2018年1月29日月曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞」展

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞」展に行ってきました。
先日開催されたブロガー内覧会に続いて2回目でした。
内覧会のトークショーやギャラリートークを思い出しつつ、とても詳しく丁寧な作品解説パネルを読みながら、一つ一つの作品をあらためてじっくり味わうことができました。

美術館入口の撮影スポットでパチリ

国貞作品は前後期ですべて入れ替わります。
会期は3月25日(日)までですが、両方見るなら前期展が終わる2月25日(日)までに一度行っておく必要があるので要注意です。
江戸の街にタイムスリップできるとても素敵な展覧会です。おすすめです。

展覧会の詳細は美術館の公式サイトをご覧ください。

http://www.seikado.or.jp/

それでは、展覧会の様子は先日参加したブロガー内覧会の進行に沿ってご紹介したいと思います。
※掲載した写真は美術館の特別の許可をいただいて撮影したものです。なお、掲載した作品はすべて静嘉堂文庫美術館蔵で、歌川広重との合作以外は歌川国貞(三代歌川豊国)作です。

はじめに楽しいトークショーがありました。
ゲストは太田記念美術館の主席学芸員で、浮世絵や出版文化がご専門の日野原健司さん、出演は、静嘉堂文庫の20万冊もの蔵書をひとりでカバーする「スーパー司書」静嘉堂文庫主任司書の成澤麻子さん、そしてナビゲーターは「美術関係の草分け的ブロガー」Takさんです。

Takさん   国貞というと、みなさんどういう浮世絵を思い浮べますでしょうか。
       日野原さん、国貞は何を得意としていた絵師だったのでしょうか。
日野原さん  今日の私の役割は、国貞が江戸後期いかに大人気だったか、みなさんに記
      憶していただくことだと思っています。       
       当時の人気ナンバーワンは北斎でも国芳でもなく国貞でした。
       作品数も多く、数えきれないほどで、最低でも1万、あるいは2~3万点も
      の作品があるのでは、と言われています。
       今回の展覧会で展示されいてる作品は、国貞作品のほんの一部です。
       また、活動期間も長く、ヒットを飛ばしてから亡くなるまで50年以上も第
      一線で活躍していました。広重や国芳は35年くらいだったのと比べると、と
      ても長かったのです。
       国貞が得意だったのは美人画と役者絵。これは浮世絵の王道中の王道で、
      これらを一手に引き受けていました。
Takさん   今回の展覧会ではどのようなジャンルの作品が展示されていますか。
成澤さん   多いのは女性の錦絵と役者絵です。当館では約4000点の国貞作品を所蔵し
      ていますが、所蔵作品でも女性の錦絵が多いです。
日野原さん  美人画では特に女性たちの着物を見ていただきたい。着物は季節や着る人
      の身分、年齢によって違うのですが、髪型を含めて、それを丁寧に描き分け
      ています。
成澤さん   静嘉堂では、作品をひとつずつ保存するのでなく、一枚一枚を貼りこんだ
      画帖仕立てになっていて、広げるととても長くなります。
       これはおそらく、岩崎家の女性たちが当時のファッションに興味をもって
      集めたものを、見やすくするためバラバラにならないようにしたのではと考
      えられています。
       展示がしづらいので、何度はがそうと思ったことか(笑)。
       前期後期ですべて展示替えをするのですが、展覧会の構成上、後期展示す
      るものは白い紙で隠してあるのでご了承ください。
日野原さん  当時は光に弱い絵の具を使っていたので、すぐに退色してしまうのです
      が、画帖仕立てにしていたおかげで、当時の色が鮮やかに残っているのでし
      ょう。紫や淡いピンク色といった残りにくい色が残っています。
       国貞は遊女だけでなく普通の女性、暮らしのワンシーンを描いています。
      江戸の女性の着物やくらしを知るには国貞ですね。
成澤さん   今回の展覧会のミニブックは『江戸の女性』と『江戸の役者』の2冊に分け
      ました。歌麿はキレイな女性を描きましたが、国貞はそれこそ隣のおばちゃ
      ん、あそこのお姉さん、長屋のおかみさんといった身近な女性たちを描いて
      いました。

ミニブック 各350円(税込)

今回の展覧会のサブタイトルは「錦絵に見る江戸の粋な仲間たち」です。
       芸術というのを脇において、江戸の町に遊びに行って市井の人たちに会い
      に行く気分でご覧になっていただければと思います。
Takさん   今回の展覧会でこれはという作品は。
日野原さん  《今風化粧鏡》です。鏡に向かって化粧をしている女性を描いているの
      で、画面が丸くなっています。会場には江戸時代の鏡を置いているので、
      見比べることができますね。


《今風化粧鏡》

成澤さん   ポーラ文化研究所から江戸時代の化粧道具をお借りして展示しています。
      化粧台の引き出しが手前でなく横についていますが、手前だと引き出しをあ
      けたときに鏡から離れてしまいます。女性はお化粧をするとき自然と顔を鏡
      に近づけるので、引き出しは横についています。なるほど女性の考えること
      は江戸時代も今も変わらないのだなと思いました。
日野原さん  《今風化粧鏡》は6点揃っています。眉毛を書いたり、お歯黒を塗ったり
      年齢や身分による化粧の仕方の違いがよく描かれています。
成澤さん   化粧はきれいに見せるものですが、お化粧に失敗している絵もあります。
      歯だけを黒く染めるのは難しかったと思います。国貞はリアルな等身大の女
      の人たちの姿を描いていました。
Takさん   作品番号44の《蚊やき》というのはおもしろい題ですね。

左から《星の霜当世風俗(外出)(蚊やき)(水くみ)》

日野原さん  蚊帳の中に入ってきた蚊を焼く場面です。季節感があります。
成澤さん   それぞれの絵が何をしている場面か、一点一点解説を見ていただくとよく
      わかります。この絵では、炎の上に巨大な蚊が描かれています。
日野原さん  この作品でもう一つ見ていただきたいのは、蚊帳の彫りです。細かいとこ
      ろまで手を抜いていません。
成澤さん   錦絵は、絵師、彫り師、摺り師の見事な技量で出来上がっています。女性
      の髪の生えぎわ、細い鼻、きれいな目、多色摺りの木版で細かく表現してい
      ます。
Takさん   今回の展覧会の見るべきポイントは。
日野原さん  ここでしか見られない肉筆画ですね。

右から《芝居町 新吉原 風俗絵鑑(幕間)(車引き)(舞台裏)(浅間ヶ嶽)》

これは歌舞伎の場面で、一人ひとりの表情が生き生きと描かれいています。
      上から役者を見ている女性、下では食事している人、舞台の裏には舞台が見
      えなくて不満そうな人。舞台裏も見せています。楽器を演奏している人、自
      分の出番を前に準備をしている人。
       成澤さん、国貞の肉筆画はあまりないですか。
成澤さん   他には扇子でしょうか。
日野原さん  この作品は特殊な絵の具で緻密に描いているので、身分の高い人の特注品
      でしょう。
       国貞は、私たちが江戸の世界に一番入っていける作品を描いた人。
      今回の展覧会をきっかけに一人でも多くの人に知っていただきたいです。
      (拍手)

続いて展示室内で成澤さんのギャラリートーク。

成澤さん「錦絵は今でいうところの写真や広告、タレントのプロマイド。芸術作品ということは頭から離していただいて、近所のお姉さんたちに会い行きましょう。」

入口には錦絵の制作過程がわかる《今様見立士農工商》。
右の《職人》は、摺師と彫師に見立てた女性たちがそれぞれの作業をしたり、休息をとっているところを、左の《商人》は、版元の店先の様子を描いている。《商人》には店先に新刊の宣伝ポスターが下がっているのが見えます。

右が《今様見立士農工商 職人》左が《同 商人》

続いてトークショーでも話題になった、鏡枠の中にお化粧をしている女性を描いた《今風化粧鏡》シリーズ。
一番左の(鉄漿(かね)つけ)はお歯黒を塗っていて失敗した女性。口のまわりが黒くなっています。
「あっ、という声が聞こえてきそう。」と成澤さん。
「(房楊枝)は紅色の歯磨き粉で歯を磨いている女性、(眉毛抜き)は毛抜きで眉を整える遊女、(牡丹刷毛)はお化粧の仕上げをしている女性、この髪の毛の生えぎわやうねりの線、彫師の腕前をご覧になってください。(眉かくし)は今でいうと小学校高学年の女の子が手習い中に眉を隠して結婚したときの顔を思い描いているところ。(合わせ鏡)はもう一枚の鏡を合わせて後髪を確認しているところ。鏡の傍らには当時流行したブランド品のおしろいの包みが描かれています。この絵を見た人がこのおしろいを買いたくなるという広告にもなっています。」

左から《今風化粧鏡(鉄漿つけ)(房楊枝)(眉毛抜き)
(牡丹刷毛)(眉かくし)(合わせ鏡)》
「《江戸自慢》のシリーズは、初夏から秋にかけての江戸の風物詩を描いたもので、《江戸自慢 五百羅漢施餓鬼》の蚊帳の網目が見事です。こういった技をもった彫師や摺師に思いをはせていただきたいです。」

右から《江戸自慢 両国夕涼》《同 駒込富士参り》
《同 洲崎廿六夜》《同 五百羅漢施餓鬼》

「次は《星の霜当世風俗》のシリーズです。(行燈)の女性が行燈に入れた手の影や柔らかく体に沿っている着物の表現が見事です。画面右側の屏風には男性の着物がかかっていて、お盆の上の茶碗も2つあって、男性の存在がうかがえます。」
「このように細かいところまで描き込まれているので、すみからすみまでご覧になっていただくと、当時の江戸の様子がわかります。またとびぬけてきれいな人でなく、普通の女性を描いているのも国貞の特徴です。」

右から《星の霜当世風俗(行燈)(待合)》《江戸八景ノ内 上野》

「ここからは3枚つづりの作品が並びます。《蘭船 舶来鳥、ギヤマン燈籠》の船、オウム、ランタンはつくりものの見世物です。錦絵は今でいえばテレビ。最先端のものを描いて当時の人たちに見せたのです。前にいる女性たちが着ている服も当時の流行の最先端。後ろの異国のものも女性のファッションも楽しめるようになっています。」

手前から歌川国貞《蘭船 舶来鳥 ギヤマン燈籠》《娼家内証花見図》

「《歳暮乃深雪》は、冬の身支度をした女性二人と、前垂れを頭からかぶり、大徳利と提灯を手に持って酒を買いに急ぐ女性が行き合う場面。冬の夕暮れの一瞬を切り取った素晴らしい作品です。左の女性の持つ提灯には、この作品の版元の「河長」という文字が入っていて、さりげなく出版社の宣伝をしています。」
「今回の展示では、作品の解説パネルに版元の名前も入れたので、ぜひご覧になっていただきたいです。」
左が歌川国貞《歳暮乃深雪》右が《四季遊ノ内春 佃島白魚網ノ図》

「《誂織当世島(金花糖)》の女性が持っている皿に乗っているものは、金魚の形をした金花糖という砂糖菓子。当時は高価だった砂糖もこの頃には庶民の元にもやってきた証拠でしょう。」
「卯の花月は陰暦の四月。初もの好きだった江戸の人たちが特に好きだったのが初がつお。中央でかつおをさばくかつお売りに長屋のおかみさんたちがお皿を持って買いに来ている場面。初夏の庶民の長屋の明るい雰囲気が伝わってきます。こういった日常生活のワンシーンを見事に描くのが国貞の力量でしょう。」

右から《誂織当世島(金花糖)》《誂織当世島(くわえ楊枝)》
《嵯峨ノ開帳朝参りの図》《卯の花月》
《卯の花月》側から見たところ

こちらは役者絵のコーナー。
「こちらは、鼻高幸四郎といわれた五代目松本幸四郎。頭の前の部分は髪を一筋一筋彫り、後頭部のグレーの部分も細かく彫っています。服のグレーを出すために十版以上の板を使っていて、白い部分もかすかに凹凸の模様の入った透かし彫り。豪商からの依頼で作られたもので、とても高価な仕上がりになっています。」

手前が歌川国貞《仁木弾正左衛門直則 五代目松本幸四郎 秋野亭錦升 後 錦紅》
奥は《古今俳優似顔大全 松本家系譜》
「幕末のように世の中が安定していないときには、謀反人のような道からはずれた人をほめたたえる風潮がありました。」
「《豊国漫画図絵 袴垂保輔》は大盗賊を、《豊国漫画図絵 将軍太郎良門》は妖術を使う平将門の息子を描いたもので、《袴垂保輔》の毛皮の表現などがとても細かく描かれています。」

左のケースが《豊国漫画図絵 袴垂保輔》と《豊国漫画図絵 将軍太郎良門》

三代歌川豊国を名乗った国貞と歌川広重の合作もあります。
三代豊国が人物を描き、広重が背景を描いたとても豪華な競演。
「柳亭種彦『偐紫田舎源氏』は源氏物語のパロディーで、舞台を室町時代に移したもの。国貞のさし絵とともにものすごい人気で13年間もベストセラーを続けましたが、女性遍歴の多い主人公・光氏が、多くの側室をもった当時の十一代将軍徳川家斉を揶揄したものということで絶版になり、版木は没収されました。」
「しかし、その後も人気のあった光氏は独り歩きして描かれ続けました。それが『源氏絵』です。」

手前が《風流源氏夜の庭》奥が《見立源氏琴碁書画之内 彩色のいろくらべ》

そしてこちらは同じく三代豊国が人物を描き、広重が背景を描いた《双筆五十三次》のシリーズ。
富士山を眺めながらくつろぐ西行がいい味出してます。

手前から《双筆五十三次 吉原》《同 沼津》《同 大磯》《同 程かや》 

そして最後は、トークショーで紹介した肉筆画《芝居町 新吉原 風俗絵鑑》をじっくりご覧になってください。芝居小屋の賑やかな雰囲気が描かれています。それでも一番右の(浅間ヶ嶽)では、騒ぎすぎて係の人に注意されている人もいます。注目です。

さて、「歌川国貞展」はいかがだったでしょうか。
ぜひその場で江戸の雰囲気にひたってみてください。

後期も楽しみです。








  

2018年1月21日日曜日

損保ジャパン日本興亜美術館「クインテットⅣ-五つ星の作家たち」

損保ジャパン日本興亜美術館では「クインテットⅣ-五つ星の作家たち」が開催されています。
4回目を迎えた「クインテット」の今回のテーマは「具象と抽象の狭間」。
5人の中堅女性作家たちの個性が響きあうとても刺激的な展覧会です。



展覧会の詳細は公式サイトをご覧ください。

http://www.sjnk-museum.org/program/5165.html


それでは先日参加した内覧会に沿って展覧会の様子を紹介したいと思います。
(※「クインテットⅣ」の展示室内は撮影可能です。)

内覧会では、今回作品を出品された5人の中堅作家のみなさんからそれぞれお話をおうかがいすることができました。

最初の部屋は、船井美佐さん。

「この空間には線描と面で描く初期の作品から、『鏡』の作品、そして新作のドローイングまで今までの制作の流れに沿って作品が展示されています。こういった展示ははじめてのことです。」と船井さん。

初期の線描画。
日本画の伝統を守りながら、対象は動物だったり、植物だったり、人間の体だったり、体の中だったり、「見たこともない作品を描いた。」とのこと。


「これが線描時代の集大成。」と船井さん。
この作品は《womb-世界の内側と外側はどちらが内側で外側なのか》というミステリアスなタイトル。


この作品を見た人から、「これは楽園を描いているのですか。」と聞かれたという。
楽園は、誰もが行ったことがないのに、誰も知っている。それが不思議と思い、楽園を描くことを始めた船井さん。そこでできた作品が「鏡の作品」。


作品のタイトルは《Hole/桃源郷/境界/絵画/眼底》。
これは向こう側の理想の世界とこちら側の現実の世界を結ぶ「穴=hole」。
材料がアクリルミラーなので見ている人が入り込める不思議な感覚を覚える作品。
この作品は、船井さんが描いた原画を専門の工場で裁断したもの。線があまりに複雑なので工場では裁断するのをいやがられたと「現実」の苦労話もおうかがいしました。

この空間は「丸、三角、四角で構成されています。」と船井さん。
船井さんの後ろの作品はそのものずばり《まる、さんかく、しかく》ですが、四角はこの部屋そのものを指してませす。
だから、私たちはこの部屋に入った瞬間、作品の中に入り込む仕掛けになっています。

《まる、さんかく、しかく》と船井さん

あっ、うさぎが部屋から脱け出している!

展示会場入口

最近では2~3歳の子どもたちとのワークショップを開催しているという船井さん。
なぜかというと、生まれてまだ年数がたっていない2~3歳の子どもたちは生と死のはざまにいて、そこに原始的なパワーを感じるからとのこと。
そういったワークショップから生まれた作品。

《Strokes/猿》(左)、《Strokes/馬》(右)


次は室井公美子さんの部屋。



あの世とこの世の間のぼんやりとしたイメージを描いたという室井さんの作品は、大画面に絵の具を叩きつけるように描いたかのようなパワーを感じさせてくれます。

《Shadow》と室井さん


「描くときにはものすごいエネルギーが必要ではないですか。」とおうかがいしたところ、「絵を描く時は集中しますが、もともと絵を描くのが好きなので、自然とのめり込んでいます。」と室井さん。最初からはっきりとしたイメージをもつのでなく、絵の具をいじりながら体を使って考えていく、とのことです。

作品のタイトルは哲学的なもの、ギリシャ神話からとったものが多いです。

《Psyche(プシュケー)》(左)、《DoxaⅠ(ドクサⅠ)》(右)
こちらはあの世とこの世の門番《Gatekeeper(ゲートキーパー)》。


「見る人の心を揺さぶる作品を描きたい。」と室井さん。
作品の前に立つとその作品がもつパワーを感じます。

続いて竹中美幸さんの部屋。

最初見た時は素材が何だかわかりませんでしたが、竹中さんのお話を聴いてびっくり。なんとこれはかつて映画で使われた35mmのカラーフィルム。

「透明の素材は、それ自体に存在感がないからこそ見る者に気づきを与えてくれるのです。」と竹中さん。

竹中さんがモチーフにしてるのは光と闇。フィルムは純粋な光に反応するので、表現する素材に適しているとのこと。
「フィルムは暗室で感光させて現像します。」


上の写真の左3枚は《新たな物語》のシリーズで、そこに映し出されているのは取り壊される実家とともに捨てられるたんす、カーテン、電灯。
「物語を排除したところに新たな物語が立ち上がる気がします。」と竹中さん。
近くでよく見ると、たんすの木目やカーテンのレースの模様、電灯のあかりがよく見えます。

もう一つのブースに展示されているのは、東日本大震災をきっかけに、大きなものごとが起きる前の前兆を感じて表現したという作品。
小さい頃、たんすに囲まれた部屋の中にいて、たんすの木目が人の顔に見えたり、雲に見えたりした体験があるという竹中さん。
いろいろな色彩の水玉模様が浮かんでいるようなこれらの作品は、どう見えるかは、まさに見る人の想像力にゆだねられているのかもしれません。

作品の解説をする竹中さん
こちらは透明なアクリル板2枚を重ねた《何処でもないどこか》のシリーズ。
左が《巡る雫》、右が《境界に浮かぶ橋》。
どちらもアクリル板特有のみずみずしさが感じられます。





そして青木恵美子さんの部屋。
「見えるものの奥にある、見えない普遍的なものを描きたい。」と青木さん。

Epiphany(顕現)、Presence(現前)、Infinity(無限)の3つのシリーズから考えて制作しているという青木さんの最初のコーナーはEpiphany(顕現)。

画面の上から大半を占める部分が「理想」、そして下の部分が「現実」。これらが響きあって一つの作品を構成しています。
近くで見ると、赤や青がとても鮮やかです。遠くから見ても部屋全体に赤と青のリズムが感じられます。
「色彩は私にとって重要なテーマで、大切な要素です。」と青木さん。


次はPresence(現前)。線で時間や空間を区切り、その存在を引き出しています。


そして、最近の作品はInfinity(無限)。近寄って横から見ると、いくつもの花びらが盛り上がっているのがわかります。これはすべてパレットの上で絵筆で固めたアクリル絵具を画面に貼り付けたもの。
「画面から動きのあるものを出したいと思っていたら、筆跡が花びらに見えてきました。身体性をともなった絵画、遠近法でないイリュージョンを表現する新しい絵画を描きたいと考えています。」

「赤は動、青は静。どちらも一番身近にある色で、空間として響きあうので赤と青を対比させました。」

《Infinity》と青木さん


最後は田中みぎわさんの部屋。
田中さんが絵を描くようになった動機は、母の実家の熊本に里帰りした時の夕立の体験にありました。
「外で遊んでいると急に黒い雲が出てきて、大きな太鼓のような雷の音がして、雨が降ってきました。天にはもっと大きな存在があって、怒って嵐をおこしているのではないかと、とても怖かったのですが、同時に白いカーテンのような雨に美しさを感じました。もともと絵が好きだったので、こういった心にあふれてくるものを絵で表現したいと思いました。」

下の写真の正面は《神様の手のひら》。嵐の激しさが伝わってくるようです。


次はなぜモノトーンで描くのか。
石垣島に1年半住んでスケッチをしていた時のこと。
「東の空に出てきた太陽に照らされて真っ赤に燃えた雲を表現するのに、赤い絵の具で描こうとしましたが、限界を感じました。五感で感じた色は白黒の方が表現できるのことがわかったのです。」




作品の解説をする田中さん

そして田中さんが今こだわっているのが、絵を描く紙。
柔らかくてしなやか、長持ちのする島根県産の「石州半紙稀」。その漉きたての生紙(きがみ)は自然のしみ込み方をするそうです。
熊本の天草半島で満月の夜、一晩中外で月を写生していた時に月の音を聴いたという田中さん。「私は自然の一部であると感じています。」

下の写真は《波間の子守唄(4枚組)》のうちの1枚。
嵐を描いた作品とはうってかわって、月夜の静寂さを感じさせてくれる作品です。





いかがだったでしょうか。
冒頭でもふれたように、会場内には5人の作家たちの個性が響きあっています。
ぜひともその場でご覧になってください。
2月18日(日)までです。

2018年1月14日日曜日

山種美術館 企画展「生誕150年記念 横山大観 -東京画壇の精鋭ー」 

山種美術館では企画展「生誕150年記念 横山大観 -東京画壇の精鋭ー」が開催されています。

横山大観と言えば「富士山」というイメージが定着していますが、2013年に公開された映画「天心」を見てからは、ついつい映画に出てくる人間味あふれる大観を想像しながら作品を見るようになりました。
映画では大観を演じる中村獅童がいい味を出していました。
大観が描いている作品の横をずかずか通って菱田春草に作品を注文する画商をムッとした顔でにらみつけたり、第1回文展の祝賀会であたりを見渡して誰も見ていないことを確かめてから大きな徳利を手に取ってそのままお酒をおいしそうに飲んだり、こういった姿が思い浮かんでくるので、今回の展覧会も楽しく拝見できるのではと心待ちにしていました。

会期は2月25日(日)までです。横山大観《楚水の巻》と《燕山の巻》は1月30日より場面替えがあります。
※展覧会の様子や関連イベント情報は公式サイトをご覧ください。

  http://www.yamatane-museum.jp/


それでは先日参加した特別内覧会に沿って展覧会の様子を紹介したいと思います。

※掲載した写真は山種美術館の特別の許可を得て撮影したものです。また、本展覧会の作品はすべて山種美術館蔵です。

はじめに山種美術館の山﨑妙子館長から新年のご挨拶がありました。
「昨年は川合玉堂展や上村松園展、それに川端龍子展のような珍しい展覧会も開催し、おかげさまでどれも盛況でした。新しい山種ファンも増えたのでは。」と山﨑館長。

続いて広報担当の髙橋さんから展覧会の概要について説明がありました。

○ 今回の展覧会では初公開作品を含む当館所蔵の大観作品全41点を公開しています。

第1会場入口では横山大観《霊峰不二》(1937(昭和12)年)がお出迎え。


○ 当館創立者・山﨑種二氏と交流があった小林古径、安田靫彦、前田青邨、東山魁夷は
 じめ東京画壇を代表する画家たちの作品も同時に展示しています。
○ 今回撮影可の作品は《作右衛門の家》(作品番号06)です。(←記念写真をぜひ撮りまし
 ょう!)
○ 「Cafe椿」では横山大観の作品にちなんだ和菓子を提供しています。

中央が《雲の海》、右上から時計回りに《不二の山》《冬の花》《花のいろ》《葉かげ》
どれも美味です。


○ ショップでは、本展覧会の小冊子やオリジナルグッズを販売しています。


○ 次回の展覧会は3月10日(土)から始まる企画展「桜 さくら SAKURA 2018」。
  関連イベントとして、日本画家 千住博氏の講演会を4月1日(日)に開催します。タイ
 トルは「美術は語る」です。ご参加お待ちしています。

次に、明治学院大学教授で山種美術館顧問の山下裕二さんから展覧会の見どころをスライドでご紹介いただきました。

山下さんの大観との出会いは、1967(昭和42)年、国際観光年に発行された記念切手「霊峰飛鶴」。当時は大変な切手ブームで山下さんも「切手少年」だったとのこと。
「少年時代から、大観といえば富士、と頭の中に刷り込まれていました。」と山下さん。

第1章 日本画の開拓者として

~第1章には明治大正期の大観の作品が展示されています。~

「今回の展覧会の大きな目玉は、1910(明治43)年の作品《楚水の巻》と《燕山の巻》。これは大観の中国旅行の体験をもとに描いた作品です。」
「雪舟の《山水長巻》を意識して、これを超えるサイズの巻物に描いていますが、雪舟との違いは、かなり極端な遠近法をとっていることです。西洋美術の影響がうかがえます。」

横山大観《燕山の巻》(1910(明治43)年)(部分)
ポスターやチラシに掲載されている場面です。

「《陶淵明》は狩野派でよく描かれていた画題ですが、人物を大きく象徴的に描いています。」

横山大観《陶淵明》(1913(大正2)年頃)

次は今回の展覧会で撮影可な作品《作右衛門の家》。
「ここに描かれた作右衛門なる人物は、大観も何も書き残していないので誰だかわからない、謎の画題です。」

横山大観《作右衛門の家》(1916(大正5)年)




1919(大正8)年の作品《喜撰山》。
「大正時代に入ると大観はグリーンを基調とした作品を多く描きました。南画、文人画的なリズム感が感じられます。」

横山大観《喜撰山》(1919(大正8)年)
第2章 大観芸術の精華

~第2章には昭和期の大観の作品が展示されています。~

1927(昭和2)年の作品《叭呵鳥》。
「叭呵鳥は中国原産で日本には生息していませんが、水墨画の画題として描かれていました。」
同じ黒い鳥でもカラスとの違いは頭の前の方にふさふさと生えている毛。

横山大観《叭呵鳥》(1927(昭和2)年)


1932(昭和7)年に描かれた《華厳瀑》と《飛瀑華厳》。
ほとんど同じ絵柄ですが、「筆に迷いがある《飛瀑華厳》が試しに描いたもので、《華厳瀑》が完成品では。」というのが山下さんの意見。

横山大観《華厳瀑》(左)、《飛瀑華厳》(右)(いずれも1932(昭和7)年)

ガラスケースの中には小品が並んでいます。
手前はおなじみの富士山。大観は生涯、富士山を2000点!も描いたそうです。
横山大観《不二霊峯》(手前)(1947(昭和22)年頃、
《波に叭呵鳥》(奥)(20世紀(昭和時代))
叭呵鳥が小さくてよく見えないので、アップで。頭の上に毛が三本!

横山大観《波に叭呵鳥》(20世紀(昭和時代))
「中国絵画の龍のスタイルを取り入れた《龍》です。」

横山大観《龍》(1937(昭和12)年)

「《春の水・秋の色》は、一見すると川合玉堂では、という作品。玉堂にも感化されたのでしょう。」

横山大観《春の水・秋の色》(1938(昭和13)年頃)


《春朝》《蓬莱山》《寿》とおめでたい画題の作品が並びます。
「《寿》の下絵は金泥です。」

横山大観《春朝》(1939(昭和14)年頃)


横山大観《蓬莱山》(1939(昭和14)年頃)

横山大観《寿》(20世紀(昭和時代))

第3章 東京画壇の精鋭たち

~第3章には山﨑種二氏と交流があった小林古径、安田靫彦、前田青邨、東山魁夷を
 はじめ東京画壇を代表する画家たちの作品が展示されています。~

小林古径《牛》(1943(昭和18)年)(左)、
川合玉堂《松竹朝陽》(1956(昭和31)年頃)(右)



山下さんが最後に紹介されたのが、京都・大徳寺の牧谿《観音猿鶴図》を大観が模写した《観音猿鶴図(模写)》(東京国立博物館蔵)。
私も2年前の正月、申年にちなんで東京国立博物館で展示されていたのを見ましたが、大徳寺の《観音猿鶴図》が何でトーハクにあるんだ、と一瞬驚いたほど、ものすごくいい出来でした。

師であった橋本雅邦から狩野派の影響を受け、水墨画や文人画などの表現を取り入れ、昭和期には美術界にゆるぎない地位を築いた大観。
こういった大観があるのも「(古画を模写する努力をしていた)基礎があったからこそでしょう。」(拍手)

続いて、会場で山種美術館学芸員・三戸さんのギャラリー・トークをおうかがいしました。

「横山大観というと誰でも知っている有名な画家。”ミスターベースボール”長嶋茂雄氏になぞらえて『ミスター日本画』と言った方がいますが、大観はとても運の強い人、もっているものがある人です。」と三戸さん。

「第1のポイントは、近代の1ページ目である明治元年に生まれ、近代とともに生きたこと。第2のポイントは、岡倉天心が校長を務めていた東京美術学校(現:東京藝術大学)の記念すべき第一期生として入学したこと(1879(明治22)年)。」

その後、天心は東京美術学校助教授の地位を得ますが、1888(明治31)年、岡倉天心の東京美術学校追放に伴い、大観も同校を辞職し、日本美術院創立にかかわります。
日本美術院時代は作品を描いても売れない苦しい時期が続き、1906(明治39)年には日本美術院が経営難に陥り、大観は下村観山、菱田春草、木村武山とともに岡倉天心に従って北茨城・五浦(いづら)に移住します。

今回の展覧会には大観とともに五浦で制作に励んだ3人の作品も仲良く並んで展示されています。

左から、下村観山《朧月》(1914(大正3)年頃)、
菱田春草《釣帰》(1901(明治34)年、木村武山《秋色》(20世紀(大正時代))
彼ら五浦組が天心から課せられた命題は「輪郭線を使わずに光や大気を表すこと」。
しかしながらこの実験的な試みは「朦朧体」と揶揄され、評判はよくありませんでした。

不遇の時代が続いた大観でしたが、次の「もっているポイント」がやってきました。
「第3のポイントは、寺崎広業と中国旅行をしたあと、1910(明治43)年の第4回文展に《楚水の巻》を出品してその個性を評価されたことです。」

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
そのときの評は、「(テクニシャンで絵が上手な)広業君のよりは面白い。うまいのかへたなのかわからない、とぼけたところが面白い。家屋にしても、上から見たのか下から見たのかわからない。パースペクティブ(遠近法)がないに等しい。」といった趣旨のもの。
ほめているのか、けなしているのかわかりませんが、「何か魅力がある。」と個性を評価されたことは間違いないようです。

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
「パースペクティブ(遠近法)がない」と評された場面

「その大観の個性が大画面に表現されたのが《作右衛門の家》と《陶淵明》です。」

手前から 横山大観《作右衛門の家》《陶淵明》《叭呵鳥》
《芍薬》(1929(昭和4)年頃)

「《作右衛門の家》は緑青を多用し、大和絵、琳派の影響が見られます。《陶淵明》の右隻には『帰去来辞』の、陶淵明が官職を辞して帰郷後、近くを散歩しているとき松を撫でて立ち去り難い気持ちを表した場面が描かれ、左隻には大画面に遠山が描かれ、画面を『きゅっ』と引き締めるように小さい鳥が描かれています。遠山のたらしこみに琳派の影響が見られます。このような構成の大胆さが大観の魅力でしょう。」

左方からみた横山大観《陶淵明》
「大観は、松の木を松の葉が下に下がっていく独特の描き方をしています。」
「大観は『五浦の海岸で松の木をたくさん見た。』と言っていたそうですが、五浦で見た松の木のイメージが強く残っていたのでしょうか。」

横山大観《松》(1940(昭和15)年頃)、《夏の海》(1952(昭和27)年頃)、
《天長地久》(1943(昭和18)年頃)


「《燕山の巻》は先ほどの《楚水の巻》とは空気の表現が違います。《楚水の巻》は江南地方の湿潤な空気を表現していますが、《燕山の巻》は北京の景色なので乾いた空気を表現しています。」

横山大観《燕山の巻』(部分)

横山大観《燕山の巻》(部分)

「中国旅行中、大観はロバに乗って旅行をしたのですが、ロバが大変気に入り日本に連れて帰ってきました。《燕山の巻》の後半にはロバが描かれています。」
(《燕山の巻》と《楚水の巻》の後半は場面替えする1月30日から見ることができます。ロバに注目です。)

「さて、大観が日本に連れて帰ってきたロバは、その後どうなったか。それは本展覧会の小冊子に掲載されているのでご覧になってください。」


「『もっている』大観のもう一つのポイントは、着想の斬新さです。」

「《竹》は白い紙に水墨で描いていますが、紙が少し黄色く見えないでしょうか。これは裏箔といって、裏に金箔をはっているからです。これで竹林にほんわかと光が差すイメージを表現しています。」

横山大観《竹》(1918(大正7)年)

「《喜撰山》は紙に金箔を貼っています。よく見ると縦横の線が見えます。この作品は宇治の山を描いていますが、京都の赤土特有の色を出すため紙に金箔を貼ったのです。こういった革新的な着想が大観にはあります。」

横山大観《喜撰山》1919(大正8)年(再掲)


「主題設定も大観の魅力の一つです。大観といえば「富士山」がトレードマークですが、もう一つのトレードマークは「山桜」です。大観は桜を描いても山桜しか描きませんでした。これは本居宣長の和歌『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』に日本の精神を見たからなのでしょう。」


横山大観《山桜》(1934(昭和9)年)


大観展ですので、やはり富士山コーナーはあります。
下の写真中央の《心神》は、山種美術館設立に際し、大観から「美術館をつくるなら」という条件で購入を許されたという作品。

大観には戦前も戦後も富士山を描いてほしいとの依頼があり、それぞれ表情の違う富士山を描き続けました。
「大観は富士山に日本の精神、そして自分の精神を見たのでしょう。」

左から 横山大観《富士》(1935(昭和10)年頃、《心神》(1952(昭和27年)、
《富士山》(1933(昭和8)年)

「大観は戦中戦後の時期に、熱海にある山﨑種二氏の別荘に滞在していました。この別荘を大観は『嶽心荘』と名付け、大観が揮毫した書を木彫りしたのがこの銘板です。」

銘板 嶽心荘(書:横山大観 刻:中村蘭台[2代])


「今回の展覧会は、当館所蔵の大観作品全41点を公開する初めての試みです。大観も、東京画壇の画家たちの作品も楽しめる展覧会ですので、ぜひ多くの方にお越しいただきたいです。」(拍手)

ひょうひょうとしていて、何となくゆるそうで、それでもしっかり人の心をつかむツボを心得ている、そういった大観作品の良さをあらためて実感できる展覧会でした。
この冬おすすめの展覧会です。