2019年9月23日月曜日

泉屋博古館分館「文化財よ、永遠に」

東京・六本木の泉屋博古館分館では住友財団修復助成30年記念「文化財よ、永遠に」が開催されています。


「文化財よ、永遠に」は、これまでに1000件を越える国内外の文化財修復事業に対し助成を行ってきた公益財団法人住友財団が、2021年に創立30周年を迎えるのを記念して開催される展覧会で、助成によって修復された文化財の一部が東京国立博物館、九州国立博物館、泉屋博古館(京都)、そしてここ泉屋博古館分館(六本木)で同時期に展示されます。

全国4会場で同時期開催
 京都・鹿ケ谷 泉屋博古館   9月6日(金)~10月14日(月・祝)
 東京・上野  東京国立博物館 10月1日(火)~12月1日(日)
 福岡・大宰府 九州国立博物館 9月10日(火)~11月4日(月・振休)

【泉屋博古館分館の開催概要】
会 期  9月10日(火)~10月27日(日)
 前期 9月10日(火)~9月29日(日) 後期 10月1日(火)~10月27日(日)
 前期後期で展示替えがあります。
開館時間 10時~17時(入館は16時30分まで)
 ※10月11日(金)のみ10時~18時(入館は17時30分まで)
休館日 月曜日
 (9/16、9/23、10/14は開館、9/17、9/24、10/15は休館)
入館料 一般 600円ほか
ギャラリートークはじめ関連イベントもあります。詳細は公式サイトでご確認ください。

展覧会チラシ(表面)

さて、それではさっそく展覧会の様子を紹介していきましょう。
※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※展示室内は、泉屋博古館分館の野地分館長、泉屋博古館学芸員の竹嶋さんにご案内いただきました。

今回の展覧会のテーマは、文化財の美しさを永遠に伝えていくこと。
美しくよみがえった展示作品を見て、地道な修復作業によってその美しさを永遠に伝えていくことがいかに大変なことなのか、あらためて実感しました。


第2会場展示風景

「高温多湿な日本で、傷みやすい絹と紙が素材の日本絵画を保存するのは大変なこと。空気に触れると劣化する日本絵画を、保存と活用(一般公開など)を両立させながら良い状態で後世に伝えていくのが私たちの義務。」と野地分館長。

痛みやすい素材を使った日本絵画ですが、さらに掛軸の場合、その宿命は巻くことによる「折れ」。

仏画がご専門の竹嶋さん。
「折れているのは絹の裏の紙。絹は伸ばせるので、水で濡らして肌裏紙という絹の裏に貼ってある紙をほぐしてピンセットではがしていくのです。」
そして紙を貼り換えたり、「折れ付箋」という細長い紙を貼ったりといった根気のいる作業をするのです。

展覧会チラシ(裏面)


さらに絵画の敵はカビ。

修復前に燻蒸をするのですが、それでも残っているカビは筆で払って吸引器で吸い込む作業を行うとのこと。

右 《雪景山水図》(栃木・鑁阿寺) 通期展示、
左 伝・蛇足《山水図》(群馬県立近代美術館
(戸方庵井上コレクション))(重要文化財)
前期展示

今回の展示では、作品はもちろんのこと、作品の修復過程や、修復前と修復後が比較できる展示パネルにも注目です。


ロビー展示風景
右 《草虫図》(山口・菊屋家住宅保存会) 通期展示、
左 伝・王淵《立花図》(滋賀・聖衆来迎寺)
前期展示
上の写真の左の作品《立花図》は花瓶が黒ずんでいたのですが、肌裏紙を変えただけでガラス製と思われる花瓶の透明感がよみがえってきたのです。
左のパネルの修理前の画像と比較すると修理後との違いがよくわかります。
目の前で見てみると、透き通った花瓶の中の水や花の茎がきれいに描かれているのがわかります。

伝・王淵《立花図》(滋賀・聖衆来迎寺)
前期展示


円山応挙の《淀川両岸図巻》も、とても250年以上も前のものとは思えないほど鮮やかな色が出ています。

円山応挙《淀川両岸図巻》
(東京・アルカンシェール美術財団)
前後期で巻替え
野地分館長が冒頭のごあいさつでお話されていました。
「日本の絵画は、数百年に1度、修復を行うのがルールです。」

ということは次の修復作業は数百年後。
今が旬の文化財をぜひこの機会にご覧になってください。

ロビーでは修復作業のビデオが流れています。参考までにこちらもぜひ。

図録もおススメです。
作品の図版はもちろんのこと、修復作業の様子や、修復の行程の解説も詳しく、190ページもあってこれで税込1,200円。お買い得です!


最後になりますが、野地分館長から休館お知らせがありました。
泉屋博古館分館は、改修工事のため来年の1月から休館になり、2022年春にリニューアルオープンする予定とのこと。
しばらく展覧会が見られなくなるのは少し残念ですが、泉屋博古館分館が2年半後にどのように生まれ変わるのか、今から楽しみです。

2019年9月19日木曜日

山種美術館「大観・春草・玉堂・龍子-日本画のパイオニア-」

東京・広尾の山種美術館では広尾開館10周年記念特別展「大観・春草・玉堂・龍子-日本画のパイオニア-」が開催されています。


近代日本画を代表する横山大観、菱田春草、川合玉堂、川端龍子の足跡を山種美術館所蔵作品で綴る豪華なラインナップの展覧会です。


【展覧会概要】
会 期  8月31日(土)~10月27日(日)
開館時間 午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日(ただし9/16(月)、9/23(月)、10/14(月)は開館、9/17(火)、9/24(火)、10/15(火)は休館)
入館料 一般 1200円ほか
展覧会の詳細は山種美術館公式ホームページをご覧ください→http://www.yamatane-museum.jp/

※今回展示されている作品はすべて山種美術館所蔵です。
※内覧会では、山下裕二さん(公益財団法人山種美術財団評議員、山種美術館顧問、明治学院大学教授)のスライドを使った見どころ解説と、同館特別研究員の三戸さんのギャラリートークをおうかがいしました。以下はお二人のお話をもとに構成しています。
※展示室内は原則撮影禁止です。掲載した写真は美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
今回写真撮影OKの作品は横山大観《心神》。山種美術館の創設者山﨑種二氏が、美術館をつくるならという条件で大観から購入を許可された作品です。


横山大観《心神》(1952(昭和27)年)
さて、さっそく展示室内をご案内しましょう。展示は春草、大観、龍子、玉堂の順に1章ずつの構成になっています。

第1章 菱田春草

最初は、数えで39歳の誕生日を目前に若くして亡くなった菱田春草(1874-1911)。

第1章展示風景
手前が菱田春草《釣帰》(1901(明治34)年)

展示室入口でお出迎えしてくれるのは菱田春草《釣帰》。

「空気を描く方法はないか」という岡倉天心からの課題に応えようとして描いたとされる彼らの作品は「朦朧」という揶揄する表現で批判されましたが、今見てみると「この空気感がたまらない!」と感じられます。
当時でも1904(明治37)年にアメリカで「大観・春草展」を開催したら大好評で、作品は飛ぶように売れたそうです。

「手前に描かれた船頭の顔がかわいい。」と山下さん。
まるで少年のような船頭さん。ぜひ近くでご覧になってください。

春草のパイオニアたる所以(ゆえん)は、大観らとともに墨による輪郭線を描かない「朦朧体」に挑戦したことですが、春草の中でも変化がありました。


左から、菱田春草《雨後》(1907(明治40)年頃)、
《初夏(牧童)》(1906(明治39)年)、
《月下牧童》(1910(明治43)年)
この順番で展示されていることに意味があります。
空気の表現方法が《雨後》は色で、《初夏(牧童)》は色と面で表現していたものが、《月下牧童》では筆による表現に変わってきたのです。《月下牧童》の後ろの細い筆で描かれた草に注目です。
「朦朧体のbefore and afterです。」と三戸さん。(笑)

《月四題》が4幅ともそろっています。ぼんやりと描かれた月と草花が絶妙なコンビネーションです。
菱田春草《月四題》(1909-10(明治42-43)年頃)


第2章 横山大観

次は横山大観(1868-1958)。
大正期に入ると朦朧体から離れて東洋的な水墨画に回帰していった大観。
まずは雪舟の《山水長巻》(毛利博物館)を意識した《楚水の巻》です。

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
乾燥した華北の風景を描いた《燕山の巻》(山種美術館)(今回は展示されません)と並んで大観の中国山水画の二大絵巻の一つが、中国江南地方の風景を描いたこの《楚水の巻》。

河岸沿いに並ぶ家と階段にたたずむ人たちがいい雰囲気を出しています。
こちらも細かいところまでぜひご覧になってください。

横山大観《楚水の巻》(1910(明治43)年)(部分)
さて、大観のパイオニアたる所以(ゆえん)は。
「画材への挑戦です。」と三戸さん。

横山大観《喜撰山》(1919(大正8)年)
紙の裏から金箔を貼りつけた裏箔の技法を用いて、宇治の赤土の色合いを出しています。
「古い技法で新しい発想を表現するのが大観。」と三戸さん。

昭和に入ると、愛国心を象徴した作品が多くなります。
下の写真中央の《春朝》に描かれているのは日本の象徴、山桜と太陽。
《蓬莱山》に描かれた松と雲に浮かぶお堂は、大観たちが一時滞在した北茨城の五浦の海岸を連想します。
右から、横山大観《龍》(1937(昭和12)年)、
《春朝》(1939(昭和14)年頃)、
《蓬莱山》(1939(昭和14)年頃)

そして、これがなければ大観じゃない!
生涯で描いた作品が1,200点とも2,000点とも言われる富士山です。

左から、横山大観《富士山》(1933(昭和8)年)、
《霊峰不二》(1937(昭和12)年)、
《心神》(1952(昭和27)年)

第3章 川端龍子

川端龍子(1885-1966)の作品といえば、やはり迫力の大画面。
「会場芸術」と批判されたのに、その表現が気に入って自分でも使うようになった龍子らしい作品がこちら。

川端龍子《鳴門》(1929(昭和4)年)
その大胆な発想と色使いで横山大観らが中心となっていた院展から浮いた存在になって、ついに院展から脱退したのが1928(昭和3)年。
その翌年に「青龍社」を創設して、第1回展で発表されたのがこの《鳴門》。
近くで見ると波しぶきをかぶりそう。それ以上に、自らの道を貫き通そうとする龍子の心意気が感じられます。

そしてもう一点は《八ツ橋》。

川端龍子《八ツ橋》(1945(昭和20)年)
尾形光琳《八橋図屏風》(メトロポリタン美術館)の影響を受けた上品な作品ですが、太平洋戦争末期、空襲の中をかいくぐって青龍展を開催してしまう龍子の気迫を感じます。

「古典に拠りつつも、ひねりが入るのが龍子流。」と三戸さん。

川端龍子《華曲》(1928(昭和3)年)
牡丹と獅子という古典的なテーマを描いているのに、蝶々に夢中で逆さになって首をひん曲げている獅子のおかしなポーズに注目です。

そして龍子のもう一つの特徴が「タイトルと絵の微妙なずれ」(三戸さん)。

下の写真の《月光》は、日光山輪王寺の大猷院に取材したもので、タイトルは《月光》なのに月は屋根の上からのぞいているだけ。建物に映える月の光で「月光」を表現しているのです。

川端龍子《月光》(1933(昭和8)年)
第4章 川合玉堂

夕日に映える山あいの景色、ここに薪を背負って家路に向かう農夫がいたらバシッと決まるだろうなと思って絵を見てみると、やっぱりそこには薪を背負った農夫がいる。
川合玉堂(1873-1957)は、私にとって「ほっとさせてくれる」風景を描いてくれる画家なのです。

最初は京都の幸野楳嶺のもとで学び、その後、橋本雅邦の作品に大きな衝撃を受けて京都から東京に出てきて雅邦に師事した玉堂。
この作品は、雅邦の影響を大きく受けていますが、中国山水画の影響はあっても、描かれた人物は日本的で、山並みも妙義山でのスケッチをもとにしているので実景っぽいところが玉堂。
「中国山水画を日本的なものに変えたのが玉堂です。」と三戸さん。

川合玉堂《渓山秋趣》(1906(明治39)年)


「人を驚かせるのが大観なら、人と共感できるのが玉堂。」と三戸さん。
まるで絵はがきのような大胆な構図の《石楠花》。
こういった作品を見たら、このきれいな石楠花と雪山を見に山登りがしたい!と思いたくなります。

川合玉堂《石楠花》(1930(昭和5)年)
第2展示室は、大観、玉堂、龍子の「松竹梅展」のコーナー。
戦前は仲たがいした大観と龍子ですが、戦後になると交流が復活した二人。
それでも顔を合わせても話すことがなかったので、二人でひたすらジョニーウォーカーを飲み交わしていたという逸話があったそうです。

1955(昭和30)年から1957(昭和32)年にかけて3回開催された「松竹梅展」。山種美術館では、そのうち第1回と第3回の松竹梅を所蔵しています。

第1回《松竹梅》のうち
右から川合玉堂「竹(東風)」、横山大観「松(白砂青松)」、
川端龍子「梅(紫昏図)」



第3回《松竹梅》のうち、
右から、川端龍子「竹(物語)」、川合玉堂「松(老松)」、
横山大観「梅(暗香浮動)」

展示されている作品にちなんだ和菓子も山種美術館のお楽しみの一つです。
下の写真、中央が「朝の光」(横山大観《富士山》)、右上から時計回りに「錦秋」(川合玉堂《渓雨紅樹》)、「しらなみ」(川端龍子《鳴門》(左隻))、「月下の柳」(菱田春草《月四題》のうち夏)、「葉かげ」(横山大観《作右衛門の家》)。(カッコ内はモチーフになった作品)
どれも美味ですが、どれか一つとなると、個人的にはふわふわ感のある淡雪羹の「しらなみ」でしょうか。

アプリゲーム「明治東京恋伽~ハヰイカデヱト~(通称「めいこい」)と山種美術館とのコラボレーション第2弾も実現!


グッズも充実しています。
今回の新作は川端龍子《鳴門》と《八ツ橋》のマスキングテープ(各400円+税)。
どこにでも貼りたくなりそうです。


今回もいろいろ盛りだくさんで楽しめる展覧会です。
パイオニアたちの挑戦をぜひご覧になってください!

2019年9月17日火曜日

リニューアルオープンした大倉集古館で特別展「桃源郷展」が始まりました!

東京・虎ノ門にある大倉集古館が9月12日(木)にリニューアルオープンしました。
改修のため5年半休館していたので、あの中国風の建物はもう見られないのかな、と思いつ
つ近くまで来てみると、見えてきました!あの懐かしい建物が。



外見を見てホッとしたところで周囲を見渡してみると、今までとは違って水辺もあって広々としたようなたたずまい。

展示を見終わって日も暮れて外に出て見る夜景もまた格別。
うしろには高層ビルも見えるので、中国の西安か上海のような大都市に紛れ込んだ気分。



今回のリニューアルでは、大倉集古館をこの地域のランドマークとするため、建物そのものを曳家工事で後ろに移動させて、地下に事務室や収蔵庫をつくり、前に広々とした水場を新設したとのこと。そして、地震対策のため地下に免震層を設置したとのことです。
建物自体が免震台の上に乗っているようなものなので、地震になっても展示作品も来館者も安心ですね。

さて、今回はリニューアル記念ということで特別展はおめでたいタイトル。
それに中国とも深いかかわりのあるテーマです。

大倉集古館リニューアル記念特別展「桃源郷展-蕪村・呉春が夢みたものー」

展覧会概要
会 期  9月12日(木)~11月17日(日)
 前期 9/12-10/14 後期 10/16-11/17
 (前期後期で展示替えがあります→作品リスト) 
休館日  毎週月曜日(祝日は開館し、翌日休館)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
入館料  一般 1300円ほか
関連イベントもあります。詳細は公式ホームページをご覧ください。



さて、さっそく会場内をご案内していきましょう。
今回ご案内いただいたのは、大倉集古館主任学芸員の田中知佐子さん、そして同館学芸部顧問に就任された安村敏信さん。あの「萬(よろず)美術屋」の安村さんです。

※会場内は撮影禁止です。掲載した写真は内覧会で特別に許可をいただいて撮影したものです。

1階正面の入口から入ってエレベーターで2階に上がります(←エレベーターも新設されました!)。

展覧会のタイトルが「桃源郷展」なので、展覧会のチラシも桃の形がデザインされていて、チケットも桃のかたち。


展示の章立ても桃一色です。

第一章 呉春「武陵桃源図屏風」-蕪村へのオマージュ-
第二章 桃の意味するもの-不老長寿・吉祥-
第三章 「武陵桃源図」の展開-中国から日本へ-

第一章では、同館がアメリカのパワーズ・コレクションから購入した新収蔵品の呉春《武陵桃源図屏風》を中心に、呉春とその師・蕪村が描く武陵桃源郷の作品が展示されています。


呉春《武陵桃源図屏風》(大倉集古館)
全期間展示
呉春がこの作品を描いたのは35歳くらいのころ。ちょうど師・蕪村が亡くなった時期と重なります。
「この作品は呉春の師・蕪村への思いが反映されているのでは。」と主任学芸員の田中さん。「右隻の若い漁夫は呉春本人、左隻の正面を向いた老人は陶淵明。陶淵明の姿に敬愛する蕪村への深い思いが重ね合わされていると思われるのです。」

桃源郷といえば陶淵明(365-427)の「桃花源記」に記されている理想郷。

右隻には桃の林が続く小川を漁師が船で上って行く場面が描かれています。

「桃花源記」ではこう記されています。(以下、あらすじです。)
時は東晋・孝武帝の太元年間(376-394)、一人の漁師が谷川に沿って船を漕いでいると、桃花の林に出逢い、川の両岸には桃以外の木は一本もなく、芳しい花が咲きほこり、花びらがひらひらと舞い落ちていました。

林の奥まで見届けようとした漁師はそのまま川を上っていくと、水源のところで林が尽きて、そこにあった山にあった小さなトンネルに入ってしばらく行ってたどり着いたのが「桃源郷」。

左隻には桃源郷で木の下に語らう老人たちの姿が描かれています。

「桃花源記」では桃源郷の様子がこう記されています。
そこには立派な家が立ち並び、よい田畑、美しい池、桑や竹の類があって、鶏や犬の声が聞こえ、老人や子どもまでみなにこにこして楽しそう。
そこで歓待を受けた漁師が村の人たちと話していると、先祖が秦の時の戦乱を避けてこの人里離れた山奥にやってきて、漢も、魏も晋も知らないという。

展示されている与謝蕪村の《桃源郷図》には、漁師が船に乗ったまま小さなトンネルに入ったり、桃が咲いているという記述がないのに桃源郷に桃の木があって花が咲いていたりなど、画家が想像で描いた世界を見てみる楽しさもあります。
呉春の《武陵桃源図屏風》でも桃源郷に桃の木が描かれています。

「桃花源記」はそのあとも続きます。
数日して帰るときに、この地のことは他の人に言わないようにと告げられていたのに、帰りにところどころ目印をつけて、戻った後、郡の太守に告げたところ、太守が人を遣わせて漁師とともに目印に沿ってたどって行ったが道に迷ってしまった。

陶淵明は詩作をしながら酒を友とする悠々自適の生活を送ったとされていますが、実際には苦労の連続でした。
没落した貧困家庭に育った陶淵明は、若いころから文章の才能があり、生活のため官職に就きますが、組織にはなじめなかったようで任退官を繰り返し、晩年は、病苦と生活苦に悩まされました。

陶淵明の現存する詩作は意外と少なく、詩124編、文12編だけですが、その全編が岩波文庫『陶淵明全集(上)(下)』の二冊に収められています。ぶ厚い何冊もの高価な「全集」でなく、文庫で「全集」を読むことができるのがうれしいです。


全作品の原文に訓読文、注、現代語訳があるのでとても読みやく、現実社会とのつきあいに苦しみ、悩みながらも、隠遁生活を実現して、酒を愛し、清貧を貫いた陶淵明の姿が作品や解説から浮かび上がってきます。


第二章では、桃が描かれた中国の絵画や工芸が展示されています。
「ここでは桃源郷や不老長寿・吉祥としての桃が中国ではどのように描かれていたのか見ていただきたいです。」と安村さん。
うしろの中国風の格子窓も健在でした。


第三章では蕪村・呉春以降に日本で桃源郷が描かれた作品が展示されています。
「日本では吉祥といえば桃でなく梅や梅林。桃を意匠化した工芸作品は少ないのです。」と安村さん。谷文晁《武陵桃源図》(個人蔵)や富岡鉄斎《武陵桃源図》(光明寺)(いずれも全期間展示)とともに、探すのに苦労されたという貴重な工芸作品、南紀男山焼の《染付桃源僊居図水指》(三井記念美術館)(全期間展示)もぜひご覧になってください。



1階に移ります。1階は特別展と同時開催の「大倉集古館名品展」が開催されています。
(特別展のチケットで入館できます。前期後期で展示替えがあります→作品リスト)

こちらは大倉集古館の顔ともいえる国宝《普賢菩薩騎象像》。
久しぶりにお目にかかることができました。
これからは今までのように常設しているとは限らないとのことなので、この機会にぜひ普賢菩薩さんの穏やかなお顔と象のひたむきな表情をぜひ拝見しておきたいです。

国宝《普賢菩薩騎象像》(大倉集古館)
全期間展示


こちらは同じく国宝の藤原定実《古今和歌集序》。いままでほとんど開かれていなかったため平安時代のものとは思えないくらいきれいな保存状態です。
《古今和歌集序》は前期展示、後期には国宝《随身庭騎絵巻》が展示されます。

国宝 藤原定実《古今和歌集序》(大倉集古館)
 前期展示(9/12~10/14)

大倉集古館が所蔵する国宝3件は、前期後期ですべて見ることができるので、後期も来たいです。

そしてこちらは大画面で豪華絢爛な横山大観の《夜桜》。

横山大観《夜桜》(大倉集古館)
全期間展示
《夜桜》は、ホテルオークラを設立した大倉喜七郎氏が支援して1930(昭和5)年にローマで開催された「ローマ日本美術展」に出品された作品。
この「ローマ美術展」は、横山大観、速水御舟、下村観山、安田靫彦、前田青邨、小林古径らの院展の画家、川合玉堂、竹内栖鳳、鏑木清方、上村松園などの官展の画家たちの作品177点が出展された大がかりな展覧会でした。

こちらも「ローマ日本美術展」に出品された作品です。
後期には前田青邨《洞窟の頼朝》(重要文化財)が展示されます。
右から下村観山《不動尊》、小林古径《木菟》、
速水御舟《鯉魚》
いずれも前期展示(9/12-10/14)

続いて今回のリニューアルで新設された地階に向かいます。
地階にはミュージアムショップ、広いロビーとその奥に映像コーナーがあります。

右の桃色の冊子が桃源郷展の図録(税込2,200円)。
桃源郷についての論文も充実していて、作品解説も詳しいので、これ一冊あれば「桃源郷通」になること間違いなし!
左の白い表紙の冊子は、約2,500件の美術・工芸品のコレクションから、1917年の開館から百周年を迎えたことにちなんで名品百件を厳選した『大倉集古館所蔵 名品図録百選』(税込3.300円)です。


ロビーには中国・清時代の仏像が展示されていて、奥の映像コーナーでは冒頭紹介した建物のお引越し「曳家工事」の様子も見ることができます。


古いものを残しつつ新しく生まれ変わった大倉集古館。
外観も展示も内装もぜひ楽しんでいただきたいです。

2019年9月8日日曜日

静嘉堂文庫美術館「入門 墨の美術-古写経・古筆・水墨画-」

いつも豊富な所蔵作品で私たちを楽しませてくれる静嘉堂文庫美術館では8月31日(土)から「入門 墨の美術ー古写経・古筆・水墨画-」展が開催されています。




今回の展覧会は墨の美術の「入門編」。
「一般の人には敷居が高い古写経、古筆、水墨画をできるだけわかりやすく、おもしろさがわかるように展示しているので、墨の美の世界をぜひ多くの方に見ていただきたい。」と静嘉堂文庫美術館「饒舌館長」河野元昭館長のごあいさつ。
今まで「水墨画の世界はちょっと地味すぎて。」という方にもぜひご覧になっていただきたい展覧会です。

展覧会概要
会 期 8月31日(土)~10月14日(月・祝)
休館日 毎週月曜日(ただし9/16、9/23、10/14は開館)、9/17(火)、9/24(火)
開館時間 午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
入館料  一般 1000円ほか
講演会やトークイベントもあります。詳細は同館公式サイトをご覧ください→http://www.seikado.or.jp/

※展示室内は撮影禁止です。今回掲載した写真は、内覧会で美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。
※内覧会では、今回の展覧会を担当された同館学芸員の浦木さんと江戸近世絵画がご専門で「中国絵画大ファン」という同じく同館学芸員の吉田さんに会場内をご案内いただきました。
※展示作品はすべて静嘉堂文庫美術館所蔵のものです。

さて、さっそく展示室内をご案内していきましょう。
美術館入口でにこやかにお出迎えしてくれるのは、本邦初登場のカンザンくん。

美術館入口の撮影スポット
ここは撮影可です。
上の写真の左にいるカンザンくん。アップにするとこういう感じです。



カンザンくんの正体は、中国・唐時代の伝説上の二人の僧、寒山・拾得のうちの寒山。
下の写真中央が中国・元時代の《寒山図》(重要文化財)。
寒山は、いつも拾得とセットで描かれるのですが《拾得図》(重要文化財)の方は常盤山文庫が所蔵しています。どちらも宋末元初に活躍した臨済宗の僧・虎巌浄伏が賛を書いているので、もとは対になっていたのです。
ちなみに寒山がいつも手にしているのは筆なので、今回の展覧会にピッタリのガイドさんです(相方の拾得のアイテムは箒(ほうき)です)。

展覧会場入口風景
正面が《寒山図》(重要文化財)
《寒山図》が入っている展示ケースは、近くで見られるように薄手に作られたもので今回が初めてのお披露目。
「乾いた筆でこすりつけるように描かれた髪の毛、風に吹かれている服の線、細い線で細かく描かれた顔、近くでぜひご覧になってください。」と吉田さん。

今回の展覧会は、奈良時代の古写経、平安時代の古筆、室町時代の水墨画の3章構成になっています。はじめは古写経のコーナーです。

第1章 「祈りの墨~古写経~」

写経生カンザンくんが熱心に写経をしていると、その横から金銅仏が現れてきています。


こちらは《華手経 巻第四(五月一日経)》。
巻末の願文に「天平十二年五月一日」と記されていて、現在では「五月一日経」と呼ばれていますが、「正倉院文書」よると、実際には天平十年(738年)に製作されたとのことです。


今から約1300年前、奈良時代には国家事業として盛んに写経が行われました。
この経典は、聖武天皇(在位724-749)の皇后・光明皇后が父母の追善供養のために発願した一切経の一つで、写経事業は約20年に及び、6500巻以上の経巻が製作されました。

第1章のカンザンくんのイラストに戻ります。
「カンザンくんが写経している経巻から金銅仏が現れていますが、これは光明皇后の母・橘夫人が厨子内に納めたと伝えられる念持仏・金銅阿弥陀如来像がモデルなのです。」と浦木さん。
厨子に入った阿弥陀三尊像「伝橘夫人持仏及び厨子」は現在、法隆寺大宝蔵院に所蔵されています。

作品の上のパネルにも注目です。
「当時の写経所での経典製作の様子は、正倉院に残されている「正倉院文書」からわかります。」と浦木さん。

経文を書き写す「経師(きょうし)」、経師が書いた経文をチェックする「校生(こうせい)」、経巻に仕上げる「装潢(そうこう)」、事務を統括するディレクター役の「案主(あんず)」。こういった役割の人たちが「写経生(しゃきょうせい)」と呼ばれ、写経所で経典製作に励んでいました。「経師」になるには採用試験もあったそうです。

当時の写経所の人たちが、それぞれの持ち場で真剣に経典を製作した様子を思い浮べながら見ると、一字一字丁寧に書かれた経典の味わいがより一層深まるかもしれません。

続いて《増壱阿含経 巻第二二(善光朱印経)》。


こちらは「五月一日経」を手本にしていますが、「五月一日経」が中国・東晋の書家、書聖・王羲之(307-365)の影響を受けた几帳面な書体で書かれているのに対して、こちらは少し太くて力強い文字になっています。隷書風の朱印「善光」にも注目です。

そして上のパネルには、外題(題箋)、見返し、界線など、普段聞き慣れない経典の部分名称の解説もあるので、経典の勉強になります。

こちらは平安時代に数多く製作された絢爛豪華な「装飾経」。
当時の貴族たちは豪華な装飾の料紙に金泥、銀泥で写経したものを奉納したり、経筒に入れて地中に埋めたりして、未来の繁栄を願ったのです(展示室内には経筒も展示されています)。


右から、《紺紙金字一字宝塔法華経(太秦切、「古経鑑」のうち)、
《紺紙金銀交書華厳経(「古経鑑」のうち)、
大般若波羅密多経巻第四三四(小水麻呂願経)
第2章「雅なる墨~古筆~」

豪華絢爛になってきた平安時代の経典の次は、豪華な料紙の上に流暢な連綿体で書かれた平仮名まじりの「古筆」のコーナーに移ります。
ここではなんとカンザンくんが十二単を着ています。
その秘密はこのパネルに書かれています。
そうです、平仮名は当時「女手(おんなで)」と呼ばれていたからなのです。




こちらは国宝《倭漢朗詠抄 太田切(下軸)》。修理後初公開です。
 
 

「唐紙の上に金銀泥で大和絵風の鳥や草花の下絵を描いた料紙に注目です。」と浦木さん。
漢詩と和歌が交互に書かれ、料紙も和と漢、この対比を楽しみたいです。

唐の詩人・白居易(楽天 772-846)の『白氏文集』巻三・四に収められた「新楽府」を和訳した「仮名新楽府」の断簡(下の写真右)は、金銀の砂子が撒かれた料紙と、流れるような仮名の絶妙なコラボをお楽しみください。
左は《三十六歌仙絵 源公忠(業兼本)》。どちらも鎌倉時代のものです。


第1章の古写経から第2章の古筆まで紹介してきましたが、ここまでで奈良時代から鎌倉時代までの墨の世界を見渡すことができる展示になっています。

第3章「墨に五彩あり~水墨画~」

そして最後は室町時代の水墨画の世界。

水墨画といえばモノトーンの世界なのですが、カンザンくんが持つ筆で描くと墨がいくつもの色に変わってきます。
そうです、このパネルにもありますが、古来から名手による水墨画は「五彩を兼ねるが如し」と賞されていたのです。


まずは「詩画軸」のコーナー。
ここで冒頭の河野館長のごあいさつでの「『書画一致思想』の根底には墨がありました。西洋と異なり東洋では墨、筆、紙といったマテリアルは書と画で同じものを使うのです。」というお話を思い出しました。
「詩画軸」とはまさに画僧の描いた水墨画の上の余白に禅僧たちが漢詩を添えたもの。
画と書の響きあう世界をぜひ楽しみたいです。

下の写真一番右の「詩画軸」のタイトルは《聴松軒図》。
中央に大きな松があって、その後ろには塔頭があります。きっとその塔頭が「松の音を聴く」聴松軒なのでしょう。幸いなことに、そこには人の気配はありません。ちょうどいい機会なので、自分が聴松軒に入り込んだつもりで耳を澄ませて「松の音」を聴いてみてはいかがでしょうか。
他の「詩画軸」には人物が描かれていますが、今度は自分がその人物になったつもりで遠くの山を眺めてみるといいかもしれません。

右から、《聴松軒図》《万里橋図》(いずれも重要文化財)、
《山水図》(重要美術品)、《山水図》
大画面の屏風もいい雰囲気を出しています。
こちらはポスターやチラシに使われている室町時代の画僧、周文の作と伝わる《四季山水図屏風》(重要文化財)。修理後初公開です。
どうでしょうか、この透き通るような透明感。
目の前で見ると、水墨だけで描かれたこの静かな景色の中にスーッと入りこんでいけそうな気持ちになってきます。

《四季山水図屏風》では、右隻の右側から春、夏、左隻に移って秋、冬の景色が表わされています。
「右隻右側の楼閣のテラスで二人の人物が見ているのが、春を表す梅の花。続いて風にたなびく柳。左隻には雁が飛んでいて、紅葉も見られます。そして、冬の雪山。絵の中にスッと入り込める作品です。」と吉田さん。

ここにもカンザンくんがいました。
でもカンザンくんが手に持っているのは筆でなく斧。
なぜ斧なのでしょうか。
詳しくはこちらのパネルに説明がありますが、《四季山水図屏風》のように、楼閣や樹木を崩さずに描く楷体(真体)山水では、中国山水画の岩の表現方法の一つで、斧で鋭く削り取ったような岩の表現「斧劈皴(ふへきしゅん)」が用いられることが多いからなのです。


室町水墨画といえば忘れてはいけないのが、やはり雪舟。
こちらは伝・雪舟ですが、中国江南地方の杭州にある古くからの景勝地・西湖を描いています。
中央の山が、鶴と梅を愛でた北宋の詩人・林和靖が住んでいたとされる孤山、画面中央を横切る橋のように見えるのが白居易や北宋の詩人・蘇東坡が整備した白堤、蘇堤(白居易も蘇東坡も詩人であると同時にこの地方の長官も務めていました。長い方が蘇堤でしょう)、周辺には楼閣も描かれていて、西湖の雰囲気がよく出ています。


手前が伝・雪舟《西湖図》

室町時代といえば幕府があったのが京都ですが、関東の水墨画も負けていません。
こちらは関東水墨画のコーナー。
鎌倉・建長寺の画僧・祥啓、小田原周辺で活躍した前島宗祐、常陸国(現在の茨城県)出身で小田原から東北にかけて遍歴した雪村の作品です。

右から、雪村《柳鷺図》、前島宗祐《高士観瀑図》(重要美術品)
祥啓《巣雪斎図》(重要美術品)

ロビーには、外交官であった新関欽哉氏(1916-2003)から、平成13年(2001)に静嘉堂文庫美術館に寄贈された石印材のコレクションが展示されていますのでこちらもぜひ。




図録も墨の世界への「入門」にちょうどいい内容、ボリューム。税込1000円と値段もお手頃です。


そして、浦木さんの気になるお話。
「今回の展覧会が好評なら、第2弾として江戸時代、近代編の開催も考えています。」

展示作品も見ごたえのあるものばかりで、解説も充実。「入門」にはちょうどいい展覧会です。

みんなで今回の展覧会を盛り上げて、第2弾の開催も期待しましょう!