この日の「世界遺産」はアーヘン大聖堂。
8時47分ケルン発の特急に乗って1時間弱でドイツで一番西の都市・アーヘンへ。
アーヘン中央駅を出て旧市街地の中心まで10分ほど歩いて大聖堂の向かいにあるインフォメーションセンターに行くと、平日というのに、そこにはすでに大聖堂のガイドツアーに申し込む人たちの長い列が。
私も列に並んで順番が来るのを待ったが、今からだと一番早くても13時からのツアーとのこと。
これに申し込んで、集合時間の13時にインフォメーションセンターに戻ってみると、「本日のガイドツアーの申し込みは終了しました」との貼り紙があったので、観光客に人気のあるアーヘンは朝が勝負のようだ。
私が乗ってきたケルンからの特急にも途中から女性の先生に引率された小学生の集団が乗り込んできてアーヘンに社会見学に来ていたし、街中にはどこも観光客の集団で活気づいている。
さて、あと3時間どうしようか、と考えたが、さすがにアーヘンはカール大帝の街。
ちょうどカール大帝を記念して市役所、シャルルマーニュ・センター、宝物館の3か所で展覧会が開催されていたので、時間をもてあますことはなかった。
3館共通のチケットが14ユーロ。内容の充実ぶりからすると決して高い値段ではない。
まずはシャルルマーニュ・センター(シャルルマーニュとはカール大帝のフランス語表記)で開催されている「カール大帝の芸術」展。
フランク王カール(在位768-814)は、ロンバルディア王国、イベリア半島のイスラム勢力、ドイツのザクセンやバイエルンなどを征服して西欧全土にわたる広大な地域を領有して、800年には教皇レオ3世から「ローマ皇帝」の冠を授けられ「カール大帝」として西ヨーロッパに君臨した。アーヘンに王宮を建設したのもカール大帝。
堂々としたカール大帝の像
主なところは撮影禁止だったが、象牙でできた聖人の像、財宝がちりばめられた王冠や教会で使われた大きな書物の本物など、展示は見ごたえがあるものばかりだった。
こちらは撮影が許可されたエリアの展示品。
こちらは「アーヘンの温泉を見つけたカール大帝」のレリーフ。
アーヘン郊外には今でも温泉保養地として有名で、郊外には大型の温泉施設がある。
「シャルルマーニュ・センター」には歴史のコーナーもあり、1871年のドイツ帝国成立から現代ドイツまでの歴史を写真でたどることができる。
その中でやはり気になったのは、日本と同じく戦災で大きな被害を受けたドイツの第二次世界大戦の時の写真。
これは1941年に連合国軍の空襲を受けた時の写真
夜なのに爆撃によって生じた火災の炎の明るさで教会がその姿を現している。
アーヘンはドイツの最西端に位置するからこそ、連合国軍が来るのも早かった。
1944年6月6日に連合国軍がノルマンディーに上陸してからわずか4か月後にはアメリカ軍がアーヘン市内に突入している。
解説には1944年10月15日の市街戦とある。
通りを進むシャーマン戦車、ものかげに隠れる兵士たちの姿、どれからも戦時の緊張感が伝わってくる。
アーヘンは、ドイツが降伏した1945年5月9日を待たず、前年の10月21日にはアメリカ軍によって「解放」されている。
この写真はアーヘン市街戦後の市庁舎(中央)と大聖堂(右上)。
大聖堂は奇跡的に残り、市役所は復興されて往時の姿を甦らせている。
現在の市庁舎とカール大帝の像。
そうこうしているうちにガイドツアーの時間が近づいてきた。
お昼は例によって朝食をたくさん食べておなかがすいていなかったので、アーヘン名物「アーヘナー・プリンテン」を二、三本、広場のベンチで食べた。クッキーのように見えるが、これが意外と固くて歯ごたえがある。
(次回に続く)