2013年6月4日火曜日

「夏目漱石の美術世界展」ブロガー特別内覧会

先週の金曜日、3月のルーベンス展に続いてブロガー特別内覧会に参加してきました。
今回は東京藝術大学大学美術館で開催中の「夏目漱石の美術世界展」です。
ドイツに留学した森鷗外と違いロンドンに留学した夏目漱石とドイツとのゆかりはありませんが、今回は例外ということでおつきあいください。
(今回撮影した写真は美術館より特別な許可を得て撮影しています)

 エントランス風景。

初めに、この展覧会の企画・構成担当の東京藝術大学大学美術館 古田亮准教授から、見どころと主な出展作品についての解説をいただいた。
「今回の展覧会は漱石の頭の中に入る企画です。つまり漱石の頭の中の絵画的イメージがどのように小説に現れているか見てください」

今まで私の頭の中でぴったりと合わさっていなかった漱石と絵画。この二つが会場の中でどうコラボしているのか、いやがうえでも期待は高まっていく。
(古田准教授は琳派とクリムトやマチスを比較する展覧会を企画された方だというのを、著書『俵屋宗達』(平凡社新書 2010年)で知りました。『俵屋宗達』おもしろかったです)

実を言うと、私の頭の中では漱石=文明批評家というイメージだけが定着していた。
作品の中で特に印象に残っているのは『それから』の主人公 代助が友人の平岡と酒を酌み交わすシーン。
代助は三十歳になっても定職をもたず父からの援助で毎日ぶらぶらしていた。
そこで問い詰める平岡に代助が反論する。

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係がだめだから働かないのだ」

「日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ」
「日本の社会が精神的、道義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね」

(新潮文庫『それから』P87~P89)

明治維新以降の行き過ぎた近代化、西洋化を痛烈に批判した漱石。そして日本の行く末を案じていた漱石。
こういう所はよく覚えていても、美術作品に関する記述の部分は、きっと本筋には関係ないと思って読み飛ばしていたのだろう。

実際に会場の中で絵の解説を読んでみると、こんなに多くの絵が漱石の作品の中にちりばめられていたのだ、とあらためて驚く。

『坊ちゃん』 ターナーの松(「金枝」)
『草枕』 伊藤若冲の鶴(「鶴図」)
『こころ』 渡辺崋山の最後の画(「黄粱一炊図」)
『それから』 円山応挙の屏風(今では掛け軸になった「花卉鳥獣人物図」)
『門』 岸駒の虎(「虎図」)
などなど。

日本の西洋化を批判した漱石ではあるが、美術作品に関していうと、洋の東西を問わずバランスよく作品を評価している(上に挙げた作品の中に日本画が多いのは私の趣味です)。

展示場風景。




 
 
展覧会の案内パンフレットには「みてからよむか」とある。
実際に「見たから読みたくなった」という気にさせてくれる不思議な展覧会だ。

この展覧会は7月7日(日)までで、その後は静岡県立美術館で7月13日(土)から8月25日(日)まで巡回展が開催される。
渡辺崋山の「黄粱一炊図」は東京会場のみで、他に展示替えもあり、この展覧会のためにわざわざ制作された作品も二点ある(酒井抱一作として『虞美人草』に出てくるが架空の作品「虞美人草図屏風」、『三四郎』に登場する原口画伯の作品「森の女」)。
見どころいっぱいのこの企画。
おススメです。

2013年5月28日火曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(12)

平成24年9月7日(金)続き
ヘルダー教会からワイマール中央駅まで歩き、10時55分発の急行(RE)に乗りエアフルトに向かった。
エアフルトまではわずか13分。
エアフルト中央駅のホームから階段を降りるとすぐに道路になっていて、いきなり目の前を路面電車が走ってくるので、最初は驚く。


この通りの名はずばり「駅前通り(Bahnhofstraße)」。
市の中心のアンガー広場まではこの駅前通りを5分ほど歩くことになる。

商店街が続く中、突然、レグラー教会(Reglerkirche)というバジリカ式の教会が現れてきた。
案内板を見ると、手前の「南塔」と塔の間の入口の建物は12世紀に建てられた、とある。


扉を開けると、係の年配の女性が笑顔であいさつをして「中へどうぞ」と言う。
新教の教会だけあって中はいたってシンプル。
それでも祭壇画は15世紀のもので、厳かな雰囲気を出している。


こちらはパイプオルガン。

中を一回り歩き、寄付箱にコインを入れ、お礼を言って外に出ようとしたところ、係の女性が、
「これは旧ユダヤ教会のパンフレットです。今、宝物展を開催しているので、よかったらどうぞ」
ユダヤ教会が焼かれた不寛容の時代から65年余り、今ではキリスト教会にユダヤ教会のパンフレットが置いてある。まさに宗教間の融和の象徴だ。

しばらく歩くと広場が見えてきた。
これがアンガー広場。
エアフルト市は人口が約20万人と、さほど大きくない街であるが、さすがに州都だけあって、店の数も、観光客をはじめ外をに出ている人の数もワイマールに比べて多く、にぎわっている感じがする。

今では旧東ドイツの街にもマクドナルドがすっかり定着している。
古い建物にもぴったり合うから不思議だ。
 


こちらはアンガー広場の一角に立つルター像。

ルターは、エアフルト大学で法学を学んでいたが、帰省先のアイスレーベンからエアフルトにもどる途中、落雷に打たれたのをきっかけに修道士になることを決意した。
そのルターが修業したのがアウグスティーナー修道院。



路地を歩いていたら、見つけた!東ドイツの国民車トラバントだ。
去年のドイツ旅行から数えて、現役のトラバントを見るのはこれが初めてだ。
近くまで行って車の中をしげしげと見てしまった。周りの人たちに怪しまれなかっただろうか。
後ろに停まっているのはメルセデスベンツ。
トラバントとメルセデス。これは東西ドイツ統一の象徴的なシーンだ。

こちらはクレーマー橋。クレーマー(Krämer)とは雑貨屋、小間物屋という意味。その名のとおり、橋の両側には土産物店やカフェが並ぶ。

外から見たクレーマー橋。

2時間ほど歩き続けて市庁舎前のフィッシュマルクトまでたどり着いた。
市庁舎の正面。

フィッシュマルクトはその名のとおり、昔は魚の市が立った。

 

11時過ぎにエアフルト中央駅に着いてから歩きっぱなしだった。
もう13時を過ぎている。おなかも空いたのでフィッシャーマルクトに面したCafeでお昼をとることにした。
 
(次回に続く)

2013年5月11日土曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(11)

平成24年9月7日(金)
朝はかなり涼しかったが、空気は澄みわたり、ひんやりとした風が心地よい。
秋はもうそこまで来ていた。

この日はワイマール郊外を流れるイルム川沿いのイルム公園を散策してからチュービンゲン州の州都エアフルトに行くことにしていた。

郊外といってもイルム川が街のすぐ隣を流れているので、ホテルから5分も歩かないうちに建物がとぎれ、目の前には緑が広がる。

手前がカール・アウグスト公の居城の前を通る道。
この先がすぐにイルム公園。


石の階段を下りていくとゲーテがカール・アウグスト公から与えられた山荘「ガルテン・ハウス」が見えてくる。

 「ガルテン・ハウス」は入館して室内を見ることもできるが、このときは開館する10時までまだ時間があった。待っているとエアフルトに行くのが遅くなってしまう。入るのは次の機会にしよう、と心に決めて散歩を続けた。

朝のひんやりとした空気の中、イルム川は静かに流れる。

朝早いせいか、人もあまり見かけない。
ここに来ている人は、サイクリングしたり、ジョギングしたり、犬の散歩をさせたりと、思い思いに朝のすがすがしい空気を味わっている。

並木道の向こうには中学生くらいの生徒たちが集団で遠足に出かけてきていた。
私が近づいて行くと、集合写真を撮ろうとしていた一クラスほどの男女の生徒たちが私の方を向いて、カメラのシャッターを押すしぐさをした。
「一枚とってくれませんか」
私は「もちろん」と答え、念のため2回シャッターを押した。
彼らはモニターで出来上がりをみて満足そうに他の生徒たちがいる広場の方に走って行った。


カール・アウグスト公の居城の塔が見えてきた。朝の散歩もここまで。


ワイマール中央駅に行く途中、クラーナハの祭壇画で有名な市教会(同教会の牧師だったヘルダーの名前をとって「ヘルダー教会」と呼ばれている)に立ち寄った。

しかしあいにくクラーナハの祭壇画は修復中。
完成は2年後。また来なくては。


ヘルダー教会もアイゼナハのバッハ・ハウスと同じく第二次世界大戦の空襲で被害を受けた。
教会入口の受付にいた年配の男性は、祭壇画は郊外に疎開させていたので無事だった、と説明してくれた。
そこで私は、3年前に行った名古屋城のことを思い出し、「日本でも同じように文化財を守った人たちがいました」と説明したら、男性はしきりに感心していた。
 

国宝・名古屋城は、太平洋戦争末期の昭和20年5月の空襲で天守閣、本丸御殿とも焼失したが、障壁画は市民たちが空襲前に運び出し、おかげで狩野探幽をはじめとした狩野派の絵師の障壁画は焼失を免れた。
3年前、開府400年で湧いていた名古屋に行ったとき、名古屋城では「狩野派と名古屋城400年」展が開催されていて、探幽の「雪中梅竹鳥図襖」を見ることができた。
今月の29日には本丸御殿の玄関と表書院の公開が始まり、障壁画の復元模写が展示される(名古屋城ホームページ)。模写とはいえ、本物があるからこそ忠実に再現できたのだ。
当時の人たちの努力に感謝しなくてはと思う。

これはその時に撮った名古屋城天守閣(昭和34年再建)。

(次回に続く)

2013年4月20日土曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(10)

平成24年9月6日(木)続き

前回からの続きで、ワイマール市内の風景を紹介します。

ワイマールには街のあちこちで有名な芸術家の跡をたどることができる。
まずは、ゲーテをワイマールに招聘し、芸術を振興したカール・アウグスト公の銅像。


銅像は自らの居城をのぞむ位置に立っている。

 
 
国民劇場前のゲーテとシラーの像。
 

第一次世界大戦終結後の1919年8月11日、この国民劇場で開催された国民議会で「ワイマール憲法」が制定された。

ワイマールはゲーテの街。ゲーテ・ハウスに限らず、ゲーテの面影は街のあちこちに見つけることができる。

ゲーテ・カフェの看板。

ゲーテの指さす先はスーベニアショップ。

ゲーテが足しげく通ったシュタイン夫人の家に行く小路。

ゲーテに招かれてワイマールに移ってきたシラー(1759-1805)の面影も残っている。
左の黄色い建物はシラーの家。シラーは1802年から亡くなる1805年までここに住んでいた。
写真には写っていないが、中庭をはさんで右側にはシラー博物館が併設されている。
高校生たちはこれからドイツ文学の課外授業。

シラーの家の前を通るショッピングストリートはシラーにちなんで「シラー通り」。

 

そしてワイマールにはバッハ(1685-1750)も1708年から1717年まで住んでいた。


 しばしの散歩を楽しんだ後はお待ちかねの夕食。
この日は前から目をつけていた「ツム・ツヴィーベル(玉ねぎ亭)」。
もちろんお目当てはツヴィーベル・クーヘン(玉ねぎケーキ)。
 
 
店の入り口は狭いが、中は奥行きがある。左奥には玉ねぎがぶら下がっている。
 
 
まずはビールで乾杯。

続いて料理。
奥が「玉ねぎケーキ」。
タルトになっているものしか知らなかったが、これはピザ風。
メインはルーラーデ(牛肉を巻いて焼いたもの)。
赤キャベツとポテトダンプリングの組み合わせは、前の年の11月にドレスデンで食べたときと同じもの(2012年7月29日のブログをご参照ください)。やはりここでもジャガイモがご飯代わり。
ビールは2杯目に突入している。


 
 
これでお値段は19.6ユーロ。チップを入れて払ったのが22ユーロ。当時のレートで2,100円ちょっと。ビールの酔いで心地よくなり、おいしいものを食べておなかも満ち足りたので、手ごろな値段だろう。
 
外に出てみると、あたりはすっかり暗くなり、ひんやりとした空気がさわやかに感じられた。
(次回に続く)

 
 
 
 


2013年4月14日日曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(9)

平成24年9月6日(木)続き

ワイマール中央駅に戻ってきたのが夕方の5時前。
この時期は暗くなるのが夜の9時過ぎなので、まだまだ昼間のように明るい。
一度ホテルに戻り、夕食までの間、ワイマール市内をぶらぶら散歩することにした。
途中、ホテルの女性従業員おすすめのレストラン「シャルフェス・エッケ(Scharfes Ecke)」をさがしたが、やはり見つからなかった。

ホテルのフロントにはちょうど「シャルフェス・エッケ」を紹介してくれた金髪のロングヘアの女性がいた。
鍵を受け取りながら、「シャルフェス・エッケ」の場所がわからなかったことを伝えると、特に残念そうな表情は見せずに、
「わかりました。では予約はキャンセルしておきましょう」
と言って、電話をかけ始めた。

なんとすでに今日の予約を入れていたのだ!

それでも、手慣れたふうでもなく、どうにかなじみの店に客を呼び込もうとする(もちろん、多少の報酬はもらえるのだろう)ぎこちないところが、押しつけがましさを感じさせない。

しかし、店に連絡がとれたということは営業しているのだろう。
いつになるかわからないが、次に来た時にもう一度その店の場所をさがしてみよう。

部屋に入り一息ついてからもう一度外に出た。
特に行先は決めていない。狭いワイマール市内だから、どこへ行ってもぐるぐる回っているうちにもとのところに戻ってくることができる。

ワイマールは街じゅうがアートしている。ふらふら歩いているだけでも飽きることはない。

これはホテル・エレファント横にあるエレファンツ・ケラーの入口。看板はやはり象(左)。右はピアノのマーク。

危ない!2階の窓から人が、と一瞬思ったが、実は人形。

エッカーマン書店。『ゲーテとの対話』の著者エッカーマンの実家かどうかは不明。


ワイマールは森が近い。街のいたる所に泉がある。


レストラン「白鳥亭」。


アフリカで医療活動を行ったアルベルト・シュバイツァーの記念館。正面には2頭の獅子。


街の酒屋さん。看板はワインを入れる木箱。右の入口の上には樽もある。


マルクト広場をはさんで市庁舎の向かいにあるラーツケラー(市庁舎地下レストラン)。
ドイツの市庁舎の地下には、かつて市民が集まって飲食をしたなごりから、レストランがあることが多いが、ワイマールでは市庁舎の向かいの1階部分にある。
ここでもファザードと看板がアートしている。



こちらは食後に撮った夜のマルクト広場。
夜の9時になってようやく暗くなってきた。


(次回に続く)