2013年2月17日日曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(6)

平成24年9月6日(木)
朝6時に起きてシャワーを浴びてほっと一息。
朝食は7時からなので、10分ほど前に階段で朝食会場に降りて行った。
これがホテルの女性従業員から最初に紹介された「アンナ・アマーリア」の中。
やはり高級レストランだけあって、こぎれいで落ち着いた雰囲気。
こういったところでゆったりと朝食がとれるなんて、なんという贅沢なことだろうか。
ちなみにレストランの名前は、ゲーテをワイマール公国に招聘したカール・アウグスト公の母親、アンナ・アマーリア太公妃からとられている。


野菜や果物をとり、テーブルに着くと、ベージュ色のベストを着た若いウェイトレスさんが近づいてきて、「おはようございます。卵はどう料理しますか」と声をかけてきた。
ベーコンエッグ、オムレツ、スクランブルエッグの3種類あるというので、
「3日間泊まるので、今日はベーコンエッグにします」

さて、このホテル・エレファント。
1547年に領主の館がここに建てられ、そこで旅館としての営業が始められたのが1696年。
以来、文化の中心地ワイマールにふさわしく、常連客のゲーテが地下の「エレファンテン・ケラー」でワインを飲み、ワグナー、トルストイ、アンデルセンをはじめとした著名な文化人がこの地を訪れホテル・エレファントに宿泊した。
しかし、この文化的な香りをすっかり消し去ったのがヒトラーであった。
ヒトラーは政権を握る1933年まで何回もこのホテルに泊まり、党本部として使った。
そして1937年には建設から400年近く経過してボロボロになっていたこのホテルを建て替え、その後はナチス幹部が頻繁に出入りすることになる。
下の写真は、ホテル・エレファントのホームページに出ていた写真と同じく、マルクト広場の反対側から撮ったもの。
手前には三叉の矛を持つネプチューン像。正面の白い建物がホテル・エレファント。建て替えのとき、東側(写真では建物の左の方)2軒の建物を壊し、ホテルの規模を拡張している。



第一次世界大戦後に誕生し、もっとも進んだ民主憲法をもった共和国の発祥の地であるワイマールを、政治的にその対極に位置するヒトラーは徹底的に否定しにかかった。
このマルクト広場では何度となくナチスが行進を行い、ワイマール郊外にあり、ゲーテが風光明媚とたたえ、天気のいい朝にはエッカーマンを誘い馬車で訪れワインを飲みながら朝食を食べたエッタースベルクの丘陵地帯には強制収容所を建設した。


アイゼナハに向かうIC2252はワイマール中央駅を9時ちょうどに出発する。
ゆっくり食事をとり、食後のコーヒーを飲み終えたあと、部屋にザックを取りに行き、8時半にホテルを出た。
途中、レストラン「Scharfes Ecke」をさがしたが、女性従業員が×印をつけたあたりにはそれとおぼしきレストランは見あたらなかった。



これが女性従業員が渡してくれた地図。
真ん中の少し右寄りがホテル・エレファント。一番上がワイマール中央駅で、緑のラインマーカーがホテルから中央駅までの道順を示している。その女性従業員は、ホテルを出て右に曲がり少し行った角に×印をつけてくれた。
(次回に続く)

2013年2月5日火曜日

ドイツ・ゲーテ紀行(5)

平成24年9月5日(水)続き

閉館時間の6時になったので、ゲーテ・ハウスをあとにして、マルクト広場の方に向かった。
ホテル・エレファントに戻り、フロントに顔を出すと、お昼に対応してくれた背が高く、金髪のロングヘアで、くりくりした目が印象的な女性従業員が笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい。はい、部屋の鍵をどうぞ」

鍵を受け取り、お礼を言ってエレベーターの方に向かおうとすると、
「〇〇さん、夕食にお勧めのレストランがあります。Scharfes Eckeという名前です」
ふたたびレストラン攻勢だ。
「今日は行く店を決めているのですが、値段しだいでは明日行ってもいいので、場所を教えていただけますか」
というと、ワイマール市街の地図に×印をつけて渡してくれた。
「Scharfes Eckeというくらいですから、急な曲がり角にあるんでしょうね」
「ええそうです」
「では、明日の朝アイゼナハに行くので、ワイマール駅に行く途中で店の前のメニューを見てみます。予約するときは夕方戻ってきてから声をかけさせていただきます」
「わかりました」

ホテルの部屋は2階。ここは鍵までエレファント。ずしりと重い。


日本の旅行代理店で予約したとき、「シングルもツインも同じ料金ですがどうしますか」と聞かれたのでツインにしたが、やはり部屋は広い。


夕食は『地球の歩き方』に「ワイマール最古のレストラン」と書かれていた「ツム・シュバルツェン・ベーレン」に決めていた。雨はまた降ってきたし、ホテル・エレファントのすぐ隣なのでちょうどいいや、と思い中をのぞいたが、中年の夫婦や家族連れが多く、何となく一人では入りづらい気がしたので、しばらく店の前をうろうろしたが、結局入らなかった。
でもお店の雰囲気もよさそうだし、看板もおしゃれなので、今度来たときは思い切って入ってみようか。


お店の看板もその名のとおり「黒い熊」。



さて、それではどこへ行こうかと考えたが、足は自然とゲーテ・ハウスの方に向かっていった。
やっぱりゲーテの近くで食事をしたい、そのような思いがそうさせたのだろうか。

ゲーテ・ハウスの前まで行くと、向かいに地ビールの看板を掲げたレストランがあった。
チューリンゲンの郷土料理もあるし、日本でいえば大衆食堂みたいな感じで入りやすい雰囲気だったので、迷わずこの店に入った。


私以外に客が一組しか入っていなかったので多少不安になったが、まだ時間が早いのだろうと思い、とりあえずビールを注文した。
去年ドイツに行った時のブログで紹介したが、ドイツのレストランにはお通しや、枝豆や冷奴のようなクイック・メニューがないので料理が出るのを待ちながらビールをちびりちびり飲むのがドイツ流だ。
去年は11月で、かなり寒くて喉もあまり渇かなかったので、料理と一緒にビールを持ってきてもらって、ウェイトレスさんにけげんな顔をされたこともあったが、今回は日本よりは涼しかったとはいえ、それなりに暖かく、喉も適度に渇いてきたので、チューリンゲンの郷土料理を注文し、まずはビールを飲むことにした。


料理はたいてい一杯目のビールが飲み終わる頃に出てくる。
これがチューリンゲンの郷土料理。ビールはぬかりなく二杯目を注文していた。


真ん中がチューリンゲン独特の長細いソーセージ。ソーセージに塗りたくった黄色い物体はマスタード。そして奥がザウアークラウト(酢漬けキャベツ)、手前がマッシュポテトと、いたってシンプル。
ドイツ人にとってポテトは、日本人のごはんに相当するので、ソーセージ定食といったところだろうか。
ビール二杯と料理で12ユーロ50セント。チップ込みで14ユーロ払ったので、当時のレートで約1,400円ぐらい。
外に出て気がついたが、ここは「ピッツェリア・ラ・ペルラ」というイタリア料理の店だった。そういえばピザやパスタもメニューにあった。
ワイマールに限らないが、ドイツの街にはイタリア料理の店が多い。

おなかもいっぱになり、酔いも回ってきた。長旅の疲れも出てうつらうつらしてきたので勘定を済ませて、ホテルに戻ることにした。
ホテルのフロントに顔を出すと、先ほどの女性でなく、他の女性従業員だったが、こちらがルームナンバーを言う前に鍵を渡してくれた。どうやらこのホテルでは日本人の一人旅の観光客は有名になっているようだ。

部屋に入ったのはたしか8時前だったが、いつの間にかベッドの上で寝てしまい、目を覚ましてみると夜中の12時過ぎ。
起きあがって歯を磨き、寝巻き用のジャージに着替えてベッドにもぐり込んだ。

確かに羽田-フランクフルト直行便ができたので便利になったが、やはり朝到着は体に応える。飛行機の中で睡眠をとればいいのだが、最新鋭機B787-8は席がきつくてひざが痛くなってしまい、あまりよく眠れなかった。
アミューズメントも、CDを100枚も丸ごとダウンロードしているルフトハンザとは比べものにならない。
他の便にあるように洋楽やJ-pop、落語などのチャンネルが選べるようになっていて、洋楽好きの私としては聴きたいチャンネルが2つぐらいしかなかったので、同じ曲を何回も聴くことになった。
おかげでホール&オーツの「プライベート・アイズ」とエアロスミスの「ドリーム・オン」のメロディーは、飛行機を降りてからも頭の中を駆けめぐっていた。

とは言っても全日空にもいいところはある。全日空はルフトハンザと同じスターアライアンスに加盟しているので、フランクフルト空港では、日航が第二ターミナルに追いやられているのに、乗り換えのアクセスに便利な第一ターミナルに着く。

と、この時は自分なりにこう納得したが、最近のB787のトラブルのニュースなどを見ると、とにかく無事にドイツに行って日本に帰ってこれたのだからこれでよしとしなくては、と今では思う。
それに今は羽田-フランクフルトの直行便は機材変更で飛ぶ日が何日かに一度あるが、それ以外の日は欠航になっている。
今年またドイツに行くまでには毎日飛んで、行く日も帰る日も自由に選べるといいのではと思うのだがどうなっているだろうか。

(次回に続く)