2018年9月26日水曜日

山種美術館[企画展]日本美術院創立120年記念「日本画の挑戦者たちー大観・春草・古径・御舟-」特別内覧会

今年は明治150年、横山大観の生誕150年、そして日本美術院が設立されて120年。

東京広尾の山種美術館では、近代日本画にとって記念すべき節目の年にふさわしい展覧会が開催されています。

タイトルは[企画展]日本美術院創立120年記念「日本画の挑戦者たち-大観・春草・古径・御舟ー」。



今回の展覧会では、日本美術院設立当初から中心となって活躍した横山大観、菱田春草、そして大観らの次の世代の小林古径、速水御舟の作品から現代作家まで、院展で活躍した作家たちの作品を年代を追って楽しむことができます。

とても素晴らしい展覧会なので、さっそく9月18日(火)に開催された特別内覧会の様子をご紹介したいと思います。
※掲載した写真は美術館の特別の許可を得て撮影したものです。
(今回展示の作品はすべて山種美術館蔵です。)

展覧会の詳細はこちらをご覧ください→山種美術館ホームページ

1 山種美術館・高橋学芸部長ごあいさつ

〇 9月15日(土)から始まった[企画展]日本美術院創立120年記念「日本画の挑戦者たち-
 大観・春草・古径・御舟ー」では、日本美術院創設120年にちなんで、横山大観、菱田
 春草、小林古径、速水御舟の4人の代表作品を中心に、現代でも活躍している作家まで当
 館コレクションで日本美術院の軌跡をたどる展覧会です。
〇 今回撮影可の作品は、前期(9/15-10/14)が速水御舟《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞
 戯》、後期(10/16-11/11)が速水御舟《名樹散椿》(重要文化財)。
  《名樹散椿》は、葉室麟『散り椿』の本の表紙を飾った作品で、映画「散り椿」の公
 開(9月28日全国公開)に合わせて展示するものです。

速水御舟《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯》


〇 今回もCafe椿では展示作品にちなんだ和菓子をご用意しています。

どれも見た目もきれいで美味です!
中央が「敦盛」(安田靫彦《出陣の舞》)、右上から時計まわりに
「秋のおとずれ」(富取風堂《もみぢづくし》)、「まさり草」(速水御舟《和蘭陀菊図》)
「風の色」(木村武山《秋色》)、小夜(小林古径《清姫》のうち「寝所」)
カッコ内はちなんだ作品名です。

〇 ミュージアムショップでも、《名樹散椿》をデザインした大判ハンカチはじめ展示作
 品にちなんだ絵はがきやクリアファイルなどを取り揃えています。また、来年のカレン
 ダーも発売してます。

左が山種コレクション名品選のカレンダー


次回[特別展]「皇室ゆかりの美術-宮殿を彩った日本画家-」(11月17日(土)~2019年1月20日(日))の関連イベントのご案内もありました。詳細は山種美術館ホームページ(上記)をご覧ください。

また、若手日本画家の発掘と育成を目指す公募展「Seed 山種美術館日本画アワード 2019」のご案内もありました。
応募期間は2019年2月20日(水)から4月8日(月)まで。
入選作品の展示会は2019年8月10日(土)から8月23日(金)まで開催されるので、私も新しい作品を見るのを楽しみにしています。応募の詳細は山種美術館ホームページ(上記)をご覧ください。

2 山下裕二氏(山種美術館顧問、明治学院大学教授)の見どころ解説

前日(9月18日)にヨーロッパの旅から帰国されたばかりの山下さんは、スイス・チューリッヒで長澤蘆雪の講演を行い、パリでは伊藤若冲展を見てこられたとのこと。

(「長澤蘆雪-18世紀日本のアバンギャルド」展はチューリッヒ州リートベルク美術館で9月6日から11月4日まで、「若冲-〈動植綵絵〉を中心に」展はパリ市立プティ・パレ美術館で9月15日から10月14日まで開催されています。)

「現地の人たちが日本絵画をどう見るのか見てみたかった。」と山下さん。
「今展覧会の後期に展示される速水御舟《名樹散椿》は昭和5年(1930年)のローマ日本美術展で展示された作品。山種美術館所蔵作品も、今後、欧米でどう評価されるか興味深いところです。」

ローマ日本美術展はホテルオークラの創始者・大倉喜七郎男爵が企画・実行した展覧会で、横山大観《夜桜》(大倉集古館)はじめ当時の近代日本画家の代表作が展示され大成功をおさめました。

《名樹散椿》は後期(10/16-11/11)に展示されます。お楽しみに。

第1章 日本美術院のはじまり

はじめに木挽町狩野派の流れを汲む狩野芳崖の《芙蓉白鷺》と橋本雅邦《不老門・長生殿》。

左が狩野芳崖《芙蓉白鷺》、右の二幅が橋本雅邦《不老門・長生殿》

「《芙蓉白鷺》が描かれたのは明治5年頃。岩の描写など見るからに狩野派的スタイルを踏襲した作品。一方の《不老門・長生殿》が描かれたのは明治40年(1907年)。古典的狩野派をベースに遠近法などをとり入れた作品です。」

芳崖も雅邦も、フェノロサや岡倉天心とともに、大観や春草が学んだ東京美術学校(現 東京藝術大学)の設立に尽力しました(設立は明治20年(1887年)10月、開校は明治22年(1889年)2月)。
雅邦は東京美術学校で大観、春草、下村観山らを指導しましたが、芳崖は開校前年に名作《悲母観音》(東京藝術大学)を残し、惜しくも亡くなりました。

続いて明治31年(1898年)、岡倉天心の日本美術院設立に参加した大観、観山、春草の作品が並びます。


横山大観《燕山の巻》(部分)
(会期中巻替あり)

左から下村観山《不動明王》《朧月》

左から菱田春草《初夏(牧童)》《森の夕》《雨後》《月下牧童》


「大観は《燕山の巻》では、建物が描かれた場面で意識的に遠近法をとり入れています。」

「観山の不動明王は、信貴山縁起絵巻の『剣の護法童子』を意識しているのですが、この不動明王のマッチョぶりはまるでギリシャ彫刻のよう(笑)。観山はヨーロッパに行って西洋絵画の影響を受けたのでしょうか。落款も金泥で「Kanzan」とローマ字で書いています。」

「春草《雨後》は、岡倉天心の『日本画で空気と光を表現する』という命題を受けて描いた朦朧体の作品。大観や春草の作品は日本では不評でしたが、アメリカでは好評で、よく売れました。」

明治37年(1904年)天心は大観、春草らを伴って渡米、ニューヨークで開催された「大観・春草展」などで朦朧体作品はよく売れましたが、日本美術院の経営は行き詰まり、天心は明治39年(1906年)、研究所を北茨城・五浦に移転しました。
大観、春草、観山、そして次章で出てくる木村武山は、岡倉天心と行動をともにした「五浦組」です。

第2章 再興された日本美術院

大正2年(1913年)の天心の逝去を機に、大観らは翌大正3年(1914年)に日本美術院を再興しました。
第2章では、大観、武山、さらに彼らの次の世代の今村紫紅、小林古径、速水御舟、安田靫彦らの作品が展示されています。

右から横山大観《喜撰山》《蓬莱山》
右から木村武山《秋色》、今村紫紅《大原の奥》《早春》、安田靫彦《観世音菩薩像》
今村紫紅は、大正期には「新南画」と呼ばれたる作品を多く描きました。上の写真の《早春》もそのひとつ。
近代日本画は今のままでは行き詰ってしまうという危機感から、紫紅を兄のように慕っていた速水御舟に「私が日本画を破壊するから君たちが建築してくれ。」と言った今村紫紅の新境地の作品です。

そして今回の展覧会の一押しのひとつが小林古径《清姫》8点の一挙公開。

小林古径《清姫》
右から(旅立)(寝所)(熊野)(清姫)(川岸)

小林古径《清姫》
右から(日高川)(鐘巻)(入相桜)

「古径は『清姫伝説』の象徴的な場面をポップに描いています。」と山下さん。

《清姫》は、長らく古径の手元にありましたが、「(山種美術館初代館長・山﨑種二氏が)美術館をつくられるならば」ということで古径が購入を認めた記念すべき作品。もともと巻物を想定して描かれましたが、最終的には額装のかたちで残されたとのことです。

古径の作品は第一会場入ってすぐにも展示されています。

小林古径《猫》

「猫の直立不動の姿勢は、古代エジプトの彫刻の猫の姿勢に影響を受けています。」

続いて速水御舟のコーナーに移ります。

10月14日まで撮影可の作品が《昆虫二題》。
(10月16日以降も展示されますが、撮影はできなくなります。)

「《昆虫二題》は、御舟の代表作《炎舞》(重要文化財 山種美術館)の直後に描かれた作品です。」

速水御舟《昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯》

右から速水御舟《山科秋》《柿》《春昼》
《牡丹花(墨牡丹)》《和蘭陀菊図》
このうち《山科秋》と《春昼》は前期(10/14まで)の展示です。

はじめに《柿》から。
「御舟は大正10年前後には、徹底的な細密描写にこだわりました。そこには、日本画でも質感のある描写ができるのだ、という油絵に対する対抗意識があったのです。」
「また、中国絵画の小画面の作品の影響も受けていました。落款の表現は北宋の徽宗皇帝を意識しています。」
速水御舟《柿》

続いて《春昼》。
「その後、御舟はリアルな質感描写から幻想的な風景描写に移っていきます。家の中の暗闇に見えるはしごは何を暗示しているのでしょうか。」

写真ではよくわかりませんが、その場で絵をご覧になっていただくと家の中にはしごが立てかけられているのがわかります。

速水御舟《春昼》

さらに《牡丹花(墨牡丹)》
「花を墨、葉を彩色で描くという実験的な作品です。」

速水御舟《牡丹花(墨牡丹)》
そして後期展示(10/16-11/11)の《名樹散椿》。
「構図は京都・養源院の俵屋宗達《金地着色松図》(重要文化財)の影響がうかがえますが、鈴木其一《椿図屏風》(フリーア美術館)の影響も見られます。背景は金箔でなく、金砂子を敷き詰める撒きつぶしです。」


こちらは《名樹散椿》をデザインした大判ハンカチ(1,500円+税)です。


第3章 戦後の日本美術院

戦後から現代までの作家の作品が展示されている第3章。

左から安田靫彦《出陣の舞》《平泉の義経》、
奥村土牛《城》酒井三良《夜漁》


ディテールや人物画にまでたらしこみを使っている「たらしこみマニア(笑)」(山下さん)の前田青邨《大物浦》《腑分》も展示されています。

「第二会場には水墨を基調とした画面を追求した田渕俊夫《輪中の村》が展示されています。」

田渕俊夫《輪中の村》

「日本美術院の軌跡をふりかえりながら、近代日本画の歴史をたどる展覧会です。どうぞお楽しみください。」(拍手)

3 山種美術館特別研究員 三戸さんのギャラリートーク

「大正3年(1914年)に日本美術院が再興されて、途中戦争による中断がありましたが、今年は再興第103回院展が開催されています。院展の歴史は近代日本画の歴史をたどるのに等しいといえます。」と三戸さん。

最初にご案内いただいたのは小林古径《猫》。


第1会場展示風景(左が小林古径《猫》)

「この作品には近代日本画の特徴がいくつか表されています。」
「一つには色づかい。猫の黄色に対して花は紫。効果的な反対色を使っています。こういった色相学の考え方は明治以前にはなかったものです。」
「もう一つは、以前は絹地に描かれるのが一般的でしたが、この作品は紙に描かれていることです。」
「そしてもう一つが掛軸でなく額装になっていること。これは戦後の生活様式の変化で、住宅に洋間が増えてきたことが影響しています。」

「一方で古い伝統も残されています。」
「一つは猫が線描でかたちづくられていること。そして猫のそばには花。愛玩動物と花の組合せは中国・宋代の院体画の伝統です。」
「古径は、古典に根ざしながら新しいフォーマットで描きました。これはまさに院展スタイルといってもよいでしょう。」

続いて明治維新後に没落した狩野派の中でも中心的存在だった木挽町狩野派の二人。

「狩野芳崖《芙蓉白鷺》は紙に描かれていますが、これは雪舟以来の室町水墨画をイメージしています。」
「橋本雅邦《不老門・長生殿》は、中国の楼閣山水図がベースですが、ここにはフェノロサの影響が見られ、明暗と色の濃淡で空間や光を表現しています。楼閣も、人間が実際に見たままのように自然な形で描かれています。」
「ここにも『古典的だけれども新しい』という特徴が見られます。」


左が狩野芳崖《芙蓉白鷺》、右の二幅が橋本雅邦《不老門・長生殿》
「同じく明暗と色の濃淡で空間や光を表現した菱田春草の《雨後》。」
『朦朧体』と揶揄された表現は、南宋の院体画にさかのぼることができるとの指摘もあるとのことです。

菱田春草《雨後》
「五浦時代の大観らは文展(明治40年(1907年)創設の文部省美術展覧会)に作品を出展していました。」
「雪舟の《山水長巻》を思わせる横山大観《燕山の巻》は、古典的な水墨山水に挑戦しながらも、自分が実際に見たままに描いています。」

横山大観《燕山の巻》
「横山大観《喜撰山》は、よく見ると縦横の線が見えませんでしょうか。」と三戸さん。
これは金箔を紙の裏から貼ったつなぎめの「箔足」です。
「大観はこの作品で、絹でなく紙に金箔を貼りました。喜撰山は京都の宇治にある山。大観は京都特有の赤土を表現するために金箔を使ったのです。」
「金色の輝きでなく、色を出すために金箔を使った大観。ここに明治から大正にかけた時期の大観の革新的な面が見られます。」

横山大観《喜撰山》
次に大観の次の世代の今村紫紅と小林古径。

「俵屋宗達が好きだった今村紫紅は、当初、歴史画を描いていましたが、大正期に入ると印象派や後期印象派の影響を受け、『新南画』とよばれた風景画を描くようになりました。」

今村紫紅《早春》
歴史画、人物画で知られた小林古径はセザンヌが好きで、一時は西洋画に傾倒しましたが、大正10年(1921年)に前田青邨とヨーロッパに行ったとき、大英博物館で顧愷之《女史箴図》を見て、「やっぱり東洋はすごい」と思い日本画に回帰したとのエピソードもご紹介いただきました。
「《清姫》は古径の人物画の代表作。いくつもある清姫伝説から自分のイメージで描いたもの。日高川は室町時代の絵巻にあった場面、また、最後には能や歌舞伎で知られた入相桜を描いています。」

小林古径《清姫》のうち(日高川)
小林古径《清姫》のうち(入相桜)

第3章では、戦前から戦後も引き続き活躍した大観、古径の作品も展示されています。

右から横山大観《不二霊峯》、小林古径《菖蒲》

そして大観逝去後、昭和33年(1958年)に日本美術院が財団法人してからの歴代理事長(初代 安田靫彦、第二代 奥村土牛、第三代 小倉遊亀、第四代 平山郁夫、第五代 松尾敏男、第六代 田渕俊夫(現理事長)の作品も一堂に会しています。

「ぜひこの機会に日本美術院の名品の数々をお楽しみください。」(拍手)。

さて、「[企画展]日本美術院創立120年記念 日本画の挑戦者たち-大観・春草・古径・御舟-」はいかがだったでしょうか。
明治から現代まで日本画の歴史をたどることができる、とても素晴らしい展覧会です。
ギャラリートークも開催されます。日程の合う方はぜひご参加いただければと思います。ギャラリートークの日程は山種美術館ホームページでご確認ください。
会期は11月11日(日)までですが、前期は10月14日(日)までなのでお見逃しなく!


(追記)
「いまトピ~すごい好奇心のサイト」でyamasanのペンネームで近代日本画のコラム書いています。ぜひこちらもご参照いただだければと思います。

近代日本画三部作

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2018年9月18日火曜日

泉屋博古館分館「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈-」ブロガー内覧会

今年は明治150年、そして横山大観の生誕150年。
東京六本木の泉屋博古館分館では、近代日本画イヤーのフィナーレを飾るのにふさわしい展覧会が開催されています。

その名も特別展「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈」。


狩野芳崖といえば橋本雅邦と並んで明治前半の近代日本画界のスーパースター。そして四天王といえば狩野芳崖の四人の弟子のこと。さらに、事前には《悲母観音》はじめ狩野芳崖の傑作の出展がアナウンスされていたので、芳崖の作品がいっぱい見ることができていいな、と勝手に想像していたのですが、芳崖だけではありませんでした。
展示室内に入ってビックリ。
橋本雅邦も、横山大観も、菱田春草もいたのです!


そこで、さっそく9月15日(土)の開会に先がけて開催されたブロガー内覧会に参加した時の様子をレポートしたいと思います。

※掲載した写真は美術館より特別に許可をいただいて掲載したものです。

第1会場では、いきなり狩野芳崖と橋本雅邦、二人のスーパースターの競演が始まっていました。
これが「第1章 狩野芳崖と狩野派の画家たち-雅邦、立嶽、友信」。

右から、狩野芳崖《柳下放牛図》(福井県立美術館)《岩石》(東京藝術大学)、
橋本雅邦《秋景山水図》(愛知県美術館)

右から、橋本雅邦《出山釈迦図》(泉屋博古館分館)、狩野芳崖《伏龍羅漢図》(福井県立美術館)、
橋本雅邦《維摩居士》(茨城県近代美術館)

続いて第1会場の後半からロビー展示、第2会場の前半までが「第2章 芳崖四天王-芳崖芸術を受け継ぐ者」。ここで芳崖四天王、岡倉秋水、高屋肖哲、岡不崩、本多天城が出てきます。

ここは岡倉秋水のコーナー
右から《慈母観音図》(福井県立美術館)、《不動明王》(個人蔵)、
《龍頭観音図、雨神之図、風神之図》(個人蔵)

そして第2会場後半には、芳崖四天王と同じく東京美術学校(現 東京藝術大学)で学んだ菱田春草、横山大観はじめ朦朧体に挑んだ明治後半のスーパースターたちの作品が展示されています。
こちらが「第3章 芳崖四天王の同窓生たち-「朦朧体の四天王」による革新画風-」。

菱田春草《四季山水》(富山県水墨美術館)


右から、西郷弧月《深山の夕》(長野県信濃美術館)、菱田春草《温麗・躑躅双鳩》(福井県立美術館)
横山大観《夕立》(茨城県近代美術館)、横山大観《杜鵑》、菱田春草《海辺朝陽》(以上、福井県立美術館)


内覧会では、はじめに野地分館長からごあいさつがありました。

「今年は明治150年ということで、今回の展覧会では近代における日本絵画を掘り下げてみました。」
「展覧会のタイトルは『狩野芳崖と四天王』。3つの四天王の作品を比べてご覧になってください。」

3つの四天王? 
はて何だろうと思いつつ野地分館長のギャラリートークへ。

第1章は明治初期の四天王。
江戸時代に隆盛を誇った狩野派の中でも本流の木挽町狩野派の流れを汲む狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽、狩野友信(狩野友信の作品は後半に展示されます)の作品が並びます。


最初の作品は狩野芳崖《壽老人》(泉屋博古館分館)。(上の写真の一番右の作品)

「室町水墨画を発展させた狩野派らしく強い線で輪郭を描いた漢画系の作品で、画題も吉祥系です。」と野地分館長。

続いて木村立嶽の2点。
「《韓信張良物語之図》(富山市郷土博物館)(上の写真右から2、3番目の双幅の掛軸)は水平線が描かれず、遠近法も入っていません。おそらくフェノロサに会う前の作品でしょう。一方、《楼閣山水図》(個人蔵)(上の写真右から4番目)は明治20年頃、フェノロサに出会ったあとの作品です。水平線、地平線もはっきりと描かれていて、遠近法も取り入れています。」


続いて、芳崖と雅邦のライオン対決。
下の写真中央が橋本雅邦《神仙愛獅図》(川越市立美術館)、左が狩野芳崖《獅子図》(東京国立近代美術館)。


「雅邦も芳崖も空想上の動物の獅子でなく、ライオンを描いています。明治19年にはイタリアのサーカス団がライオンを連れてきたという記録があるので、二人とも実際にライオンを見たのでしょう。」
「雅邦の《神仙愛獅図》に描かれている人物の由来はわかっていませんが、フェノロサがモデルではないかと考えれられています。狩野派は粉本をもとに描いていましたが、それではリアリティがないので身近な人物のモデルにしたのではないでしょうか。」

芳崖と雅邦の競演はまだまだ続きます。
先ほども出てきましたが、右から狩野芳崖《柳下放牛図》と《岩石》、橋本雅邦《秋景山水図》です。


「芳崖の《柳下放牛図》はZ型の構図をとり、右下の牛に視点が行くように描かれています。これは構図で遠近法をとり、モティーフを見せる工夫をしています。この作品はフェノロサが高く評価し、自分で購入してボストン美術館に所蔵されましたが、その後日本に戻ってきて、今では福井県立美術館が所蔵しています。右上の稜線は牛の形をしています。」

「芳崖の《岩石》は後ろから光が差していて、線でなく濃淡で遠近感を出しています。当時は岩石を描くというのは珍しく、また、弟子のスケッチをもとに描いたというのも珍しいことでした。」

「雅邦の《秋景山水図》は、雪舟の《山水長巻》をもとに描いた作品ですが、遠近法がとられています。雪舟や雪村の水墨画を再構築して、西洋絵画の空間に入れたと言ってもいいでしょう。この作品もフェノロサが購入してボストン美術館に所蔵されましたが、その後日本に戻ってきました。」

さらに道釈人物画の競演が続きます。
この写真も先ほど出てきましたが、右から狩野芳崖《出山釈迦図》、《伏龍羅漢図》、橋本雅邦《維摩居士》です。


「これらの作品は、明治20年ころからフェノロサが進めた、線、色彩、面で表現する手法を取り入れたものです。」
「中央の羅漢さんの肩に注目してください。肩をいからせて、不自然な姿勢をとっていますが、これは肉体感をカリカルチャライズしたもので、絵の面白みが出ています。」
「このころはフェノロサがもってきた発色のよい西洋絵画の顔料が使われてきている時期です。」
「龍の顔は、実際に見て描くことはできないので(笑)、食べ物を咀嚼している牛の顔を転用しています。」
「奥かららせん状に渦巻く空間に注目です。これはサーキュラー・スペーシングといって、人物が奥から飛び出してくるように見える効果があります。」

そして、第1章の締めくくり。
右から、橋本雅邦の《西行法師図》(東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館)と《清谿雲霧図》(個人蔵)、木村立嶽《月夜山水図》。


「《西行法師図》は、当時の一高(戦後、東京大学教養学部に統合)の教材として橋本雅邦が文武両道のお手本・西行を描いたもので、西行はフェノロサがモデルではないかと考えられています。」
「左上の夕陽と右の紅葉には金箔、金粉が使われていて、横から見ると輝いて見えます。」
「《清谿雲霧図》は、西洋絵画の影響を受けて、より西洋の風景画に近くなってきました。形も横長になっています。」

次に「第2章、芳崖四天王ー芳崖芸術を受け継ぐもの」です。

はじめに岡倉天心の甥・岡倉秋水。
こちらの写真も先ほど紹介しましたが、一番右が師・芳崖の絶筆《悲母観音》を模写した《慈母観音図》。続いて火焔の表現を鎌倉時代の絵巻からとった《不動明王》、左の三幅対は《龍頭観音図、雨神之図、風神之図》。
「雷神でなく雨神であるところがユニークです。」と野地分館長。


芳崖と弟子たちは、妙義山に2回写生旅行に出かけています。
その時に描かれた高屋肖哲のスケッチも第1会場入ってすぐの左のガラスケースに展示されています。



高屋肖哲《妙義山地取図》(金沢美術工芸大学)


「写生(地取)を通じて芳崖の弟子たちは、リアリティのあるものをいかに狩野派の手法で描くかという試みを行っていました。」

芳崖四天王は東京美術学校に第一期生として入学しましたが、すでに絵の修業を積んでいて、他の生徒たちとの実力差が大きく、岡倉秋水や岡不崩はすぐに教師役を務めることになりました。

「後半生は本草学にのめり込んだ」という岡不崩の《群蝶図》(右)、《秋芳》(左)(いずれも個人蔵)。


ロビー展示に移ります。
野地分館長の「一押し」が高屋肖哲《千児観音図 下絵》(下の写真中央)。
「高屋肖哲は、この《千児観音図》の本画が「鉄線のように描く」と評されたほどの名手中の名手。本画は所在不明ですが、ぜひ見てみたいです。」
下の写真右と左はいずれも高屋肖哲《観音菩薩図 下絵》。3点とも金沢美術工芸大学所蔵。


第2会場に移って、六曲一双の屏風は、高屋肖哲《武帝達磨謁見図》(東京・浅草寺)。
梁の武帝に招かれて謁見した達磨が、『仏教を知っているか』と武帝に聞かれ、『そんなことは知らない。』と答える場面。
達磨の後ろの衝立の画中画の波の表現は、インドから海を渡ってやってきて、問答後に芦の葉に乗って揚子江を渡ることを暗示しています。
「左から二人目の青い服の人物に注目です。この人の顔だけがリアルに描かれていますが、これは高屋肖哲本人ではないでしょうか。高屋肖哲本人を正面から撮影した写真が残っていないので確認ができないのですが。」
(波涛図衝立と、左から二人目の青い服の人物は下の写真ではよく見えないので、ぜひその場でご覧になってください。)



高屋肖哲は、師・芳崖の絶筆《悲母観音図》をほぼ原寸大で模写していて、それが第1会場に展示されています。また、高野山・三宝院の襖絵を手がけていて、第2会場入り口にそのパネルが展示されています。

そして芳崖四天王の4人目が本多天城。
「今回の展覧会を開催するきっかけとなった作品です。」と野地分館長がお話される本多天城《山水》(川越市立美術館)(下の写真右)。


「後期に展示される橋本雅邦《月夜山水》(東京藝術大学) に構図が似ています。画題は古いのですが、油彩画のように空間が広がり、本多天城の筆力を感じさせる作品です。」

そして最後が「朦朧体四天王」。
東京美術学校、日本美術院で橋本雅邦、岡倉天心のもと、革新的な画風をめざした横山大観、菱田春草、下村観山、西郷孤月(のち木村武山に代わる)ら、「朦朧体四天王」と揶揄された画家たちの作品が展示されています。

第2会場の展示風景。

冒頭で紹介できなかった作品です。
右から菱田春草《春色》(豊田市美術館)、下村観山《菊瀧》(個人蔵)、木村武山《祇王祇女》(永青文庫)、木村武山《阿弥陀来迎図》(福井県立美術館)。



「明治30年代には線をなくし、空や雨、朝日といった朦朧とした空間を描いた春草や大観たちですが、明治40年代には酒井抱一、鈴木其一らの江戸琳派を再発見して、線を墨だけでなく、色で線を描くようになりました。」
「このように日本画の型を破ろうとした朦朧体四天王と、型を破ろうとしなかった芳崖四天王は、明治末期には画風が似てくるようになりました。」
「そういった周回遅れの人たちと先に走っていた人たちが似てくるという近代日本画の面白さを実感していただければと思います。」(拍手)

さて、特別展「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈-」はいかがだったでしょうか。
野地分館長のお話は、とても楽しく、とても参考になりました。これからもギャラリートークが開催されますので、日程の合う方はぜひご参加してはいかがでしょうか。

また、狩野芳崖の名作《悲母観音》《不動明王》(いずれも重要文化財 東京藝術大学)、《仁王捉鬼図》(東京国立近代美術館)は10月10日からの展示になりますが、前期も見応え十分。展示替えも多いので、ぜひ前期後期ともご覧になっていただければと思います。もちろん私も後期展示も見に行きます。


開催概要
会 場 泉屋博古館分館(六本木) 
会 期 前期 9月15日(土)~10月8日(月・祝)
    後期 10月10日(水)~10月28日(日)
会期中のイベント(いずれも要入館料・予約不要)
 ゲスト・ギャラリートーク  9月22日(土)15:00~
  ゲスト 椎野晃史さん(福井県立美術館学芸員)
 夕やけ館長のギャラリートーク 9月29日(土)、10月13日(土)、20日(土) 15:30~
  ナビゲーター 野地耕一郎泉屋博古館分館長
 ロビー・コンサート 10月6日(土)17:00~18:00
  「バッハ無伴奏チェロ組曲、ほか」
  当日10時より入場券持参の方1名につき1枚、座席指定付き整理券を配布。
  奏者:茂木新緑さん(N響団友、チェリスト)

展覧会公式サイトはこちらです→https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/


「いまトピ~すごい好奇心のサイト」でもyamasanのペンネームで近代日本画のコラム書いています。ぜひこちらもご参照いただだければと思います。

近代日本画三部作

近代日本画の世界へようこそ

日本美術の聖地・五浦へ

初夏のヨコハマ、おススメ散策&美術展ガイド~近代日本画の足跡を訪ねて五浦から横浜へ~