2020年10月7日水曜日

藝大コレクション展2020-藝大年代記(クロニクル)

 東京上野公園の東京藝術大学大学美術館では、9月26日(土)から「藝大コレクション展2020-藝大年代記(クロニクル)」が開催されています。

毎年楽しみにしている展覧会なので、コロナ禍の影響で開催が延期されたときはショックを受けたのですが、この秋めでたく開催されることになりました。
そこで先日さっそく行ってきましたので、展覧会の様子をレポートしたいと思います。

今年のテーマは、前身の東京美術学校から現在の東京藝術大学までの130年以上の歴史を所蔵作品で綴る「藝大年代記(クロニクル)」。
よりすぐりのコレクションと、卒業生の自画像や卒業制作で日本近代美術の足跡をたどることができる、とても内容の濃い展覧会です。

【展覧会概要】

会 期  9月26日(土)~10月25日(日)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日
観覧料  一般 440円ほか
展覧会の詳細や新型コロナウィルス感染防止対策は公式サイトでご確認ください⇒

※館内は撮影禁止です。掲載した写真は取材時に美術館の特別の許可をいただいて撮影したものです。
※取材では、同美術館の熊澤弘准教授に展覧会の趣旨及び作品の解説をしていただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

展示は、所蔵作品がほぼ年代順に展示されている 第1部 「日本美術」を創る と、
自画像と卒業制作がメインの 第2部 自画像をめぐる冒険 の2部構成になっています。

見どころいっぱいのコレクション展なので、今回は特に注目ポイントを三つに絞って紹介したいと思います。

見どころ1   教科書や切手で見たことがある日本近代美術の作品に会える!
見どころ2 藝大の歴史を収蔵年代順にたどることができる!
見どころ3 卒業生たちの個性あふれる自画像がずらり!



見どころ1 教科書や切手で見たことがある日本近代美術の作品に会える!


第1部会場入口では高橋由一の《鮭》がお出迎え。

第1部イントロダクション
中央が高橋由一《鮭》(重要文化財)明治10年頃(c.1877)、
左は原田直次郎《靴屋の親爺》(重要文化財)明治19年(1886) 
右は黒田清輝《婦人像(厨房)》明治25年(1892)


《鮭》は、日本史教科書に必ずといっていいほど出てくるので、ご記憶のある方も多いのではないでしょうか。
切り身を一部切取られ紐にぶら下がった鮭を子どもの頃に見たときの印象がとても強く、私の頭の中には「鮭=近代日本美術」という図式がしっかりインプットされているのです。
作者は写実的な画風を追求した日本西洋絵画界のパイオニアともいえる高橋由一。
ぜひこの機会に目の前で鮭の質感をご覧になってください。

そして、やはり子どもの頃、切手の図柄で知っていた上村松園《序の舞》。
京都画壇の美人画の第一人者、上村松園が描いたこの作品も展示されています。

上村松園《序の舞》(重要文化財)
昭和11年(1936)

この作品は2年前に同じく東京藝術大学大学美術館で開催された「東西美人画の名作《序の舞》への系譜」展で修理後初めて一般公開された時に見たのですが、髪の生え際の細かな表現や着物のあでやかな色合いが見事によみがえっていますので、こちらもぜひ目の前で見ていただきたい作品です。

ところで、切手コレクターの方はもうご存じかと思いますが、10月16日に日本郵便から発行される特殊切手「美術の世界シリーズ 第2集」に、《鮭》、《序の舞》が84円郵便切手、洋画家・和田英作の《渡頭の夕暮》が63円郵便切手の題材として選ばれているのです!


和田英作《渡頭の夕暮》も第2部で展示されています。
一日の仕事を終えて、川べりで対岸を眺める一家と川面に浮かぶ夕陽。スーッとその場に入っていけそうな光景が描かれている逸品です。

第2部の卒業制作のコーナー
中央が和田英作《渡頭の夕暮》明治30年(1897)
右は横山大観《村童観猿翁》明治26年(1893)
左が近藤浩一路《京橋》明治43年(1910)

切手が発売される前に実物を見るか、切手が発売されてから実物を見に行くか。
いずれにしてもぜひその場で実物をご覧になっていただきたい作品です。

見逃せない作品ばかりなのですが、やはり狩野芳崖《悲母観音》も見逃すわけにはいきません。

狩野芳崖《悲母観音》(重要文化財)
明治21年(1888)

狩野芳崖(1828-1888)は、橋本雅邦(1835-1908)と並ぶ明治期の近代日本画界のスーパースター。
東京美術学校の創立に尽力しましたが、開校前に惜しくも亡くなり、最後の力を振り絞って描いたのがこの名作《悲母観音》。
昨年のコレクション展以来の再会です。

正面に立って見上げると、赤子に優しく微笑みかえる観音様。
思わず手を合わせたくなる作品です。

《悲母観音》も私の手元にある『詳説 日本史図録』(第6版)(山川出版社 2015年)の近代日本美術紹介のページ(P245-246)に高橋由一《鮭》、和田英作《渡頭の夕暮》や、今回は展示されていませんが、浅井忠《収穫》、赤松麟作《夜汽車》とともに掲載されているので、受験生のみなさんは一度は見たことがある作品かもしれません。

見どころ2 藝大の歴史を収蔵年代順にたどることができる!

 

今回の展覧会は「所蔵作品で東京美術学校と東京藝術大学の年表をつくりたい。」(熊澤弘准教授)とのコンセプトで構成された「藝大年代記(クロニクル)」。
第1部では、学生たちの美術活動に必要な参考資料としての収蔵作品がほぼ年代順に展示されているので、会場内を巡りながら、藝大の歴史をたどることができます。

第1章 1889年 東京美術学校と最初期のコレクション 


1889年(明治22年)は東京美術学校が開校された年。
開校に際して、学生が入る前から教材としての美術品の収集に尽力したのが、初代校長を務めた岡倉天心。

この方が天心です(下の写真一番右)。
            ↓
第1章展示風景
右から下村観山《天心岡倉先生(草稿)》大正11年(1922)
中央の二幅が《羅漢図》(重要文化財)南宋時代(13世紀)
左が《阿弥陀三尊来迎図》鎌倉時代(13世紀後半)

天心には「本邦古来の美術を」との考えがあったので、登場する仏さんや人物のなごみ系のお顔にホッとさせられる国宝《絵因果経》(下の写真)や、上の写真の《羅漢図》《阿弥陀三尊来迎図》といった古美術も含まれていたのです。

《絵因果経》(国宝)天平時代(8世紀後半)


第2章 1896年 黒田清輝と西洋画科


1896年(明治29年)は東京美術学校に西洋画科と図案科が新設された年。

第2章展示風景
左から原作:ベルナルディーノ・ルイーニ 模写:久米桂一郎
《小児と葡萄》明治25年(1892)、
久米桂一郎《寒林枯葉》明治24年(1891)
山本芳翠《西洋婦人図》明治15年(1882)

久米桂一郎(1866-1934)は、黒田清輝(1866-1924)と同じくフランス留学を経験し、ともに西洋画科を主導した人。
山本芳翠(1850-1906)もフランス留学を経験した明治期を代表する洋画家。
イントロダクションで展示されている、黒田清輝が収集した高橋由一《鮭》、原田直次郎《靴屋の親爺》や自身の《婦人像(厨房)》とともに、まさに「西洋画科の最初の教材」がここに展示されているのです。

谷文晁コレクション


今回初めて知ったのですが、東京藝術大学大学美術館では、江戸後期の文人画家・谷文晁(1763-1841)に関する作品・資料が計57件所蔵されているとのこと。
今回は4点の絵画が展示されていて、そのうちの2点が、中国絵画(下の写真右)と国宝「信貴山縁起絵巻」の模写《志貴山縁起 上》。
狩野派や土佐派、中国絵画や西洋絵画の手法も取り入れて独自の画風を創出した、研究熱心な谷文晁が一生懸命模写をしている姿が思い浮かんできそうです。
今後のコレクション展で谷文晁の特集が組まれるのを期待してしまいます。

右から、模写:谷文晁《夏谿新晴図》寛政11年(1799)
谷文晁《韓信》文政3年(1820)
原作:谷文晁 模写:柳月斎《芦葉達磨》
(文政4年(1821)原作、天保5年(1834)模本制作)


第3章 美校の素描コレクション


この章には、明治9年(1876)から明治16年(1883)まで存続した日本最初の官立美術学校、工部美術学校から東京美術学校が受け入れた素描コレクションが展示されています。

絵画教師としてイタリアから招聘されたフォンタネージの作品や、
第3章展示風景

素描を重視したフォンタネージの指導のもと工部美術学校で学び、その後洋画家として活躍する浅井忠、松岡寿、五姓田義松らの生徒時代の作品から、明治初期の美術教育のあり方が伝わってくるようです。
第3章展示風景


第4章 1900年 パリ万博と東京美術学校


1900年(明治33年)はパリ万国博覧会が開催された年。
東京美術学校は積極的に作品を出品しましたが、当時はアールヌーヴォーの全盛期。
賞を得た作品もありましたが、全体的な評価はあまり芳しくなく、関係者たちは落胆したそうです。
同じくこの章に展示されているアールヌーヴォー調のポスターと比較すると派手さはないかもしれませんが、素朴な日本の原風景を見ているようで、何となく懐かしさを感じるいい作品が展示されています。

第4章展示風景
左から、藤島武二《池畔納涼》明治31年(1898)、
広瀬勝平《磯》明治31年頃(c.1898)、
結城素明《兵車行》明治30年(1897)


第5章 1931年 官展出品・政府買上作品

1931年(昭和6年)は、官展に出品後、政府が買い上げした作品の東京美術学校への移管が始まった年。
移管は、同年の第12回帝展から1946年(昭和21年)の第2回日展まで続き、現在、東京藝術大学は日本画、彫刻、版画合わせて43点を収蔵しているとのことです。
第5章展示風景
右 上村松園《序の舞》(重要文化財)昭和11年(1936)、
左 小林古径《不動》昭和15年(1940)

上村松園《序の舞》は、昭和11年(1936)の文展に出品された作品。
京都画壇の上村松園は東京美術学校とは縁がなかったのですが、この作品が東京藝術大学の所蔵になった背景には、官展出品・政府買上→移管といういきさつがあったことを初めて知りました。
神武天皇即位から2600年にあたる昭和15年(1940)に開催された紀元2600年奉祝美術展に出品されて東京美術学校に移管された作品は、上の写真の小林古径《不動》のほか、前田青邨《阿修羅》、鏑木清方《一葉》が展示されています。


見どころ3 卒業生たちの個性あふれる自画像がずらり!



今回の展示のすごいところは、卒業制作の一環として制作された卒業生たちの自画像約100点がずらりと展示されていること。


第2部イントロダクション
左から、白滝幾之助、青木繁、李叔同/李岸、中村萬平の《自画像》


どうでしょうか、この景色。何しろ壮観です。
顔が正面を向いていたり、少し斜に構えていたりさまざまですが、誰もがいい表情をしていて、画風もそれぞれの画家の個性が出ています。

第2部自画像をめぐる冒険 展示風景


お気に入りの画家の自画像が見つかるかもしれません。ぜひ一つひとつの《自画像》をじっくりご覧になっていただきたいです。

明治31年(1898)卒業の北蓮蔵、白滝幾之助の2点の自画像から始まった西洋画科の自画像は、中断した時期もありましたが、その後、日本画科、彫刻科、工芸科が加わり、現在でも自画像の納入と所蔵が続けられています。

「自画像」といっても絵だけではありません。中には映像の自画像といった変わり種も。

作者は、今をときめく現代美術家の宮島達男。
昭和59年(1984)に制作されたものなのでDVDではなくビデオテープに収録されているのですが、展示されているビデオテープを見て妙に懐かしさを感じました。
映像は会場内で上映されているので、ぜひこちらもご覧になってください。


展覧会パンフレットも充実!


そして、第1部入口に作品リストと一緒に置いてあるのが、今回の展覧会のパンフレット。



全14ページでオールカラー。展示作品の図版も多く、各章ごとの分かりやすい解説もあって、まるでミニ図録。制作された皆さんの熱意が伝わってきます。それに何と無料!
お一人様一部です(なくなり次第終了)。ぜひお手に取って、会場内を巡っていただければと思います。

間違いなくこの秋おススメの展覧会。
会期は1ヶ月、10月25日(日)までです。
ぜひ上野公園の東京藝術大学大学美術館までお越しになってください!