2017年11月12日日曜日

泉屋博古館分館 特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」

泉屋博古館分館 特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」が11月3日から始まりました。

この展覧会は静嘉堂文庫美術館で開催中の「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」とのコラボ企画。
11月2日の内覧会と11月3日のオープニングの日に2日連続で行ってきましたが、会場に入った瞬間、あまりにすごい中国絵画のラインナップに思わず立ちすくんでしまいました。
さらに内覧会では東京大学東洋文化研究所・情報学環 板倉聖哲教授のギャラリー・トークで明清絵画の見どころをおうかがいして、中国絵画の奥行きの深さを知ることができました。
これからも板倉教授のゲスト・トーク、野地耕一郎・泉屋博古館分館長のギャラリー・トークが開催されます。展覧会の概要やゲスト・トーク、ギャラリー・トーク、さらに静嘉堂文庫美術館との連携企画の日程等はこちらでご確認ください。

https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/

さて、今回の特別展がどれだけ素晴らしい展覧会か、内覧会の様子をお伝えしながら紹介したいと思います。

内覧会では初めに野地分館長からごあいさつがありました。

野地分館長
「今回の展覧会は静嘉堂文庫美術館とのコラボ企画です。2つの展覧会を見ると15世紀から19世紀までの中国絵画の流れがよくわかる構成になっています。」
「両方の展覧会のチラシのデザインは全く違いますが、2つ並べると猫が魚を追っているところになります。(笑)」(これは気がつきませんでした!)


「なぜ今、中国絵画かというと、中国絵画が現代作家への刺激になっていて、若い作家が水墨画に興味をもち、水墨画で現代アートを描く動きがあります。また、ここ10数年の間、東アジア全体で水墨画を考える動きがあって、こういった動きの中で今回の展覧会が位置づけられます。」
「明末清初は異民族支配による王朝交代という激動の時代でした。この時期の絵画も『絵画の変』とも言える時代でした。」
「今回の展示は巻物や図冊が多いので、巻物の巻き替えや図冊のページ替えが多く、ほぼ1日ごとに20回ページ替えする図冊もあるので、全部見るには毎日来なくてはなりません(笑)。」

続いて板倉教授のギャラリー・トークをおうかがいしました。
「清初の代表者・石濤は贋作が多いのですが、泉屋博古館は真作と確認されている作品を3点所蔵していて、世界屈指の石濤コレクションを持っていると言えます。」
「他にも中国絵画のよい作品を所蔵していて、今回の展覧会は同館所蔵作品と他館所蔵作品を合わせて全部で54点、よりすぐったものが展示されていて、日本の明末清初の最高レベルの展覧会と言うことができます。」

展覧会は6章構成になっていて、最初は「Ⅰ 文人墨戯」です。

「今回の展覧会では実現したいと思っていたことが2つ実現しました。
 そのうちの一つが、徐渭の《花卉雑画巻》2点を並べて展示することでした。」
「徐渭は書も、絵も、文学作品も書くすごい人で、明末清初を切り開いた人でした。」
「東京国立博物館蔵の方が中年期、泉屋博古館蔵の方が晩年期の作品です。巻き替えがあって、後期には小魚やカニ、野菜が出てきますが、これは酒の肴を描いたもので、描いた時期による表現の違いに注目してください。」
「晩年の作品には奥行きがあります。また、竹の輪郭線を描いたあとに水気のある筆で岩の質感を出していますが、竹の輪郭線にはにじませないという周到な計算が見られます。」
どちらも徐渭《花卉雑画巻》
手前が東京国立博物館蔵、奥が泉屋博古館蔵
続いて「Ⅱ 明末奇想派」のコーナーです。

「曽我蕭白や伊藤若冲ら江戸時代の『奇想の系譜』のもとが明末にあります。明末ははっきりと『奇想』が理論づけられた時期です。日本人のあこがれが、まさにここにありました。」
(こちらが「Ⅱ 明末奇想派」のコーナーです。こんな形をした岩があるのかと思ってしまう《柱石図》、岩や木々が画面一面にうねっている《寒林訪客図》といった作品が並んでいて壮観です。《柱石図》《寒林訪客図》とも北宋後期の文人、米芾の末裔とされる米万鐘の作品です。)

右から米万鐘《柱石図》(根津美術館)、米万鐘《寒林訪客図》(橋本コレクション)、
丁雲鵬《夏山欲雨図》(橋本コレクション)、張瑞図《春景山水図》(泉屋博古館)
王建章《飛泉喬松(松林山水)図》(根津美術館)
「明末清初には絖本(こうほん 光沢のある上質の絹)、金箋(きんせん 金箔を塗った紙)が流行しました。張瑞図《山水書画巻》は金箋の上に水墨画を描いたもので、全体が光って見えます。注目の作品です。」

右 張瑞図《山水書画巻》(泉屋博古館、重美)、
左 董其昌《山水(書画合璧)図冊》(東京国立博物館)

次は「Ⅲ 都市と地方」のコーナーです。

「このコーナーでは、明代後半に経済的に繁栄した江南地方の蘇州で活躍した画家たちの作品が展示されています。」
「李士達は丸っこい人物を描くのが特長です。《竹裡泉声図》には右上に初唐・沈佺期の詩が書かれていて、この詩を知ると何が描かれているかわかるようになっています。」
(ぜひ解説パネルをご覧になってください!)
「盛茂燁《渓頭閑興図》は10数年ぶりの公開なのでお見逃しなく。空気感のある作品で、よく見ると画面の上の方がけむっているようです。」
右から、李士達《石湖雅集図扇面》(橋本コレクション)、
李士達《竹裡泉声図》(東京国立博物館 重文)、藍瑛《甲申山水図》(個人蔵)、
盛茂燁《渓頭閑興図》(個人蔵)
「邵弥《山水図》は、細かい筆遣いが見どころですが、もう一つの見どころは『かすれ』です。『かすれ』からは筆のスピード感が感じられ、画家の存在が見えてきます。」
「詹景鳳《山水図》は倪瓚に倣っていますが、人物が描かれています。これは倪瓚には見られなかったことです。この時代には現実に対するまなざしが変化してきました。張宏《越中名勝図冊》は実際に目にした景観を描いたものです。」

右から、邵弥《山水図》、詹景鳳《山水図》(以上、泉屋博古館)
徐枋《倣倪瓚山水図》(個人蔵)、張宏《越中名勝図冊》(大和文華館)


次に「Ⅳ 遺民と弐臣」のコーナーに移ります。

1644年に明が滅び、異民族の清が中国を支配したとき、明に仕えていた人たちは人生の選択を迫られました。清に従うのか、従わないで遺民になるのか、遺民となっても清に抵抗するのか、隠遁生活をするのか。

「画風と生き様がシンクロしないところが研究者として悩ましいところです(笑)。」と板倉教授がおっしゃるとおりバラエティに富んだ作品が並んでいます。

右から、王鐸《六根無塵図》、傅山『雲山寂莫図》(以上、橋本コレクション)、
許友《枯木竹石図》、周之夔《渓澗松濤図》(以上、泉屋博古館)

(ガラスケースには明滅亡後、遺民となって隠遁生活を送った龔賢(きょうけん)の山水長巻が展示されています。中国絵画ではよく見かけますが、こういった「もこもこ感」が好きです。)

龔賢《山水長巻》(泉屋博古館)


清朝が安定し全盛期を迎えると、今度は明と清の両方に仕えた人たちが乾隆帝(在位1735-95)の時代に「弐臣」としてさげすまれ、その作品は低い評価を受けました。
「彼らの作品が欧米でなく日本に入ってきたのは、江戸時代の日本人がいち早く関心をもったからではないでしょうか。一番いいものが日本に入ってきています。」

「清朝滅亡(1912)後も日本人の中国の書画への関心は高く、多くの作品が日本に入り、明治大正期の画家たちに刺激を与えました。」

「野口小蘋《春山明麗図》(大正3年)は、周之夔《渓澗松濤図》を見たのではないか、と言われています。」

左が野口小蘋《春山明麗図》(泉屋博古館分館)、左が周之夔《渓澗松濤図》(泉屋博古館)


続いて「Ⅴ 明末四和尚」のコーナーです。

遺民画家の中でも出家して僧籍に入った四人の画家たちは「四画僧」と呼ばれていました。
「1人目は漸江です。左が前期、右が晩年の作品です。この作品は特に色に注目です。」
(右の絵をよく見ると、木の葉は紅葉らしく茶色、松の葉は緑、そして遠くの山は青く塗られているのがわかります。)
「遠山の向こうに理想郷があるかのように描かれています。」と板倉教授。

左 漸江《竹岸蘆浦図巻》、右《江山無尽図巻》(いずれも泉屋博古館)
「2人目が石渓です。石渓の最もいい作品2点、《達磨図巻》と《報恩寺図》が展示されています。

右が石渓《達磨図巻》(泉屋博古館)

左が石渓《報恩寺図》、右は石濤《廬山観瀑図》(重文)
(いずれも泉屋博古館)

「3人目は石濤です。」
「実現したいと思っていて今回の展覧会で実現したことの二つ目はこれです。」と板倉教授。「黄山を描いた石濤の作品2点《黄山八勝図冊》《黄山図巻》を並べることでした。」

手前が石濤《黄山八勝図冊》、奥の左が《黄山図巻》(いずれも泉屋博古館、重文)
奥の右が《黄山図冊》(京都国立博物館) 
「石濤は色遣いに注目です。」
「唐代からある青緑山水の色遣いには、手前に茶・赤茶、真中に緑、遠くに青というルールがありましたが、石濤はこのルールを積極的にこわしたのです。」

「山水画を見たら必ず人物を探してください。その人物がどの方向を向いて、どこへ行こうとしているのか見てください。そうするとその人物とともに自分自身も絵の空間に入ることができます。」

「そして4人目は八大山人です。」

「中国絵画は擬人化が上手ではありませんでしたが、八大山人は早くから擬人化した動物を描いていました。」

(八大山人《安晩帖》は20図あって、ほとんど毎日頁替えするので、パンフレットに出ている魚は《安晩帖》の複製で見ることができます。)

そして最後のコーナーは「Ⅵ 清初の正統派、四王呉惲」です。

「個性的な四画僧に対して、四王呉惲は正統派でした。」

王時敏は董其昌の弟子で、山水画を得意としました。
王原祁《倣元末四大家山水図》は、元末四大家の黄公望、王蒙、呉鎮、倪瓚の山水図に倣ったもので、
「日本にある王原祁の作品の中で一番いいものです。四人の個性を自分なりの表現で描いています。四幅のうち、右二幅は色を使っていて、左二幅は色を使っていないところに注目です。」と板倉教授。
手前が王時敏《江山蕭寺図巻》(国(文化庁保管)、重文)、
奥が王原祁《倣元末四大家山水図》(京都国立博物館)
王翬の《関同晴麓横雲図》(個人蔵)と《倣趙令穣江村平遠図巻》(京都国立博物館)は後期に展示されます。楽しみです。(ちなみに四王のうちもう一人は王鑑です。)

呉惲のうち、宣教師だった呉歴と、「正統派の中の奇想派」惲寿平の素晴らしい作品も展示されています。

「江戸時代の日本人の中国絵画に対するあこがれを明治大正期の人たちも感じとりました。だからこそいい作品が日本に残っているのです。」(拍手)



先人たちのおかげでこんな素晴らしい中国絵画の名品が日本に残っているのは本当にありがたいことだと思いました。
野地分館長がお話されたように毎日通いたいところですが、とても時間がとれないので、少なくとも後期にはもう一回来るつもりです。
前期展示はあと残りわずかです。お見逃しなく。












 

2017年11月10日金曜日

山種美術館 特別展「没後60年記念 川合玉堂 -四季・人々・自然-」

山種美術館では特別展「没後60年記念 川合玉堂-四季・人々・自然ー」が開催されています。


日本の四季の移ろいや、懐かしい山里の風景、そしてそこに暮らす人たち。
川合玉堂の作品は、優しくて、温かくて、そして何となくホッさせてくれる、そういった魅力をもった存在でしたので、今回の展覧会もとても楽しみにしていました。
見終わっての感想は期待どおり。やはり心が温まって、なごんだ気分になります。
没後60年を記念して開催された「川合玉堂展」、玉堂の人柄にもふれることができるとても素晴らしい展覧会です。

会期は、前期が11月26日(日)まで、後期が11月28日(火)から12月24日(日)までです。
前期と後期で一部展示替えがあります。また、展示期間限定の作品もあります。

展覧会の詳細や関連イベント情報はこちらをご覧ください。
http://www.yamatane-museum.jp/

※掲載した写真は、山種美術館の許可を得て撮影したものです。

それでは先日参加した特別内覧会の進行に沿って展覧会の様子をご紹介したいと思います。

はじめに山種美術館の山﨑妙子館長からご挨拶がありました。

〇 前回の上村松園展には3万9千人近くの方にご来館いただきました。
〇 当館の創設者 山﨑種二初代館長は川合玉堂と特に親しくしていました。今回の展覧
 会は、日本の山河をこよなく愛し、そこに住む人たちを描いた玉堂の初期から晩年まで
 の画業を当館所蔵作品と他館の協力をいただいて振り返る企画です。
〇 今回の展覧会で写真撮影が可能な一点は川合玉堂の代表作《鵜飼》(作品番号30)です。



 「Cafe椿」では川合玉堂の作品にちなんだ和菓子を提供しています。


中央が「里の秋」、右上から時計回りに「冬の湖畔」「山に咲く花」「千寿」「東風」
どれも美味ですが、外側の白色と青色では想像できない胡麻風味こしあん
が中に入っている意外性で「冬の湖畔」が私のおすすめです。
(胡麻あんは大好物なのです)

 また、ショップでは、本展覧会の図録やオリジナルグッズを販売しています。
〇 次回の展覧会は来年13日(水)から始まる横山大観展。展覧会にちなんだ山下裕二氏の
 イベントを127日(土)に開催します。タイトルは「横山大観と対峙する」です。
  ご参加お待ちしております。

続いて明治学院大学教授で山種美術館顧問の山下裕二さんから展覧会の見どころをスライドでご紹介いただきました。

第1章 若き日の玉堂-修学の時代-

「今回の展覧会は、当館が所蔵する71点の玉堂作品のうち56点と、玉堂美術館、東京国立博物館、東京国立近代美術館他から作品をお借りして展示した、充実した内容の展覧会です。」


「《写生画巻》は写実を重んじる円山四条派に入門した玉堂の15~17歳の時の写生帳です。玉堂は十代の頃から確かな技術を身につけていました。」


川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館)

「猿やみみずくは毛描きを一本一本描いています。」
川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館)

(《写生画巻》は巻替えがあります。)
  
「《鵜飼》は円山応挙の《鵜飼図》の影響を受けた作品です。この作品を出品した第4回内国勧業博覧会展(明治28年開催 玉堂は22歳)で見た木挽町狩野派の流れを汲む橋本雅邦の作品に感動して、東京に出て橋本雅邦門下に入門しました。」


川合玉堂《鵜飼》明治28年(山種美術館)

「《夏雨五位鷺図》(明治32年)は雨の描き方に特長があります。斜めの線は薄墨だけでなくきらきら輝いているのでおそらく雲母(=きら)」を塗っているのではないでしょうか。」
(右斜め下から見上げると、きらきら輝いて見えます。)


川合玉堂《夏雨五位鷺図》(玉堂美術館)

「《赤壁》(明治44年頃)は金地に水墨画という、オーソドックスな手法で描かれています。」
(右隻には船の中で笛の音に聞き入る蘇軾、左隻には崖の上から悠然と同行者を見下ろす蘇軾が描かれています。とても味のある作品です。)

川合玉堂《赤壁》(青梅市立美術館)


第2章 玉堂とめぐる日本の原風景-四季、人々、自然-
 大正から昭和へ

「玉堂は若いころから円山四条派の実物描写や狩野派の漢画的な手法を身につけていましたが、《紅白梅》(大正8年頃)のように琳派的な作品も描いています。」
「落款も大きな円形で琳派を意識していますが、尾形光琳の《紅白梅図屏風》(MOA美術館蔵)にはないシジュウカラが描かれているのが玉堂らしいところです。」

川合玉堂《紅白梅》(玉堂美術館)

「漢画的、狩野派的な絵を描いていた玉堂は、昭和に入ると優しい描き方、日本の自然によりそう描き方に変わってきました。玉堂は日本の自然に心を寄せていた優しい人でした。」

右から、川合玉堂《雨後》、《石楠花》、
《竹生嶋山》(いずれも山種美術館)

「《御濠之朝》(昭和16年)は半蔵門あたりの皇居のお堀の景色で、何とも優しい風景を描いています。御濠には小さな水鳥を描いています。」
(よく見ると水鳥まわりには泳いだときにできる波が描かれています。水鳥たちはかなりのスピードで泳いでいるように見えました。)

中央が、川合玉堂《御濠之朝》(玉堂美術館)、左が《渡所春暁》(山種美術館)、
右が《松間飛瀑》(山種美術館)
奥多摩時代

「玉堂は戦時中、奥多摩に疎開して、戦後もそのまま奥多摩に住んで、《水声雨声》(昭和26年頃)のような農村の風景を描きました。」


右から、川合玉堂《水声雨声》、《雨後山月》、《魚釣り》、
《高原入冬》(いずれも山種美術館)


第3章 素顔の玉堂

戦時下の玉堂

「玉堂には常に自然や庶民に心を寄せる姿勢が見られました。」
(《ラジオいま》(昭和14年頃)には「軍艦まあち」と書かれていますが、背景は緑の葉をつけた二本の枝。おだやかな自然の一風景が描かれています。)

川合玉堂《ラジオいま》(山種美術館)

親しき人々

「人物画はあまり描かなかった玉堂ですが、《花をいけて》(昭和4年)、《川合玉堂書簡》(昭和5年)のような、子思い、孫思いの絵を残しています。」
「《花をいけて》は次男・修二の妻・照子を描いたもので、《川合玉堂書簡》では、香港に赴任中の、長女・國子の夫・大倉堯信に宛てた書簡で、國子の子(玉堂の孫)を描いています。」
「《松上双鶴》は、山﨑種二氏の長女の結婚祝いに玉堂から贈られた作品です。」

中央が、川合玉堂《花をいけて》(玉堂美術館)、左が《松上双鶴》(山種美術館)、
右が《観世大士》(山種美術館)

《川合玉堂書簡》(1930年12月3日付大倉堯信宛)
「自画像をほとんど描いていない玉堂にとって、「今良寛」と呼ばれた歌人の清水比庵との合作《先生と私》は珍しく自画像を描いた作品です。」

川合玉堂(画)・清水比庵(賛)《先生と私》(清水固氏)

松竹梅

「《竹(東風)》(昭和30年)は、横山大観が《松》、川端龍子が《梅》を描いた第1回松竹梅展に出品された作品です。」

左が、川合玉堂 松竹梅のうち《竹(東風)》、右が松竹梅のうち《竹》(いずれも山種美術館)

身近なものへのまなざし

「《熊》(昭和21年)は、当時住んでいた奥多摩で近所に現れた熊が射殺されるという出来事があって、それがちょうど玉堂の誕生日だったので記念に描いたという作品です。」
「《氷上(スケート)》(昭和28年)は、日本フィギュアスケート界の草分け的存在だった稲田悦子が近くのスケート場に出場したときの様子を描いています。」  

右が川合玉堂《熊》(玉堂美術館)、左が《氷上(スケート)》(山種美術館)

「今回の展覧会は、玉堂の人柄、実力がよくわかるとても素晴らしい内容の展覧会です。」(拍手)

続いて展示室内に移って山﨑館長のギャラリートークをおうかがいしました。

「今回の展覧会は玉堂の若いころから晩年までの作品を展示しています。」
「玉堂はとても人柄のいい方で、祖父(山﨑種二初代館長)がとても親しくしていました。そのご縁で71点の玉堂作品を当館が所蔵しています。」
「《鵜飼》(明治28年)は、愛知に生まれ岐阜で育った玉堂がわずか22歳の時に描いた作品で、構図は円山応挙の《鵜飼図》に倣っています。」
「《鵜飼》は第4回内国勧業博覧会で三等銅牌を受賞した作品です。玉堂はそこで橋本雅邦の作品と運命的な出会いをしました。その後、玉堂は雅邦のもとで絵を学びます。」
川合玉堂《鵜飼》明治28年(山種美術館) (再掲)

「《渓山秋趣》(明治39年)の構図は、橋本雅邦《白雲紅樹》(東京藝術大学蔵)の影響を受けています。」
「このころから玉堂は、漢画的な山水画から日本的な風景を描く風景画を描くようになってきました。」

川合玉堂《渓山秋趣》(山種美術館)

「《悠紀地方風俗屏風(小下絵)》は、昭和3年の昭和度御大礼に際して悠紀地方(滋賀県)を描いた屏風の下絵で、本物は現在、宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵しています。大和絵の伝統にならって青い雲で場面を仕切っていますが、当時の風俗も描いていて、自転車に乗っている人が描かれています。」(左隻の右の橋の上に自転車に乗っている人がいます。)


川合玉堂《悠紀地方風俗屏風(小下絵)》(玉堂美術館)


「ケースの中は15~17歳の頃のスケッチで、当時、猿を飼っていて、一人で寝かすのがかわいそうで抱いて寝ていたそうです。こういったエピソードに玉堂のやさしい人柄をうかがうことができます。」


川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館) (再掲)

「滝は円山四条派で書き継がれてきた画題です。」

川合玉堂《瀑布》(玉堂美術館)


「玉堂は作品の中に点景人物、点景動物を描いています。そこには鴨や猿、農村で暮らす人たちや動物への愛着を感じとることができます。」
「愛知に生まれ岐阜で育った玉堂は鵜飼を繰り返し描いていました。《鵜飼》(昭和14年頃)は水面下に鮎が描かれています。かがり火は金泥です。」
(画面中央下方の川面の下に鮎が描かれています。)


川合玉堂《鵜飼》昭和14年頃(山種美術館)
(こちらが撮影可の《鵜飼》です。)

「《春風春水》(昭和15年)は、船頭が力を入れて縄を引いているところと、女の人たちが楽しそうに話している表情がよく描かれています。」

川合玉堂《春風春水》(山種美術館)


「奥多摩の御嶽山には戦前もスケッチに行っていましたが、戦時中に疎開して、戦後もそのまま奥多摩に住み続けました。食糧難だった戦時中には祖父が米2俵を自動車の後部座席に積んで玉堂に届けたという話を聞いています。」
「《加茂女(かもめ)十三首》(昭和17年)は、亡くなった竹内栖鳳の弔辞をささげるため京都を訪れた帰路に詠んだ13種の短歌を書いて画を添えたものです。玉堂が乗ったのは東京・神戸間を結ぶ「鷗(かもめ)号」でした。」 

川合玉堂《加茂女十三首》

「《早乙女》(昭和20年)は、田んぼを高いところから俯瞰した構図で、あぜ道のたらし込み表現は琳派の影響を感じさせます。戦争を感じさせないのどかな雰囲気の作品で、私の大好きな作品です。」 
「《渓雨紅樹》(昭和21年)には玉堂が好きだった水車が描かれています。」

左が川合玉堂《早乙女》、中央が《渓雨紅樹》、右が《渓村春靄》
(いずれも山種美術館)

 
「『千里往って千里還る』といわれる虎の絵は、戦地に子を送る親によく描いて渡したそうです。玉堂は戦争画を描きませんでしたが、荒々しい波を描いて、当時の不安な状況を表現した《荒海》(昭和19年)が唯一の戦争画といえるでしょうか。」

右が川合玉堂《虎》、左が《荒海》(いずれも山種美術館)

「作品一つ一つに玉堂の人柄がにじみ出ています。ぜひ多くの方にご覧になっていただきたいです。」(拍手)

山下さん、山﨑館長、どうもありがとうございました。
とても興味深いお話ばかりでしたが、全てを紹介することはできませんでしたので、ぜひ会場で玉堂の作品をご覧になっていただければと思います。

今回の展覧会を見て、あらためて玉堂作品の素晴らしさを実感しました。
おすすめの展覧会です。


2017年11月5日日曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」

静嘉堂文庫美術館では「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」が開催中です。

静嘉堂文庫美術館の所蔵品の奥行きの深さはいつもすごいと感じていたのですが、今回もやはりすごいです。
今回のキーワードは「あこがれ」。
狩野探幽や谷文晁の模写も原本と並んで展示されていたり、柳沢淇園や池大雅の跋(作品を見た人が作品の感想などを記したもの)も作品と一緒に展示されていたりして、江戸時代の絵師たちがどれだけ中国絵画にあこがれをもって見ていたかがよくわかる構成になっています。

さて、それでは先日開催された内覧会の様子をレポートしながら展覧会の見どころを紹介したいと思います。

※掲載した写真は美術館より特別に許可をいただいて撮影したものです。

はじめに地下の講堂で「あこがれの明清絵画」トークショーがありました。

ゲストは、この人なしに中国絵画は語れないという東京大学東洋文化研究所・情報学環教
授の板倉聖哲さん、そして「饒舌館長」こと静嘉堂文庫美術館 河野元昭館長、ナビゲーターはアートブログの草分け的存在、「青い日記帳」主宰Takさんという豪華キャスト。

Takさん 今回展覧会のタイトルは「あこがれの明清絵画」ですが、どういった思いで「あ
    こがれ」というタイトルをつけたのでしょうか。

美術館入口の看板

河野館長 江戸時代、日本人には中国に対するあこがれがありました。そのあこがれのシ
    ンボルとして明清の絵画があります。
     明清絵画の展覧会は今まで多く開催されましたが、今回のコンセプトは、日本
    目線、われわれ目線です。日本人があこがれた明清絵画という視点から作品を展
    示しています。
     また、当館初の試みですが、今回は泉屋博古館分館とのコラボレーション企画
    です。
    (住友コレクション 泉屋博古館分館「特別展 典雅と奇想 明末清初の中国名画
     展は11月3日から始まりました。詳細はこちらでご確認ください。)
        ↓

板倉教授 中国に対するあこがれは時代によって変化しています。
     2014年に三井記念美術館で特別展「東山御物の美-足利将軍家の至宝」を開催
    しましたが、室町時代のあこがれの対象は、夏珪をはじめとした南宋絵画が中心
    でした。
     それが江戸時代には、新たに入ってきた明清の絵画があこがれの対象になりま
    した。
     今回の展覧会は、江戸時代に入ってきた明清絵画が日本でどのように受け入れ
    られてきたか系統立てて説明できるほどの作品が並んでいます。
Takさん 展覧会パンフレットには「若冲、応挙、谷文晁も、みんな夢中になった」とあり
    ますが、みんな夢中になったのでしょうか?
河野館長 当館所蔵の「文殊・普賢菩薩像」(京都・東福寺伝来)は、元代の作品なので今
    回の展覧会では展示しませんでしたが、伊藤若冲(1716-1800)が模写して「動植
    綵絵」とともに相国寺に寄進したのが「釈迦三尊像」(相国寺蔵)です。
     若冲がいかに中国絵画から影響を受けているかは、会場入口前にパネル「若冲
    の明清絵画学習」を展示したので、ぜひご覧になっていただきたい。   
Takさん 会場入ってすぐに張翬(生没年不詳)の《山水図》(明・15世紀)とそれを模写した
    狩野探幽(1602-1674)の摸本が並んでいます。
     当時このような原寸大の模写は多かったのでしょうか?
河野館長 原寸大のものは多くありませんでした。そういった意味では貴重な作品です。
     狩野探幽は『探幽縮図』に多くの作品を模写しましたが、この作品には特に感
    動して一生懸命模写したのでしょう。
     よく似ていますが、並べてみると美意識の違いが見てとれます。探幽の作品に
    はどこかやすらぎがあります。また、遠山は、探幽はフラットに描いています
    が、張翬は立体的に描いています。
板倉教授 張翬が活躍していた時期は沈周(1427-1509)とほぼ同じで、雪舟(1420-1506)
    が同じ時期(1467-69)に中国に行っているのが興味深いところです。
Takさん 展覧会パンフレットに猫の絵が選ばれていますが、これが今回の展覧会の目玉で
    しょうか?
河野館長 この沈南蘋(1682-1760~?)の《老圃秋容図》(清・雍正9年 1731)は名幅
    中の名幅です。沈南蘋の作品は日本から中国に帰国後の作品は多いのですが、来
    日前の作品は少ないのです。
    (沈南蘋は1731年12月に来日し、長崎に1年10ヶ月滞在しました。) 
Takさん 谷文晁派による《沈南蘋筆 老圃秋容図粉本》(個人蔵 江戸時代18~19世紀)
    も展示されていますね。
河野館長 この粉本は今回新発見のものです。
板倉教授 この粉本の右下には「写山楼」という印があります。これは谷文晁の画塾のこ
    とです。
Takさん 花鳥画も素晴らしいですが、山水画で見ておくものは?
板倉教授 張瑞図(1570-1641)《秋景山水図》(明・17世紀)ですね。そして同じく張瑞図
    《松山図》(明・崇禎4年 1631)は円山応挙(1733-1795)も見ていて模写してい
    ますが、応挙は書の方を大きく書き、絵は小さく描いています。応挙の中では張
    瑞図は画家としてよりも書家として評価していたのでしょう。
    (応挙の模写の写真が解説パネルに掲載されているので、お見逃しなく。)

左から、《松山図》、《秋景山水図》いずれも張瑞図

     王建章(?~1627-1649~?)《米法山水図》(明・天啓7年 1627)は金箋(きん
    せん 金箔を塗った紙)地に描いたもので、濃淡のコントラストがはっきりし
    ていて絵が光って見えます。またこの絵には色があるので、それもよくご覧にな
    ってください。
     倪元璐(1593-1644)の《秋景山水図》は絖本(こうほん 光沢のある上質の絹)
    に描いた作品で、下から見ると光って見えます。
     金箋と絖本は日本から中国に入り、明末清初に特に蘇州でブームになりまし
    た。中国におけるジャポニズムと言えるでしょうか。」


(下の写真は下の方から撮りましたが、やはり実物でないと光っている様がわかりません。ぜひその場でご覧になってください。) 

左から、倪元璐《秋景山水図》、王建章《米法山水図》

Takさん さて、最後にこの展覧会の見どころは?
板倉教授 12年ぶりに開催される明清絵画の展覧会です。江戸時代の文人たちのあこがれ
    中のあこがれの作品を見ていただきたい。
河野館長 今回の展覧会のもう一つの見どころは明清の書です。
    11月25日(土)に高木聖雨氏(大東文化大学教授)と富田淳氏(東京国立博物館学芸企
    画部部長)の対談があるのでぜひこちらにも参加していただきたい。(拍手)

関連イベント情報は静嘉堂文庫美術館の公式ホームページをご参照ください。
 ↓
http://www.seikado.or.jp/exhibition/index.html

続いて場所を会場内に移して板倉教授による何ともぜいたくなギャラリートーク。

会場に入って正面に展示されているのが、張翬《山水図》と狩野探幽の摸本。

張翬《山水図》(左)、狩野探幽《張翬筆 山水図摸本》(右)

「明代には浙派と呼ばれた職業画家と呉派と呼ばれた文人画家たちの対立がありましたが、張翬の《山水図》はその対立の構図がまだあいまいだった時期の作品で、宋代の絵画にあった力強い表現が残っている作品です。」と板倉教授。

トークショーでも話題になりましたが、探幽はこの山水画が特にお気に入りだったのでしょう。夢中になって模写する探幽の姿が目に浮かんできそうです。

会場に入ってすぐは花鳥画のコーナーです。

「《牡丹図巻》のすごいところは輪郭がなく、墨の濃淡だけで牡丹を描いているところです。若冲の作品にも同じ描き方をするものが見られますね。」



李日華《牡丹図巻》、奥の金箋墨画の
呉令・邵弥《椿梅図扇面》も素晴らしいです。
花鳥画のコーナーが続きます。
「単純な構図の中に花や鳥を緻密に描く花鳥画は、室町時代後半に日本に入ってきて、当時の人たちのあこがれの対象でした。」
「江戸時代に好まれた花鳥画には二つの流れがありました。ひとつは、兎のようなめでたい動物、吉祥的なものを描く流れ。もう一つが写実的に描いた博物学的な流れです。」

徐霖《菊花野兎図》では、不老不死の象徴の兎が描かれています。《百雁図》では右下に一羽だけ描かれた白い雁は、「百」引く「一」の「白」を表し、白寿(99歳)を祝う意味が込められています。
左から 《百雁図》、陸治《荷花図》、徐霖《菊花野兎図》

「今回初公開の《虎図》は16世紀の明代の作品で、毛描きがクロスしているところに特色があります。京都・正伝寺の《猛虎図》を模写した若冲のプライス・コレクションの《虎
図》も毛描きがクロスしています。」
(一見してよく分からなかったので「どの部分がクロスしているのでしょうか。」と板倉教授におうかがいしたところ、「特に肩のあたりがよくわかります。」と丁寧に教えていただきました。ありがとうございました。)

「《花鳥図》の鳥は羽根が一枚一枚描き分けられています。」
沈南蘋《老圃秋容図》は日本に初めてもたらされた、彼の一番重要な作品でしょう。この作品は来日前に描かれたもので、中国への帰国後日本にもたらされた作品と比べて、すっきり、さっぱりしています。飛んでいる虫も写生的で、自然主義的な描き方をしています。」
「谷文晁派の粉本では虫の表現に注目してください。おそらくそこがこの絵のポイントと理解してきちっと模写したのでしょう。」

細かい部分を見れば見るほど絵の面白さがわかってきそうです。ぜひとも近くでよくご覧になってください。
左から 沈南蘋《老圃秋容図》、《花鳥図》、《虎図》
続いて「民清の道釈人物・山水画」のコーナーです。

丁雲鵬(1547-1628)、盛茂燁(?~1594-1640~?)の合作《五百羅漢図》は今回初公開。もともと25点を京都・仁和寺が所蔵していたものが散逸し、所在のわかっているものが10幅、最近海外オークションに出されて話題になったものが2幅、そして静嘉堂文庫美術館の元学芸員の方の丹念な調査で旧・仁和寺所蔵のもの間違いなしと認定さえれたのがこの作品。
「これは大変な発見です。これで13幅目。残りを見つけたら教えてください(笑)。」と板倉教授。
「この作品は、左下の『リアルなおじさん』に注目です(笑)。」
確かに、修行を積んでいるきりっとした羅漢さんたちに比べて少しにやけた感じのおじさんがいます。この五百羅漢図の注文主でしょうか。

趙左(?~1609-1631~?)は明末を代表する画家で、宋代にあこがれて大きな絵を描きました。
李士達(1540頃-1621以降)は明末に蘇州で活躍した画家で、実写に近い山水を描き、コロッとした人物を描くのが特徴です。

左から李士達《秋景山水図》、趙左《雪景山水図》、
丁雲鵬、盛茂燁《五百羅漢図》
「藍瑛(1585-1664?)は明末の杭州で活躍して、浙派の殿(しんがり)と呼ばれた画家で、江戸時代の日本では特にはやりました。それは、この作品のように、元末四大家の一人、王蒙に倣うとこういう絵になるという考え方を出してくれたので、日本人にはなじみやすかったからです。」
「谷文晁がこの作品を模写していますが、藍瑛の『こってり』に対して谷文晁は『あっさり』といった印象があります。また、谷文晁の模写は下が短くなっています。」

右が藍瑛《秋景山水図》、左が谷文晁の模写
次は「文人の楽しみと明清の書跡」のコーナーです。


「陳曽則(生没年未詳)《蘭竹図》は、自由な筆遣いで描かれ、頼山陽が愛した作品です。」
「江戸時代の文人たちは、今でいう展覧会にあたる書画会や煎茶会で中国絵画を見ていました。」
今回の展覧会では、書画の手前にある書画会や煎茶会に欠かせない小道具の展示も見逃せません。

左 王建章《川至日升図》、 右 陳曽則《蘭竹図》


「こちらには特徴的な三点の書が展示されています。米万鐘(1570-1628)は北宋の文人・米芾の子孫で、張瑞図は木の葉返しという太い筆で表現しています。王鐸(1592-1652)は、王羲之などの古典を良く学んだ人で、紙には文様が入っています。」
乾隆帝の時代には王鐸のように明と清に仕えた人は『弐臣』と呼ばれ作品の価値が下がり、そのため彼らの多くの作品が日本に流出しました。

左から 王鐸《臨王徽之得信帖》、張瑞図《草書五言律詩》、
米万鐘《草書七言絶句》

「文伯仁を思わせる《青緑山水図巻》は、今ではこの作品を文伯仁作と言う人はいませんが、江戸の文人たちが初めてこの絵を見たときの感動に思いをはせていただきたいです。」(拍手)  

左 伝 文伯仁《青緑山水図巻》、右 厳調御《臨古帖》

この秋おすすめの展覧会がまた一つ増えました。
ぜひみなさんも江戸時代の文人たちがあこがれた中国絵画をご覧になってください。 

展覧会のミニブック、クリアファイルもミュージアム・ショップで販売しています。こちらもおすすめです。