2012年10月29日月曜日

ギュンター・グラスの見たドイツ統一(6)

次は第6段落。

これほど我慢させられた国はなかっただろう。
その国の大佐たちはかつては同盟国として君によってじっと耐え忍ばれていたのだ。


 枢軸国によって占領されたギリシャでは、ドイツ軍によるソ連侵攻の補給基地として食料や物資の過酷な調達が行われ、特に1941年から42年にかけての大飢饉の時には多数の餓死者が出るといった悲惨な状況であった。
 こうした中、共産党主導の「民族解放戦線(EAM)」を中心として大衆による抵抗活動が行われ、1942年2月には「民族人民解放軍(ELAS)」が創設されて武装抵抗を行うようになった。
 
 1944年9月にELASがギリシャ全土で一斉蜂起を行い、続く10月にはイギリス軍がギリシャに上陸して枢軸国を追い出したが、12月には共産主義勢力の拡大を怖れたイギリス軍がELASを攻撃し、これをきっかけにギリシャ全土でイギリスが支援する右派とELASを中心とする左派勢力との間での内戦が始まった。
 第二次世界大戦は1945年に終結したが、内戦はその後も続き、左派勢力が国内から一掃され内戦が終結したのは1949年になってからであった。

 1951年にはNATO(北大西洋条約機構)に正式加盟し、西側諸国の一員としてギリシャにもようやく平穏な日々が訪れたかのように見えた。復活した王政のもと、軍部に支えられた右派勢力による専制的な政治体制ではあったが、経済的にはめざましい発展を遂げていった。
 しかし国民の民主化要求の動きが高まり、1963年に中道政権が樹立すると、右派勢力によるあからさまな選挙妨害が行われ、国中にきな臭い空気が漂ってきた。
 そして次期総選挙で中道勢力の勝利が確実な状況になった1967年、ゲオルギオス・パパドプロス大佐ら中堅将校のクーデターにより軍事独裁政権が樹立され、ギリシャは再び暗黒の時代に突入した。 

 アメリカの支援によって軍事独裁政権は7年間続いた。
 その間、政権に協力しない政治家たちは逮捕され、軍部内でも粛清が行われるといった恐怖政治が横行し、国民の民主化運動は抑圧された。
 国民はNATO同盟国の国民として、パパドプロス大佐らによる支配をじっと耐え忍ばなくてはならなかったのだ。
 
 こうした苦難の道を経てギリシャに民主的な政権が成立したのは、オイルショックによる経済の悪化などで軍事独裁政権が崩壊した1974年になってからであった。イタリアの侵攻から数えて33年、第二次世界大戦終了から数えて29年の長きにわたる道のりであった。
(次回に続く)

 




2012年10月12日金曜日

ギュンター・グラスの見たドイツ統一(5)

詩人ヘルダーリン(1770-1843)は、彼の偉大な先輩であるゲーテ(1749-1832)やシラー(1759-1805)が生前から名声を得ていたのと比べて、生きている間はほとんど無名のままで、後半生は精神を病んでいたためチュービンゲンのネッカー河畔にあるヘルダーリンの塔と言われた塔にこもり、そこでさびしくこの世を去った。
チュービンゲンは、彼が神学校に通っていた1788年から1793年まで5年間住んでいたなじみの街だ。
ヘルダーリンは、当時、大小300もの国に分立し、それぞれの国を諸侯が支配していた封建的なドイツの後進性を憂えていた。
おりしも彼のチュービンゲン滞在中に隣国フランスではフランス革命が勃発し(1789年)、1792年には共和制が宣言された。
その後は左右勢力の対立で政治的に不安定な状況が続いたが、1799年、ブリュメールのクーデターでナポレオンが台頭するという激動の時代であった。

こういった時代の流れを敏感に感じ取っていたヘルダーリンは、1799年、彼の唯一の小説「ヒューペリオン」を完成させた。
この書簡体の小説は、トルコに支配されていたギリシャを解放しようと立ちあがったギリシャ人の若者ヒューペリオンが主人公の物語だ。
ヒューペリオンは、当時、南下政策を進めトルコと衝突していたロシアに加担して独立を勝ち取ろうと考え、ロシア艦隊に志願したが、海戦で瀕死の重傷を負ってしまった。
その後、怪我も回復して退役したが、反トルコ的とみなされトルコ当局から命を狙われるようになったので、ドイツに逃れた。
そこでヒューペリオンは現状を打破しようとしないドイツ人の無気力さに失望してふたたびギリシャに戻る決意を固める、というところでこの小説は終わっている。

ヘルダーリンは、「ヒューペリオン」の完成と同じ年に「祖国のための死」という詩を発表し、「祖国のために犠牲になる」と決意表明している。

こうした情熱にかられた一連の作品を創作したヘルダーリンは両大戦時に再評価され、多くの兵士たちは背嚢に彼の詩集を背負って戦場に向かった。特にナチスの時代には、「ドイツ民族の詩人」としてもてはやされ、本格的なヘルダーリン研究が始められた。

一方でヘルダーリンは、理想的な世界として古代ギリシャへの憧れを強く持ち続けた詩人だった。
一度もかの地に足を踏み入れたわけではないのに、「ヒューペリオン」ではギリシャの海が、山が、空がまるで目の前で見ているかのように描写されている。
さらにギリシャへの思いを込めた「ギリシャ」「エーゲ海」といった詩もつくっている。

ヘルダーリンがあこがれ続けていたギリシャ。
その地をナチスの兵士たちはヘルダーリンの作品を携えて軍靴で踏みにじった。

しかし、ヘルダーリンは祖国ドイツのことは憂えたが、他国への侵略のためにわが身を捧げることを美化したわけではなかった。
そしてヒトラーも、強敵ソビエトと事を構える前に、ギリシャにかかずらわりたくなかった。

イタリア以外は誰も望まなかったギリシャ侵攻。
でも、枢軸国軍に踏みにじられたギリシャ。
結局、一番迷惑をこうむったのは、ドイツ、イタリア、ブルガリアによって分割・占領されたギリシャだった。

(次回に続く)