2014年3月2日日曜日

「世紀の日本画」ブロガーナイト

東京都美術館で開催されている「日本美術院再興100年 特別展 世紀の日本画」の後期展示が始まった昨日(3月1日)、ブロガーナイトに参加してきました。
前期展示については前回のブログで紹介していますが、後期も見ごたえのある充実した内容でしたので、特に印象に残った作品を中心に展覧会の紹介をさせていただきます。
(今回は展示室内の撮影はできなかったので写真はなしです。)

まず、入口を入ってすぐに展示されているのが横山大観の「無我」(作品№6)。
これは学校の教科書によく出てくるので、子どもの頃から知っていた作品です。
大観というと富士山で有名ですが、私にとって大観というと、昔からこのボーッとした子どものイメージでした。
でも、ボーッとしてるようで、近くで見るとけっこう愛嬌があってかわいいですね。
こちらは展覧会のパンフレットです。
「無我」は上の段の左から2つめです。


 


次の狩野芳崖「悲母観音」(作品№2)や大観「屈原」(作品№7)を見ているとやはり映画「天心」を思い出します。特に「悲母観音」は、映画で芳崖が最後の力をふり絞って描いているところを思い出して、胸にこみ上げてくるものがありました。映画「天心」については前回のブログでも紹介しましたが、映画を見ると作品への思い入れが余計に強くなるような気がするので、映画の方もおススメです。
(「悲母観音」はパンフレット上段の一番左です。)

「屈原」は、事実無根の誹謗により国を追放された屈原に、東京美術学校を同じく誹謗により追放された天心を重ね合わせて大観が描いた作品。
去年、横浜美術館で開催された「横山大観展」では最初の10日間しか展示されませんでしたが、今回は会期末の4月1日まで1ヶ月まるまる展示されるので、前回見のがした方、ぜひご覧になってください。

続いて橋本雅邦の「龍虎図屏風」(作品№4)。(上のパンフレットでは下段です。)
雷鳴轟く中、風とともに雲の間から現れた2頭の龍に、足を踏ん張り敢然と立ち向かう虎。
江戸期の龍虎図では、龍が出てきて困ったな、といった顔をする虎が多い中で、これだけ迫力のある虎はおそらく狩野山楽の「龍虎図屏風」の虎以来ではないでしょうか。
この力強い虎の姿を見ていると、御用絵師集団として室町後期から江戸時代にかけて400年近く君臨し、明治に入って権力者の庇護を失い没落した狩野派の最後の雄たけびを聞いているような気がしてなりません。

前期で傑作を披露した下村観山は後期には登場しませんが、代わって観山や大観、春草とともに天心に従って五浦に移り住んだ木村武山が登場します。作品は琳派風の屏風「小春」(作品№19)です。
琳派風といえば、前田青邨の「芥子図屏風」(作品№56)も、いかにも尾形光琳の「燕子花図屏風」を意識した作品と言えます。琳派風の作品を見ると何となくホッとしますが、尾形光琳が後世に与えた影響と、光琳の良さを広めた酒井抱一の果たした役割の大きさをあらためて感じます。
こちらは展覧会のパンフレットの裏面です。「芥子図屏風」は上から二段目です。

青邨の作品は「芥子図屏風」のほかにも、「京名所八題(都八題)」(作品№11)が前期の4幅に続いて後期の4幅、「湯治場」(作品№24)3幅、86歳の時の作品とは思えないほど迫力のある青邨歴史画の集大成「知盛幻生」(作品№41)、と、後期は青邨の頑張りが目立ちます。

近年の作品も力作ぞろいです。

北海道の四季を描いた全長なんと29m(!)の絵巻物、岩橋英遠の「道産子追憶の巻」(作品№71)、夏の夕日に照らされる竹林を描いた琳派風の作品、中島清之の「緑扇」(作品№88)、一瞬モネの作品かと思ったほど一面濃い青色の林で覆われ、その中に光る蛍を描いた福王寺一彦の「蛍(二)」(作品№76)などなど、ここに紹介しきれないほど素晴らしい作品がばかりです。

気の早い話ですが、「世紀の日本画」は今年の私の展覧会ベストテンにエントリーしそうな展覧会です。
みなさんぜひご覧になってください。
公式サイトはこちらです。
 ↓
http://www.tobikan.jp/exhibition/h25_inten.html


最後になりましたが、このような貴重な機会を提供していただいた東京都美術館ならびに「日本美術の祭典」広報事務局のみなさまに感謝申し上げます。












2014年2月27日木曜日

日本美術の週末

先週の土曜日、暖かい日差しに誘われて梅を見にふらりと熱海に行ってきました。
梅といっても梅園ではなく、目的はMOA美術館が所蔵する尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」です。




毎年、梅の時期になると公開されている作品で、2月になるといつも「今年こそは見に行くぞ」と思っていたのですが、何かと他の用事が入ったりして行きそびれていてたので、この日は思い切って快速アクティ熱海行きに乗って行ってきました。

学校の教科書や図録などで見ていた「紅白梅図屏風」は、てかてか輝いているという印象がありましたが、ようやく見ることができた実物は、少し照度を落とした展示室のショーケースに展示されていて、全体につや消しを吹きかけたような、落ち着いた渋みが感じられます。

翌日曜日は、山種美術館の「かわいい日本美術」、東京都美術館の「日本美術院再興100年 特別展 世紀の日本画」の前期展に行ってきました。

「かわいい日本美術」の方は、蛇に子供を食べられ悲しみに打ちひしがれた雀が出家して巡礼の旅に出るという室町時代の絵巻物「雀の小藤太絵巻」(サントリー美術館蔵)にまた会えるというのもありましたし、伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」(静岡県立美術館蔵)を隅から隅までもう一度じっくり見てみたいという思いもあって、とても楽しみにしていましたが、これらの作品以外にも子どもたちの絵やリスや猫、うさぎといった動物たちもかわいく描かれた作品もたくさん展示されていて、とても楽しく、なごめる展覧会でした。
チケットの左側が若冲の「樹花鳥獣図屏風」の右隻です。



「世紀の日本画展」の方は前期展示が2月25日まででしたので、本当に滑り込みセーフで間に合いました。

こちらは閉館まぎわの5時半までいたので、最後は狩野芳崖や橋本雅邦、菱田春草、下村観山といった私にとってはなじみの深い、明治から大正にかけての日本画家の作品をほとんど貸切状態で味わうことができました。

中でも、観山の「弱法師」「白狐」(いずれも東京国立博物館蔵)は、去年の12月から今年の2月まで横浜美術館で開催されていた下村観山展で時期限定(12/7~12/20)で展示されていたのですが、時間がなくて後期しか見に行けなかったので、ぜひ見てみたいという作品でした。
どちらも観山らしく丁寧に書き込んだ作品で、特に「白狐」は、木の葉の一枚一枚、白狐の毛の一本一本まで見えるくらいで、館内に「ほたるの光」が流れる直前まで、細部までじっくりと眺めていました。
ということで今回のおみやげは「白狐」の絵はがきです。


 


「世紀の日本画展」は、日本美術院再興100年を記念した展覧会ですので、岡倉天心の肖像画(観山の下絵)や横山大観の作品もありました。芳崖、天心、大観、観山、春草というとどうしても去年見た映画「天心」を思い出してしまいます。
特に、天心役の竹中直人の個性的な演技は印象に残りました。
東京都美術館では「世紀の日本画展」を記念して、映画「天心」の上映会を開催しているので、ご興味のある方はぜひご覧になってください。
 ↓
映画「天心」上映会の案内
http://www.tobikan.jp/information/h25_20140213_1.html


「世紀の日本画展」の後期展示が始まる3月1日にはブロガーナイトに参加するので、そのレポートも掲載させていただきます。ご期待ください。

先々週の土曜日は、雪の残る上野公園を靴を濡らしながら歩いて東京国立博物館で開催されていた「クリーブランド美術館展」と「人間国宝展」に行ってきました。
2週連続雪が降ったりして、2月23日までの会期内に行けるかどうか危ぶまれましたが、どうにか行くことができて、これでトーハクとトビカンがコラボして開催した日本美術の三重奏「日本美術の祭典」の展覧会を制覇することができ、2週連続して「日本美術の週末」を楽しむことができました。

トーハクでのおみやげは会場内限定のガチャガチャでゲットした伊年印「雷神図屏風」です。








2014年2月9日日曜日

バイエルン美術紀行(9)ニュルンベルク4カイザースブルク

平成25年9月6日(金)ニュルンベルク続き
中央広場からなだらかな坂を上ると、カイザーブルクの城壁が見えてきた。


門をくぐって中に入り、受付に行くと、午後1時からのガイドツアーがあるというので、それに申し込み、待っている時間に少し腹ごしらえをすることにした。


それにしてもいつもことだが、朝しっかり食べるので昼になっても全くおなかが空かない。
それでもエネルギー補給に何か食べないと、と思い、受付近くの売店でレーズンパンを買い、ベンチに座って食べながら通り過ぎていく観光客の人たちを眺めていた。

今回の旅行は「美術紀行」と銘打っているので、あまり食事のことが出てこないが、実は紹介できるほどの食事をしていない、というのが本当のところだ。
まず、ミュンヘンに着いた日の夜は機内で一足早いオクトーバーフェストのメニューを食べたので夜は食べなくていいかな、と思ったが、夜の8時近くになって少しおなかが空いてきたので、駅の近くの食料品店でパスタとビールを買い込み、ホテルの部屋でとりあえず無事到着の祝杯をあげた。
といっても、早く休みたかったので、モッツァレラ、トマト、レタスのサンドと500mlの缶ビール、と至って軽めの夕食。



それにしてもこのお店の若いトルコ系の店員さんは愛想がよかった。
「日本から来た」というと、「コンニチワ」とか、5ユーロを出すと「これって『ゴ』っていうんだよね」とか日本語を使って話しかけてくるが、こちらも悪い気はしない。

ビールは地元ミュンヘンのPAULANERの酵母入り。
下の写真の一番下の行には「1516年のバイエルンのビール純粋令にしたがって製造された」と誇らしげに書かれている。
このブログでも以前に紹介したが、今でもドイツでは1516年にバイエルン公ヴィルヘルム4世が公布したビール純粋令が守られている。わざわざ「バイエルンの」としたあたりはミュンヘンの醸造所の誇りだろうか。
ドイツビールらしくコクがあって飲みごたえがある。


翌日はニュンフェンベルク城に行った日だが、この日の昼はお城の近くで食べたアイスクリーム。

夜も迷った挙句、駅ナカの売店で買ったラザニアとPAULANERの今度は酵母入りでないノーマルなもの。

ついでにこの日、ニュルンベルクから帰ったときの夕食は同じ駅ナカの売店で買ったパスタ・アラビアータといつもの食料品店で買ったビール。この日は銘柄を変えて修道僧のラベルのFranziskaner。
もちろんミュンヘンの地元のビール。

こちらが駅ナカの売店。お世話になりました。

ずいぶん安上がりな食事だったが、それでも料理の味は良かったし、地元のビールも味わえたし、自分なりに結構充実した食事だったと思っている。
さすがに最終日はレストランで夕食をとったが、それはまたあとで。
(次回に続く)


2014年1月20日月曜日

バイエルン美術紀行(8)ニュルンベルク3フラウエン教会

平成25年9月6日(金)ニュルンベルク続き

正午が近づいてきたのでデューラーハウスの目の前のカイザーブルクは後回しにして、上ってきた道を下り、中央広場に向かった。


フラウエン教会は、1355年、時の神聖ローマ皇帝 カール4世(1316-78 在位1347-78)によって建設された。
カール4世は、神聖ローマ皇帝選挙の手続きや7人の選帝侯の家柄やその権利などを定めた「金印勅書」(1356年)を発布したことや、「教皇のバビロン捕囚」(1309-76)で南フランスのアビィニョンにいた教皇のローマ帰還に尽力したことで有名な皇帝。
ボヘミアの出身で、ボヘミア王・カレル4世(在位 1341-1378)としても、王国の中心プラハの建設を進め、その後のプラハの発展に大きく貢献している。ブルタヴァ川にかかるプラハ最古の石橋・カレル橋も、カレル4世が建造したものだ。

この仕掛け時計は、カール4世の功績をたたえて1506年から1509年にかけて取り付けられた。
ドイツ語では"Männleinlaufen"というので、直訳すると「小男たちの行進」。つまり偉大なカール4世のまわりを小さい7人の選帝侯が練り歩いて忠誠を誓うという設定だ。

こちらがフラウエン教会の正面。広場には市が立ち、ちょうどお昼時なので、ソーセージを焼く煙や甘いパンの香りが入り交ざる。

まだ時間があったので教会の中に入った。
日の光に輝くステンドグラス、金地のあざやかな祭壇画、聖人の彫刻の数々、とても空襲で大きな被害を受けたとは思えないほどの荘厳な空間が広がっている。
柱や壁に掛けられている彫像や絵の多くは、15世紀末から16世紀はじめにかけて活躍していた著名な彫刻家で、ロレンツ教会の彫像も手がけたアダム・クラフトと、デューラーの師 ミヒャエル・ヴォルゲムートの手によるものだ。

12時ちょうどになり、鐘の音とともに7人の選帝侯が向かって右側から登場する。
中央に遷座するひときわ大きなカール4世の前を通るときに、少し小ぶりな選帝侯たちはくるりとカール4世の方を向いてあいさつをして通り過ぎていく。

5分ほど続いた寸劇 が終わったので、市庁舎広場の前を通り、なだらかな坂になっているブルク通りを上り、カイザーブルクの方に向かった。
(次回に続く)


2014年1月5日日曜日

2013年 私が見た展覧会ベスト10

あけましておめでとうございます。
旧年中はご愛読いただきありがとうございました。
おかげさまでこのブログも4年目を迎えることができました。
旧東ドイツを主なテーマとして始めたこのブログですが、ドイツに軸足を置きつつも最近では美術展関係の記事も増え、また、月に2~3回程度しか更新できませんが、気長におつきあいいただいているみなさま、本年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

今年の正月は南紀・串本の無量寺に行って、念願の長沢芦雪作「龍虎図」や円山応挙の障壁画を見てきました。



先々週の週末は大塚国際美術館、金比羅宮書院の応挙の障壁画と、このところ美術をめぐる旅が続いています。
そこで、今年の1回目は美術にちなんだテーマということで、昨年2013年の展覧会ベスト10を選んでみました。
昨年70ほど見に行った博物館、美術館の展覧会はどれも素晴らしく、その中からセレクトするのはとても悩ましいところですが、それぞれの展覧会に行った時のことを思い出しながらベスト10を発表したいと思います。

1位 「若冲が来てくれました プラスコレクション 江戸絵画の美と生命」

東日本大震災復興支援として昨年3月から仙台市博物館、岩手県美術館、福島県立美術館と巡回した展覧会。
私は8月4日に福島県立美術館に行ってきましたが、なんとプライスさんご夫妻がサプライズ登場!お二人から図録にサインをいただき、握手までしていただいたので、印象的な展覧会という意味ではダントツ1位。コレクションの充実ぶりはもちろん素晴らしかったです。

2位 「エルグレコ展」  東京都美術館

薄暗い照明の中、上を見上げるとほのかな光に照らされた不安げなマリアの表情。
会場全体が厳かな雰囲気で、まるでヨーロッパの教会の中を歩いているような気分にさせてくれる展覧会でした。

3位 「狩野山楽・山雪展」  京都国立博物館

山楽の「龍虎図」も迫力ありましたが、全部で10章構成のうち8章が山雪の作品。細部へのこだわりや過剰なまでのデフォルメなど山雪らしい独特の世界が広がり、山雪ワールドにすっかり引き込まれてしまいました。

4位 リニューアルオープンした東洋館(東京国立博物館)

日本に居ながらにしてアジアを旅する気分を味わうことができる空間。
トーハクの東洋館は去年1月にリニューアルオープンしてから見逃せない展示スポットになりました。
特に中国絵画のコーナーは、オープニングの国宝「紅白芙蓉図」や秋の上海博物館展はもちろん、展示の入れ替えがあるごとに足繁く通いました。今年も楽しみにしています。

5位 「京都展」 東京国立博物館

天井にとどくまで壁面いっぱいに障壁画を配置して二条城二の丸御殿の豪華絢爛な空間を再現する展示に圧倒されました。
やっぱり尚信はスケールが大きい、と思わずうなってしまいました。

6位 ターナー展  東京都美術館

荒れ狂う海、のどかな田園風景、光り輝くイタリアの都市。
会場中に満ち溢れていたターナーの空気を思う存分味わってきました。


7位 横山大観展 横浜美術館

昨年の岡倉天心イヤーを記念して開催された展覧会。
学生時代から壮年期まで、今村紫紅や小杉未醒たちとの交流を通じた作風の変化がよくわかる展示で、富士山だけでない大観を見ることができました。
映画「岡倉天心」にも登場した「屈原」、迫力ありました。


8位 Paris、パリ、巴里-日本人が描く1900-1945 ブリジストン美術館
 

日本人の目から見た憧れの街パリ。
特に私の好きな佐伯祐三の作品を6点も見ることができたので大満足。
ここは常設も見ごたえがあります。
金曜日は20時まで開館しているので、週の終わりのひとときをすごすのも大きな楽しみです。

9位 「和様の書」 東京国立博物館

文字の細やかさ、料紙の色やデザインの見事さ、絵と文字の絶妙のコラボ。
書のおもしろさに目覚めさせてくれた展覧会で、最初は興味がなかったのに前期後期とも行ってしまいました。

10位 源氏絵と伊勢絵  出光美術館

土佐派の繊細な物語絵の世界に思わず引きこまれました。
実は、探幽の大和絵も結構好きです(「源氏物語 賢木・澪標図屏風」狩野探幽 出光美術館所蔵)。
ここでは展覧会を見た後に皇居のお堀を見ながらお茶をいただくことができるのもうれしいです。
また、オスロ市ムンク美術館から毎年3点づつ借りて展示しているムンクの絵を見るのも大きな楽しみです。

(次点)
 現地に2回も行ったのでとても懐かしかった「プーシキン美術館展」(横浜美術館)
 筆づかいの迫力が感じられた「ルーベンス展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)
 和洋織り交ぜた作品を集めたり、漱石の作品に出てくる架空の絵をこの展覧会のために制作し  
 たりと、意欲的な企画だった夏目漱石の美術世界展 東京藝術大学美術館
 昨年は近代日本画に目覚めた年でもありました。
 「今村紫紅展」(横浜三溪園・三渓記念館)、「横山大観から速水御舟まで」(平塚市美術館)、「速水御舟展」(山種美術館)、「竹内栖鳳展」(東京国立近代美術館)、どれもよかったです。
 (「下村観山展」(横浜美術館)はこれから見に行きます)


南紀では熊野三山をお参りし、580段の石段を登って神倉神社(新宮市内)もお参りしたので、今年も充実したよい年になりそうです。
最後になりましたが、みなさまにとってもよい年になることをお祈りします。

  



2013年12月19日木曜日

バイエルン美術紀行(7) ニュルンベルク2 デューラーハウス

9月6日(金)ニュルンベルク(続き)
聖ローレンツ教会からさらに北に向かい、街の真ん中を流れるペグニッツ川を渡ると中央広場に出る。この広場の前のフラウエン教会では毎日12時ちょうどに仕掛け時計が動くので、あとで戻ってくるとして、まずは旧市庁舎に向かうことにした。


正面は昔ながらの趣きを残しているが、やはりこの建物も戦争の被害を受けている。
銘板には、旧市庁舎は1616年から1622年にかけてヤコブ・ヴォルフという人によって建設され、1945年に破壊されて1956年から60年にかけて再建、と刻まれてあった。

内装はきれいにリニューアルされ、今では市民のためのギャラリーになっている。
係の男性に聞いてみると、連合軍の空襲を受けたとき、建物の外壁は残ったが、爆弾で天井や床が大きな被害を受けたとのことであった。
  

旧市庁舎の次はいよいよニュルンベルク訪問の大きな楽しみのひとつ「デューラーハウス」へ。


アルブレヒト・デューラー(1471~1528)は、金細工師だった父アルブレヒト(同名)の三男としてニュルンベルクに生まれた。
12歳の頃から父の仕事を手伝い、15歳の時には当時ニュルンベルク第一の画家ミヒャエル・ヴォルゲムートの工房に弟子入りして3年間修業を積んだ。
その後、修業の仕上げとして4年間のドイツ領内遍歴の旅に出て、23歳の時(1494年)にニュルンベルクに帰ってきてアグネスと結婚したが、その後すぐに単身でイタリアに旅行し、ヴェネチア、マントヴァ、パドヴァを訪れている。
翌年の春に帰国したデューラーは、その2年後に制作した木版連作「ヨハネ黙示録」が大反響を呼び、一躍全ヨーロッパに名が知られるようになった。
34歳から36歳(1505年~1507年)にかけてふたたびヴェネチァに滞在したあと、38歳のとき(1509年)に一軒の家を購入し、住居兼工房とした。それが現在残っている「デューラーハウス」である。


ニュルンベルクはデューラーの街だ。
街のあちこちにデューラーのモニュメントを見ることができる。

立派なデューラーの銅像。
コンパスなしに正確な円を描き、定規なしに直線をひいたという「繊細な手」にはしっかりと何本もの筆が握られている。



通りにはデューラーのレリーフも。

そして今では「アルブレヒト・デューラー通り」に面している「デューラーハウス」。

チケットを購入し奥の「デューラーの間」に入ると、後世の画家たちが模写したデューラーの絵がずらりと並んでいる。 中にはドイツでは見ることができない作品もあるので、模写とはいえそれなりの雰囲気を味わえるのはうれしい。
(下の写真の中央「アダムとイブ」と左「マギの礼拝」のオリジナルは、それぞれマドリードのプラド美術館、フィレンツェのウフィーツィ美術館に所蔵されている)



オーディオガイドは日本語バージョンもある。
画面中央は名前の頭文字AとDを組合わせたデューラーのモノグラム。

2~3階はキッチンや食堂、居間といった住居スペースになっていて、4階に作業場がある。
デューラーや弟子たちはここで制作に励んでいた。


銅板や塗料が置かれている作業机を見ていたら、一人の女性が近づいてきて「見本をお見せしましょうか」と言って、銅板に塗料を塗り始めた。


布で拭いて塗料をなじませて、


水を含んだ紙を銅板に重ね輪転機にかけると、

銅版画のできあがり。

この女性はソフィア・フレンクルさんといって、ここで銅版画を作って売っているプロの芸術家。
作業場の隅にはソフィアさんの作品がいくつも立てかけられていた。値段は大きさに応じて5ユーロから28ユーロとあった。

(次回に続く)

2013年12月15日日曜日

バイエルン美術紀行(6) ニュルンベルク1 ローレンツ教会

9月6日(金)ニュルンベルク

いつもはゆっくり食べる朝食も、この日は少しだけ早めに切りあげて7時50分発のICEに乗ってニュルンベルクに向かった。
ミュンヘンからニュルンベルクまでの所要時間は約1時間10分。
ちょうどいい具合に観光案内所が開く時間にニュルンベルクに到着する。

駅前の観光案内所に入ると、若い女性が笑顔で迎えてくれる。
まず、市内の地図をいただき、旧市街地にある中央広場やデューラーハウスの位置を確認。
さらに、ナチスが政権を獲得した1933年以降に党大会を開催した会場跡やニュルンベルク裁判の行われた法廷は郊外にあるので、交通手段や所要時間などを教えてもらった。

ニュルンベルクといえば、ユダヤ人迫害の始まりとなったニュルンベルク法やニュルンベルク裁判といったナチスの負の遺産で名前が知られていて、あまり触れてほしくないことかなと思ったが、対応してくれた女性は特にいやな顔をすることなく親切に教えてくれた。
ヒトラーの地下壕やシュタージ(国家保安省)の場所を尋ねたときのベルリンの観光案内所の男性の対応とは大違いだ。
(2012年1月16日のブログをご参照ください)

観光案内所前のケーニッヒ門から中央広場に通じるケーニッヒ通りをしばらく歩いて行くと聖ローレンツ教会の尖塔が見えてくる。



こちらは正面。
13世紀中ごろから200年以上かけて建設されたゴシック様式の教会。

中に入るとステンドグラスから光が差し込み荘厳な雰囲気。

しかしこの美しい教会も連合軍の空襲により大きな被害を受けた。
空襲直後の様子と、当時のまま残されたがれき。破壊された天使の像が痛々しい。

それでもきれいなステンドグラスも、彫像も当時の人たちの努力で、かろうじて残された。


何百年ものあいだ台座を支える人たち。手前の像はこの彫刻を制作したアダム・クラフト自身と言われている。

受胎告知のレリーフや、

最後の晩餐といったキリストの生涯の中の有名なシーンも見事に残された。

ペーパークラフトの聖ローレンツ教会もある。

これは長さが50センチほどあってかなり大きいが、これより小さいサイズのものは教会内の売店にも売られている。
ジオラマとか模型といったたぐいのものは好きな方なので、買おうかどうかさんざ迷ったが、荷物になるのでやめよう、とグッとこらえて教会をあとにした。
(次回に続く)