2019年9月8日日曜日

静嘉堂文庫美術館「入門 墨の美術-古写経・古筆・水墨画-」

いつも豊富な所蔵作品で私たちを楽しませてくれる静嘉堂文庫美術館では8月31日(土)から「入門 墨の美術ー古写経・古筆・水墨画-」展が開催されています。




今回の展覧会は墨の美術の「入門編」。
「一般の人には敷居が高い古写経、古筆、水墨画をできるだけわかりやすく、おもしろさがわかるように展示しているので、墨の美の世界をぜひ多くの方に見ていただきたい。」と静嘉堂文庫美術館「饒舌館長」河野元昭館長のごあいさつ。
今まで「水墨画の世界はちょっと地味すぎて。」という方にもぜひご覧になっていただきたい展覧会です。

展覧会概要
会 期 8月31日(土)~10月14日(月・祝)
休館日 毎週月曜日(ただし9/16、9/23、10/14は開館)、9/17(火)、9/24(火)
開館時間 午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
入館料  一般 1000円ほか
講演会やトークイベントもあります。詳細は同館公式サイトをご覧ください→http://www.seikado.or.jp/

※展示室内は撮影禁止です。今回掲載した写真は、内覧会で美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※内覧会では、今回の展覧会を担当された同館学芸員の浦木さんと江戸近世絵画がご専門で「中国絵画大ファン」という同じく同館学芸員の吉田さんに会場内をご案内いただきました。
※展示作品はすべて静嘉堂文庫美術館所蔵のものです。

さて、さっそく展示室内をご案内していきましょう。
美術館入口でにこやかにお出迎えしてくれるのは、本邦初登場のカンザンくん。

美術館入口の撮影スポット
ここは撮影可です。
上の写真の左にいるカンザンくん。アップにするとこういう感じです。



カンザンくんの正体は、中国・唐時代の伝説上の二人の僧、寒山・拾得のうちの寒山。
下の写真中央が中国・元時代の《寒山図》(重要文化財)。
寒山は、いつも拾得とセットで描かれるのですが《拾得図》(重要文化財)の方は常盤山文庫が所蔵しています。どちらも宋末元初に活躍した臨済宗の僧・虎巌浄伏が賛を書いているので、もとは対になっていたのです。
ちなみに寒山がいつも手にしているのは筆なので、今回の展覧会にピッタリのガイドさんです(相方の拾得のアイテムは箒(ほうき)です)。

展覧会場入口風景
正面が《寒山図》(重要文化財)
《寒山図》が入っている展示ケースは、近くで見られるように薄手に作られたもので今回が初めてのお披露目。
「乾いた筆でこすりつけるように描かれた髪の毛、風に吹かれている服の線、細い線で細かく描かれた顔、近くでぜひご覧になってください。」と吉田さん。

今回の展覧会は、奈良時代の古写経、平安時代の古筆、室町時代の水墨画の3章構成になっています。はじめは古写経のコーナーです。

第1章 「祈りの墨~古写経~」

写経生カンザンくんが熱心に写経をしていると、その横から金銅仏が現れてきています。


こちらは《華手経 巻第四(五月一日経)》。
巻末の願文に「天平十二年五月一日」と記されていて、現在では「五月一日経」と呼ばれていますが、「正倉院文書」よると、実際には天平十年(738年)に製作されたとのことです。


今から約1300年前、奈良時代には国家事業として盛んに写経が行われました。
この経典は、聖武天皇(在位724-749)の皇后・光明皇后が父母の追善供養のために発願した一切経の一つで、写経事業は約20年に及び、6500巻以上の経巻が製作されました。

第1章のカンザンくんのイラストに戻ります。
「カンザンくんが写経している経巻から金銅仏が現れていますが、これは光明皇后の母・橘夫人が厨子内に納めたと伝えられる念持仏・金銅阿弥陀如来像がモデルなのです。」と浦木さん。
厨子に入った阿弥陀三尊像「伝橘夫人持仏及び厨子」は現在、法隆寺大宝蔵院に所蔵されています。

作品の上のパネルにも注目です。
「当時の写経所での経典製作の様子は、正倉院に残されている「正倉院文書」からわかります。」と浦木さん。

経文を書き写す「経師(きょうし)」、経師が書いた経文をチェックする「校生(こうせい)」、経巻に仕上げる「装潢(そうこう)」、事務を統括するディレクター役の「案主(あんず)」。こういった役割の人たちが「写経生(しゃきょうせい)」と呼ばれ、写経所で経典製作に励んでいました。「経師」になるには採用試験もあったそうです。

当時の写経所の人たちが、それぞれの持ち場で真剣に経典を製作した様子を思い浮べながら見ると、一字一字丁寧に書かれた経典の味わいがより一層深まるかもしれません。

続いて《増壱阿含経 巻第二二(善光朱印経)》。


こちらは「五月一日経」を手本にしていますが、「五月一日経」が中国・東晋の書家、書聖・王羲之(307-365)の影響を受けた几帳面な書体で書かれているのに対して、こちらは少し太くて力強い文字になっています。隷書風の朱印「善光」にも注目です。

そして上のパネルには、外題(題箋)、見返し、界線など、普段聞き慣れない経典の部分名称の解説もあるので、経典の勉強になります。

こちらは平安時代に数多く製作された絢爛豪華な「装飾経」。
当時の貴族たちは豪華な装飾の料紙に金泥、銀泥で写経したものを奉納したり、経筒に入れて地中に埋めたりして、未来の繁栄を願ったのです(展示室内には経筒も展示されています)。


右から、《紺紙金字一字宝塔法華経(太秦切、「古経鑑」のうち)、
《紺紙金銀交書華厳経(「古経鑑」のうち)、
大般若波羅密多経巻第四三四(小水麻呂願経)
第2章「雅なる墨~古筆~」

豪華絢爛になってきた平安時代の経典の次は、豪華な料紙の上に流暢な連綿体で書かれた平仮名まじりの「古筆」のコーナーに移ります。
ここではなんとカンザンくんが十二単を着ています。
その秘密はこのパネルに書かれています。
そうです、平仮名は当時「女手(おんなで)」と呼ばれていたからなのです。




こちらは国宝《倭漢朗詠抄 太田切(下軸)》。修理後初公開です。
 
 

「唐紙の上に金銀泥で大和絵風の鳥や草花の下絵を描いた料紙に注目です。」と浦木さん。
漢詩と和歌が交互に書かれ、料紙も和と漢、この対比を楽しみたいです。

唐の詩人・白居易(楽天 772-846)の『白氏文集』巻三・四に収められた「新楽府」を和訳した「仮名新楽府」の断簡(下の写真右)は、金銀の砂子が撒かれた料紙と、流れるような仮名の絶妙なコラボをお楽しみください。
左は《三十六歌仙絵 源公忠(業兼本)》。どちらも鎌倉時代のものです。


第1章の古写経から第2章の古筆まで紹介してきましたが、ここまでで奈良時代から鎌倉時代までの墨の世界を見渡すことができる展示になっています。

第3章「墨に五彩あり~水墨画~」

そして最後は室町時代の水墨画の世界。

水墨画といえばモノトーンの世界なのですが、カンザンくんが持つ筆で描くと墨がいくつもの色に変わってきます。
そうです、このパネルにもありますが、古来から名手による水墨画は「五彩を兼ねるが如し」と賞されていたのです。


まずは「詩画軸」のコーナー。
ここで冒頭の河野館長のごあいさつでの「『書画一致思想』の根底には墨がありました。西洋と異なり東洋では墨、筆、紙といったマテリアルは書と画で同じものを使うのです。」というお話を思い出しました。
「詩画軸」とはまさに画僧の描いた水墨画の上の余白に禅僧たちが漢詩を添えたもの。
画と書の響きあう世界をぜひ楽しみたいです。

下の写真一番右の「詩画軸」のタイトルは《聴松軒図》。
中央に大きな松があって、その後ろには塔頭があります。きっとその塔頭が「松の音を聴く」聴松軒なのでしょう。幸いなことに、そこには人の気配はありません。ちょうどいい機会なので、自分が聴松軒に入り込んだつもりで耳を澄ませて「松の音」を聴いてみてはいかがでしょうか。
他の「詩画軸」には人物が描かれていますが、今度は自分がその人物になったつもりで遠くの山を眺めてみるといいかもしれません。

右から、《聴松軒図》《万里橋図》(いずれも重要文化財)、
《山水図》(重要美術品)、《山水図》
大画面の屏風もいい雰囲気を出しています。
こちらはポスターやチラシに使われている室町時代の画僧、周文の作と伝わる《四季山水図屏風》(重要文化財)。修理後初公開です。
どうでしょうか、この透き通るような透明感。
目の前で見ると、水墨だけで描かれたこの静かな景色の中にスーッと入りこんでいけそうな気持ちになってきます。

《四季山水図屏風》では、右隻の右側から春、夏、左隻に移って秋、冬の景色が表わされています。
「右隻右側の楼閣のテラスで二人の人物が見ているのが、春を表す梅の花。続いて風にたなびく柳。左隻には雁が飛んでいて、紅葉も見られます。そして、冬の雪山。絵の中にスッと入り込める作品です。」と吉田さん。

ここにもカンザンくんがいました。
でもカンザンくんが手に持っているのは筆でなく斧。
なぜ斧なのでしょうか。
詳しくはこちらのパネルに説明がありますが、《四季山水図屏風》のように、楼閣や樹木を崩さずに描く楷体(真体)山水では、中国山水画の岩の表現方法の一つで、斧で鋭く削り取ったような岩の表現「斧劈皴(ふへきしゅん)」が用いられることが多いからなのです。


室町水墨画といえば忘れてはいけないのが、やはり雪舟。
こちらは伝・雪舟ですが、中国江南地方の杭州にある古くからの景勝地・西湖を描いています。
中央の山が、鶴と梅を愛でた北宋の詩人・林和靖が住んでいたとされる孤山、画面中央を横切る橋のように見えるのが白居易や北宋の詩人・蘇東坡が整備した白堤、蘇堤(白居易も蘇東坡も詩人であると同時にこの地方の長官も務めていました。長い方が蘇堤でしょう)、周辺には楼閣も描かれていて、西湖の雰囲気がよく出ています。


手前が伝・雪舟《西湖図》

室町時代といえば幕府があったのが京都ですが、関東の水墨画も負けていません。
こちらは関東水墨画のコーナー。
鎌倉・建長寺の画僧・祥啓、小田原周辺で活躍した前島宗祐、常陸国(現在の茨城県)出身で小田原から東北にかけて遍歴した雪村の作品です。

右から、雪村《柳鷺図》、前島宗祐《高士観瀑図》(重要美術品)
祥啓《巣雪斎図》(重要美術品)

ロビーには、外交官であった新関欽哉氏(1916-2003)から、平成13年(2001)に静嘉堂文庫美術館に寄贈された石印材のコレクションが展示されていますのでこちらもぜひ。




図録も墨の世界への「入門」にちょうどいい内容、ボリューム。税込1000円と値段もお手頃です。


そして、浦木さんの気になるお話。
「今回の展覧会が好評なら、第2弾として江戸時代、近代編の開催も考えています。」

展示作品も見ごたえのあるものばかりで、解説も充実。「入門」にはちょうどいい展覧会です。

みんなで今回の展覧会を盛り上げて、第2弾の開催も期待しましょう!