2013年1月21日月曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(4)

9月5日(水)続き

城博物館を出てからはマルクト広場を通らず、少し遠回りをしてゲーテ・ハウスに向かった。

1749年8月28日にフランクフルト市で生まれたゲーテ(1749-1832)は、1773年にワイマール公国の当主カール・アウグスト公に招かれワイマールに赴いた。
このゲーテハウスは、ゲーテが1782年にカール・アウグスト公から贈与され、亡くなるまでの50年間住んでいたところ。
外観だけでなく、それぞれの部屋も当時のまま保存されている。


かつては馬車用の出入口だった左側の大きな入口から入ると、左手にガラスの扉があり、そこから先は隣の建物で、内装は現代風のオフィスに改装されていて入場券売り場やミュージアムショップになっている。
入場券売り場の隣でオーディオガイドを借りた。ここではパスポートと交換するシステムになっている。
ドイツ語バージョンと英語バージョンがあったので、「ドイツ語で」とドイツ語で言ったのに、聴いてみたら英語だった。やはり外国人=英語と思ってしまうのだろうか。英語ではよくわからないのでその場ですぐにドイツ語に換えてもらった。
解説はわかりやすく、一つひとつの部屋をじっくり楽しみながら見ることができた。

これは内側から見た写真。右のガラスの扉が入口。


上の写真の左手に進むと中庭になっていて、泉がある。

そして階段で2階に上がっていくとゲーテが『ファウスト第2部』や『詩と真実』を書き、友人たちを招き夕食をとり、そしてエッカーマンとの対話を楽しんだ数々の部屋が見えてくる。


入口にはラテン語で「ようこそ」。

これは「黄色の間」または「大広間」。ここは食事の間でもある。

 
 これは「青色の間」または「ユーノーの間」。左手がジュピターの配偶女神ユーノーの頭部模型。


これは書斎。晩年のゲーテは、主に午前中この部屋で創作活動をしていた。 エッカーマンと二人きりだとここでも食事をしていたようだ。

これは書斎の隣の書庫。書棚にはおびただしい量の蔵書が収まっている。

これはゲーテが最期の時を迎えた寝室。

寝室となりの従僕の部屋からみた裏庭。

 ドイツから帰ってエッカーマンの『ゲーテとの対話』の続きを読んでいると、ゲーテハウスのそれぞれの部屋のことが頭に浮かんできて、「ああ、あの部屋に知人を招いて食事をしながら文学や芸術について議論をしているのだな」など想像しては楽しんでいる。

『ゲーテとの対話』を読んで楽しみがもう一つ増えた。
私はもともとビール党だが、ワイン党のゲーテがワインを飲みながら会話をする場面がよく出てくるので、それにつられて料理を食べながらワインを飲むのが楽しみになってきた。
ついこの前はファミリーレストランでにんにくたっぷりのグリルチキンをつまみに1杯90円の赤ワインを2杯飲んでいい気分になったし、先週末は家の近くのサンクスにあった酸化防止剤無添加のワインを買い、手始めに赤ワインを「蒸し鶏のパスタサラダ」をつまみに飲んだら、これがけっこう口当たりがいいので、ついつい飲みすぎてしまった。
白ワインの方は冷蔵庫に入れて冷やしてある。つまみは歯ごたえシャキシャキのコールスローサラダがいいかな。
(次回に続く)

2013年1月10日木曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(3)

あけましておめでとうございます。
ブログの更新が大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
さっそくですが、前回からの続きを進めていきます。

平成24年9月5日(水)続き

ホテルの従業員の女性たちはとても親切だ。
ホテルを出ようとしたら、呼び止められて日本語を含め6か国語で表記された市内観光用の冊子を渡してくれた。全部で16ページある立派なもの。
これはワイマールの歴史を紹介しているページ。右下に日本語の説明が見える。


 

 
こちらはワイマール市街の地図。これはドイツ語だけ。


ホテルはマルクト広場に面していて、正面から出て左手には市庁舎が見え、広場にはその名のとおり、毎朝、市(いち)が立つ。


ホテルから外に出ると雨は上がっていた。
気温は13℃なので、セーターとジャケットを着てちょうどいいくらいの涼しさ。
雨上がりの石畳はしっとりしていて、いかにも古都らしい落ち着いた雰囲気を出している。

上の写真だとわかりにくいが、市庁舎の左手前にある黄色と茶色の物体はソーセージスタンドの看板がわりの大きなソーセージ。
これは横から見た写真。


さらにアップで見ると・・・(これは2日後に撮った写真なので晴れ間が少し見えている)


チューリンゲン風はパンが小さくてソーセージがパンの両端からはみ出ているのが特徴。
自分では食べなかったが、人が食べているのを見ていると、パンの部分を手に持ち、はみ出たソーセージの長さのバランスをとるように、両端にかわるがわるかぶりついていた。

市庁舎とは反対側の角から路地に入ると、すぐに領主の居城の塔が見えてくる。





塔の右側の建物をくぐると居城の正面に出る。
これは少し離れて撮った写真。
 

さらに居城の正面から入っていくと中庭に出る。
これがかつての領主の居城。今ではその一部が美術館になっていて、その名もずばり「城美術館(Schlossmuseum)」。

入口の上には特別展示を表すペナントが3枚かかっている。一番左にはルーカス・クラーナハ(1472-1553)の名前もある。
クラーナハはワイマールにもゆかりのある画家で、この美術館でもクラーナハの作品を多く収蔵している。彼の作品を見るのを楽しみにしていたが、特別展まで開催しているとは思わなかった。おかげでルターの若き日から晩年の肖像画や、テナントにあるザクセン選帝侯ヨハン・フリードリッヒⅠ世の妃「花嫁姿のジビュレ・フォン・クレーフェ(Sibylle von Cleve)」ほかの作品をじっくり鑑賞することができた。
ところで次の日に気がついたのだが、ホテル・エレファントを出てすぐ右のマルクト広場に面した建物はクラーナハが1552年から亡くなった1553年まで住んでいたところだ。


新教国ザクセンの領主であった夫ヨハン・フリードリッヒⅠ世とともに、新教を抑圧しようとした神聖ローマ帝国皇帝 カール5世に闘いを挑み敗れたジビュレ・フォン・クレーフェ(1512-1554)も1554年にワイマールで波乱の人生を終えている。
この絵はジビュレが結婚した14歳のときに描かれたものであるが、すでにこの時から気丈な性格が表情によく表れている。
今年のNHK大河ドラマの主人公・八重は「幕末のジャンヌ・ダルク」と言われたようだが、こちらは敗れこそしたものの「ヨーロッパの北条政子」と言ってもいい風格である。
これは博物館のパンフレットに載っている写真。

城美術館にはチューリンゲン地方で活躍した地元の画家の作品も多く展示していて、その多くはチューリンゲンの自然を描いているものだ。
ちょうど地元の画家のコーナーを歩いていたとき、係の中年男性と目が合ったのであいさつをしたら、
「ぜひ見てもらいたい絵がある。こちらへどうぞ」
と案内されたので、あとをついて行くと、森の景色を描いた一枚の絵の前に立ち止まった。
「これはワイマール郊外、イルム川沿いの公園の秋の景色を描いたものです」
確かに木の葉が色づき、太陽の光に輝いている。
「秋のワイマールはこんなにきれなのです。ぜひ秋にもワイマールに来てください」
秋はドイツ語ではHerbst、つまり収穫の時期である10月が「秋」。
以前このブログで紹介した新しいワインも飲みたいし、いずれぜひ来てみたいと思っていたので、
「ええ必ず来ます」と答えた。
(次回に続く)