2025年8月19日火曜日

大倉集古館 特別展「藍と紅のものがたり」

東京・虎ノ門の大倉集古館では、特別展「藍と紅のものがたり」が開催されています。

大倉集古館外観

今回の特別展は、古くから日本で親しまれてきた藍と紅のふたつの色と染料技術の歴史、そこから生まれた衣類や反物などが紹介されて、その魅力を見つめなおす展覧会です。

江戸時代から現代まで約100点の作品(会期中展示替えあり)が同じ空間に展示されているので、「藍と紅のものがたり」が時間軸でよく伝わってくる内容になっています。

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。 


展覧会開催概要


会 期  2025年7月29日(火)~9月23日(火・祝)
     前期:7月29日(火)~8月24日(日)
     後期:8月26日(火)~9月23日(火・祝)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日  毎週月曜日(ただし9/15は開館)、9/16(火)
入館料  一般:1,500円、大学生・高校生:1,000円、中学生以下無料
※各種割引料金、ギャラリートークなどのイベント、展覧会の詳細は同館公式サイトをご覧ください⇒https://www.shukokan.org/ 

※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は主催者より広報用画像をお借りしたものです。


1階展示室内に入ってすぐに目に入ってきたのは大きな「満月」でした。

福本潮子《時空 Time Space》1989年 染・清流館蔵【通期展示】


これは、日本を代表する藍染美術家・福本潮子(1945~)のインスタレーション作品《時空 Time Space》。
縦210cm、横200㎝の藍染め布12枚を等間隔に連続して吊った作品で、白い大きな円が時間の経過とともに少しずつ藍色に染まっていく様子が表現されています。
展示方法もすごくよかったと思います。
これが人間の目線の位置に展示されていてはあまり感動しなかったかもしれませんが、天井から吊り下げられているので、まるで夜空を見上げるように作品を見ることができたからです。

紅のものがたり


3世紀頃に中国から日本に伝来したとされる紅花の花びらには2種類の色素(黄色・赤色)が含まれていて、赤色はわずか1%未満というとても貴重な染料で、古くから大切にされてきました。

1階展示室には、江戸時代から現代までの美しい紅の着物や、関連する資料が展示されていて、とても華やいだ雰囲気です。

松と鶴の模様が繰り返されるおめでたいデザインの着物は《絹地紅板締め松樹鶴模様下着(胴抜き)》【前期展示】。
「紅板締め」とは、花や鳥などの模様を彫った版木(型板)に薄絹(江戸時代は縮緬地が多い)を挟み、そこへ赤い染料液をかけ、紅色地に白い模様を染め出す技法で、江戸中期から明治にかけて流行しました。
紅板締め用の版木も参考展示されていますが、彫りの細やかさに驚かされます。


《絹地紅板締め松樹鶴模様下着(胴抜き)》江戸時代・個人蔵
【前期展示】

後期に展示される《絹地紅板締め花鳥松皮菱模様着物》もとても華やいだ雰囲気のデザインです。


《絹地紅板締め花鳥松皮菱文様着物》江戸時代・個人蔵
【後期展示】



江戸時代における紅花の一大産地は山形県の最上川流域で、生花から上質の紅花染料「紅餅」を作って京都へも運ばれていたのですが、明治以降、化学染料の普及などで衰退し、昭和に入り再興の機運が高まりました。平成30年には山形の紅花栽培と紅花交易が日本遺産「山寺が支えた紅花文化」として認定され、現在では、栽培から製品化までの一貫制作を行う人たちが活躍しています。
今回の展覧会では、一度衰退しながらも再興した現代の紅花染めの作品が多く見られるのも大きな見どころの一つです。

夜明けの様子をイメージした《紅花染手織紬帯「朝陽」》は後期展示。いくつもの色のグラデーションが見事です。



株式会社新田《紅花染手織紬帯「朝陽」》2019年
株式会社新田蔵【後期展示】


今回の展示にふさわしい屏風が展示されていました。
右隻には豊作を祈る春祭り、種蒔き、花摘み、花踏み、花寝かせの作業を経て紅餅ができるまでが描かれ、左隻には、紅餅の出荷の様子と北前船のルートを通って敦賀港(現:福井県)に入る20艘の紅花船、そして最後に京都の紅花問屋の店先で販売されるまでの様子が描かれています。
描かれた人たちはみんな明るい表情をしていて、活気が感じられる屛風です。そして、帆に風をいっぱいに受けて港に入る紅花船の堂々とした姿が印象的でした。

青山永耕《紅花屏風》(右隻)江戸時代後期~明治時代、山寺芭蕉記念館蔵
【通期展示】


青山永耕《紅花屏風》(左隻)江戸時代後期~明治時代、山寺芭蕉記念館蔵
【通期展示】


藍のものがたり


2階展示室は「藍のものがたり」の部屋。華やいだ1階展示室とは対照的に、明治の頃、「ジャパンブルー」と称された藍染の落ち着いた雰囲気の世界が広がっています。

藍を染める布地のうち、木綿が普及したのは江戸時代中期以降で、それ以前は古くから麻や絹が使われてきました。
《縹絹地青海波模様唐衣(采女装束のうち)》は、天皇のそばで食事や身の回りの世話をする下級女官である采女(うねめ)が着用した腰高の上着で、藍染の生絹(精製していない生糸)の地に貝殻を粉末状にした胡粉で青海波文様が描かれています。


《縹絹地青海波模様唐衣(采女装束のうち)》江戸時代、奈良県立美術館蔵
【前期展示】


《納戸麻地熨斗目取り紋散し模様被衣》は後期に展示されます。
「被衣(かずき)」とは、女性が外出する際に頭からかぶって顔を隠すための着物のことです。

《納戸麻地熨斗目取り紋散し模様被衣》江戸時代、
松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵
【後期展示】
 



白の木綿に藍染で蔦の模様をあらわした《白木綿地下がり蔦模様浴衣》は、紺と白の蔦の葉が交互に配置されていてとてもリズミカルなデザインです。
葉の下に蔓が伸びているのでまるで風船が空に飛んでいくようにも見えてきます。


《白木綿地下がり蔦模様浴衣》江戸時代後期~明治時代、
松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵
【前期展示】

木綿地に藍染で市松模様をあらわした《紺木綿地市松模様絞り浴衣》の白地の部分は真っ白でなく、絞り染めで文様を表しているところがいいアクセントになっています。

《紺木綿地市松模様絞り浴衣》、明治時代、今昔西村蔵
【前期展示】


藍染も現代作家の作品を多く見ることができます。
「長板中形」とは木綿の浴衣地を染めるのに用いられた模様型のことで、「長板中形」の技術は人間国宝となった松原定吉(1893~1955)、定吉の4人の息子「松原四兄弟」の一人・松原利男(1929~2005)に師事した息子の松原伸生(1965~)に引き継がれています。
細やかな文様が特徴の「長板中形」の制作過程は、地下1階のモニターで上映されている映像「長板中形ー松原伸生のわざ」で見ることができます。


松原伸生《紺麻地長板中形漣模様浴衣》2019年、個人蔵
【後期展示】

琉球織物の復興に携わった沖縄出身の秋山眞和(1941~)は、太平洋戦争時に沖縄から疎開した宮崎で独自の織物の制作を目指して活動しています。
こちらはシンプルなデザインの良さが感じられました。

秋山眞和《絹地藍染花織着物》2015年頃、個人蔵
【後期展示】


江戸時代から現代まで続く藍と紅のものがたりが楽しめる特別展「藍と紅のものがたり」。
この夏おすすめの展覧会です。

2025年8月12日火曜日

国立西洋美術館 企画展「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展ールネサンスからバロックまで」

国立西洋美術館[東京・上野公園]では、企画展「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展ールネサンスからバロックまで」が開催されています。 




今回の企画展は、質、量ともに充実した最高峰の素描コレクションで知られるスウェーデン国立美術館から厳選約80点が来日する豪華な内容の展覧会です。そして、素描は環境変化に弱く、これだけの規模で西洋素描の展覧会が開催されるのは日本初。とても貴重な機会でもあるのです。
デューラー、ルーベンス、レンブラントはじめ、ルネサンスからバロックまで、よく知られた芸術家たちの技量と構想力、試行錯誤の痕跡、本作では残らない筆の勢いなど素描ならではの魅力が実感できるまたとない展覧会なので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


会 期  2025年7月1日(火)~9月28日(日)
会 場  国立西洋美術館[東京・上野公園]
開館時間 9:30-17:30(金・土曜日は20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日、9月16日(火)
     (ただし、 9月15日(月・祝)、9月22日(月)は開館)  
観覧料(税込)  一般 2,000円、大学生 1,300円、高校生 1,000円
       ※中学生以下、心身に障害のある方及び付添者1名は無料
       ※入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳を
        ご提示ください。
       ※観覧当日に限り本展の観覧券で常設展もご覧いただけます。

※最新情報は展覧会公式サイトでご確認ください⇒https://drawings2025.jp

展示構成~各章は地域ごとに分かれています
 Ⅰ イタリア
 Ⅱ フランス
 Ⅲ ドイツ
 Ⅳ ネーデルラント


Ⅰ イタリア

「Ⅰ イタリア」では、ルネサンスからバロックまでイタリア美術史の流れをたどりながら作品を見ることができます。

「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展ールネサンスからバロックまで」
展示風景、国立西洋美術館、2025年

「素描」とひとことで言っても、ルネサンス期には制作プロセス順に、概略的に構想を描いたスケッチ(スキッツォ)、個々のモティーフや構図の習作、完成作の雛型(モデッロ)、雛型を拡大した原寸大下絵(カルトーネ)に分類されることを初めて知りました。
これを押さえながら作品を見ていくと、素描というものがより深く味わえるようになってきました。

構想の初期の段階で複数の人物を集合的に配置して、個々の人物のポーズや人物同士の結びつきを研究した習作のひとつと考えられているのが、ヴェネツィアに生まれ、ルネサンス期に同地で活躍したヴィットーレ・カルパッチョの《人物群習作》。

ヴィットーレ・カルパッチョ《人物群習作》1510-11年頃
スウェーデン国立美術館

1520年頃からルネサンスの巨匠たちに倣うマニエリスム期に移行したイタリアの代表的な画家のひとりがパルミジャニーノ。
彼が晩年に手掛け、未完のまま残した《長い首の聖母》の参考図(右のパネル)とともにその習作が展示されているのでとても参考になります。

パルミジャニーノ(本名フランチェスコ・マッツォーラ)《聖ヨハネと男性聖人を
伴う「長い首の聖母」のための習作、左に向かって歩く男性》
スウェーデン国立美術館

16世紀に入り、ヴェネツィアがフィレンツェ、ローマと並ぶイタリア美術の中心地と存在感を示す頃のヴェネツィア派の画家たちの素描の特徴は、細部にこだわらないことでした。
この背景には、他の都市に先駆けてヴェネツィアに普及した油彩画が、制作の途中での修正が容易な技法であったことが指摘されています。
細部にこだわらず、劇的な場面を素早い筆さばきで描いた迫力がこの習作からでもよく伝わってきます。


ドメニコ・ティントレット(本名ドメニコ・ロブスティ)
《ウィルギニアの死》 スウェーデン国立美術館


16世紀末頃になって、再び自然観察が重視されるようになり、その中心的役割を演じたのが、ボローニャ出身のカラッチ一族でした。


アンニーバレ・カラッチ《画家ルドヴィーコ・カルディ、通称チゴリの肖像》
1604-09年頃 スウェーデン国立美術館


今回の企画展のアイコンになっているこの作品は、当時の画家がどのように素描を描いていたのかがわかる点でも貴重な作品なのです。


Ⅱ フランス


フランスの画家で特に注目していたのは、戦争の悲惨さや市井の人たちを描いた17世紀の銅版画家・ジャック・カロでした。


左 ジャック・カロ《聖アントニウスの誘惑》スウェーデン国立美術館
右 ジャック・カロ《聖アントニウスの誘惑(第二作)》1635年頃 国立西洋美術館

上の写真左はスウェーデン国立美術館所蔵の習作で、右は国立西洋美術館所蔵の版画。
版画と習作が並んで、その違いが比較できるのは国立西洋美術館ならではの展示だと思いました。

ほかにもメインビジュアルになっているルネ・ショヴォー《テッシン邸大広間の天井のためのデザイン》はじめ、宮廷が置かれ、芸術振興が盛んだったパリの華やいだ雰囲気を伝える作品が楽しめました。




右から ルネ・ショヴォー《テッシン邸大広間の天井のためのデザイン》
シャルル・ル・ブラン派《ヴェルサイユ宮殿の噴水のためのデザイン》、
セバスティアン・ブルドン《紅海渡渉》 いずれもスウェーデン国立美術館

Ⅲ ドイツ

この章では、ドイツをはじめオーストリア、スイスなどドイツ語圏の画家たちの作品が展示されています。


「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展ールネサンスからバロックまで」
展示風景、国立西洋美術館、2025年

中でも楽しみにしていたのはドイツ・ルネサンスを代表する画家デューラーでした。

中央 アルブレヒト・デューラー《三編みの若い女性の肖像》1515年、
左 マティアス・グリューネヴァルト(本名マティス・ゴットハルト・ナイトハルト)
《髭のない老人の頭部》、右 ハンス・バルドゥング・グリーン
《下から見た若い男性の頭部》 いずれもスウェーデン国立美術館

中央がデューラー、左にはグリューネヴァルト、右にはバルドゥングと、ドイツ・ルネサンス期を代表する画家の三役揃い踏み。筆者はデューラーをはじめとしたドイツ・ルネサンス期が大好きなので、まさに「壮観!」とも言ってもよい光景を目の当たりにすることができました。

デューラーらとほぼ同時期に活躍した肖像画家ハンス・ホルバイン(子)のステンドグラスのための素描は、これだけでも部屋に飾りたいくらい素晴らしい作品です。

ハンス・ホルバイン(子)《バーゼルのラハナー家の紋章盾がある
ステンドグラスのデザイン》 スウェーデン国立美術館



Ⅳ ネーデルラント

ルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント。
現在のオランダ、ベルギーにおおよそ該当するネーデルラントも巨匠たちの素描が目白押し。
それでも紙の普及が遅れたこともあり、16世紀初頭以前に制作された素描の現存例は少なく、そういった意味でリュカス・ファン・レイデンの肖像素描は貴重なものなのです。


リュカス・ファン・レイデン《若い男性の肖像》1521年
スウェーデン国立美術館


ルーベンス《アランデル伯爵の家臣、ロビン》では、余白にルーベンス自身によって書き込まれた衣装の色や素材についてのメモに注目したいです。


ペーテル・パウル・ルーベンス《アランデル伯爵の家臣、ロビン》
1620年 スウェーデン国立美術館

さらにこの素描を元に制作された作品もパネル展示されているので、素描がどのように完成作品に反映されていくのかがよくわかります。
そして、この作品を制作するために人物の姿勢や服装、犬を紙に素描したことが当時の手紙から確認されているのですが、現存しているのは今回出品されているこの素描のみとのこと。巨匠たちの作品制作の手掛かりとなる素描は、残っているだけでも奇跡なのかもしれません。
そして展示を見終わって、巨匠たちが残したこれだけ多くの名品の数々を見ることができるのは、ものすごく貴重な機会ではないかとあらためて感じました。


「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展ールネサンスからバロックまで」
展示風景、国立西洋美術館、2025年


今回の企画展の出品作品全84点のオールカラー画像に加え、専門家によるエッセー・解説を収録した展覧会公式図録はおすすめです。
ほかにも出品作品にちなんだオリジナルグッズも盛りだくさん。
お帰りの際には展覧会特設ショップにもぜひお立ち寄りください。

展覧会特設ショップ


今回の企画展でも、小中学生のためにジュニア・パスポート(鑑賞ガイド)が用意されています。
ちょうど学校の夏休み期間中なので、親子で美術館に訪れてみてはいかがでしょうか。

ジュニア・パスポート

2025年8月11日月曜日

戦争画「作戦記録画」を深読みして見えてきたものとは?

19世紀末から現代まで、⽇本や海外の美術作品を13,000点以上所蔵する東京国⽴近代美術館のコレクションの中でも異彩を放つのが、⽇中戦争からアジア太平洋戦争期に軍の委嘱で制作された戦争絵画「作戦記録画」。 
敗戦後はアメリカが接収し、1970年に「無期限貸与」という形で返還され、150点あまりを東京国⽴近代美術館が管理(所蔵)していますが、私たちも同館のコレクション展でその⽚鱗を⾒ることができます。
そこで、今回は少し変わった視点から作戦記録画を深読みしてみたいと思います。

又モ負ケタカ四艦隊


はじめに紹介するのが、中村研⼀《珊瑚海海戦》。

中村研一《珊瑚海海戦》東京国立近代美術館


「珊瑚海海戦」は、連合軍の航空基地ポートモレスビー占領を企図した⽇本海軍と、それを阻⽌しようとする⽶豪海軍艦隊の間で昭和17(1942)年5⽉7⽇から8⽇にかけて起こった海戦でした。
海戦というと⽇露戦争の⽇本海海戦のように敵艦隊を発⾒して戦艦同⼠が主砲を撃ち合うという戦いが思い浮かびますが、「珊瑚海海戦」は史上初の空⺟対空⺟の対決、つまり双⽅の艦載機搭乗員以外は敵艦隊を⾒ないという新しいタイプの海戦だったのです。 
(参加した空⺟は、⽇本側は機動部隊の「翔鶴」「瑞鶴」、攻略部隊の「祥鳳」、アメ リカ側は「レキシントン」「ヨークタウン」) 

「珊瑚海海戦」関連地図





 《珊瑚海海戦》で描かれているのは、⽇本海軍空母艦載機の攻撃を受け、断末魔の⽶空⺟「レキシントン」。 


中村研一《珊瑚海海戦》東京国立近代美術館(部分)


低い乾舷、艦⾸と⾶⾏甲板が密着したエンクローズド・バウ、背の⾼い艦橋とその後ろにある巨⼤な煙突。 巡洋戦艦から改装された巨⼤空⺟「レキシントン」の艦容をよく現わしていますが、 ここで「あれっ」と思われた⽅は、かなりの軍艦マニア。

そうです。
この海戦の直前に四連装機銃に装換されているはずの艦橋前には、装換前の15.5イン チ連装砲が描かれているのです。 

中村研一《珊瑚海海戦》東京国立近代美術館(部分)


それはなぜなのでしょうか?

おそらく、作者の中村研⼀は、海軍から提供された「レキシントン」の戦前の資料をもとに描いたのでしょう。

それは船体の塗装の⾊を⾒てもわかります。 珊瑚海海戦時には艦の側⾯はシーブルー(濃いブルー)、⾶⾏甲板はデッキブルー(さらに濃いブルー)で塗装されていたのですが、この作品では艦の側⾯が明るいグレー、⾶⾏甲板は⾚茶⾊系で塗装された戦前のバージョンなのです。

さて、この「珊瑚海海戦」ですが、⽇本海軍は「レキシントン」を撃沈したものの、攻略部隊を護衛していた軽空⺟「祥鳳」が撃沈され、攻略部隊は撤退、作戦は失敗に 終わります。

緒戦の⽶領ウェーク島攻略作戦の失敗に続き、南洋諸島を担当する第四艦隊はまたも作戦に失敗したので、海軍部内では「⼜モ負ケタカ四艦隊」と物笑いの種にされてしまい ました。

この作品は、昭和18(1943)年12⽉から翌年1⽉まで東京都美術館で開催され、その後全国を巡回した「第2回⼤東亜戦争美術展」に出品されましたが、来場した⽇本国⺠は日本軍の大勝利を信じ、まさか珊瑚海海戦が失敗した作戦だったとは夢にも思わなかったことでしょう。

⼤正から昭和にかけて活躍した洋画家・中村研⼀の作品は、東京・⼩⾦井市にある 「中村研⼀記念 ⼩⾦井市⽴はけの森美術館」で⾒ることができます。


五艦隊は来(コ)カンタイ


続いて藤⽥嗣治《アッツ島⽟砕》。


藤田嗣治《アッツ島玉砕》東京国立近代美術館

アッツ島は、アリューシャン列島の最⻄端に位置する⼩さな島で、キスカ島とともに昭和17(1942)年6⽉に⽇本軍が占領しました。

 アッツ島⽟砕関連地図


アメリカとしては、北⽅の⼩さな島々とはいえ「⽶国領」。
⽇本軍に占領されていては⾯⽩くないので、奪還するため執拗な空爆を繰り返していました。

それに対して、アッツ島とキスカ島の戦⼒増強のための輸送作戦を担ったのが北⽅海域を担当していた第五艦隊ですが、⽶軍の攻撃の前に思うように進まず、昭和18(1943)⽉3⽉27⽇に起こったアッツ島沖海戦でも、待ち受けていた⽶艦隊に輸送船団の⾏く⼿を阻まれてしまいました。

そして、⽶軍が上陸したのが、同年5⽉12⽇。
⼤本営は反攻作戦も検討しましたが、優勢な⽶軍の前にあきらめざるを得ず、アッツ島放棄、キスカ島撤収の⽅針を打ち出したのです。

《アッツ島⽟砕》では、5⽉29⽇に守備隊⻑・⼭崎保代⼤佐はじめ残存兵⼒150⼈で夜襲をかけた時と思われる総攻撃の様⼦が⾒事に描かれているのですが、太平洋戦争で初めて大本営発表された「⽟砕」という美名のもと、増援作戦が失敗に終わったという⽇本軍の失態や、援軍を信じていたアッツ島守備隊2500⼈の将兵たちが祖国から⾒離されたという事実が隠されていたことを考えるといたたまれない思いで⾒ざるをえない作品なのです。

藤田嗣治《アッツ島玉砕》(部分)東京国立近代美術館

⼀⽅、キスカ島の撤収作戦は同年7⽉に⾏われ、5200⼈の守備隊将兵たちの救出作戦が成功しました。
その時の様⼦を描いたのが、昭和40(1965)年の東宝映画「太平洋奇跡の作戦 キスカ」でした。

北海特有の濃霧を頼りに⾏われた救出作戦でしたが、⼀度は予想に反して霧が晴れたため艦隊はキスカ島⽬前にしながら、キスカ湾に突⼊することなく帰還。
救出の望みを絶たれたキスカ島守備隊の中では、「五艦隊ハ来(コ) カンタイ」と⾔う⾔葉がささやかれました。

 映画「キスカ」では、⼤本営や第五艦隊司令部から「なぜ突⼊しなかった。」と強い⾮難を浴びる中、泰然と構えて次の機会をうかがっていた第1⽔雷戦隊司令官 ⽊村昌福少将の役を⾒事に演じた三船敏郎の存在が光っていました(映画では「⼤村少将」)。


ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア


最後は戦闘シーンでない作品を紹介します。
こちらは、京都国⽴近代美術館に所蔵されている、戦前から戦後にかけて活躍した京都画壇の⽇本画家、⼭⼝華楊の「南⽅スケッチ」。

山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館

⽔上機や、それを整備する整備兵、⾶⾏服に⾝を固めた搭乗員の姿が描かれていますが、どことなく南国ののんびりとした雰囲気が漂っています。

山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館


山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館


それもそのはず。
⼭⼝華楊が海軍省の嘱託として派遣されたのは、悲劇のインパール作戦で多くの将兵が犠牲になったビルマでもなく、連合軍の追⾛で、飢えと疫病に苦しめられながら⻑距離の撤退⾏軍を強いられたニューギニアでもなく、開戦当初の占領作戦でオランダ 軍が降伏して以来、ほとんど戦闘らしい戦闘がなく、「天国」と⾔われたジャワだっ たからなのです。

それに現地の⽂化にも理解を⽰した占領軍司令官、今村均中将の⼈徳もあって、現地の⼈たちとの関係も良好で、⼭⼝華楊もその場で⽣活する⼈たちののびのとした姿 を描くことができたのです。

山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館

華楊はボロブドゥール遺跡も訪れています。 寺院の回廊に描かれたレリーフは、画家にとって格好の写⽣の題材だったことでしょう。

山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館

さらに、バリ島にも⾜を延ばして、⽣き⽣きとしたスケッチを残しています。

山口華楊「南方スケッチ」京都国立近代美術館


戦争はもちろん⼆度と起こしてはならないことです。
だからこそ、当時描かれた作品がどのような背景で描かれ、どのような意味合いを持つのか、これからも深読みしていきたいと考えています。

(この記事は2021年5月29日に「いまトピ~すごい好奇心のサイト~」に掲載されたもので、いまトピ編集部の許可を得てこのブログに転載したものです。転載にあたり若干の加筆修正を加えています。)

2025年8月3日日曜日

東京国立博物館 特別展「江戸☆大奥」

東京・上野公園の東京国立博物館 平成館では特別展「江戸☆大奥」が開催されています。

 
東京国立博物館 平成館前のパネル

大奥とは、かつて江戸城の中にあった、将軍の夫人である御台所(正室)や側室の居所で、その生活を支える女中たちが住み、将軍以外の男性は入ることができない男子禁制、政治に介入することは禁止されていても、実際には大きな影響を及ぼすことも少なくなかったというというミステリアスな空間でした。

今回の特別展では、庶民にとっては江戸時代からあこがれの場所でありながら江戸城の奥深く隠された世界でしたが、明治になってから錦絵などで内部の様子を垣間見ることができた大奥の全貌が令和の世になってようやく明らかにされるというとてもワクワクする展覧会です。

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


会 期  2025年7月19日(土)~9月21日(日)
開館時間 午前9時30分~午後5時
 ※毎週金曜、土曜、8/10(日)、9/14(日)は午後8時まで
 ※入館は閉館の30分前まで
休館日  月曜日 ※ただし、8/11(月・祝)、9/15(月・祝)は開館
観覧料(税込) 一般 2,100円、大学生 1,300円、高校生 900円
 ※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料、入館の際に学生証、
  障がい者手帳等の提示が必要。

展覧会の詳細等については展覧会公式サイトをご覧ください⇒特別展「江戸☆大奥」公式サイト 
  
※展示室内は一部を除き撮影不可です。掲載した写真は報道内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。
※会期中、一部の作品は展示替え等があります。展示期間は次の通りです。
  前期 7月19日(土)~8月17日(日)
  後期 8月19日(火)~9月21日(日)
※展示期間の表記のない作品は全期間展示されます。     

展示構成
 第1章 あこがれの大奥
 第2章 大奥の誕生と構造
 第3章 ゆかりの品は語る
 第4章 大奥のくらし


展示室に入ってはじめに驚いたのは、いきなり江戸城の中に入ったのではないかと思えるほどの臨場感でした。

展示風景

ここには、2023年にNHKで放送されたドラマ10「大奥」の撮影で使用された御鈴廊下のセットが一部再現されていて、キャストが実際に着用した衣装が展示されています。
将軍が住む中奥と大奥を結ぶ御鈴廊下の前を通り、登城の太鼓の音が響く中、お濠にかかる橋を眺めながら先に進むと、いやがうえにも大奥に入っていくんだという気分が盛り上がってきます。


展示風景

第1章 あこがれの大奥

大奥がいくら庶民のあこがれであっても、さすがに江戸時代には幕府の出版統制で公に描くことは許されませんでした。そのため浮世絵に大奥が描かれるようになったのは明治期に入ってからのことでした。

若い頃から歌川国芳をはじめ歌川派の絵師に師事し、幕末期には旧幕府軍に加わり戊辰戦争を戦ったという異色の経歴をもち、明治時代に活躍した浮世絵師、楊洲周延(1838-1912)が江戸城大奥での女性たちのくらしを描いた全40図の揃物《千代田の大奥》はとてもカラフル。全40図をすべて全期間見ることができるのは、今回の特別展の大きな見どころの一つです。

『千代田の大奥』 楊洲周延筆 明治27~29年(1894~96)
東京国立博物館蔵
 

第二章 大奥の誕生と構造

大奥の基礎を作ったのは、三代将軍徳川家光(1604-51)の乳母・春日局(1579-1643)でした。


春日局坐像 江戸時代(17世紀) 京都・麟祥院(京都市)蔵

二代将軍徳川秀忠の後継問題で、春日局が駿府の大御所家康に直訴して家光の世嗣に大きな役割を果たしたことはよく知られていますが、家光が将軍になると、御台所、側室や、そこに仕える女中たちの序列を整えるなど、大奥を統率し、内外に絶大な権勢を振るったのでした。

さて、気になる男子禁制の大奥ですが、江戸城のどこにあったのでしょうか。

江戸城本丸大奥総地図 江戸時代 19世紀 東京国立博物館蔵

なんと大奥は、現在の皇居東御苑、天守閣があった天守台の前に広がっていたのです。
今まで何回も季節ごとに散策していた東御苑ですが、ここに大奥があったとは今まで全く意識していませんでした。

大奥に住んでいた女中たち中でも最高の地位にあった御年寄は、権力も財力もほしいままにしたかわりに、生涯結婚することもなく、大奥の情報を表に出さないために生涯を江戸城内で過ごす運命にありました。
ところが中には、七代将軍徳川家継の生母・月光院に仕えた絵島(1681-1741)のように流罪となって幽閉生活を送った御年寄もいたのです。
時は正徳4年(1714)、増上寺、寛永寺に代参した帰りに歌舞伎を見て、宴席に興じたことから門限を破り、歌舞伎役者生島新五郎との恋愛沙汰の嫌疑がかけられ信州伊那の高遠藩に流され、そこで27年間を過ごし1741年に61歳の生涯を閉じました。
これが世にいう「絵島生島事件」。
ここに展示されている『絵島没後取調覚書』(長野・蓮華寺(伊那市)蔵)には、絵島が番人に見張られた窮屈な生活が記載されています。

展示風景


また、大奥最後の将軍付き御年寄・瀧山(1805-76)は、江戸城開城後に現在の埼玉県川口市に移り、そこで生涯を終えました。
こちらは瀧山の墓所・錫杖寺(川口市)に伝わる、瀧山所用とされる乗物(※)が残されています。
乗物の中には同じく瀧山所用とされる草履も残されているので、お見逃しなく。
※江戸時代には、同じ構造でも庶民が使用する簡易なものは「駕籠」、上位の人びとが乗る高級品を「乗物」と区別していました。

女乗物 瀧山所用 江戸時代 19世紀
埼玉・錫杖寺(川口市)蔵


第3章 ゆかりの品は語る
     

女性が婚姻によって富貴な身分を得ることを「玉の輿」と言いますが、その由来となったのが三代将軍家光の側室で、のちに五代将軍綱吉を生み育てた桂昌院(お玉の方、1627-1705)。
綱吉所用とされる長裃も展示されています。少し小さめの長裃ですが、綱吉は小柄だったようです。

展示風景

桂昌院とは反対に度重なる不幸に見舞われたのが浄岸院(竹姫、1705-72)でした。綱吉の養女となった竹姫は、江戸城で養育され、2度婚約しますが、どちらも婚約者が亡くなってしまったのです。
その竹姫によって奉納されたのが、東京・祐天寺の阿弥陀堂本尊の《阿弥陀如来坐像》です。
《阿弥陀如来坐像》の手前には、阿弥陀堂改修時に床下から発見された、竹姫のものとされる毛髪と鏡も展示されています。

阿弥陀如来坐像及び附属品 小堀浄運作、浄岸院(竹姫)奉納
享保8年(1723) 東京・祐天寺(目黒区)蔵

そして、豪華絢爛な掛袱紗は、綱吉が側室・瑞春院(お伝の方、1658-1738)へ、年中行事の祝い事にあわせた贈り物に掛けられていたと伝わるもので、前期後期で31枚すべてが展示されます。
この貴重な機会をお見逃しなく!

展示風景


第4章 大奥のくらし

女性だけの閉ざされた世界ではどのような生活が営まれていたのでしょうか。
大奥に迎え入れられた正室たちの贅を尽くした婚礼調度からそのきらびやかさが伝わってきます。

五代将軍綱吉の正室・浄光院(鷹司信子、1651-1709)が輿入の際に用いたと伝わる女乗物は、それ自体が蒔絵の名品といえる最高級品です。
それが露出展示されているので、葵紋や牡丹紋をくっきりと見ることができます。

竹葵牡丹紋散蒔絵女乗物 浄光院(鷹司信子)所用
江戸時代 寛文4年(1664) 東京国立博物館蔵

今回の展示では大奥の女性たちの衣装が壁一面に展示されている壮観な光景が見られますが、実際に衣装を着ているときの姿がマネキンで再現されているのも見どころの一つです。


展示風景


静寛院宮(和宮、1846-77)や天璋院(篤姫、1836-83)が用いたかるたや雛人形、楽器などから、日々の生活やあそびをうかがい知ることができますが、珍しいのは和宮が所持していたと伝えられる小さな人形や器、貝殻やタツノオトシゴなどの手廻り小物でした。
短い結婚生活ではありましたが、和宮と夫の十四代将軍・徳川家茂(1846-66)は大奥で玩具類を通じて語らいあったという、ほほえましい記事が残されています。


和宮手廻り小物 静寛院宮(和宮)所用 江戸時代 19世紀
東京・公益財団法人 徳川記念財団


江戸時代の娯楽として人気のあった歌舞伎は、大奥にいる女性たちにとっても気になるところでしたが、歌舞伎を見て門限を破った絵島のように厳しく罰せられることもありましたが、十一代将軍徳川家斉(1773-1841)の時代には大奥の中で歌舞伎が演じられました。
歌舞伎といっても大奥の中ですから、演じたのは女性。歌舞伎役者のお狂言師・坂東三津江が家斉の妹の蓮性院ほかの前で演じたと伝えられる衣装は、さすが大奥、豪華絢爛そのものです。

展示風景


大奥の展覧会ですので、グッズも彩り豊か。ぜひ、特設ミュージアムショップにもお寄りください。

特設ミュージアムショップ


特別展「江戸☆大奥」の全作品の魅力を余すところなく収めた公式図録も見応えあります。
『千代田の大奥』に登場する女性たちを散りばめた、華やかで煌びやかなデザインの表紙が際立っています。

特別展「江戸☆大奥」公式図録

今まで厚いヴェールに包まれていた大奥の真の姿が見られる展覧会です。
この夏、江戸時代にタイムスリップした気分になってみませんか。