2018年4月28日土曜日

静嘉堂文庫美術館『酒器の美に酔う』ブロガー内覧会

4月24日(火)から静嘉堂文庫美術館で『酒器の美に酔う』が始まりました。


中国・殷時代の青銅器から、宋や高麗の青磁、そして江戸時代の有田焼、備前焼、明治時代に入ってからの薩摩焼、と静嘉堂が所蔵する東アジアの酒器が大集合。タイトルどおり、見ているだけでその美しさに酔える展覧会です。

さっそくですが、開催に先立って開催されたブロガー内覧会に参加しましたので、その時の様子をお伝えしたいと思います。
※掲載した写真は美術館より特別に許可をいただいて撮影したものです。

会場をご案内いただいたのは、静嘉堂文庫美術館の学芸員 山田さん。

会場入口でお出迎えしてくれるのは、桃やすももの花の下で楽しそうに杯を傾ける詩仙・李白。
「桃とすももは兄弟の象徴です。」と山田さん。
李白と一緒にいるのは、兄弟や親戚なのでしょうか。

川端玉章《桃李園・独楽園図屏風》のうち右隻「桃李園図」
(前期(4/24~5/20)のみの展示です。後期(5/22~6/17)は《江戸名所図屏風》
のうち左隻「隅田川図」が展示されます。)

展示は4章構成になっています。

Ⅰ 酒を盛る

会場内に入ってすぐが、「尊(そん)」と呼ばれる中国・殷時代(紀元前14-13世紀)の青銅器の酒つぼ。尊は、殷時代には酒を盛り、神や祖先の霊前にささげるための器でしたが、日本に渡ってからは煎茶席で花入れとして使われました。


右から青銅饕餮文尊(殷時代)、青銅紡(前漢時代)、朱漆耳杯(後漢時代)、青銅盉(南北朝~唐時代)

耳杯は、楕円形で耳のような取っ手がついた器で、素材は金属だったり、磁器だったりで、料理やスープなど温かいものを入れていました。

右から 朱漆耳杯、青銅盉

続いて元代や明代の青磁の酒会壺です。
「右の壺のふたはおもしろい形をしていないでしょうか。」と山田さん。
中国ではふたの代わりに蓮の葉をかぶせていたので、右の壺のふたは蓮の葉をイメージして端が波打ったようになっているとのことです。
左の壺は、銅の周囲に「美酒」と書かれているので、酒入れに使われていたのがすぐにわかります。
右 青磁鎬文酒会壺(元時代)、左 青磁刻花「清香美酒」花卉文酒会壺(明時代)

そして、細長いのが特徴の梅瓶(めいびん)が並びます。

右から、白地線彫唐花文梅瓶(北宋時代)、青磁梅瓶(高麗時代)、青磁六果文梅瓶(明時代)

Ⅱ 酒を注ぐ

ここからは酒を注ぐ器が続きます。
はじめに鍋島焼の水注(すいちゅう)。注口と把手の装飾は金蒔絵。これは超絶技巧です!
鍋島焼はお皿が多く、このような形をした「仙盞瓶(せんさんびん)」という水注は少なかったそうです。八代将軍・徳川吉宗が「センサン瓶二」を内証で注文したとの記録があって、この瓶が吉宗の注文品の可能性があるとのことでした。
吉宗も倹約令を出した手前、こんな豪華なものは表だって堂々と注文できなかったのでしょうね。

色絵牡丹文水注(江戸時代)


こちらは北宋時代の青白磁の水注と、杯と托(=杯を乗せる台)のセット。

右 青白磁刻花草花文八角水注、左 青白磁輪花杯・托(いずれも北宋時代)

この水注は胴体が少し低めですが、熱湯をはった鉢に入れて温めた酒を保温していたもので、当時の富裕層の日常生活を描いた墓室壁画にも描かれています。
この展示ケースの左のパネルをぜひご参照ください。


続いてお銚子です。
あれっ、形が違うぞ、と思われるかもしれませんが、今のような徳利の形のものを使うようになったのは幕末から。それまで熱燗を入れる器はこのように急須のような形をしていました。

右から 伊部銚子(備前焼)、色絵菊花文銚子(京焼)、(以上、江戸時代)
金欄手雲龍文銚子(「永樂」印銘 永楽和全)(江戸~明治時代)


ようやく徳利が出てきました。でもこちらは重要文化財!
鮮やかなデザインの柿右衛門様式の有田焼です。
鳳凰の表現が、ヨーロッパへの輸出が一段落した17世紀末から18世紀初めころに特徴的なもので、国内の特別な注文主によって制作されたものだそうです。

色絵桐鳳凰文徳利(有田焼 柿右衛門様式) (江戸時代)

Ⅲ 酒を酌み交わす

この章は酒を酌み交わす杯が多く並んでいます。




唐三彩のかわいい水注や杯も。


そういった中でユニークなのは、杯を洗う盃洗(下の写真右と中央)。
右の盃洗の把手の上には杯を乗せるための穴があいています。
一番奥は茶壺をかたどった段重で、三段に分かれています。

右から 染付波に千鳥文盃洗(江戸時代)、色絵鳳凰文太鼓胴唐子足盃洗(江戸~明治時代)、
色絵松竹牡丹文壺形段重(江戸時代)


Ⅳ 酒呑む人々

このコーナーには酒を飲む人たちを描いた絵や携帯用の酒器セットなどが展示されています。

はじめに伝・土佐光元《酒飯論絵巻》(室町時代)。
この絵巻は、飯好きで下戸の僧侶・好飯、酒好きの貴族・長持、飯と酒のバランスを重んじる武士・仲成が、それぞれ酒の効用や弊害を説く物語。
前期(5月20日まで)は全4段のうち、長持の屋敷での宴会の場面が描かれている第2段が展示されています(後期(5/22-6/17)は第4段が展示されます)。
踊っていたり、腹を出したり、従者に抱えられて帰ったり、酔っ払いは今も昔も変わらないですね。


絵巻の上の解説パネルもぜひご覧になってください。

 

下の写真右は、江戸後期の絵師・高久靄厓(1796-1843)の《楊貴妃図》。

左は貫名海屋《春渓泛舟図》
(どちらも前期のみの展示で、後期はそれぞれ、前島宗祐《高士観瀑図》、
貫名海屋《墨竹図》が展示されます。)

「海棠睡未だ足らず(かいどうのねむりいまだたらず)」

前の日にお酒を飲み過ぎた楊貴妃が玄宗皇帝から急に呼び出され、侍女に支えられてふらふらと現れたときの様子を玄宗が海棠にたとえた言葉。
絶世の美女・楊貴妃は酔っていてもよっぽどきれいだったのでしょうね。

楊貴妃が手にするのは海棠の花。海堂は美人の象徴です。

こちらは中国・清時代の携帯用の酒具です。《唐瓢酒器一式》。
明治時代の煎茶愛好家が使用していたようです。

《唐瓢酒器一式》(清時代)

これはこれで漆を塗った瓢箪、玉(ぎょく)や銀の杯、象牙柄の箸と小刀、となかなか凝っていますが、江戸時代の大名クラスになるとこんなに豪華な蒔絵の重箱を持って芝居や花見・舟遊びに出かけました。
《山水菊蒔絵提重》(江戸時代)
(こちらは前期だけの展示で、後期は《南天蒔絵提重》が展示されます。)

そして、忘れてはならないのが曜変天目(南宋時代)。もちろん国宝!
上からのぞきこむと、まるで夜空のようなきらきらした小宇宙が広がっています。


今回の展覧会の図録(税込500円)です。
写真もきれいで解説もわかりやすくて、軽いので持ち運びにも便利です。
ミュージアムショップで売っています。展覧会の記念にぜひ。





《酒器の美に酔う》はいかがだったでしょうか。
とても素敵な展覧会です。ぜひともその場でさまざまな酒器の輝きをご覧になっていただきたいと思います。

さて、酒器を見ていたら本物のお酒が飲みたくなってしまうではないか!という御仁に朗報です。
ゴールデンウィーク期間中は静嘉堂の前庭で「二子玉川の地ビール」が飲めます!


日 時 4月28日(土)~5月6日(日)11時~16時30分(雨天中止)
    (5月1日(火)は除く 休館日) 
場 所 静嘉堂文庫美術館前庭
料 金 「酒器の美に酔う」入館券+飲食券2枚のセット券で1,500円

他にも興味深い関連イベントが多数あります。詳細は公式サイトでご確認ください。

http://www.seikado.or.jp/


2018年4月12日木曜日

東京富士美術館「暁斎暁翠伝」ブロガー内覧会

斬新で、型破りで、勇壮で、ユーモラスで、そして風刺もきいた河鍋暁斎。そして父・暁斎に絵を学び、暁斎の画風を引き継ぎつつ女性らしい優しさを表現した娘の暁翠。
この父娘の競演「暁斎暁翠伝」が東京八王子の東京富士美術館で開催されています。



暁斎のバラエティに富んだ作品はもちろん、娘・暁翠の作品が前後期合わせて80点も展示されるのは滅多にない機会。会期は6月24日(日)までですが、前期と後期があって作品も入れ替わるので、出品作品リストを見て、さっそく八王子に行く予定を手帳に書きこみましょう!

展覧会の概要はこちら、暁斎・暁翠伝 をご参照ください。 

関連イベントも盛りだくさんです。

前期は4月1日(日)~5月13日(日)、後期は5月15日(火)~6月24日(日)、

前期後期にかかわらず展示期間の短い作品もあるので、

作品の展示替えはこちら、出品作品リスト でご確認ください。

さて、それでは4月1日(日)のオープンに先駆けて3月31日(土)に開催されたブロガー内覧会に参加しましたので、展覧会の様子を紹介したいと思います。

この日はまだ桜が散りはじめで、花びらが美術館のまわりをはらはらと舞っていました。


7歳で歌川国芳のもとで修行して、その後駿河台狩野派に学び、19歳で修行を終えた早熟な暁斎。国芳や狩野益信の作品が並ぶプロローグに続いて始まるのは、「第1幕 暁斎伝」。
案内していただいたのは、暁斎の曽孫にあたる河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美館長と東京富士美術館の担当学芸員の方のお二人。

※掲載した写真は、美術館の特別の許可をいただいて撮影したものです。

最初のコーナーから「画鬼暁斎」らしい作品が並んでます。


数え3歳で蛙を写生して以来、生涯蛙を描き続けた蛙好きの暁斎(下の写真右《蛙の人力車と郵便夫》)。やはりこのユーモアのセンスが暁斎らしさです。
そして左が17歳で描いた《毘沙門天像》。
河鍋楠美館長は、ご自身が17歳で今後の進路を考えなくてはならないとき、この絵を見て、「同じ年でこれだけの絵は描けない、画家になるのはやめよう」と決心されたとのことです。


続いて有名な「百円鴉」。
明治14年(1881年)、第二回内国勧業博覧会に出品して絵画の最高賞を受賞した《枯木寒鴉図》。当時の教員の初任給が5円程度だった時代に破格の百円で日本橋の菓子商・榮太樓の主人が購入したもの。



《夕涼み美人(骸骨) 下絵》
暁斎は下絵にもこだわりました。この美人画の下絵にはちゃんと骨まで描かれています!


続いて動物画。
こちらはジョサイア・コンドル旧蔵の《鯉魚遊泳図》。正面を向いている鯉の顔がユニーク。ジョサイア・コンドルは、暁斎のもとに入門した英国人建築家。画号は暁斎の暁とイギリスの英をとって「暁英」。


狩野派の伝統を感じさせる《竹虎之図》(左)はじめ、《月に二羽の杜鵑(ほととぎす)》(中)、《鶴図屏風》(右)と真面目な作品が並びます。やはりこの力量はすごい!


次に美人画と道釈人物画が並びます。


着物の絵柄からそれとわかる《極楽太夫図》。


《美人観蛙戯図》。蛙が相撲を取っています。女性のすねのチラリズムがいかにも暁斎。


暁斎の《風神雷神図》(双幅)。
琳派では風神を右、雷神を左に描くのに対して、暁斎は狩野派の伝統にしたがって風神を左、雷神を右に描きました。律義なところもある暁斎です。


続いて幽霊・妖怪変化図、風俗画・物語絵、風景・山水画のコーナーに移ります。


《飴天狗》。
天狗たちが飴に引き寄せられています。明治維新後の世相を風刺しているのでしょうか。


暁斎の戯画・風刺画も面白いです。
《放屁合戦絵巻(二巻)》
これぞ暁斎!放屁のこの力強い筆の勢い!


しっかりと趣のある山水画も描いています。


初公開の《水墨山水図》。


雪舟の破墨山水図みたい!
春の景色を墨一色で描いたすごくいい絵です。
《墨堤春色図》



何で電信柱?と思いましたが、当時、電信柱は文明開化の象徴でした。
《電信柱》(画:暁斎、賛:山岡鉄舟)

浮世絵も忘れてはいけません。

《風流蛙大合戦之図》
元治元年(1864)の長州征伐を蛙合戦に見立てた錦絵。
出版されたのも同じ年で、まだ江戸幕府の時代。人間を描くと幕府にとがめられたので、蛙を描いたとのことです。右下の蓮の葉には紀州徳川家の家紋「六ツ葵紋」が描かれていますが、幕府のおとがめをおそれてか、初版にあったこの紋は二版からは消されたので、「葵の御紋があるのが価値があります(笑)。」と河鍋館長。



暁斎は本の挿絵の仕事もしています。


25年前にロンドンで暁斎展を開催したときには、「本当に一人の画家が描いたのか?5人の画家が描いたのではないか。」と言われたそうです。
こうやって作品を見ていると、本当にそう思われても仕方がないくらい作風の幅がとても広いですね。

第1幕と第2幕の間には間奏「暁斎・暁翠、父娘二代の能・狂言画」が入ります。

さて、この鐘は?
そう、これは能「道成寺」の鐘で、展示用にひとまわり小さく作られたもの。
暁斎は能・狂言にも精通していました。


右の下絵は、能「道成寺」で僧侶に裏切られた女の怨念が白拍子となって鐘の中に入り、早着替えで蛇に変わるところを描いたもの。
《道成寺(鐘の中) 下絵》(暁斎)



下の写真は右から《能 石橋》《松風・羽衣》(双幅)《狂言 末広がり》《式三番 翁之図(裏面:秋草に雀)》(いずれも暁翠)

《十二家ヶ月図屏風》(六曲一双)は11月まで描いたところで暁斎が亡くなったので、暁斎が描き遺した鴉の絵を暁翠が貼りこんだものです。父娘の合作ですね。






第2幕は「暁翠伝」です。
こちらは暁斎が娘・暁翠のためにお手本として描いた《柿に鳩図》。
鳩のふっくらとした質感がいいですね。


まずは動物画と美人画から。


《寛永時代美人図》
暁斎の下絵をもとに暁翠が描いた美人画で、暁斎の下絵の猫を狆(ちん)に替え、山水図屏風や調度品を描き加えたもの。女性も優しげで、狆も愛らしいです。


《月に崖上の狼》
獰猛なはずの狼の目がくりくりしている!


さらに美人画、神仏画、風俗画と続きます。


《百福図》
ふくよかで愛らしい顔をした100人以上の福女。
解説パネルにも「こうしたユーモアは、父譲り」と書かれていました。


この《百福図》は西陣織の帯の下絵です。
帯は展示室最後のコーナーに展示されています。
《暁翠筆《百福図》西陣織》(大西織物)


《恵比寿、大黒天と鼠》
下の方に描かれているのは、裃を付けた男鼠と打掛を着た女鼠が大根をささげているところ。このユーモアはやっぱり父親譲り?


《養老の瀧図》
奈良時代、美濃国の貧しい男が薪を取りに入った山中で酒が湧き出る岩を見つけて父に孝行する話をえがいた作品。
紅葉の赤が鮮やかです。


浮世絵もあります。


《毘沙門天寅狩之図》
こういった勇壮な作品もありますが、


《五節句之内 花月》
こういったあでやかで優雅な作品もあります。
暁翠も暁斎に負けずに画風の幅の広い画家ですね。


暁翠は明治30年代後半には女子美術学校(現在の女子美術大学)で日本画教授を務め、日本の女子教育に尽力しました。

女子美術学校時代の写真も展示されています。





エピローグは「現代に「伝」えられる暁斎」。暁斎・暁翠の足跡がしのばれる遺品や資料が展示されています。


駆け足で展覧会の様子を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
とてもすべては紹介しきれないですし、展示替えもあるので、ぜひその場でご覧になっていただきたいと思います。

これから季節も良くなりますし、ハイキング気分で八王子まで足を運んでみてはいかがでしょうか。

そして河鍋楠美館長の著書『河鍋暁斎・暁翠伝』。
こちらは今回の展覧会の図録でもあります。
カラー図版もきれいで、「暁斎・暁翠伝」のエッセンスがぎゅっと詰まっていて、暁斎や暁翠のエピソードもあって、とても読みやすい本です。おススメです。