2018年10月31日水曜日

「いまトピ」でコラム連載しています!

「青い日記帳」のTakさんからお声かけをいただいて、今年の3月にNTTレゾナンツが運営する「gooいまトピ~すごい好奇心のサイト~」のアート部の一員としてライターデビューしました。ペンネームはyamasanです。
3月下旬に1本、その後は月2本のペースでコラムを書いているので、デビューから7か月少しで15本。ちょうどいい機会なので、いままでの15本のコラムを振り返ってみたいと思います。

yamasanのプロフィール~アートに旅、ドイツでの出来事を気ままに綴る週末ブロガー

アートの興味は間口が広く、古今東西、和洋中。横浜在住ですが、都内や地元神奈川県内だけでなく、関西圏や時には海外の美術館・博物館まで足を伸ばすことも。展覧会の感想や旅行記は週末にブログやツィッターで発信しています。


①2018年3月26日
 近代日本画の世界へようこそ

記念すべきデビュー作。
東京藝術大学大学博物館の古田亮准教授の著書『日本画とは何だったのか』を紹介しながら今年開催される近代日本画の展覧会をレビューしたコラム。今から思うとコラムのタイトルだけでは展覧会レビューだとわからないところが反省点。
コラムの中で紹介した古田亮さんの『日本画とは何だったのか』『横山大観』(下の写真)はおススメの近代日本画入門書。


②2018年4月10日
 日本美術の聖地・五浦へ

デビュー作「近代日本画の世界へようこそ」の続編。岡倉天心とともに北茨城の五浦(いづら)に移り住んだ「五浦組」の一人、木村武山の展覧会が茨城県天心記念五浦美術館で開催されるのにあわせて五浦に行ったときのレポート。
映画「天心」のロケセット(下の写真)を見た瞬間、「聖地」という言葉が浮かんできた。



③2018年4月26日
 ガチャガチャでアートを楽しもう!

ガチャガチャシリーズ第一弾。
前二作(「近代日本画の世界へようこそ」「日本美術の聖地・五浦へ」)と比べて格段の差でアクセス数が増えた。ガチャガチャは受ける!と確信。

④2018年5月9日
 初夏のヨコハマ、おススメ散策&美術展ガイド~近代日本画の足跡を訪ねて五浦から横浜へ~

「近代日本画の世界へようこそ」「日本美術の聖地・五浦へ」に続き「近代日本画三部作」の締めくくり。近代日本画の舞台が地元・横浜に移ったこともあって、地元ネタの第一弾にもなった。

⑤2018年5月22日 
 大学でアートを楽しもう!~無料で楽しめる大学ミュージアムガイド~

都内の大学に併設されている無料ミュージアムの紹介記事。学食とのコラボも入れ込んだ新しい企画。関西エリアまで広げるなどして、これからも展開していきたい。

⑥2018年6月14日
 梅雨の鎌倉-アジサイとミュージアムめぐり

地元・神奈川の中でも特に人気のある鎌倉を紹介するコラム。
現時点で15本のコラムの中で最多のアクセス数を誇る。
鎌倉のネームバリューおそるべし!

⑦2018年6月27日
 デューラーを見にドイツへ行こう!(バイエルン美術紀行1)

エッシャー展にちなんでエッシャーとデューラーの関係、国立西洋美術館でのデューラーとミケランジェロの競演、そしてデューラーの故郷・ニュルンベルクの観光名所の紹介と盛りだくさんの内容にしたが、盛り込み過ぎたせいか15本の中でアクセス数は最も少ない(デューラーのせいでなく、私の責任)。
夏休みが近づいてきたので、今年の夏にドイツ旅行を考えている人たちをターゲットにしたが、あえなく空振り。ドイツファンの掘りおこしがこれからの課題。

⑧2018年7月12日
大きなルーベンス、かわいいルーベンス、そして気になる「ルーベンス展」(バイエルン美術紀行2)

前回の反省から、日本で開催されるルーベンス展とミュンヘン・アルテピナコテークをからめて紹介したシンプルな内容の記事。ルーベンス展は現在、国立西洋美術館で開催中なので、これからもアクセス数が増えることを期待。

⑨2018年8月11日
 フェルメール!モネ!この夏、ヨコハマでアートを楽しもう!


そごう美術館で開催された「フェルメール光の王国展」を中心に、横浜美術館で開催された「モネ展」のカップリングで紹介。フェルメール、モネとくればホームラン間違いなしと期待したが、あえなく凡退。サムネイル写真が暗すぎたか。

⑩2018年8月22日
 ガチャガチャで縄文展!ガチャガチャで日本古代史!

東京国立博物館で開催された「縄文展」にあわせて、土偶や埴輪のフィギュアを紹介。
かなり善戦した方で、ガチャガチャ人気の高さを実感。
(ただし、ガチャガチャは発売されてもすぐに姿を消すのと、必ずしも開催中の展覧会とシンクロしないので、コラムを発表するタイミングが難しい。)

⑪2018年9月1日
 京都・奈良、この秋、気になる美術展めぐり

年に何回かは行く関西の美術館めぐり第一弾。これからも関西の気になる美術展を紹介していきたい。

⑫2018年9月14日
もうすぐオクトーバーフェスト!ミュンヘンも横浜も、カンディンスキーもモネも広重も、みんなつながっていた!?(バイエルン美術紀行3)

デューラー、ルーベンスに続いて「バイエルン美術紀行三部作」の第三弾はカンディンスキー。オクトーバーフェストに乗った「あやかり商法」だが、少しは効果があっただろうか?

⑬2018年10月2日
 【秋のおススメ近代日本画展】3つの美術展でたどる巨匠たちの軌跡

今年の近代日本画シリーズのフィナーレは泉屋博古館分館、山種美術館、講談社野間記念館。院展の歴史をテーマにした山種美術館では現代までの日本画の流れもたどることができる。

⑭2018年10月12日
 横浜、鎌倉、湘南、箱根-神奈川のエリア別おススメ美術展ガイド

地元・神奈川シリーズ。「鎌倉」のネームバリューで二匹目のドジョウを狙ったが果たしてその効果は?
この秋、神奈川もおススメの展覧会がもりだくさん。

⑮2018年10月25日
 あこがれのスーパースターに会える!?すみだ北斎美術館の企画展がスゴイ

同館で初めて開催された特別内覧会のレポート。
楽しい企画展が続くので、これからも楽しみな美術館。

以上15点です。いかがだったでしょうか。
過去のコラムで紹介した展覧会は終わったものもありますが、今からでもお役に立てる情報も掲載されているので、ぜひもう一度ご覧になっていただければ幸いです。

また、最近ではgooの編集部の方からタイトルやサムネイル写真についてアドバイスをいただいています。どうもありがとうございます。

これからも耳寄りなアート情報を紹介していきたいと考えていますので、引き続きごひいきのほどよろしくお願いいたします。

2018年10月3日水曜日

静嘉堂文庫美術館「~生誕200年記念~幕末の北方探検家 松浦武四郎展」ブロガー内覧会

「幕末の北方探検家」松浦武四郎の生誕200年を記念して、静嘉堂文庫美術館では「松浦武四郎展」が開催されています。


松浦武四郎が蝦夷地を「北海道」と命名したことは知っていましたが、実際に蝦夷地のどこに行ったのか、どういった記録を残したのかまでは知りませんでした。

そして、探検家であっただけでなく、古物の大コレクターで、膨大な数の古物のコレクションを持っていたことも知りませんでした。

この「松浦武四郎展」は、探検家として、そして大コレクターとしての松浦武四郎ワールドをまさにに「探検」できる、とても楽しい展覧会です。

それでは、先日開催されたブロガー内覧会に参加したときの様子をお伝えしながら、展覧会の魅力を紹介したいと思います。
※掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。

はじめに楽しいトークショーがありました。
メンバーは、静嘉堂文庫美術館 河野元昭館長、静嘉堂文庫主任司書 成澤麻子さん、そしてナビゲーターは、アートブログの草分け「青い日記帳」主宰のTakさん。

Takさん 「松浦武四郎展」は5年前に開催されてから2回目になりますが、今回の展覧会
 の見どころを紹介していただけますでしょうか。
成澤さん はじめにご紹介したいことがあります。明治2(1869)年に「北海道」と命名さ
 れてから150年になることを記念して、松浦武四郎の物語がNHKでドラマ化されます。
 松浦武四郎の役は嵐の松本潤(ここで会場から「えーっ」と驚きの声)、ヒロイン役は深
 田恭子で、現在、北海道の各地でロケに入っていると聞いています。
(NHKのホームページによると、タイトルは「北海道150年記念ドラマ 永遠のニㇱパ~北海道と名付けた男 松浦武四郎」。放送予定は2019年春とのことです。)

成澤さん 150年前に蝦夷地の命名を明治政府に命じられたとき、松浦武四郎は「北加伊
 道」と提案しました。
  「加伊(=カイ)」とはアイヌ語で「人々」という意味で、武四郎は「北に住むアイヌ
 の人々の土地」との意味を込めたのです。
  武四郎は幕末に6回、北方を探検して、蝦夷地のすべてを踏破して、アイヌの人たちの
 協力を得ながら詳細な蝦夷地の地図を作成しました。当時、蝦夷地を内陸部まで探検し
 たのは武四郎だけでした。
Takさん 生まれはどちらだったのでしょうか。
成澤さん 伊勢の松坂市出身です。市内には松浦武四郎記念館がありまして、松浦家から
 松阪市に寄贈された資料が展示されていて、その多くが重要文化財に指定されていま
 す。
Takさん それで今回の展覧会の関連イベントで松阪牛の試食会があるのですね。
成澤さん 松浦武四郎記念館の方と事前の打合せをする中、「牛がないと松阪でなない」
 とのお話しがあったもので(笑)。
Takさん それをOKする静嘉堂文庫美術館も懐が広いですね(笑)。
(松阪牛試食会は11月10日(土)午前11時から先着100名。試食券(500円)は当日受付にて販売します。先着100名ですのでお早めに!)

河野館長 今回の展覧会では、武四郎と同じ伊勢の陶芸家・川喜田半泥子の陶器を展示し
 ています。
  半泥子は伊勢の百五銀行の頭取まで務めた経済人で、趣味で始めた陶芸でしたが、
 『東の魯山人、西の半泥子』と言われたくらい有名でした。今では魯山人の方が知名度
 が高いのですが、作品のクオリティは甲乙つけがたいです。
Takさん 今回の展示では半泥子の作品がお出迎えしてくれますよね。
(半泥子の陶芸作品はロビーに展示されています。このコーナーは撮影可ですのでぜひ記念撮影を!)


成澤さん 半泥子の祖父・川喜田石水(せきすい)と松浦武四郎が藩の私塾で知り合った幼
 なじみで、生涯交流が続きました。
河野館長 松浦武四郎のコレクションが静嘉堂に収蔵された経緯は不明ですが、岩崎彌之
 助の深川別邸を手がけた大工頭で美術品収集家の柏木貨一郎が武四郎と交友関係にあっ
 たことが影響しているのでは、と考えられます。
(人間模様についてはロビーのパネルが参考になります。上の写真の左のパネルです。)

Takさん 今回の展示は大きく分けると、①蝦夷地を知る、②武四郎コレクション、の二つ
 ですね。
成澤さん 松浦武四郎のキーワードは、①北方探検家、②日本中を回り、富士山には3回も
 登った「旅の巨人」、③古物のコレクター。今展覧会では①と③を展示しています。
  ①北方探検家についてですが、幕末の13年間に6回蝦夷地をくまなく歩き、幕府に報
 告書を提出しています。武四郎はそれだけでなく、一般の人向けにイラスト入りでわか
 りやすい紀行文も出しました。その紀行文によって一般の人たちもはじめて蝦夷地のこ
 とを知ることができたのです。
  6回の蝦夷地探検の結果、最終的には蝦夷地の詳しい地図を作成しました。それまで海
 岸線を調査したものはあったのですが、武四郎はアイヌ語ができ、アイヌの人たちと一
 緒に内陸部まで調査した地図を作成しました。
  地図は広げると大きすぎて展示できないので、パネルに印刷したものを床の上に展示
 しています。タイルの上は歩いても大丈夫なので、ぜひ内陸部まで歩いてみてください
 (笑)。」
(これがパネルに印刷した蝦夷地の地図です。内陸部の山や川まで描かれていて、地名もカタカナで細かく書かれてます。驚くほど精密です。)



成澤さん 次に③古物のコレクターについてです。
  明治維新後、武四郎は明治政府から蝦夷地担当の高官に指名されましたが、明治政府
 の政策がアイヌ人を和人に同化させるやり方だったので、それに反発して役職を1年で退
 職しました。その後、コレクターとして古物を収集するのです。
  武四郎の号は「馬角(ばかく)」でしたが、その下に「斎」をつけて「ばかくさい」と
 自らを称していました。松浦武四郎記念館の学芸員の山本さんによると、「武四郎は明
 治政府のやり方を皮肉り、それを阻止できなかった自分を皮肉ったのでは」とお話され
 ていました。
  退職後、武四郎は蝦夷地にはふれない生活を送りました。 
Takさん 武四郎は蝦夷地に行くための旅費はどう工面したのでしょうか。
成澤さん 最初の2回は私人として行きました。1回目は商人の手代に扮して、2回目は松
 前藩の医師の助手に扮して蝦夷地に渡りました。当時、蝦夷地は松前藩の取り締まりが
 厳しくて簡単には入れなかったのです。     
  3回目からは幕府のお雇いとして行きました。
  武四郎は「旅の巨人」とお話しましたが、蝦夷地に入るまでは日本中を旅していまし
 た。16歳で家を飛び出したときは江戸で見つかって伊勢に戻されたのですが、翌年また
 家を飛び出して10年間放浪しました。
  武四郎は篆刻が得意だったので、旅先で有力者に頼まれて篆刻をつくったり、農家の
 手伝いをして旅を続けていたのです。
Takさん どうして武四郎は旅を続けたのでしょうか。
成澤さん きっと好奇心が強かったのでしょう。そのうえ行動力もありました。
  武四郎が長崎にいたとき、ロシアが蝦夷地に進出しているという情報を得ました。日
 本の危機を感じとった武四郎は自分の目で見てみようと思ったのです。
河野館長 武四郎はまず第一に好奇心、行動力があり、そしてアイヌの目線でアイヌのこ
 と、蝦夷地のことを考えるという独自の思想性ももっていました。
Takさん もう一つの展示の柱の古物コレクションの特徴は。
成澤さん コレクションというと焼き物とか自分の好きなものを集める人が多いのです
 が、武四郎は分野を限らず、ありとあらゆる分野のものを集めました。
  そして集めたものを分類して、整理して、それぞれふさわしい箱に入れて保存して後
 世に残しました。
河野館長 武四郎は生前、河鍋暁斎に自分の涅槃図を描かせています。現在、松浦武四郎
 記念館が所蔵しているのですが、今回はその複製を展示して、その涅槃図に描かれたコ
 レクションの現物を展示しています。
成澤さん 武四郎は好奇心のかたまり。武四郎の好奇心を楽しんでいただければと思いま
 す。(拍手)

続いて成澤さんのギャラリートークです。

会場入り口でお出迎えしてくれるのは、松浦武四郎その人。身長わずか150cmの小柄な体のどこにおそるべきパワーが秘められていたのでしょうか。


そしてケースに展示されているのは写真の武四郎が身につけている大首飾り。
「縄文時代から近代までの碧玉や水晶などで作られていて、対馬国住吉神社の神宝を参考にしてつくったのではとの指摘があります。」と成澤さん。

会場入ってすぐ右は武四郎が一般人向にイラスト入りでわかりやすく作成した紀行文。
「イラストはプロの浮世絵師が描いていますが、武四郎のスケッチをもとに描いています。武四郎はスケッチが上手だったのです。」


イラストがとてもリアル。これなら一般の人たちの好奇心を誘います。


続いて間宮林蔵はじめ武四郎の先人たちの足跡。


その向かいが武四郎集大成の蝦夷の地図(木版)。そしてその隣には武四郎の探検に協力したアイヌの人たちを地域別に記載した名簿も展示されています。




続いてコレクターとしての武四郎のコーナー。



「武四郎は自分が集めたものの図録を作成して、出版しました。」


「図録の絵を複写したものを壁のパネルで展示しています。」


「下は武四郎が収集したものとそれを収蔵してた箱です。武四郎は収集したものを入れると指が入らないくらいぴったりとした小箱を作りました。そして右の大きな箱にそれらの小箱を収めていたのです。」
下の写真の右の箱の前には「馬角」と書かれています。


こちらは硯をはじめとした文房具。


青銅器も。


「考古学的なものだけでなく、仏教的なものも収集していました。」



「おそらく今回の展示品の中で一番高価なのでは。(笑)」と成澤さんがお話されたのはヒスイの首飾り。「純度は100%に近いヒスイですので、下から見るとよく分かりますが輝いて見えます。」


奥がトークショーで河野館長からお話のあった河鍋暁斎筆《武四郎涅槃図》の複製。
「武四郎が絵の制作にいろいろ注文をつけたので、暁斎もまいってしったそうで、完成に5年かかりました。」と成澤さん。

そして《武四郎涅槃図》に描かれた赤い台の上の20点のコレクションの実物。



武四郎が最晩年に住んだ書斎・一畳敷は茶室ともに今では国際基督教大学の敷地内に移設されて保存されています。大学の秋の文化祭のときに公開されるとのこと。
一畳敷を建てる際、全国の知人に頼んで古材を送ってもらったのですが、そのやり取りの葉書を集めたのが「木片勧進(複製)」(下の写真右)。
「武四郎はこういったものまで出版してしまうのです。」(笑)と成澤さん。


最後はロビーの半泥子の茶碗。
「銘が面白いです。こちらは大きな茶碗で、お茶を飲むと顔が隠れるから『閑く恋慕(かくれんぼ)』です。」(笑)






さて、松浦武四郎展はいかがだったでしょうか。

イベントも盛りだくさん。松阪牛試食会だけではありません。講演会や河野館長のトーク、列品解説やコンサートもあります。
詳細はこちらでご確認ください。→ 静嘉堂文庫美術館

ショップではミニブック(税込350円)、5年前の松浦武四郎展のときに出版された図録(税込2,800円)も販売されています。


みなさん、ぜひ松浦武四郎ワールドをお楽しみください!
12月9日(日)までです。