2011年8月23日火曜日

日独交流150周年(10)

(前回からの続き)
今年の7月に半藤一利氏の『山本五十六』が平凡社ライブラリーから出版された。今回が3回目の出版とのことだが、やはり日米開戦70周年だから山本五十六が注目されているのだろうか。
また、対米開戦に反対した3人の提督については、阿川弘之氏の提督3部作『米内光政』『山本五十六 上・下巻』『井上成美』(いずれも新潮文庫)に詳しいので興味のある方はご参照いただきたい。
ここでもう一人の良識派、井上成美に移る前に、週末に見たドイツ映画『ヒトラー~最期の12日間~(Der Untergang)』(2004年公開)の感想を少し。
内容は日本語タイトルのとおり、ソ連軍がベルリンに迫り、総統官邸の地下壕にこもるヒトラーとその部下たちの人間模様、ヒトラーの自殺と終戦までを描いたもの。ヒトラー役はスイス出身の俳優ブルーノ・ガンツ。ちょび髭をはやし、八二ぐらいの横分けにして、興奮しだすと大きな声を出し、右手のこぶしを振り上げ、前髪が揺れて額にかかる演技は真に迫っている。
登場人物の誰もが破滅を前にして、物語は重く、暗く進んでいく。映画が終わってエンド・クレジットを見ている間も心の中に重たさが残り、頭の中には整理しきれない何かが渦巻いていた。
この映画で監督はヒトラーをどう描きたかったのか。女性秘書や子どもたちに時おり見せる優しさももちあわせていることを表したかったのだろうか。いや、そうではない。将軍たちに無理な命令を出し、反論されると逆上して大声で怒鳴るところはまさに独裁者だ。
そういったヒトラーのしぐさより、私にはゲッベルスの方が印象深かった。人間はどこまで人に忠誠を誓うことができるのか、それを示したのがゲッベルスだったからだ。
ゲッベルスは生粋のナチ党員で、1933年ヒトラー政権誕生後に新設された国民啓蒙宣伝大臣として入閣、数多くのアジテーション演説で国民の戦意を煽り、報道や芸術を統制し、映画、演劇、学問などあらゆる領域でナチ化を進めた。
ベルリンを離れヒトラーに全権委任を要求したゲーリング、、ヒトラーに重用されながらもヒトラーの冷酷さに疑問を抱きハンブルクに去るシュペーア、リューベックで連合軍に独断で降伏を申し出たヒムラーと異なりゲッベルスは最後までヒトラーとともにいて忠誠を誓った。
思い通りにならない将軍たちを怒鳴りつけるゲッベルス、ヒトラーからベルリンを脱出するよう命令されてめそめそするゲッベルス。そのゲッベルスが、ヒトラーの自殺後、遺言に基づいて総統官邸の中庭で死体をガソリンで燃やし、ナチ式敬礼をして最後の忠誠を誓う。炎に照らされたゲッベルスの狂気に支配された表情がなんともいえず異様だ。
ヒトラーから首相に任命されたゲッベルスも、その翌日、妻と6人の子どもたちとともに命を絶った。

歴史は繰り返す、と言う。
DVDを見終わったらちょうどNHKのニュースがリビア情勢について報道していた。
NATOの支援を得た反体制派は、首都トリポリを制圧しつつあるが、それでも独裁者カダフィ大佐は強気の発言をしている。さらに、国営放送の女性キャスターは銃を持ちながら「私たちは殉教者になる覚悟でいる」と言っている映像が紹介されていた。
今はもう反体制派が首都を制圧してカダフィ大佐の行方を追っているようだ。
果たしてカダフィ大佐はヒトラーのように自殺して、ガソリンで死体を燃やすよう命令したのか、銃を持った女性キャスターはゲッベルスのように殉教したのか。
繰り返してほしくない歴史である。

さて、ようやくもう一人の良識派、井上成美。井上はイタリア駐在の経験から、三国同盟のもう一人のパートナーであるイタリア人がいかに戦争に向いていない民族であるか見抜いていた。
確かにイタリア軍は弱かった。
1940年6月10日、ドイツのフランス侵攻に遅れること1ヶ月、漁夫の利を得ようとしてフランスに攻め込んだが、反対に国境線で撃退されてしまう。さらに、同年9月13日にはイタリア領リビアからエジプトに侵攻するが、12月に始まったイギリス軍の攻勢で壊滅的打撃を受ける。10月28日にはイタリアが併合したアルバニアからギリシャに攻め入るが、反対に押し返され、アルバニアの南半分を奪われてしまった。(翌年1月には、この機に乗じてイギリス軍がギリシャに上陸してきた)
そこで、翌年1月、ムッソリーニはヒトラーに助けを求めた。ドイツとしてもバルカン半島や北アフリカがイギリスの勢力圏内になってはかなわない。さっそく、2月にはロンメル将軍指揮のアフリカ軍団がリビアに派遣され、4月にはドイツ軍によるギリシャ攻撃が始まり、5月にはギリシャが制圧された。
井上が予測したように、イタリアはドイツにとってお荷物でしかなかった。

ここでふたたび笹本駿二氏の『第二次世界大戦下のヨーロッパ』に登場願う。笹本氏は、ムッソリーニの軽率な行動の代償は大きかった、と言っている。
なぜなら、ドイツのソ連攻撃が6月22日でなく、当初の予定どおり5月15日に始まっていれば二度目のモスクワ攻撃もひと月早い9月上旬に始めることができた。モスクワを攻略できたかどうかわからないが、「冬将軍」にひどく悩まされることもなかっただろう、と考えているからである。
ついでながら、井上も戦争に弱かった。
1941年(昭和16年)8月に、第一次世界大戦後、ドイツから取り上げた南洋諸島(内南洋)の防備を担当する第4艦隊の司令長官に任命され、開戦劈頭、内南洋にあるアメリカ軍基地のひとつウェーキ島に上陸作戦を敢行したが失敗。その後、真珠湾攻撃の帰りの機動部隊の応援を得てようやく攻略に成功した。また、翌年5月にはニューギニア島南部のポートモレスビー攻略を図ったが、やはり失敗。海軍内では「マタモ負ケタカ四艦隊」ともの笑いのタネにされた。
実戦には弱い井上ではあったが、学問には長けていた。
三国同盟締結で湧きかえる中、ヒトラーの著書『我が闘争(Mein Kampf)』を原書で読んでいた井上は、ヒトラーが日本人を侮蔑する記述をしているのを知っていたので、そんな相手と同盟を結ぶのか、と冷ややかだった。当時、日本に出回っていた抄訳では、都合の悪い箇所は訳されいなかったので、多くの人はそのことを知らなかったのだ。
今の日本では角川文庫から出ている上下二巻で全部を読むことができる。ちなみに私はブックオフで上巻100円、下巻400円で買った。独断と偏見とはまさにこの本のためにあるのではないかと感じた。読んでいて気分が悪くなる。それでも我慢して必要と思える箇所はひととおり目を通した。
(次回に続く)