2024年11月8日金曜日

泉屋博古館東京 特別展「オタケ・インパクトー越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズムー

東京・六本木の泉屋博古館東京では特別展「オタケ・インパクトー越堂・竹坡・国観、尾竹三兄弟の日本画アナキズムー」が開催されています。

 
泉屋博古館東京エントランス

展覧会開催概要

会 期  2024年10月19日(土)~12月15日(日)
 前期  10月19日(土)~11月17日(日)
 後期  11月19日(火)~12月15日(日)
開館時間 11:00~18:00(金曜日は19:00まで開館 ※入館は閉館の30分前まで)
休館日  月曜日、※11月4日は開館(翌5日休館)
入館料  一般1,200円、高大生800円、中学生以下無料  
※展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式サイトをご覧ください⇒泉屋博古館東京

展示構成
 第1章 「タツキの為めの仕事に専念したのです」ーはじまりは応用美術
 第2章 「文展は広告場」ー展覧会という乗り物にのって
 第3章 「捲土重来の勢を以て爆発している」ー三兄弟の日本画アナキズム
 第4章 「何処までも惑星」ーキリンジの光芒
 特集  清く遊ぶー尾竹三兄弟と住友

今回の展覧会はホール内の尾竹国観《絵踏》と北村四海《蔭》のみ撮影可能です。
館内で撮影の注意事項をご確認ください。
※掲載した写真は主催者より広報用画像をお借りしたものです。


今回の特別展は、東京で尾竹三兄弟を紹介する初めての展覧会。彼らの重要作をはじめ、多数の初公開作品など前後期あわせて約70点もの作品が大集結する豪華な内容なので、とても楽しみにしていました。
特に見たかったのは、花鳥風月を愛でる伝統的な日本画とは全くかけ離れたアヴァンギャルドな尾竹竹坡の《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》。


尾竹竹坡《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》大正9年 
宮城県立美術館【前期展示】

《月の潤い・太陽の熱・星の冷え》は、『日本画とは何だったのか 近代日本画史論』(古田亮著 2018年)で初めて見て、まさにインパクトを受けていつかは見てみたいと思っていたので、実物を目の前で見ることができて大満足でした。

キャプションのタイトルは「トム少佐、聞こえますか?」。
トム少佐とは、伝説のロックスター、デヴィット・ボウイの名曲「スペース・オディティ」に出てくる宇宙飛行士。幻想的な「スペース・オディティ」を脳内で再生しながらこの作品を眺めているとまるで宇宙空間をさまよっているような心地よい気分になってきます。
この作品は前期展示ですが、後期にも同じようなアヴァンギャルドな作品が見られるので後期も行かなくてはなりません。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》はアヴァンギャルドというよりマニアック!
最初は何が描かれているのかよく分かりませんでしたが、近くで見ると海面にはおびただしい数の魚、魚、魚。なかには亀の姿も見えます。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》大正9年
個人蔵【前期展示】

そして、舟の上にもこれ以上獲っては舟が沈んでしまうのではないかというくらいたくさんの魚。逞しい体をした漁師に獲られまいと抵抗しているタコの姿も見えます。
アップにしてみるとそのすごさがよく分かります。

尾竹竹坡《大漁図(漁に行け)》(部分)大正9年
個人蔵【前期展示】

それにしても魚の目は黒目の部分がもっと大きいはずなのですが、竹坡の描く魚は白目の部分が大きくて、どの魚も驚いている表情をしていて、ひょうきんな顔をしているようにも見えるのはなぜなのでしょうか。


新潟で紺屋(染物屋)を営む家に生まれ、父・倉松に絵の手ほどきを受けた長男・熊太郎(越堂)(1868-1931)、三男・染吉(竹坡)(1878-1936)、四男・亀吉(国観)(1880-1945)の尾竹三兄弟の本格的な画業の出発点は富山でした。
明治22年頃、越堂は富山へ移り、売薬版画の下絵や新聞の挿絵、絵馬などを描いて家計を助け、竹坡、国観も兄を追って富山に移り、兄を支えたのです。

富山といえば富山の薬売り。
子どもの頃、富山の薬売りの人が家に来て薬の交換をしたあと、帰り際にもらったカラフルな紙風船で遊んだ記憶がありますが、当時の進物商法(おまけ)は多色摺りの浮世絵で、歌舞伎役者を描いた役者絵や七福神など吉祥画題の福絵などが中心でした。

尾竹国観《役者見立 壇浦兜軍記・阿古屋琴セメの段》
富山市売薬資料館【後期展示】


その後、本格的な絵画学習を志した国観は明治26年に上京して歴史画の大家・小堀鞆音に入門、その3年後には竹坡が上京して、円山派の流れを継ぐ川端玉章に師事しました。
(明治32年には越堂も上京。)

国観の《油断》は、特定の歴史的事実や人物に基づかない作品ですが、敵陣に攻め入る武士たち(右隻)、不意打ちにあわてふためく武士や女房たち(左隻)の姿が臨場感たっぷりに描かれています。








尾竹国観《油断》明治42年 東京国立近代美術館 【前期展示】

《油断》は明治42年に開催された第3回文展に出品された作品で、2等賞第2席を受賞しました。当時の文展では1等賞は空席で、2等賞第1席は若くして亡くなった天才日本画家・菱田春草の《落葉》(重要文化財 永青文庫)でした。
この作品は国観の文展デビュー作なのですが、のちに重要文化財となる作品と肩を並べるほどの作品を描いてしまったのですから、「国観おそるべし!」と言わざるを得ません。


ホールに展示されている尾竹国観《絵踏》は初公開。撮影可の作品です。
《絵踏》は、江戸幕府がマリア像やキリスト十字架像などを足で踏ませてキリスト教の信徒でないことを証明させたというドラマチックな場面が描かれた作品で、国画玉成会展覧会に出品されたのですが、国画玉成会の審査員の選からもれた兄・竹坡と岡倉天心が仲たがいして竹坡が同会を除名されたため、国観も退会して展示中だった《絵踏》も会場から撤去したという、作品そのものにもドラマチックないわれがあったのです。

尾竹国観《絵踏》明治41年 泉屋博古館東京【通期展示】



「これは狩野探幽では!」と一瞬思った、余白をたっぷり使った竹坡の《九冠鳥》は後期展示。これも初公開の作品ですが、大正期にはアヴァンギャルドな絵を描いた竹坡が明治期にはこんな絵を描いていたことに驚かされます。

尾竹竹坡《九冠鳥》明治45年 個人蔵 【後期展示】

越堂の《漁樵問答》は大正5年の第10回文展に出品された作品で、こちらも初公開です。

尾竹越堂《漁樵問答》大正5年 個人蔵【後期展示】


前期は11月17日(日)まで。後期も大幅な展示替えがあって、上でご紹介した大作も展示されるので楽しみです。

今回は展覧会チラシもインパクト大。なんと「パ」の字の大きいこと。
今回の特別展をご覧いただいて、ぜひインパクトの大きさを感じ取ってください!


2024年10月28日月曜日

東京国立博物館 挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」

東京・上野公園の東京国立博物館では、挂甲の武人 国宝指定50周年 特別展「はにわ」が開催されています。




今回の特別展のキーワードは「50」。
特別展「はにわ」は、東京国立博物館が所蔵する「埴輪 挂甲の武人」が国宝に指定されてから50周年を迎えることを記念して、東北から九州までの約50箇所の所蔵・保管先から約120件の作品が集まり実現した展覧会。そして、これほどの大規模な埴輪展が東京国立博物館で開催されるのは1973年以来、およそ50年ぶり
さらに国宝「埴輪 挂甲の武人」と同一工房で制作されたと考えられる4体の埴輪が、国内外の所蔵先から集まり、史上初めて5体が一堂に会するという、まさに空前絶後の展覧会なのです。

展覧会開催概要


展覧会名  挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」
会  期  2024年10月16日(水)~12月8日(日)
会  場  東京国立博物館 平成館
開催時間  午前9時30分~午後5時
      (注)毎週金・土曜日、11月3日(日・祝)は午後8時まで開館
      (注)入館は閉館の30分前まで
休館日   月曜日
      (注)ただし、11月4日(月)は開館、11月5日(火)は本展のみ開館
観覧料   本展は事前予約不要です。
      一般 2,100円、大学生1,300円、高校生900円
展覧会の詳細、チケット購入方法等は展覧会公式サイトをご覧ください⇒https://haniwa820.exhibit.jp/      

展示構成
 プロローグ 埴輪の世界
 第1章 王の登場
 第2章 大王の埴輪
 第3章 埴輪の造形
 第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間
 第5章 物語をつたえる埴輪
 エピローグ 日本人と埴輪の再会 
 
※展示室内は一部を除き撮影可です。会場で撮影の注意事項をご確認ください。
 

プロローグ 埴輪の世界


埴輪とは、王の墓である古墳に立て並べられた素焼きの造形のことで、3世紀半ばから6世紀末ごろまで約350年間作られました。
王の墓のために作られたといっても現在の私たちから見ると、決してかしこまったものでなく、ゆるキャラといってもいい愛嬌のある人物や動物たちの埴輪もあります。
今回の展示の冒頭でお出迎えしてくれるのは、まさに東京国立博物館公式キャラクターになっている「トーハクくん」のモデルとなった「埴輪 踊る人々」。
修理完了後の初お披露目です。

「埴輪 踊る人々」埼玉県熊谷市 野原古墳出土
古墳時代・6世紀 東京国立博物館

「埴輪 踊る人々」との名前がつけられていますが、王のマツリに際して踊る姿とする説のほかに、近年では片手を挙げて馬の手綱を曳く姿との説も有力になっているとのこと。
盆踊りのように手を交互に挙げて踊っているようにも見えますが、後ろに馬の埴輪があることを想像すると確かにそうかもと思えてきました。

第1章 王の登場


まるで古墳の中に入っていくような入口が見えてきました。臨場感あふれる舞台装置がたまらないです。
「第1章 王の登場」展示風景

古墳は王など権力者の墓。副葬品も金銅の装身具や武具、馬具など豪華なものが出土されています。
第1章に展示されているのはすべて国宝。金色に輝く太刀をはじめ古墳時代の国宝がずらりと並ぶ光景は壮観です。

「第1章 王の登場」展示風景


第2章 大王の埴輪


ヤマト王権を統治していた大王の墓に立てられた埴輪は、その大きさに圧倒されます。
下の写真手前は、奈良県桜井市 メスリ山古墳から出土された高さ2m以上もある「円筒埴輪」(重要文化財)。
見上げるほどの高さですが薄さはなんと2cmほどしかないので、技術的にもトップ水準にあったことに驚かされます。

「第2章 大王の埴輪」展示風景


一つの遺跡から出土された埴輪がまとまって展示されているのもうれしいです。
継体天皇の陵(みささぎ)とされる今城塚古墳から出土された埴輪は、壁面の航空写真のパネルとともに展示されているので、その場にいるような気分になってきます。

「第2章 大王の埴輪」展示風景


第3章 埴輪の造形



埴輪が出土したエリアは、近畿地方(特に奈良県や大阪府)を中心に、北は岩手県から南は鹿児島県まで、全国各地に広がっています。
第3章には各地域から円筒埴輪や馬型埴輪など個性的な造形の埴輪が大集合しています。

「第3章 埴輪の造形」展示風景



「第3章 埴輪の造形」展示風景


一瞬、「古代メキシコの遺跡か!」と思いましたが、壁面のパネルは築造当時の姿に復元された五色塚古墳(神戸市)。国内でもこんな壮大な景観を見ることができるのです。


「第3章 埴輪の造形」展示風景


第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間


そしていよい、5人のきょうだいが史上初めて勢揃いした「挂甲の武人」の部屋へ。

「第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間」展示風景


国内各地とアメリカから駆けつけてくれた、国宝「挂甲の武人」とよく似たきょうだいたちのプロフィールは次のとおりです。

国宝 埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市飯塚町出土 東京国立博物館
重要文化財 埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市成塚町出土 群馬・(公財)相川考古館
重要文化財 埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市世良田町出土 奈良・天理大学附属天理参考館
埴輪 挂甲の武人 群馬県伊勢崎市安堀町出土 千葉・国立歴史民俗博物館
埴輪 挂甲の武人 群馬県太田市出土 アメリカ、シアトル美術館
いずれも古墳時代・6世紀

挂甲とは鉄製の小さな板を何枚もつなげた甲(よろい)のことで、身に着ける武具や、背中の矢入れなど、細部に違いが見られますが、いずれも群馬県太田市域の窯で焼かれ、出土した古墳は太田市や伊勢崎市に限定されている武人たちで、最高の技術で作られた埴輪です。

それぞれ独立ケースに入って展示されているので、360度どこからでも見ることができます。こちらははるばる太平洋を渡りアメリカの地で日本文化を伝える親善大使としての役割を担っている「埴輪 挂甲の武人」。

「埴輪 挂甲の武人」群馬県太田市出土
古墳時代・6世紀 アメリカ、シアトル美術館

国宝「埴輪 挂甲の武人」は、平成29(2017)年から平成31(2019)年に実施された解体修理の際の調査で、白、赤、灰色の3色が全体に塗り分けられていたことがわかりました。
今回は実物大で彩色復元された挂甲の武人も展示されています(下の写真左)。意外にも明るい色あいなので驚きました。


「第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間」展示風景



第5章 物語をつたえる埴輪


埴輪といえば1体でなく、いくつもの人物や動物などの埴輪がずらりと並んでいますが、その「埴輪群像」は、「埴輪劇場」とも呼ぶべき何かしらの物語を表現しているとのこと。
ここではまさに「埴輪劇場」を体験することができます。


「第5章 物語をつたえる埴輪」展示風景

「挂甲の武人」5体揃い踏みと並んで、今回の特別展の見どころの一つは「動物大集合」。
鳥や馬の形をした埴輪など、さまざまな動物たちの埴輪が並んでいます。みなさま一番のお気に入りを探してみてはいかがでしょうか。

「第5章 物語をつたえる埴輪」展示風景

どれも可愛らしい動物たちですが、中でも後ろを振り返った「見返りの鹿」(下の写真中央)は特に人気があるようです。

「第5章 物語をつたえる埴輪」展示風景


エピローグ 日本人と埴輪の再会


古墳時代が終わると埴輪は作られなくなりますが、江戸時代に入ると考古遺物への関心が高まり、現在ではゆるキャラとして冒頭ご紹介した「トーハクくん」はじめ、自治体のキャラクターになるなどすっかり大人気。
平成30(2018)年には埴輪大国・群馬県が群馬県内出土の埴輪の人気投票を行った「群馬 HANI-1 グランプリ」が開催されました。

そこで見事優勝したのが「埴輪 笑う男子」(下の写真右)。

右 「埴輪 笑う男子」群馬県藤岡市 下毛田遺跡出土 群馬・藤岡市教育委員会
左 「埴輪 帽子をかぶる男子」東京都葛飾区 柴又八幡神社古墳出土
東京・葛飾区郷土と天文の博物館 東京都指定有形文化財

踊る人とか馬子ではないかと考えられていますが、現代人の目から見るとどう見ても「笑う人」。この表情を眺めていると自然と心が和んできます。
上の写真左は、中折れソフト帽をかぶった「フーテンの寅」に風貌が似ていると話題になった「埴輪 帽子をかぶる男子」。なんと東京都葛飾区 柴又八幡神社古墳から出土した埴輪です!

開幕以来、多くの方が訪れて大人気の特別展「はにわ」ですが、それもそのはず。
大人も子どもも、とにかく楽しめる展覧会です。
これだけの規模の埴輪展が開催されるのは50年ぶりとのことですので、次はいつ開催されるかわかりません。この機会にぜひご覧ください!

公式図録も、展示作品の図版はもちろん、詳細な作品解説と豊富なコラムで埴輪の魅力がまる分かりの内容でボリュームもこのとおり。おすすめです。

展覧会公式図録(税込 3,300円)

2024年10月22日火曜日

国立西洋美術館 「モネ 睡蓮のとき」

今年(2024年)は、1874年にパリで開催された第1回印象派展から150周年を迎える年。
その記念すべき年に、東京・上野公園の国立西洋美術館では「モネ 睡蓮のとき」が開催されています。
モネの晩年の作品に焦点をあてた今回の企画展は、世界最大級のモネ・コレクションを誇るパリのマルモッタン・モネ美術館から日本初公開作品を含む約50点が来日して、国立西洋美術館はじめ国内の所蔵作品もあわせて64点もの作品が展示される豪華な内容の展覧会です。

すでに大人気で多くの方が訪れている「モネ展」ですが、さっそく展覧会の見どころをご紹介したいと思います。

展覧会チラシ

展覧会開催概要


会 期   2024年10月5日(土)~2025年2月11日(火・祝)
開館時間  9:30~17:30(金・土曜日は21:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日   月曜日、11月5日(火)、12月28日(土)~2025年1月1日(水・祝)、
                 1月14日(火)
      (ただし、11月4日(月・休)、2025年1月13日(月・祝)、2月10日(月)、
                   2月11日(火・祝)は開館)
観覧料   一般2,300円、大学生1,400円、高校生1,000円
※展覧会の詳細は展覧会公式サイトをご覧ください⇒https://www.ntv.co.jp/monet2024/

展示構成
 第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ
 第2章 水と花々の装飾
 第3章 大装飾画への道
 第4章 交響する色彩
 エピローグ さかさまの世界

※展示室内は、第3章を除き撮影不可です。掲載した写真は報道内覧会で主催者より許可を得て撮影したものです。


展示室入口でお出迎えしてくれるのは、モネがジヴェルニーの自邸の庭に造った睡蓮の池の大きなパネル。



すぐにモネの世界に入り込める粋な演出ですが、画面下の方に見える人影に注目です。
これは来館者の写り込みではなく、あのトレードマークともいえる帽子を被ったモネの頭が水面に写った影。モネ展を訪れた人が、モネの視点から睡蓮の池の水面を眺め、モネになった気分で睡蓮の作品を見てみようという今回の展覧会の意図が込められているパネルだったのです。

第1章 セーヌ河から睡蓮の池へ


展示は、モネが睡蓮の連作を手掛ける前に描いた、セーヌ河やロンドンの景色の作品から始まります。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


モネがノルマンディー地方の小村ジヴェルニーに転居した1883年にはすでに睡蓮の池があったのではなく、転居後に土地を買い足して睡蓮の池を造成してから睡蓮を書き始め、さらに池の拡張工事をしてから睡蓮の連作に取り掛かるようになったのでした。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


理想とする庭や池を造ったモネのまなざしは睡蓮の池の水面に向かいました。
そして、睡蓮の池の水はセーヌ河の支流から引いたものでした。
セーヌ河の水は睡蓮の池の水となって、晩年のモネの最大の創造の源となったのです。

第2章 水と花々の装飾


今回の展覧会の大きな見どころのひとつは、幻に終わった装飾画(室内の壁面を飾るために描かれた絵画)の計画のためにモネが描いた習作の数々。
習作といってもそれだけで一つの作品として十分に見応えがあって、藤やアガパンサスなど、睡蓮以外の花の色合いを楽しむことがもできるのです。

それぞれが高さ1m、幅3mもあるこの2点の《藤》は、藤の花をモティーフとするフリーズ(帯状装飾)の習作の現存する8点のうち最も大きなものです。
明るい色彩の藤の花が、リズミカルに配置されていて、近くで見るとまるで音楽を奏でるように感じられてきます。

どちらも クロード・モネ《藤》1919-1920年頃
マルモッタン・モネ美術館

第2章は赤系の壁面と相まってとても落ち着いた雰囲気。
まるで実現しなかった装飾画が、この場に見事に再現されているように思えてきます。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


第3章 大装飾画への道


そして睡蓮の池が描かれた「大装飾画」の制作過程において生み出された作品群が展示されている第3章へ。

ここがパリ・オランジュリー美術館の幅4mにも及ぶ「大装飾画」が展示されている楕円形の部屋を再現した空間です。
睡蓮の池の大画面の作品が私たちを取り囲むように展示されているので、現地にいるような気分にさせてくれる展示になっているのがうれしいです。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


上半分が失われた姿で発見されたこの作品は、2019年に「デジタル推定復元プロジェクト」のクラウドファンディングが行われたことでもよく知られています。
筆者も微力ながら寄付をさせていただきましたが、そのせいかとても身近に感じられる作品です。

クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》1916年?
国立西洋美術館(旧松方コレクション)


第4章 交響する色彩


晩年は白内障に悩まされながらも「大装飾画」と並行してモネが手がけた小型連作が展示されているのが第4章です。

「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


「水の庭」の池にかかる日本風の太鼓橋や枝垂れ柳、「花の庭」のバラのアーチがある小道など、最後の力を振り絞ったかのような激しい筆遣いと鮮烈な色彩に心を打たれます。


「モネ 睡蓮のとき」展示風景、国立西洋美術館、2024-2025年


エピローグ さかさまの世界


「大装飾画」の制作が開始された1914年は第一次世界大戦が始まった年でした。
この2点もオランジュリー美術館の「大装飾画」のために制作されたものです。
柳が水面にさかさまに映し出されたこの穏やかな2つの作品からは、多くの人々が犠牲になり、未曽有の苦しみをもたらした戦争に心を痛め、心の平安を求めて筆をとったモネのメッセージが伝わってくるように感じられました。

左から、クロード・モネ《枝垂れ柳と睡蓮の池》《睡蓮》
どちらも1916-1919年頃 マルモッタン・モネ美術館 



展示作品のカラー図版やコラムが掲載された展覧会公式図録は永久保存版です。



中学生以下の子どもたちにはジュニアパスポートも用意されているので、小さいお子さんでも気軽に展示を楽しむことができます。



モネの晩年の力作が見られて、パリに行かなくてもパリの美術館の雰囲気が味わえる展覧会です。
大画面の睡蓮の大作をぜひお楽しみください!

講演会「1975年、山下少年が観た福田平八郎の絵」(【特別展】福田平八郎✖琳派 関連イベント) 

10月19日(土)に開催された講演会「1975年、山下少年が観た福田平八郎の絵」に参加してきました。

山下裕二氏

この講演会は、山種美術館が展覧会ごとに開催している関連イベントのひとつで、今回は美術史家で明治学院大学教授の山下裕二氏が高校1年生のときに初めて福田平八郎の作品を観た時のエピソードを交えながら、平八郎の魅力、現在開催中の【特別展】福田平八郎✖琳派の見どころを紹介する内容になっています。

【特別展】福田平八郎✖琳派は、9月29日(日)から始まっているので、すでにご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが、展覧会開催概要は次のとおりです。

展覧会開催概要


会 期  2024年9月29日(日)~12月8日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日[11/4(月・振休)は開館、11/5(火)は休館]
入館料  一般1400円、大学生・高校生1100円、
     中学生以下無料(付添者の同伴が必要です) 
各種割引、展覧会の詳細、関連イベント等は山種美術館公式サイトをご覧ください⇒https://www.yamatane-museum.jp/

展示構成
 第1章 福田平八郎
 第2章 琳派の世界
 第3章 近代・現代日本画にみる琳派的な造形



※展示室内は次の1点を除き撮影禁止です。掲載した写真はプレス内覧会で美術館より許可を得て撮影したものです。

今回撮影可の作品は福田平八郎《彩秋》(山種美術館)。スマートフォン・タブレット・携帯電話限定で写真撮影OKです。館内で撮影の注意事項をご確認ください。

福田平八郎《彩秋》1943(昭和18)年 山種美術館


それではさっそく講演会の様子をご紹介したいと思います。

高校1年生の山下少年が1975年の春休みに友人と京都旅行に行ったときに偶然見たのが、京都国立近代美術館で開催されていた福田平八郎遺作展のポスターで、メインビジュアルは《雨》(東京国立近代美術館)でした。
雨というタイトルなのに描かれているのはなぜか瓦だけ。それでもよく見ると瓦には雨粒が点々と残っているというシンプルな構図に「かっこいい!」と思った山下少年は展示を見て図録まで購入したとのこと。

ちなみに山下さんがこの日に着用されていたのは、今年(2024年)大阪中之島美術館と福田平八郎の故郷大分にある大分県立美術館で開催された展覧会「没後50年 福田平八郎」のメインビジュアルで、平八郎の代表作の一つ《漣》(重要文化財 大阪中之島美術館)をモチーフにしたシャツでした(冒頭の写真に注目です)。

《雨》と同じくシンプルなデザインで山下さんが「かっこいい」と感じた《漣》は今回の特別展では展示されていませんが、同様の図柄の作品が展示されているのでぜひ注目していただきたいです。


福田平八郎《漣》20世紀(昭和時代) 個人蔵

この作品は、ある劇場のために《漣》と同じデザインの緞帳の作成を依頼された平八郎が制作した下絵とのこと。もしその緞帳が現存していたら見てみたいと思いました。

《雨》から月日が経過して、当時大学生だった山下さんが出会った平八郎の作品は、1981(昭和56)年発行の「近代美術シリーズ」の記念切手に採用された《筍》(山種美術館)でした。この《筍》は今回の特別展の冒頭に展示されています。

展示風景


山下さんが小学生だった1960年代は、だれもが切手帳を持って、記念切手が発売されると郵便局に並んで買いに行くという切手ブームが盛んな時代でした。「国宝シリーズ」の記念切手で見た雪舟《秋冬山水図》や《信貴山縁起絵巻》などが山下さんにとっての日本美術との最初の接点だったのです。

今回の特別展では文展に落選した学生時代の作品《桃と女》(山種美術館)から、大正期のリアルで「あやしさ」が感じられる《牡丹》(山種美術館)、《筍》をはじめとした、その後のあっさりとした作品まで展示されています。
「これだけ振れ幅の大きな画家はいないのでは。今回の特別展では平八郎の振れ幅の大きさを見ていただきたい。」と山下さん。

右から 福田平八郎《桃と女》1916(大正5)年、
《牡丹》1924(大正13)年 どちらも山種美術館 

上の写真の《牡丹》が描かれた大正期は、平八郎に限らず、洋画家・岸田劉生が言った「デロリ」とした作風が流行った時代でした。
同じ牡丹でも、1960(昭和35)年頃に描いた牡丹はあっさりとしてこんなに明るく描かれています。

福田平八郎《牡丹》1948(昭和23)年頃 山種美術館


今回の特別展では、山種美術館が所蔵する琳派作品で琳派の流れをたどることができます。


琳派の祖。俵屋宗達と本阿弥光悦のコラボ作品と並んで山下さんが紹介されたのは、江戸琳派の酒井抱一や鈴木其一の作品で、特に興味深かったのが、伊藤若冲や中国絵画との関連でした。

伊藤若冲《動植綵絵》のうち「梅花皓月図」を意識したことがうかがえるのが酒井抱一の《月梅図》。若冲ほど梅の枝を込み入って描いてはいませんが、空間を広くとったところに抱一ならではのセンスが感じられます。

中央 酒井抱一《月梅図》、左 酒井抱一《飛雪白鷺図》、
右 鈴木其一《伊勢物語図 高安の女》いずれも19世紀(江戸時代)
山種美術館

中国絵画の学習成果が感じられるのが鈴木其一《牡丹図》(山種美術館)。
伝 趙昌《牡丹図》14世紀(元時代) (皇居三の丸尚蔵館)を参考にしたことが指摘されています。

鈴木其一《牡丹図》1851(嘉永4)年 山種美術館


琳派のDNAを受け継いだ近代・現代日本画家たちの作品が展示されているのも今回の見どころの一つです。

菱田春草《月四題》のうち「秋」1909-10(明治42-43)年頃 山種美術館


今回の特別展の見どころや展示室内の様子は以前の記事で紹介してますので、ぜひこちらもご覧ください。




次回展「【特別展】HAPPYな日本美術ー伊藤若冲から横山大観、川端龍子へー」の講演会「HAPPY三題噺~白蛇・七福神・百~」は現在受付が始まっています。
講師は静嘉堂文庫美術館館長の安村敏信さん。
講演会を聞けば展覧会の楽しみも倍増すること間違いなし。
定員に達する前にぜひお申し込みください!