には、宋と元が興亡した時期と重なる高麗(918-1392)が興り、仏教を厚く信奉して仏画も制作され、中世以降、日本にも高麗仏画が舶来しましたが、永い間、「唐絵」として中国仏画と混同されてきました。
第5章では、近年の研究によりその特色が明らかにされてきた高麗仏画の独自の魅力に迫ります。

中でも注目したいのが、京都・妙満寺所蔵の重要文化財《弥勒下生変相図》。
令和3年度から5年度に行われた解体修理の際、この大画面の本図の裏側に三枚の版本曼荼羅が貼られていたことが発見されたのです。
高麗仏画からこのような曼荼羅が見つかったのは京都・正法寺所蔵の《阿弥陀如来像》(前期展示)に続く2例目というとても貴重なもので、作品の左には絵のどの部分に貼られていたかがわかる解説パネルがあるので、あわせてご覧いただきたいです。

重要文化財《弥勒下生変相図》 李晟筆 朝鮮半島・高麗時代
忠列王20年/至元31年(1294) 京都・妙満寺蔵
前記展示(9/20-10/19)

自らの魂を吹き出す鉄拐仙人、白いヒキガエルを担いだ蝦蟇仙人はじめ、一度見たら忘れられない個性的なキャラクターの仙人たち。
第6章では、道教画と仏画がそれぞれ影響を受けあって制作された仙人画や、中国での布教のために仏教図像を借りたマニ教の聖像など、宋元仏画の多様な側面を見ることができます。

「第6章 仏画の周縁ー道教・マニ教とのあわい」展示風景


そして、展示のラストを締めくくるのは宋元仏画の影響を受けた日本の絵師たちの仏画です。 

「第7章 日本美術と宋元仏画」


桃山時代に狩野永徳と競い合ったライバル長谷川等伯の描く猿は「牧谿猿」。
京都・大徳寺との関係を深めていった等伯が牧谿の《観音猿鶴図》から大きな影響を受けたことがよくわかります。
後期(10/21-11/16)には、牧谿《観音猿鶴図》と等伯《古木猿猴図》が展示されるので、見比べることができる絶好のチャンスです。

   
重要文化財《枯木猿猴図》 長谷川等伯筆 桃山時代 16世紀 京都・龍泉庵蔵
後期展示(10/21-11/16) 

琳派の祖・俵屋宗達の《蓮池水禽図》は、琳派の代名詞ともいえるたらし込みの技法を用いつつ、湿潤な空気感や柔らかな光を表現した牧谿の影響を受けたひとりです。
こちらもまた、空気感が感じられる牧谿の《遠甫帰帆図》と同じく後期(10/21-11/16)に展示されるのでぜひ見比べてみたいです。

国宝 蓮池水禽図 俵屋宗達筆 江戸時代  17世紀 京都国立博物館
後期展示(10/21-11/16)

特別展出展作品をモチーフにした展覧会オリジナグッズも盛りだくさん。
お帰りの際には、会場内特設ショップにもぜひお立ち寄りください。

会場内特設ショップ

出展作品すべてのカラー図版はもちろん、論文やコラムも満載した特別展公式図録は、宋元仏画の決定版。おすすめです。


前期は10月19日(日)まで。前期、後期とも見逃せない展覧会です。 

2025年10月1日水曜日

東京都美術館 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」

ファン・ゴッホがいよいよ東京にやってきました。


東京・上野公園の東京都美術館で9月12日に開幕した「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」は、ファン・ゴッホ家のコレクションに焦点を当てた日本初の展覧会です。

ファン・ゴッホの作品を守ってきたファン・ゴッホ家の物語は以前の記事で紹介していますので、今回は展示室内の様子を中心にご紹介したいと思います。



展覧会開催概要


展覧会名 「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」
会  期 2025年9月12日(金)~12月21日(日)
会  場 東京都美術館
※土日、祝日および12月16日(火)以降は日時指定予約制

展覧会の詳細、チケットの購入方法、イベント等の情報は、展覧会公式サイトをご覧ください⇒https://gogh2025-26.jp

第1章 ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館へ
第2章 フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション
第3章 フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描
第4章 ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画
第5章 コレクションの充実 作品収集
  
※展示室内はイマーシブ・コーナー以外撮影不可です。掲載した写真はプレス内覧会で美術館より特別に許可を得て撮影したものです。


フィンセント・ファン・ゴッホの生涯に始まり、弟のテオ、テオの妻ヨーとその息子フィンセント・ウィレムがフィンセントの遺産を相続、その後、フィンセント・ウィレムが財団を設立して、ファン・ゴッホ美術館が開館するまでのいきさつを、展示室に入ってすぐの解説パネルでおさらいしてから先に進みます。

第1章の解説パネル


第2章では、フィンセント、テオの兄弟が収集した絵画コレクションが展示されています。

第2章展示風景


ゴッホ展なのでファン・ゴッホの作品から展示が始まるのかと思っていたのですが、マネやギヨマンなど同時代の画家や、ゴーガンやベルナールはじめ前衛的な芸術家の作品などが展示されていたので、ファン・ゴッホ兄弟が所蔵していたコレクションの充実ぶりに驚かされました。

ファン・ゴッホの浮世絵コレクションも展示されています。
浮世絵がファン・ゴッホに大きな影響を与えたことはよく知られていますが、ファン・ゴッホが収集した浮世絵版画と、浮世絵の大胆な構図などの影響を受けたファン・ゴッホの作品が並んでいるので、ファン・ゴッホが浮世絵からどのような影響を受けたのか見ることができました。


第2章展示風景


第3章はファン・ゴッホ作品のオンパレード。ファン・ゴッホの絵画と素描がずらりと展示されています。

第3章展示風景


ここでファン・ゴッホの画業の変遷を振り返りながら、特にお気に入りの作品をご紹介したいと思います。

ファン・ゴッホが画家になることを決意したのは27歳のとき(1880年)。それから10年後に死去するまでの短い画業のうち、まずはハーグで3年ほど素描の技術を磨き、その後、オランダ南部の農村ニューネンで2年間、やや時代遅れの画風の油彩画の修行を重ねました。

その「時代遅れ」のニューネン時代に描いた作品が《小屋》。
確かにその後のファン・ゴッホらしい新しい筆づかいや色彩はあまり感じられませんが、画面中央のわらぶき屋根、一日の労働を終えて家に入る農民、背景の木々や夕焼け空を見て、明治期の日本の洋画家が描いた武蔵野の情景を思い浮かべ、なんともいえない郷愁がじわっと感じられたのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《小屋》1885年5月、ニューネン
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)


1886年初めにパリに移り住み、そこで新しい独自の様式を生み出し、1888年2月に南仏に向かい、アルルで1年3カ月を過ごしました。

アルルでの作品が《耕された畑(「畝」)》。
この作品を見た瞬間、厚塗りで知られるファン・ゴッホ作品の中でも特にゴテゴテ感たっぷりだと感じたのですが、家に帰って図録の解説を読んで、ファン・ゴッホ自身も手紙の中で「この絵は乾くのに長い時間がかかるだろう。厚塗りの作品は濃厚なワインと同じように扱うべきだ。つまり熟成させなければならないのだ。」と書いていたことを知りました。
これは見事に熟成された作品だったのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《耕された畑(「畝」)》1888年9月、アルル
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)


《耕された畑(「畝」)》を制作した年の12月、最初の激しい発作を起こして左耳を切り、アルルの病院に入院したファン・ゴッホは、翌1889年5月、サン=レミの療養院に入院、そこで1年を過ごし、1890年5月にはパリ北部のオーヴェール=シュル=オワーズ移り、同年7月に自ら命を絶ちました。

《農家》は、田園風景が広がるオーヴェール=シュル=オワーズで描いた作品。
まるで空間が歪んでいるように見えるこの作品は、ニューネン時代の《小屋》と同じ画家が描いたとは思えないくらい画風が異なりますが、ファン・ゴッホが最後にたどり着いた安息の地を描いたのではないかと想像すると、ぐっと胸にこみあげてくるものがありました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《農家》1890年5-6月、オーヴェール=シュル=オワーズ
ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)


 第4章は、ヨーが売却した絵画の記録が記載された『テオ・ファン・ゴッホとヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルの会計簿』とともに、売却されたファン・ゴッホ作品が展示されています。
ここはアムステルダムではなく東京なので「里帰り」ではありませんが、ファン・ゴッホ作品にとってはお互いに「およそ100年ぶりの異国の地での再会」と言えるかもしれません。

第4章展示風景


1973年に「国立フィンセント・ファン・ゴッホ美術館」として開館した当初は、フィンセント・ファン・ゴッホ財団のコレクションを展示することが主な目的でしたが、その後、印象派やポスト印象派や、ファン・ゴッホやゴーガンから強く影響を受けた19世紀後半から20世紀初頭の前衛的な芸術などの作品が収集され、同館のコレクションは充実して現在に至っています。

第5章では、ファン・ゴッホ美術館が開館後に収集した作品群が展示されています。


第5章展示風景


高さ4m、横幅14m、奥行き5m以上というイマーシブ(没入)空間でのデジタルアートが体験できるイマーシブ・コーナーは来場者による撮影可、SNSアップも可です。(上映時間 約4分)

イマーシブ・コーナー


鮮やかな色彩の油彩画で知られるファン・ゴッホですので、関連グッズもカラフル。
展覧会会場の特設ショップにもぜひお立ち寄りください。
※一部商品は購入個数制限を設けることがございます。
※商品は一部欠品、完売となる場合がございます。


展覧会会場特設ショップ


展覧会出品作を全て収録して、一部図版は見開きで大きく掲載して、さらに監修者らによる最新の研究成果を反映した論文も収録した展覧会公式図録はおすすめです。

展覧会公式図録



タイトルは「ゴッホ展」ですが、ファン・ゴッホが影響を受けた同時代の画家の作品や浮世絵、ファン・ゴッホの影響を受けた画家の作品も展示されているので、ファン・ゴッホをさまざまな角度から見ることができる、とても内容の充実した展覧会です。
この秋おすすめの展覧会がまたひとつ増えました。

2025年9月28日日曜日

すみだ北斎美術館 特別展「北斎をめぐる美人画の系譜~名手たちとの競演~」

東京・墨田区のすみだ北斎美術館では、特別展「北斎をめぐる美人画の系譜~名手たちとの競演~」が開催されています。

3階ホワイエのフォトスポット


葛飾北斎(1760-1849)といえば「冨嶽三十六景」シリーズなどで知られ、江戸時代を代表するだけでなく、いまや世界的にも有名な浮世絵師。
今回の特別展は、その北斎が実は美人画の名手だったという点に着目して、そのルーツや、北斎と同時代の浮世絵師の美人画、さらには北斎の弟子たちに受け継がれた美人画の流れをたどるという盛りだくさんな内容の展覧会です。

開幕前に開催されたプレス内覧会に参加してきましたので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


会 期  2025年9月16日(火)~11月24日(月・振休)
     ※前後期で一部展示替えを予定
      前期:9月16日(火)~10月19日(日)
      後期:10月22日(水)~11月24日(月・振休)
休館日  毎週月曜日
     開館:10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)、24日(月・振休)
     休館:10月14日(火)、11月4日(火)
     ※ただし10月21日(火)は展示替えのため特別展(3階・4階企画展示室)は休室。
会 場  すみだ北斎美術館 3階・4階企画展示室
開館時間 9:30~17:30(入館は17:00まで)
主 催  墨田区・すみだ北斎美術館
観覧料  一般1,500円、高校生・大学生1,000円、65歳以上1,000円、中学生500円、
     障がい者500円、小学生以下無料

※観覧日当日に限り、4階『北斎を学ぶ部屋』もご覧いただけます。
※展覧会の詳細、チケットの購入方法、各種割引の詳細、最新のイベント情報は同館公式ホームページをご覧ください⇒https://hokusai-museum.jp/at-hokusai/ 

※特別展展示室内及びミュージアムショップは撮影禁止です。掲載した写真はプレス内覧会で主催者より特別に許可を得て撮影したものです。

展示構成
 1章 北斎の源流
 2章 美人画の名手へ
 3章 浮世絵の爛熟とともに
 4章 北斎の系譜に連なる者


今回の特別展で特に楽しみにしていたのは、葛飾北斎の師・勝川春章(1726-93)や、勝川春章の師・宮川春水(生没年未詳)の美人画が見られることでした。

右から 宮川春水《美人弾三味線図》東京国立博物館蔵、勝川春章《見立伊勢物語・芥川図》
個人蔵、勝川春章《花下の遊女》千葉市美術館蔵 いずれも前期展示 


宮川春水で思い浮かべるのが、キャプションでも紹介されている稲荷橋狩野派と宮川派とのトラブル。

寛延2(1749)年、宮川春水の師・宮川長春(1682-1752)は、稲荷橋狩野派に従い日光東照宮の修復に一門を率いて参加したのですが、その際の画料が不払いであったため、翌年の寛延3(1750)年暮れ、宮川派の画工らが画料を着服した稲荷橋狩野家を襲撃し、当主・狩野春賀を殺害するという事件を起こしてしまったのです。
長春はその後まもなく亡くなり、弟子の宮川一笑は伊豆新島に配流、残された春水は宮川姓を名乗るのをはばかり、勝宮川、さらに勝川とあらため、勝川春章らを育てました。

この系譜を見ると、肉筆美人画を得意とした宮川長春を引き継いだ春水、春章、そして春章のもとで学んだ春朗(北斎)が「美人画の名手」と言わるのも決して不思議ではないことがわかります。

「第1章 北斎の源流」では、宮川長春、一笑、春水、勝川春章らの美人画が前後期で16点も展示されます。長春から春章までの作品をまとまって見られる絶好の機会なので、これは見逃すわけにはいきません(期間限定作品もあるので公式ホームページに掲載されている作品リストをご覧ください)。


勝川春章の没後、北斎は俵屋宗理と名を改め、狂歌の世界と関わりながら多くの美人画を制作しました。
「第2章 美人画の名手へ」では、北斎の宗理時代の美人画と、北斎と同時期に活躍した鳥文斎栄之(1756-1829)や喜多川歌麿(1753-1806)の美人画の競演が見られます。


展示風景

気品のある美人画を描く鳥文斎栄之、蔦屋重三郎に見出された天才・喜多川歌麿という寛政期(1789-1801)に人気を博した二人の浮世絵師と並んで、蔦屋重三郎(1750-97)が手掛けた北斎の大首絵が展示されています。
北斎の大判錦絵の美人大首絵は、蔦屋重三郎刊行のこの「風流無くてなゝくせ」の揃物のみが知られているという、とても貴重な作品。
後期には神戸市立博物館蔵の「風流無くてなゝくせ 遠眼鏡」が展示されます。

葛飾北斎《風流無くてなゝくせ ほおずき》個人蔵 前期展示


北斎の全長7mにも及ぶ大作《隅田川両岸景色図巻》(下の写真中央 すみだ北斎美術館蔵)は、高く評価されながら約100年もの間行方知れずとなっていたことから”幻の絵巻”と呼ばれていました。普段は作品の保存上、高精細複製画が展示されていることが多いのですが、今回は本物が展示されています。
前期だけの展示なのでお見逃しなく!


展示風景

「第3章 浮世絵の爛熟とともに」に展示されている8枚続きの摺物「八番続」はすみだ北斎美術館だけが所蔵するという貴重な作品。こちらも前期だけの展示です。
製作年の干支にちなんで、「たつ」という言葉や竜にちなんだモティーフが描かれていますが、竜頭(たつがしら)のついた兜を掲げる女性だったり、こたつに入る女性だったりと言葉遊びの面白さも楽しめます。

展示風景


北斎がほぼ同時期(文化7,8年(1810,11)頃)に描いた円熟期の肉筆美人画が並んで展示されています。
下の写真右は春の美人を描いた《桜下美人図》(個人蔵)、左は夏の美人を描いた《夏粧美人図》(東京藝術大学蔵)。
こうやって異なる所蔵元の作品が並んで見られるのも、美術展ならではのメリットだと思いました。


右から 葛飾北斎《桜下美人図》個人蔵 通期展示
葛飾北斎《夏粧美人図》東京藝術大学蔵 前期展示
(後期には、葛飾北斎《詠歌美人図》公益財団法人 似島文化財団蔵が展示されます。)



「第4章 北斎の系譜に連なる者」では、北斎の門人たちの中でも、美人画を得意とする絵師たちの名品が展示されています。

右から 葛飾北嬰《花魁図》すみだ北斎美術館蔵 前期展示
蹄斎北馬《隅田川美人図》 《蛍狩り二美人図》どちらも個人蔵、通期展示



門人たちの美人画の中でも特に注目したいのが、北斎の娘・葛飾応為の幻の名品《蝶々二美人図》(個人蔵 通期展示)。
父である北斎が「余の美人画は、阿栄(応為のこと)におよばざるなり。」と語ったと伝えられていますが、この作品を見ればそれがよくわかります。


葛飾応為《蝶々二美人図》個人蔵 通期展示


今回も4階『北斎を学ぶ部屋』の「北斎のアトリエ再現模型」に立ち寄って、北斎と応為に挨拶をしてきました(『北斎を学ぶ部屋』は一部を除き写真撮影が可能です。)。

北斎のアトリエ再現展示


美人画総選挙が行われていますので、お帰りにはぜひ投票してみてください。

美人画総選挙


1階ミュージアムショップには、所属品をモチーフにしたオリジナルグッズなどが揃っています。
おすすめは今回の特別展で紹介される美人画の数々の新作オリジナルポストカード。別売のクリアフレームに入れて飾ることもできるので、お部屋のインテリアとしても楽しめます。
また、葛飾北斎の肉筆画《隅田川両岸景色図巻》が縮小絵巻物になって新発売になりました。日英2か国語で解説したリーフレットも付いてます。
観覧後にはぜひミュージアムショップにお立ち寄りください。

ミュージアムショップ


展覧会の構成に沿って見どころをたどることができる公式図録はカラー図版満載で、解説も充実しています。

公式図録

北斎を中心に、北斎の先人たちから門人まで、幅広い範囲の美人画が楽しめました。
この秋おすすめの展覧会です。

2025年9月24日水曜日

根津美術館 企画展「焼き締め陶 土を感じる」

東京・南青山の根津美術館では企画展「焼き締め陶 土を感じる」が開催されています。

展覧会チラシ

今回の企画展のメインビジュアルは、備前のやきもの《緋襷鶴首花入》(根津美術館蔵)なのですが、この花入を見て最初に頭の中に浮かんできたのは、「なんで首の部分が傾いているのだろう。」という疑問でした。

まさか失敗作では、とは思いませんでしたが、実はこの首が傾いているところが名品の名品たる所以(ゆえん)だったのです。
それは展示室の中を進むうちにわかってきました。

それでは、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


会 期  2025年9月13日(土)~10月19日(日)
休館日  毎週月曜日 ただし10月13日の祝日は開館、翌火曜日休館
開館時間 午前10時~午後5時(入館は閉館30分前まで)
入場料  オンライン日時指定予約 一般1300円 学生1000円
     *当日券(一般 1400円 学生 1100円)も販売しています。同館受付でお尋ね
                       ください。
     *障害者手帳提示者および同伴者は200円引き。中学生以下は無料。
会 場  根津美術館 展示室1・2

展覧会の詳細、オンライン日時指定予約、スライドレクチャー等の情報は同館公式サイトをご覧ください⇒根津美術館          


*展示室内及びミュージアムショップは撮影禁止です。掲載した写真は取材時に美術館 
 より特別に許可を得て撮影したものです。     

展示構成
 1 賞玩のはじまりー素朴を愛でるー
 2 南蛮の将来品ー形を尊ぶー
 3 桃山の熱狂ー景色を楽しむー
 4 江戸の趣向ー土肌を求めるー
 5 中世の壺・甕の再発見ー土と炎を見つめるー
 


日本での焼き締め陶の歴史は古く、古墳時代中頃(5世紀)に朝鮮半島から伝わった高火度焼成の技術による須恵器がはじまりでしたが、奈良時代(8世紀)にガラス質の膜である釉薬が施された釉薬陶器が誕生したことなどから、焼き締め陶は陶磁器生産の最先端から外れ、技術的に素朴なやきものになってしまいました。

しかしながらその素朴さが注目されたのが、15世紀末期から16世紀初頭にかけての茶の湯の世界でのことでした。茶人たちは、中国の美しい青磁などとともに、焼き締め陶などの素朴な道具を上手に取り合わせることに侘びの美意識を見出したのでした。

展示の冒頭には、焼き締め陶の《南蛮〆切建水》(下の写真右 根津美術館蔵)が、中国・龍泉窯の《青磁鳳凰耳花入》(下の写真右から二番目 根津美術館蔵)はじめ茶道具の名品とともに並んで展示されいてます。



「1 賞玩のはじまりー素朴を愛でるー」展示風景 


確かに洗練されたスタイルの《青磁鳳凰耳花入》と、素朴な味わいが感じられ、緊張感を和らげてくれる《南蛮〆切建水》は絶妙の取り合わせのように感じられました。

《南蛮〆切建水》ベトナム 16~17世紀 根津美術館蔵


作品名に「南蛮」とあるように、茶の湯で最初に取り上げられた焼き締め陶は、東南アジアや中国南部で生産された「南蛮物」であったと思われています。

茶の湯の世界では、器物がもとの目的とは異なる用途で用いられることがよくありますが、次に展示されている南蛮の将来品は、もとは砂糖や香辛料、水銀などの輸入品の容器として日本にもたらされたものでした。それが茶道具として愛でられるようになったのです。

「2 南蛮の将来品ー形を尊ぶー」展示風景


もとはものを運ぶ容器でしたので、南蛮物はバランスのとれた端正な形をしいているのが特徴なのですが、時にはこういった魅力的な装飾が付いているものもあります。

装飾品として手長海老の形の耳が左右に貼り付けられている水指です。
生産地は不明ですが、ベトナム陶磁には蜥蜴(トカゲ)や魚・海老などの動物形の耳を持つ壺や水注があり、その流れを引き継ぐものと考えられています。

《南蛮海老耳水指》ベトナム 17世紀 根津美術館蔵


さて、いよいよ「端正でない」焼き締め陶が登場します。
16世紀末期から17世紀前期にかけて日本各地で新しい窯が開かれ、備前、信楽、伊賀などの焼き締め陶も爆発的に流行しましたが、南蛮物と異なるのは、意図的に形を歪ませたり、やきものの焼成時の窯の中での位置や温度・湿度など微妙な条件の違いによって表面に予期せぬ変化(=曜変)があらわれるのを楽しむことでした。


「3 桃山の熱狂ー景色を楽しむー」展示風景

ここからは和製の焼き締め陶がずらりと並んでいるので、偶然が器の表面にもたらす景色を楽しむことができます。

焼成によって土の色が変化する「火色」、焼成中に周囲の器物がひっついた痕跡「ひっつき」、燃料である薪の灰が窯の中で器物に降りかかり、土の中の珪酸(ガラスの原料)に反応して流れ、自然に釉薬のようになった「自然釉」など、焼き締め陶の鑑賞用語を解説したパネルが展示室内に掲示されているので、まずは解説パネルをご覧いただきたいです。

表面がごつごつした感じなのは「ひっつき」の《備前種壺型水指》。現代なら不良品とみなされて、返品になってしまうかもしれません。

《備前種壺形水指》備前 日本・桃山~江戸時代 16~17世紀
根津美術館蔵



メインビジュアルの《緋襷鶴首花入》は、揺れる船内でも倒れないように底を平たく作った「船徳利」ですが、左側の首の付け根に他の器物が当たった痕跡があるので、これによって少し傾(かし)いだ姿になっているものです。
この歪みは偶発的とも意図的ともいわれ、意見が分かれているとのことですが、その名のとおり鶴が少し首を傾げたような姿をしているので、近くで見るととても可愛らしく感じられます。

《緋襷鶴首花入》備前 日本 江戸時代・17世紀 根津美術館蔵 

独立ケースに入っているやきものは、360度ぐるりと回って表面の焼き色が変化する様子をご覧いただくことができます。


「3 桃山の熱狂ー景色を楽しむー」展示風景


江戸時代に入っても焼き締め陶の人気は衰えませんでした。
京焼の祖とされ、色絵陶器を得意とした野々村仁清も、焼き締め陶風の素朴な土肌の水指を作っています。

《信楽写芋頭水指》京都 野々村仁清作 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵

昭和30年代には中世の窯で作られた古陶磁ブームが到来し、水や酒、肥料などの貯蔵・運搬を目的とした実用品が近代のコレクターたちに好まれ、花を生けるなどして居住空間に飾り付けられ、鑑賞されるようになりました。

「5 中世の壺・甕の再発見ー土の炎を見つめるー」展示風景

上の写真手前の独立ケースに入った作品は《常滑甕》(常滑 日本・鎌倉時代 13世紀 個人蔵)。
一見すると壊れたように見えますが、これは窯の中で転倒して炎と灰を受けたもので、自然釉が重力に従ってまっすぐに流れ落ち、各所に見られる小さな膨らみは、土を十分に練らなかったため中に残った空気が焼成の熱で膨らんだもので、やきものの作りの工程とアクシデントが見られる、とても貴重なものなのです。


特別企画「現代3作家による 茶室でみる焼き締め陶の現在」

根津美術館庭園内の茶室では、期間限定で現代作家3名による焼き締め作品が展示されるので、こちらも楽しみです。詳しくは同館公式サイトでご確認ください⇒根津美術館          


同時開催展


展示室5 中世の絵巻物

展示室5では今回、根津美術館が所蔵する歌仙絵、縁起物、お伽草子など、多様な絵巻物が展示されています。
至って真面目なのに、今で言うゆるキャラのような人物や動物が描かれていたり、ヘタウマだったりと、思わず和(なご)んでしまうものがあるのも中世の絵巻物の大きな魅力ではないでしょうか。


「中世の絵巻物」展示風景


こんなにニヤけた表情の酒吞童子は初めて見ました!

《酒呑童子絵巻》(部分)日本・室町時代 16世紀 根津美術館蔵


展示室6 菊月の茶事

9月の異名である菊月にふさわしく、菊の文様があしらわれた棗や鉢など、この時季の風情を楽しむ茶道具が展示されています。

「菊月の茶事」展示風景

菊花7つを透かし彫りであらわした野々村仁清の鉢はとてもおしゃれです。

《御深井写菊花透文深鉢》京都 野々村仁清作 日本・江戸時代 17世紀
根津美術館蔵


自然豊かな庭園散策もおすすめです。
池にある舟の上部構造物がリニューアルされていました。



ようやく涼しさが感じられるようになってきたこの時期にふさわしく、とてもいい雰囲気の空間が広がっています。ぜひご覧いただきたい展覧会です。