2018年9月18日火曜日

泉屋博古館分館「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈-」ブロガー内覧会

今年は明治150年、そして横山大観の生誕150年。
東京六本木の泉屋博古館分館では、近代日本画イヤーのフィナーレを飾るのにふさわしい展覧会が開催されています。

その名も特別展「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈」。


狩野芳崖といえば橋本雅邦と並んで明治前半の近代日本画界のスーパースター。そして四天王といえば狩野芳崖の四人の弟子のこと。さらに、事前には《悲母観音》はじめ狩野芳崖の傑作の出展がアナウンスされていたので、芳崖の作品がいっぱい見ることができていいな、と勝手に想像していたのですが、芳崖だけではありませんでした。
展示室内に入ってビックリ。
橋本雅邦も、横山大観も、菱田春草もいたのです!


そこで、さっそく9月15日(土)の開会に先がけて開催されたブロガー内覧会に参加した時の様子をレポートしたいと思います。

※掲載した写真は美術館より特別に許可をいただいて掲載したものです。

第1会場では、いきなり狩野芳崖と橋本雅邦、二人のスーパースターの競演が始まっていました。
これが「第1章 狩野芳崖と狩野派の画家たち-雅邦、立嶽、友信」。

右から、狩野芳崖《柳下放牛図》(福井県立美術館)《岩石》(東京藝術大学)、
橋本雅邦《秋景山水図》(愛知県美術館)

右から、橋本雅邦《出山釈迦図》(泉屋博古館分館)、狩野芳崖《伏龍羅漢図》(福井県立美術館)、
橋本雅邦《維摩居士》(茨城県近代美術館)

続いて第1会場の後半からロビー展示、第2会場の前半までが「第2章 芳崖四天王-芳崖芸術を受け継ぐ者」。ここで芳崖四天王、岡倉秋水、高屋肖哲、岡不崩、本多天城が出てきます。

ここは岡倉秋水のコーナー
右から《慈母観音図》(福井県立美術館)、《不動明王》(個人蔵)、
《龍頭観音図、雨神之図、風神之図》(個人蔵)

そして第2会場後半には、芳崖四天王と同じく東京美術学校(現 東京藝術大学)で学んだ菱田春草、横山大観はじめ朦朧体に挑んだ明治後半のスーパースターたちの作品が展示されています。
こちらが「第3章 芳崖四天王の同窓生たち-「朦朧体の四天王」による革新画風-」。

菱田春草《四季山水》(富山県水墨美術館)


右から、西郷弧月《深山の夕》(長野県信濃美術館)、菱田春草《温麗・躑躅双鳩》(福井県立美術館)
横山大観《夕立》(茨城県近代美術館)、横山大観《杜鵑》、菱田春草《海辺朝陽》(以上、福井県立美術館)


内覧会では、はじめに野地分館長からごあいさつがありました。

「今年は明治150年ということで、今回の展覧会では近代における日本絵画を掘り下げてみました。」
「展覧会のタイトルは『狩野芳崖と四天王』。3つの四天王の作品を比べてご覧になってください。」

3つの四天王? 
はて何だろうと思いつつ野地分館長のギャラリートークへ。

第1章は明治初期の四天王。
江戸時代に隆盛を誇った狩野派の中でも本流の木挽町狩野派の流れを汲む狩野芳崖、橋本雅邦、木村立嶽、狩野友信(狩野友信の作品は後半に展示されます)の作品が並びます。


最初の作品は狩野芳崖《壽老人》(泉屋博古館分館)。(上の写真の一番右の作品)

「室町水墨画を発展させた狩野派らしく強い線で輪郭を描いた漢画系の作品で、画題も吉祥系です。」と野地分館長。

続いて木村立嶽の2点。
「《韓信張良物語之図》(富山市郷土博物館)(上の写真右から2、3番目の双幅の掛軸)は水平線が描かれず、遠近法も入っていません。おそらくフェノロサに会う前の作品でしょう。一方、《楼閣山水図》(個人蔵)(上の写真右から4番目)は明治20年頃、フェノロサに出会ったあとの作品です。水平線、地平線もはっきりと描かれていて、遠近法も取り入れています。」


続いて、芳崖と雅邦のライオン対決。
下の写真中央が橋本雅邦《神仙愛獅図》(川越市立美術館)、左が狩野芳崖《獅子図》(東京国立近代美術館)。


「雅邦も芳崖も空想上の動物の獅子でなく、ライオンを描いています。明治19年にはイタリアのサーカス団がライオンを連れてきたという記録があるので、二人とも実際にライオンを見たのでしょう。」
「雅邦の《神仙愛獅図》に描かれている人物の由来はわかっていませんが、フェノロサがモデルではないかと考えれられています。狩野派は粉本をもとに描いていましたが、それではリアリティがないので身近な人物のモデルにしたのではないでしょうか。」

芳崖と雅邦の競演はまだまだ続きます。
先ほども出てきましたが、右から狩野芳崖《柳下放牛図》と《岩石》、橋本雅邦《秋景山水図》です。


「芳崖の《柳下放牛図》はZ型の構図をとり、右下の牛に視点が行くように描かれています。これは構図で遠近法をとり、モティーフを見せる工夫をしています。この作品はフェノロサが高く評価し、自分で購入してボストン美術館に所蔵されましたが、その後日本に戻ってきて、今では福井県立美術館が所蔵しています。右上の稜線は牛の形をしています。」

「芳崖の《岩石》は後ろから光が差していて、線でなく濃淡で遠近感を出しています。当時は岩石を描くというのは珍しく、また、弟子のスケッチをもとに描いたというのも珍しいことでした。」

「雅邦の《秋景山水図》は、雪舟の《山水長巻》をもとに描いた作品ですが、遠近法がとられています。雪舟や雪村の水墨画を再構築して、西洋絵画の空間に入れたと言ってもいいでしょう。この作品もフェノロサが購入してボストン美術館に所蔵されましたが、その後日本に戻ってきました。」

さらに道釈人物画の競演が続きます。
この写真も先ほど出てきましたが、右から狩野芳崖《出山釈迦図》、《伏龍羅漢図》、橋本雅邦《維摩居士》です。


「これらの作品は、明治20年ころからフェノロサが進めた、線、色彩、面で表現する手法を取り入れたものです。」
「中央の羅漢さんの肩に注目してください。肩をいからせて、不自然な姿勢をとっていますが、これは肉体感をカリカルチャライズしたもので、絵の面白みが出ています。」
「このころはフェノロサがもってきた発色のよい西洋絵画の顔料が使われてきている時期です。」
「龍の顔は、実際に見て描くことはできないので(笑)、食べ物を咀嚼している牛の顔を転用しています。」
「奥かららせん状に渦巻く空間に注目です。これはサーキュラー・スペーシングといって、人物が奥から飛び出してくるように見える効果があります。」

そして、第1章の締めくくり。
右から、橋本雅邦の《西行法師図》(東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館)と《清谿雲霧図》(個人蔵)、木村立嶽《月夜山水図》。


「《西行法師図》は、当時の一高(戦後、東京大学教養学部に統合)の教材として橋本雅邦が文武両道のお手本・西行を描いたもので、西行はフェノロサがモデルではないかと考えられています。」
「左上の夕陽と右の紅葉には金箔、金粉が使われていて、横から見ると輝いて見えます。」
「《清谿雲霧図》は、西洋絵画の影響を受けて、より西洋の風景画に近くなってきました。形も横長になっています。」

次に「第2章、芳崖四天王ー芳崖芸術を受け継ぐもの」です。

はじめに岡倉天心の甥・岡倉秋水。
こちらの写真も先ほど紹介しましたが、一番右が師・芳崖の絶筆《悲母観音》を模写した《慈母観音図》。続いて火焔の表現を鎌倉時代の絵巻からとった《不動明王》、左の三幅対は《龍頭観音図、雨神之図、風神之図》。
「雷神でなく雨神であるところがユニークです。」と野地分館長。


芳崖と弟子たちは、妙義山に2回写生旅行に出かけています。
その時に描かれた高屋肖哲のスケッチも第1会場入ってすぐの左のガラスケースに展示されています。



高屋肖哲《妙義山地取図》(金沢美術工芸大学)


「写生(地取)を通じて芳崖の弟子たちは、リアリティのあるものをいかに狩野派の手法で描くかという試みを行っていました。」

芳崖四天王は東京美術学校に第一期生として入学しましたが、すでに絵の修業を積んでいて、他の生徒たちとの実力差が大きく、岡倉秋水や岡不崩はすぐに教師役を務めることになりました。

「後半生は本草学にのめり込んだ」という岡不崩の《群蝶図》(右)、《秋芳》(左)(いずれも個人蔵)。


ロビー展示に移ります。
野地分館長の「一押し」が高屋肖哲《千児観音図 下絵》(下の写真中央)。
「高屋肖哲は、この《千児観音図》の本画が「鉄線のように描く」と評されたほどの名手中の名手。本画は所在不明ですが、ぜひ見てみたいです。」
下の写真右と左はいずれも高屋肖哲《観音菩薩図 下絵》。3点とも金沢美術工芸大学所蔵。


第2会場に移って、六曲一双の屏風は、高屋肖哲《武帝達磨謁見図》(東京・浅草寺)。
梁の武帝に招かれて謁見した達磨が、『仏教を知っているか』と武帝に聞かれ、『そんなことは知らない。』と答える場面。
達磨の後ろの衝立の画中画の波の表現は、インドから海を渡ってやってきて、問答後に芦の葉に乗って揚子江を渡ることを暗示しています。
「左から二人目の青い服の人物に注目です。この人の顔だけがリアルに描かれていますが、これは高屋肖哲本人ではないでしょうか。高屋肖哲本人を正面から撮影した写真が残っていないので確認ができないのですが。」
(波涛図衝立と、左から二人目の青い服の人物は下の写真ではよく見えないので、ぜひその場でご覧になってください。)



高屋肖哲は、師・芳崖の絶筆《悲母観音図》をほぼ原寸大で模写していて、それが第1会場に展示されています。また、高野山・三宝院の襖絵を手がけていて、第2会場入り口にそのパネルが展示されています。

そして芳崖四天王の4人目が本多天城。
「今回の展覧会を開催するきっかけとなった作品です。」と野地分館長がお話される本多天城《山水》(川越市立美術館)(下の写真右)。


「後期に展示される橋本雅邦《月夜山水》(東京藝術大学) に構図が似ています。画題は古いのですが、油彩画のように空間が広がり、本多天城の筆力を感じさせる作品です。」

そして最後が「朦朧体四天王」。
東京美術学校、日本美術院で橋本雅邦、岡倉天心のもと、革新的な画風をめざした横山大観、菱田春草、下村観山、西郷孤月(のち木村武山に代わる)ら、「朦朧体四天王」と揶揄された画家たちの作品が展示されています。

第2会場の展示風景。

冒頭で紹介できなかった作品です。
右から菱田春草《春色》(豊田市美術館)、下村観山《菊瀧》(個人蔵)、木村武山《祇王祇女》(永青文庫)、木村武山《阿弥陀来迎図》(福井県立美術館)。



「明治30年代には線をなくし、空や雨、朝日といった朦朧とした空間を描いた春草や大観たちですが、明治40年代には酒井抱一、鈴木其一らの江戸琳派を再発見して、線を墨だけでなく、色で線を描くようになりました。」
「このように日本画の型を破ろうとした朦朧体四天王と、型を破ろうとしなかった芳崖四天王は、明治末期には画風が似てくるようになりました。」
「そういった周回遅れの人たちと先に走っていた人たちが似てくるという近代日本画の面白さを実感していただければと思います。」(拍手)

さて、特別展「狩野芳崖と四天王-近代日本画、もうひとつの水脈-」はいかがだったでしょうか。
野地分館長のお話は、とても楽しく、とても参考になりました。これからもギャラリートークが開催されますので、日程の合う方はぜひご参加してはいかがでしょうか。

また、狩野芳崖の名作《悲母観音》《不動明王》(いずれも重要文化財 東京藝術大学)、《仁王捉鬼図》(東京国立近代美術館)は10月10日からの展示になりますが、前期も見応え十分。展示替えも多いので、ぜひ前期後期ともご覧になっていただければと思います。もちろん私も後期展示も見に行きます。


開催概要
会 場 泉屋博古館分館(六本木) 
会 期 前期 9月15日(土)~10月8日(月・祝)
    後期 10月10日(水)~10月28日(日)
会期中のイベント(いずれも要入館料・予約不要)
 ゲスト・ギャラリートーク  9月22日(土)15:00~
  ゲスト 椎野晃史さん(福井県立美術館学芸員)
 夕やけ館長のギャラリートーク 9月29日(土)、10月13日(土)、20日(土) 15:30~
  ナビゲーター 野地耕一郎泉屋博古館分館長
 ロビー・コンサート 10月6日(土)17:00~18:00
  「バッハ無伴奏チェロ組曲、ほか」
  当日10時より入場券持参の方1名につき1枚、座席指定付き整理券を配布。
  奏者:茂木新緑さん(N響団友、チェリスト)

展覧会公式サイトはこちらです→https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/


「いまトピ~すごい好奇心のサイト」でもyamasanのペンネームで近代日本画のコラム書いています。ぜひこちらもご参照いただだければと思います。

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