東京・墨田区のすみだ北斎美術館では、開館10周年記念 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士が開催されています。
| 展覧会チラシ |
今回は、すみだ北斎美術館開館10周年記念を記念して開催される展覧会の第2弾で、江戸後期の浮世絵界を代表する2人の巨匠が描く富士山の競演が見られるので、開幕を楽しみにしていました。
遅ればせながら、先日、展覧会を拝見してきましたので、さっそく展示の様子をご紹介したいと思います。
展覧会開催概要
会 期 2026年6月23日(火)~8月30日(日)
※前後期で一部展示替えを実施
前期:6月23日(火)~7月26日(日)
後期:7月28日(火)~8月30日(日)
開館時間 9:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日 毎週月曜日
(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌平日)
開館:7月20日(月・祝)
休館:7月21日(火)
会 場 3階企画展示室
主 催 墨田区・すみだ北斎美術館
特別協力 町田市立国際版画美術館
※観覧当日に限り、4階『北斎を学ぶ部屋』、常設展プラスもご覧になれます。
※展覧会の詳細、チケットの購入方法、各種割引の詳細、最新のイベント情報は同館公式ホームページをご覧ください⇒https://hokusai-museum.jp/
※企画展示室内は撮影禁止です。掲載した写真は、主催者より広報画像をお借りしたものです。
展示構成
序章 江戸っ子の富士
1章 北斎の富士
2章 広重の富士
3章 北斎 広重 ふたりの富士、それぞれの富士
今年も7月に入って富士山が開山して、多くの登山者が富士山に登っていますが、江戸時代にも富士山を信仰する町人らで組織された冨士講の人たちで富士登山はご覧のとおりにぎわっていました。
ところがよく見てみると、上る人の笠や着物には味噌や豆、下る人の笠には竹や油などの文字が書かれています。これは当時の物価の上下も暗示しているのでした。
ということは、浮世絵師が現代の富士登山の様子を描いたら、上る人たちだけになってしまうかもしれませんね。
今回の展覧会の大きな見どころは、なんといっても葛飾北斎(1760-1849)と歌川広重(1797-1858)による富士山が描かれた作品の夢の競演が見られることです。
北斎の名作「冨嶽三十六景」46図は、約4年ぶりに前後期で全点が展示され、広重の「冨士三十六景」36図も前後期で全点展示されます。さらに広重最晩年の大作「名所江戸百景」の中から富士山が描かれた図、そして広重「不二三十六景」シリーズの作品も展示されるという、まさに豪華レパートリー、充実の内容です。
前後期で展示替えということは、「冨嶽三十六景」の中でも特に人気の高いビッグ3はいつ見られるのだろうと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ご心配には及びません。
「凱風快晴」、「山下白雨」、「神奈川沖浪裏」は、半期で同タイトルの作品が展示されるので、前期に来ても、後期に来ても見ることができます。
赤く染まる富士山から「赤富士」とも呼ばれる「冨嶽三十六景 凱風快晴」。
| 葛飾北斎「冨嶽三十六景 山下白雨」吉野石膏コレクション すみだ北斎美術館寄託(通期) 半期で同タイトルの作品に展示替え |
海外の方たちから「グレートウェーブ」の愛称で親しまれている「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。
今回の展覧会では、富士山を北斎と広重が同じ場所または類似した構図で描いた作品が並んで展示されているので、二人の個性の比較ができるのがうれしいです。
北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と並んで展示されている広重の「不二三十六景 相模七里か浜風波」に描かれた波は、北斎の波を意識しているのでしょうが、まるで小山のように盛り上がっていてとてもシュールな印象を受けます。
| 歌川広重「不二三十六景 相模七里か浜風波」山梨県立美術館蔵(通期) |
広重は保永堂版「東海道五拾三次之内 由井 薩埵嶺」でも静岡の薩埵峠を描いていますが、海は穏やかで、「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」のように激しい波の表現はありませんでした。
北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と広重の「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」は今回の展覧会のメインビジュアルになっていますね。
| 歌川広重「冨士三十六景 駿河薩タ之海上」町田市立国際版画美術館蔵(前期) |
北斎の「冨嶽三十六景」は、真正面からとらえた大きな富士も描いていますが、奇抜な構図で姿をあらわす富士山もまた大きな魅力です。
「冨嶽三十六景 遠江山中」では、支柱の間から富士山が顔をのぞかせています。
この作品は、木材と支柱が織りなす三角形と富士山が相似形になっていて、幾何学的な構図になっているのも大きな特徴です。
| 葛飾北斎「冨嶽三十六景 遠江山中」すみだ北斎美術館蔵(前期) |
広重の富士はどうでしょうか。
「冨士三十六景 さがみ川」は、筏(いかだ)船の焚火の囲い、大山、富士山の三角形の相似形を巧みに用いた構図のバランスのよさから名作として高く評価されていますが、北斎のインパクトの強さとは違ったさりげなさが広重の魅力なのかもしれません。
この作品はゴッホの「タンギー爺さん」の背景に描かれていることでも知られています。
| 歌川広重「冨士三十六景 さがみ川」町田市立国際版画美術館(前期) |
後期に展示される「冨士三十六景 甲斐大月の原」は、色とりどりに咲き乱れる秋の七草がまるで冨士山を祝福しているような明るさが感じられます。
広重は北斎より37歳年下で、北斎が70代で「冨嶽三十六景」を発表してから約20年後に広重の「不二三十六景」、さらに約10年後に「冨士三十六景」が刊行されています。
今回の展覧会では、広重が北斎から受けた影響を見ることができますが、同時に広重の北斎に対するライバル意識も感じ取ることができました。
歌川広重『富士見百図』(前後期で頁替あり すみだ北斎美術館)の自序では「北斎の富士図は構図の面白さが主で、富士は脇役となってしまっているが、自分は目の当たりにした富士の写生をもとにして、細部は省略したとしてありのままの風景を描いている」といった内容のことを語っているのです。
広重は晩年の大作「名所江戸百景」でも、120図のうち22図に富士山を描いています。
そのうち、現在の目黒区中目黒にあった目黒新富士は、北方探検家で幕臣の近藤重蔵が別邸内に築かせた富士塚のことで、その山頂には人の姿が見えますが、さぞかしいい眺めだったことでしょう。
北斎が富士塚をほとんど描いていないのに対して、広重は上目黒の元富士も描いているので、富士塚を江戸の名所として紹介する姿勢がうかがえます。
これまで、北斎と広重の波や、三角形の構図を比較してきましたが、後期には東海道の原宿(静岡県沼津市)と吉原宿(静岡県富士市)の間にある富士沼から見た富士山を比較することができます。
「冨嶽三十六景 駿州大野新田」で北斎は、前景に芦を積んだ牛を引きのんびりと家路につく農民たちを描いて情緒豊かな情景に仕上げています。
一方、広重は「不二三十六景 駿河富士沼」で、山頂が絵の枠を突き抜けた富士山の堂々とした姿を表現しています。
同じく富士山頂が絵の枠を突き抜けている「東海道五拾三次之内 原 朝之冨士」を思い浮かべました。