2012年4月29日日曜日

旧東ドイツ紀行(19)

11月16日(水) ドレスデン市内

寒さの中、旧市街を歩き回って体が冷えてきたので、アルテ・マイスター絵画館に避難することにした。
アルテ・マイスター絵画館は、ルネッサンス期のイタリア絵画を中心として、他にもファン・ダイクやデューラー、クラーナハ、ムリリョ、プッサンをはじめとした17世紀のオランダ、ドイツ、スペイン、フランスなどの画家たちの作品が充実していて、1階の半分と2階、3階に所狭しと並んでいる。
全部じっくり見ていたらいくら時間があっても足りない、と思ったが、せっかくの機会だから、体力と気力が続く範囲内でできる限り全部の作品を見る心づもりで、館内を歩き始めた。

下は絵画館のパンフレット裏面の案内図。
ラファエロの「システィナのマドンナ」が展示されている部屋が一目でわかるようになっている。

興味深かったのがパンフレットの表面。「システィナのマドンナ」とフェルメールの「手紙を読む女」の写真が並んで写っている。

最近、日本で人気の出てきたフェルメール。ドイツでも人気が出てきているようだ。
私がちょうどこの作品を見て次の部屋に行こうとしたとき、地元の高校生くらいの女の子二人が
「あ、これこれ、これが見たかったの」といった感じで嬉しそうに小走りで「手紙を読む女」の前に向かっていった。
待ちに待った恋人からの手紙。何が書いてあるのか心をときめかせながら読んでいる少女。その心情が伝わってくるから若い女の子の共感を得るのだろうか。
それにしてもルネッサンス期の天才画家ラファエロと双璧の扱いなのはすごい。
ドレスデン市ホームページでも、「世界中に30数点しかないフェルメールの作品を2点所蔵している」と、誇らしげに紹介している。

http://www.dresden.de/museen/detail/Kultur_159_18.2.2006


これはアルテ・マイスター絵画館の入場券。さすがにこちらはフェルメールでなく「システィナのマドンナ」。幼きキリストを抱きかかえる神々しいマリアを、下からつまらなそうな表情で見ている天使たちだ。


さて、37点とも言われているフェルメールの作品のうち、今年は、日本で6点も見ることができる。
2月3日には渋谷のBunkamuraで開催されていた「フェルメールからのラブレター展」では、「手紙を書く女と召使い」「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」(下のパンフレットの上3枚の作品の左から)の3点が展示された。


「フェルメールからのラブレター展」はもう終わってしまったが、6月13日からは上野の国立西洋美術館で開催される「ベルリン国立美術館展」で「真珠の首飾りの少女」が、6月30日からは同じく上野の東京都美術館で開催される「マウリッツハイス展」で「真珠の耳飾りの女」と「ディアナとニンフたち」が展示される。
昨年の3月から5月にかけてBunkamuraで「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」が開催されていたが、フェルメールの作品は「地理学者」の1点だけだったので行かなかった。
今となっては行っておけばよかったと思うが、シュテーデル美術館はフランクフルト・アム・マインにあるし、今度ドイツに行けばいいさ、と一人で強がってみた。
(シュテーデル美術館ホームページ)
http://www.staedelmuseum.de/sm/index.php?StoryID=1036&ObjectID=293

見れなかった分は、とりあえずフェルメール・センター銀座で開催されている「フェルメール 光の王国展」でカバーできる。ここではデジタル技術で複製されたフェルメールの全作品が展示されている。
(フェルメール・センターのホームページ) 
http://www.vermeer-center-ginza.com/

2月11日にフェルメール・センターに行ったとき、記念にドレスデンで見た2つの作品を写真に撮ってきた。
これは「手紙を読む女」。

次は「取り持ち女」。

そしてこれはもう一枚は、オランダのデン・ハーグにあるマウリッツハイスが所蔵する「デルフトの眺望」。
私のフェルメールとの出会いはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」なので、この作品には親しみを感じている。しかし、さすがにデン・ハーグまでは行く機会はなので、「マウリッツハイス展」で出展されないのは少し残念。

不思議だったのは、初めて見る作品は本物らしく感じられたが、一度本物を見た作品はどうしても平板に見えてしまうこと。「フェルメールからのラブレター展」で見た「手紙を読む青衣の女」の青い服や、「手紙を書く女」の黄色い服のふわふわした感じは本物には及ばない。
これはやはり本物がもつ力だろうか。気のせいではないと思う。
(次回に続く)



2012年4月24日火曜日

旧東ドイツ紀行(18)

11月16日(水) ドレスデン市内

聖母教会を見たあとも、旧市街地を歩き回った。
(このあたりは去年の6月27日のブログもご参照ください)

これはブリュールのテラス。


次に「君主の行列」。
 すでにお土産物屋さんがワゴン車で乗り付けて開店の準備をしていた。
もちろん統一前はこんな光景はなかった。
やはりここも観光客が少なく、静かな朝のうちに来る方がいい。

これは行列を後ろから見たところ。向こう側に聖母教会のドームが見える。

ちなみに、昼はお土産物屋さんのテントがずらりと並び、人通りも多い。

夜はライトアップされていい雰囲気が出ている。

下の写真は「強王」と呼ばれたザクセン選帝侯(在位1694-1733)フリードリヒ=アウグスト1世のアップ。中央に並んでいる2人の王のうち左側の人だ。下にAugustⅡとあるが、これはポーランド王に選ばれたときにアウグスト2世と称したためこう表記されている。
アウグスト強王は、フランスのルイ14世にあこがれてツヴィンガー宮殿などドイツ・バロック様式の建築物を次々と建設し、ルネッサンス期のイタリアの絵画をはじめとした多くの芸術作品を収集した。
それは、彼の息子、フリードリヒ=アウグスト2世(ポーランド王としてはAugust3世)にも引き継がれた(下の写真のアウグスト2世の後ろ)。今やツヴィンガー宮殿内にあるアルテ・マイスター絵画館の代名詞とも言えるラファエロの「システィナのマドンナ」も彼が収集したものだ。
散財のため財政状況が厳しくなり、人々の生活も苦しくなったかもしれないが、彼らのおかげで私たちは現在の「バロック芸術の街」ドレスデンを楽しむことができると言っても間違いではないであろう。




さて、これがツヴィンガー宮殿。入口から中庭を見たところ。正面左は改修中だった。


これは右側を見たところ。右手前から二つ目の少し奥まった建物がアルテ・マイスター絵画館。

これは左側。王冠門が見える。

正面入り口の建物を内側から見たところ。
アルテ・マイスター絵画館を出たときはすでに2時近くだった!
それだけ言葉では言い表せないほどコレクションは充実していたということ。
アウグスト父子に感謝。

次回はアルテ・マイスター絵画館について少しふれます。
(次回に続く)


2012年4月15日日曜日

旧東ドイツ紀行(17)

11月16日(水) ドレスデン市内

昨日は温かくして早く寝たにもかかわらず、朝になってもノドの腫れはひかず、熱っぽさも残っていた。
今夜も地ビールを味わうのは無理かなと思いつつ、朝食が始まる6時半には1階に下りていった。少しぐらい体調が悪くても、せっかくドレスデンに来たのだから市内を歩かないともったいない。
朝食はベルリンのホテルとほとんど同じで、黒パン、チーズ、くだもの、ヨーグルト、少しばかりの野菜、そしてコーヒー。席は窓際で、ドレスデン中央駅が良く見えるところ。ここも毎朝の私の指定席となった。
ジャムも種類が豊富にある。器がコーンになっているので、底にジャムが残っても、そのままムシャムシャ食べることができる。
パンは黒いハード系。家でも毎週末にホームベーカリーでライ麦パンをつくっているほど黒パンが好きなので、黒系パンが多いのはうれしい。

朝食を終えて部屋に戻ると、外は明るくなっていたが、雲が低く立ち込めている。今日は一日曇りのようだ。
旅行前に買ったデジカメにはミニチュアライズ機能がついているので、試しに部屋の窓からドレスデン中央駅を撮ってみた。高さが十分でなかったせいか、ミニチュアっぽく見えないかな。
ところで中央駅の前の建物は、ベルリン中央駅と同様、四方が総ガラス張り。その後ろの一段低くなったところはまだ開発されずに残っている。そのうちここにも総ガラス張りの建物が建つのだろうか。

外に出るとやたら寒い。プラーガー通りから旧市街地へ行く途中はリニューアルされたホテルや、ショッピングモールがずらりと並んでいる。
下の写真の一番手前のホテルは、位置関係から見て私が22年前に泊まったインターホテルがあったところ。今では同じ系列のホテルが威勢よく3棟並んでいる。

まずはじめに見たかったのが聖母教会(Frauenkirche)だったが、一方で、戦争の悲惨さを後世に伝えるため廃墟のまま残しておけば良かったのでは、という思いも強く、きれいに再建された聖母教会は見たくない、という気持ちもあった。
そんなことを考えているうちにクリスマスの市の小屋が準備されていた旧市場広場まで来ると、聖母教会の先端が見えてきた(中央少し左寄りの高い木の後ろ)。ここまで来たらもう引き返すわけにはいかない。


見たくもあり、見たくなくもあった聖母教会。
複雑な思いを抱きながら、明るいクリーム色をした建物の前に立った。
あまりの新しさにまばゆいばかりだ。




正面のマルティン・ルターも揺るがぬ信念をもって堂々と空を見上げている。



しかし聖母教会は廃墟の痕跡を残していた。裏手に回ってみると、廃墟の部分はそのまま残し、崩れて積み上がっていた煉瓦もできるだけ再利用しているのがわかる。壁のところどころに見える黒い煉瓦がそれだ。
映画「ドレスデン」では爆撃によって街が破壊しつくされる場面が延々と続く。降り注ぐ爆弾の雨、燃え上がる炎、逃げ惑う人々。教会は新たに再建されたが、煉瓦の色の違いが当時の悲惨な状況を伝えてくれる。
私は少しほっとしたが、煉瓦の色の違いを説明する案内板や、廃墟になっていた時の写真は周囲にないのが残念に思えた。聖母教会を廃墟として残したDDRのことも過去のものにしたいからなのだろうか。




もう9時を回っているが、気温はまったく上がる気配はない。寒さでカメラのバッテリーが上がってしまい、厚手のジャケットの中に入れて温めなくてはならないほどだったし、体調も良くなかったが、それでも早く来て良かった。
後で気がついたが、この周辺はレストランやお土産物屋が並び、昼間や夜には多くの観光客が訪れる場所だ。夕方には教会の前の広場でストリートミュージシャンがギターをかき鳴らしていた。
下の写真は、午後になってエルベ川岸の方から見たところ。多くの観光客でにぎわっている。このにぎわいもいいのだが、聖母教会を前にして過去の歴史を振り返り、もの思いにふけるのは早朝に限る。


(次回に続く)

2012年4月9日月曜日

旧東ドイツ紀行(16)

11月15日(火) ベルリン→ドレスデン

ドイツに限らずヨーロッパの長距離列車はたいてい6人で1室のコンパートメントになっている。
所定のコンパートメントを見つけ中に入ると、向かいの席に20歳ぐらいの青年が座っていたので、「こんにちは」とあいさつして自分の席に腰かける。そのあと、中年のおじさんが入ってきて通路側の席に座った。
しばらくすると列車は静かに動き始めた。時計を見ると14時48分。定刻どおりの出発だ。
ベルリン中央駅を出ると、長いトンネルが続き、ようやく地上に出たかと思うと、あたりはすでにベルリンの郊外のようで、アパートが立ち並び、さらに走ると家がまばらになって、家並みが途切れてからはひたすら畑と牧草地が広がる田園地帯になった。



暇つぶしに向かいの青年に話しかけたが、「ウクライナから来た。ドイツ語はしゃべれない」という。もう一人の中年の男性は物静かな感じで、ときおりうつらうつらしていたので、特に声をかけなかった。
こうして、約2時間の列車の旅は静かに過ぎていった。




4時過ぎには次第に外が暗くなってきた。いつの間にか少し寝入っていたようだ。
ドレスデン中央駅ももうすぐだ。
体はだるく、熱っぽいが、スチームがきいて暖かいコンパートメントの中で休んだおかげで、少し体調が良くなったような気がした。

ドレスデン中央駅に到着。
下は長距離列車のホーム。向かいの一段高いホームは近郊列車が停まる。


駅構内はリニューアルされて明るくなっている。22年前に革ジャン君たちと出会ったレストランを探したが、取り壊されてしまったようだ。もう当時の暗いイメージはない。
(革ジャン君たちのことや当時のドレスデンの様子は、昨年7月2日のブログをご参照ください)。

駅の建物は昔のままだが、地ビールの広告のネオンが輝いている。

駅前は統一前のドレスデンからは想像もできないほど開けている。中央駅から旧市街地につながるプラーガー通りの両側にはショッピングモールがずらりと立ち並んでいて、多くの市民がショッピングや食事に繰り出している。
中央のpullmanというネオンのある建物は、私が4泊した「プルマン ドレスデン ネヴァ」ホテル。


この日はまだのどが痛く、熱っぽかったのでビールはお預け。
夕食は上の写真の右手のビルの裏手にある「Soup Cafe」でグーラッシュとミネラルウォーター。ジャガイモや玉ねぎなどの野菜がたっぷり入った温かいスープが風邪気味の体を優しく暖めてくれた。

これは「Soup Cafe」を外から見たところ。

時間はまだ早かったが、街の散策は翌日の楽しみにとっておくことにして、夕食後すぐホテルに戻り、明日は調子が良くなって地ビールが飲めるように、と願いつつベッドにもぐりこんだ。
(次回に続く)

2012年4月1日日曜日

旧東ドイツ紀行(15)

11月15日(火) ベルリンの続き

ホテルをチェックアウトして外に出た時もテレビ塔の上の方は霧に包まれたままだった。
アレキサンダー広場まで歩いて、お昼を食べたり、広場付近を散歩しようとも考えたが、トラバントのミニカーやシュタージの本でザックが重くなっていたので、タクシーでベルリン中央駅まで行って、ザックを荷物預かり所で預かってもらってからS-バーンでアレクサンダー広場に戻ることにした。

タクシーはホテルの前に何台も停まっていたのですぐにつかまった。
途中、森鴎外記念館の看板が見えてきた。本当はここも来たかったが、とても時間がなかったので、心の中で「次は来ますね」とつぶやいて前を通り過ぎた。

10分ほどでベルリン中央駅に着いた。
駅そのものは西側にあるが、ベルリンの壁に近かったので、周囲には建物などなく、今はまだ駅前の開発も進んでいないので、広大な空き地の中にガラス張りの大きな建物だけがそびえ立っている。
写真は構内から駅の正面を見たところ。たっぷりと外の光を採り入れている。ドレスデンでも気がついたが、ドイツではガラス張りの建物が目立つ。特に冬はどんよりとした日が続くドイツでは、できるだけ明るい雰囲気を出したいという思いがあるのだろうか。


  最上階はS-バーンの駅。ここからアレクサンダー広場駅に戻った。やはり東側に来ると、「戻ってきた」という感じだ。

  
そういえばアレキサンダー広場の観光名所のひとつ、世界時計はまだ見ていなかったな、と思い出し、あたりを見回した。東ドイツ時代は目立っていたのに、今は、周囲にはたくさん建物が立ち、クリスマスの市のテントも立っていたせいか、なかなか見つからない。
あたりをしばらく歩いていたら、すみっこの方にぽつんと立っているのにようやく気がついた。


下の写真は「東京」と書いてある部分。ドイツと日本の時差は8時間。ベルリンはこのとき午後12時半だったので、東京は20時30分を示している。
面白いのは都市名の順番。ピョンヤン、東京、ソウルとなっている。やはり、同じ独裁国家に敬意を表していたのだろう。


これは、ガレリア(Galeria)というデパートのショーウィンドウ。
右はブランデンブルク門、左はベルリンの壁。ベルリンの壁は、切れ目のある部分が時々手前に倒れる仕組みなっているが、写真を撮るタイミングを逃してしまった。

例によって朝ごはんをたっぷり食べたので、あまりおなかがすいていない。
そこで、お昼はアレキサンダー駅のベーカリーショップで軽くとることにした。

モッツァレラチーズとトマトのサンド、ブレッツェルとコーヒー。ここでもブラックコーヒーはCafé Créme。フランクフルト空港で食べたブレッツェルはぱさぱさしていたが、ここのはまだもちもち感が残っていた。
西側では、バターブレッツエル(Butterbretzel)といって、ブレッツェルの横に薄く切れ目を入れてバターを挟んでいるものを売っていたが、東では見かけない。口の中に広がるブレッツェルの塩味とバターの脂分がコーヒーによく合うのだが。

昼食を終えて外に出てテレビ塔を見上げると、少し霧は晴れてきたが、まだ上の方はもやっている。
それでもせっかくだから上まで登ろうと思い、1階のチケット売り場のおばさんに、
「チケットください」と言うと、
「今日は何も見えないから登らない方がいいですよ」と親切に教えてくれた。
私はお礼を言って、「次の機会にします」と言ってその場を去った。 

列車の発車時刻は14時48分。
時間が迫ってきたので、ふたたびベルリン中央駅にもどり、地下の最下層に下りた。S-バーンの駅は最上階だが、長距離列車はすべてここから発車する。

ホームにはすでに列車が停まっていた。私が乗るのは特急なので、もっとデラックスな列車を想像していた。この列車は各駅停車だとろうと勝手に解釈して、ホームのベンチに座って次の列車が来るのを待っていたら、女性の駅員が「どこへ行くんですか」と聞いてきた。
「ドレスデンです」と言うと、「この列車ですよ」と指をさした。
なんと各駅停車と思っていたのが特急だったのだ。
女性駅員に声をかけてもらわなかったらあやうく乗りそこねるところだった。

(次回に続く)