2023年12月31日日曜日

2023年 私が見た展覧会ベスト10

早いもので今年(2023年)もあと大晦日を残すだけになりました。
今年も恒例の「私が見た展覧会ベスト10」を発表したいと思います。


第1位  特別展「佐伯祐三 自画像としての風景」


東京会場 2023年1月21日(土)~4月2日(日)   東京ステーションギャラリー
大阪会場 2023年4月15日(土)~6月25日(日) 大阪中之島美術館

東京ステーションギャラリーの赤いレンガ壁と重厚なパリの街並み。
会場の雰囲気と作品がこれほどしっくる展示はそう多くないのではと思えたほど、佐伯祐三ファンの筆者としては特に印象に残る展覧会でした。





第2位 甲斐荘楠音の全貌ー絵画、演劇、映画を越境する個性


京都会場 2023年2月11日(土・祝)~4月9日(日)   京都国立近代美術館
東京会場 2023年7月1日(土)~8月27日(日)   東京ステーションギャラリー

日本画家としてだけでなく、演劇人として、映画人として、ジャンルを越えて個性を発揮した甲斐荘楠音の知られざる側面を知ることができた、まさに全貌に迫る展覧会でした。
京都会場、東京会場どちらも行きましたが、もちろんどちらもよかったです。




   


第3位 「不変/普遍の造形 住友コレクション中国青銅器名品選」


会 期  2023年1月14日(土)~2月26日(日)
会 場  泉屋博古館東京

泉屋博古館(京都)に所蔵・展示されている中国青銅器のオールスターが東京で見られる絶好の機会がやってきました。
そして今回は3000年以上前の青銅器の魅力をやさしく紹介する入門編。青銅器がとても身近に感じられる展覧会でした。


展覧会を担当された泉屋博古館(京都)の山本堯さんの著書『中国青銅器入門』(新潮社 とんぼの本)おすすめです。



第4位 特別展「東福寺」


東京展 2023年3月7日(火)~5月7日(日)   東京国立博物館
京都展 2023年10月7日(土)~12月3日(日) 京都国立博物館

仏像や仏画のスケールの大きさ、そして室町初期の東福寺の画僧・明兆の「五百羅漢図」はただひたすら圧巻でした。
こちらも東京展、京都展とも見に行きましたが、それぞれ特色があってどちらもよかったです。





第5位 恐竜展2023


東京会場 2023年3月14日(火)~6月18日(日) 国立科学博物館
大阪会場 2023年7月7日(金)~9月24日(日)   大阪市立自然史博物館


大きくて恐ろしい恐竜が近くをのしのし歩いていたらどうしようと思わせるほど迫力の展示に圧倒されました。日本初上陸、世界初公開もあって見応え十分の展覧会でした。




第6位 特別展「古代メキシコーマヤ、アステカ、テオティワカン」


東京会場  2023年6月16日(金)~9月3日(日)   東京国立博物館
福岡会場  2023年10月3日(火)~12月10日(日) 九州国立博物館
大阪会場  2024年2月6日(火)~5月6日(月・休) 国立国際美術館


世界遺産の遺跡がメキシコからそのままやってきたのではないかと思えるほどスケールの大きな展示空間が広がっていました。時間も場所も超えてその場に瞬間移動したような臨場感が味わえる展覧会でした。
大阪会場は来年2月から始まります。




第7位 特別展 生誕270年 長沢芦雪ー奇想の旅、天才絵師の全貌ー


大阪会場  2023年10月7日(土)~12月3日(日) 大阪中之島美術館
福岡会場  2024年2月6日(火)~3月31日(日)   九州国立博物館

近年特に注目を浴びるようになった長沢芦雪の回顧展。 
個人蔵、初公開、前期後期でほぼすべて展示替えでまさに「天才絵師の全貌」がわかる展覧会でした。
重要文化財《龍虎図襖絵》を所蔵する和歌山県紀南の無量寺・串本応挙芦雪館にまた行きたくなりました。
福岡会場は2月から始まります。






第8位 特別展 北宋書画精華


会 期  2023年11月3日(金・祝)~12月3日(日)
会 場  根津美術館

中国・北宋時代を代表する文人画家、李公麟の《五馬図巻》(東京国立博物館)と、特別出品のニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵の《孝経図巻》が同時に展示された奇跡の展覧会。
いままで見る機会がなかった重要文化財 (伝)董源《寒林重汀図》(黒川古文化研究所)も見られて大感激でした。 






第9位 静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)「あの世の探検ー地獄の十王勢ぞろいー」


会 期  2023年8月11日(金・祝)~9月24日(日)
会 場  静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)

閻魔大王はじめ「十王図・二使者図」(静嘉堂文庫美術館)がずらりと並ぶ様はまさに壮観。
展示スペースが大きくなった「静嘉堂@丸の内」ならではの展示が楽しめました。







第10位 特別展 癒やしの日本美術 ーほのぼの若冲、なごみの土牛ー


会 期   2023年12月2日(土)~2024年2月4日(日)
会 場   山種美術館

あわただしかった一年の最後に江戸絵画や近現代の日本画で癒してくれる展覧会を見られるのはうれしかったです。
新年も開催しているので、おだやかな新年を迎えたい方にもおすすめです。






今年も見に行った展覧会はどれも印象的でベスト10を選ぶのに苦労しました。
来年も新たな展覧会にめぐり会えるのが楽しみです。

あらためまして今年一年のご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

みなさまよいお年をお迎えください。

「私が見た展覧会ベスト10」のバックナンバーはこちらです。



2023年12月25日月曜日

山種美術館 【特別展】癒やしの日本美術 ーほのぼの若冲・なごみの土牛ー

今年も残すところあとわずか。
慌ただしかった一年の疲れを癒やして新たな気分で新年を迎えたいという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
筆者もその一人ですが、そんな時にぴったりの展覧会が東京・広尾の山種美術館で開催されています。
タイトルは、【特別展】癒やしの日本美術 ーほのぼの若冲・なごみの土牛ー。 


展覧会チラシ


「ほのぼの」、「なごみ」といったゆるいキーワードに誘われて先日行ってきましたので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


会 期  2023年12月2日(土)~2024年2月4日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日
     [1/8(月・祝)は開館、1/9(火)は休館、12/29(金)-1/2(火)は年末年始休館]
入館料  一般 1400円、中学生以下無料(付添者の同伴が必要)
     冬の学割 大学生・高校生500円
※チケット購入方法、各種割引等は山種美術館公式サイトをご覧ください⇒https://www.yamatane-museum.jp/

展示構成
 第1章 江戸時代の「ゆるかわ」 若冲・芦雪
 第2章 癒やしの風景・心地よい音
 第3章 かわいい動物・愛しい子ども・親しい人との時間
 第4章 心が解き放たれる絵画

展示室内は、長沢芦雪《菊花子犬図》(個人蔵)に限りスマホ、タブレット、携帯電話でのみ撮影可。
ほかの作品は撮影不可です。掲載した写真は内覧会で美術館より特別の許可をいただいて撮影したものです。


第1章 江戸時代の「ゆるかわ」 若冲・芦雪


第1展示室に入るとさっそく伊藤若冲の「ほのぼの」とした布袋さんやひょうきんな表情の鶏たち、長沢芦雪の楽しげな七福神やかわいい子犬たちがお出迎えしてくれます。


第1章展示風景


冒頭に展示されているのは、ずんぐりむっくりした布袋さんが手に扇を持って微笑んでいる姿が描かれた伊藤若冲《布袋図(無染浄善 賛)》(個人蔵)。
解説パネルにある賛の意味もぜひご覧ください。布袋さんの扇から清らかな風が吹いてくるのが感じられるかもしれません。

伊藤若冲《布袋図(無染浄善 賛)》
1762(宝暦12)年賛 個人蔵


長沢芦雪が描くのは無邪気にじゃれあう9匹の子犬たち(下の写真右奥)。
まるでぬいぐるみのようなもふもふの子犬たちの表情には愛嬌があって、後ろ姿の子犬のくるっと丸まった尻尾まで可愛さが感じられます。

第1章展示風景



先ほどご紹介した写真撮影OKの作品はこの長沢芦雪《菊花子犬図》(個人蔵)です(スマートフォン・タブレット・携帯電話に限定)。
ハッシュタグ #山種美術館 #癒やしの日本美術 を付けてSNSで発信しましょう! 


第2章 癒やしの風景・心地よい音


江戸時代の「ゆるかわ」ですっかり和んだあとは、昔懐かしい日本の風景が私たちを癒やしてくれます。

近代・現代の日本画家が描く風景画が並ぶ中でも特におすすめなのが、川合玉堂《山雨一過》(山種美術館)。
いつものことながら玉堂は、こうあってほしいという風景や、こういう人がいてほしいという人物を描く、いわば見る人のツボをグッと押してくれる画家だと感じさせてくれます。
小さいながらも馬子が馬を引いて峠を越す姿がこの作品の大きなポイントになっています。

川合玉堂《山雨一過》1943(昭和18)年
山種美術館

農業に従事しながら絵画制作を行った小川芋銭の《農村春の行事絵巻》は、描かれている人たちの明るい表情がとても印象的です。

小川芋銭《農村春の行事絵巻》1912-26年頃(大正時代)
山種美術館

続いて自然界の心地よい音が描かれた作品へ。

左から 上村松園《杜鵑を聴く》1948(昭和23)年、
川合玉堂《渓雨紅樹》1946(昭和21)年
どちらも山種美術館


上村松園《杜鵑を聴く》からは夏の訪れを告げるホトトギスの鳴き声、川合玉堂《渓雨紅樹》からは水車に流れる水の音が聴こえてきそうです。


第3章 かわいい動物・愛しい子ども・親しい人との時間


第1章では江戸時代の絵師、伊藤若冲と長沢芦雪が描いた可愛い動物たちが楽しめましたが、第3章では奥村土牛が描いた「なごみ」の兎や山羊をはじめとした近代や現代の日本画家が描いた生きものたちに癒やされます。

第1章と第3章の作品を見比べてみると、時代のへだたりはありますが、「可愛い!」と感じた動物たちを細部までじっくり観察して描くという姿勢は共通していることが実感できました。

第3章展示風景

第1章には伝 長沢芦雪《唐子遊び図》【重要美術品】(山種美術館)が展示されていますが、
奥村土牛の《枇杷と少女》をはじめ、あどけない子どもたちに優しいまなざしを向けて描くことも近代日本画家に引き継がれていることもよくわかりました。


第3章展示風景

今までは可愛い動物や子どもたち、そしてのどかな風景を見て心が和んできましたが、親しい友との語らいの場面が描かれた作品は、ゆったりとくつろいだ時の流れに身をまかせてみたいという気分にさせてくれるので、とても心地よさが感じられます。

今村紫紅《歓語》1913(大正2)年
山種美術館



第4章 心が解き放たれる絵画


師と仰いだ小林古径が他界したときに、古径への思いを込めて奥村土牛が描いた作品が《浄心》(山種美術館)。そして、同じく土牛が、歴史家で日本美術院の再興に携わった齋藤隆三を追悼して描いたのが《蓮》(山種美術館)。
第2展示室には、画家の悲しみを癒やし、同時に見る側も安らかな気持ちになれる作品が中心に展示されています。

左から 奥村土牛《浄心》1957(昭和32)年、
奥村土牛《蓮》1961(昭和36)年
どちらも山種美術館


オリジナルグッズも盛りだくさん、新発売もあります!


マルチホルダー、A4クリアファイル、絵はがき、一筆箋、マスキングテープなどなど。
いつものことながら展覧会オリジナルグッズも盛りだくさん。
特に長沢芦雪《菊花子犬図》(個人蔵)の絵はがきは大人気のようです。
新発売もあるので、展覧会ご鑑賞後はぜひミュージアムショップにもお立ち寄りください!




オリジナル和菓子にも癒やされたい!


日本美術で癒やされた後は、やはり甘いもので癒やされたいですね。
「Cafe 椿」では今回の特別展出品作品をモチーフにした和菓子をお召し上がりいただくことができます。
私の一押しは、淡雪のふわふわした食感が心地よい「雲鶴」でしょうか。「春うらら」の胡麻入りこしあんにも惹かれます。
さて、みなさまの一押しはどれになりますでしょうか。





次回展は公募展「Seed 山種美術館 日本画アワード 2024」


次回展は、今回で3回目を迎えた公募展「Seed 山種美術館 日本画アワード 2024」の入選作品全45点が一堂に会する豪華な内容の展覧会です。
会期は2024年2月17日(土)~3月3日(日)。
新進気鋭の現代の日本画家たちによるどんな力作が見られるのか今から楽しみです。


展覧会チラシ

#癒やしの日本美術 は2024年2月4日まで開催されています。
今年一年の疲れを癒やしたい方も、美術館で初詣をしたい方もぜひご覧いただきたい展覧会です。

2023年12月13日水曜日

大倉集古館 企画展「大倉組商会150周年 偉人たちの邂逅 近現代の書と言葉」

東京・虎ノ門の大倉集古館では、企画展「大倉組商会150周年 偉人たちの邂逅 近現代の書と言葉」が開催されています。

大倉集古館外観

大倉組商会が設立されて150年を迎えた今年(2023年)の最後を飾る今回の企画展は、大倉組商会創設者・大倉喜八郎氏(1837-1928)の流麗な書、漢詩を好んだ嗣子・喜七郎氏(1882-1963)による端整な書、さらには両氏と交流があり、私たちが歴史の教科書でしか知らなかった日中の偉人たちによる書を中心に約70件の作品が見られる展覧会。
展示室内には両氏が活躍した激動の明治・大正・昭和の時代にタイムスリップしたような不思議な空間が広がり、わくわくした気分になってきますので、さっそく展覧会の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


会 期  2023年11月15日(水)~2024年1月14日(日)
 ※一部作品の巻替えや展示替えがあります。
 ※1/1-1/14は、お正月にふさわしい大倉集古館所蔵の絵画や工芸品も特別展示されます。
開館時間 10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日  毎週月曜日(祝休日の場合は翌平日、但し1/1、1/2は開館)、12/29-12/31
 ※年始は1/1から開館。
入館料  一般 1,000円、大学生・高校生 800円、中学生以下無料
 ※展覧会の詳細、各種割引料金等は同館公式サイトをご覧ください⇒大倉集古館
 ※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は主催者より広報用にお借りしたものです。
 ※掲載した作品はすべて大倉集古館蔵です。 

展示構成
 第1章 大陸とのつながり
 第2章 大倉喜八郎の光悦流、そして狂歌の流れ
 第3章 近代日本をつくった偉人の書
 第4章 大倉喜七郎と松本芳翠、そして漢詩の友


第1章 大陸とのつながり


第1章には、大倉財閥の中国での事業を通じて知り合った現地での有力者たちの書をはじめとした作品が展示されています。

最初にご紹介するのは、昭和3年(1928)4月22日に亡くなった大倉喜八郎氏の告別式で掲げられた弔旗。寄贈したのは、喜八郎氏と親しかったと言われた、北洋軍閥の巨頭・張作霖。

張作霖寄贈《弔旗「靍馭興悲」》
民国17年(1928) 

右の「大倉鶴彦先生千古」のうち、「鶴彦」は喜八郎氏の号、「千古」とは「永遠に」という意味で、中央の「靍馭興悲」は「靍(=喜八郎氏)が逝き悲しみがおこった」という意味で、張作霖の悲しみの深さがひしひしと伝わってくる作品です。
(作品のキャプションには書かれている文字の意味の解説があるので、内容を理解するのに役立ちます。)

さて、「張作霖」と聞いて、最初は「満州某重大事件」と言われ、のちに関東軍の仕業とわかった「張作霖爆殺事件」を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

当時、「満蒙は日本の生命線」と言われ、満蒙(中国東北部と内モンゴル東部)の権益に執着した日本の支援により張作霖は満州を統一。その後、張作霖は北京に進出しましたが、蒋介石の北伐軍に圧倒されて北京から汽車で奉天(現 瀋陽)に引き上げる途中、張作霖を見限った関東軍によって奉天郊外で汽車もろとも爆殺されてしまったのです。
時に昭和3年(1928)6月4日、大倉喜八郎氏が亡くなってわずか43日後のことでした。

展示室では、張作霖の《弔旗「靍馭興悲」》と並んで、その張作霖と対峙した蒋介石の《弔旗「普天同吊」》、そして張作霖の長男で、父の爆死後、蒋介石の国民政府に合流して抗日運動に努めた張学良が喜八郎氏の一周忌法要にあわせて揮毫した《挽聯 (篆書長聯)》が並んで展示されています。
この展示を見て、喜八郎氏の敵味方の枠を超えた交流の広さにあらためて驚かされました。

第2章 大倉喜八郎の光悦流、そして狂歌の流れ


大倉喜八郎氏は本阿弥光悦(1558-1637)の書を好み、《源氏物語絵巻》《平家納経》など多くの古画、古筆を復元模写した日本美術研究家・田中親美やその弟子に本阿弥光悦の書の料紙をイメージしたものを依頼して、光悦流の優美な書を残しています。
(田中親美は三組の《平家納経》の模本を制作しましたが、そのうちの一組が喜八郎氏が依頼した大倉本(大倉集古館所蔵)です。)

こちらはメインビジュアルになっている大倉喜八郎氏の書《感涙会の歌》です。

大倉喜八郎筆《感涙会の歌》大正11年(1922)

本阿弥光悦は、江戸時代初期の能書家で「寛永の三筆」のひとりですが、「琳派の祖」俵屋宗達とのコラボ作品を制作したことでもよく知られています。

《詩書巻》は、木蓮の下絵の上に光悦が漢詩12篇を書したもので、情緒豊かな木蓮の下絵は宗達が関わった可能性が高いとされています。


本阿弥光悦筆《詩書巻》(部分) 
江戸時代・17世紀


大倉集古館では、宗達が金銀泥で池に咲く蓮を描き、光悦が「小倉百人一首」を書した《蓮下絵百人一首和歌巻》が所蔵されていましたが、惜しくも関東大震災で焼失してしまいました。今回の企画展では複製が展示されているので、宗達と光悦のコラボ作品の優雅さをぜひ感じ取っていただきたいです。

喜八郎氏(号 鶴彦)が主に使用したとされる木印や石印も展示されています。中には号の鶴彦の鶴が文字でなく、鶴の絵と彦の文字が刻まれたとても可愛らしい印もありました(下の写真左手前)。

喜八郎氏のお気に入りは、中国清末の画家で、詩・書・画・篆刻で独自の境地を拓き「四絶」と称された呉昌硯(1844-1927)の印章で、本人に依頼した印も残されているのです。

岡部香塢ほか刻《大倉喜八郎所用印》
大正~昭和初期・20世紀



第3章 近代日本をつくった偉人の書


この章では、大倉家との交流を通じて大倉集古館に収蔵されることになった明治~大正時代の日本を担った偉人たちの書が展示されています。

中でも特に気になったのが伊藤博文の書《於日露交渉所感詩》。


伊藤博文筆《於日露交渉所感詩》明治37-42年(1904-09)

これは、明治37年(1904)、ロシアとの開戦が決定され、当時枢密院議長であった伊藤博文が多年の対露交渉が空しくなってしまったことへの無念を詩に託したもので、文中の「友人某」は、アメリカに早期休戦の便宜を図るため伊藤が渡米を要請した枢密院顧問官の金子堅太郎のことです。
(原本はくずし字で読みにくいのですが、各作品のキャプションには書かれている文章が掲載されているので助かります。)

日露戦争開戦前は、伊藤博文、井上馨らが提唱した「日露協商論」と、山形有朋、桂太郎、小村寿太郎らが提唱した「日英同盟論」が対立し、結果的には明治35年(1902)に締結された日英同盟を後ろ盾にして日露戦争が始まったという経緯がありました。

日本は日本海海戦で勝利したものの、軍資金が枯渇し、ロシアも第1次ロシア革命が勃発してどちらも戦争継続が困難になりアメリカの仲裁でポーツマス条約が締結され、日本は遼東半島南部の租借権や樺太の南部などを獲得しましたが、賠償金要求は放棄せざるを得ませんでした。
窮状に陥った日本がようやく戦争を終結できたことなど知らされていなかった国民は賠償金が取れなかったことに怒り、東京の日比谷公園で開催された講和反対国民大会が暴動化した日比谷焼打ち事件はよく知られています。

伊藤博文の書の隣には、大倉喜七郎氏がこの書を入手したのち、金子堅太郎に揮毫を依頼した書《春畝公所感詩に対する和韻詩》が並んで展示されています。
この書には、日露戦争のさなかの緊迫した状況で平和を願う金子の心情が露呈されているのです。
悲しいことに現在でも地球上では各地で戦争が続いている中であるからこそ、伊藤と金子の書からは平和へのメッセージが強く感じられました。

ほかにも大倉喜八郎氏と親交の深かった近代日本資本主義の父・渋沢栄一の書、日本海海戦時の連合艦隊司令長官・東郷平八郎の書、代々和歌と書道に通じた有栖川宮家の書をはじめとした著名人の書が展示されています。

渋沢栄一筆《大倉定七墓碑銘並びに識語》
大正14年(1925)


第4章 大倉喜七郎と松本芳翠、そして漢詩の友


大倉喜八郎氏の光悦流の流麗な書も魅力的ですが、漢詩の復興に努めた喜七郎氏の端整な書にも心を惹かれます。
こちらは年始に宮中で行われる「歌御会始」において、大正15年に出された宸題「河水清」を喜七郎氏が漢詩で日向の五瀬川の景観を天孫の時代の美しい面影と重ね合わせて詠んだ書です。

大倉喜七郎筆《宸題「河水清」》
大正15年(1926)


ほかにも喜七郎氏の書の師で「楷書の芳翠」と呼ばれた松本芳翠(1893-1971)や、交流のあった漢詩人たちの書が展示されています。

松本芳翠筆《録沈石田安居歌》昭和4年(1929)

大倉集古館の建物裏手に設置されている喜七郎氏の業績を記した《大倉聴松翁頌徳碑》は芳翠の筆によるものなので、次の機会にはぜひ拝見したいです。


書をたしなむ方も、歴史ファンも、漢詩ファンも、琳派のファンも、みなさんが楽しめる展覧会です。
ぜひご覧ください!