2014年5月25日日曜日

「こども展」ブロガー特別内覧会

 先週の火曜日(5月20日)、六本木・森アーツセンターギャラリーで開催されている「こども展」の特別内覧会に参加してきました。
  入口ではアンリ・ルソーの描いた子どもの絵のパネルとレゴアートがお出迎え。

アンリ・ルソーは、決して上手と言えないけど、独特の味があって前から好きな画家の一人でした。特に晩年になって、これでもかと描き続けたジャングルの作品群は印象的です。
そのアンリ・ルソーが、モネやピカソを差し置いてこの展覧会の顔になるなんて信じられないですが、ルソーファンの私としてはうれしい限りです。

 会場に入ると、展示されている作品は展覧会のタイトルどおり、どれも子どもたちばかり。

 人形を抱っこしている子(右端は入口のパネルにもなっているアンリ・ルソーの「人形を抱く子ども」)、



得意気にポーズをつけている女の子、かわいい赤ちゃん、


学校で勉強している子や寄宿舎の子どもたち、

そしてルノワールやモネといった印象派の巨匠たちや、







セザンヌやボナール、モーリス・ドニ、





などなど、いろんな子どもたちがいます。
 そして、どの作品からも、描いた画家たちの、子どもたちを見るあたたかく優しい視線が感じられます。


 音声ガイドは一般用とジュニア用がありますが、やはり子どもの視点から作品を見たかったので、ジュニア用の方をお借りしました。
 ジュニア用は、展覧会を見るためジュリーに連れてこられた猫が、ジュリーとはぐれ、会場内でたまたま出会った「画家のはしくれ」のおじさんと一緒に作品を見て回るという設定。
 ピカソの絵を見て「小学生の描いた絵みたい」と言ったり、赤い髪が逆立っているマティスの絵を見て「おこってる!」と驚いたり、率直な感想を言う猫とまじめに解説する画家とのやりとりは絶妙です。
 ウジェーヌ・カリエール「病気の子ども(作品№9)」の具合が悪くてぐずついている赤ん坊を見て、猫ちゃんが「早く良くなってね」と言うところではジーンときてしまいました。
 ジュニア版の音声ガイドは大人でも楽しめるので興味のある方はぜひ試してみてください。
 はぐれてしまったジュリーとはだれのことか、作品を見ているうちにわかってきます。でも、それは聴いてからのお楽しみに。


  「こども展 名画にみるこどもと画家の絆」は6月29日(日)まで六本木ヒルズ森タワー52階の森アーツセンターギャラリーで開催されています。
 大人も子どもも楽しめる展覧会です。詳細は公式ホームページをご参照ください。
  ↓
http://www.ntv.co.jp/kodomo/

 (掲載した写真は主催者の許可を得て撮影したものです)

2014年5月18日日曜日

バイエルン美術紀行(13) 朝食~ミヒャエル教会~レジデンツ

平成25年9月7日(土)

 毎朝5時半ぐらいになると朝食の支度でベーコンを焼くにおいがドアの隙間から部屋の中に入ってくる。
 それが毎朝の目覚まし時計のかわりだった。

 それから顔を洗い、6時になると朝食会場になっているレストランに降りていく。

 

 このホテルも3日目となるとレストランのウィエイターさんたちとも顔なじみになる。
 正面の絵は見覚えのあるニュンフェンブルク城だ。
 私がこの絵をながめていたら、いつものウェイター氏が
 「これはどこだかわかりますか?」と聞いていた。
 「ニンフェンブルク城ですよね。おととい行ったばからりだからすぐわかりました。」と答えると、
 「この絵はホテルの女性オーナーが自分で書いた絵なんです。高齢でもう第一線から身を引いているけど、ホテルの中に飾られている絵はみんなその女性オーナーの作品なんですよ」と親切に解説してくれた。
 
 果物、野菜、チーズ、卵とほとんどフルコースの朝食。
 肉類はベーコンではなく、せっかくだからバイエルン名物の白ソーセージにした。
 ドイツでは黒パンが多いのがうれしい。たいていのホテルではパン切り用の包丁で好きなだけ切るようになっている。もちろん大好物のブレッツェルも欠かせない。



 そしてコーヒーをゆっくり飲みながら食後のデザート。
 私のお気に入りはサクランボのジャム(下の写真のケーキの上)。日本ではサクランボは高級品だがドイツでは庶民の食べ物なのだろうか。ヨーグルトまでサクランボ入りだし、帰りの空港でも食べたが、サクランボケーキもカフェには必ず置いてある。


 朝これだけゆっくり、これだけたくさん食べているのだから、いつもお昼はおなかが空かない。
 この日もお昼は、ヴィッテルスバッハ家の王宮だったレジデンツをじっくり見終わった2時過ぎに休憩を兼ねてレモンケーキとコーヒーだけだった。

 朝食後、ホテルを出てカールス門を越え、ノイハウザー通りを歩いてレジデンツに向かったが、途中、ファザードの彫刻がきれいな教会が目についたので入ってみることにした。
 
 ミヒャエル教会のファザード。
 一番上の救世主キリストの下の15体の像は、この教会が建設された16世紀以降、この地を治めてきた領主たちの像。

 朝日に輝く祭壇画がまばゆい。

 しかしミヒャエル教会も戦禍を免れることはできなかった。
 これは教会の中に掲示されていた説明板。空襲により外壁以外はほとんんど破壊されたのがわかる。


 マリエン広場に出て新市庁舎沿いに左に向かうとレジデンツの入り口がある。 


 通りかかる人たちがみんな入口両側のライオンが持つ楯に手を触れていく。自転車に乗っていた男性も像の前で止まって楯に手を置いてお祈りしていった。
 この楯に触れると幸せが訪れるという言い伝えがあるそうだ。そこで私もこの楯にさわってみた。
 みんながさわったためだろうか、楯の下のライオンの顔の部分だけがピカピカに輝いている。


(次回に続く)

2014年5月4日日曜日

バイエルン美術紀行(12)ニュルンベルク裁判・ゲルマン国立博物館・ドクツェントルム

平成25年9月6日(金)続き

 ニュルンベルクといえば避けて通れないのが、ナチスの過去。
 ナチスが政権を獲得した1933年以降に党大会を開催した土地であったからこそ、ニュルンベルクは連合国によって主要戦犯を裁く軍事法廷の場所に選ばれた。
 私は駅前の観光案内所で教えてもらったとおり、ロレンツ教会駅から地下鉄1番線に乗って、ベーレンシャンツェ駅で降りて、ニュルンベルク裁判記念館に向かった。
 1945年11月から1946年10月まで裁判が行われた600号陪審法廷は、空軍最高司令官ゲーリング、外相リッペントロップ、国防軍統合司令部長カイテル、国防軍指導部長官ヨードルをはじめとしたナチス党や軍部の指導者たちが裁かれた時の状態で保存され、当時の写真のパネルが展示されている。

                 ニュルンベルク裁判記念館の正面



                  裁判が行われた600号陪審法廷




 さて次はナチスの党大会が開催され、今ではドク・ツェントルム(Doku-Zentrum ナチス関連の資料センター)となっている建物へ、と思ったが、ニュルンベルク裁判記念館とは街の中心をはさんで反対側にあり、ゲルマン国立博物館の閉館時間も気になったので、まずはロレンツ教会駅まで戻り、ゲルマン国立博物館の方に行くことにした。

 ゲルマン国立博物館は、「ドイツ語圏における最大の文化・歴史博物館」とうたっているように、中世から20世紀までの絵画、工芸作品、中世の楽器やきらびやかな家具調度品、武具や金貨などゲルマンの文化や歴史に関する様々なものが陳列されている。
 それにいくつもの建物を増築したせいだろうか、建物全体が迷路のようになって、なにしろ広く、 とても1時間やそこらでは見尽くせるものではない。
 そこで、今回の旅行の大きな目的であったデューラーの作品に絞ることにした。

デューラーのコーナー



 特に見たかったのは、ニュルンベルクの画家、版画家で、デューラーの師だったミヒャエル・ヴォルゲムートの肖像画(右)と、ウィーンの美術史美術館にもほぼ同じ作品がある皇帝マクシミリアン1世の肖像画(左)。
 ヴォルゲムートはこのとき82歳。どこか優しげな、それでいて、いかにも頑固そうな職人といった表情から、師に対するデューラーの尊敬のまなざしが感じられた。
 一方の皇帝マクシミリアン1世は、「最後の騎士」と呼ばれた皇帝にふさわしい堂々とした風格を感じさせてくれる。



 駆け足でゲルマン国立博物館を回り、急いで中央駅に向かった。
 中央駅に着いて時計を見ると、時間はすでに18時。
 
 帰りの列車の発車時刻は19時02分。
 少し時間が厳しいかな、と思ったが、次はいつ来られるかわからない。
 ドク・ツェントルムまで9番のSバーンで終点まで行って10分、電車の間隔が10分なので、その間に建物の前で写真を撮って中央駅まで戻ってきて10分。「よし、30分で戻ってこれる」と頭の中で計算して、思い切って行くことにした。
          
          これがドク・ツェントルムの入口。ここだけはモダンな造りになっている。



               9番のSバーン。

  中央駅に戻ってきて、昔風の町並みが再現された職人広場をのぞき、一日空気が乾燥していて喉が渇いたので、コーラを買って中央駅のホームに向かった。

       これが職人広場。正面は見張り塔。


 街歩きは大好きで、国内でも街中をよく歩くが、この日はさすがに朝から歩き続けていたので、足の裏が痛くなるほどだった。ミュンヘンまでの1時間10分、私はしばらく外の景色を眺めていたが、いつの間にかぐっすり眠り込んでしまった。