東京・上野公園の国立西洋美術館では、企画展「内藤コレクション 写本ーいとも優雅なる中世の小宇宙」が開催されています。
展覧会チラシ |
活版印刷術がなかった中世ヨーロッパで羊や子牛などの動物の皮を薄く加工して作った獣皮紙に聖書などのテキストを筆写した「写本」の優雅な世界は、国立西洋美術館の版画素描展示室で2019年から2020年にかけて三期に分けて開催された小企画展で楽しませてもらいました。
そこでは筑波大学・茨城県立医療大学名誉教授の内藤裕史氏が収集し、国立西洋美術館に寄贈した「内藤コレクション」のカラフルな装飾の華やかさに驚かされましたが、今回の企画展ではその「内藤コレクション」を中心とした約150点もの中世ヨーロッパの写本が一挙に見られる豪華な内容の展覧会なのでとても楽しみにしていました。
すでに大人気で多くの方が訪れている展覧会ですが、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 期 2024年6月11日(火)~8月25日(日)
開館時間 9:30~17:30(金・土曜日は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日、7月16日(火)
ただし7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、8月13日(火)は開館
観覧料 一般 1,700円、大学生 1,300円、高校生 1,000円
展覧会の詳細、関連プログラム等は同館公式サイトをご覧ください⇒国立西洋美術館
※会期中、一部作品の展示替えがあります。
展示構成
1章 聖書
2章 詩編集
3章 聖務日課のための写本
4章 ミサのための写本
5章 聖職者たちが用いたその他の写本
6章 時祷書
7章 暦
8章 教会法令集及び宣誓の書
9章 世俗写本
会場内はどこを見渡しても写本、写本、写本。
写本から祈りの言葉が聞こえてくるように感じられて、中世ヨーロッパの修道院の中に迷い込んだような心地よい空間が広がっています。
中世ヨーロッパの写本の見どころはなんといっても、色鮮やかな装飾。
『旧約聖書』の中の「創世記」の物語が描かれた《聖書零葉(※)》の金のまばゆいばかりの輝きに目を奪われてしまいます。
※「零葉(リーフ)」とは本や冊子から切り離された1枚の紙のことです。
《聖書零葉》イングランド 1225-35年頃 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵 |
イニシャル(※)の装飾が見事な聖書零葉ですが、周囲の枠にも注目したいです。
枠を飾るのは右下のドラゴンの口や尾から伸びた蔦のような植物。
無邪気にえさをついばむ鳥とは対照的に、懸命に植物を支えるドラゴンのひたむきな表情が印象的です。
宗教に用いられた写本ですが、遊び心が感じられる装飾を探す楽しみがあるのも写本の魅力のひとつかもしれません。
(※)イニシャルとは、文頭の文字のことで目立つような装飾がされています。
今でいう「ゆるカワ」なキャラクターを見つけました!
『旧約聖書』の中の150編の詩からなる「詩編」のテキストに聖歌や祈祷文などが合わせて収録されている「詩編集」のうち、この作品に描かれた鳥たちはその表情もしぐさもどことなくユーモラス。なんとなく親しみを覚えます。
《詩編集零葉》南ネーデルラント、おそらくヘント 1250-60年頃 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵 |
写本が大判になる理由は、その使用法にあることがわかりました。
聖務日課とは、日々8回、定刻に行われる礼拝のことで、その祈りで唱えられる全テキストをまとめて収録した書物が聖務日課書で、中でも聖務日課聖歌集は、何人もの人が写本を囲んで同時に見ることができるように大型化したのでした。
大型化にともなってイニシャルも大きくなっているので、その華やかさが一層引き立って見えてきます。
ジョヴァンニ・ディ・アントニオ・ダ・ボローニャ彩飾《典礼用詩編集零葉》イタリア、ボローニャ 1425-50年 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵 |
ミサで歌われる聖歌を楽譜とともに収録したのがミサ聖歌集。
楽譜を見ていると、修道院や教会の中でこだまする聖歌の歌声が聴こえてくるようです。
零葉の両面が見られるように工夫された展示もあります。
展示風景 |
太い枠に絵本のような楽しいイラストが描かれているのは《祈祷書零葉》。
描かれた絵にもユーモアが感じられます。
右下の人はフライパンの中の料理に向けてスプーンのようなものを弓で射って、飛んできたスプーンに入っている料理を口に入れているように見えますが、当時は実際にこんなことする人がいたのでしょうか。
《祈祷書零葉》ドイツ南部、アウクスブルクもしくはニュルンベルク(?) 1524年頃 彩色、インク、金、銀/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵 |
中世ヨーロッパでは聖職者や修道士の聖務日課に倣い、一般の信徒たちも日々8回、毎日定められた時間に礼拝を行っていましたが、その時に用いられた書物が「時祷書」でした。
内容も一般信徒向けに簡略化されていたとのことですが、一方、王侯貴族や高位聖職者の注文で制作された時祷書の写本の中には、当時の有名作家が挿絵やページ余白の装飾を手掛けた豪華なものもありました。
リュソンの画家彩飾《時祷書零葉》フランス、パリ 1405-10年頃 彩色、インク、金/獣皮紙 内藤コレクション 国立西洋美術館蔵 |
中世の人たちの祈りが文字や装飾となって1ページに込められた彩飾芸術の世界はまさに「中世の小宇宙」。
中世ヨーロッパの写本の美しさが実感できる展覧会です。