2013年3月31日日曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(8)

平成24年9月6日(木)続き
簡単な昼食を終え、しばらくベンチに座り、ガイドブックでバッハ・ハウスの位置を確認したりしていたら、13時25分発のバスが定刻どおりやってきた。
今度はくねくねした山道を降り、運転手さんに聞いた最寄りのバス停で降りてバッハ・ハウスに向かった。
途中の案内標識には日本語の表示もある。
ただし、「バッハの生家」とあるが、バッハが生まれたのはバッハ・ハウスから少し離れたところにあり、現存はしていないようだ。


標識のとおりに進み、ほどなくするとバッハの像と建物が見えてきた。


こちらは室内に展示されていた写真。
建物は第二次世界大戦時の空襲で破壊されたが、戦後みごとに再建された。



バッハの時代にも使われていた調度品や楽器は郊外に避難させていたので無事だった。
当時の人たちの文化財にかける思いが伝わってくるようだ。


14時30分から40分ほど、講師の方の講義と昔使われていた楽器の実演もあった。
平日の昼ということもあって、地元の高校生たちが20人ほど参加していた。
 
 
別の部屋ではオーディオルームがあり、こういったブランコのようになっているカプセルに座り、外の景色を眺めながらバッハの曲を聴くことができる。
お昼のちょうど眠くなってくる時間。
オルガンの音を聞きながら、ブランコに揺られうつらうつらするのもいいものだ。
 

これがカプセルの中から眺めていた外の景色。
なんだか中世のドイツに迷い込んだような不思議な感じ。


大きなオーディオ・ルームの中では大音響でバッハの曲を聴くことができる。
先ほどの講義でも一緒だった地元の高校生たちはこの中で寝そべってバッハを聴いていた。
偉大な作曲家の音楽をこんなまじかに聴くことができるなんて、なんとも恵まれた環境だ。


バッハ・ハウスを出て街の中心に向かう途中にはルター・ハウスがある。
ここは、ルターがラテン語学校に通っていた3年間住んでいたところ。
残念ながら時間がないので入らなかった。


さらに歩いて行くとマルクト広場に出る。ここがアイゼナハの中心だ。
ここには、ルターが説教を行い、バッハが洗礼を受けたゲオルグ教会があるが、やはり時間がなくて中には入らなかった。これでアイゼナハにもう一度来る口実ができた、と思うとうれしくなってきた。


 
青空も広がり、市庁舎のあるマルクト広場もくつろいだ雰囲気。


市庁舎前の若いカップルも半袖シャツ。


竜を退治する金ピカの聖ゲオルグ像もまばゆいばかりに輝いている。



マルクト広場から駅の方に向かうと、少し上を向いて毅然としたポーズをとっているルターの銅像が立っている。


 
これがアイゼナハの入口のニコライ門。現存する最古のロマネスク様式の市門だが、門の下はバスも車も通りぬけ、今でも現役の門だ。
 


ここまで来ると駅もすぐ近くだ。

当初は来る予定はなかったが、思い切ってアイゼナハに来てよかった、と満足感にひたりながら、16時09分アイゼナハ発のIC2251に乗り、ワイマールに向かった。
(次回に続く)

2013年3月17日日曜日

ルーベンス展ブロガー・スペシャルナイト

先週の水曜日、3月13日に渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されたルーベンス展『ブロガー・スペシャルナイト』に参加してきました。
これは、Bunkamuraザ・ミュージアム学芸員の宮澤政男さんと、TBSアナウンサーの小林悠さんのトークショーを取材してブログで紹介する人を対象としたもので、閉館後の7時30分から約1時間のトークでルーベンスや今回出展されている作品について解説をいただき、そのあと30分間、作品を鑑賞したり、許可されたゾーンでは写真撮影ができるというおいしい企画でした。
それだけに人気があり、先着50名とのことですぐに締め切られましたが、私は33番目で運よくすべり込むことができました。
そこで今回は「ドイツ・ゲーテ紀行」はお休みして、このときの様子をレポートしたいと思います。
とはいっても、ここはドイツに関するブログ。
ゲーテ先生には引き続きご登場いただきます。

トークショーの様子(背景は作品№16「復活のキリスト」)

展示室風景

 (左は、作品№6「毛皮をまとった夫人像(ティツィアーノ作品の模写)」、左は作品№4「ロムルスとレムスの発見」)

 (左から、作品№9「眠る二人の子供たち」、作品№20「天使からパンと水を受け取る預言者エリア」、作品№18「三美神」)


「ところで君に、デザートとして、いいものを見せてあげよう」とゲーテがエッカーマンに見せたのは、一枚のルーベンスの銅版画だった。
それは、羊の群れ、干草と馬車、馬、家路へ急ぐ農民といった、どこにでもあるような農村が描かれた風景画であった。しかし、ルーベンスの偉大さはこの絵のどこにあるのか。
前景の家路を急ぐ農民は手前からの光を受け、明るく照らし出されているが、それを際立たせるため、木立ちは後ろからの光を浴び、絵を見る人の方へ影を投げている。
まったく反対の方向からそれぞれ光が差すという現実にはありえない絵だ。
ここでゲーテは言う。
「一段と高い域に達した芸術家は、(略)ルーベンスがこの風景において『二重の光』を使っているように、虚構の世界へ足を踏み入れてもかまわないのだ」
(以上、エッカーマン著『ゲーテとの対話(下)』(岩波文庫)P135-P137 1827年4月18日の項より)

宮澤さんのお話によると、ルーベンスは当時の大スター。その版画はヨーロッパ中で大人気で、いくつかの国では独占的版権を持っていて、要はルーベンスの厳しいチェックをクリアしないと出版ができなかった、とのことで、このお話をおうかがいしたとき、「僕はルーベンスの版画をもっているんだよ」と得意げに版画を友人に見せるゲーテの表情が頭の中に浮かんでくるようだった。

ルーベンスは大スター。中年の域に達してもかっこいい。
展示会場に入ってまず目にするのが帽子を被ったルーベンスの自画像。


やはり宮澤さんから、版画だけでなく、肖像画も人気が高かった。ところで、この帽子、じつは髪の毛の薄いのを隠すためという説もある。実際、工房の作品として帽子を被っていない作品もあるので(作品№45 こちらは撮影不可)あとで見てください、とのお話があった。
そういわれてよく見るとこの肖像も額がかなり後退している。


ゲーテは、彼と同時代の画家たちによる版画を見て「ある種の迫力が欠けている」と嘆く。
それに対してエッカーマンは「樹木や、大地や、水や、岩や、雲などは、彼(ルーベンス)の力強い信念が形式の中にしみこんでいます」と返す。
(以上、エッカーマン著『ゲーテとの対話(中)』(岩波文庫)P237 1831年2月13日の項より)

宮澤さんは、ルーベンスは人物画家。特に後期の大きな作品だと、人物は自分で描いて、背景は風景の得意な工房の画家に描かせたりもした。それでも「ロムルスとレムス」のような若い頃の作品や、「ヘクトルを打ち倒すアキレス」(作品№21)は(人物も背景も)本人がかなり書いているし、小品(作品№26~30)はほとんど本人が書いているので、筆の勢いを感じ取ってください、と説明されていた。
本人の筆なのか、工房の画家の筆なのか、そして筆づかいの迫力が感じ取れるかどうか、これもルーベンスの作品を見るときの楽しみのひとつかもしれない。

さて、「二重の光」に戻るが、今回出展された作品の中に風景を描いた版画が2つ(作品№76「井戸のある風景」、作品№77「月明かりの風景」)あったので、よく目を凝らして見てみた。
もちろんゲーテの持っていた作品とは違うので、「二重の光」を感じ取ることはできなかったが、人物画家ルーベンスの風景画も幻想的な雰囲気が出ていて、個人的には気に入っている。



会場を出るとすぐにミュージアムショップがある。そこにルーベンスの風景画の版画が何枚か壁に掛けられていたので見ていたところ、係の女性から声をかけられた。
「ここにある作品はすべて17世紀に刷られた本物の版画です。よかったら1枚どうですか」
なんと縮小版のレプリカでなく、本物なのだ。
値段を見ると128,000円。クレジットも使えるし、買えない金額ではない。
心が動いた。でも買わなかった。
私は美術展で気に入った作品があると絵はがきを買うことがあるが、家でいろいろな絵を並べても、絵はがきと本物ではあまりに不釣り合いすぎる。
ならば絵はがきをと思い、絵はがきのコーナーを見渡したが残念ながら風景画の版画は見当たらなかった。

さて、Bunkamuraザ・ミュージアム「ルーベンス展」、いろんな視点から楽しむことができるのでお勧めです。
そして、本物の版画、少し高価なデザートですが、ご興味のある方はぜひ一度ご覧になってみてください。
最後になりますが素晴らしい企画ありがとうございました。

2013年3月4日月曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(7)

平成24年9月6日(木)続き
途中、レストラン「Scharfes Ecke」をさがしたりしたので、ワイマール中央駅にはぎりぎりに到着した。
列車はまだホームに入っていなかったので、「良かった、間に合った」とほっとして列車の掲示板を見たら、なんと「15分遅れ」との表示(上の白抜きの部分)。

フランクフルト空港駅の時とは違って、今度は「接続の関係で15分遅れます」とのアナウンスがあった。
この日は雨は降っていなかったが、曇り空で気温もかなり下がっていた。
ホテル・エレファントはとても親切なホテルで、ベッドメイクのときに次の日の天候を書いたメモを置いてくれる。この日は、最高気温19℃、最低気温11℃、天気は晴時々曇。
朝だからおそらく最低気温近くだったと思うが、それでも半袖シャツで歩いている男の人もいたから驚きだ。

アイゼナハ駅には10時ちょうどに到着した。
駅前から出るバスは1時間に1本しかないので、とりあえず出発時間を確認しようとバス停に急いだら、ちょうどワルトブルク城行きのバスが停まっていた。
バスの時刻表を確認する間もなく、私がバスに乗り込んだとたんに出発したが、あとで時刻を確認したところ、10時ちょうど出発だった。バスが出たのは10時を過ぎていたので、列車が遅れていたのを知っていた運転手さんが気を利かして待っていてくれたのだろうか。

アイゼナハは小さな街なので、市の中心はすぐに通り過ぎ、周囲に森が広がり始めると、山の上の方にワルトブルク城が見えてきた。
それがこのシリーズの(2)でお見せした写真。

バスはくねくねした山道を登るとほどなくして終点に着いた。

バス停からさらに山の散策路を登っていくと、ようやくお城の姿が見えてきた。




チケット売り場でガイド付きの入場券(9ユーロ)を購入。チケットには10時50分からと印字されている。ここには日本語の案内パンフレットがあるのもうれしい。


時間になったので、30人ほどが一つのグループになってガイドの女性のあとについて一つひとつ部屋を回る。
これは「騎士の間」。重厚な中柱とレリーフが特徴的だ。


次は「エリザベートの暖炉のある間」。
天井や壁面を埋め尽くすモザイクがまばゆいばかりだ。
これらのモザイクは、13世紀はじめに14歳でチューリンゲンの領主と結婚し、禁欲的な生活と貧しい人や病人に献身的な働きをしたエリザベートの生涯を描いている。


次の部屋までの間には礼拝堂が。
こちらは「歌の間」。
中世にはここで詩人たちが集まり歌合戦が行われた。
ガイドの女性の後ろのタペストリーには、その時の様子が描かれている。
このガイドさんの発音はとてもクリアで、よく聞き取れた。
「歌合戦に負けた方は絞首刑になります」と説明したところで、私は思わず首に手を当て、「えっ」と言ってしまった。
そして最後に「祝宴の間」。
私たちのグループが入室したとき、広間の中に流れていた音楽のテープがちょうど終わるところで、30秒ほど実際のコンサートに居合わせたような雰囲気にひたることができた。

ガイド付きツアーはここで終わり。ルターの小部屋と付属の博物館は自由に見ることができる。

ここがルターの小部屋。
1521年、教皇庁から破門されたルターは、ここにかくまわれ、わずか10か月で新約聖書をドイツ語に訳した。
ルターが翻訳作業に没頭している間、悪魔が誘惑しに現れたので、ルターがインク壺を悪魔に投げつけ、インクのあとが壁に残っていたという言い伝えがあるので、入口の横にいた女性の係員にそれがどこなのか聞いてみた。

すると、女性は笑いながら、「あくまでも伝説ですけれど、右にある暖炉の横に柱があって、その左の板と言われています」と教えてくれた。
さらに「後世の人たちがルターにあやかろうとナイフでインクを削って記念に持って帰ってしまったので、あとからインクを壁に足したとも言われていますが」と聞くと、
「それも、あくまでも伝説ですけれどね。でも今では何も残っていません」と笑顔で答えてくれた。


ルターの小部屋の次は博物館。
ルターの功績を描いた絵画や歴代領主の集めた財宝が数多く展示されていたが、私のお気に入りは、若くてかわいらしい顔をした「竜を退治する聖ゲオルグ」。
日本の四天王像だと餓鬼を踏みつけているが、こちらも竜を踏みつけている。洋の東西を問わず同じ発想なのがおもしろい。


ワルトブルク城を出るともう12時を回っていたが、例によって朝食をたっぷり食べていたので、あまりおなかが空いていない。
そこで、街に戻るバスを待つ間、昨日のお昼に残したパンをベンチに座って食べることにした。飲み物はミネラルウォーター、デザートはホテルのウェルカムチョコレート。
お昼になってだいぶ暖かくなってきて、自然の中で木々のざわめきと小鳥のさえずりを聞きながら食べる昼食もまた格別。

(次回に続く)