2017年11月10日金曜日

山種美術館 特別展「没後60年記念 川合玉堂 -四季・人々・自然-」

山種美術館では特別展「没後60年記念 川合玉堂-四季・人々・自然ー」が開催されています。


日本の四季の移ろいや、懐かしい山里の風景、そしてそこに暮らす人たち。
川合玉堂の作品は、優しくて、温かくて、そして何となくホッさせてくれる、そういった魅力をもった存在でしたので、今回の展覧会もとても楽しみにしていました。
見終わっての感想は期待どおり。やはり心が温まって、なごんだ気分になります。
没後60年を記念して開催された「川合玉堂展」、玉堂の人柄にもふれることができるとても素晴らしい展覧会です。

会期は、前期が11月26日(日)まで、後期が11月28日(火)から12月24日(日)までです。
前期と後期で一部展示替えがあります。また、展示期間限定の作品もあります。

展覧会の詳細や関連イベント情報はこちらをご覧ください。
http://www.yamatane-museum.jp/

※掲載した写真は、山種美術館の許可を得て撮影したものです。

それでは先日参加した特別内覧会の進行に沿って展覧会の様子をご紹介したいと思います。

はじめに山種美術館の山﨑妙子館長からご挨拶がありました。

〇 前回の上村松園展には3万9千人近くの方にご来館いただきました。
〇 当館の創設者 山﨑種二初代館長は川合玉堂と特に親しくしていました。今回の展覧
 会は、日本の山河をこよなく愛し、そこに住む人たちを描いた玉堂の初期から晩年まで
 の画業を当館所蔵作品と他館の協力をいただいて振り返る企画です。
〇 今回の展覧会で写真撮影が可能な一点は川合玉堂の代表作《鵜飼》(作品番号30)です。



 「Cafe椿」では川合玉堂の作品にちなんだ和菓子を提供しています。


中央が「里の秋」、右上から時計回りに「冬の湖畔」「山に咲く花」「千寿」「東風」
どれも美味ですが、外側の白色と青色では想像できない胡麻風味こしあん
が中に入っている意外性で「冬の湖畔」が私のおすすめです。
(胡麻あんは大好物なのです)

 また、ショップでは、本展覧会の図録やオリジナルグッズを販売しています。
〇 次回の展覧会は来年13日(水)から始まる横山大観展。展覧会にちなんだ山下裕二氏の
 イベントを127日(土)に開催します。タイトルは「横山大観と対峙する」です。
  ご参加お待ちしております。

続いて明治学院大学教授で山種美術館顧問の山下裕二さんから展覧会の見どころをスライドでご紹介いただきました。

第1章 若き日の玉堂-修学の時代-

「今回の展覧会は、当館が所蔵する71点の玉堂作品のうち56点と、玉堂美術館、東京国立博物館、東京国立近代美術館他から作品をお借りして展示した、充実した内容の展覧会です。」


「《写生画巻》は写実を重んじる円山四条派に入門した玉堂の15~17歳の時の写生帳です。玉堂は十代の頃から確かな技術を身につけていました。」


川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館)

「猿やみみずくは毛描きを一本一本描いています。」
川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館)

(《写生画巻》は巻替えがあります。)
  
「《鵜飼》は円山応挙の《鵜飼図》の影響を受けた作品です。この作品を出品した第4回内国勧業博覧会展(明治28年開催 玉堂は22歳)で見た木挽町狩野派の流れを汲む橋本雅邦の作品に感動して、東京に出て橋本雅邦門下に入門しました。」


川合玉堂《鵜飼》明治28年(山種美術館)

「《夏雨五位鷺図》(明治32年)は雨の描き方に特長があります。斜めの線は薄墨だけでなくきらきら輝いているのでおそらく雲母(=きら)」を塗っているのではないでしょうか。」
(右斜め下から見上げると、きらきら輝いて見えます。)


川合玉堂《夏雨五位鷺図》(玉堂美術館)

「《赤壁》(明治44年頃)は金地に水墨画という、オーソドックスな手法で描かれています。」
(右隻には船の中で笛の音に聞き入る蘇軾、左隻には崖の上から悠然と同行者を見下ろす蘇軾が描かれています。とても味のある作品です。)

川合玉堂《赤壁》(青梅市立美術館)


第2章 玉堂とめぐる日本の原風景-四季、人々、自然-
 大正から昭和へ

「玉堂は若いころから円山四条派の実物描写や狩野派の漢画的な手法を身につけていましたが、《紅白梅》(大正8年頃)のように琳派的な作品も描いています。」
「落款も大きな円形で琳派を意識していますが、尾形光琳の《紅白梅図屏風》(MOA美術館蔵)にはないシジュウカラが描かれているのが玉堂らしいところです。」

川合玉堂《紅白梅》(玉堂美術館)

「漢画的、狩野派的な絵を描いていた玉堂は、昭和に入ると優しい描き方、日本の自然によりそう描き方に変わってきました。玉堂は日本の自然に心を寄せていた優しい人でした。」

右から、川合玉堂《雨後》、《石楠花》、
《竹生嶋山》(いずれも山種美術館)

「《御濠之朝》(昭和16年)は半蔵門あたりの皇居のお堀の景色で、何とも優しい風景を描いています。御濠には小さな水鳥を描いています。」
(よく見ると水鳥まわりには泳いだときにできる波が描かれています。水鳥たちはかなりのスピードで泳いでいるように見えました。)

中央が、川合玉堂《御濠之朝》(玉堂美術館)、左が《渡所春暁》(山種美術館)、
右が《松間飛瀑》(山種美術館)
奥多摩時代

「玉堂は戦時中、奥多摩に疎開して、戦後もそのまま奥多摩に住んで、《水声雨声》(昭和26年頃)のような農村の風景を描きました。」


右から、川合玉堂《水声雨声》、《雨後山月》、《魚釣り》、
《高原入冬》(いずれも山種美術館)


第3章 素顔の玉堂

戦時下の玉堂

「玉堂には常に自然や庶民に心を寄せる姿勢が見られました。」
(《ラジオいま》(昭和14年頃)には「軍艦まあち」と書かれていますが、背景は緑の葉をつけた二本の枝。おだやかな自然の一風景が描かれています。)

川合玉堂《ラジオいま》(山種美術館)

親しき人々

「人物画はあまり描かなかった玉堂ですが、《花をいけて》(昭和4年)、《川合玉堂書簡》(昭和5年)のような、子思い、孫思いの絵を残しています。」
「《花をいけて》は次男・修二の妻・照子を描いたもので、《川合玉堂書簡》では、香港に赴任中の、長女・國子の夫・大倉堯信に宛てた書簡で、國子の子(玉堂の孫)を描いています。」
「《松上双鶴》は、山﨑種二氏の長女の結婚祝いに玉堂から贈られた作品です。」

中央が、川合玉堂《花をいけて》(玉堂美術館)、左が《松上双鶴》(山種美術館)、
右が《観世大士》(山種美術館)

《川合玉堂書簡》(1930年12月3日付大倉堯信宛)
「自画像をほとんど描いていない玉堂にとって、「今良寛」と呼ばれた歌人の清水比庵との合作《先生と私》は珍しく自画像を描いた作品です。」

川合玉堂(画)・清水比庵(賛)《先生と私》(清水固氏)

松竹梅

「《竹(東風)》(昭和30年)は、横山大観が《松》、川端龍子が《梅》を描いた第1回松竹梅展に出品された作品です。」

左が、川合玉堂 松竹梅のうち《竹(東風)》、右が松竹梅のうち《竹》(いずれも山種美術館)

身近なものへのまなざし

「《熊》(昭和21年)は、当時住んでいた奥多摩で近所に現れた熊が射殺されるという出来事があって、それがちょうど玉堂の誕生日だったので記念に描いたという作品です。」
「《氷上(スケート)》(昭和28年)は、日本フィギュアスケート界の草分け的存在だった稲田悦子が近くのスケート場に出場したときの様子を描いています。」  

右が川合玉堂《熊》(玉堂美術館)、左が《氷上(スケート)》(山種美術館)

「今回の展覧会は、玉堂の人柄、実力がよくわかるとても素晴らしい内容の展覧会です。」(拍手)

続いて展示室内に移って山﨑館長のギャラリートークをおうかがいしました。

「今回の展覧会は玉堂の若いころから晩年までの作品を展示しています。」
「玉堂はとても人柄のいい方で、祖父(山﨑種二初代館長)がとても親しくしていました。そのご縁で71点の玉堂作品を当館が所蔵しています。」
「《鵜飼》(明治28年)は、愛知に生まれ岐阜で育った玉堂がわずか22歳の時に描いた作品で、構図は円山応挙の《鵜飼図》に倣っています。」
「《鵜飼》は第4回内国勧業博覧会で三等銅牌を受賞した作品です。玉堂はそこで橋本雅邦の作品と運命的な出会いをしました。その後、玉堂は雅邦のもとで絵を学びます。」
川合玉堂《鵜飼》明治28年(山種美術館) (再掲)

「《渓山秋趣》(明治39年)の構図は、橋本雅邦《白雲紅樹》(東京藝術大学蔵)の影響を受けています。」
「このころから玉堂は、漢画的な山水画から日本的な風景を描く風景画を描くようになってきました。」

川合玉堂《渓山秋趣》(山種美術館)

「《悠紀地方風俗屏風(小下絵)》は、昭和3年の昭和度御大礼に際して悠紀地方(滋賀県)を描いた屏風の下絵で、本物は現在、宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵しています。大和絵の伝統にならって青い雲で場面を仕切っていますが、当時の風俗も描いていて、自転車に乗っている人が描かれています。」(左隻の右の橋の上に自転車に乗っている人がいます。)


川合玉堂《悠紀地方風俗屏風(小下絵)》(玉堂美術館)


「ケースの中は15~17歳の頃のスケッチで、当時、猿を飼っていて、一人で寝かすのがかわいそうで抱いて寝ていたそうです。こういったエピソードに玉堂のやさしい人柄をうかがうことができます。」


川合玉堂《写生画巻》(玉堂美術館) (再掲)

「滝は円山四条派で書き継がれてきた画題です。」

川合玉堂《瀑布》(玉堂美術館)


「玉堂は作品の中に点景人物、点景動物を描いています。そこには鴨や猿、農村で暮らす人たちや動物への愛着を感じとることができます。」
「愛知に生まれ岐阜で育った玉堂は鵜飼を繰り返し描いていました。《鵜飼》(昭和14年頃)は水面下に鮎が描かれています。かがり火は金泥です。」
(画面中央下方の川面の下に鮎が描かれています。)


川合玉堂《鵜飼》昭和14年頃(山種美術館)
(こちらが撮影可の《鵜飼》です。)

「《春風春水》(昭和15年)は、船頭が力を入れて縄を引いているところと、女の人たちが楽しそうに話している表情がよく描かれています。」

川合玉堂《春風春水》(山種美術館)


「奥多摩の御嶽山には戦前もスケッチに行っていましたが、戦時中に疎開して、戦後もそのまま奥多摩に住み続けました。食糧難だった戦時中には祖父が米2俵を自動車の後部座席に積んで玉堂に届けたという話を聞いています。」
「《加茂女(かもめ)十三首》(昭和17年)は、亡くなった竹内栖鳳の弔辞をささげるため京都を訪れた帰路に詠んだ13種の短歌を書いて画を添えたものです。玉堂が乗ったのは東京・神戸間を結ぶ「鷗(かもめ)号」でした。」 

川合玉堂《加茂女十三首》

「《早乙女》(昭和20年)は、田んぼを高いところから俯瞰した構図で、あぜ道のたらし込み表現は琳派の影響を感じさせます。戦争を感じさせないのどかな雰囲気の作品で、私の大好きな作品です。」 
「《渓雨紅樹》(昭和21年)には玉堂が好きだった水車が描かれています。」

左が川合玉堂《早乙女》、中央が《渓雨紅樹》、右が《渓村春靄》
(いずれも山種美術館)

 
「『千里往って千里還る』といわれる虎の絵は、戦地に子を送る親によく描いて渡したそうです。玉堂は戦争画を描きませんでしたが、荒々しい波を描いて、当時の不安な状況を表現した《荒海》(昭和19年)が唯一の戦争画といえるでしょうか。」

右が川合玉堂《虎》、左が《荒海》(いずれも山種美術館)

「作品一つ一つに玉堂の人柄がにじみ出ています。ぜひ多くの方にご覧になっていただきたいです。」(拍手)

山下さん、山﨑館長、どうもありがとうございました。
とても興味深いお話ばかりでしたが、全てを紹介することはできませんでしたので、ぜひ会場で玉堂の作品をご覧になっていただければと思います。

今回の展覧会を見て、あらためて玉堂作品の素晴らしさを実感しました。
おすすめの展覧会です。


2017年11月5日日曜日

静嘉堂文庫美術館「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」

静嘉堂文庫美術館では「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」が開催中です。

静嘉堂文庫美術館の所蔵品の奥行きの深さはいつもすごいと感じていたのですが、今回もやはりすごいです。
今回のキーワードは「あこがれ」。
狩野探幽や谷文晁の模写も原本と並んで展示されていたり、柳沢淇園や池大雅の跋(作品を見た人が作品の感想などを記したもの)も作品と一緒に展示されていたりして、江戸時代の絵師たちがどれだけ中国絵画にあこがれをもって見ていたかがよくわかる構成になっています。

さて、それでは先日開催された内覧会の様子をレポートしながら展覧会の見どころを紹介したいと思います。

※掲載した写真は美術館より特別に許可をいただいて撮影したものです。

はじめに地下の講堂で「あこがれの明清絵画」トークショーがありました。

ゲストは、この人なしに中国絵画は語れないという東京大学東洋文化研究所・情報学環教
授の板倉聖哲さん、そして「饒舌館長」こと静嘉堂文庫美術館 河野元昭館長、ナビゲーターはアートブログの草分け的存在、「青い日記帳」主宰Takさんという豪華キャスト。

Takさん 今回展覧会のタイトルは「あこがれの明清絵画」ですが、どういった思いで「あ
    こがれ」というタイトルをつけたのでしょうか。

美術館入口の看板

河野館長 江戸時代、日本人には中国に対するあこがれがありました。そのあこがれのシ
    ンボルとして明清の絵画があります。
     明清絵画の展覧会は今まで多く開催されましたが、今回のコンセプトは、日本
    目線、われわれ目線です。日本人があこがれた明清絵画という視点から作品を展
    示しています。
     また、当館初の試みですが、今回は泉屋博古館分館とのコラボレーション企画
    です。
    (住友コレクション 泉屋博古館分館「特別展 典雅と奇想 明末清初の中国名画
     展は11月3日から始まりました。詳細はこちらでご確認ください。)
        ↓

板倉教授 中国に対するあこがれは時代によって変化しています。
     2014年に三井記念美術館で特別展「東山御物の美-足利将軍家の至宝」を開催
    しましたが、室町時代のあこがれの対象は、夏珪をはじめとした南宋絵画が中心
    でした。
     それが江戸時代には、新たに入ってきた明清の絵画があこがれの対象になりま
    した。
     今回の展覧会は、江戸時代に入ってきた明清絵画が日本でどのように受け入れ
    られてきたか系統立てて説明できるほどの作品が並んでいます。
Takさん 展覧会パンフレットには「若冲、応挙、谷文晁も、みんな夢中になった」とあり
    ますが、みんな夢中になったのでしょうか?
河野館長 当館所蔵の「文殊・普賢菩薩像」(京都・東福寺伝来)は、元代の作品なので今
    回の展覧会では展示しませんでしたが、伊藤若冲(1716-1800)が模写して「動植
    綵絵」とともに相国寺に寄進したのが「釈迦三尊像」(相国寺蔵)です。
     若冲がいかに中国絵画から影響を受けているかは、会場入口前にパネル「若冲
    の明清絵画学習」を展示したので、ぜひご覧になっていただきたい。   
Takさん 会場入ってすぐに張翬(生没年不詳)の《山水図》(明・15世紀)とそれを模写した
    狩野探幽(1602-1674)の摸本が並んでいます。
     当時このような原寸大の模写は多かったのでしょうか?
河野館長 原寸大のものは多くありませんでした。そういった意味では貴重な作品です。
     狩野探幽は『探幽縮図』に多くの作品を模写しましたが、この作品には特に感
    動して一生懸命模写したのでしょう。
     よく似ていますが、並べてみると美意識の違いが見てとれます。探幽の作品に
    はどこかやすらぎがあります。また、遠山は、探幽はフラットに描いています
    が、張翬は立体的に描いています。
板倉教授 張翬が活躍していた時期は沈周(1427-1509)とほぼ同じで、雪舟(1420-1506)
    が同じ時期(1467-69)に中国に行っているのが興味深いところです。
Takさん 展覧会パンフレットに猫の絵が選ばれていますが、これが今回の展覧会の目玉で
    しょうか?
河野館長 この沈南蘋(1682-1760~?)の《老圃秋容図》(清・雍正9年 1731)は名幅
    中の名幅です。沈南蘋の作品は日本から中国に帰国後の作品は多いのですが、来
    日前の作品は少ないのです。
    (沈南蘋は1731年12月に来日し、長崎に1年10ヶ月滞在しました。) 
Takさん 谷文晁派による《沈南蘋筆 老圃秋容図粉本》(個人蔵 江戸時代18~19世紀)
    も展示されていますね。
河野館長 この粉本は今回新発見のものです。
板倉教授 この粉本の右下には「写山楼」という印があります。これは谷文晁の画塾のこ
    とです。
Takさん 花鳥画も素晴らしいですが、山水画で見ておくものは?
板倉教授 張瑞図(1570-1641)《秋景山水図》(明・17世紀)ですね。そして同じく張瑞図
    《松山図》(明・崇禎4年 1631)は円山応挙(1733-1795)も見ていて模写してい
    ますが、応挙は書の方を大きく書き、絵は小さく描いています。応挙の中では張
    瑞図は画家としてよりも書家として評価していたのでしょう。
    (応挙の模写の写真が解説パネルに掲載されているので、お見逃しなく。)

左から、《松山図》、《秋景山水図》いずれも張瑞図

     王建章(?~1627-1649~?)《米法山水図》(明・天啓7年 1627)は金箋(きん
    せん 金箔を塗った紙)地に描いたもので、濃淡のコントラストがはっきりし
    ていて絵が光って見えます。またこの絵には色があるので、それもよくご覧にな
    ってください。
     倪元璐(1593-1644)の《秋景山水図》は絖本(こうほん 光沢のある上質の絹)
    に描いた作品で、下から見ると光って見えます。
     金箋と絖本は日本から中国に入り、明末清初に特に蘇州でブームになりまし
    た。中国におけるジャポニズムと言えるでしょうか。」


(下の写真は下の方から撮りましたが、やはり実物でないと光っている様がわかりません。ぜひその場でご覧になってください。) 

左から、倪元璐《秋景山水図》、王建章《米法山水図》

Takさん さて、最後にこの展覧会の見どころは?
板倉教授 12年ぶりに開催される明清絵画の展覧会です。江戸時代の文人たちのあこがれ
    中のあこがれの作品を見ていただきたい。
河野館長 今回の展覧会のもう一つの見どころは明清の書です。
    11月25日(土)に高木聖雨氏(大東文化大学教授)と富田淳氏(東京国立博物館学芸企
    画部部長)の対談があるのでぜひこちらにも参加していただきたい。(拍手)

関連イベント情報は静嘉堂文庫美術館の公式ホームページをご参照ください。
 ↓
http://www.seikado.or.jp/exhibition/index.html

続いて場所を会場内に移して板倉教授による何ともぜいたくなギャラリートーク。

会場に入って正面に展示されているのが、張翬《山水図》と狩野探幽の摸本。

張翬《山水図》(左)、狩野探幽《張翬筆 山水図摸本》(右)

「明代には浙派と呼ばれた職業画家と呉派と呼ばれた文人画家たちの対立がありましたが、張翬の《山水図》はその対立の構図がまだあいまいだった時期の作品で、宋代の絵画にあった力強い表現が残っている作品です。」と板倉教授。

トークショーでも話題になりましたが、探幽はこの山水画が特にお気に入りだったのでしょう。夢中になって模写する探幽の姿が目に浮かんできそうです。

会場に入ってすぐは花鳥画のコーナーです。

「《牡丹図巻》のすごいところは輪郭がなく、墨の濃淡だけで牡丹を描いているところです。若冲の作品にも同じ描き方をするものが見られますね。」



李日華《牡丹図巻》、奥の金箋墨画の
呉令・邵弥《椿梅図扇面》も素晴らしいです。
花鳥画のコーナーが続きます。
「単純な構図の中に花や鳥を緻密に描く花鳥画は、室町時代後半に日本に入ってきて、当時の人たちのあこがれの対象でした。」
「江戸時代に好まれた花鳥画には二つの流れがありました。ひとつは、兎のようなめでたい動物、吉祥的なものを描く流れ。もう一つが写実的に描いた博物学的な流れです。」

徐霖《菊花野兎図》では、不老不死の象徴の兎が描かれています。《百雁図》では右下に一羽だけ描かれた白い雁は、「百」引く「一」の「白」を表し、白寿(99歳)を祝う意味が込められています。
左から 《百雁図》、陸治《荷花図》、徐霖《菊花野兎図》

「今回初公開の《虎図》は16世紀の明代の作品で、毛描きがクロスしているところに特色があります。京都・正伝寺の《猛虎図》を模写した若冲のプライス・コレクションの《虎
図》も毛描きがクロスしています。」
(一見してよく分からなかったので「どの部分がクロスしているのでしょうか。」と板倉教授におうかがいしたところ、「特に肩のあたりがよくわかります。」と丁寧に教えていただきました。ありがとうございました。)

「《花鳥図》の鳥は羽根が一枚一枚描き分けられています。」
沈南蘋《老圃秋容図》は日本に初めてもたらされた、彼の一番重要な作品でしょう。この作品は来日前に描かれたもので、中国への帰国後日本にもたらされた作品と比べて、すっきり、さっぱりしています。飛んでいる虫も写生的で、自然主義的な描き方をしています。」
「谷文晁派の粉本では虫の表現に注目してください。おそらくそこがこの絵のポイントと理解してきちっと模写したのでしょう。」

細かい部分を見れば見るほど絵の面白さがわかってきそうです。ぜひとも近くでよくご覧になってください。
左から 沈南蘋《老圃秋容図》、《花鳥図》、《虎図》
続いて「民清の道釈人物・山水画」のコーナーです。

丁雲鵬(1547-1628)、盛茂燁(?~1594-1640~?)の合作《五百羅漢図》は今回初公開。もともと25点を京都・仁和寺が所蔵していたものが散逸し、所在のわかっているものが10幅、最近海外オークションに出されて話題になったものが2幅、そして静嘉堂文庫美術館の元学芸員の方の丹念な調査で旧・仁和寺所蔵のもの間違いなしと認定さえれたのがこの作品。
「これは大変な発見です。これで13幅目。残りを見つけたら教えてください(笑)。」と板倉教授。
「この作品は、左下の『リアルなおじさん』に注目です(笑)。」
確かに、修行を積んでいるきりっとした羅漢さんたちに比べて少しにやけた感じのおじさんがいます。この五百羅漢図の注文主でしょうか。

趙左(?~1609-1631~?)は明末を代表する画家で、宋代にあこがれて大きな絵を描きました。
李士達(1540頃-1621以降)は明末に蘇州で活躍した画家で、実写に近い山水を描き、コロッとした人物を描くのが特徴です。

左から李士達《秋景山水図》、趙左《雪景山水図》、
丁雲鵬、盛茂燁《五百羅漢図》
「藍瑛(1585-1664?)は明末の杭州で活躍して、浙派の殿(しんがり)と呼ばれた画家で、江戸時代の日本では特にはやりました。それは、この作品のように、元末四大家の一人、王蒙に倣うとこういう絵になるという考え方を出してくれたので、日本人にはなじみやすかったからです。」
「谷文晁がこの作品を模写していますが、藍瑛の『こってり』に対して谷文晁は『あっさり』といった印象があります。また、谷文晁の模写は下が短くなっています。」

右が藍瑛《秋景山水図》、左が谷文晁の模写
次は「文人の楽しみと明清の書跡」のコーナーです。


「陳曽則(生没年未詳)《蘭竹図》は、自由な筆遣いで描かれ、頼山陽が愛した作品です。」
「江戸時代の文人たちは、今でいう展覧会にあたる書画会や煎茶会で中国絵画を見ていました。」
今回の展覧会では、書画の手前にある書画会や煎茶会に欠かせない小道具の展示も見逃せません。

左 王建章《川至日升図》、 右 陳曽則《蘭竹図》


「こちらには特徴的な三点の書が展示されています。米万鐘(1570-1628)は北宋の文人・米芾の子孫で、張瑞図は木の葉返しという太い筆で表現しています。王鐸(1592-1652)は、王羲之などの古典を良く学んだ人で、紙には文様が入っています。」
乾隆帝の時代には王鐸のように明と清に仕えた人は『弐臣』と呼ばれ作品の価値が下がり、そのため彼らの多くの作品が日本に流出しました。

左から 王鐸《臨王徽之得信帖》、張瑞図《草書五言律詩》、
米万鐘《草書七言絶句》

「文伯仁を思わせる《青緑山水図巻》は、今ではこの作品を文伯仁作と言う人はいませんが、江戸の文人たちが初めてこの絵を見たときの感動に思いをはせていただきたいです。」(拍手)  

左 伝 文伯仁《青緑山水図巻》、右 厳調御《臨古帖》

この秋おすすめの展覧会がまた一つ増えました。
ぜひみなさんも江戸時代の文人たちがあこがれた中国絵画をご覧になってください。 

展覧会のミニブック、クリアファイルもミュージアム・ショップで販売しています。こちらもおすすめです。

2017年10月22日日曜日

パナソニック汐留ミュージアム「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」

パナソニック汐留ミュージアムで10月17日(火)から「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」が始まりました。



カンディンスキーが見たくてミュンヘンのレンバッハハウス美術館まで行ったくらいカンディンスキー好き(←声に出すと言いにくい!)の私としては絶対に見逃せない展覧会だと思っていましたが、やはり大好きなパウル・クレーのコーナーもあったり(デュッセルドルフのK21州立美術館も行ってきました!)、ルオーもパナソニック汐留ミュージアム所蔵に加え、約40点も来日してそのうち約20点は初来日という見どころ満載の展覧会です。

さらに驚いたのはカンディンスキー作品18点、パウル・クレー作品23点のすべてが国内の美術館の所蔵だということ(カンディンスキー作品の1点が高知県立美術館蔵で、他はすべて宮城県美術館蔵)。
もう30年近く前に『日本で観る世界の名画』(講談社文庫 昭和63年 嘉門安雄監修)という文庫本を買って名画の旅に出かけたこともありましたが、日本国内でもこんなにたくさんの世界の名画を楽しむことができるということをあらためて実感しました。

さて、前のめりしすぎて前置きが長くなりましたが、開催に先がけて行われた内覧会に参加してきましたので、その時の様子を紹介したいと思います。

※掲載した写真は主催者の特別の許可をいただいて撮影したものです。

ご案内いただいたのはパナソニック汐留ミュージアム学芸員の富安玲子さん。

モスクワに生まれて画家になるためドイツのミュンヘンに出てきたドイツ表現主義の代表者ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)と、パリに生まれてパリを中心に活動した宗教画家ジョルジュ・ルオー(1871-1958)。

「抽象画のカンディンスキーと宗教画のルオーでは接点がないように思われますが、今回の展覧会では『そんなことはない』ということをお見せしたい。」と富安さん。

展示は3章構成になっていて、第1章「カンディンスキーとルオーの交差点」では新しい芸術を生み出そうとした二人の出会いを見ることができます。

「この部屋はカンディンスキーとルオーの出会いというイメージで部屋を六角形に区切り、壁の色をブルーに統一してサロン風の雰囲気を出しました。」と富安さん。

この部屋で目につくのはやはりこの作品です。
カンディンスキー《商人たちの到着》(宮城県美術館)

30歳の時、モスクワで開催された美術展でモネの《積み藁》を見て、「モネのようなあいまいな色使いもありなのか!」と驚き画家になることを決心してミュンヘンに出てきたカンディンスキーが1905年にパリで開催された展覧会「サロン・ドートンヌ」に出品したのがこの作品。新しい芸術を目指した「サロン・ドートンヌ」展は、その創設にルオーがかかわっていました。
「1905年の展覧会には、フォービズム(野獣派)と呼ばれたマティスやドランの作品が展示されていましたが、こういった中、一見オーソドックスなこの作品をカンディンスキーはなぜ出展したのか、と思われかるかもしれませんが、この作品には、画面の中でいかに隣の色どうしを響き合わせるかという、その後のカンディンスキーの抽象絵画に通じるものが表現されています。」

第1章ではルオーの《町はずれ》や《法廷》も注目です。
《町はずれ》は、カンディンスキーが1910年に開催したミュンヘン新芸術家協会の展覧会に招いたルオーの作品3点のうちの1点で、今回の展覧会のために修復後、最初に公開されるものです。社会の不正を訴えた《法廷》にはパナソニックの最新のスポットライトが使われているので、画面の明暗がより一層浮かび上がって見えます。
他にもルオーの最晩年の作品で第3章に展示されている《降誕》は、ルオー独特の厚塗りをしすぎて額縁だけでなく、絵の裏側まで色を塗ってしまったり(裏側は見えませんが)、ルオーの作品は著作権の関係で画像で紹介はできませんが、ルオーの作品群も見応え十分ですので、ぜひ会場でご覧になってください。

第2章「色の冒険家たちの共鳴」では、産業革命や列強の植民地主義によって社会が大きく変化する中、社会不安に敏感な芸術家たちの作品が展示されています。

ドイツ表現主義の画家たちは植民地からもたらされた原始的なものや自然に理想化された世界を求めました。
下の写真のヘッケルとべヒシュタインは1905年に結成されたドイツ表現主義の最初のグループ「ブリュッケ(橋)」のメンバー。カンペンドンクは1911年にカンディンスキーが結成した「青騎士」のメンバー。

左 エーリヒ・ヘッケル《木彫りのある静物》、中央 マックス・ペヒシュタイン《森で》、
右 ハインリヒ・カンペンドンク《少女と白鳥》

こちらはペヒシュタインの版画集『われらの父』の作品群。
全部で12点のうち現在展示されているのは前期(10/17~11/14)の6点。後期(11/16~12/20)には作品の入れ替えがあります。

マックス・ペヒシュタイン《版画集『われらの父』》

そしてはじける直前のカンディンスキーの作品。
富安さん「色や形を画面の中でどう響き合わせているか注目です。」
カンディンスキー《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作(カーニバル・冬)》

第2章には色と形がうごめく作品がずらりと並んでいます。
そのため第2章はとにかく見てわかってほしいという趣旨で、「作品をぎゅっと並べてみました。」、また、「壁の色はニュートラルな白で統一しました。」と富安さん。

第3章「カンディンスキー、クレー、ルオー ーそれぞれの飛翔」では、第一次世界大戦(1914-1918)後の三人の画家たちの作品が展示されています。

はじめにまるごとクレーのコーナー。

右を向いても、

左を向いてもクレー、クレー、クレー。
なんとも贅沢な空間です。


富安さん「前面に出てくるオレンジ色と、奥に引っ込む青色を組み合わせてクレーは絵を立体的に見せています。これがクレーのマジックです。」

クレー《グラジオラスの静物》(左)、《橋の傍らの三軒の家》(右)

続いてカンディンスキーのコーナー。




このコーナーでひときわ目立つのが《活気ある安定》。
はじけてしまったあとのいかにも「これぞカンディンスキー!」という作品ですが、今回の展覧会のおいしいところは、作品3点でカンディンスキーの歴史をたどることができるということです。
まずは第1章の抽象画以前の代表作《商人たちの到着》。
次に第2章の抽象画に移行する時期の《「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作(カーニバル・冬)」。
そして、抽象画を確立したこの《活気ある安定》。

この作品でも色と形が画面の中で響きあっています。
「右上の紫色と左下の赤色が対になっていて、右下の緑色が赤色の補色になっています。このように一つの色も動かすことができないようになっています。」と富安さん。

カンディンスキー《活気ある安定》
以上、駆け足で展覧会の紹介をしてきましたが、見どころ満載のとても素晴らしい展覧会です。この秋おすすめの展覧会がまたひとつ増えました。

詳細は展覧会公式サイトをご覧ください。

会場の出口付近には、最近の美術展ではすっかりおなじみとなった記念撮影コーナーがあります。


しかし普通の記念撮影コーナーではありません。
そこはエレクトロニクスメーカー・パナソニック。
設置されているカメラで撮ってあとでスマホやパソコンにダウンロードできる「PaN」システムを体験することができます。

また、1階のショールームでは、今回の展覧会とのコラボでカンディンスキー作品のポスターが掲示されていて、照明によって絵の雰囲気が変わる様子を見ることができるので、ぜひお帰りに立ち寄ってみてください。

最後になりますが、私のブログの宣伝を。

デュッセルドルフのK20州立美術館(Kはドイツ語で芸術(Kunst)の頭文字)は、ナチスが政権をとる1933年までパウル・クレーがデュッセルドルフ大学で教鞭をとっていた関係でクレーの作品を多く所蔵しています。興味のある方はぜひこちらもご覧になってください。

ドイツ世界遺産とビールの旅(14)デュッセルドルフ・K20州立美術館

また、ミュンヘンのレンバッハハウス美術館は、カンディンスキーをはじめとした「青騎士」の画家たちの作品の宝庫です。こちらも過去のブログで紹介しています。

バイエルン美術紀行(17)レンバッハハウス美術館


2017年10月8日日曜日

上野の森美術館「怖い絵展」

10月7日(土)から上野の森美術館で「怖い絵展」が始まりました。

ギリシャ神話や聖書の物語、悪魔や地獄、戦争や犯罪、貧困、天災、そして権力闘争。
一見しただけで怖い絵もありますが、作品の背景を知ってはじめてその怖さがわかる絵も多く、作品の謎を読み解くうちにいつのまにか今回の展覧会を特別監修された中野京子さん(作家・ドイツ文学者)の「怖い絵」の世界に引きこまれていくとてもミステリアスな展覧会です。

それではさっそく展覧会の様子を、開催に先立って行われた内覧会に沿って紹介したいと思います。

※掲載した写真は主催者の許可を得て撮影をしたものです。

ポール・ドラローシュ《レディ・ジェーン・グレイの処刑》

展覧会は6章構成になっています。
内覧会では中野京子さんに、第1章のギリシャ神話のオデュッセウスの物語にちなんだ作品と、今回の展覧会随一の人気作品、第6章の《レディ・ジェーン・グレイの処刑》を解説していただきました。

まずは第1章 神話と聖書 から。

会場に入ってすぐの正面にはギリシャ神話の英雄・オデュッセウスにちなんだ作品が並んでいます。


その一つがジョン・ウィリアム・ウォーターハウス《オデュッセウスに杯を差し出すキルケ―》。

オデュッセウスは、ギリシャとトロイアの間で10年間続いてギリシャの勝利に終わったトロイア戦争のあと、トロイアから故郷のイタケー島に海を渡って凱旋するまでの間、嵐の中を漂泊して、いくつもの危機を乗り越えて10年かけて故郷の町に帰りました。
その間、アイアイアという島にたどり着き上陸しましたが、そこには魔女キルケ―が住んでいて、部下たちは進めるまま酒を飲み、御馳走を食べ、キルケ―の持つ杖で触れられるとたちまちその姿は豚に変わりました。

キルケ―は「さあ、お飲みなさい」と酒の入った杯を右手で差し出し、左手には杖を高々と掲げています。画面右下にいるのが豚に姿を変えられたオデュッセウスの部下、キルケ―の後ろの鏡に映っているのが部下たちを助けに来たオデュッセウス。


ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
《オデュッセウスに杯を差し出すキルケ―》
オデュッセウスはキルケ―にすすめられて酒を飲みましたが、剣で抵抗して部下たちを人間の姿に戻すよう約束させました。

「面白いことにこのあとオデュッセウスはキルケ―と恋に陥り、なかなか故郷に帰ろうとしませんでしたが、部下たちが催促したので、ようやく故郷に帰る決心をしました。」と中野さん

そこでキルケ―はオデュッセウスに歌声で船員を誘惑するセイレーンに気を付けるよう忠告します。
船員たちはセイレーンの歌声が聞こえないように耳に蜜蝋をつめましたが、セイレーンの歌声を聴いてみたかったオデュッセウスはとり乱して海に飛び込まないように、部下に自分をマストの柱に括り付けるよう命じました。

ハーバード・ジェイムズ・ドレイパー《オデュッセウスとセイレーン》
「セイレーンたちに注目してください。海の中から出てきたセイレーンは上半身が人間の女性で下半身が魚、船に上がってきたセイレーンは下半身も人間の姿になって藻を身にまとい、船の上のセイレーンは服をまとっています。このように3段階に変化していますが、これは、美しいものは実際には魔性があるという逆の順番ともとらえることができます。」
「この作品には風や波のものすごい音が聞こえてこないでしょうか。」と中野さん。

「このままの調子で説明しているといつまでたっても終わらないので(笑)。」と中野さん。
中野さんの解説はいっきに第6章まで飛びましたが、私たちは第2章に進みたいと思います。

第2章 悪魔、地獄、怪物

今回の展覧会は、章ごとに色を変えたボードにセリフをつけて展示している作品が会場の所々にあるのが大きな特徴です。これが展覧会場のいいアクセントになっています。

ヘンリー・フューズリ《夢魔》
この作品の上に書かれたセリフは「眠りとエロス」。
仰向けに寝る女性の腹の上に怪物インクブスが乗り、奥のカーテンの隙間から馬が顔をのぞかせるという恐ろしい作品。小さい作品なので、ぜひ近くでご覧になってください。

それぞれの作品の解説パネルの一番上についているフレーズにも注目です。
このヒエロニムス・ボス風の作品には「騒々しいやつら」。

作者不明(オランダ派)《聖アントニウスの誘惑》

そしてやたら長いタイトルの作品には「混とんたる宴」。

ウィリアム・エッティ《ふしだらな酔っ払いの乱痴気騒ぎに割り込む破壊の天使と悪魔》


第3章 異界と幻視

死の象徴である骸骨が出てきたのになぜ「実は笑い話」なのか。
色つきパネルに展示されている作品には解説パネル「中野京子's eye」があるのでぜひご一読を。

ジョセフ・ライト《老人と死》
現実的な場面に神々や妖精といった超自然的な存在を紛れ込ませるのが得意なチャールズ・シムズの《クリオと子供たち》には戦争の傷跡が大きく影を落としています。
解説パネルのフレーズは「血塗られた歴史」。
この作品は1913年に完成しましたが、1914年、第一次世界大戦で長男を失ったシムズは歴史を司る女神クリオが持つ巻物を血の朱で染めました。

チャールズ・シムズ《クリオと子供たち》

第4章 現実

暗闇の中の海岸で男女二人がブロンドの長い髪の女性を殺そうとしている場面。
作者はなんとセザンヌ。
若い頃にこういった作品を描いていたとは。不遇な時期の心情を表したものなのでしょうか。


ポール・セザンヌ《殺人》

社会の底辺に生きる人たちに温かいまなざしを向けたウィリアム・ホガース。
ここでは版画連作《娼婦一代記》《ビール街とジン横丁》のうち《ビール街とジン横丁》を紹介します。


ウィリアム・ホガース《ビール街》(右)《ジン横丁》(左)
ビールを飲む人たちはみんなビール腹で食べ物も豊富にある。一方のジン横丁では安いジンを飲んでいる食べ物ひとつに事欠く人たち。
第4章には犯罪や貧困といった現実社会の闇を描いた作品が展示されています。

第5章 崇高の風景

この章には風景画に潜む「怖さ」が描かれた作品が展示されています。

ターナーが描くのは荒涼としたウェールズの山頂に建つ古城。
そして画面手前には兄弟間の戦いに敗れ、20年以上もこのドルバダーン城に幽閉された兄オワインが後ろ手に縛られ兵士に引き立てらる姿が小さく描かれています。

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ドルバダーン城》



ギュスターヴ・モローの作品は、旧約聖書に登場する悪徳の町ソドムが焼き尽くされる場面を描いた《ソドムの天使》と、トロイア戦争は私が原因で始まり悲劇が続いている、と自身を責めるヘレネ―を描いた《トロイアの城壁に立つヘレネ―》。


ギュスターヴ・モロー《ソドムの天使》(右)《トロイアの城壁に立つヘレネ―》(左)


第6章 歴史

この章の圧巻、そしてこの展覧会の圧巻はポール・ドラローシュの《レディ・ジェーン・グレイの処刑》。

ここでふたたび中野京子さんにご登場いただきます。
この作品を借りるのに相当苦労されたとのこと。
「この作品が来なければ今回の展覧会はやらないと考えていました。」と中野さん。

イギリス王室内の権力闘争に巻き込まれ、女王に即位したもののわずか9日でその座を追われ、処刑される16歳の少女ジェーン・グレイ。
実際に処刑は戸外で行われ、ドレスも黒いものを着用してたようですが、作者のドラローシュは演劇的効果を上げるため舞台を屋内に置き換え、若さと無実の象徴として白いドレス姿のジェーンを描きました。

処刑を前に取り乱すことなく凛とした態度で自分の宿命を受け入れるジェーン・グレイ。この絵の前に立つと、絵の大きさだけでなく、絵のもつ力、絵が訴えかけてくる力に圧倒されました。

作品解説をしていただいた中野京子さん

こちらは会場を出たところにある撮影コーナー。
魔女キルケ―の後ろは鏡になっていて、オデュッセウスでなく自分自身が写る仕掛けになっています。
さてあなたは魔女キルケ―の誘惑に勝てるか?



それぞれの作品の背景を知れば知るほど怖さが増してくるとても不思議な展覧会です。
静かな口調で語りかける女優・吉田羊さんの音声ガイドも参考になります。

間違いなくこの秋おすすめの展覧会です。
「怖い絵展」は2017年10月7日(土)から12月17日(日)まで上野の森美術館で開催しています。
展覧会の詳細はオフィシャルホームページをご参照ください。

http://www.kowaie.com/