2026年8月4日火曜日

江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」

東京・墨田区の東京都江戸東京博物館では、江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」が開催されています。


明治時代に入り、新政府の近代化政策によって多くの西洋文化が日本に入ってきましたが、その象徴ともいえるのが洋風建築でした。
今回の特別展は、明治期に急速に展開・普及した洋風建築について、その受容から本格的西洋建築の成立までの様子を、建築図面をはじめ、ドローイング、錦絵、模型、古写真、絵葉書、家具、建築部材などさまざまな資料や、立体パノラマなどで体感できる展覧会です。

今回は、前期最終日(7月26日)に開催された特別講演会「日本近代建築史におけるドイツと日本の洋館」に参加して、あわせて前期展示を、そしてその後、後期展示も拝見してきましたので、さっそく展覧会の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


展覧会名 江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」
会 期  2026年6月23日(火)~8月23日(日)
     ※展示替えあり 前期:6/23-7/26、後期:7/28-8/23
開館時間 午前9時30分~午後5時30分、土曜日は午後7時30分まで、8月7日(金)・
     14日(金)・21日(金)は午後9時まで(入館は閉館の30分前まで)
休館日  月曜日(ただし8月10日は開館)
展覧会の詳細、最新情報等は同館公式サイトをご覧ください⇒https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/western-style-architecture/

展示構成
 第1章 ナマコ壁と擬洋風建築(ぎようふうけんちく)
 第2章 建築家がやってきた—外国人建築家と「都市風景」
 第3章 開花する洋風の明治—日本人建築家の挑戦
 第4章 羨望の住処(すみか)―明治の洋風邸宅 

※展示室内は一部作品のみ撮影可です。会場内で撮影の注意事項をご確認ください。


展示室に入って最初に感じたのは、立体パノラマによる都市風景の再現展示が広がる臨場感でした。

私たちをお出迎えしてくれるのは、横浜・山手から見た幕末の横浜居留地の景色。


「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景

港内には多くの外国船が停泊し、手前には外国人の居留地が広がっています。
空にはカモメが飛び、鳴き声が聞こえ、時間の経過とともに日が昇り、日が暮れて夜になってまた朝が来るという一日の移り変わりも体験できます。


第1章 ナマコ壁と擬洋風建築(ぎようふうけんちく)

明治元年(1868)、東京開市とともに築地に居留地が開かれ、外国人向けの宿泊所として建てられたのが築地ホテル館でした。主設計はアメリカ人建築技術者リチャード・ブリジェンスが行い、工事は大工棟梁の二代目清水喜助が担当しました。
そして、清水が明治5年(1872)に設計・施工を手がけたのが、大作・第一国立銀行でした。
横浜に続いての立体パノラマは、雪景色の中の中の第一国立銀行。
このように、江戸時代以来の大工が明治初期に見よう見まねで作った和洋折衷の建物を「擬洋風建築(ぎようふうけんちく)」と呼びます。

「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景


この立体パノラマの原画は、もちろんこの方の作品。
「光線画」で一世を風靡した明治期の版画家・小林清親です。
雪の第一国立銀行が描かれた風景は、小林清親の展覧会が開催されれば、必ずといってよいほど展示されるので、ご覧になられた方も多いのではないのでしょうか。

海運橋 第一銀行雪中 小林清親/画 1877年(明治10)年 東京都江戸東京博物館
※前期展示のため現在は展示しておりません。 


第2章 建築家がやってきた—外国人建築家と「都市風景」

「擬洋風建築(ぎようふうけんちく)」はどれも個性豊かなものでしたが、新政府が求めていたのは個性よりも「本物の西洋」でしたので、さまざまな国から建築家が招聘されました。

冒頭でご紹介した特別講演会「日本近代建築史におけるドイツと日本の洋館」では、「洋館 明治の夢と挑戦」出品作品「国会議事堂案 外観透視図」(エンデ&ベックマン作)を所蔵しているベルリン工科大学建築博物館館長のハンス=ディーター・ネーゲルケ氏、日本におけるエンデ&ベックマン研究の第一人者である堀内正昭氏から、明治時代におけるドイツ建築と日本の洋館について、お話をおうかがいしました。

なかでも、2人のドイツ人建築家、ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンが設計した3件のうち、2件は実現しなかったこと、建築様式には古代ギリシャ、ゴシック、ルネサンスなどさまざまな様式があって、ドイツの建築家たちはそれらを発展・変容させているということを実例をあげて紹介されたお話は特に興味深かったです。

エンデ&ベックマンが「官庁集中計画」の一環として設計した国会議事堂のドローイングは、日本初公開です。

国会議事堂案 外観透視図 エンデ&ベックマン/設計
1887-1888年(明治20-21)頃 ベルリン工科大学建築博物館
Architekturmuseum der Technischen Universität Berlin Inv. Nr.20190


エンデ&ベックマンが設計した作品でもう一つ実現しなかったのは東京裁判所で、実現したのは法務省旧本館でした。今回の特別展のサブタイトルにあるように、エンデとベックマンの挑戦は、法務省旧本館を除き夢と終わってしまったのです。
もし、エンデとベックマンの夢が実現していたら、官庁街は重厚な建物が並び、少し違った雰囲気の風景になっていたのかもしれません。

東京裁判所 第一案 外観透視図 エンデ&ベックマン/設計
1887年(明治20)頃 ベルリン工科大学建築博物館
Architekturmuseum der Technischen Universität Berlin Inv. Nr.1071


明治政府にとって、幕末期に欧米列強と締結した不平等条約の改正(治外法権の撤廃、関税自主権の回復)は最大の政治課題でした。そこで、条約改正のために欧米の制度・生活様式などを取り入れた欧化政策をとりましたが、その象徴が、多くの日本人建築家を育てたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計した鹿鳴館で行われた舞踏会でした。
ここではワルツの調べが流れ、夜になれば舞踏会参加者たちの客たちのざわめきも聞こえてきます。


「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景



第3章 開花する洋風の明治—日本人建築家の挑戦

第3章では、明治12年(1879)、ジョサイア・コンドルが育成して工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)を卒業した日本人初の建築家4名(辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次郎)らの業績が紹介されています。


ドイツから招聘された鉄道技術者フランツ・バルツァーが提案した東京駅の立体図案は和風の案だったので、洋風の駅舎を求めていた日本側に採用されることはありませんでしたが、その後の設計を託された辰野金吾は、バルツァーの配置案を引き継いで現在の東京駅の設計を進めました。    

バルツァー提案による中央停車場模型 2014年(平成26)
 鉄道博物館(東京ステーションギャラリー)

こうして誕生したのが、辰野金吾が設計した中央停車場(現・東京駅)でした。
戦争による被害を受けましたが、平成24年(2012)におよそ100年前の姿によみがえり現在に至っています。

中央停車場建物展覧図 1911年(明治44)頃 鉄道博物館

第3章の最後の立体パノラマは、辰野金吾の帝国製麻ビルと、妻木頼黄が装飾を担当した日本橋。明治建築界のライバルの作品は、かつてこのように対峙していたのでした。

「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景



第4章 羨望の住処(すみか)―明治の洋風邸宅 

今回の特別展のフィナーレを飾るのは、東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)の朝日之間や花鳥之間などの写真を背景に、その場で実際に使われていたサイドボードや椅子、食器台などが展示された豪華絢爛な空間です。
展示を眺めていると、まるでその場にいるような贅沢な気分になってきます。

「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景



「洋館 明治の夢と挑戦」展示風景


冒頭にご紹介したように、明治期の洋館が体感できる展示です。それに、解説もわかりやすく、建築ファンはもちろん、建築に詳しくなくても、大人も子ども楽しめるので、夏休みのぴったりの展覧会です。おすすめです。

お帰りの際には東宮御所に入った気分で記念撮影をぜひ!


2026年7月22日水曜日

国立西洋美術館 企画展「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」

東京・上野公園の国立西洋美術館では、企画展「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が開催されています。
 


今回の企画展は、17世紀オランダを代表する画家レンブラント(1606-1669)の版画表現の可能性を拓いた名作はもちろん、レンブラントに憧れた巨匠たちの作品も展示されて、レンブラントの版画史における’’インパクト”にも注目した国内初の大規模な展覧会です。

それではさっそく展覧会の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要


展覧会名 版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト
会 場  国立西洋美術館(東京・上野) 企画展示室
会 期  2026年7月7日(火)~9月23日(水・祝)
開催時間 9:30~17:30(毎週金・土は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
主 催  国立西洋美術館、レンブラント・ハウス美術館、朝日新聞社
国立西洋美術館公式サイト⇒https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2026rembrandt.html

展示構成
 第1章  レンブラント、版画の挑戦
 第2章 受け継がれる遺産 17―18世紀
 第3章 世紀を超えるインパクト 19―20世紀

※展示室内は一部の作品を除き撮影可です。会場で撮影の注意事項をご確認ください。


見どころ1 版画家レンブラントの挑戦!


今回の展覧会では、「油彩以上に色彩豊か」(詩人・批評家テオフィル・ゴーティエ[1811-1872])とも言わしめた、レンブラント版画の魅力がたっぷり紹介されます。

レンブラントは、エッチング制作を始めた当初、多くの自画像を制作しました。その主要な目的のひとつは、表情の習作だったと考えられています。
第1章の冒頭には、レンブラントの母の肖像、レンブラント自身の自画像、アムステルダムの版画商の肖像などが展示されています。

第1章展示風景


レンブラントの自画像は、驚いたような様子だったり、しかめっつらをしていたり、羽根飾りつきの帽子をかぶってかしこまっていたりと表情豊か。
レンブラントという人がとても身近に感じられました。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《自画像、口を開けた顔》
1630年 エッチング レンブラント・ハウス美術館



レンブラントがエッチングで手掛けた主題は、肖像、風俗、聖書の物語、風景など多岐にわたりますが、ジャンルの専門化が進んだ17世紀当時のオランダでは、レンブラントの主題の幅広さは例外的なもので、野心的なものでした。

風俗画が人気を博したこの時代にレンブラントは風俗画も描きましたが、無宿者や旅回りの楽師や行商人など社会のアウトサイダーとみなされてきた人たちを好んで描いたのもレンブラントの特徴でした。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《旅回りの楽師たち》
1635年頃 エッチング レンブラント・ハウス美術館

キリスト教的主題も当時では主流ではありませんでしたが、レンブラントが制作したエッチングの中で大きな割合を占めていたのが「キリスト教主題」の作品でした。

エッチングの歴史に残る傑作とされるのが《百グルデン版画》。
このタイトルは作品についた破格に高額な値段にもとづいたもので、1649年末までにはこの価格がすでについていたとのことですので、レンブラントの人気の高さがうかがえます。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《百グルデン版画》
1648年頃 エッチング、ドライポイント、ビュラン/和紙 国立西洋美術館


厳かに光を放つキリストを中心に、『マタイによる福音書』19章に記された複数のエピソード―病人の癒し、パリサイ人たちとの論争、子どもたちの祝福、富める若者への譴責―が一つの画面の中で同時進行的に描かれています。
複数のエピソードを同時進行で展開させる手法、線の重ね具合によって画面右側の漆黒の闇からグレー、白へと移り変わる陰影のグラデーション、そしてインクのにじみの効果が出る和紙を使っていることなど、まさにレンブラントの挑戦がぎゅっと詰まった作品です。



見どころ2 レンブラントのインパクト!


「どちらがレンブラントのエッチング作品でしょうか?」と聞かれても迷ってしまいますが、下の写真右はレンブラント20歳代の《自画像、口を開けた顔》から18年後に制作された《窓辺でエッチングを制作する自画像》、左はゲオルク・フリードリヒ・シュミットの《窓の蜘蛛を伴う自画像》でした。

右 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《窓辺でエッチングを
制作する自画像》1648年 エッチング、ドライポイント、ビュラン/中国紙 
左 ゲオルク・フリードリヒ・シュミット《窓の蜘蛛を伴う自画像》
1758年 エッチング、ドライポイント どちらもレンブラント・ハウス美術館

シュミットは、エングレーヴィングによる肖像画の複製において高く評価されたドイツの作家で、キャリアの後半にはレンブラント風のエッチングを多く手掛けるようになり、サンクトペテルブルク滞在中に制作された《窓の蜘蛛を伴う自画像》は、その代表作に数えられます。
レンブラントの自画像を土台にしつつ、シュミットが好んだと考えられるヴァイオリンやワイン、兵役の経験を示唆する剣、窓の外にはロシアの風景、窓ガラスには運命や時の経過と結びつけられたモティーフのクモの巣が描かれるなど、独自の趣向を取り入れているところに注目したいです。

フランスの画家でフォーヴィスムの代表的作家のひとり、マティスもレンブラントへの敬意を表した作品を描いていました。


アンリ・マティス《版画を彫るアンリ・マティス》
1900-03年 ドライポイント 国立西洋美術館


18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したスペインの画家、版画家ゴヤは、スペインであまり知られていなかったレンブラントの版画を熱心に研究して、受けた刺激を自作に反映させました。

左 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《使徒たちに現れるキリスト》
1656年 エッチング レンブラント・ハウス美術館
右 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
《〈戦争の惨禍〉79:真理は死んだ》 1810-20年頃
エッチング、バーニッシャー/ウォーヴ紙 国立西洋美術館


「真理」は、王政復古による「憲法の自由」の死の暗喩を表した作品で、群像の配置や「真理」が発する光線の描写に、レンブラントの《使徒たちに現れるキリスト》とのつながりが見て取れます。


エッチングに対する関心が下火になっていた19世紀、エッチング・リヴァイヴァルが起こり、エッチングの普及と地位向上を目指す『エッチングのパリ』誌の宣伝のために制作されたのが、レガメのポスターでした(下の写真右)。

このポスターのオリジナルは、今回の展覧会のメインビジュアルになっているレンブラントの《書斎の学者(ファウスト)》(下の写真左)。今回の展覧会のメインビジュアルになっている作品です。

右から フレデリック・レガメ《『エッチングのパリ』誌ポスター》
1875年 リトグラフ/青色紙 レンブラント・ハウス美術館
ヴィクトル=マリー・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』1832年、パリ
(初刊1831年) 東京大学総合図書館
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《書斎の学者(ファウスト)》
1652年頃 エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館


見どころ3 レンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館による共同企画!


「わっ、なんでここに《夜警》が!?」と一瞬驚いてしまいましたが、これはレンブラントの《夜警》をはじめ名高い巨匠たちの油彩画をもとに、数々のエッチングを制作したフランス人画家シャルル・ワルトネの作品でした。
そしてこれは国立西洋美術館の所蔵作品と知って、またいつか見る機会があるかもと思い、うれしくなってきました。

シャルル・ワルトネ《夜警(レンブラントに基づく)》1886年
エッチング、ドライポイント/和紙 国立西洋美術館 星元太郎氏より寄贈



次の2点の作品もレンブラントとシュミットの作品と同じく「どちらがレンブラントの作品?」と思ってしまいますが、下の写真の上がレンブラントの《三本の木》(国立西洋美術館)、下がフランスの画家、彫刻家、銅版画家、ルグロの《嵐の川景色》(レンブラント・ハウス美術館)です。
雨や雲、木々の表現など、ルグロがレンブラントのインパクトを受けた作家のひとりであることがよくわかります。

なお、《三本の木》の作品解説のキャプションによると、左の水辺では男女が釣り糸を垂れ、右の繁みには密会中の男女が潜み、右奥の斜面の上を馬車が横切り、その先にはレンブラント自身と思われる画家が描かれているとのことですが、すべてを見つけ出すのはかなり難易度が高いです。ぜひその場でレンブラントの巧みなエッチング表現に「挑戦」してみてください。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《三本の木》 1643年
エッチング、ドライポイント、ビュラン 国立西洋美術館


アルフォンス・ルグロ《嵐の川景色》
1857年 ドライポイント レンブラント・ハウス美術館


オランダ、アムステルダムの中心に位置するレンブラント・ハウス美術館は、レンブラントが1639年から1658年まで実際に暮らした家を利用した、世界で唯一のレンブラント専門の美術館で、レンブラントによるエッチングの世界有数のコレクションを中心に、素描作品、さらに彼と関連の深い、あるいは、その強い影響を受けた芸術家たちの作品を収蔵しています。

一方、国立西洋美術館でも、レンブラントのエッチングを重点的な収集の対象として、《百グルデン版画》など代表作を含む、20点余の作品を所蔵しています。
今回の展覧会は、レンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館による共同企画で、両館が誇るコレクションを中心に、国内の美術館や個人蔵の作品も加えた約130点が一挙に展示され、レンブラントのエッチングと、それが同時代及び続く時代に与えた影響を見ていく企画です。

先ほどご紹介したレンブラントとゴヤの夢の競演をはじめ、両館の作品が並んで展示されていて比較できるのも共同企画ならでは。この絶好の機会にぜひ版画家レンブラントの魅力をお楽しみいただきたいです。


特設ミュージアムショップには関連グッズも盛りだくさん。



展覧会公式図録もおすすめです。

展覧会公式図録


2026年7月18日土曜日

すみだ北斎美術館 開館10周年記念 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士

 東京・墨田区のすみだ北斎美術館では、開館10周年記念 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士が開催されています。


展覧会チラシ


   

今回は、すみだ北斎美術館開館10周年を記念して開催される展覧会の第2弾で、江戸後期の浮世絵界を代表する2人の巨匠が描く富士山の競演が見られるので、開幕を楽しみにしていました。
遅ればせながら、先日、展覧会を拝見してきましたので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。

展覧会開催概要

会 期   2026年6月23日(火)~8月30日(日)
      ※前後期で一部展示替えを実施
      前期:6月23日(火)~7月26日(日)
      後期:7月28日(火)~8月30日(日)
開館時間  9:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日   毎週月曜日
      (月曜が祝日または振替休日の場合はその翌平日)
      開館:7月20日(月・祝)
      休館:7月21日(火)
会 場   3階企画展示室
主 催   墨田区・すみだ北斎美術館
特別協力  町田市立国際版画美術館

※観覧当日に限り、4階『北斎を学ぶ部屋』、常設展プラスもご覧になれます。
※展覧会の詳細、チケットの購入方法、各種割引の詳細、最新のイベント情報は同館公式ホームページをご覧ください⇒https://hokusai-museum.jp/
※企画展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は、主催者より広報画像をお借りしたものです。

展示構成
 序章 江戸っ子の富士
 1章 北斎の富士
 2章 広重の富士
 3章 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士






今年も7月に入って富士山が開山して、多くの登山者が富士山に登っていますが、江戸時代にも富士山を信仰する町人らで組織された冨士講の人たちで富士登山はご覧のとおりにぎわっていました。


二代歌川国輝「富士山諸人参詣之図」山梨県立博物館蔵(前期)

ところがよく見てみると、上る人の笠や着物には味噌や豆、下る人の笠には竹や油などの文字が書かれています。これは当時の物価の上下も暗示しているのでした。
ということは、浮世絵師が現代の富士登山の様子を描いたら、上る人たちだけになってしまうかもしれませんね。


今回の展覧会の大きな見どころは、なんといっても葛飾北斎(1760-1849)と歌川広重(1797-1858)による富士山が描かれた作品の夢の競演が見られることです。

北斎の名作「冨嶽三十六景」46図は、約4年ぶりに前後期で全点が展示され、広重の「冨士三十六景」36図も前後期で全点展示されます。さらに広重最晩年の大作「名所江戸百景」の中から富士山が描かれた図、そして広重「不二三十六景」シリーズの作品も展示されるという、まさに豪華レパートリー、充実の内容です。


前後期で展示替えということは、「冨嶽三十六景」の中でも特に人気の高いビッグ3はいつ見られるのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ご心配には及びません。
「凱風快晴」、「山下白雨」、「神奈川沖浪裏」は、半期で同タイトルの作品が展示されるので、前期に来ても、後期に来ても見ることができます。


赤く染まる富士山から「赤富士」とも呼ばれる「冨嶽三十六景 凱風快晴」。

 葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」すみだ北斎美術館蔵(通期)
半期で同タイトルの作品に展示替え



「冨嶽三十六景 山下白雨」は、山裾に松林が加えられた変わり図も前期に展示されます。(後期はパネル展示)
 
葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」吉野石膏コレクション すみだ北斎美術館寄託(通期)
半期で同タイトルの作品に展示替え

海外の方たちから「グレートウェーブ」の愛称で親しまれている「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」吉野石膏コレクション すみだ北斎美術館寄託(通期)
 半期で同タイトルの作品に展示替え




今回の展覧会では、富士山を北斎と広重が同じ場所または類似した構図で描いた作品が並んで展示されているので、二人の個性の比較ができるのがうれしいです。

北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と並んで展示されている広重の「不二三十六景 相模七里か浜風波」に描かれた波は、北斎の波を意識しているのでしょうが、まるで小山のように盛り上がっていてとてもシュールな印象を受けます。

歌川広重「不二三十六景 相模七里か浜風波」山梨県立美術館蔵(通期)

広重は保永堂版「東海道五拾三次之内 由井 薩埵嶺」でも静岡の薩埵峠を描いていますが、海は穏やかで、「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」のように激しい波の表現はありませんでした。
北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と広重の「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」は今回の展覧会のメインビジュアルになっていますね。

歌川広重「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」町田市立国際版画美術館蔵(前期)


北斎の「冨嶽三十六景」は、真正面からとらえた大きな富士も描いていますが、奇抜な構図で姿をあらわす富士山もまた大きな魅力です。
「冨嶽三十六景 遠江山中」では、支柱の間から富士山が顔をのぞかせています。
この作品は、木材と支柱が織りなす三角形と富士山が相似形になっていて、幾何学的な構図になっているのも大きな特徴です。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 遠江山中」すみだ北斎美術館蔵(前期)


広重の富士はどうでしょうか。
「冨士三十六景 さがみ川」は、筏(いかだ)船の焚火の囲い、大山、富士山の三角形の相似形を巧みに用いた構図のバランスのよさから名作として高く評価されていますが、北斎のインパクトの強さとは違ったさりげなさが広重の魅力なのかもしれません。
この作品はゴッホの「タンギー爺さん」の背景に描かれていることでも知られています。

歌川広重「冨士三十六景 さがみ川」町田市立国際版画美術館(前期)

後期に展示される「冨士三十六景 甲斐大月の原」は、色とりどりに咲き乱れる秋の七草がまるで冨士山を祝福しているような明るさが感じられます。

歌川広重「冨士三十六景 甲斐大月の原」町田市立国際版画美術館(後期)


広重は北斎より37歳年下で、北斎が70代で「冨嶽三十六景」を発表してから約20年後に広重の「不二三十六景」、さらに約10年後に「冨士三十六景」が刊行されています。
今回の展覧会では、広重が北斎から受けた影響を見ることができますが、同時に広重の北斎に対するライバル意識も感じ取ることができました。

歌川広重『富士見百図』(前後期で頁替あり すみだ北斎美術館)の自序では「北斎の富士図は構図の面白さが主で、富士は脇役となってしまっているが、自分は目の当たりにした富士の写生をもとにして、細部は省略したとしてありのままの風景を描いている」といった内容のことを語っているのです。


広重は晩年の大作「名所江戸百景」でも、120図のうち22図に富士山を描いています。
そのうち、現在の目黒区中目黒にあった目黒新富士は、北方探検家で幕臣の近藤重蔵が別邸内に築かせた富士塚のことで、その山頂には人の姿が見えますが、さぞかしいい眺めだったことでしょう。
北斎が富士塚をほとんど描いていないのに対して、広重は上目黒の元富士も描いているので、富士塚を江戸の名所として紹介する姿勢がうかがえます。

歌川広重「名所江戸百景 目黒新冨士」東京藝術大学蔵(前期)


これまで、北斎と広重の波や、三角形の構図を比較してきましたが、後期には東海道の原宿(静岡県沼津市)と吉原宿(静岡県富士市)の間にある富士沼から見た富士山を比較することができます。

「冨嶽三十六景 駿州大野新田」で北斎は、前景に芦を積んだ牛を引きのんびりと家路につく農民たちを描いて情緒豊かな情景に仕上げています。
       

葛飾北斎「冨嶽三十六景 駿州大野新田」すみだ北斎美術館蔵後期)


一方、広重は「不二三十六景 駿河富士沼」で、山頂が絵の枠を突き抜けた富士山の堂々とした姿を表現しています。
同じく富士山頂が絵の枠を突き抜けている「東海道五拾三次之内 原 朝之冨士」を思い浮かべました。 

歌川広重「不二三十六景 駿河冨士沼」太田記念美術館蔵(後期)


3階ホワイエのフォトスポットにはメインビジュアルのパネルに加え、富士講の登山者が身に着ける行衣の顔はめパネルがあるので、富士山に登った気分で記念撮影をしてみてはいかがでしょうか。

3階ホワイエのフォトスポット



「開館10周年記念 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士」のリーフレットはオールカラーで全12ページ。作品紹介も充実していて、持ち運びにも便利なので、鑑賞のお供にもぜひ!



北斎と広重という二人の巨匠が描いた富士山が同時に楽しめる展覧会です。
おすすめです!

2026年7月15日水曜日

三井記念美術館 特別展「京都・真如堂の名宝」

東京・日本橋の三井記念美術館では、特別展「京都・真如堂の名宝」が開催されています。 
真如堂は、正式には鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、平安時代に戒算上人によって開かれた天台宗の古刹で、応仁の乱によって伽藍は焼失し、その後も移転や火災を繰り返しましたが、江戸時代に現在の洛東・神楽岡の地に再建されました。

展覧会ポスター


今回の展覧会は、真如堂をテーマとする初めての展覧会です。
真如堂に伝わる仏像・絵画・経典などをはじめとする貴重な文化財が紹介され、鎌倉時代の阿弥陀如来立像が寺外初公開になるなど、見どころいっぱい。
開幕に先立って開催されたプレス内覧会に参加しましたので、展覧会の様子をさっそくご紹介したいと思います。


展覧会開催概要


会 期  2026年7月4日(土)~8月30日(日)
     ※会期中展示替があります。
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日  月曜日(但し7月20日は開館)、7月21日(火)
入館料  一般 1,500円、大学・高校生 1,000円、中学生以下無料
※展覧会の詳細、各種割引等については同館公式サイトをご覧ください⇒https://www.mitsui-museum.jp/

※展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は、プレス内覧会で美術館より許可を得て撮影したものです。

展示室1   真如堂の歴史と三井家1
展示室2   国宝「法華経(運慶願経)」
展示室3・4 真如堂の本尊と同時代の仏像
       寺外初公開!鎌倉時代の阿弥陀如来立像
       真如堂伝来の仏教美術 
展示室5   真如堂縁起
展示室7   真如堂伝来の書画
       真如堂の歴史と三井家2


真如堂の歴史と三井家1

江戸時代には、三井家の元祖である三井高利夫妻が檀家となったことを契機に、真如堂と三井家は深い関わりをもつようになりました。
いつもゴージャスな雰囲気で気分を盛り上げてくれる展示室1には、『真如堂縁起』をはじめとした真如堂の歴史を伝える書画や、三井高利夫妻ら三井家の肖像彫刻などが展示されています。

「展示室1」展示風景



三井高利夫妻坐像  江戸時代・17世紀  真正極楽寺 真如堂



国宝「法華経(運慶願経)」

続いては展示室2。
いつも展覧会を代表する作品が展示される「VIPルーム」には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した仏師・運慶が発願した国宝『法華経(運慶願経)』が展示されています。


「展示室2」展示風景

日本史にも登場する有名な仏師・運慶が、仏像を造るだけでなく仏教の経典を法華経という形で残したことは、ほかにこのような例はなく、また、運慶の信仰心を知る上でも国宝『法華経(運慶願経)』は非常に重要な意味をもつ史料なのです。
国宝『法華経(運慶願経)』は全八巻のうち、一巻は失われ、八巻は個人所蔵、真如堂は二巻~七巻を所蔵しています。今回の展覧会では、第三巻と第五巻が7月4日~8月2日、第七巻は8月4日~8月30日に展示されます。

国宝 法華経(運慶願経)巻第七 珎賀筆 鎌倉時代・寿永2年(1183
真正極楽寺 真如堂
  (画像提供:京都国立博物館)
〔展示期間
84日~ 830日〕


三井記念美術館の中で最も広い展示室4に移ります。

真如堂の本尊と同時代の仏像

真如堂の本尊・阿弥陀如来立像は本堂建立時の正暦5年(994)頃の作とされ、現存する阿弥陀如来立像として最古級の作例に位置付けられています。
本尊は秘仏のため展覧会への出展はかないませんが(パネル展示)、展示室4には本尊の模刻像をはじめ、本尊の制作時期と同じ頃に都や比叡山に伝来した仏像が12体展示されています。

これだけ古い時代の仏像が並ぶ様は、まさに荘厳の一言。この空間をぜひその場で体験していただきたいです。

「展示室4」展示風景


そして、真如堂本尊が造立された10世紀後半から11世紀初頭にかけては、平安時代前期にみられる重厚な作風から、穏やかな「和様」へと移行していく時期にあたるので、衣の襞(ひだ)の形や、仏像の体形の違いなどを、解説を読みながら見比べると、その当時の変化をうかがうことができます。


寺外初公開!鎌倉時代の阿弥陀如来立像


貴重な仏像の展示はまだまだ続きます。

「展示室4」展示風景


なかでも鎌倉時代の阿弥陀如来像二体は、どちらも寺外初公開。


真如堂山内寺院の法輪院に伝来する阿弥陀如来立像は、昨年の修理に際して、ファイバースコープの調査によって、像内から仏師「院蓮」の名と建長5年(1253)の制作年を記した墨書銘が発見されました。
胃カメラなどの医療や、配管や機械の内部などの調査に用いられるファイバースコープは文化財の調査でも活用されていることを知りましたが、人体であれば口や鼻から管を入れるところ、仏像は耳から管を入れるのだそうです。


阿弥陀如来立像 院蓮作 鎌倉時代・建長5年(1253
 真如堂一山 法輪院 (画像提供:美術院)

同じく真如堂山内の喜運院に伝来する阿弥陀如来立像も鎌倉時代の作で、寺外初公開。
真如堂本尊との構造上の共通点も指摘されていますが、ここで注目したいのが衣の襞の文様。
仏様の左の胸あたりにクルクルと渦を巻いたような「渦巻衣文」が見えるので、ぜひその場でご覧いただきたいです。

阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 真如堂一山 喜運院


真如堂伝来の仏教美術

展示室4には真如堂に伝来する仏画の名品も展示されています。
これだけ多くの仏像や仏画に囲まれると、まるで寺院の法要の場にいるような気分になってきます。

「展示室4」展示風景



真如堂縁起

重要文化財『真如堂縁起』(真正極楽寺 真如堂)は、真如堂創建の由来や寺の変遷が描かれた三巻本の絵巻で、このうち中巻と下巻とともに、海北友竹筆と伝わる江戸時代の模本三巻もあわせて展示されます。   (展示室1の『真如堂縁起』この絵巻の詞書だけを書き抜いて冊子装にしたものです。)
海北友竹は、安土桃山時代に活躍して、武士出身らしく気迫あふれる作風で知られる海北友松の孫で、友松の墓が真如堂にあるご縁から、元禄期の真如堂再建の際に友竹は多くの絵を描いたのでした。

「展示室5」展示風景

展示替えがありますが、江戸時代の模本三巻とあわせて会期中のどの時期でも上巻・中巻・下巻とも見ることができます。展示替は次のとおりです。

                展示期間
 真如堂縁起(模本)・巻上 7/4-8/30(通期展示)
 真如堂縁起・巻中      7/4-8/2
    真如堂縁起(模本)・巻中 8/4-8/30
 真如堂縁起(模本)・巻下 7/4-8/2
 真如堂縁起・巻下      8/4-8/30
       
このほかにも、三井記念美術館が所蔵する『真如堂尊像模刻霊感記』も展示されます。
これは、室町三井家二代の継室寿月が、真如堂の阿弥陀如来像を模刻した経緯とその霊験を描いた絵巻です。

真如堂尊像摸刻霊感記 下巻 詞:寿月筆 三井高興識
 江戸時代・元文
3年(1738)三井記念美術館




真如堂伝来の書画

展示室7には真如堂に伝わるさまざまな書画が展示されていますが、室町幕府第十三代将軍・足利義輝、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ肖像画のメンバーがあまりに豪華なのに驚かされました。
さらには近年の調査で新たに確認された、豊臣秀吉に関わる古文書(太閤検地・朱印状)も特別展示されているので、時の権力者との関わりを垣間見ることができます。


「展示室7」展示風景

そういった中でも特に異色なのは『安倍晴明蘇生図』
『真如堂縁起』下巻(8/2までは模本)にも、安倍晴明が念持仏の不動明王の力で蘇生する場面が描かれていますが、これはその場面が一幅に仕立てられた作品です。
閻魔大王のアイテムである「浄玻璃の鏡」には胡粉が濃く塗られ(画面下部の白い鏡)、裏面から光を当てると亡者の罪業が映し出される仕掛けになっているので、虫払会の際に寺僧が蠟燭の明かりなどで透かし出して参拝者の目を楽しませたと考えられています。
その場で見ると、何かがうっすらと描かれているのが見えるので、さすが陰陽師・安倍晴明らしいミステリアスな作品だと思いました。

安倍晴明蘇生図 江戸時代・17世紀 真正極楽寺 真如堂



真如堂の歴史と三井家2

展示室7には、三井家から寄進された数多くの品々のうち、絵画を中心とした作品が展示されています。

「展示室7」展示風景


「応挙虎」がいました!
この虎図は、書や絵を得意とした北三井家八代高福が円山応挙の「虎図」に倣って描いたことがわかっていますが、何も言われなければ応挙作と思ってしまうほどの素晴らしい作品です。

虎図 三井高福筆 明治時代・19世紀 真正極楽寺 真如堂




ミュージアムショップ

所蔵作品や展示作品をモチーフにしたグッズが盛りだくさんなので、お帰りの際にはミュージアムショップにもぜひお立ち寄りください。

ミュージアムショップ

展示作品のカラー図版や詳しい解説が掲載された特別展公式図録もおすすめです。

特別展「京都・真如堂の名宝」図録


千年以上にわたって信仰を集めてきた京都・真如堂の名宝が一堂に会した展覧会です。
とても見ごたえのある展覧会ですので、この機会にぜひ多くの方にご覧いただきたいです。