2015年4月21日火曜日

大英博物館展ブロガーナイト in 東京都美術館

4月18日(土)に東京都美術館で開幕した「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」のブロガーナイトに参加してきました。

会場の入り口では「ルイス島のチェス駒」のモニュメントがお出迎え。
ここではチェス駒と記念写真を撮ることができます。


はじめにこの展覧会を担当された東京都美術館の学芸員 水田有子さんからミニ・レクチャーがありました。

「東京都美術館では、2003年に開催された『大英博物館の至宝展』以来12年ぶりの大英博物館展。この時も大英博物館の全8所蔵部門から所蔵品を展示しましたが、今回も12年ぶりに全8所蔵部門からの展示品を展示しています」

「世界最初の博物館で700万点もの所蔵品のある大英博物館から100作品を選んで200万年の人類の歩みをたどっていただけるのが今回の企画です。」

「200万年前の礫石器から現代のソーラーランプまで一点一点の作品が歴史の断片を物語っています。展覧会は8章構成になっていて、それぞれの章ごとに年表や世界地図があるので、自分の現在地を確認することができます。」

とても楽しそうな企画で、作品を見る前から心がワクワクしてきます。
それではさっそく200万年の人類の歴史をたどっていきましょう。


※会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。


第1章 創造の芽生え

こちらは水田さんが説明されていた200万年前の礫石器。
大英博物館最古の所蔵品で、この礫石器で動物の骨を割って得た骨髄内の高カロリーの脂肪が人間の脳の発達に役だったそうです。

オルドヴァイ渓谷の礫石器
(200万-180万年前 タンザニア、オルドヴァイ渓谷)(※)
(※)以下、作品名、年代、出土地・製作地の順に表示します。また、掲載した作品はすべて大英博物館蔵のものです。

こちらは形がとてもかわいらしい古代エジプトの化粧パレット。古代エジプトの女性たちはこのパレットの上で化粧用の顔料を石ですりつぶしたそうです。

古代エジプトの化粧パレット
(紀元前4000年-3600年 エジプト) 
 (手前がカメ、左上がカバ、右上が魚、下の写真はウシです)

第2章 都市の誕生

なんといっても今回の人気作品はウルのスタンダードです。

ウルのスタンダード
(紀元前2500年頃 イラク)

横の展示パネルの解説を読みながら見るとより一層楽しめます。



こちらは楔形文字を刻んだ粘土板。
上段左と中段の右から二つめの枠の中には逆三角形をした容器が二つ。これは「ビール」を表し、下段左の容器を傾けて飲む人の姿は「配給」を表していて、この粘土板は労働者に配給するビールの量を記しています。
この粘土板を見たばかりに、喉が渇いて家に帰ってからビールを飲んでしまいました。

楔形文字を刻んだ粘土板
(紀元前3100-前3000年 イラク南部)

第3章 古代帝国の出現

紀元前2000年ごろ北部メソポタミアにおこり、紀元前7世紀にはエジプトを含む全オリエントを統一した最大最強の軍事国家アッシリアの王宮を飾っていたレリーフ。見るからに強そうな兵士です。

アッシリア戦士のレリーフ
(紀元前700-前695年 イラク)

続いてはアッシリアに続き紀元前550-前330年、古代オリエントのほとんど全域を支配したペルシャ人の王朝、アケメネス朝ペルシャの「金製のゾロアスター教徒像」。わずか5㎝ほどの像ですが、まばゆいばかりに輝いています。

金製のゾロアスター教徒像
(紀元前500-400年 タジキスタンとアフガニスタンの国境にあるオクソス川近く)



第4章 儀式と信仰

さて、ようやくローマ帝国の時代までやってきました。
この章の中でもひときわ大きくて目をひくのが「ミトラス神像」。
ペルシャ発祥のミトラス教は、紀元後1-300年頃ローマ帝国全土に広まりましたが、キリスト教の隆盛とともに滅んでいきました。

ミトラス神像
(100-200年 イタリア、ローマ)

一方、こちらはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教で語り継がれているヨナの物語を描いた石棺。

預言者ヨナを表した石棺
(260-300年 おそらくイタリア)

第5章 広がる世界

これが水田さんが話されていた年表と、

出土地・製作地のわかる世界地図。

こういった年表と世界地図は各章ごとにあり、作品を見ながら、自分はどの時代のどの場所にいるのかを確認することができます。

こちらはフランク王国カロリング朝の象牙彫刻。
カロリング朝は二代目カール大帝の時代に現在の西ヨーロッパのほとんどを支配し、絶頂期を迎えました。これはその当時の作品。カール大帝が王宮を建てたドイツのアーヘンには去年の9月に行ってきたばかりなので、やっぱり気になる一品です。

カロリング朝の象牙彫刻
(800年頃 おそらくドイツ、アーヘン)

こちらの作品も気になりました。ペルー・モチェ文化の壺です。どことなくユーモラスでミニチュアがあれば買って家に飾りたくなる作品です。

モチェ文化の壺
(100-700年 ペルー)
(右奥から、戦士、座る人、座る人、座る戦士、眠る人)


第6章 技術と芸術の革新

だいぶ時代が下ってきました。
ここにはルイス島のチェス駒が展示されています。
ミュージアムショップにはチェス駒のマグネットが販売されていました。
右奥の女王は2度目の来日だそうです。

ルイス島のチェス駒
(1150-1200年 イギリス、ルイス島 おそらくノルウェーで制作)


おととしの9月にデューラーの作品や工房を見にミュンヘンやニュルンベルクに行ってきた私としては、デューラー先生の作品は見逃すわけにはいきません。
このサイはインドのグシャラート王がポルトガル国王に送ったサイを、スケッチや説明をもとにデューラーが描いたもので、背中にも角があったり、全身鎧をつけたように見えたり、実際とは違ったサイになっていますが、売れっ子画家のこの版画は4-5000枚も売れたそうです。

デューラー作「犀」
(1515年 ドイツ、ニュルンベルク)


第7章 大航海時代と新たな出会い

この展覧会には日本の作品も展示されていますが、これはひときわ目を引く派手な色彩の柿右衛門の象。日本出身の作品もがんばっています。
柿右衛門の象
(1650-1700年 日本、佐賀県有田町)

これはナイジェリアのマニラ。マニラとはポルトガル語で腕輪のことで、装飾具として用いられましたが、16世紀初頭、アフリカ人奴隷の値段はこのマニラ50個分だったそうです。
ここにもマニラ50個が展示されています。人類200万年の歴史の中にはこういった悲惨な過去にまつわる作品も展示されています。

ナイジェリアのマニラ(奴隷貨幣)
(1500-1900年 ナイジェリア)


第8章 工業化と大量生産が変えた世界

いよいよ最終章。
こちらは『進化論』のダーウィンが乗って世界一周をした帆船ビーグル号のクロノメーター。
船が揺れても本体が水平を保つような仕掛けになっているので、航海中も正確な時刻を見ることができました。
ビーグル号のクロノメーター
(1795-1805年 イギリス)


これは日本出身の作品で、本物のヘビのようにくねくね動く鉄製のヘビです。
これこそまさに超絶技巧ですね。


自在置物(ヘビ)
(1800-1900年 日本)



長い長い200万年の人類の歴史をたどる旅も終わりに近づいてきました。
年表や世界地図、それに丁寧な説明板のおかげでとてもわかりやすく作品を楽しむことができました。
音声ガイドも、それぞれの作品が作られた場所にタイムワープして現地の人たちにその作品が作られたいきさつなどを聞く設定になっているので、お子さまでも十分楽しめます。

ここに紹介した作品は全体のほんの一部です。
みなさんもぜひお気に入りの一品をさがしてみてください。

「100のモノが語る世界の歴史 大英博物館展」は6月28日まで東京都美術館で開催されます。
詳細は公式サイトをご覧になってください。

http://www.tobikan.jp/exhibition/h27_history100.html

とても楽しい展覧会です。おススメです。

2015年4月7日火曜日

ドイツ世界遺産とビールの旅(9)アーヘン

平成26年9月5日(金)アーヘン

この日の「世界遺産」はアーヘン大聖堂。


8時47分ケルン発の特急に乗って1時間弱でドイツで一番西の都市・アーヘンへ。
アーヘン中央駅を出て旧市街地の中心まで10分ほど歩いて大聖堂の向かいにあるインフォメーションセンターに行くと、平日というのに、そこにはすでに大聖堂のガイドツアーに申し込む人たちの長い列が。
私も列に並んで順番が来るのを待ったが、今からだと一番早くても13時からのツアーとのこと。
これに申し込んで、集合時間の13時にインフォメーションセンターに戻ってみると、「本日のガイドツアーの申し込みは終了しました」との貼り紙があったので、観光客に人気のあるアーヘンは朝が勝負のようだ。



私が乗ってきたケルンからの特急にも途中から女性の先生に引率された小学生の集団が乗り込んできてアーヘンに社会見学に来ていたし、街中にはどこも観光客の集団で活気づいている。

さて、あと3時間どうしようか、と考えたが、さすがにアーヘンはカール大帝の街。
ちょうどカール大帝を記念して市役所、シャルルマーニュ・センター、宝物館の3か所で展覧会が開催されていたので、時間をもてあますことはなかった。
3館共通のチケットが14ユーロ。内容の充実ぶりからすると決して高い値段ではない。

まずはシャルルマーニュ・センター(シャルルマーニュとはカール大帝のフランス語表記)で開催されている「カール大帝の芸術」展。

フランク王カール(在位768-814)は、ロンバルディア王国、イベリア半島のイスラム勢力、ドイツのザクセンやバイエルンなどを征服して西欧全土にわたる広大な地域を領有して、800年には教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を授けられ「カール大帝」として西ヨーロッパに君臨した。アーヘンに王宮を建設したのもカール大帝。

堂々としたカール大帝の像



主なところは撮影禁止だったが、象牙でできた聖人の像、財宝がちりばめられた王冠や教会で使われた大きな書物の本物など、展示は見ごたえがあるものばかりだった。

こちらは撮影が許可されたエリアの展示品。



こちらは「アーヘンの温泉を見つけたカール大帝」のレリーフ。
アーヘン郊外には今でも温泉保養地として有名で、郊外には大型の温泉施設がある。


 カール大帝の顔の部分が切り抜かれていて、観光客はここから顔を出して記念写真を撮ることができる。以前はドイツにはこういったものはなかったような気もするのだが、日本の観光地の影響だろうか。



「シャルルマーニュ・センター」には歴史のコーナーもあり、1871年のドイツ帝国成立から現代ドイツまでの歴史を写真でたどることができる。
その中でやはり気になったのは、日本と同じく戦災で大きな被害を受けたドイツの第二次世界大戦の時の写真。

これは1941年に連合国軍の空襲を受けた時の写真
夜なのに爆撃によって生じた火災の炎の明るさで教会がその姿を現している。

アーヘンはドイツの最西端に位置するからこそ、連合国軍が来るのも早かった。
1944年6月6日に連合国軍がノルマンディーに上陸してからわずか4か月後にはアメリカ軍がアーヘン市内に突入している。
解説には1944年10月15日の市街戦とある。

通りを進むシャーマン戦車、ものかげに隠れる兵士たちの姿、どれからも戦時の緊張感が伝わってくる。

アーヘンは、ドイツが降伏した1945年5月9日を待たず、前年の10月21日にはアメリカ軍によって「解放」されている。
この写真はアーヘン市街戦後の市庁舎(中央)と大聖堂(右上)。



大聖堂は奇跡的に残り、市役所は復興されて往時の姿を甦らせている。
現在の市庁舎とカール大帝の像。

市役所内の「戴冠の間」で開催されていた「権力の場」展も見ごたえがあったが、こちらは撮影禁止。

そうこうしているうちにガイドツアーの時間が近づいてきた。
お昼は例によって朝食をたくさん食べておなかがすいていなかったので、アーヘン名物「アーヘナー・プリンテン」を二、三本、広場のベンチで食べた。クッキーのように見えるが、これが意外と固くて歯ごたえがある。



(次回に続く)