2018年6月30日土曜日

第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(2)

6月28日から29日にかけてブリュッセルで開催された欧州連合(EU)首脳会議は、不法移民・難民流入の問題で波乱含みであったが、EU国境警備の強化、北アフリカへの難民審査施設建設の検討を行うことなどで、かろうじて28のEU加盟国が合意する結果となった。

メルケル首相にとっても、EU首脳会議前に盟友CSUから連立離脱をちらつかせられて移民・難民政策の方向転換を迫られ辛い立場にあったが、どうにか乗り切ることができて、厳しい表情は崩さなかったものの、とりあえず安堵したことであろう。

さて、なかなか筆が進まなかった「第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?」の連載は少し時間をさかのぼって、有権者は第4次メルケル内閣をどう見ているのか見ていくこととしたい。

前回の記事→第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(1)

1 有権者の微妙な心理

3月14日に発足した第4次メルケル内閣を有権者はどう見ているだろうか。
少し古いデータになるが、ZDFの3月16日付けのPolitbarometerを見てみよう。

 大連立が成立してよかったかどうか、という質問に対して、全体ではわずかに「よかった」たが「よくなかった」を上回っているだけで、大きな支持を得ている訳ではない。
       (全体) 
よかった
45%
よくなかった
38%

支持政党別に見るとつぎのとおりである。
  
支持政党
よかった
CDU/CSU
71%
SPD
58%
AfD
9%
FDP
25%
左派党
23%
緑の党
41%


CDU/CSU支持者の支持率が高く、野党支持者の支持率が低いのは当然としても、SPD支持者の支持率が低いのは、CDU/CSUとの政策的な違いがわかりにくくなってくる中、CDU/CSUとの連立を続けていると支持者のSPD離れがさらに加速するのではとの危惧の現れであろう。

それは、今回の大連立がSPDにとって長期的に見て利益となるか、損失となるか、との質問に対しする回答にも表れている。全体でも、SPD支持者だけで見ても、損失となるが利益となるを上回っている。

全 体
SPD支持者
損失となる
50%
損失となる
49%
利益となる
41%
利益となる
45%

内閣の顔ぶれについても、「満足」が45%、「不満足」が31%で、有権者はあまり満足はしていない。
(第4次メルケル内閣の顔ぶれは、同じくこちらに掲載しています)
 ↓
第4次メルケル内閣はどこへ向かっていくのか?(1)

連立与党はうまく協力できるかという質問に対しては、「うまくいく」が50%、「うまくいかない」が44%、問題解決ができるかという質問に対しては、「できる」「できない」ともに48%で、新内閣に対する期待度は高いとは言えない。

しかしながら、今の大連立が次の選挙までもってほしいか、という質問に対しては、「もってほしい」が70%であり、これは、昨年9月の選挙後、長く続いた連立交渉に嫌気が指した有権者の「あまり期待はしていないけど、内外にさまざまな問題が出てくる中、正式な政府が存在しない状況は避けたい。」といった微妙な心境を反映しているのだろう。

2 SPDのジレンマ

昨年の連邦議会選挙の選挙戦で、SPDのシュルツ候補は突如、「アジェンダ2010」の修正を主張した。これは、2003年から当時のシュレーダー首相(SPDと緑の党の連立内閣)が着手した「アジェンダ2010」に反発してSPDを離れた支持者を呼び戻そうという目論見だったが、SPDが勢力を盛り返して赤赤緑連立(SPD、左派党、緑の党の連立)政権の成立をおそれた有権者たちからそっぽを向かれ、逆効果になったのは昨年の連載した「連邦議会選挙の行方」で報告したとおり。



有権者はSPDが左寄りになることも、CDUが保守的な立場をとることも望んでいない。
やはり少し古いデータであるが、第4次メルケル内閣が成立する前の2月23日に実施されたPolitbarometerの世論調査では、CDUに伝統的な保守政治を望むかという質問に対して、「望む」が35%、「望まない」が61%、SPDに左寄りのポジションを望むかという質問に対して、「望む」が43%、「望まない」」が53%という回答になっている。
この場合、伝統的な保守政治とは、コール政権時代(1982-1998)の自由競争市場主義を、左寄りのポジションとは、労働者寄りの政策と置き換えるとわかりやすいであろう。

上記1でふれたとおり、SPDはCDU/CSUとの違いが有権者にわかりにくくなることを危惧しているが、1958年のゴーデスベルク綱領でマルクス主義を放棄し、国民政党への転換を図ったときからこのような状況になることは避けられなかったのかもしれないし、右か左かのイデオロギー闘争より、国民福祉の向上を図る政策を求める有権者が多くを占めている以上、自然の流れなのかもしれない。

大連立といっても、連立を組むCDU/CSUとSPDの得票率を合わせてもわずか53.4%で、辛うじて過半数を超えているにすぎない。最初に大連立を組んだ1966年には86.9%、最近でも2005年の69.4%、2013年の67.2%で、この数字と比較すると今回の大連立は、もはや「大連立」とは言えない。左派党のように左過ぎでなく、AfDのように右過ぎない、中道政党のどうしの「中道連立」と言い換えてもいいのかもしれない。


第4次メルケル内閣が成立してから、シリア内戦、アメリカとの貿易摩擦、アメリカのイラン和平からの脱退、など、いきなり外交上の難問を突きつけられた。
EU内や国内においても、ポピュリズムの台頭や不法移民・難民流入が深刻になり、さらには連立政権内でも不法移民・難民流入への対応や、フランスのマクロン大統領が提案するEU統合の進化への対応で調整が難航している。
まさに内憂外患の状態でメルケル首相は今回のEU首脳会議にのぞんだのであるが、次回は特にドイツ国内におけるポピュリズムの動きと連立政権内で生じている不協和音について見ていくこととしたい。
(次回に続く)




2018年6月9日土曜日

上野の森美術館「ミラクルエッシャー展」内覧会

「ミラクルエッシャー展」が上野の森美術館で始まりました!

オランダの版画家 マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898-1972)の生誕120年を記念して開催された今回の展覧会。世界最大級数のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品から選りすぐりの152点が展示されています。


美術館前のパネルはエッシャーワールド!

「だまし絵」といえばエッシャーと言われるくらい「だまし絵」で知られているエッシャーですが、今回の展示は8つのキーワードでエッシャーの謎を解き明かす内容になっていて、会場内を進むごとに少しずつ、少しずつエッシャーの世界に引きこまれ、最後には「だまし絵」の世界にはまり込む仕掛けになっています。

8つのキーワード
 1 科学、2 聖書、3 風景、4 人物、5 広告、6 技法、7 反射、8 錯視

そしてもう一つ、エッシャーが生きた時代背景を思い浮べながら、ファシズムの嵐が吹き荒れる欧州で、必死にもがき苦しみつつ自らのスタイルを探し求めたエッシャーの姿を、作品を通じて感じとることができるのも、今回の展覧会の大きな特徴です。

それではさっそくエッシャーのワンダーワールドをご案内しましょう。
※掲載した写真は主催者の特別の許可を得て撮影したものです。



「1 科学」

「1 科学」展示風景

1898年にオランダ北部の都市レーウワルデンで生まれたエッシャーは、1919年にハールレムの建築装飾美術学校に入学して、建築を学び始めましたが、同校の版画家で、のちのエッシャーに大きな影響を与えることになったサミュエル・イェッスルン・ド・メスキータと出会い、版画の道に転じました。

こちらは同校在学中の作品《貝殻》(1919/20年 木版)。

エッシャー《貝殻》(1919/20年 木版)

第二次世界大戦後の作品《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)と比べてみても、一つのパターンが反復するところなどは、すでに版画を始めたときから「だまし絵」の片鱗があったように思えます。

エッシャー《宿命(逆さまの世界)》(1951年 リトグラフ)

エッシャーは同時代に発展した科学ー数学の図形や結晶学、そして幾何学模様などを応用して画面に表現しました。

マルタ島の風景が半球型に膨らんでいる!
この作品は1945年7月に完成しています。欧州では長い間続いた戦火はすでに止んでいたので、それを思うと、気のせいかマルタ島の明るい日差しがよりいっそう輝いているように見えます。

エッシャー《バルコニー》(1945年 リトグラフ)

捨てられたごみの中に結晶体!


エッシャー《対照(秩序と混沌)》(1950年 リトグラフ)


「2 聖書」



「2 聖書」展示風景

「エッシャーのバベルの塔は高層ビル!」(バカリズムさんの音声ガイド)

エッシャー《バベルの塔》(1928年 木版)


このコーナーには敬虔なカトリック教徒であったエッシャーの描いた聖書を題材とした作品が展示されていますが、作品は1922年から1928年までに集中しています。


解説パネルによると「1935年、エッシャーはヒエロニムス・ボスの《地上の楽園》(1503-4)の地獄の場面の一部を模写したリトグラフを制作したが、この後、伝説や宗教主題に対するエッシャーの関心は弱まっている。これは、イタリアでのファシズムの台頭に対するエッシャーの抗議であった」とのことで、エッシャーの芸術活動にはファシズムが暗い影を落としていました。

さて、ファシズムの暗い影とは?
「3 風景」に移りましょう。


エッシャーはイタリア滞在中に多くのスケッチを描き、イタリアの風景の作品を残しました。しかし、「エッシャーにとってイタリア滞在はあまり心地の良いものではありませんでした」と音声ガイドのバカリズムさん。

1922年に建築装飾美術学校を卒業したエッシャーは北イタリア、スペインのアルハンブラ宮殿ほかを旅行したあと、1935年までイタリア各地に滞在します。学校を卒業したばかりの青年画家は、きっと希望に胸をふくらませて、太陽が燦々と輝くイタリアに向かったことでしょう。

しかし、 エッシャーにとってイタリアに行った年が悪かったです。

1922年は、ムッソリーニ率いるファシスト党がクーデターを企て「ローマ進軍」をした年(同年10月)。その後、ムッソリーニ内閣が成立し、1924年には独裁体制を確立させ、1929年の世界大恐慌を経て、1926年アルバニア保護国化、1935年エチオピア侵略、と露骨な領土の拡張を行い、イタリアは国際社会との対立を深めていきました。
そして、国内ではファシスト党のシンボルの黒シャツを着た「黒シャツ隊」が街中を闊歩して、エッシャーにはいやでもそういった光景が目に入ったことでしょう。

南国の風景でありながら、どことなく愁いを帯びた絵を描いたのは、こういった時代背景があったからなのかもしれません。



「3 風景」展示風景

「3 風景」展示風景
「3 風景」展示風景

しかしながら、愁いを帯びているといっても、曲がりくねった回廊、複雑にいりくんだ建物、などなど、のちの「だまし絵」に通じるような風景画は独特の雰囲気が感じられ、イタリアの景色を思い浮べさせてくれる、とてもいい作品ばかりでした。




エッシャー《アマルフィ海岸》(1934年 木版)


「4 人物」には美術学校在校時の自画像が展示されています。
背景の版画作品が「俺は版画家だぞ。」と主張しているようにも見えます。


エッシャー《椅子に座っている自画像》(1920年 木版)
もちろん、同じモチーフの反復やテープで描かれた人の顔など、いかにもエッシャー!という作品も展示されています。

エッシャー《出会い》(1944年 リトグラフ)


エッシャー《婚姻の絆》(1956年 リトグラフ)

エッシャーはファシズムから逃れるため、1935年にイタリアから出て、スイス滞在を経て1937年にベルギーのブリュッセルに移り住みます。
1933年には隣国ドイツにナチス政権が誕生していたので、山岳地帯と強力な軍備に守られたスイスに留まらないで、なぜ平地で攻め込まれやすく、たいした軍備をもっていなかったベルギーに行ったのでしょうか。
(実際にドイツは、損害が大きくなることをおそれてスイスには侵攻しませんでした。)

今から考えてみると、わざわざ危険な場所に行ったように思えますが、当時はまだナチス・ドイツの脅威は実感として感じらる風潮ではなかったのでしょうか。

しかし、欧州情勢はその後大きく動きました。
1939年9月にドイツ軍がポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発して、約1ヶ月でポーランドは制圧され、さらに1940年5月にドイツ軍はオランダ・ベルギーを侵攻し、6月10日にはパリに無血入城します。
これ以降、連合軍に解放されるまでの4年余り、オランダ・ベルギーはドイツの占領下に置かれました。
その後、エッシャーは1941年、故郷オランダのバールンに転居します。

「5 広告」
エッシャーは、グリーティングカードやレストランためのエンブレムなども手掛けていました。こちらの作品は、ドイツ占領時代にナチスに抵抗したオランダのレジスタンスへのオマージュとして制作したものです。
井戸からはしごを伝って上がってくる人の手と、井戸の口から見える外の景色が描かれています。


エッシャー《オランダ蔵書票協会(ハーグ)のための年賀状
(グリーティングカード》(1946年 木口木版)


1階の展示室はここまでで、次に2階に向かいます。


「6 技法」

「6 技法」展示風景


「6 技法」展示風景
球面鏡に反射するイメージを表した《眼》。
鏡に映る自分自身の眼に映るのは骸骨。

エッシャー《眼》(1946年 メゾティント)

この作品が制作されたのは第二次世界大戦終結後の1946年。
骸骨は戦争で失った人たちに対する悲しみの象徴なのでしょうか。


内覧会冒頭のロニット・ソレックさん(イスラエル博物館 版画・素描部門学芸員)のお話はとても印象的でした。

「エッシャーは、ユダヤ人の師ド・メスキータに身を隠すように説得しましたが、ド・メスキータは、まさか連行されることはないだろう、と聞き入れませんでした。しかし、1944年、ド・メスキータはドイツ当局に連行され、アウシュビッツ強制収容所に送られて帰らぬ人となりました。」
「その後、エッシャーは、ド・メスキータの自宅で、ドイツ軍によって荒らされた作品を集め、戦後に開催されたド・メスキータの追悼展で展示しました。展示作品の中には、ドイツ軍兵士の軍靴の足跡がついた作品もそのまま展示されました。」

ちなみに、このメゾティントという技法は手間がかかるためエッシャーの作品では8点しかないそうです(バカリズムさんの音声ガイドより)。

「7 反射」では、鏡を使ったエッシャーのトリックにまんまと引っかかってしまいます。
正面の作品は《球面鏡のある静物》。
作品の後ろにはさらに展示室があるように見えますが、実は背面は鏡。向こうの世界に行かないようにご用心。

エッシャー《球面鏡のある静物》(1934年 リトグラフ)
「8 錯視」
最後がいよいよエッシャーの「だまし絵」ワールドです。

1922年と1935年に訪れたアルハンブラ宮殿は、エッシャーに大きなインパクトを与えました。
アルハンブラ宮殿の幾何学模様をもとにトカゲをモチーフにした《発展Ⅱ》。

エッシャー《発展Ⅱ》(1939年 多色刷り木版)

空間がゆがんだアルハンブラ宮殿?
エッシャー《上と下》(1947年 リトグラフ)

エッシャーワールドはさらに続きます。

エッシャー《相対性》(1953年 リトグラフ)



エッシャー《ベルヴェデーレ(物見の塔)》(1958年 リトグラフ)



エッシャー《滝》(1961年 リトグラフ)



そして最後のクライマックスは4mもの長さの《メタモルフォーゼⅡ》。


METAMORPHOSEという文字が図形やトカゲ、鳥や魚、そしてイタリアを思わせる街並みやチェスの駒と盤、さらに図形に変化してMETAMORPHOSEという文字に戻るという不思議な一大絵巻物語。
今までエッシャーが描いてきたモチーフが次から次へと「変容」していきます。

《メタモルフォーゼⅠ》が描かれたのは1937年。そして、《メタモルフォーゼⅡ》が描かれたのは1939-1940年。

世界や自分自身が大きな嵐の渦に巻き込まれる不安な心境を反映したのでしょうか、とても不思議で、考えさせられる作品です。

さて、ミラクルエッシャー展はいかがだったでしょうか。
この夏、みなさんもぜひエッシャーの「謎」に迫ってみてはいかがでしょうか。
要所を押さえ、ユーモアをまじえたバカリズムさんの音声ガイドもおすすめです。


チケットカウンターもエッシャーワールド!


【展覧会概要】
 開催場所 上野の森美術館
 開催期間 6月6日(水)~7月29日(日) 会期中無休  
 開催時間 10:00-17:00 毎週金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
 チケット 一般 1600円他
  記念講演会もあります。詳細はミラクルエッシャー展公式ホームページをご参照くだ
 さい。

2018年6月6日水曜日

泉屋博古館分館「うるしの彩り-漆黒と金銀が織りなす美の世界」ブロガー内覧会

かつて住友家の麻布別邸のあった六本木一丁目に建つ泉屋博古館分館。6月2日(土)から「うるしの彩りー漆黒と金銀が織りなす美の世界」が始まりました。


蒔絵の鼓、硯箱、香箱、どれもがまばゆいばかりに金や銀の装飾で輝いています。そして、螺鈿の貝殻も見る角度によって青く、白く、そして紫色にキラキラと輝いています。

そんなきらびやかな作品が並んだとても素晴らしい展覧会。じめじめした天候が続く中、さわやかさが感じられるこの夏おススメの展覧会です。

それでは先日参加したブロガー内覧会の次第に沿って展覧会の魅力を紹介したいと思います。

はじめに「暑い中ようこそおいでいただきました。本日は絶好のうるし鑑賞日和です。」とユーモアたっぷりにご挨拶いただいた野地分館長。今回の展覧会は「住友コレクションの漆工芸品が東京初上陸!」とのことですので、見逃すわけにはいきません。

続いて担当学芸員の森下さんと外山さんのギャラリートーク。

第1会場の様子。
黒を基調とした展示スペースが、金銀の輝きを引き立てています。





森下さんに最初に紹介いただいたのは、第1会場入って左側の能に使われる楽器のコーナー。





「住友コレクションのキーパーソン、住友家第十五代当主 住友春翠(1864-1926)は能を好み、能で使われる楽器を蒐集しました。」と森下さん。
「鼓や太鼓、笛には鯉、桐と鳳凰といった吉祥のある模様が描かれています。」

能の楽器の向かい側には、能を鑑賞したあとのおもてなしに使われる会席の道具が展示されています。こちらは二枚脚の膳で、膳の上の扇面には謡曲(能の謡)のモチーフが描かれています。



中央のガラスケースには、同じく能の演目の一場面が描かれた扇面のお盆が展示されています。招かれた客人たちは、食事をしながら会席道具の絵柄を見て、話が弾んだのでしょう。

お盆の反対側には一見すると黒いお盆。


しかし、斜め横からよく見ると、今尾景年《金閣寺》、幸野楳嶺《平等院・宇治橋》はじめ当時の京都画壇の売れっ子画家による京都の名所風景が浮かび上がってきます。

次に唐物の香合が2つ続きます。



「(上の写真左)《黒漆青貝芦葉達磨香合》(作品番号17)は室町幕府八代将軍 足利義政が相阿弥に下絵を描かせたという香合です。器は中国伝来のもので、織田有楽斎、建仁寺、千家と伝来し、住友家に伝わったものです。」と森下さん。
図柄は、達磨が一枚の芦の葉に乗って揚子江を渡り魏に入ったという説話を描いた芦葉達磨図ですね。

また、和物に戻ります。
「下絵を描いた酒井抱一の《椿蒔絵棗書状》(掛軸 作品番号23)とともに伝わった原羊遊斎の《椿蒔絵棗》(下の写真手前 作品番号22)です。」



絵画作品も展示に彩りを添えています。


《柳橋柴舟図屏風》(上の写真右 作品番号27)
右から順に柳の葉の色づきや柳にかかる雪で春夏秋冬を表しています。
画面に流れる川はよく和歌に詠われた宇治川。
「宇治川は江戸時代に好まれた題材です。」

続いて木挽町狩野家第二代 狩野常信の《紫式部・黄蜀葵・菊図》(上の写真左 作品番号28)。
中央は、紫式部が石山寺で月明かりの中、須磨、明石の段の着想を得ているところです。
「このように江戸時代には古典文学への強いあこがれがありました。」

こちらの硯箱は、表と裏で物語がつながっているので、鏡で裏面もご覧になってください。


部屋の中で香を楽しむのは平安時代から。こちらは江戸時代の作品で、香を当てるゲームの道具《秋草蒔絵十種香箱》(作品番号33)。


しだれ柳の描かれた《柳橋柴舟図屏風》のちょうど向かいに展示されている豪華な香箱《蜻蛉枝垂桜蒔絵香箱》の図柄は枝垂桜。




ここで翌日(6月2日)にゲストトークが予定されていた室瀬智弥さん(目白漆芸文化財研究所 代表取締役)がご登場され、《蜻蛉枝垂桜蒔絵香箱》について解説していただきました。

「黒地をバックにアワビの螺鈿、側面の橋には鉛を置くなど、うるしの接着性を活かして手間をかけずにデザインをうまく配置しています。桃山時代の高台寺蒔絵を踏襲しています。」
と室瀬さん。

戦国時代や桃山時代は、政治情勢が安定していなかったので、長い時間待っていられない注文主の武士たちのため、手間のかからない技法がとられたとのことです。
この香箱は江戸時代の作品ですが、こんな豪華な香箱が手間をかけていないものとは、解説をおうかがいするまでわかりませんでした。

続いて第2会場に移ります。
こちらの会場は白を基調とした落ち着いた雰囲気です。

第2会場の様子

こちらでは、京都の本館から来られた外山さんのトーク。
「こちらのコーナーには中国や琉球の漆工芸品が展示されています。蒔絵は日本独自に発展した技法で、中国や琉球では、漆を厚塗りして彫刻刀で彫る彫漆、黒漆に光沢のある貝殻を貼りつける螺鈿が発展しました。」と外山さん。

「こちらは明代の万歴年間の盆で皇帝の所蔵品でした。皇帝の象徴である五本の爪を持った龍が描かれていて、右側の盆は皇帝のシンボルカラーである黄色の漆が使われています。」
「左の盆の龍は爪が四本ですが、爪と爪との間が空いているので、皇帝から下賜されたときに爪を一本削ったのでしょう。」


中国では花鳥、吉祥、理想郷としての仙人や楼閣山水、子孫繁栄を願った子供たちの図柄が好まれました。

《唐子図螺鈿長方盆》(下の写真左 作品番号49)には蓮の花の上に乗った唐子が描かれています。蓮は連に通じ、元気な子供たちが連なって生まれてくることを願ったのです。


《唐児遊図屏風》(作品番号50)。
子供たちのわんぱくぶりがなごめます。


楼閣山水の図柄が並びます。


伝・仇英《蓮池納涼図》(下の写真右 作品番号56)も優雅です。



「螺鈿は、中国では日用品として使われていたのでほとんど残っていませんが、日本ではトップレベルの『お宝』として入ってきたので大切に残されているのです。」と外山さん。
「琉球でも日中両国への主要な献上品として螺鈿は盛んに制作されました。《楼閣山水箔絵藤縁盆》は(上の写真左端のお盆 作品番号61)は日本向けの中国趣味に合わせて作られていますが、どことなく南国的なおおらかさが感じられます。」

「今回の展覧会は、中国、琉球、朝鮮、日本の漆工芸品の技法、モチーフの違いがわかるのも見どころの一つです。」

第2会場の左側には江戸時代後期から明治時代にかけての作品が展示されています。

《吉野山蒔絵十種香箱》(作品番号 62)

文久年2年(1862年)のロンドン万国博覧会や慶応3年(1867年)のパリ万博では、この作品のような漆芸作品も出展され、欧米の注目を集めました。
明治に入ってからも、欧米に追いつき追い越せの風潮の中、漆芸作品は輸出されました。
「今でいえば明治の超絶技巧ですね。」と外山さん。



ここで再び室瀬さんご登場。
「技術的に一級の作品を作った人たちの技を残しつつ、新たなものにつなげていきたい。」という心強いお言葉をいただきました。

残念ながら室瀬さんのゲストトークは終わってしまいましたが、最後に森下さんからさまざまな関連イベントのご案内がありました。
尺八のコンサートもあります。尺八の内側には漆が塗られているのです!
詳細は展覧会の公式サイトでご確認ください。

そして最後に森下さん。
「イベントも盛りだくさんです。みなさんぜひお越しください。」(拍手)

さて「うるしの彩り」はいかがだったでしょうか。
きらびやかで細やかな装飾は、近くで見ないとよくわかりません。
ぜひその場でじっくりうるしの彩りをご鑑賞いたければと思います。