2018年6月9日土曜日

上野の森美術館「ミラクルエッシャー展」内覧会

「ミラクルエッシャー展」が上野の森美術館で始まりました!

オランダの版画家 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898-1972)の生誕120年を記念して開催された今回の展覧会。世界最大級数のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品から選りすぐりの152点が展示されています。


美術館前のパネルはエッシャーワールド!

「だまし絵」といえばエッシャーと言われるくらい「だまし絵」で知られているエッシャーですが、今回の展示は8つのキーワードでエッシャーの謎を解き明かす内容になっていて、会場内を進むごとに少しずつ、少しずつエッシャーの世界に引きこまれ、最後には「だまし絵」の世界にはまり込む仕掛けになっています。

8つのキーワード
 1 科学、2 聖書、3 風景、4 人物、5 広告、6 技法、7 反射、8 錯視

そしてもう一つ、エッシャーが生きた時代背景を思い浮べながら、ファシズムの嵐が吹き荒れる欧州で、必死にもがき苦しみつつ自らのスタイルを探し求めたエッシャーの姿を、作品を通じて感じとることができるのも、今回の展覧会の大きな特徴です。

それではさっそくエッシャーのワンダーワールドをご案内しましょう。
※掲載した写真は主催者の特別の許可を得て撮影したものです。



「1 科学」

「1 科学」展示風景

1898年にオランダ北部の都市レーウワルデンで生まれたエッシャーは、1919年にハールレムの建築装飾美術学校に入学して、建築を学び始めましたが、同校の版画家で、のちのエッシャーに大きな影響を与えることになったサミュエル・イェッスルン・ド・メスキータと出会い、版画の道に転じました。

こちらは同校在学中の作品《貝殻》(1919/20年 木版)。

エッシャー《貝殻》(1919/20年 木版)

第二次世界大戦後の作品《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)と比べてみても、一つのパターンが反復するところなどは、すでに版画を始めたときから「だまし絵」の片鱗があったように思えます。

エッシャー《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)

エッシャーは同時代に発展した科学ー数学の図形や結晶学、そして幾何学模様などを応用して画面に表現しました。

マルタ島の風景が半球型に膨らんでいる!
この作品は1945年7月に完成しています。欧州では長い間続いた戦火はすでに止んでいたので、それを思うと、気のせいかマルタ島の明るい日差しがよりいっそう輝いているように見えます。

エッシャー《バルコニー》(1945年 リトグラフ)

捨てられたごみの中に結晶体!


エッシャー《対照(秩序と混沌)》(1950年 リトグラフ)


「2 聖書」



「2 聖書」展示風景

「エッシャーのバベルの塔は高層ビル!」(バカリズムさんの音声ガイド)

エッシャー《バベルの塔》(1928年 木版)


このコーナーには敬虔なカトリック教徒であったエッシャーの描いた聖書を題材とした作品が展示されていますが、作品は1922年から1928年までに集中しています。


解説パネルによると「1935年、エッシャーはヒエロニムス・ボスの《地上の楽園》(1503-4)の地獄の場面の一部を模写したリトグラフを制作したが、この後、伝説や宗教主題に対するエッシャーの関心は弱まっている。これは、イタリアでのファシズムの台頭に対するエッシャーの抗議であった」とのことで、エッシャーの芸術活動にはファシズムが暗い影を落としていました。

さて、ファシズムの暗い影とは?
「3 風景」に移りましょう。


エッシャーはイタリア滞在中に多くのスケッチを描き、イタリアの風景の作品を残しました。しかし、「エッシャーにとってイタリア滞在はあまり心地の良いものではありませんでした」と音声ガイドのバカリズムさん。

1922年に建築装飾美術学校を卒業したエッシャーは北イタリア、スペインのアルハンブラ宮殿ほかを旅行したあと、1935年までイタリア各地に滞在します。学校を卒業したばかりの青年画家は、きっと希望に胸をふくらませて、太陽が燦々と輝くイタリアに向かったことでしょう。

しかし、 エッシャーにとってイタリアに行った年が悪かったです。

1922年は、ムッソリーニ率いるファシスト党がクーデターを企て「ローマ進軍」をした年(同年10月)。その後、ムッソリーニ内閣が成立し、1924年には独裁体制を確立させ、1929年の世界大恐慌を経て、1926年アルバニア保護国化、1935年エチオピア侵略、と露骨な領土の拡張を行い、イタリアは国際社会との対立を深めていきました。
そして、国内ではファシスト党のシンボルの黒シャツを着た「黒シャツ隊」が街中を闊歩して、エッシャーにはいやでもそういった光景が目に入ったことでしょう。

南国の風景でありながら、どことなく愁いを帯びた絵を描いたのは、こういった時代背景があったからなのかもしれません。



「3 風景」展示風景

「3 風景」展示風景
「3 風景」展示風景

しかしながら、愁いを帯びているといっても、曲がりくねった回廊、複雑にいりくんだ建物、などなど、のちの「だまし絵」に通じるような風景画は独特の雰囲気が感じられ、イタリアの景色を思い浮べさせてくれる、とてもいい作品ばかりでした。




エッシャー《アマルフィ海岸》(1934年 木版)


「4 人物」には美術学校在校時の自画像が展示されています。
背景の版画作品が「俺は版画家だぞ。」と主張しているようにも見えます。


エッシャー《椅子に座っている自画像》(1920年 木版)
もちろん、同じモチーフの反復やテープで描かれた人の顔など、いかにもエッシャー!という作品も展示されています。

エッシャー《出会い》(1944年 リトグラフ)


エッシャー《婚姻の絆》(1956年 リトグラフ)

エッシャーはファシズムから逃れるため、1935年にイタリアから出て、スイス滞在を経て1937年にベルギーのブリュッセルに移り住みます。
1933年には隣国ドイツにナチス政権が誕生していたので、山岳地帯と強力な軍備に守られたスイスに留まらないで、なぜ平地で攻め込まれやすく、たいした軍備をもっていなかったベルギーに行ったのでしょうか。
(実際にドイツは、損害が大きくなることをおそれてスイスには侵攻しませんでした。)

今から考えてみると、わざわざ危険な場所に行ったように思えますが、当時はまだナチス・ドイツの脅威は実感として感じらる風潮ではなかったのでしょうか。

しかし、欧州情勢はその後大きく動きました。
1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発して、約1ヶ月でポーランドは制圧され、さらに1940年5月にドイツ軍はオランダ・ベルギーを侵攻し、6月10日にはパリに無血入城します。
これ以降、連合軍に解放されるまでの4年余り、オランダ・ベルギーはドイツの占領下に置かれました。
その後、エッシャーは1941年、故郷オランダのバールンに転居します。

「5 広告」
エッシャーは、グリーティングカードやレストランためのエンブレムなども手掛けていました。こちらの作品は、ドイツ占領時代にナチスに抵抗したオランダのレジスタンスへのオマージュとして制作したものです。
井戸からはしごを伝って上がってくる人の手と、井戸の口から見える外の景色が描かれています。


エッシャー《オランダ蔵書票協会(ハーグ)のための年賀状
(グリーティングカード》(1946年 木口木版)


1階の展示室はここまでで、次に2階に向かいます。


「6 技法」

「6 技法」展示風景


「6 技法」展示風景
球面鏡に反射するイメージを表した《眼》。
鏡に映る自分自身の眼に映るのは骸骨。

エッシャー《眼》(1946年 メゾティント)

この作品が制作されたのは第二次世界大戦終結後の1946年。
骸骨は戦争で失った人たちに対する悲しみの象徴なのでしょうか。


内覧会冒頭のロニット・ソレックさん(イスラエル博物館 版画・素描部門学芸員)のお話はとても印象的でした。

「エッシャーは、ユダヤ人の師ド・メスキータに身を隠すように説得しましたが、ド・メスキータは、まさか連行されることはないだろう、と聞き入れませんでした。しかし、1944年、ド・メスキータはドイツ当局に連行され、アウシュビッツ強制収容所に送られて帰らぬ人となりました。」
「その後、エッシャーは、ド・メスキータの自宅で、ドイツ軍によって荒らされた作品を集め、戦後に開催されたド・メスキータの追悼展で展示しました。展示作品の中には、ドイツ軍兵士の軍靴の足跡がついた作品もそのまま展示されました。」

ちなみに、このメゾティントという技法は手間がかかるためエッシャーの作品では8点しかないそうです(バカリズムさんの音声ガイドより)。

「7 反射」では、鏡を使ったエッシャーのトリックにまんまと引っかかってしまいます。
正面の作品は《球面鏡のある静物》。
作品の後ろにはさらに展示室があるように見えますが、実は背面は鏡。向こうの世界に行かないようにご用心。

エッシャー《球面鏡のある静物》(1934年 リトグラフ)
「8 錯視」
最後がいよいよエッシャーの「だまし絵」ワールドです。

1922年と1935年に訪れたアルハンブラ宮殿は、エッシャーに大きなインパクトを与えました。
アルハンブラ宮殿の幾何学模様をもとにトカゲをモチーフにした《発展Ⅱ》。

エッシャー《発展Ⅱ》(1939年 多色刷り木版)

空間がゆがんだアルハンブラ宮殿?
エッシャー《上と下》(1947年 リトグラフ)

エッシャーワールドはさらに続きます。

エッシャー《相対性》(1953年 リトグラフ)



エッシャー《ベルヴェデーレ(物見の塔)》(1958年 リトグラフ)



エッシャー《滝》(1961年 リトグラフ)



そして最後のクライマックスは4mもの長さの《メタモルフォーゼⅡ》。


METAMORPHOSEという文字が図形やトカゲ、鳥や魚、そしてイタリアを思わせる街並みやチェスの駒と盤、さらに図形に変化してMETAMORPHOSEという文字に戻るという不思議な一大絵巻物語。
今までエッシャーが描いてきたモチーフが次から次へと「変容」していきます。

《メタモルフォーゼⅠ》が描かれたのは1937年。そして、《メタモルフォーゼⅡ》が描かれたのは1939-1940年。

世界や自分自身が大きな嵐の渦に巻き込まれる不安な心境を反映したのでしょうか、とても不思議で、考えさせられる作品です。

さて、ミラクルエッシャー展はいかがだったでしょうか。
この夏、みなさんもぜひエッシャーの「謎」に迫ってみてはいかがでしょうか。
要所を押さえ、ユーモアをまじえたバカリズムさんの音声ガイドもおすすめです。


チケットカウンターもエッシャーワールド!


【展覧会概要】
 開催場所 上野の森美術館
 開催期間 6月6日(水)~7月29日(日) 会期中無休  
 開催時間 10:00-17:00 毎週金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
 チケット 一般 1600円他
  記念講演会もあります。詳細はミラクルエッシャー展公式ホームページをご参照くだ
 さい。