JR東京駅にある東京ステーションギャラリーでは「小早川秋聲-旅する画家の鎮魂歌」が開催されています。
この展覧会は、小早川秋聲(1885-1974)の京都での修業時代の歴史画から、国内や海外を旅して描いた風景画、従軍画家として描いた戦争画、そして戦後の仏画まで100点以上の作品で画業の変遷をたどる初めての大規模な回顧展。
大正から昭和にかけて激動の時代に活動した画家だからこそ、作品からは「生きるとは何か」という問いかけが感じられ、胸が熱くなる思いがする展覧会です。
《國之楯》で近年特に知られるようになった小早川秋聲ですが、初めて名前を聞いたという方にもおススメできる内容なので、さっそく報道内覧会に参加したときの様子をレポートしたいと思います。
※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は報道内覧会で美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※作者はすべて小早川秋聲です。
展覧会概要
会 場 東京ステーションギャラリー(JR東京駅 丸の内北口 改札前)
会 期 2021年10月9日(土)~11月28日(日)
休館日 月曜日(11月22日は開館)
開館時間 10時~18時(金曜日は20時まで)
*入館は閉館30分前まで
◎新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催内容が変更になる場合があります。
入館料 一般 1100円 高校・大学生 900円 中学生以下無料
※本展チケットは日時指定の事前予約制です。ご来館前にローソンチケットをお買い求めください。ただしチケット残数に余裕がある場合は美術館でも当日券販売を行います。
※展覧会の詳細、チケット購入方法等は同館ホームページをご覧ください⇒東京ステーションギャラリー
巡回展 鳥取県立博物館 2022年2月11日(金)~3月21日(月)
展示構成
第1章 /はじまり-京都での修業時代
第2章 /旅する画家-異文化との出会い
第3章 /従軍画家として-《國之楯》へと至る道
第4章 /戦後を生きる-静寂の日々
第1章 /はじまり-京都での修業時代
展示室に入ってすぐに目に入ってくるのは、鎧に身を固めた武将と焚火を取り囲む兵士たち。
第1章展示風景 |
1885年に鳥取県・光徳寺住職の長男として生まれ、京都・東本願寺の僧籍を持ちながら、幼い頃から絵を描くことが好きだった小早川秋聲が16歳の頃に描いた作品が上の写真右の《山中鹿介三日月を拝する之図》(1902年頃 日野町(鳥取県)蔵)。
この頃、秋聲は歴史画を得意とした京都画壇の日本画家、谷口香嶠に師事して、第1章に展示されいている《小督》《譽之的》《楠公父子》(いずれも、明治末期~大正期 個人蔵)はじめ歴史画を多く描きました。
そして、上の写真左は、秋聲が1905年に一年志願兵として騎兵連隊に入隊して、見習士官として日露戦争に従軍したときの一場面を描いた《露営之図》(1906年頃 日野町(鳥取県)蔵)。
当時はまだ20歳前後で若かった秋聲ですが、この2点の作品からは、僧侶になることを拒んで画家の道を選び、画家でありながら陸軍に志願するという、一つの殻に閉じこもらない秋聲の生きざまのようなものが感じられました。
続いて、もう一つ秋聲らしく行動力あふれるエピソードが紹介されていました。
谷口香嶠が1909年春に開校した京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)の教授職に就き、秋聲は同校本科生となりますが、東洋美術を知るには中国に行かなくてはと思い立ち、ほどなくして同校を退校して、北京に向かい1年半ほど滞在しました。
上の写真左の《するめといわし》(1909年頃 個人蔵)は、同校在校時に描かれたとされる作品です。
秋聲が行ったころの中国は、映画『ラストエンペラー』でも描かれているように、1911年に辛亥革命が起こり、その翌年には宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位して、280年近く続いた清帝国が滅ぶ、まさにその前夜ともいえる混乱期。
よくこんな時期に思い立って中国に行く気になったと思いましたが、のちほど紹介する展覧会公式図録の年譜を見ると、1913年にも中国を再訪して、紫禁城武英殿に毎日通い東洋美術の研究を行ったり、万里の長城の八達嶺など各地の名勝古跡を巡ったりしていたのです。
紫禁城(現在の故宮博物院)の武英殿は今でも故宮の至宝の展覧会を行う建物で、私も2015年に行って、中国絵画の至宝中の至宝、張択端《清明上河図》はじめ中国絵画の名品を見てきましたが、それにしても毎日通っていたとは。羨ましい限りです。
第2章 /旅する画家-異文化との出会い
第2章は、旅先の景色を描いた作品が多く展示されているのですが、まずは秋聲の心情が感じられる作品を紹介したいと思います。
第2章展示風景 |
上の写真左は、柱にくくりつけられて泣いている雪舟を描いた《雪舟》(昭和初期 圓重寺蔵)。
これは学校の授業でも習う有名な逸話を描いたもので、秋聲は画家になりたい若い修業僧、雪舟に自分自身の姿を重ね合わせたのでしょう。
右は、仏教を奨励して、自らも講義を行った聖徳太子へのリスペクトが感じられる《法華経を説く聖徳太子像》(1926年 個人蔵)です。
20歳代に訪れた中国の故事を題材とした作品も展示されています。
下の写真右の2幅は不老長寿を題材とした《菊童子・東方朔》(1919年 個人蔵)。
第2章展示風景 |
30歳代になると秋聲はヨーロッパの旅に出ました。
それも現在のように、飛行機で行って1週間で帰ってくるというあわただしい旅ではなく、1920年12月末に日本を発ち、中国、マレー半島、ジャワ島、インド、セイロン島、エジプトを回って、約1年間かけてヨーロッパ各地を訪れて1923年5月末に日本に帰るという、長い長い旅でした。
第2章展示風景 |
ヨーロッパで訪れた都市も、ロンドン、パリ、ベルリン、ドレスデン、プラハ、ブダペスト、ウィーン、ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ポンペイ、シチリア島など、コロナ禍の前なら日本からも多くの観光客が訪れる人気都市ばかり。
また、1920年代のアメリカでは人種差別的風潮が高まり、日系移民が多かった西海岸の州では激しい排斥運動が展開され、1924年には日本を含むアジア系移民を禁止する移民法が成立しました。
そういった反日感情を芸術交流を通じて緩和するため、秋聲は1926年3月から7月まで、ハワイ経由でアメリカの西海岸から東海岸まで横断する旅に出ました。
気が重たくなるような任務を担ってアメリカを訪問した秋聲ですが、それでもグランドキャニオンの雄大な景色を描いた作品を残しています。
旅行好きだった秋聲は、海外だけでなく日本全国も旅行して旅情豊かな景色や人物を描いています。
こちらは、山陰地方に旅行した時の風景や地元の人たちを描いた『裏日本所見畫譜』(1918年 個人蔵)。
円山応挙一門の障壁画で知られる兵庫県香住の応挙寺(大乗寺)も訪れているのですが、描いているのは行水している和尚さん。
作品全体にほのぼのとした雰囲気が感じられました。
コロナ禍でまだまだ海外旅行や国内の移動が安心してできない状況が続いていますが、この空間に身を置くと海外や国内各地を旅行しているような楽しい気分になってきます。
第3章 /従軍画家として-《國之楯》へと至る道
1931年9月18日、柳条湖事件に端を発して満州事変(1931~33)が勃発すると、秋聲は12月から翌年1月まで厳寒の満州北部を巡り、その後も従軍画家として、また従軍慰問使として中国を訪れています。
戦争画というと勇ましい戦闘シーンを思い浮かべますが、展示作品を見て感じた秋聲の特長は、自身も日露戦争で従軍しているだけに、前線で辛い思いをしている兵士目線で描く作品が多いということでした。
第3章展示風景 |
上の写真左の作品《護国》(1934年 個人蔵)では、体の芯まで凍りそうな寒さの中、焚火を囲んで束の間の休息をとる兵士たちが描かれています。
身をもって夜営の辛さを体験した秋聲ならではの作品ではないでしょうか。
上の写真右は、満州事変三周年を記念して描かれ、関東軍司令部の会議室に掲げられていたという《御旗》(1934年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託))。
直立不動で長時間立っている歩哨兵の辛さが伝わって来る作品ですが、画面の中央には満月、足元には草花が描かれ、画面左の軍旗が立てかけられた叉銃 にはバッタがとまっていたり(←ぜひ探してみてください!)、どこか牧歌的な雰囲気が感じられ、歩哨兵も違和感なく風景全体に溶け込んでいるようにも見えてきます。
兵士たちの死と向かい合った作品を描いているのも秋聲の戦争画の特長であると感じました。
下の写真右は、戦死した兵士を葬る場面を描いた《護国の英霊》(1935年 京都霊山護国神社)。
僧籍をもち、従軍慰問使としても派遣されていた秋聲は、このような場面に多く立ち会ったことでしょう。
第3章展示風景 |
戦死した陸軍将校の遺体が横たわる姿を描いた《國之楯》は、天覧に供するため陸軍省の依頼で描いたと伝わるのですが、陸軍省によって受け取りを拒否された作品。
なぜ陸軍省から受け取りを拒否されたのか、なぜ、戦後、秋聲は遺体の上にはらはらと散る桜の花びらを黒く塗りつぶしたのか、多くの謎に包まれている作品ですが、遺体が光を放っているように描かれた、今回が初公開の《國之楯(下絵)》(1944年頃 個人蔵 部分)(上の写真右)と見比べてみると、見る人それぞれの思いが感じ取れると思います。
第4章 /戦後を生きる-静寂の日々
戦後、秋聲は、戦犯として捕らえられることを覚悟して、アトリエにはわずかな画材道具と身の回り品をまとめた風呂敷包みを置き、逃げたと思われるのが嫌で、あれほど好きだった旅行にも出かけることはありませんでした。
第4章には、秋聲が京都でひっそりと暮らしていた晩年に多く描いた仏画を中心とした作品が展示されています。
第4章展示風景 |
特に注目は、上の写真左の《天下和順》(1956年 鳥取県立博物館)。
楽しそうに踊る大勢の男たちの姿が印象的です。
「天下和順」とは、「無量寿経」の中の偈文で、秋聲は好んでいた言葉でした。
日露戦争から、満州事変、第二次世界大戦と続く激動の時代に、画家として旅を続け、絵を描き続けた秋聲が最後にたどり着いた平穏な境地を見て、ホッとした気分で終えることができる展覧会でした。
ミュージアム・ショップにもぜひお立ち寄りください!
展覧会公式図録は、展示作品はもちろん、東京会場で展示されていない作品も掲載されていて、詳細な解説や年表もあって、小早川秋聲の知られざる画業を知るにはベストの本。
ぜひおススメしたいです。定価は本体2,400円+税。
京都画壇を知るためのベストの本は『近代京都日本画史』(本体3,200円+税)。
こちらもミュージアム・ショップで販売しています。
ポストカード7種(1枚 税込180円)、A4クリアファイル3枚セットは税込1,200円。
こちらも来館記念にぜひ!