JR茅ケ崎駅から海の方に向かってしばらく歩くと見えてくるのが自然豊かな高砂緑地。その中に立地する茅ヶ崎市美術館では、展覧会「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 ―その魂の召喚—」が開催されています。
昭和に改元される前年の大正14(1925)年に生まれ、昭和61(1986)年に没した牧野邦夫は、まさに激動の昭和という時代に生きた画家でした。特定の絵画団体などに所属することなく、個展を開催して作品を発表していた牧野の知名度は決して高くはなく、筆者がその名を知ったのは、平成25(2013)年に練馬区立美術館で開催された「牧野邦夫―写実の精髄―」展のメインビジュアルになっていた《ビー玉の自画像》を見たときでした。
ところが、気になった画家ではあったものの展覧会に気が付いたのが会期末に近かったこともあって、そのときは残念ながら見に行くことができませんでした。
それから13年。
地元神奈川県の茅ヶ崎市美術館で開催されるのを知って、今度こそ逃さずに見に行こうと思い立って行ってきました。
作品を前にして、牧野邦夫という画家のすごさに驚いてばかりいましたが、どれだけものすごい画家なのかはぜひその場でご覧いただくとして、ここではいくつかの作品をもとに見どころをご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 場 茅ヶ崎市美術館 〒253-0053 神奈川県茅ケ崎市東海岸北1-4-45
会 期 2026年3月31日(火)~6月7日(日)
開館時間 10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(ただし、5月4日は開館)、5月7日(木)
観覧料 一般:1,200円、大学生:1,000円、市内在住65歳以上:600円
高校生以下、障がい者およびその介護者は無料
展覧会の詳細、関連イベント等は同館公式サイトをご覧ください⇒https://www.chigasaki-museum.jp/
展示構成
序章 内面(うちなるもの)をみつめて―生涯のテーマ・自画像—
第1章 描く対象(もの)を求めて—模索期・昭和30年代—
第2章 レンブラントとの対話—開花期・昭和40年代—
第3章 想いのままに―完成期・昭和50年代—
終章 魂の召喚—その終焉・昭和60年代—
※展示室内は《未完成の塔》(個人蔵(練馬区立美術館寄託))を除き撮影禁止です。掲載した写真はプレス内覧会で美術館より許可を得て撮影したものです。
序章 内面をみつめて—生涯のテーマ・自画像—
序章には、牧野が生涯を通じて描き続けてきた自画像が展示されていますが、それは顔だけが描かれた自画像だけではありませんでした。
剣を持って武装する姿や狐の面が描かれた自画像、さらにはぐにゃっと曲がった食卓を前に煙草を手にしてくつろぐ画家自身などさまざま。着ている服装にしても、人の顔がデザインされたモフモフの服や、ひらひらした派手なフリルがついた襟や袖の服など奇抜なデザインのものもあって、どれも特徴的。
不思議な魅力を持ったいくつもの自画像を見ているうちに、心の準備ができないまま一気に「牧野ワールド」に引き込まれてしまいました。
第1章 描く対象(もの)を求めて—模索期・昭和30年代—
筆者が牧野を知るきっかけとなった《ビー玉の自画像》(個人蔵)は第1章に展示されていました。
この作品は、牧野が好きだったアルブレヒト・デューラーが自身を正面から描いた《自画像》(ドイツ・ミュンヘン アルテ・ピナコテーク蔵)を連想させてくれますが、アルテ・ピナコテークで見たデューラーの《自画像》と同じく、我が道を行こうとする牧野の画家としての決意や信念が伝わってくるように感じられました。
第1章で注目したいのは、下の写真右の《邪保(若いサタン)》(個人蔵)で初めて描いて以来、牧野作品に繰り返し登場する「邪保(じゃぼ)」。
「邪保」は、芥川龍之介の小説「きりしとほろ上人伝」に登場する悪魔(ぢやぼ diabo(ポルトガル語)のことで、この小説では主人公の巨人「れぷろぼす」の前に学者の姿をして現れて、彼をたぶらかす存在でしたが、牧野が描く邪保は、邪悪な存在というより、神に見放された悲しみ、孤独な寂しさを心に抱く牧野オリジナルの存在としてとらえられていました。
第2章 レンブラントとの対話—開花期・昭和40年代—
17世紀ネーデルラント絵画の巨匠レンブラントを生涯にわたって敬愛し続けた牧野は、昭和41(1966)年、レンブラントの母国オランダを訪ね、その後、ヨーロッパ各地を巡り、西洋の古典絵画に大きな刺激を受けました。
そして、帰国後に牧野が本格的に取り組み始めたのが、芥川龍之介をはじめ文学作品を題材にした物語絵でした。
なかでも特に強い印象を受けたのは、「奉教人の死」「きりしとほろ上人伝」「じゆりあの・吉助」「南京の基督」といった芥川龍之介の切支丹物を題材にした作品でした。
奉行の取り調べにキリシタンであることを素直に告白した「じゆりあの・吉助」が磔の刑で息絶えた場面が描かれた《ジュリアーノ吉助の話(芥川龍之介作品より)》をはじめ、物語のクライマックスシーンを劇的にとらえた迫真の描写にはただただ圧倒されるばかりでした。
冒頭にご紹介した茅ヶ崎市美術館入口の看板の作品は、ミケランジェロが描くような筋骨隆々とした戦士たちが登場していますが、実は壇ノ浦の戦いに敗れた平家一族が入水する、「平家物語」の名場面が描かれているのです。
作品を見ていると、人物など細部は写実的なのに、全体としては幻想的、西洋絵画的なタッチなのに、題材はギリシャ神話ではなく日本の古典文学という、なんとも言えないアンバランスさになぜか魅了されてしまいます。
第二次世界大戦の中でも、補給を度外視した無謀な作戦として知られる「インパール作戦」を題材にした高木俊朗の戦記小説『インパール』に着想を得た作品が《インパール(高木俊朗作品より)》(練馬区立美術館蔵)です。
学徒動員で出陣して宮崎で終戦を迎えた牧野は、戦場で戦ったことはありませんでしたが、空襲の犠牲になった死体や、原爆による被害を受けた広島の惨状を見た経験があったので、圧倒的な英印軍の兵力の前に斃れる日本軍兵士たちや、飢えや疫病により多くの兵士が犠牲になり、「白骨街道」とも呼ばれた退却ルートの様子を生々しく描いています。
戦場の悲惨さに心が揺さぶられる大作です。
| 牧野邦夫《インパール(高木俊朗作品より)》昭和55(1980)年 練馬区立美術館蔵 |
そこにはいないはずなのに、牧野の目には見えてしまうのでしょうか。
千穂夫人とともに自身を描いている生活の一場面なのに、三味線を弾く猫がいたり、奥の部屋には江戸時代の人たちと思われる人物がいたりと、画面いっぱいに摩訶不思議な世界が広がるのも牧野作品の大きな魅力のひとつです。
終章 魂の召喚—その終焉・昭和60年代—
本展で撮影可能の作品は、《未完成の塔》(個人蔵(練馬区立美術館寄託))。
これは、牧野が50歳の昭和50(1975)年に描き始め、10年ごとに一層ずつ描き進める構想を立てたもので、昭和53年頃(c1978)には「レンブラントが30歳頃の絵に自分は60歳位になったら追いつけるのではないか。レンブラントのような絵を描けるようになるには自分は63歳で死んだレンブラントより30年長く生きなければ到達しないので、90歳過ぎまで生きなければならない。」といった内容の言葉を遺していましたが、牧野は惜しくも61歳で亡くなったので、二層目を描きかけた段階でこの作品は未完成なままで終わってしまいました。
| 牧野邦夫《未完成の塔》未完成 個人蔵(練馬区立美術館寄託) |
牧野にとって茅ヶ崎は画家としての駆け出しの頃に過ごしたゆかりの土地でした。
茅ケ崎駅前にあったマッコール洋裁学園の経営を任された2人の姉とともに、東京美術学校を卒業して間もない牧野は、昭和24(1949)年に小田原から茅ヶ崎へ移り住んだのでした。
学園は、昭和55(1980)年に用地立ち退きにより閉鎖され、以降は茅ヶ崎の地に足を踏み入れることはありませんでしたが、往時をしのぶ写真や、茅ヶ崎市美術館が所蔵する牧野が当時描いたデッサンなどが展示されている展示室3は、茅ヶ崎市美術館ならではの展示です。
本展は巡回展ですが、ここでしか見られない展示なのでぜひご覧いただきたいです。
| 展示室3展示風景 |
牧野の作品は、個展を開いてコレクターが買っていくということが多かったので、今回の展覧会も個人蔵の作品が多いのが特徴です。
なんとなく惹かれた作品の前で立ち止まって見ていたところ、「これは私が所蔵している作品です。」と年配の男性に声をかけられました。「とてもいい作品ですね。」と笑顔で答えたら、その方からも笑顔が返ってきました。
ほんの一瞬の短い会話でしたが、牧野の作品は、この方のように作品を大切にするコレクターのみなさんに支えられているのだなと実感しました。
不思議な魅力をもった「牧野ワールド」が楽しめる展覧会です。ぜひ多くの方にご覧にいただきたいです。