2023年10月4日水曜日

渋谷区立松濤美術館「杉本博司 本歌取り 東下り」

いつも多くの人でごった返すJR渋谷駅スクランブル交差点前に突如出現した巨大な広告。
雄大な富士山と裾野の景色が見えますが、これはいったい何の広告なのでしょうか。

JR渋谷駅スクランブル交差点前の広告

アニメ? ファッション? コスメ? いえ違います。
これはなんとJR渋谷駅から徒歩約15分、駅前の喧騒から離れた住宅街の中にある渋谷区立松濤美術館で開催中の展覧会「杉本博司 本歌取り 東下り」の広告なのです。

2022年に姫路市立美術館で開催された「杉本博司 本歌取りー日本文化の伝承と飛翔」がさらにパワーアップして東京・渋谷の地に「東下り」してきたのがこの展覧会。
先日拝見してきましたが、期待と想像をはるかに超えること間違いなしです。

それではさっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


会 期  2023年9月16日(土)~11月12日(日) ※会期中、一部展示替えあり
  前期: 9月16日(土)~10月15日(日)
  後期:10月17日(火)~11月12日(日)
開館時間 午前10時~午後6時 ※毎週金曜日は午後8時まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日  月曜日(10月9日は開館)、10月10日(火)
入館料  一般 1000円、大学生 800円、高校生・60歳以上 500円 小中学生 100円

展覧会の詳細、イベント等は公式サイトをご覧ください⇒渋谷区立松濤美術館

※本展は1階キャットウォークを除き、館内(展示室含む)撮影可能です。館内での撮影に関する詳細は、入館の際にお渡しする注意事項をお読みください。


はじめにご紹介するのは、JR渋谷駅スクランブル交差点前の広告に使われている《富士山図屏風》。

《富士山図屏風》杉本博司 2023年 六曲一双
ピグメントプリント 作家蔵 通期展示

平らに広げられたJR渋谷駅前の広告と違って、もとは六つの面の屏風が一対になった六曲一双の屏風なので見る角度によって異なった景色が見えてきます。
畳の上に置かれているので、和室の中にいるような雰囲気を味わいながら右に左に移動して景色をご覧いただきたいです。

この《富士山図屏風》の本歌は、葛飾北斎が見たであろう雄大にそびえ立つ富士山の姿。
「赤富士」と呼ばれ、葛飾北斎《冨嶽三十六景》シリーズの中でも特に人気の高い「凱風快晴」の富士山が描かれた場所は諸説ある中、杉本氏は山梨県の三ツ峠山を選んで撮影し、裾野に点在する現代の明かりをデジタル処理で消してこの作品を完成させました。

渋谷区立松濤美術館を設計したのは、著名な建築家・白井晟一氏(1905-1983)。
建物の随所にその特徴が見られますが、展示室の壁が湾曲しているのも大きな特徴です。

地下1階の第1展示室(主陳列室)では、この広々とした空間に杉本氏の屏風がガラス越しでなく間近に見ることができます。
そして遮るものがないので、絵巻も横に長い展示ケース内に納められて一部でなく最初から最後まで見られるのもうれしいです。

地下1階 第1展示室(主陳列室) 展示風景

今回展示されている絵巻《法師物語絵巻》も全場面が一挙公開されています。

手前 《法師物語絵巻》室町時代(15世紀) 紙本彩色
小田原文化財団蔵 通期展示

この《法師絵巻物語》には和尚と小法師を主人公とする説話が描かれているのですが、どれもクスッと笑える話ばかり。
ご飯を炊く量を指で指図していた締まり屋の和尚が転倒して手足すべての指をひらいてしまったので、小法師が大量のご飯を炊いてしまったという場面はどこかで見たことがあるのではないでしょうか。

《法師物語絵巻》(部分) 室町時代(15世紀) 紙本彩色
小田原文化財団蔵 通期展示

上の写真は第四場面「指合図」で、中央にはころんだ和尚、左上には山盛りのご飯が見えます。
この日はおなか一杯ご飯が食べられる小法師たちのうれしそうな表情が印象的です。

さて、この《法師物語絵巻》は実は「本歌取り」ではなく「本歌」の方。
「本歌」は《法師物語絵巻》の第七場面「死に薬」。
和尚が香の粉(麦こがしと考えられる)を欲しがる小法師に「死に薬」だと言って与えなかったが、和尚の鉢を割ってしまった小法師が償いに死の薬を食べたところ死ねないと言って泣いている場面が描かれた「死に薬」が、狂言の「附子」の話と似ていることから、杉本氏は狂言『法師物語絵巻 死に薬~「附子」より』『茸(くさびら)』(※)を「本歌取り 東下り」展開催を記念して上演することとしたのです。
(※)狂言の上演は11月9日(木)ですが、すでにチケットは予定枚数の販売が終了しています。

ここまでは「本歌」と「本歌取り」の関係がよくわかりますが、すぐには関係がわからない作品も今回の展覧会では展示されています。

筆者が特に気になったのが《歴史の歴史東西習合図》。

《歴史の歴史東西習合図》 杉本博司 2008年 
左から 垂迹諸尊名 ヨシフ・スターリン、シャルル・ド・ゴール、ダグラス・マッカーサー
オットー・フォン・ビスマルク、チャールズ・ダーウィン、カール・マルクス
ニコライ二世、レオン・トロツキー、ウィンストン・チャーチル、マルセル・デュシャン  
杉本表具 ピグメントプリント 作家蔵 通期展示
 

この《歴史の歴史東西習合図》は、本地である仏や菩薩が衆生を救うため日本の神の姿をとってこの世に現れるという本地垂迹説に基づいて制作された作品ですが、現れてきたのは日本の神々でなく、日本の近代化に影響を与えたと思われる十人の西洋人の面々。

中でも、太平洋戦争敗戦後の1945年8月30日、海軍厚木飛行場に降り立ち、GHQ(連合軍最高司令官総司令部)の最高司令官として戦後日本の民主化に取り組んだマッカーサーはイメージとしてよくわかりました。
しかし、日ソ中立条約を破棄して対日参戦、戦後のシベリヤ抑留を行ったスターリンがなぜ、と思いましたが、これは日本への無条件降伏の勧告、戦後処理について協議を行ったポツダム会談のメンバーだったからなのでしょうか(イギリスは最初はチャーチル首相、総選挙後は新首相アトリーと交代、アメリカはトルーマン大統領)。

考えれば考えるほど深みにはまり、興味の尽きない作品です。

続いて2階のサロンミューゼと特別陳列室に移ります。

こちらの展示室も展示ケースがあってその奥の壁に作品が展示されているというのでなく、作品が壁に直付けなので、近くで見ることができるがもうれしいです。
(足元の柵は超えないように!)

そして、サロンミューゼにはソファーセットがあって、ゆったりと座って作品鑑賞もできるのです。

2階サロンミューゼ 展示風景


今年(2023年)制作された新作も展示されています。

左から Brush Impression 0905「月」、0906「水」、
0625「火」、0740「狂」
 いずれも杉本博司 2023年 銀塩写真 作家蔵 通期展示


コロナ禍でニューヨークのスタジオの戻ることができなかった約3年間のうちに使用期限が過ぎた印画紙に、暗室の中で現像液または定着液に浸した筆で「月」「水」といった文字を書いたものがこのBrush Impressionのシリーズ。
目の前で見ると、手元が見えない状況で精神を集中して揮毫した作品一つひとつから何とも言えない迫力が感じられました。


美術作品、特に絵画にとって天敵の自然光を取り入れる構造になっているのも白井晟一氏の設計の特徴ですが、今回はその自然光を計算に入れた作品も展示されています。

《数理模型 025 クエン曲面:負の定曲率曲面》杉本博司
2023年 ステンレス・スチール 作家蔵
通期展示

数理模型とは、数式によって定義される局面を立体化したもので、19世紀には精度の低かった石膏製であったものを、現代日本の最も精度の高い工作機械を使って制作したのがこの作品。
クエン曲面は数式の中でも最も難しいとのことですが、この作品の後ろの影にも注目したいです。
外の自然光を取り入れているので、昼には影が写らず、外が暗くなると影が写るようになるのです。
今の時期は夕方には暗くなるのも早くなり、金曜日は午後8時まで夜間開館しているので、例えば前期には昼、後期には夕方か夜間に来館して変化を楽しんでみてはいかがでしょうか。


2階の一画に小部屋になっている特別陳列室に入ります。

2階特別陳列室 展示風景

今回の展覧会のメインビジュアルになっているコンドルの写真が見えてきました。

《カリフォルニア・コンドル》杉本博司 1994年
ピグメントプリント 杉本表具 作家蔵
通期展示

一見すると生きたコンドルのように見えますが、実はサンフランシスコの自然史博物館、カリフォルニア科学アカデミーにあったカリフォルニア・コンドルのジオラマを撮影したもので、コンドルも剥製なのです。

この作品は、杉本氏が光の濃淡を微妙に調整して背景画を南宋の画僧・牧谿の水墨画のように仕上げ、コンドルも叭々鳥図になぞらえて撮影したもので、黒と白の濃淡が荒涼とした大地の雰囲気を引き立てているように感じられました。


杉本氏ご本人によると、本歌取りそのものについて「さらに拡大解釈が進行」(展覧会公式図録より)している状況で構成された展覧会ですので、「この作品の本歌はなんだろう?」と、作品を前に思いをめぐらすのも楽しいかもしれません。

この秋ぜひご覧いただきたい展覧会です。
お見逃しなく!


杉本ワールドを理解するためのヒントになるのが展覧会公式図録。
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来館記念にぜひ!

展覧会公式図録と展覧会限定エコバッグ