2014年7月16日水曜日

バイエルン美術紀行(17) レンバッハハウス美術館

平成25年9月7日(土)続き

ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館は、フランツ・マルク、ヴァシリー・カンディンスキー、アウグスト・マッケ、パウル・クレー、ガブリエレ・ミュンターといった20世紀初頭にミュンヘンで活躍した前衛的な芸術家集団「青騎士」の世界最大のコレクションで知られている。

中でも、カンディンスキー(1866-1944)の作品は特に多く、1896年に画家になることをめざしてモスクワからミュンヘンに移住してきたカンディンスキーが、1901年に芸術家集団「ファランクス」を結成してから(1904年に解散)、ガブリエレ・ミュンターとともにミュンヘン郊外のムルナウで制作活動をしていた時期を経て、1911年に結成した「青騎士」の時代まで、変化していくカンディンスキーの作風の変遷をたどっていくことができるのもこの美術館の大きな特徴になっている。

レンバッハハウス美術館が改修のため閉館している間、「レンバッハハウス美術館所蔵『カンディンスキーと青騎士』」展(2010年11月23日~2011年2月6日)が三菱一号館美術館で開催されていたが、行こうかどうか迷っているうちに会期末になり見逃してしまったので、今回の旅行ではぜひとも訪れたい美術館の一つだった。

展示室に入って最初に目に付くのは「青騎士」といえばこの絵と言っていいくらい有名なフランツ・マルクの「青い馬」。



ここはフランツ・マルクのコーナー。一番左は日本に来た「虎」

アウグスト・マッケもいい味を出している。下の絵は「トルコのカフェ」


ムルナウ時代のカンディンスキーと仲間たちの作品。
このあたりまではまだなごみ系の作風。


それでもムルナウの時代からカンディンスキーは少しづつ抽象画の世界に足を踏み入れていく。
一番左はやはり日本に来た「山」。


「青騎士」の時代になると作品はさらにはじけてくる。
中央は「インプロヴィゼーション19」(1911年)。


「青騎士」は、1911年に結成され、その後、2回の展覧会を開催し、2冊の『年鑑』を出版するが、1914年に勃発した第一次世界大戦でフランツ・マルクとアウグスト・マッケが出征して戦場に散り、カンディンスキーもミュンヘンを離れ、「青騎士」の活動はわずか3年で幕を閉じてしまった。

その後、カンディンスキーはヨーロッパ各地を転々としたあと、ロシア革命後のモスクワに戻り芸術の振興に力を注いだが、自身の作風が受け入れられず、1921年、再びドイツに戻り、ワイマールやデッサウのバウハウスを拠点として制作活動を再開した。
しかし、1933年にナチスが政権を取ると、バウハウスは閉鎖され、カンディンスキーはパリに逃れたが、1940年にはドイツ軍がフランスに進攻し、パリもドイツ軍に占領されたため、カンディンスキーはピレネー山脈のコトレに疎開し、1944年12月、ヌイイ・シュル・セーヌで78歳の生涯を閉じた。

歴史の波に翻弄され続けたカンディンスキーの人生と同じように、彼の作品もナチス時代にあやうく没収される危機に瀕したが、カンディンスキーをはじめとした「青騎士」たちの作品を自宅の地下室に隠し続けたガブリエレ・ミュンターの努力により難を逃れることができた。
そして、それらの作品は彼女が80歳の誕生日を迎えた1957年、ミュンヘン市に寄贈された。

私たちが「青騎士」たちの作品をこの場で楽しむことができるのは、ガブリエレ・ミュンターの努力と好意のおかげだったのだ。
ミュンターさんありがとうございます。

こちらは「青騎士」以降の作品で、戦後、ミュンヘン市が独自に入手したもの。
後半のこういった作品は、これぞカンディンスキー!といった作品。


中央は赤い斑点2(1921年)

こちらは私の好きなパウル・クレーのコーナー。



レンバッハハウスを正面から見たところ。
レンバッハハウスは、19世紀後半、肖像画家フランツ・フォン・レンバッハがアトリエ兼住居として建てたもので、彼が亡くなった後、夫人がミュンヘン市に売却したもので、1929年にはミュンヘン市立美術館として公開された。
第二次世界大戦では大きな被害を受けたが、戦後修復され、1957年には前述のように青騎士の作品が寄贈され、一躍有名になった。

最寄駅のケーニッヒス・プラッツ駅の一部は新レンバッハハウス美術館になっていて、チケットはレンバッハハウス本館と共通で10ユーロ。

実は、ホテルからレンバッハハウスまで600mほどだったので歩いてきたが、近くまで来て矢印が示す方向に向かって階段を下りて行ったら、間違えて新美術館の入口に来てしまったというのが本当のところ。
チケット売り場の女性は「階段を上がって交差点を渡ればれすぐ目の前が本館ですよ」と親切に教えてくれた。
「でも、本館は夜8時まで開いていますが、ここは6時までなので、あと20分ぐらいあるからこちらも見て行ってはどうですか」
時計を見たら5時半過ぎ
「そうですね。ありがとうございます」

新美術館には現代画家の作品が展示されている。
作品が倉庫のような広いスペースにゆったりと展示されていることもあって、開放的な気分になり、難解な作品も難しく考えさせられることなく気軽に楽しむことができる。



レンバッハハウスに来たら、新美術館もぜひ寄ってみてください。
(次回に続く)

2014年7月15日火曜日

バイエルン美術紀行(16) ミュンヘン新市庁舎

平成25年9月7日(土)続き

朝からずっと建物の中にいたので、外の空気が吸いたくなってきた。
強い日差しの中、マリエン広場まで歩き、新市庁舎の塔を仰ぎ見る。
ドイツの夏らしく湿気はなく、空はどこまでも青い。


新市庁舎の塔はエレベーターで上まで登ることができる。
高いところから見るミュンヘンの街並みもまた素晴らしい。
二つのねぎの頭の塔が特徴のフラウエン教会。


 

こちらはペーター教会。向こうの展望台にもたくさんの人が登っていてミュンヘンの街並みの眺めを楽しんでいる。



今回初めてカメラのミニチュアライズ機能を試してみた。
こうやってみると、建物も通りを歩く人たちも、本当にミニチュアの模型みたいだ。


こんなに出来栄えがいいとは思わなかった。結構気に入って写真を何枚も撮った。

17時からは仕掛け時計が始まる。
これはドイツで一番大きな仕掛け時計だ。
上のステージでは、1568年に行われたバイエルン領主ヴィルヘルム5世の結婚式の場面が再現されている。
下のステージで踊っているのは、ミュンヘンの桶屋組合の面々。
街がペストに襲われたあと、こわがって外に出るのをためらっていた街の人たちを元気づけるため、桶屋組合の人たちが通りに出て踊ったのがはじまりという「桶屋踊り」。
それ以来、桶屋踊りは7年に一回、行われている。



上のステージでは結婚式のセレモニーが続いている。
マリエン広場で行われた槍を持った騎士の一騎討ち。
勝つのはいつも馬に青色の衣装をまとわせたバイエルンの騎士。
相手方の騎士が倒れたところで見物客たちは拍手喝采。




夕方になって街にくり出す人も多くなってきた。


次はカンディンスキーをはじめとした「青騎士」たちの絵画を展示しているレンバッハハウスだが、さすがに疲れてきたので、ホテルに戻って少し休むことにした。
(次回に続く)