2025年10月17日金曜日

龍谷ミュージアム 秋季特別展「仏教と夢」

京都・龍谷ミュージアムでは、秋季特別展「仏教と夢」が開催されています。



今回の特別展のキーワードは”夢”。
眠っている間はだれもがみる”夢”が仏教の世界観の中でどのように扱われてきたのか、とても興味深いテーマでしたので取材におうかがいしてきました。
それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


会 期  2025年9月20日(土)~11月24日(月・祝)
     ※会期中、一部の作品は展示替えがあります。
     前期展示:9月20日(土)~10月19日(日)
     後期展示:10月21日(火)~11月24日(月・祝)
休館日  月曜日(ただし、10月13日(月)、11月3日(月)、11月24日(月)は開館)、
     10月14日(火)、11月4日(火)
開館時間 10:00~17:00 ※最終入館受付は16:30まで
入館料  一般 1,600円、大高生 900円、小中生 500円 小学生未満:無料
     障がい者手帳等の交付を受けている方およびその介護者1名:無料
展覧会の詳細、関連イベント等の情報は同館公式サイトをご覧ください⇒https://museum.ryukoku.ac.jp/

展示構成
 第1章 夢と霊験譚
 第2章 仏教経典に説かれる夢
 第3章 高僧がみた夢
 第4章 夢と儀礼 ー夢が切っ掛けとなった儀礼ー
 第5章 夢と聖地

※展示室内は、最後にご紹介するベゼクリク石窟大回廊の復元展示以外は撮影禁止です。掲載した写真はプレス内覧会で主催者より許可を得て撮影したものです。


展示の冒頭にお出迎えしてくれるのは、釈尊誕生にまつわる物語が表された浮彫です。

右 仏伝浮彫「托胎霊夢」スワートまたはディール 1~2世紀 個人蔵
左 仏伝浮彫「誕生」 ガンダーラ 2~3世紀 東京国立博物館
どちらも通期展示

上の写真右の仏伝浮彫「托胎霊夢」は、人界に生まれる前に兜率天という天界にいた菩薩(のちの釈尊)が、摩耶夫人を母として人界に生まれることを決意して、白い象に姿を変えて母胎に入る場面が表されています。
そのとき寝台に寝そべっていた仏母・摩耶夫人がみた、白い象が右脇腹から入っていく”夢”が、仏教説話で最初に説かれた”夢”と考えられています。
大きな象がいきなり空から降りてきたら驚いてしまいますが、釈尊が姿を変えた象は人間よりも小さく表現されていて、とても可愛らしく感じられます。

上の写真左は、仏母・摩耶夫人の夢で白い象が入った右脇腹から誕生した太子を、インドラ神(帝釈天)が受け止める場面が表された仏伝浮彫「誕生」。太子にはすでに肉髻や頭光が表現されているので、のちにブッダになることが暗示されています。


日本では、夢が人々の人生の岐路に深く関わるものと認識されてきました。

滋賀県大津市の古刹・石山寺の創建と本尊如意輪観音の利生譚が描かれた「石山寺縁起絵」の巻第二では『蜻蛉日記』の作者として知られる藤原道綱の母(936?-995)の逸話が紹介されています。

手前 重要文化財 石山寺縁起絵 巻第二(部分) 絵:日本 鎌倉・正中年間(1324-26)
詞:南北朝時代(14世紀)  滋賀・石山寺 前期展示(9/20-10/19)※巻替えあり
奥 『蜻蛉日記』日本 江戸・宝暦6年(1756)刊 龍谷大学図書館 通期展示 


『蜻蛉日記』には、夫・藤原兼家との仲を憂いた道綱の母が石山寺の観音様にお参りをして、堂内で眠っていたところ、夢に僧が現れて銚子で右ひざに水をかけ、その後、兼家と復縁したという逸話が記され、「石山寺縁起絵」では僧が水をかける場面が描かれています。

今回の展示では、関連する資料がこのように並んで展示されているので、見比べながら鑑賞することができるのがありがたいです。

仏教の開祖である釈尊は「目覚めたもの(ブッダ)」ですので、成道された後に夢をみることはないとされています。そのため、釈尊の生涯の出来事を伝える仏伝文献に説かれる夢は、釈尊の周囲の人がみたものがほとんどです。
よく知られている仏涅槃図については、釈尊の涅槃を伝える経典の中に、忉利天にいた仏母・摩耶夫人が、釈尊が亡くなり涅槃に入ることを夢で知り、その悪夢に嘆き悲しみ駆けつけたとも説かれています。

「第2章 仏教経典に説かれる夢」展示風景


続いては、玄奘三蔵や善導大師をはじめとした中国の高僧、そして聖徳太子、智光、法然・親鸞・明恵ら日本の高僧がみたとされる夢の逸話や記録が紹介されいています。

玄奘三蔵(602-664)の旅行記『大唐西域記』には、インド・中央アジア諸国の自然地理・宗教事情などが詳述され、各地の霊験譚とともに夢の物語も収められています。

右 『大唐西域記 巻第一』  日本 奈良時代・延暦4年(785)  京都・興聖寺
左 玄奘三蔵十六善神像   日本 南北朝時代(14世紀) 奈良・薬師寺
どちらも前期展示(9/20-10/19)

上の写真右『大唐西域記 巻第一』の赤い矢印の箇所には、玄奘が訪れた縛喝国(バルク、古代バクトリア)の西南にある、当時の先王が建立した伽藍を突厥の軍が急襲しようとしたとき、突厥軍を率いていた肆葉護可汗の夢にその伽藍に安置されていた毘沙門天が現れ「なぜ伽藍を破壊せんとするのか」と胸を戟で突き刺し,、彼は懺悔滅罪の法会を行う前に命を落としてしまったと記されています。


毘沙門天立像 日本 鎌倉時代(13世紀) 兵庫・大覚寺 通期展示

親鸞聖人にまつわる夢は、本願寺上人親鸞伝絵 巻上(重要文化財 文化庁)に描かれています。


重要文化財 本願寺聖人親鸞伝絵 巻上 日本・南北朝時代(14世紀) 文化庁
前後期で巻替えあり

建仁元年(1201)、親鸞は比叡山から毎夜下山して、洛中の六角堂で百夜参籠を続けていました。95日目の暁、親鸞の夢に聖僧に姿を変えた救世観音(=聖徳太子)が現れて、親鸞にお告げを授けました。
親鸞はこれを契機に、人々を救う道は念仏より他になしと悟り、黒谷の法然のもとに専修念仏の教えを学びに行くことになりました。

若々しく、凛々しいお姿の等身の親鸞坐像にお会いできました。
京都・黒谷に伽藍を構える金戒光明寺は、法然上人がはじめて草庵を結んだと伝わる場所で、寺伝では法然と親鸞がそれぞれ造った自刻の像を取り換えたと伝えられています。
またこの像は、比叡山から六角堂へ百夜参籠した時の親鸞の姿とされ、比叡山を不在にした親鸞の身代わりとなって蕎麦のふるまいを受けたことから「蕎麦食いの坐像」とも称されています。


親鸞聖人坐像 日本・室町時代(14~15世紀) 京都・金戒光明寺
通期展示


仏教儀礼の中には、夢がきっかけとなって始まった例があります。

右から 金光明経 中国 明・万暦17年(1589)開版 龍谷大学図書館
金光明経 巻第三 日本 鎌倉時代(13世紀) 龍谷ミュージアム
どちらも通期展示
重要文化財 諸天像 中国 南宋~元時代(13世紀)  愛知・妙興寺
前期展示(9/20-10/19) 

上の写真の『金光明経 巻第三』では、信相(妙幢)菩薩がみた夢が語られています。
「光り輝く大金鼓が照らす宝樹のもとで諸仏が懺悔の法を明かし、それを実践するものは一切の苦厄を滅することができる」というもので、その内容を実践するのが「金光明懺法」でした。
そして、4幅に5体ずつ計20尊の天部が描かれた諸天像は、「金光明懺法」の儀式の際に用いられたと考えられています。

多くの高僧らが夢にみた聖地はいったいどのようなものだったのでしょうか。
玄奘三蔵が、須弥山に立つ夢をみて天竺(インド)を目指す決意をした須弥山とはどのような山なのでしょうか。江戸時代に木版彩色された「須弥山図」には各所の名称や距離、解説などが詳細に記されているので、とてもよくイメージすることができます。


奥 須弥山図 日本 江戸時代(18世紀) 龍谷大学図書館
手前 須弥山図 チベット19~20世紀 国立民族学博物館
どちらも通期展示

観音様が住む補陀落山と海に囲まれた島だったのでしょうか。
波が打ち寄せる海上に突き出た岩の上に座る観音菩薩像と岩座に立つ善財童子、龍女像がそれを物語っています。

観音菩薩坐像・両脇侍立像 中国 明時代(17世紀) 奈良・薬師寺
通期展示 

中国の新疆ウイグル自治区・トルファン近郊にあるベゼクリク石窟大回廊の復元展示は撮影可、SNS等への掲載も可です。
間近で見ることができる壁画の臨場感がすごいです。

ベゼクリク石窟復元展示

展示作品のカラー図版、充実したコラムや作品解説が掲載された図録もおすすめです。



”夢”からひも解く仏教の奥深い教えの世界が見られます。この秋おすすめの展覧会です。